1
僕は可愛い、それは知っていた。疾(と)うの昔に。草食系の見た目だということも、自覚していた。あまり性的にガツガツしているようには、普段は見られない。だがこれでも内面は、煩悩だらけだった。
僕は今年で十四。パパ活なることを、去年の夏から行っていた。ほんの小遣い稼ぎだが、意外とテクニシャンも居るので、それで満たされることもままある。趣味と実益を兼ねているのだ。我ながらこれは良い按配だと思っている。
この日、朝、二度寝をした。その際に夢を見たのだ。同級の子が出てきて、僕の心象風景を掻き乱す。その子のことは嫌いだった。何故って、僕より可愛いからだ。内心では薄々、抱かれたいのだということを、自覚はしていた。それでも悔しくてならなかった。だから度々揶揄(からか)っていた。そんなあいつに、夢の中で僕は抱かれていた。
目が醒めると、僕は夢精していた。快楽が脳に刻まれた。鬱々とした気持ちで、僕は洗面台に向かう。ベッドシーツと肌掛け、それに下着、要するに汚れた一切合切を洗濯機に放り込んで回す。全裸で顔を洗っていると、姉貴が入ってきて、奇声を上げて飛び出していった。今更、何を大袈裟な。
朝食を食べていると、僕の顔を見るなり、姉貴が小言を云い始めた。うんざりして、僕はその場で、穿いていたトラウザーと下着を下ろしてやった。姉貴が噎(む)せる。ざまあみろ。父からは睨まれたが、気にしない。
学校で、いつも揶揄うあの子を見掛けた。名は鶴丸という。弄(いじ)っても良さそうなものだが、この日は気が乗らなかった。ぼんやり窓の外の景色を眺めていると、鶴丸、何と僕の隣に座って、頭を凭(もた)せ掛けるのだった。教室内で爆笑の渦が沸き起こる。次の瞬間、拒絶をしようとすると、その手を取って鶴丸、あろうことか、とんでもないことを云い出した。
「好きなんでしょ? 僕のこと。別にいいよ、許したげる。その代わり、友達になろ!」
咄嗟(とっさ)に椅子を蹴倒して逃げ去ろうとして、鶴丸に捕まった。ハグをされる。躰が密着する。否応なしに股間が膨らむ。恥ずかしい。だがニーッと笑ってきて、その笑顔の天真爛漫なことを見届けて、何もかもどうでも良くなったから、それで僕は鶴丸にキスをした。ほんの挨拶代わり。どよめく教室の中で、この時、僕らは無敵だった。
授業中のひそひそ話。聞くと、鶴丸もパパ活をしているという。或いは僕ら、似た者同士なのかも知れなかった。それなら、付き合おうというのは、迂遠だ。僕は切り出した。
「今夜うちで、一緒に寝てみない?」
正直色良い返事は、期待していなかった。だから鶴丸が悪戯な笑みで頷いたのを確かめて、男子の本懐を見た気がして、一瞬気が遠くなった。
夏空を椋鳥(ムクドリ)が滑空する。暫くそれを見ていて、意識をすっかり持って行かれていたから、僕は教諭に指されていたことにも気付かなかった。軽く叱られて、ペロンと舌を出す。今時だもの、それくらいのことで許されなければ。見ると鶴丸が笑っていた。それで僕は凝りもせずに、今度はノートの端っこに、鶴丸が動くパラパラ漫画を描いてみせた。
「ね!」
その瞬間、鶴丸の笑顔が弾けた。ソーダ水のように爽やかな、それは暑さ際立つ午後のことだった。
2
それから一週間。学校は長期休暇へと突入した。ひとつ、難題が持ち上がっていた。鶴丸とは、順調に友情を温めていた、その筈だった。だがここに来て、彼は僕にパパ活をやめて欲しいのだという。何故? と問うと、むっつりと押し黙る。あの子はもうやめたのだそうだ。それは自由だが、付き合っているわけでもなし、僕がパパ活を続けたとしても、一向に構わないのではないか? こんな時に限って、僕は頭が回らない。鶴丸が涙目で詰問(きつもん)するのを視界に入れて、僕は漸(ようや)く、腹を括(くく)るのだった。
「解ったよ、パパ活はもうやんないからさ。怒らないでよ、そんなに」
これで解り合えたのである。貴重な収入源だっただけに残念だが、そうも云ってはいられなかったのだ。
添い寝をする。鶴丸はすやすやと眠っている。僕は腕枕を貸していた。そのうちに僕も眠たくなってしまって、そのまま午睡を取るのだった。
