ライカンスロープ 1巻 4話

  数年前、BAT07基地、地下1階食堂にて。

  「どう?」

  「美味しいです」

  瀞は切り分けたハンバーグを口に運び、口を大きく開けて頬張った。

  「犬だから、口の中に、めっちゃ肉が、入りますね」

  「飲み込んでしゃべりなよ」

  初めて獣人に変身した瀞は、同じく獣人の姿をした丈一から基地を案内された後、その姿のまま一緒に昼食を取ることにした。

  「いつもより肉がおいしい気がします。犬だからかな」

  「その理屈だと、僕は小動物や虫美味しく感じられるってことになる」

  丈一はそう言い、うどんを啜る。蛇がうどんを食べる光景に違和感を覚えつつ、瀞はハンバーグ定食を平らげた。

  「この無料の食堂、ここで働き始めたら、いつでも利用できるんですね」

  「ああ。もっといいものを食べたくなったら、地下3階の居住エリアにあるレストランに行くといい」

  「いやいや、ここで十分ですよ」

  「毎日利用していると、そう思えなくなるよ」

  丈一は食後の緑茶を飲む。瀞もコーラで喉を潤し、丈一に質問した。

  「そういえば、俺はここでしばらく訓練して、部隊に入るんでしたっけ?」

  「ああ。そこを詳しく話してなかったな」

  丈一はタブレット端末を取り出した。

  「まず1年間訓練を積む。そして、キメラ討伐のための部隊に入ってもらう形になる」

  丈一は瀞にタブレット端末の画面を見せた。日本地図が映っており、地方区分ごとに異なる色に染まっている。

  「部隊にはそれぞれ担当区域が決まっていて、そこにキメラが現れたら出動してもらう」

  「俺は大分県出身だから、九州の部隊ですか?」

  「いや、隊員が不足している所に補充されるから、それは分からない」

  「そうですか・・・・・・」

  瀞は耳を倒し、コーラを飲んだ。丈一は苦笑しつつ、急須から緑茶のお替りを注いだ。

  「1つの部隊には、何人くらいいるんですか?」

  「現時点では、2,3人だよ」

  「えっ!少っ!」

  「獣人になれる人は少ないから」

  「そんな少数であんな化け物と、戦えるんですか?」

  「最初は、“獣人は強いからいけるだろ”って意見が多かった。でも、ここ最近、キメラを取り逃がしたり、隊員が負傷したりするケースが増えている。隊員の数を増やすことが急務となっているんだ」

  「そうなんですね」

  「ただ、現在は本当に人材不足だから、4つの部隊しか稼働してないんだ」

  隊員の負傷と聞いて、瀞は少しだけ入隊を後悔した。一方、獣人が不足している今、自分がやらねばという責任感も生まれる。

  「昨年から獣人の発見に力を入れ始めたから、けっこうな数の入隊希望者を確保できた。彼らは今、それぞれの基地で訓練に励んでいるよ」

  「俺も、その人たちと一緒に訓練するんですか?」

  「いや、彼らは訓練課程がある程度進んでいる。獣人の能力に慣れていない君に、彼らと同じ訓練はさせられない」

  「じゃあ、一人で訓練ですか?」

  「ああ。そのはずだったんだけど」

  丈一は緑茶を一気に飲み、長い舌を口から出し入れした。

  「たまたま、君とほぼ同じ時期に、BATに入隊することになった訓練生がいるんだ。君は、彼と訓練してもらう」

  瀞はほっとした。一人で過酷な訓練に耐えられる自信はなかった。

  「確か彼は、一足先に獣人の姿になって、軽めのトレーニングを始めているんだ。君と同級生だったと思うよ」

  「九州の基地で訓練しているんですか?」

  「いいや、関東だよ」

  「都会の人ってことですよね。話、あうかな?」

  「彼は沖縄出身だよ。親戚が東京にいるから00基地にやったんだけど。君がいるから、07基地で一緒に訓練しようってことになったんだ。今日、こっちに来ることになってる」

  「沖縄、ですか。都会ですかね?」

  「さぁ。とりあえず、大分県と違って、温泉は無いかもね」

  丈一はそう言い、冷めたお茶を啜った。

  ***************

  (訓練は大変だったな・・・・・・マジで)

  瀞はふと、訓練生時代のことを思い返していた。

  同い年の獣人とともに訓練に明け暮れたあの日々は、文字通り地獄だった。特に辛かったのは、樹海での行軍だ。樹海のど真ん中に放り出され、重い装備を背負い、目的地に向かって延々と走り続けた。機動隊からの攻撃を浴びつつ、においや目印など微かな情報を探し、不眠不休で動き続けた。

  (よくクリアできたな。一人じゃ絶対脱落してた)

  二度としたくない訓練だ。だが、瀞はその訓練を経験してよかったと思った。あの経験があるからこそ、自分はまだ戦えるのだから。

  「瀞」

  後方にいる和虎から声をかけられ、瀞は顔を上げた。まっすぐ伸びる片側一車線の道路。両側には多種多様な商店が立ち並ぶ。瀞は前方を見据え、朝日に向かって進軍を再開した。

  「少し、臭いが強くなりました」

  「分かった」

  瀞の後を、和虎、風丸、空、賢士が続く。

  07部隊がいる場所は、バルバトスが潜んでいる町である。バルバトスによって機動隊B班が全滅させられた場所から、臭いを辿って追跡している。

  臭いは市街地から離れていき、瀞たちは町の旧市街にある商店街に到着した。国道沿いに建つ大型量販店に客を取られ、大半の店が閉店している。既に住民は避難しており人の気配はなく、寂れた商店街に立ち込める哀愁がより一層濃くなっていた。

  (やっぱり、臭いが強くなってるな。今度は逃がさねえぞ)

  七里ビルでの戦闘の後、瀞たちは不眠不休でバルバトスを探し続けた。疲労感に眠気、傷の痛みを感じている。それでも、胸中では闘争心が燃え上がっていた。

  (戦えるのは、樹海での訓練のおかげだな。帰ったら、教官たちに感謝しよう)

  高い士気を維持しつつ進んでいた瀞は、左の空き店舗を見て足を止めた。看板に書かれた文字は薄くなっているが、辛うじて“呉服店”と読める。ショーウインドウから見える店内は、空っぽだ。

  (臭うな)

  呉服店に一歩近づいた時、店内にいる何かと目が合った。ガラスに映った自分ではない。

  何かはこちらに突進してくる。

  (やっべ!)

