【番外編】月の咎人

  「く、来るなぁっ!!」

  違う。

  「お願い、せめてこの子だけは……!」

  誤解だ。

  「凄まじい魔力だ。どれほどの人間を喰ってきたのか」

  俺に人を襲うつもりなどない。

  何度も何度も何度も、そう伝えようと口を開いては、ますます相手を恐怖に陥れてきた。

  どうやっても、何もしなくとも結果は同じだ。

  ならば、俺は………

  「お前は俺と同じだ」

  ハッと振り返るとそこには、俺とほぼ同じ大きさの狼顔の怪物がいた。

  そして目を落とすと_____先ほどの人間たちが、絶命している。

  「衝動に身を任せろ。力を解放するんだ」

  何を、言っている?

  「まだしらばっくれるのか?お前の手はとうに穢れている」

  恐る恐る持ち上げた毛むくじゃらの掌には、

  べっとりと生温かな血液が付着していた。

  声にならない叫びが、喉を震わせた。

  ………。

  ……………………。

  [newpage]

  「おーい、ラルフ!」

  少女の声で目を覚ました。

  また悪夢を見ていたらしい。

  「…ウ……」

  上手く発声できないので俺は自分が狼の姿のままであることに気付いた。

  「随分うなされてたよ。狼の寝言って聞いたことないからびっくりしちゃった」

  少女……リリィは俺の顔を真近に覗き込んで、心配そうに長い睫毛を瞬かせた。

  俺は反射的に起き上がって後ずさる。

  「わあ、そんなに驚かなくても」

  「……レ……」

  「れ?」

  「離、レロ………」

  この姿に変化するようになってからは、いざという時に意思疎通が図れるよう言葉を話す練習もしてきた。

  しかし獣の口では舌が縺れて、結局この程度の簡単な単語しか発することができない。

  それでもリリィはいつも意志を汲み取ろうと努力してくれる。

  「どこか痛い?」

  あんな夢を見たせいで、心配そうに覗き込む彼女の顔をまともに見れない。

  今にも獣の本能が暴走して喰らいついてしまうのではないかと。

  チラリと視線を戻してもやはりまだこちらを見つめているので、観念して俺は息を吐いた。

  「夢ヲ、見タ。人……殺ス、夢」

  彼女は黙って聞いている。

  「イツカ、本能ニ……呑マレル、カモ」

  「そうなの?」

  リリィは俺の隣に座り込むと、静かに距離を詰めてきた。

  見上げる瞳が震えているように見える。

  「確かに、今のラルフは獰猛な狼そのものね」

  「……ナラバ」

  「でも夢は夢でしょう。それに人に言った夢は現実にはならないって聞いたことがある」

  「迷信、ダ」

  「私からすれば、満月の夜だけ狼に変身する人間だって迷信だよ」

  饒舌に反論する彼女に俺は内心舌を巻いた。

  彼女が実際のところ、この姿の俺に怯えているというのは誰が見ても分かることだ。

  それでも恐怖を押し隠して、俺を信じるという思いだけで側に居てくれようとしている。

  「もし何かあったら、その時は私が止めるから」

  少女は決意を込めた瞳で言った。

  「……頼ム」

  俺はただ祈るような思いで返すしかなかった。

  リリィとの旅が始まって三月ほどが経とうとしている。

  彼女は番人として、俺は息子として、かつてフェンガロ村で惨劇を起こした『狼』の影を追い続けていた。

  時々互いの魔力にあてられて、俺は度々狼の姿になったりリリィは体調を崩したりと難儀することもあるが、段々と対策が見えてきた頃合いでもあった。

  この辺りで、『人喰い魔物』の噂を聞いた。

  森の中から目と鼻の先に見えるあの小さな街では、つい最近までは人と魔物が比較的友好な関係を築きながら暮らしていたという。

  しかしある時から状況は一変した。

  唐突に、前触れも無く____人間の惨殺死体が発見されるようになったのだ。

  遺体の傷跡から襲撃は魔物によるものと断定され、多くの魔物たちが捕らえられた。

  大事なのは、死体が見つかるのは決まって満月の晩であったということだ。

  ヒヤリと冷たいものが背中を伝う感覚があった。

  もし『狼』が生きていたなら、他の町や村に逃げ込んでいる可能性もある。

  そこで新たな悲劇を呼んでいたとしたら?

