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命が尽きようとしている。
魔術院に勤める姉の言葉の意味が理解出来ずに、ほんの僅かな間呆けた。
無意識な拒絶が、胸の中心から響くギリギリと刃を引くような痛みを、一瞬だけ遠退かせる。
今、姉はなんと?
「異界の魔女」の、彼女の命が消えそうだと、そう言ったのか?
それは、それは、つまりアヤが、死・・
瞬きの間に状況を理解した青年は、歯を食いしばって上半身を捻り起こした。
姉の膝から降り肘で体を支えると、不安定ながらも立ち上がる。
契約紋を押さえ、背中を丸めて壁際に置かれた鏡を目指し一歩踏み出した。
「アディ?!」
「無理に動くな!傷に響くぞ?!」
「待ちなさい!今回復薬を!」
兄姉らは心配して声を掛けるが、青年の耳には届かない。
魔術や魔道具に精通している姉を疑う余地は無いと、理性では解っているものの。
自身の目で彼女の様子を確認しない事には、到底信じられる話では無かった。
歩を進める青年の体が、ぐらぐらと左右に揺れるのを見かねた次兄はすかさず青年に肩を貸し、姉に問うた。
「姉上、契約紋の傷を治してしまっても問題はありませんか?」
「え、ええ!大丈夫!問題無いわ!」
オロオロと青年に手を伸ばしていた姉は次兄の問いに焦りながら答える。
次兄の反対側を支えた長兄は姉の返答を聞き、すぐに懐へ手を伸ばした。
「分かった。これを使おう」と小瓶を取り出し口で栓を抜くと青年の口元に当てがう。
「飲めアディ、回復薬だ」
有無を言わさず小瓶を傾け、青年の口の中に中身を注ぐ。
青年が抵抗せずにそれを受け入れると、流れ続けていた契約紋からの出血はピタリと止まった。
傷はあっという間に塞がり、残ったのは流れた血と、依然黒いままの契約紋。
青年は回復した途端、兄らを振り払うようにして鏡へと飛びつく。
鏡の向こうはいつもの白い布で覆われていた。
焦りながら上着を脱ぎ、鏡に向かって打ち振るうと、布が叩き落されて漸く視界が開ける。
だが、向こう側を確認した青年はバンッ!と両の手の平をつるりとした表面に打ち付け、ギリリと歯を食いしばった。
「くそっ!壁しか見えないっ!」
「あちらの状況は?!」
長兄の問いに、視線を向ける事無く叫ぶように説明する。
「壁を向いていて部屋の中が見えません!」
くそっ!
こんな事なら彼女が鏡を動かすのを承諾するのでは無かった!
部屋の様子が窺える筈の向こう側は、今は無骨な印象の灰色の壁と右手に僅かにカーテンらしき紺色の布が見えているだけ・・
前日の自分を殴り飛ばしたい衝動に駆られながら、握った拳の底を台に打ち付ける。
『どうすれば良い!どうすれば彼女の無事を確認出来る?!』
『冷静になれ』という思考だけが空回りして、ますます焦る青年の背にそっと温かな手が触れた。
「落ち着いて。壁があるなら押してみましょう。上手く行けば動かせる筈です」
次兄の言葉にハッ!とした青年は、周囲を見回して使える物が無いか探した。
しかし見当たらなかったので、手の平に意識を集中。
水を生み出し、操作して鏡の向こう側へと送る。
直接壁を押してもあちらの鏡は動かせないと判断して、鏡が乗っているであろう台と壁の間に水を送り凍らせて氷柱にした。
ぴし、パキと音を立てながら氷が厚くなっていくが、台の角が拳一つ分壁から離れただけでその成長を止めてしまう。
「ちっ!水が足りない!」
この部屋に窓はない。
中の空間に存在した水分だけでは、どう頑張ってもこれ以上は無理だ。
舌打ちした青年に、姉は即座に反応して言う。
「わ、分かりましたわ!直ぐに手配を!」
「俺も行こう」
扉に向かう姉の後を長兄も追う。
次兄は二人に頷き、その背を見送って視線を青年へと戻した。
鏡を睨みつけ、待つしかない現状に暴れそうになる体を抑えているのだろう震えるその背を、あえてゆっくりと撫でる。