  店内にいた何かがガラスを突き破って飛び出してきた。瀞は左に飛び退き、ガラスの破片と何かから逃れた。

  「キィィィィ!」

  店内から飛び出してきたのは、四足歩行の人だ。ただし四肢が異様に長く、両手の手首からは鎌のような刃が生えている。頭部は円柱状で、青白い両眼で瀞を睨みつけた。

  (やっぱり、いやがった!)

  瀞は起き上がりつつ戦闘態勢に入るが。

  「フッ!」

  それよりも早く和虎が動く。太刀を振り上げ、キメラの左後ろ足を切り落とす。

  「ギャアア!」

  人のように叫ぶキメラの首に太刀を振り下ろす。キメラの首が落ちて戦闘は終わった。

  (はっや。流石隊長)

  「大丈夫か、瀞」

  「はい。こいつ、たしか、バールでしたっけ。資料に載ってたような」

  「ああ。過去に討伐されたことがあるキメラだ。俺は初めて見るがな」

  和虎は太刀を振るい、血のりを払った。

  「お前の鼻は正しかったな」

  「はい。B班が全滅した地点で、バルバトスとは違う臭いも漂っていたけど、間違いなくこいつらです。でも、どうしてここに?」

  「前から潜んでいたとは考えにくいな。バルバトスが引き連れてきたのかもしれん。おそらく、機動隊がこの町を完全に包囲する前に」

  「こいつらも、出所は七里ビルですかね?」

  「おそらくな。それより、バールが1体だけとは限らん。より注意して進め」

  「了解」

  瀞は深呼吸して呼吸を整えた。

  (敵が増えたくらいで、びびるかよ)

  気力が漲る瀞に怯えはないが、後方から風丸の弱音が聞こえてきた。

  「マジかよ。別のキメラがいるとか。しかも複数って」

  そんな風丸に対し、空は心配そうに聞いた。

  「風丸、大丈夫?さっきの任務で疲れているなら」

  「いや、へーきだ!瀞、進んでくれ!」

  「お、おう」

  瀞は、風丸の態度に違和感を覚えた。明るいはずの風丸が、いつもより暗い気がする。

  (そう言えば風丸の奴、町に突入する前、和虎隊長と何か話し合っていたな。やっぱり、スタミナのことか?)

  チーター獣人の風丸は、隊員の中で最も持久力が低い。瀞はそれを心配したが、風丸に疲労の色は見えない。しかも、和虎や空と同じく、傷を負っていない。

  (心配されるのは俺の方だな)

  風丸に対する心配を忘れ、瀞は前方に意識を向けた。

  ウウウウウウ・・・・・・

  賢士を除く4人の耳がピクリを振るえた。遠くから、車のエンジン音が聞こえる。

  瀞は町に突入する前、教官から言われたことを思い出した。

  『この町は、人口減少を理由に複数の市町村と合併したことがあるため、非常に広い。山奥の過疎化が進んだ地域は避難が完了していない状態だ。機動隊が直接ヘリで回っているが、取りこぼしもあるかもしれない。住民を発見したら救助を優先しろ』

  『でも、さっき、嗅覚や聴覚を最大限に活かすため、ヘルメットは着用するなって。顔を見られたらどうするんですか』

  『顔は見られてもいい。獣人の姿を見られないことよりも、キメラの探索と住民救護を優先させろ。尚、過疎地域の人は自家用車で市の中心部に買い物へ行くこともあるようだ。遭遇してしまった場合は、マニュアル通りに対応しろ』

  「行くぞ!」

  和虎の号令の下、隊員たちは隊列を崩さず駆け出した。商店街を抜け、国道から遠ざかる田舎道に入り、ひび割れたアスファルトの坂を駆け上がる。

  「隊長!いた!」

  小高い丘の頂上から北の方角を見下ろし、瀞は叫んだ。

  1キロほど離れた場所、細いあぜ道を軽トラックが走る。その後方には、複数のバールが迫っていた。救助に行こうにもそこへ通じる道はなく、途中には大きな川も流れている。

  「俺と鹿山が行きます」

  真っ先に賢士がそう言い、助走をつけた。

  「頼む。空も続け」

  和虎の了承が出るよりも一瞬早く、賢士は飛び立ち、翼を広げ飛翔した。

  「了解!」

  空も助走をつける。

  「空、頑張れ!」

  「うんっ!」

  空は走り、渾身の力を込めて大地を蹴った。木々が立ち並ぶ丘の斜面には一度も足を付けず、一気に麓まで到達した空は、着地点にある民家の屋根を蹴りさらに跳んだ。その後も点々と建つ民家の屋根から屋根へ跳び、10メートル以上の幅がある川も飛び越え、最短距離を駆けて軽トラックの元へ向かった。

  (間に合わない!)

  田んぼを飛び越えつつ、空は思った。バールが1体、軽トラックの荷台に乗った。

  しかし、バールは頭から血を流し軽トラックから落ちた。賢士が飛行しつつ、89式小銃で射抜いたのだ。

  (流石!)