  今はまだ憶測に過ぎない、しかし疑惑の芽は摘んでおかなくてはならない。

  町に立ち寄らない理由は無かった。

  [newpage]

  「何と主張されても答えは変わらない。それがこの町の掟だ」

  目の前に立つ『頑固』を体現したような白髪頭の爺は、一応この町の町長らしい。

  リリィはなおも食い下がろうとしたが、俺がそれを手で制した。

  「あんた達の言う通りで構わない。ただ何があってもリリィに危害を加えないと誓ってくれ」

  「当然だ。この町は人間の権利を保障する」

  人間の、という言い方に含みがあった。

  恐れているのかただ軽蔑しているのか、睨めつけるような目つきには萎縮しないでもないが、正体を明かしたにも拘わらず対話を試みてくれるだけ有難いと思う。

  「ねえラルフ、本当に大丈夫?」

  「俺は死なない。知ってるだろ」

  「でも辛いものは辛いでしょう」

  「ここで得られるかもしれない情報に比べたら屁でもないさ」

  手掛かりを求め町に入ったはいいものの、どんな魔導を使ったのか、入るや否や俺が魔物であることが即座にバレてしまった。

  今夜は満月。

  俺自身は近くの森でやり過ごし、リリィと協力して犯人を特定しようと考えていたのだが……計画通りにはいかないものだ。

  身の潔白を証明するため。

  夜が明けるまで、俺は町の隅にある旧処刑場で野ざらしとなることが決まったのだった。

  道すがら、リリィはそのか細い手を俺の腕から離そうとしなかった。

  その様子を見てか否か、俺たちを連れて前を歩いていた役人と見られる筋肉質の中年男が笑った。

  「心配するな、町民に危害を加えないことが分かればすぐに解放してやるよ」

  「でも、それはラルフの変身した姿を見たことがないから言えるんだと思います」

  リリィが言った。

  ……庇っているのか追い討ちをかけているのか。

  「ほほう、俺らが四肢を拘束した魔物ごときに恐れ慄くとでも?」

  「きっと慄くわ。それでも何もしなかったら、絶対に解放してくれるんですよね?」

  正直リリィの心配も当然だと思う。

  処刑場は野外にあり、俺は木製の十字に組まれた板に縛り付けられ、四肢は金具で固定されるらしい。

  町の奴らも野次馬気分で見に来るだろうが、となると拘束されたまま異形に姿を変えていく俺の姿も目にするということだ。

  どれほど魔物に慣れていたとしても全く恐怖を感じない人間などいないだろう。

  怯えた民の混乱ぶりを見て、俺はその場で銃殺されてしまうかもしれない。

  まあ多分死ねないだろうが。

  「約束は約束だ。それに俺自身は魔物を憎んでるってわけでもねえんだよ」

  男は軽い口調で言って俺の方をちらりと見た。

  「お前、人狼って言ったな。狼じゃねえが、やっぱり人間に化けられるようなのが昔はこの辺りにも住んでてな。気のいい奴だったよ」

  だけど、そいつも……と続けようとしたところで、男は何かを思い出すまいとするように口を噤む。

  そして前方に見える木の板の立てられた空き地を指差した。

  「あれが旧処刑場な。もう百年も前に廃止されてからは、せいぜい脅かしに使うくらいだ。呪いなんざ染み付いてねえから安心しな」

  俺は黙って頷きリリィの手を離してそちらへ向かった。

  まだ日も高いが、これから明日の朝日が昇るまで拘束を受けることになる。

  腹も減りそうだ。

  案外それが狙いなのかもしれない。

  空腹時に本性が出るのは人間も魔物も同じだ。

  「何も言わねえのな」

  役人は口の端をにやりと吊り上げる。

  「言えるような立場じゃない」

  「そうかい、謙虚なこった」

  じゃらじゃらと爬虫類が威嚇するような剣呑な音を響かせながら持ち上げられた金具が、ゆっくりと俺の手足に巻き付けられる。

  ガチャリと嵌ったそれはぴったりの大きさで、即ち変化後の肉体では酷く窮屈であろうことは想像に難くなかった。

  [newpage]

