獣化治験制度2

  そう遠くない未来。

  地球は人類であふれかえり、社会不安や環境問題など様々な問題の原因になっていた。異次元とも言える人口増に対処するため、世界各国は「異次元」の人口管理政策を実行した。異次元の人口管理政策の一つが「獣化治験制度」だった。獣化治験とは、人間を動物に変身させる技術や薬に関する治験である。人間を一時的、ないし永久的に動物に変身する技術や薬の研究を進めるため、そして、人類の人口を少しでも減らすため、各国政府は獣化治験制度を採用し、制度や治験対象者に莫大な資金が投与した。わが国では「獣化治験基本法」により、一時的に獣化する技術の治験を受けた者には50万円、永久に獣化する技術の治験を受けた場合には200万円と定められた。また、同法律は、永久に獣化、つまり人間の姿を永久に放棄する者の親族には、月20万円の「治験年金」が被験者が亡くなるまで受け取れると規定した。

  今回は、獣化治験で人間の姿を捨てた元アイドルの物語である。

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  「どうして...」櫻田香恋愛(さくらだ ここあ)は事務所のデスクに置かれている週刊誌の表紙を見て呆然としている。

  週刊誌の表紙には、「人気アイドル、妻子持ち某映画会社役員と密会!?」と書いてある。

  「どうしてってこっちが訊きたいよ」マネージャーは頭を抱える。

  「いや、上の人から”とにかく仕事を捕まえてこい”と言われただけなのに...」

  「だからって手段は選ぶべきだろう。世間には不倫どころか枕営業と捉えかねられない。それとも、事務所がそうするよう圧力をかけた、君が忖度したとでも言うのかね?」

  「そ、それは...」

  「とにかく、君はしばらく表舞台から去ってもらう。理由は適当に考えるから」

  香恋愛は「体調不良」として休業した。数か月後、香恋愛は所属していたアイドルグループを脱退、芸能界からの引退を表明した。

  しかし、本当の苦難はここからだった。子役上がりだった香恋愛には芸能界以外の世界を知らなかった。しかし、世間には彼女は知られすぎていた。就職しようにも、元アイドル、しかも不祥事で引退したアイドルを雇うところはそうそうなかった。アルバイトでも同じだった。残っているのは水商売やいかにも怪しい仕事しかなかった。次第に香恋愛は引きこもりがちになった。

  そんな中、インターネットで、「獣化治験のお知らせ」を香恋愛は目にした。一時的に獣化する技術の治験は50万円、永久に獣化する技術には一時金が200万円、親族には亡くなるまで月20万円の「治験年金」が被験者が亡くなるまで支給されると書いてある。

  「もう私にはこれしかない...」

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  香恋愛は部屋から降りてくる。

  「お母さん、お父さん、ちょっといい...?」

  香恋愛は獣化治験、永久に獣化する治験を受けたい旨を両親に伝えた。

  「本気で言っているのかい?」

  母親は心配気味だ。

  「うん、人間の姿だと好奇の目にさらされるか引きこもるかの二択だけ。そんなのもうたくさん。お母さんだってこれ以上マスコミや迷惑電話に悩まされるのは嫌でしょ?」

  香恋愛が不祥事を起こして以来、実家にはマスコミや迷惑電話、動画配信者などが毎日のように来ていた。

  「でも、人間の姿じゃなくなるんだぞ...」

  「今の私に”人権”なんて既にない!いくら自分が悪いとはいえ、もう半分人間としての暮らしなんかできない!」

  香恋愛は泣き交じりながら叫ぶ。

  その後も家族会議が行われたものの、香恋愛の意思は固く、獣化治験を受けることとなった。

  数日後...

  「それでは、櫻田香恋愛さま。あなたは獣化治験基本法に基づき、獣化治験を受けるのに同意しますか?」治験を行う研究所の所長が尋ねる

  「はい、同意します」

  「獣化治験の中でも、永久に獣化する治験を望みますか?」

  「はい...望みます」香恋愛は答える

  「ご両親も同意していますか?」

  「はい..娘の意思を尊重します...」和枝は答える

  「それでは、香恋愛さまは治験の同意書にサインを、ご両親は治験年金と確認書類にサインをお願いします。何か質問はありますか?」

  「先生、私が治験を受けたら別の家庭にペットとして引き取られるのは可能ですか?」

  香恋愛は質問する。

  「香恋愛...」

  父親は絶句する。

  「だって、万が一マスコミが来て、”櫻田香恋愛は犬になって暮らしています”って書かれたらどうするの?誰も知らない場所で暮らしたい。もちろん、バレないようにこっそり見てもいいから」

  「分かった....」

  両親は納得したようだ。

  その後、香恋愛は治験終了後、ペットの「ココア」として引き取られるとの文書にサインした。また、両親はココアのブリーダーという扱いになり、首輪に埋め込まれたGPSでいつでも会えるようになった。

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  そして、治験の時がやってきた。今回の治験は、即効性がある獣化薬だった。

  「用意はできていますか?」

  所長は尋ねる。

  「はい...」

  香恋愛はうつむきながら答える。

  研究員が香恋愛の左腕に獣化薬を注射する。するとすぐさま変化が起きる。

  左腕のあらゆる毛穴が大きくなり、そこから焦げ茶色の毛が一斉に生える。瞬く間に焦げ茶色の毛は長く、太く発毛し、左腕を覆いつくした。左手では、香恋愛の細く、長い指がググっと短く、太くなり、互いに密着する。手のひらには、黒い肉球が形成され、手も分厚くなる。焦げ茶色の毛は左腕から肩回りを伝って、体の各パーツに伝播する。右腕も、焦げ茶色の毛が草原のように埋め尽くし、右手も左手と同じ変化が起きる。そして、両腕は幽霊のようにカクリと曲がる。焦げ茶色の毛は腹部や背中を覆いつくし、毛皮のコートを着ているような見た目になる。胸が小さくなり、その下部にいくつもの小さい胸が形成される。