  空中では静止が出来ず、賢士は軽トラックを通り過ぎ、旋回してバールの群れへ向き直り、上空からの銃撃を開始した。

  空は軽トラックとバールの群れとの間に割って入り、先頭のバール目掛けて発砲した。

  「間に合った!」

  「あっぶねー」

  救援が間に合った、瀞と風丸は歓声を上げた。そんな二人に和虎が言う。

  「見とれている場合じゃない。あの住民たちのことは二人に任せて、俺たちはバルバトスを追う。さっきの場所に戻るぞ」

  「りょ、了解!」

  「すんませんっ!」

  3人での追跡となった。少々心細くなるも、瀞は仲間の活躍を見て高揚していた。

  俺も頑張らなければと、力強く前進した。

  「あれ?」

  進軍していた瀞は、寂れたバス停が建つ三叉路で足を止めた。

  (やばいぞ、これ)

  目を閉じて嗅覚を研ぎ澄ませると、暗闇の中にぼんやりと赤黒い煙の筋が見えた。その筋は、左右に分かれて伸びている。

  「隊長、臭いが分かれてます。バックトラックってやつかも」

  「そうか」

  「バックトラック?」

  首をかしげる風丸に、瀞は若干苛立ちつつ答えた。

  「片方の道に進んで、引き返してもう片方の道に行ったんだ」

  「あー、なるほど」

  「副隊長がいれば、ちょっと様子見が出来るんだけどな。どうします?隊長」

  「そうだな。一旦・・・・・・」

  和虎が答えようとすると、三人の耳に取り付けられた小型無線機が振動した。

  『こちら本部。タイガー、聞こえますか?』

  無線機から聞こえてきた声は、酷く焦っていた。

  「こちらタイガー。どうかしたか?」

  『住民の避難先である、隣町の市役所から連絡がありました。2回目の点呼で、市民が1人いなくなっていることに気付いたそうです。小学生の女の子です。その子の両親が言うには、飼い猫が見つからないまま避難してしまったそうで。もしかしたら、猫を探して自宅に戻っているのではないかと』

  「この町は機動隊が包囲しているだろう?」

  『包囲が完了する前に、通過して町に入ってしまった可能性もあります。細い田舎道が多くて、それら全てのルートに機動隊を配備するのには時間がかかったので。近くの公民館の、貸出用の自転車が無くなっているらしく、おそらくそれを使って』

  「つまり、女の子が町にいる可能性があると?」

  『その通りです』

  戦意により熱くなっていた瀞の心身が、一気に冷えた。

  「その子の捜索を優先する。その子の家は?」

  『端末に送りました。確認してください』

  「分かった。瀞、風丸、周囲を見張れ」

  「はいっ」

  和虎は部下に周囲の警戒を任せ、スマートフォン端末を取り出し地図のアプリを開く。

  「隊長、どの辺ですか?」

  「この先の道だ」

  和虎は、三叉路の西側に伸びる道を睨んだ。キメラの臭いが続いている方角で、その先には住宅地がある。

  瀞と風丸は、ともに最悪の事態を想像した。もう少女は、バルバトスに・・・・・・。

  「行くぞ!」

  『了解!』

  3人は住宅地の方角へ向かう。

  パァァァァァァッ!!

  すると、3人を引き留めようとするかのように、車のクラクションの音が響いた。発信源は三叉路の東側へ伸びる道だ。

  (誰かいるのか?)

  (でも、女の子も・・・・・・)

  「俺が見に行く。二人は住宅地へ行け。なんとしても少女を助けろ」

  和虎はそう告げ、返事も待たず東の道へ駆け出した。

  「了解です!」

  瀞は和虎の背中に叫び、端末で地図を確認する。

  500メートルほど進めば、廃校の校庭跡地に作られた住宅地がある。その中心部に印が付けられていた。

  「風丸、行くぞ。俺たちだけでやるんだ」

  「あ、ああ」

  2人は住宅地へ走り出した。心身に恐怖と不安が圧し掛かったが、使命感に背中を押された。

  一方、和虎は単騎となっても臆さず進軍を続けた。道路を挟んだ雑木林に注意を払いつつ走るその姿は、密林の走る虎のような迫力がある。

  やがて、道沿いに小さな古民家が見えた。家の前には、軽トラックが停まっている。

  和虎は速度を緩め、軽トラックから離れて様子を伺った。運転席側のドアが開きっぱなしになっている。車内には誰もいない。車両や家の周囲にも人影はなかった。

  和虎は足を止め、耳をそばだてた。風が吹き、道路を挟む雑木林が乾いた音を立てる。

  その音に紛れ、和虎の右後方の木陰からバルバトスが飛び出し、木で作った槍を放つ。

  槍は和虎へ向かう。バルバトスは直撃を確信したが、和虎は身を捩じって躱した。

  和虎はバルバトスへ向かう。だが、足を止め振り返った。

  軽トラックの下からバールが這い出てきた。更に古民家の窓から、ガラスを割って飛び出してくる。

  バルバトスの方へ向き直ると、雑木林からもバールが姿を現した。

  (罠、か)

  和虎はバルバトスを睨む。その醜悪な顔は、笑っているように見えた。

  バールたちは、一斉に和虎へ跳びかかる。和虎は、太刀を握りしめた。

  瀞と風丸は、住宅地に到着した。新築の家が多く、僅かに残った空き地のほとんどに予約済みの看板が立てられている。

  (見通しが悪いな。過疎が進んだ町なのに、なんで家が多いんだよ)

  瀞は風丸とともに少女の家へ進む。キメラの臭いも同じルートを通っており、進むほど焦りと恐怖が膨らんでいく。

  (女の子の臭いはしないな。まだここに来てないのか。だったら、バルバトスを見つけて速攻で倒せばいいな)

  自身に言い聞かせ、焦りを抑え進む。

  「おっ」

  「どーした?」

  別の臭いを感じ取り、瀞は足を止めた。嗅ぎたくなかった臭いだ。

  「新しい、血の臭いだ。急ぐぞ!」

  瀞は駆け出した。キメラと血の臭いを追って。その先は、少女の家の方角だ。

  「うっ!?」

  十字路を右折し、瀞は足を止めた。5メートルほど先、一軒家の前に血だまりができていた。その中心には、小さな靴が落ちている。

  瀞は愕然とし、動けなくなった。風丸もその光景を見て、同様の状態に陥る。

  「そんな・・・・・・」

  「嘘だろ・・・・・・」

  間に合わなかった。二人はそう理解したが、その事実を受け入れられなかった。

  風丸は血だまりの方へ進む。

  瀞は周囲を見渡した。少女の亡骸を探そうとして。しかし見当たらないため、索敵の要領で臭いを探る。

  「ん?」

  そして、瀞は血の臭いの違和感に気付いた。

  (獣のような臭いが混ざっている・・・・・・人の血じゃない!キメラの血だ!)

