今回は、宮臺眞司氏の發言についてまとめたいと思ひます。
それでは、早速やつていきませう。
「敎育は、敎育意圖があるひとが子どもに何かを傳へて意圖通り學ばせることです。それとは別に社會學には「社會化」といふ槪念がある。これは、社會にうまく適應できるやうに、社會が子どもを「洗腦」することです。」
私は、学校教育も社会が用意した洗脳だと思ひますが。
家庭内教育・部活動の先輩後輩の間の教育・社内教育などを含んだ、広義の教育とは別ですがね。
「「いい學校」で「いい子ちやん」だつたことで、社會の外で使ひ物にならない人格になつたりもする。いづれにせよ、社會化とは、「社會をうまく生きられるやうに、成育環境が子どもを方向づけること」です。
「だから、社會化とは「社會による洗腦」です。とすると、その社會がクソだつたらどうしますかつてことになる。そして、いまの社會は閒違ひなくクソ社會です。「クソ社會」とは「言葉と法と損得の外側を消した社會」のことです。」
社会で使ひ物にならない人格、私かな。
いい子ちやんであらうとし続けました。
「子」じやなくなつて、「大人」になつた今でも。
あとは「うつせえわ」が近いかも知れませんね。
「小つちやな頃から優等生 氣付いたら大人になつてゐた」
社会化とは、髪を切り、歯を磨き、風呂に入つて、洗つた服を着る事だと思ひます。
然し、これも洗脳なのでせうか。
本当は、汚ねえ頭と體と服と酷い口臭・悪臭で、街を駆け抜けても良いのでせうか。
そんな姿を、赤の他人に見られたくないし、電車やバスに乗れないし、買い物もできない、飯も食へない。
と、私は思ひ込んでゐます。
信じ込んでゐると言つても良い。
できないわけではない。
ただ、私がそれをしたくないだけである。
「クソ社會はクズ人閒を育てます。」
「クズは、新住民親みたいに、社會から祭りや性愛を消去します。彼らがいふ祭りや性愛は「言葉と法と損得」の枠內に縳られた「からつぽ」。社會から祭りと性愛が消えれば、ひとは力を失ひ、まともな仲閒や家族も作れず、社會は滅びます。」
確かに私は下ネタは信じてゐるけど、性愛を軽蔑したり敬遠して蓋をしたりしてゐるところがありますね。
以上は、七月三十日の記事から引用させていただきました。
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/rupo_mori_no_youchien/19796/2
「フェミニストは尊敬しまくつてをりますが、「街のポストが赤いのも、電信柱が髙いのも、みんな男が惡いのよ♪」的な言葉の自動機械に過ぎない自稱フェミニスト=糞フェミをこれからもdisります。公共性を缺いた「自己のホメオスタシス」に耽つたままの、愛から見放された者たち。本當は哀れです。合掌..」(四月二十六日、Twitter)
社会學てふ道に進んだ人だから、
仕方の無いことなのかも知れませんが、
フェミニズムは尊敬すべきではないと思ひます。
勿論、平塚らいてうみたいな、婦人参政権を得るために活動した人物などは、私も尊敬するところではあります。
然し、欧米の後追ひでしかない昨今の「フェミニズム」を有難がるのは間違ひだし、フェミニストも碌なのが居ないと思ひます。
宮台氏の言葉を借りれば、全部糞フェミ。
特にツイフェミは糞。
とはいへ宮台氏が、訳なく有り難がる筈は無いのですが。
Twitterでは「眞フェミ」さへも叩かれてゐます。
「欧米の後追ひで、フェミニズムなんかを有難がる」云々は、その人の受け売りです。
私の半分は國粋主義(伝統・文化)で出来てゐるので、欧米のものはなんでも退けたくなりますね。
ピザとコーヒーとパスタとマクドナルドとコーラは別です。美味い食べ物に罪はありません。
後はiPhoneと洋服もですね。それらが無いと生活が成り立ちません。
然し、Windowsは先日此岸へと旅立ちました。
私も早くそちらへ行きたいですね。
公共性を欠き〜哀れは、私にも当てはまります。
合掌。
まあ致し方ないですよ。
アウトサイダー、つまりは社会の周縁者ですから。
具体的には、無職の引きこもりですが。
「今から25年前から東大の法学部のトップランクの人たちつてキャリア官僚にはならない」
「ゴールドマン・サックスとか」(堀江貴文)
「だから今頃霞ヶ関官僚になつてる奴等つてやばいんで、皆さん信用しない樣に」
今が今年だとして、1997年。
20世紀からもうそんななのか。
いつのまにか、日本社会が泥舟化してゐる樣である。
失はれた30年をやつてゐる。
高度経済成長も終はつて、バブルで大枚叩いて馬鹿な事に金を使つた、商売人ども。
自制力の自の字も無く、崖下にフルスロットルで真に逆さまになつて行く樣な私の文章。
敢へて又加速器を踏み込むなら、「私達の未来さへ売り払はれた」てふところか。
はい、眞つ逆さま。
「『政治とか会社の文句を言つてゐる暇があるなら、自分で努力する』は正論ではない」てふ。
「努力の有効性を阻む、ヤバい背景を温存したまま、自分の努力で乗り越えろはブラック企業と同じ。」
82人委員会(コラボを支える會)に名を連ねる、安藤優子が聞き手の番組。
優しい事を言つてゐますね。
しかし高学歴とはいへ、社会学者のいふ事ですからね。
間違つてゐるかも知れません。
優しいから正しいてふわけではないです。
正しいから良いわけでも無いと思ひますが。
正しさとかを担保してくれる絶対の価値も無いので。
この世は無意味で無価値。
優しさは強さと両翼の関係にあると、かつての武士の倫理では信じられてゐました。
私は體が弱いので、片翼で墜落してゐますね。
又もや真つ逆さまです。
元々飛べやしねえんだ。
地面を這ひずり回つてんだ。
偖強さとは、知力と體力が含まれるさうです。
私も、体力があればバランスが良かつたのにな。
別に知力も、特に社会知に欠けますが。
友情とか信頼とか、会話や情報交換、知らない事は恥では無い、ちやんと尋ねる、とかさういふのですね。
挨拶すら儘ならない。
せずに済むならさうしたい。
以上、宮台真司氏の発言のまとめでした。
いかがだつたでせうか。
主に、私に刺さつた言葉を紹介致しました。
経歴については既にご紹介させて頂いてゐたかと存じます。
ですので、そちらの方もご参照いただきたいと思ひます。
それでは今回はこの邉で、失禮致します。