  「んっ、んっ...」

  焦げ茶色の毛がお尻まで達すると、突起物、すなわち尻尾が形成され、ずるずると伸び始める。

  焦げ茶色の毛は太ももから両足へと侵食する。体毛が侵食されるにつれ、太ももや両脚は太くなる。

  「ああっ!」

  両足に達すると、踵は広くなると同時に地面から浮き上がる。指はそれぞれ密着し、5本指から4本になる。指同士は太く短くなり、肉球が形成される。

  やがて、香恋愛は2足歩行をあきらめ、両手を地面につけた。両腕と両足は太く、短くなり、体格も次第に小さくなった。

  そして、顔の変化が始まった。まず、鼻は黒く湿り、三角形から丸形に形を変える。形を変えた鼻は顎と共に前へ前へと突き出る。口元や顔の下半分は白い毛で覆われ、残り半分は身体と同じ焦げ茶色の毛で覆われる。目の色も白黒から黒一色に変化する。顔の形も丸形からやや横長に変わる。

  「痛いぃわぁん...」

  言葉も犬のものが混じりつつある。そして、耳は頭頂部に移動し、平べったくなり、目のすぐ上の位置まで垂れる。

  両腕、いや前足と後ろ足はほぼ犬のサイズまで縮んだ。地面についていた膝もいつの間にか浮き上がっていた。そして、尻尾が少しずつ大きくなる。

  「お母さん、お父さん、今までありがとう....」

  香恋愛はそう言い残すと、尻尾の成長が止まる。

  「ワンワン!」

  香恋愛は犬の鳴き声しか出せなくなった。

  「香恋愛!香恋愛!」

  こうして、香恋愛は犬の「ココア」として生まれ変わった。

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  「ココアー!散歩に行こう!」

  中学生くらいの女の子が香恋愛に呼びかける。

  治験後、香恋愛は遠く離れた町で、とある家庭に引き取られていた。小学生くらいの女の子は真理亜(マリア)と言い、長らく犬を飼いたがっていた。

  「言うことをよく聞く犬で良かったな」

  父親は母親に言う

  「ええ、初めて飼うには最適ね」

  もちろん、元人間、しかも元アイドルだとは知る由もない。

  真理亜と香恋愛は公園に向かう。公園には一匹のゴールデンレトリーバーと飼い主がいた。

  「初めまして!」

  ゴールデンレトリーバーは挨拶をする

  「ええっ?犬がしゃべった?」

  香恋愛は戸惑う。

  「犬同士で喋るのは当たり前じゃない」

  「でも他の犬は喋ったりしないわよ」

  香恋愛は疑問を呈す

  「ほかの犬はね。でも、元人間の犬なら違うの」

  ゴールデンレトリーバーは詩(うた)と名乗った。どうやら話を聞く限り、元人間で獣化治験を受けた犬は他の犬とは違い、言語に基づくコミュニケーションができるらしい。

  「へえ、香恋愛って言うんだ。あなたも獣化治験を受けたの?」

  「う、うん...」

  まさか不祥事を起こして獣化治験を受けたとは言えない。

  「同じ元人間同士、よろしくね!」

  それから香恋愛と詩は何回も会い、互いに打ち解けた。そして、互いに獣化治験を受けた経緯を話した。

  「妹さんの学費と夢のために受けたの...」

  「そうよ。妹には動物を研究するという夢をあきらめたくなかったの。香恋愛さんは?」

  香恋愛は枕営業とも捉えられかねない不祥事で獣化治験を受けたのを詩に話した。

  「そっか、そんなことがあったんだ...」

  「私の過ちは大きすぎたの。もうアイドルどころか人間でさえもない。でもこれが私の罪と罰」

  「でも、香恋愛さんは今でも充分アイドルだと思うよ」

  「どういうこと?」

  香恋愛は訊き返す。

  「ほら、真理亜ちゃんのあの笑顔を見てよ。香恋愛さんがいなかったらあの笑顔はなかったかもしれない。私はテレビに出てる人だけがアイドルとは思わない。人を笑顔にしたり、元気にさせる人がアイドルじゃないのかな」

  散歩からの帰り道、香恋愛は詩から言われた言葉を反芻していた。「人を笑顔にしたり、元気にさせる人がアイドル」ーたしかに、子役時代を含めて、最初は観てくれる人なんて殆どいなかった。だからこそ、初めてファンになってくれた人の笑顔が忘れなれなかった。「より多くの人を笑顔にしたい」、この一心で頑張ってきた。しかし、やがて「より多くの人を笑顔にしたい」の方ばかりを追い求めてしまったのではないか。

  「どうしたの~ココア~」

  真理亜が話しかけてくる

  「ワォン、ワォォォン...」

  香恋愛は嗚咽した

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  数日後、香恋愛と詩は並んで散歩していた。もちろん、それぞれの飼い主と共に。

  すると、高校生のグループが向かいからやってきた。

  「お前、まだ櫻田香恋愛好きなのかよ~。お前みたいなやつ、亡霊オタクって言うんだぞ」

  「俺が好きだからいいじゃん~」

  そのやりとりを香恋愛は微笑ましく見ていた