  更に瀞は気付く。少女の家はまだ先で、靴は小学生のものにしては小さい。

  風丸は気付かず、靴に近づいてゆく。

  「風丸!下がれ!」

  察した瀞が咆える。風丸は後方に跳んだ。

  ほぼ同時に、風丸が立っていた場所を木の槍が通過し、アスファルトに当たり爆ぜる。

  木槍の破片が飛び散り、風丸は目を閉じた。

  直後、血だまりの付近に停められていた車の陰からバールが飛び出し風丸を襲う。

  バールの接近を音で察知した風丸は、更に後方に跳ぶ。バールが右腕を振るう。

  「いっ!」

  バールの手首から生えた刃が、風丸の腹部を掠める。

  「どらっ!」

  風丸の後方から、瀞がバールに切りかかる。バールは左腕を振りかぶるより早く、瀞の切上が飛んだ。

  「ギッ!」

  地表すれすれの低空飛行から急上昇した刃は、バールの頭蓋と脳を一振りで断ち切る。

  バールを倒した瀞はすぐ後ろへ跳ぶ。再び木槍が飛んできて、地面にぶつかった。

  瀞は右の民家を見上げた。屋根の上には、バルバトスがいる。

  (待ち伏せからの狙撃か。頭使いやがる)

  瀞は刀を振って血のりを落とし、身構える。

  「風丸、大丈夫か?」

  「ああ。掠っただけだ」

  瀞は風丸の方を見なかったが、声で軽傷と判断した。

  「おし。二人でやっつけるぞ」

  「降りてくるのを待つか?」

  「いや、これくらいの高さ、普通に・・・・・・」

  キィッ

  不意に、遠くから自転車のブレーキ音が聞こえた。瀞はバルバトスに注意しつつ横目で音の方を見る。

  「あっ」

  風丸が声を上げた。

  捜索対象となっている少女の家の前に、自転車に乗った子供がいた。小学校高学年くらいの女の子だ。ペットキャリー型のリュックサックを背負っており、こちらを不思議そうに見ている。

  (あの子か!)

  突如、バルバトスが動いた。屋根から屋根に飛び移り、少女の元へ向かう。

  一瞬遅れて、瀞と風丸も少女の元へ向かう。

  少女は驚き、自転車を漕ぐ。バルバトス槍を振りかぶった。

  (やばい!)

  間に合わない。瀞が絶望した瞬間。

  「てぃ!」

  風丸はバルバトス目掛けて、手にしていたコンバットナイフを投げた。

  「グッ!」

  ナイフはバルバトスの左脚に刺さる。体勢を崩したバルバトスの手から槍が放たれた。

  少女から狙いが外れた槍は、自転車の前輪に命中した。少女は前方に放り出され、うつ伏せに倒れ込む。

  「当たった」

  「ナイス!風丸、女の子を診てくれ!」

  「おー!」

  風丸は倒れた少女に駆け寄る。瀞はバルバトスの方を睨み、少女の前に立ちふさがる。バルバトスは屋根の上で足を押さえて動かずにいた。

  「その子、大丈夫か?」

  「ああ。息はある。気絶してるっぽい」

  風丸は、少女のリュックサックを開けた。中には、縮こまって震えるキジトラの子猫がいた。

  「猫も無事だ」

  「よし」

  瀞はバルバトスの方を見た。だが、いつの間にか姿が消えている。

  (しまった!どこに・・・・・・)

  数秒後、別の民家の屋根の上からバルバトスが現れ、槍を振りかぶった。

  「くっ!」

  瀞はバルバトスと少女の間に割って入る。

  バルバトスが槍を投げた。槍はまっすぐ少女へ向かう。瀞は手中で刀を半回転させ、峰で槍を払った。槍の軌道は大きく反れ、アスファルトにぶつかり砕ける。

  瀞は槍の発射地点を見たが、既にバルバトスはいない。

  「あのくそ野郎、女の子を狙ってやがる」

  「あ、ああ」

  怒りで震えた瀞は、風丸に背を向けたまま言う。

  「風丸、その子を連れて逃げろ。守りながらじゃ、戦えない」

  「で、でも」

  「機動隊が待機してる地点まで、そんなに離れてねえだろ。お前の足なら大丈夫だ」

  「わ、分かったよ」

  有無を言わせぬ雰囲気に押され、風丸は少女を抱きかかえた。

  「死んでも助けろよ」

  「うん」

  「俺も、あいつを死んでも殺す」

  「いや、死ぬなよ」

  「いいから早く行け」

  「分かった。じゃあ、絶対死ぬなよ」

  風丸は、少女を抱えて走り出した。

  一人残された瀞は、極限まで集中力を高め、周囲の民家を油断なく見渡す。

  (許せねえ。死んでも殺せ)

  自然と、瀞の口角が上がり、牙が露出した。

  (噛みついたっていい。何が何でもあいつを殺せ)

  瀞はバルバトスの不意打ちに備え、その場から動かなかった。バルバトスからの攻撃は来ない。埒が明かないと思い、瀞はバルバトスがいた民家へ近づく。

  それを見計らったかのように、民家の窓から何から飛び出した。閃光手榴弾だ。

  瀞は右へ大きく跳んだ。地面に落ちた手榴弾から爆音と光が発生する。

  瀞の目と耳と鼻が利かなくなる。その隙に、民家から飛び出したバルバトスは瀞へ突撃し、槍を突き出す。

  咄嗟に民家から離れていた瀞は、バルバトスの刺突を察知して躱し、木槍を切った。

  バルバトスは槍を捨て、ナイフで瀞に切りかかる。瀞もすかさず切り返す。

  刃同士が接触し、火花が散った。

  「くっ!」

  疲労困憊の瀞が体勢を崩した。

  バルバトスはその隙を狙い、踏み込んでナイフをなぎ払う。だが、左脚の痛みで踏み込みが遅れた。風丸が投げたナイフによる傷の痛みだ。

  「しっ!」

  瀞はしゃがんで避け、地を蹴り切上を放つ。和虎直伝の一閃はバルバトスの胴体に入り、脊髄や心臓を断ち切った。

  どさりと倒れたバルバトスは、両腕を動かして立ち上がろうとするも、すぐに動かなくなった。

  (やった、のか?)