  *

  ラルフが行ってしまった。

  私は何もできなかった。

  変身後の彼が無害であることは私が一番よく知っているし、その点心配はないけど、とにかく見た目が凶悪なのだ。

  野宿していた時に、ふと隣にいないなと思ったら茂みから狼姿のラルフが飛び出してきて腰を抜かしたこともあった。

  私でさえこれなのに、見ず知らずの町の人たちが目撃したら。

  彼を連続殺人事件の犯人と見做して攻撃するようなことがあったら。

  (私の方が怒り狂ってどうにかなっちゃうかも)

  なんて。

  役人さんに付き添われて、私はラルフのほうを時々振り返りながら歩く。

  罪人のように手足を縛られて、よれよれのシャツと穴だらけのズボンがますます古びて見える。

  私は町長に事情説明しがてら、月の昇る時間まで彼の家で待機することになっている。

  嫌だな、あのおじいさん。

  ラルフが居てくれればと内心ため息をつきながら、冷たい風の吹く道を無言で歩いた。

  数時間後。

  結局あの頑固なおじいさんは私の熱弁にもほとんど耳を貸してくれなかった。

  「君は何故あの魔物に肩入れするのか」とか「弱みを握られているのか」とか、的外れな反応ばかりが返ってくる。

  ____もし彼が傷つくようなことがあったら、すぐにこの町を出よう。

  事件の犯人が本当に『狼』だったとしても構わない。

  情報は他の場所からだって得られるもの。

  頑なな町長と役人と連れ立って、再びラルフのもとへ向かう。

  満月の力が一番強まるのは時計の針が0時を回る頃だ。

  ラルフ曰く経験上その辺りに変身が始まることが多いのだという。

  まだ時間には少し早いけど、一刻も早く彼の側に行きたかった。

  旧処刑場が近づくほどに、空気がじっとりと重くなっていくのが分かった。

  闇の魔素が満ちているのだ。

  流石の私も今回は倒れるわけにいかなかったので、肌に光の魔素で加工した軟膏を塗ることで闇の魔素の吸収を最小限に抑えるよう工夫している。

  奇妙な光景だな、と空を見上げながらぼんやりと思う。

  あれほどまでに強く美しく月は輝いているのに、その下で蠢くものたちはそれを拒むように闇の力を増幅させる。

  光が強くなれば闇もまた濃くなる、ってことかな。

  私が目を落とすのと、並ぶように歩いていた町長たち____そして案の定、見物のために集まっていた町の人たちが一斉に表情を強張らせたのは、ほぼ同時だった。

  月明かりの下。

  四肢を縛りつけられた『彼』は、絞り出すような叫びと共に身体を畝らせ、その姿を大きく変えようとしていた。

  [newpage]