「しっかり、アディ。焦るのは解りますが、落ち着いて兄上たちを待ちましょう」
「解ってますっ!」
焦りを伴った大声を上げる青年に一瞬目を見開いた次兄は、ぐっと唇を噛みしめ、青年の肩を掴んだ。
自分へと顔を向けさせると、その頬をバシン!と強く叩く。
打たれた頬を無意識に押さえた青年は、驚きに目を見開いて漸く次兄と視線を合わせた。
「呼吸を整えて、ゆっくり魔力を循環させましょう。兄上たちが戻られたら、直ぐに魔法を使えるように準備しなさい」
叱るでもなく、静かな口調でそう助言された青年は数度ぱちぱちと瞬きをして、幾分落ち着いた様子でこくりと頷く。
そうだ。
彼女を救えるのはおそらく、自分だけだ。
今すべき事は冷静に状況を把握し、危機に陥っているであろう彼女を救う事・・
少しでも死神の[[rb:顎 > あぎと]]から遠ざけるよう思考と身体を動かすことだ。
「・・・はい。ありがとうございます。フィル兄上」
青年が落ち着きを取り戻し、安堵した次兄はその事をおくびにも出さずににこっと微笑む。
「もう大丈夫ですね・・魔女殿が心配なのは解りますが、鏡を使えるのはアディ、あなただけです。ここで立て直さないと、救える筈のものを取り零しますよ」
「はい。肝に銘じます」
反省し、再度神妙に頷いた青年は背筋を伸ばした。
服の上から胸に手を当て、ゆっくりと呼吸を繰り返し体内を巡る魔力に意識を集中する。
アヤを助ける。絶対に。
その決意を実現させる為、青年は深い呼吸を繰り返し乱れていた魔力の流れを整えていく。
落ち着いてみれば、先程の氷の成形ではかなり無駄が多かった事に気が付く。
酷いものだ。お粗末にも程がある。
手から繋がっていた水を断ち切っていなければ、今直ぐ修正できたのだが・・
過ぎたことはもう仕方ないと割り切ろう。
今は、これからの事に集中しなければ。
魔力の流れに集中すること数分。
待ち望んでいた水が、兄姉の手で部屋に運び込まれた。
木製の桶が四つ青年の足元に置かれる。
「ありがとうございます!」
青年は二人に礼を言って氷柱を伸ばす為、頭の中で繰り返していた手順通りに水を操作する。
桶から硬貨程の太さで伸びあがった水は、青年の手を経由し、鏡の向こう側へと送り込まれた。
表面がうっすら溶け始めていた氷柱は、水分を追加され再び成長を始める。
台の角が、氷の成長と共に壁からずずっと滑るように離れて行く。
思っていたより軽い。これなら直ぐに室内を見渡せる位置に動かせるだろう。
そう期待しながら、青年は水を操る。
右側を支点に、反時計回りに台を動かしていくと、寝具と思しき家具が見えて来た。
押していた壁と台の位置がほぼ垂直になったので、次はその寝具を押す形で台をさらに回転させる。
いつも視界に入っていた彼女の机が現れ、目に映る床の面積が徐々に広くなっていく。
寝具の次は床を押した。まだ彼女の姿は見えない。
『焦るな。加える力が強すぎると台が倒れる』
自身に言い聞かせ、慎重に水を操った。
ずりずりと台を押して滑り動かし、最初に見えていた壁の反対側が正面になろうかという頃。
床の端に、鮮やかな赤が見えた。
息を呑むのと同時に、心臓が恐怖で縮み上がる。
直後に再開した鼓動が、耳の裏で鳴り響いて五月蠅い。
どこか麻痺したような感覚の中、押していた氷柱を水に戻して位置を変え、また床を押した。
そうして視界に現れたのは、こちらに頭を向け、横向きに倒れた彼女。
腰の少し上辺りに何かが突き刺さっており、そこを起点として白い服を真っ赤に染め上げている。
倒れ伏す彼女の姿を目に収めた瞬間。ざっと血の気が引いて視界が急に暗くなったように感じ、咄嗟に唇を食い破って意識と、正気を保った。
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