  瀞はバルバトスを見下ろす。傷は胴体に一つ、そして左脚に一つのみだ。

  (なんか、すげえ自然に、良い攻撃が出来たな)

  この時、瀞は自分の状態に気付いていなかった。怒りの対象を仕留めて精神が緩んでしまっていることに。

  「うっ!」

  微かに残った警戒心が、後方から聞こえた物音を拾った。瀞はすかさず左に跳んだ。

  「い゛っ!」

  右肩に激痛が走り、刀を落とした。背後から放たれた槍が掠ったのだ。

  振り返ると、こちらに向かって来るバルバトスの姿が。さっきまで相手にしていた個体より大柄で、右手にはナイフを握られている。

  (もう一体!?民家に隠れてた!?何で今!?)

  瀞は落とした刀に左手を伸ばそうとするも、一瞬早くバルバトスがナイフを投げつけた。

  刀を諦め、瀞は上半身を右に傾けて躱す。

  すかさずバルバトスは接近し、瀞の腹部に蹴りを打ち込む。

  ガードは間に合ったが、衝撃により瀞の身体は2メートルほど吹き飛ぶ。

  瀞は後転して起き上がった。瀞の刀を拾ったバルバトスが、切りかかってくる。

  後退して刃を避けつつ、瀞は気付いた。

  (こいつ、待っていやがったのか)

  敵が複数いる時は動かない。

  一人になっても、警戒心を高めている時は様子を見る。

  攻めるのは、敵が一人になり、気を緩めた時。

  狙うのは、戦う力を持つ者。

  (卑怯野郎が!)

  一瞬で怒りと気力が復活した瀞は、腰の鞘を取り、それを刀に見立てて構える。

  (小手を打って刀を落とす!)

  バルバトスは、鞘を手にした瀞に向かい、刀を振り上げた。

  「シャッ!」

  そして、振り上げた刀を瀞に投げつけた。

  「ぅおっ!」

  近距離での投擲。体感速度は早く、一瞬で刃が瀞に肉薄する。

  辛うじて瀞は躱した。その隙にバルバトスは瀞に接近し、鞘を左手で掴んで止め、横っ面に右拳を打ち込んだ。

  被弾した瀞は仰向けに倒れる。後頭部がアスファルトに叩きつけられた。パンチの衝撃も相まって、全身に力が入らない。

  それでも起きなければと、瀞は顔を上げる。バルバトスが、さっきまで瀞が手にしていた鞘を持って、こっちへ向かって来た。

  バルバトスは瀞の胸を右足で踏みつけ、逆手で持った鞘を振り上げる。

  瀞は喉と額を腕で覆い、痛みに備えた。

  「ギッ!!」

  鞘の一撃は落とされなかった。バルバトスは叫び声を上げ、その場から逃げ出した。

  (え?何?和虎隊長?)

  瀞はうつ伏せに寝転がって身を起こし、バルバトスの姿を目で追いかける。バルバトスは距離を取り、瀞に注意しつつも付近の民家の屋根の方を見上げている。

  (屋根の上から狙い撃ち・・・・・・副隊長か?じゃあ、空も?)

  「大丈夫か?」

  後方から、若い男性の声が聞こえてきた。07部隊の隊員のものではない。

  「はい?」

  振り返ると、そこには瀞より小柄な猿獣人の青年がいた。体毛は小麦色。顔には毛が無く赤みがかかった素肌が露出している。ニホンザルの特徴だ。長い棍を手にしており、その姿はさながら西遊記の孫悟空のようだ。

  「え、あんたは?」

  「03部隊だ。連絡、来てないのか」

  「いや、戦ってたんで」

  猿獣人は鋭い視線と棍の先端をバルバトスに向けたまま、現状を説明する。

  「任務で山口県の西部にいた。そこでの戦闘終了後、07部隊への救援に行くよう命令された。俺と副隊長は、逃げ遅れた女の子の元にきた」

  「副隊長?」

  瀞はバルバトスの視線を追い、民家の屋根の上を見た。

  そこには、猫獣人の女性がいた。体毛は灰色で、空や風丸よりも小柄な兵士だ。中腰で身構えて、反りが浅い小太刀を逆手に持っている。胸に膨らみがあり、女性であることが分かる。

  「女の子は?」

  猿獣人に聞かれ、瀞は屋根の上の猫獣人にも聞こえるように答えた。

  「07部隊の風丸って隊員が連れて行った。一番近い、機動隊の待機場所に向かってる」

  「確か、チーターの獣人だな」

  「ああ。足は速えけど、もしバルバトスやバールの群れに襲われるとやばい」

  「分かった」

  状況を理解した猿獣人は、猫獣人に叫ぶ。

  「京香(きょうか)さん!ここは俺と瀞が!風丸の救助に行ってください!」

  「おっけー」

  真剣な猿の声に対し、猫の声は軽い。不安を感じた瀞は屋根の上に視線を向けたが、既に猫の姿はなかった。

  「あの人は、俺よりずっと強い。大丈夫だ」

  「分かった。あ、借りるぞ」

  猿獣人は、左腰に脇差を差している。瀞はそれを取り、抜いた。

  「お前、志龍(しりゅう)、だよな」

  瀞は、訓練生時代、共に苛烈な訓練を乗り越えた親友の名を呼んだ。

  「思い出話は後だ」

  親友は素っ気なく答えた。瀞の想像通りの回答だった。

  「ああ」

  瀞の戦意が再び高ぶる。怒りはもういらなかった。

  バルバトスは逃げなかった。鞘を振り上げ、犬猿に向かって自ら駆け出した。

  少女を背負ったチーターが、畑に挟まれた田舎道を駆ける。

  (もう少しだ!)