  *

  「ぁぁああああアアアア!!!!」

  身体の内側から止めどなく溢れ出す何か、形の無い塊のような波動、それは間違いなくあの憎らしい満月の引き摺り出したもの。

  不快感を胃袋ごと吐き出すように声を上げても一向に気分は良くならない。

  ブチブチと繊維の切れるような音に、俺は鎖が付けられているのも忘れて腕を大きく広げた。

  「があああああああッ」

  ビリビリビリ、と派手に音がしてシャツが破れる。

  突き破って出てきたのは筋肉の上が薄らと黒い毛に覆われた獣の腕だ。

  伸びてきた爪の内側がむず痒くて、木板にぎりぎりと跡を残す。

  絡みついた金具が四肢を縛り上げて血流が滞りそうな圧迫感を覚える。

  ぎりりと噛み締めた歯も上下から伸びてきて犬歯と変わってゆく。

  鼻面が前方へと引き伸ばされて、同時に耳も形を変えて移動しようとしている。

  「ぐ、あアッ、ア、オオオォ」

  俺はなおも叫びながら、視界も匂いも方向感覚も全てグチャグチャで、混沌の内に呑み込まれたようだった。

  背筋がゾワリと震えるような感覚、髪の毛が伸びて毛皮と一体化しようとするせいだ。

  骨はバキバキと玩具のように折れては再生を繰り返し新たな骨格を造ろうとしている。

  「フーッ、フーッ」

  弄ばれるままの痛覚は限界に達しているのに、この段階になると最早冷静に自分を見ている自分がおり、無様な姿だなと笑いすら込み上げてくる。

  視界はぼやけて色を失ってゆき、ただ煌々と光る満月だけを鮮明に映し出していた。

  「…………グオオオオオオオッ!!!!」

  満身創痍。せめて身を捩りたいが見た目以上に頑なな拘束具はそれすらも許してくれない。

  獣の姿に近づいていくほどに、それを罰として締め上げるような痛みが俺を襲った。

  ジャラジャラと楽しげに鳴る金属の音は俺の無駄な足掻きを嘲笑っているようだった。

  どんな拷問よりも過酷だろう。

  本当にこのまま死ねるのではないか。

  やがて聴覚が戻ってきた。

  町民たちの恐怖に騒めく声が聞こえる。

  「化け物」「何とおぞましい」「神様!」

  好き勝手、言いやがって。

  絶え間ない苦痛に漏らす声は、怒りと狂気に満ちた咆哮に変換されて大気を揺らす。

  (やべ、気が遠くなってきた)

  体重を支えきれなくなった木の板がギィギィと音を立て始めた。

  それと同時に、金具からも不穏な音が聞こえる。

  もしかしたら解放されるかもしれない。

  一瞬、昏い感情が過ぎった。

  ああそうだ、この鎖を引き千切ることだって今の俺には可能だ。さぞ気分が良いだろうな。思う存分暴れてやりたい、きっとあいつらなんかこの爪一振りで_____

  「ラルフ!」

  どよめきの中で、鈴の音のような声が鳴り響いた。

  視線を巡らせると、リリィが不安げに俺を見上げているのがハッキリと見えた。

  「ごめんなさい」

  その目には涙を溜めていた。

  周りの人間たちは皆恐怖に引き攣った表情で俺を見上げていると言うのに、彼女はまるで自分自身が拷問を受けているようにこの身を案じている。

  駄目だ、彼女を悲しませてはならない。

  拳を握り締めて戒めのように深く爪を食い込ませる。

  俺はきっと恵まれている。

  『狼』を怪物たらしめる原因の一つには、闇よりも深い孤独がある。

  これほどまでの苦痛に耐えながら変身を遂げたところで、待っているのは何も知らない人間たちの悲鳴だけだ。

  ならば彼らの想像する通り、有り余った怒りをぶつけるように片っ端から喰ってしまえばいい。

  こうして本物の怪物は完成する。

  俺はそれになりかけていた。

  だが、リリィがいる。彼女の前で醜態は見せられない。

  見せるわけにはいかない。

  息苦しさに耐えながら、安心させるように視線だけ合わせてゆっくりと瞬きをした。

  「あいつ、あの子を狙ってる……」

  誰かが恐ろしげに呟いたが、もう気にする必要も無かった。

  [newpage]