気が付くと、陽が傾いていた。僕は鶴丸を揺り起こすと、彼を連れてそのまま家を出た。そろそろ彼を送り届けてやらねばならない。それでだ。どうも鶴丸、寝足りないのか、とろんとした目付きで、ちょいと危なっかしい。
帰り際、互いに彼氏でもないのに手を握って、顔を赤らめる。そんな遣り取りが楽しかった。眠気覚ましにもなるだろう。不意に頬にキスがあって、見ると嬉しそうにこちらを伺う鶴丸の笑顔がひとつ。ここはハグで返した。
夕食前に風呂を済ませて部屋で寛いでいると、携帯のSNSにメッセージがあった。見るとかつての上客のIDが表示されている。僕は放っておくこととした。
その夜、合わせて三度のメッセージが寄越(よこ)された。最後のメッセージが強烈で、僕は画面を二度見した。
「このままお前を逃がしはしない! 俺とちゃんと向き合え! 自宅の場所は知っている。バラされたくなければ、俺に連絡を寄越すことだ。いいな」
気が遠くなった。どうすれば良いか。機能不全気味な頭を回して、僕は考えた。結論。別にバラされても良いのではないか。放置もありだと思ったが、逆上されたら旨くはない。ならば親に携帯を渡して、一喝してもらえばいいと思った。
夕飯時(ゆうめしどき)、げんこつを貰う覚悟で、父に事の成り行きを包み隠さずに話した。父は笑った。
「お前もよう遣りおるわ。儂(わし)の若い頃によう似とるわ。それ、貸してみろ」
携帯を差し出すと、通話機能で相手を呼び出す父。次の瞬間、怒号(どごう)が木霊(こだま)した。
「未成年を相手に、買春況(ま)してや脅迫とは良い度胸だ! 警察に突き出してやるから、己の身元を白状せい!」
通話は切れた。父はそれから、無言でテレビを観ていた。こんな時だから、家族に恵まれたことが嬉しかった。
それ以降、以前の客からは誰からも連絡が無かった。一先ず、平和が訪れたのには、違いなかった。
鶴丸とは、相変わらずの微温湯(ぬるまゆ)のような日常が続いていた。もう一歩前へ進みたい、そう感じるようになってきたのは思う壺なのか。ともあれ、何もしないわけにも行かなかった。日帰りでいい、夏休みのうちに出掛けたい、そう思った。そして、互いのことをもう少し知ることができたら。まだ何も知らないに等しかったから、それは切に願うのだった。
3
幼い頃から、可愛いと云われることはままあった。通常なら徐々にそうした声は聞かれなくなるものだ。だが僕の場合は寧(むし)ろ、それは増えていった。男の第二次性徴は、一般に可愛らしさという要素を、その個体から奪い去ってゆく。不可逆的な変化であり、そこが絶望的な所以(ゆえん)だ。だが僕は違った。それがこれまでの人生に於ける、勝因のひとつだ。大袈裟かも知れないが。
鶴丸にしても大体似たようなことは考えていたらしい。それはそうだ。僕からしても、嫉妬するほどに可愛いのだ、当然だ。
鶴丸は、親からは愛されていないのだという。特に暴行を受けているといったわけではなく、逼迫した事態にはなっていないものの、度々冷たい言葉を掛けられるのだとか。
「あんたが居らんでも、代わりは居るんでな。我儘云ったら叩き出す!」
そういう言葉は、口癖のように遣われていたらしい。僕から云わせたら、「あんた」という言葉を用いる時点で、性悪確定である。
僕は幼い頃から寂しがりだった。父は無口だったが、甘やかそうとする母を、止めはしないでいてくれた。姉貴が中学より桜蔭に入学したので、周りからは期待の声が漏れたが、巻き込まれるのは真っ平御免だったので、僕はマイペースを貫き通した。孤独な戦いでもあったが、時には三枚目をも気取りつつ、諦めることだけはしなかった。自分の人生だものね、当然と云えば当然。それにしても僕は、地頭が良くない。その点は姉貴には似なかったのだ。残念なことではある。
姉貴は所謂(いわゆる)、高嶺の花だ。気位が高く、周りとしては疲れるのが玉に瑕(きず)だ。手が綺麗で、ハンドモデルをやりだした。もう家では料理も作らない。何を目指そうとしているのか、理解しかねるところが姉貴にはある。