  端末で機動隊の待機場所を再確認した風丸は、周囲を見渡しつつ走り続けた。

  害獣の侵入を防ぐ電気柵に囲まれた畑が広がっており、見通しは良い。だが倉庫やトラクターなど身を隠せる障害物が点々とあり、そこにキメラが潜んでいる可能性は捨てきれない。

  (出てきませんように!)

  不意打ちや罠を警戒し、風丸は力を加減して走っている。誤った判断ではないが、風丸は必要以上に速度を落としていた。

  高速で走ると視界が狭まり、急な停止や進路変更が出来なくなる。それを恐れて風丸は速度を上げられない。常に周囲を見渡そうとしているため、尚更速度は落ちる。

  (出てきても、きっと、戦えねーよな)

  風丸の心は、恐怖で一杯だった。恐怖心は風丸を慎重にさせたが、キメラに立ち向かう勇気を奪っていた。

  だから風丸は、今回の任務では一度もキメラを倒せていない。七里ビルでリッカーの群れと相対した時も、怯えて逃げ続けた。切りかかろうとしても、初陣でキメラに蹂躙されそうになった時の記憶が蘇り、動きが止まってしまった。周囲の敵は、全て賢士が狙撃で倒していた。

  (でも、オレが、頑張らないと)

  恐怖を克服できていない風丸だが、今は己を奮い起こすことができた。文字通り、命を背負っているのだから。

  (この子と、猫は、ちゃんと守るぞ。逃げ切るんだ)

  風丸は周囲を見渡しつつ走る。だから、足元の罠には気付けなかった。

  「うわっ!!」

  踏み出した右足が、足元に張られた細い糸に引っかかる。加減していたとはいえかなりの速度が出ていたので、少女は空中に投げ出され、風丸は地面を勢いよく転がる。

  (くっそ!)

  風丸は起き上がり、地面に落下してゆく少女を見た。この距離なら、受け止められる。

  「あっ!」

  道路の奥に、槍を手にしたバルバトスがいた。

  バルバトスは、槍を振りかぶる。

  落ちてゆく少女に狙いを定める。

  少女は地面に落ちてゆく。

  風丸には、全てがスローモーションのように、ゆっくりと、鮮明に見えた。

  風丸は地を蹴る。

  バルバトスの手から槍が放たれた。

  風丸と槍は同等の速度で少女に向かう。

  (死んでも助けろ!!)

  急加速した風丸は、少女を抱きかかえ体を左に倒す。

  「いづっ!」

  槍は、少女を抱きかかえた風丸の右腕を掠めた。激痛のあまり風丸は転倒するも、体を反転させ背中から道路に落ち少女を庇った。勢い余って1メートルほど滑り、電柱に頭をぶつけて止まる。

  (た、立たないと)

  風丸は少女を道路に下ろし、立ち上がる。ナイフを手にしたバルバトスが、すぐそこまで迫っていた。

  右腕は痛みで動かない。風丸は左手で予備のコンバットナイフを抜き、バルバトスへ向かった。

  死んでも助けろという、瀞の言葉に背中を押された。だが、恐怖心は消えていなかった。

  怖い。痛い。死ぬ。殺される。

  負の感情が心中に充満する。

  バルバトスはもう、目の前だ。

  恐怖で動けない風丸は、縋るように記憶を掘り起こした。

  自分が思う、最も強い人物との記憶を。

  *************

  出撃の数日前。

  BAT07基地、地下2階Fブロックの武道場にて。

  「シッ!」

  竹刀を手にした和虎が、風丸に切りかかる。訓練用のゴム製ナイフを手にした風丸は、それを躱し続けていた。

  和虎の打ち込みは鋭く速く、連続で繰り出される。しかし風丸は難なく避けた。

  「傷はもう完治したみたいだな」

  和虎は攻撃を止めて言う。

  「はい。もう大丈夫ですよ」

  風丸は笑顔で返した。

  「だから、次の任務にも出られますよ。よゆーっす」

  「そうか」

  和虎は、下段の構えを取る。

  「もう少し、速くいくぞ」

  「りょ、りょーかい」

  心なしか、和虎の身体が大きくなったように見える。

  臆した風丸が和虎から半歩下がると、和虎が前に出る。

  切上が来ると判断した風丸は、半歩下がる。

  だが、和虎は突きを打ち込んだ。

  予想外の攻撃だが、風丸は半身になり躱す。

  突きを躱された和虎は、竹刀を水平に薙ぎ払う。風丸は避けようとするも、足が重く動きが鈍い。

  「ぅいっ!」

  竹刀を受けた風丸は、痛みに耐えつつ後退する。

  和虎は追いかけ、上段の構えを取り竹刀を振り下ろす。

  風丸の足は動かない。

  「ぅわっ!」

  風丸は目を閉じた。竹刀は風丸に直撃する寸前で止まった。

  「目をつぶるな」

  「は、はい」

  風丸は目を開け、厳しい視線を向ける和虎の顔を見上げた。

  「何度も言っているが、やはり動きに無駄が多い。避ける時、必要以上に相手から遠ざかっている。もっと少ない動きで避けられるはずだ。運動量が多いから、すぐに疲れてスピードが落ちる」

  「はい」

  「しかも、被弾しそうになると怖くて足が止まる。これは致命的だ。助かるような状況でも、これでは助からないぞ」

  「分かってます」

  「分かっているなら、次の任務には出るな」

  「嫌です!オレにも戦わせてください!」

  風丸は、和虎の提案を強く否定した。すると、和虎が咆える。

  「お前が死ぬだけじゃない!仲間にも危険が及ぶ!瀞や空が、お前を庇って死ぬかもしれないんだぞ!」

  「み、皆には迷惑を、かけないように」

  「迷惑が掛からなかったとしても、瀞や空の心に傷をつけることになる。あの二人は優しい。お前が死ねば、自分に責任がなくても、自分を責めるだろう」

  和虎は風丸に詰め寄り、かがんで至近距離から風丸の目を睨みつけた。

  「二人の心に一生残る傷がつく。それでいいのか」

  「そ、それは、だめですけど」

  「意地を張るな」

  「意地、だけじゃないです!」

  風丸は、和虎を睨み返した。

  「オレ、頭良くないから。進学とか就職とか難しいし。運動神経いいけど、プロのスポーツ選手とかは無理だし。稼ぐには、もう、獣人兵士しかないし」

  「BATには、兵士以外にも役割はある」

  「でも、兵士の方が給料、いいじゃないですか。オレの家、貧乏だし。稼がないと」

  和虎は、風丸の意志の強さを理解していた。それでも隊長である以上、隊員たちの生命を考慮しなければならない。故に、風丸は次の任務に出撃させるべきではないとBATに進言した。