  *

  彼の変身を目の当たりにした町民は、やっぱりそのほとんどが逃げ出すか足がすくんでへたり込んでしまうかという感じだったけれど、町長と役人の男性だけは違っていた。

  町長は見定めるように、役人は痛ましくて見ていられないように時々目を逸らしながら、だけど二人ともその場から決して離れようとしなかった。

  変身劇が終わって不気味な静寂が訪れる。

  私は彼を庇うように一歩前に進み出て、町長の顔を窺った。

  町長はこちらを見なかった。

  「凄まじいな」

  ただ一言、無表情に発された言葉は、案外恐怖から出たものだったかもしれない。

  「えぇ、予想以上でしたね」

  役人も参ったというように額を掻いている。

  「殺さないでください」

  私は間髪を入れずに言った。

  「お願いです、ほら大人しいでしょう?」

  指差した先のラルフは肩で息をしていて、金具が締め付けて痛いのか身を捩っているところだった。

  「あれを大人しいと言えるかどうかだな」

  役人は苦笑いしている。

  「拘束具が小さ過ぎたのよ、あれじゃ痛いに決まってる。ああ見えて理性はちゃんとあるし、少しくらいなら会話もできます」

  「ならば」

  町長は声を固くした。

  「今すぐに伝えることだ。この町から出ていけ、さもなくばこの手で成敗してくれると」

  ____分からず屋の頑固じじい!

  根っからの悪人などいないと信じている私でも、流石に町長の態度には腹を立てずにはいられなかった。

  一時間以上かけての説得もむなしく、私は結局ラルフを連れて町から出ることになった。

  でも誰かに危害を加えないために、木の板に繋がれたまま運ぶのが条件。

  大袈裟な鎧に身を包んだ役人たちに付き添われて、巨狼が町の外へと運ばれてゆく。

  「本当にごめんなさい、ラルフ」

  寝かされた状態のラルフの横から声をかける。

  「気ニ、スル、ナ」

  全部私のせいなのに、こんな時でもラルフは優しい。

  町からだいぶ離れた街道と森の境目あたりで彼は降ろされた。

  役人たちは我先にと逃げ帰り、鎖を外すのは私の役目。

  だけどこの大き過ぎる木板と鎖とを置いていくわけにもいかないので、最後に残った役人一人に預けていくことにした。

  それは最初に出会った、先ほどのラルフの変身も一緒に目撃した男性だった。

  「大人しいもんだな」

  鎖から解き放たれて地面に倒れ込むラルフを見ながら、彼は神妙な面持ちで呟く。

  「当たり前よ。なのにあの人たちときたら!」

  「悪いな、俺もちょっと疑ってた。嫌いになったろ、この町の人間が」

  その瞳は、昏い光を湛えていた。

  「俺も嫌いだ。満月の騒動があってからこの町はおかしくなったと皆が言うが、そうじゃねえ。見た通り町長はあの通りの頑固者で、元から魔物を厭っていた。隙あらば排斥しようとしてたンだよ」

  「じゃあ良かったね、その通りになって」

  私はまだ胃のむかむかが抑えられなくてつい、つっけんどんに返してしまった。

  「そうだな。……余計なことしちまった」

  「え?」

  「知ってるか?満月の下でおかしくなるのは何も魔物だけじゃあないんだぜ」

  役人は自嘲気味に笑うと、呆然としている私をそのままに、拘束道具を載せた台車を運んで去っていった。

  [newpage]

  今の言葉はどういう意味だったんだろう。

  「ア、イツ」

  振り返るとラルフがよろよろと起き上がったところだった。

  慌てて駆けていってその巨体を支える。

  「血ノ、臭イ、シタ」

  「……それって」

  「人間ノ、臭イ」

  心がざわつく。

  何故役人から人間の血の匂いがするの?

  『満月の下で』って……

  まさか、連続殺人事件の犯人は。

  「でもどうして?彼は魔物が嫌いではないって言ってたのに、そんなわざわざ関係を悪化させるようなこと」

  その時、彼が仲の良かった『魔物』の話をする時に見せた遠い視線が脳裏を過ぎった。

  魔物はその後どうなったのだろう。

  今回の事件の濡れ衣を着せられた?

  それとも……

  もしかしたら、事件の起こる前に……

  『町長はあの通りの頑固者で、元から魔物を厭っていた。隙あらば排斥しようとしてたンだよ』

  「リリィ」

  低く掠れた声が傍から聞こえて意識を戻す。

  「俺タチニ、関ワリ……ナイ」

  「……うん、そうだね」

  襲撃が『狼』によるものである可能性が少なくなった以上、もうこの件を深追いする必要はない。

  さっさとこの陰鬱な町を出て自分の使命に戻ろう。

  そう言い聞かせるけれど、心のどこかにモヤモヤとした何かが残っている。

  「ねぇラルフ」

  手を伸ばして彼の口元に触れる。

  彼は反射的にのけぞろうとしていたが、逃げないように押さえ込んだ。

  「人間と魔物が一緒に暮らすのって、無理なのかな」

  「俺ニ、聞クノカ」

  「ふふ、そうだね。……でも、無理じゃないと思うんだ。というか思いたい」

  「……アア」

  「そのためにも、早くあいつを見つけなきゃね」

  南の頂点をとうに過ぎた満月が、私たちを静かに照らしていた。

  私の考えていることは、故郷の村の人たちを思えば決して許されないことかもしれない。

  人と魔物がいがみ合うことのない未来_____

  芽生えてしまった遠い望みを持て余しながら、私はラルフに寄り添うように歩き出した。