姉貴の目標についてひとつ心当たりがあるとするなら、多分あの人はビアンなのだと思っている、まさにそういうところだ。意外と脇が甘いのか、男好きの匂いが一切しないのだ。それで桜蔭。これでは家庭など持つまい。キャリア・ウーマンとして肩で風を切る姿が、今から容易に想像できる。殺されるといけないので、これは永遠に口には出されないこと。姉貴は挫折というものを知らなそうな人だから、ビアンであることで挫折できるというなら、それは本人のためにもなるし、とても良いことだと思う。大いに挫折するべし。
閑話休題。
姉貴の話はほんの余録だ。さて、僕は随分と屈折した青春を謳歌しようとしている。自分でも、そう思う。僕の初恋は、小学五年の頃にまで遡る。後(のち)になって判ったことだが、相手は鶴丸の初恋の相手でもあったのだ。それは要するに、ラスボスのようなものである。
結局、彼は後になって、うちの姉貴と交際を始めることとなる。彼にその気はなかったわけだ。姉貴の交際相手としては、意外な気もしたが、ビアンならば、別に外見などはどうでも良いのだろう。
鶴丸は、幼い頃に実母を喪っている。病気などでそうなったのなら、まだ納得も行くだろう。だが実際には、事件に巻き込まれて、惨殺されてしまったのだ。通り魔である。鶴丸、現場に居たというのだから、返す言葉もない。葬礼で、何時(いつ)までもぐずっていたという鶴丸。それはそうだ。寂しかったのだろう。納棺では、泣きながら思い出のポートレートを一葉一葉入れていったという。
継母(ままはは)は優しくはないらしい。実父が継母との間にも子を設けてしまったので、愛情がどうしてもそちらに傾くようだった。
寂しい者同士、心が惹かれ合った、それもある。実際のところ、見た目だけの話でもなかったのだ。僕らには絆がある、今ならそう云える。それでも足りない分は、頑張るしかないのだ。誰だってそうだ。
4
少しずつ外堀が埋まっていった。そろそろ告白しても良いだろうか、そんな按配にも思えた。夏、房総の海に、ともに繰り出した。互いの裸体がまるで叉焼(チャーシュー)のようで、飲んでいたキリンレモンを思わず吹き出した。
「僕ら似たもん同士だね!」
「そうみたいだねー」
ビニールシートの上で寝そべりながら、僕らは男衆の裸体をチェックしたり、お握りを食べたりした。それはもう、行儀が宜(よろ)しい。こんな時に、互いの相性の良さに感謝するのだ。
揃って浮き輪を着けて、波に揉まれる。緩やかな癒しのビートが、海鳥たちの鳴き声を背に、静かに寄せては返す。ここは穴場だ。混み過ぎていないのが、寂れた旅情を喚起させる。湘南とは違う点だ。房総にも、ならではの良さならあるのだ。
何時までもともに在りたい、そう願うようになった。この日を境にしてだ。躰ならもう、何度も重ねた。だからそういうことではない。
時にはサボるのも良い。人間だもの、それくらいは許されたい。でも、ここぞという時には頑張れる、そういう心意気なら持っていたい。
夏休み最後の日、姉貴と差しで話をした。向こうから声を掛けてきたのだ。
「ねぇ、あなた将来結婚して子どもを作る気はある?」
これには緘黙するほかなかったわけだが、たったそれだけのことで、姉貴は立ち去った。並々ならぬ思いを感じて、僕は申し訳ないことをしたかも知れないと、少しばかり慄(おのの)いてもいたのだ。
後年になって姉貴は結婚をした。子どもも作ったが、やはり差しで話した折、酒も手伝ってか、自分がビアンであることを遂に明かした。そのことは互いの胸の中に、生涯に亘って秘め事として、留め置かれることとなった。
新学期、学校の屋上で、ふたりして授業をサボった。ここなら人目もない、そう踏んで、鶴丸をギュッと抱き締めた。耳元での告白。
「好きだ、付き合おう」
それだけ。奴は黙って頷いて、僕に縋(すが)った。愛してるだなんてまだ早い、互いにそう思っていたから、遣り取りはごくシンプルになった。
風が強い。どうりで雲の流れが速い。白シャツがはためく中、僕らは手を取り合って、互いに己(おの)が行く末を見定める。
まだ往ける、そう思って、僕らは青春の真っ只中、それは幸せだった。空を舞っていた椋鳥たちが、僕らの零れ落ちた恋慕の念を、頻(しき)りに啄(ついば)むのだった。
またいつか