  しかし獣人不足という現状から、それは聞き入れられなかった。風丸自身の口から“出撃したくない”という言葉を引き出そうとしたが、それも出来ないようだ。

  「分かった。なら恐怖を克服するしかないな」

  和虎は、風丸から距離を取った。

  「もう一度いくぞ。躱すだけじゃだめだ。お前からも仕掛けてこい」

  「はい!」

  風丸の恐怖心を取り払うため、和虎は容赦なく猛攻を仕掛けた。風丸は何度も打たれたが、歯を食いしばり和虎へ立ち向かう。風丸の覚悟は本物だと、和虎は感じた。時間をかけて育成すれば、風丸の恐怖心はいずれ消えるだろう。

  だが、根付いた死の恐怖は、数日で取り払われるものではない。まだ風丸には、キメラに立ち向かえるほどの精神力はなかった。

  *************

  (だめだ!怖い!)

  風丸はキメラと戦うことを諦めた。だからと言って、何もしないということではない。今の自分にも、出来ることはある。

  「せっ!」

  風丸はコンバットナイフを投げた。バルバトスは手にしたナイフで叩き落とす。

  「ギッ!」

  直後、バルバトスの額に、小型のダガーが刺さった。

  風丸は投擲用のダガーを数本携帯しており、コンバットナイフを投げた後、間を置かずバルバトスへ投げつけていた。

  バルバトスが怯んだ隙に、風丸は少女を抱えて走る。

  周囲の確認などせず全速力で駆け抜け、バルバトスの横を通り過ぎた。

  (よっしゃ!このまま一気に・・・・・・)

  兵士としての勝利を確信した風丸だったが。

  「あぢっ!」

  左足に灼熱を感じ、減速する。転倒しそうになるが、何とか体勢を整えて走り続けた。

  (ナイフか!ちくしょう!)

  バルバトスが投げたナイフだと、風丸は理解した。

  (左右に動けばよかった!どんなに速くても、まっすぐだったら当てられるよな!)

  左足を踏み出す度に痛みが走り、血が飛び散る。突き刺さってはいないが、傷は深い。

  (痛い!でも!耐えろ!走れ!)

  背後から音が聞こえてくる。バルバトスが近づいてくる。風丸は振り返らず走り続けた。

  (急げ!女の子が!殺される!)

  足が重くなる。速度が落ちる。痛みが増していく。

  視線を下に向けると、左足は真っ赤になっていた。

  (早く!早く!死んでも助けろ!)

  目に涙がにじむ。視界がぼやける。それでも走り続ける。

  心は死んでない。だが、肉体が限界を迎えた。

  「あっ!」

  足に力が入らなくなり、躓く。少女を守るように抱きかかえ、風丸は倒れた。

  後方を見ると、バルバトスがすぐそこにいた。

  スローモーションのように、ゆっくりと近づいてくる。

  心身が硬直し、風丸は何もできない。

  「ぐっ!」

  バルバトスは、風丸に圧し掛かってきた。恐怖のあまり、風丸は抵抗できない。

  (殺される!)

  風丸は目を閉じた。だが、バルバトスは何もしてこない。

  「だいじょぶ?」

  不意に、女性の声がした。恐る恐る目を開けると、そこには刀を手にした灰色の猫獣人が立っていた。戦場に不相応な笑顔を浮かべて。

  「お待たせ」

  「え、誰?」

  「03部隊。救援に来たよ」

  猫獣人はしゃがみ、バルバトスの後頭部に突き刺さっていたクナイを抜いた。猫獣人が投げたそれは脊柱に命中したため、バルバトスは即死していた。

  「よっと」

  猫獣人は、バルバトスの遺体を転がした。風丸は少女の脈を図り、生きていることを確認する。そして少女のリュックを少し開き、中を除いた。震える子猫が、にゃあ、と小さく鳴いた。

  「よかった、生きてる・・・・・・」

  風丸の目から、涙が溢れた。

  「傷口、押さえてて。機動隊はすぐそこだから、呼ぶよ」

  「はい」

  キメラは倒せず、左足は血まみれ。おまけに、仲間の手を借りたため自力とは言えない。

  それでも、救うことが出来た。それが、嬉しかった。

  (瀞、やったぞ)

  風丸は心の中で、仲間に報告した。

  『キィィィィッ!』

  断末魔と銃声に耳を焼かれつつ、空は押し寄せるバールの雪崩に向けてライフルの引き金を引いた。

  自分の後方には、古ぼけた小屋がある。この集落の公民館で、中には逃げ遅れた数名の市民が集まっていた。彼らの命を狙い、バールの群れが容赦なく迫り来る。空は無駄撃ちを防ぐため、セミオート射撃で正確にバールの頭部を撃ち抜いていた。

  バールは直進してくるため、狙い撃つことは難しくない。だが、数が多い。賢士は公民館の反対側でバールを迎撃しており、援護は望めない。自力で守り切るしかなかった。

  (まだくる!?)

  空は手早くマガジンを交換し、即座に発砲する。習練により身に着けた高速リロードにより、弾幕は途切れない。だが、それはバールも同じ。田んぼを踏み荒らし、休むことなく現れる。補給した弾薬が、どんどん消耗されていく。追い込まれつつあるが、打開策を考える余裕もなく、目の前の敵を倒すしかない。

  (うっ!?)

  銃撃の最中、空は右半身に冷気を感じた。

  右に視線を向ける。100メートルほど先、路上に止めた軽トラックの陰から、バルバトスが身を乗り出し、槍を手に大きく振りかぶっていた。

  バルバトスが腕を振る。その手から、高速で槍が放たれる。

  槍は空に向かう。空は飛び退いて躱し、バルバトスへ銃口を向け、引き金を引いた。

  バルバトスは軽トラックに身を隠す。空が撃った銃弾は、軽トラックの車体に当たった。

  (ちょっと、右下にずれる)

  空は、着弾点と狙った箇所の“差”を見極めた。

  バルバトスが再び身を出す。空は、“差”を意識して狙いを定め、息を止め、発砲した。

  『ガッ』

  銃弾は、バルバトスに命中した。バルバトスは倒れる。

  安堵した空だったが。

  (うっ!)

  左半身に、極度の冷気が。すぐ近くに、バールが迫っていた。

  (いつの間に!?)

  七里ビルでの戦闘で、空は草食動物特有の広い視野を活かし、側面にいる敵の動きを視認していた。しかし狙撃のため遠方に意識を向けたため、視界の隅にいるバールの接近に気付けなかった。

  バールが腕を振るう。手首から生えた刃が、空の足を刈り取ろうと迫る。

  その一閃は、肉に触れず空を切った。

  (えっ?)

  空は前方に跳び、刃から逃れていた。

  動けと脳が命令するより早く、肉体が勝手に動いていた。

  肉食獣の接近を感知した草食獣が、反射的に逃走を開始するかのような動きだ。

  空は振り返り、銃撃してバールを倒す。

  (今のは・・・・・・いや、そんなことは後!)

  自身の行動を解明することを止め、空は広い視界を活かし周囲を見渡す。バールはやや離れた場所にいる。

  (今のうちに)

  空はライフルからマガジンを抜いた。まだ弾は入っているが、残弾は少ない。今のうちに、フル装填のマガジンを装填しようとした。

  「あっ!」

  先ほど狙撃で倒したと思っていたバルバトスが、起き上がっていた。バルバトスは再び槍を振りかぶる。

  狙いはこちらではない。公民館だ。

  (窓から中の人を狙ってる!)

  空は新たなマガジンをライフルに挿入し、バルバトスを狙う。間に合わない。

  『ギッ』

  槍はバルバトスの手から放たれることはなく、その場に落ちた。

  「えっ?」

  バルバトスの口から、槍の切っ先が突き出ていた。後方からの刺突により、脊椎を断たれたのだ。

  バルバトスを仕留めた兵士は、力を失った死体から槍を引き抜き、田んぼの踏み荒らしながら空の方へ向かってきた。

  彼は、獅子の獣人だ。和虎と同等の体躯を誇り、手には太い直槍が握られている。険しい表情で駆けてくるその姿は、本物のライオンのような迫力がある。

  「あっ!危ない!」

  周囲に潜んでいたバールが獅子獣人に集まってきた。空は援護しようとしたが。

  「っらあ!!」

  獅子が槍をなぎ払う。槍の軌道上にいたバールは全て吹き飛んだ。穂先が触れたバールは両断され、柄が直撃したバールは骨を砕かれ吹き飛ぶ。

  バールたちは諦めず跳びかかってくるが、獅子は槍を振り全てを薙ぎ倒す。獅子の前進を止められるバールはいなかった。

  敵を蹴散らすその姿は正に百獣の王だ。動物たちがライオンから逃げる理由がよく分かる。ああなるからだと、空は思った。

  「07部隊の隊員だな!待たせたな!」

  獅子は空の手前で急停止して、牙を見せて笑った。

  「はっ!はいっ!03部隊の方ですね!応援、ありがとうございます!」

  駆け付けた獅子獣人に、空は姿勢を正し感謝を述べた。03部隊が救援に来ることは無線で聞いていたため、驚きはしない。だが初対面の獣人に出会うと、緊張せずにはいられない。相手は威圧的な雰囲気を持つライオンなのだから、猶更である。

  (07部隊以外の獣人と出会う機会なんて、いつ以来だろう。ちょっと、怖いな)

  緊張する空を見下ろし、獅子は笑う。

  「そんなに固くなるなよ。俺は隊長、獅子山 氣雷(ししやま きらい)だ」

  「07部隊の、鹿山空です」

  空の名を聞き、氣雷は怪訝な表情になった。

  「お前、確か、女だよな」

  「はい」

  「え?でも、胸、ねぇな」

  氣雷は左手を自身の胸元にやり、ストンと腹に落とした。

  「なっ!なんでそんなこと言うんですか!?」

  「あ、いや、わりぃ。うちの部隊の京香ってのは、ちゃんとあるもんだから」

  「比較しないでくださいよ!セクハラですよ!」

  「悪かったって。それより」

  緩んでいた氣雷の表情が、一瞬で引き締まる。空は、その理由が分かった。視界の端に、バールの姿が。

  「まだ来るぞ」

  「はい」

  空は、田んぼの奥にいるバールに目を向けた。

  「公民館の反対側は、副隊長がついてます。あと、他の隊員なんですが」

  「俺の仲間がもう行ってる。心配するな」

  氣雷の言葉には、和虎のそれと同様に、聞く者に安心感を与える力があった。

  「俺が前に出る。弾が少ねえなら、あまり援護はしなくていい。切り損ねたやつを頼む」

  「分かりました」

  指示を言い終えると、氣雷は空の返事を待たずバールの集団に向かった。

  氣雷の強さを感じ取った空は、指示通り援護はせず、広い視野を活かして公民館に近寄るバールがいないか警戒を続けた。

  公民館の向かい側からは、賢士が放つ銃声が時折聞こえる。救援を求めないということは、行かなくてよいだろうと判断し、空はその場に留まった。

  強者二人に挟まれても、空は警戒を怠らなかった。

  「おらぁ!」

  氣雷は槍を振り回し、バールを難なく仕留めてゆく。

  残弾はわずかだが、先ほどまで空の心を蝕んでいた焦燥感は、既に消えかかっていた。