泣き疲れて無気力のまま病院の外に出ると、迎えに来てくれていたらしい清水さんが早足で俺の方へ歩いてきた。
そのまま俺の肩を抱き車に乗せると、マンションまで送る。
部屋のドアが閉まる前、清水さんは悲痛そうな顔で言った。
「1度、何もかも忘れてお休みください
見ていられません…」
何を考えても最悪の決断にしか辿り着かないので、とにかく食べて寝ることにした。
冷蔵庫からひたすらに食べ物を持ってきて食べる。
料理らしいことはしないまま、アイスやらお菓子やらを食べ続けた。
そして吐いた。
3度ほど繰り返し、洗面台で口をゆすぐと、布団に倒れ込む。
そして、まるで呪いにかけられたオーロラ姫のように、死んだように眠り続けた。
久々に、すっきりとした気分で目が覚めた。
眠ってから何日経っただろう。
スマホを見ると、丁度3日経っていた。
3日間も眠れたことに驚いたが、なにより見ていたどの夢も、当てつけと捉えることなく、幸せな気持ちで見れたのが嬉しかった。
のんびりとお風呂に浸かり、髪を乾かす。
まだ頭はぼんやりとしているが、それでもだいぶ、気が楽になっていた。
ちゃんと昼食を取り支度を整えて、清水さんの送迎で病院へ向かう。
「…良かったです
顔色もお肌の調子も、少し治ったようで」
「ご心配お掛けしました」
そう言って頭を下げると、清水さんは慌てて首を振る。
「私なんかに敬語は必要ありません💦
それに…あの時の黒木様を千秋様が見たら…とても悲しむと思いました…」
そう言って目を伏せる清水さんは、とても千秋さんのことを尊敬しているんだろうなと思った。
病院についてロータリーで車を降りる。
清水さんは俺が病院の中に入っていくまで、車の側で頭を下げていた。
受付で面会シートに名前を記入し、エレベーターに乗り込む。
2階、3階と上がっていく数字を見ながら、これからのことを考えた。
記憶が無いちあきさんに俺が出来ることは、何か1つでもあるのだろうか。
一緒に出掛けるとか?
それでも、違っている所を見つけてしまいそうで怖い。
病室の前でノックをしようとして、躊躇った。
千秋さんに会うのは倒れた時以来だ。
比べない、気にしない…
そう言い聞かせて、扉をノックした。
「あの後…大丈夫だった、?」
部屋の中にいたのは千秋さんと涼介さんで、当たり前のように涼介さんが隣にいるようになったのが、少しショックだった。
「…はい、心配かけてすみません」
「いや…いいんだけどね笑」
そんな風に……
沸き上がってきた気持ちを抑え込む。
思っても仕方ないことだ。
「それで…ぇっと……」
そうだよな。
今は名前も知らないか。
「自己紹介が遅れました。
黒木貴和です」
「!……よろしくね、黒木君」
苗字呼びという事実がより、俺と千秋さんの間に、深い溝を作った気がした。
「……よろしくお願いします」
頭を下げながら、込み上げる涙を堪える。
涼介さんが俺の様子に気付いて心配そうに眉を寄せた。
「黒木君は、学生?」
「……はい…」
「そっか、見えないなぁ
大人っぽいから笑」
楽しそうなその笑顔に悪意はない。
分かってるのに……
それでもこの場から逃げたら、もう一度はここに立ち入る勇気は出ないと思うから。
限界までやってみようと思った。
「高校生?」
「はい」
「どこに通ってるの?」
「…開成に」
「へぇ〜頭いいんだね〜
羨ましいなぁ、俺はそんなに良くないからさ笑」
「そうですかね笑」
しんどい。
合わせて笑うのが。
それに気付いて貰えないのも。
ねぇ、千秋さん。
俺今ちゃんと笑えてるかな。
貴方の前で。
ちゃんと笑顔でいられていますか、?
「ちょっと、トイレに…」
「行ってらっしゃい〜」
廊下に出ると、そのまま長い廊下を意味もなく歩いた。
突き当たった廊下の端の窓から周囲の建物を見て、涙を流す。
「…貴…」
俺を心配してか、涼介さんが追いかけて来てくれていた。
「……戻らないのかな…」
廊下に、俺の声だけが響く。
「……千秋さんの記憶……」
涼介さんは、切なそうな、もどかしそうな顔で、俺を見つめていた。
「……俺は……後どれだけ待てばいいのかな……っ」
顔を歪め、しゃくり上げてそう言う俺に、涼介さんは何も言えないようだった。
誰にも分からない。
後どのくらいなんて。
記憶が戻るかも。
「千秋さんの瞳に…っちゃんと俺が映るのはいつ…っ」
もう一度、ちゃんと俺を見てくれるのは何時になる?
1週間後?1ヶ月後?1年後?
それまで、ずっと俺は待ってるの?
待っていなければならないの、?
記憶を失う前の千秋さんと比べながら?
他人を演じながら?
知らないフリをして?
「……このまま…ちあきさんといたら……」
きっと……
「おれ……っこわれる……泣」
「…離れるのか」
「っふぅぅ……」
「あいつを置いてくのか、貴。」
どうして、涼介さんは俺を責めるような言葉を言うんだろうと、痛む心で思った。
「っ…」
「…もう少し待ってやることは出来ないのか」
どうして?
もう十分すぎるくらい待ったでしょ…
「…お前、千秋のこと好きじゃなくなったのか」
そんなこと聞かれても、もう分からない
「愛してないのかよ」
「分かんないよ……っもう…分からない…」
「分かんねぇ分かんねぇって…そうやって現実から逃げてるから…!」
「逃げてない!」
そう叫んだ俺の声に、廊下の向こうから来た先生が何事かとこっちに向かってくるのが見えた。
どうでもいい。
よく見れば愛斗先生だったけど、それもどうでもいいんだ。
「逃げてなんかない!
ずっとずっと向き合ってきた!
千秋さんはっ、俺の恋人だから!
俺がそばにいなきゃって!
早く目が覚めるようにって!
毎日いるかも分からない神に祈ってた!
だけど目を覚ました千秋さんは俺の事を覚えてない!
何一つ!俺と出会ったことも全部、千秋さんの中ではなかったことにされてるんだ!
会う度名前も呼んでもらえない、曖昧な微笑を浮かべられて!
好きだとも愛してるとも言ってくれないっ!」
俺の叫びに、涼介さんはショックを受けたように立ち尽くしていた。
「……黒木くん…」
「俺がこんなに我慢してる状態で……ずっと千秋さんの前で笑えるわけないじゃん……無理だよそんなの……」
愛斗先生に呼び掛けられても、俺は床に膝をついて項垂れていた。
もう、疲れたよ神様。
事実から目を背けるのが正しい事じゃないと分かってても、もう……
「耐えられない……」
言いながら涙が零れ続ける。
それは哀しいから。
貴方と過ごした日々が俺の中でさえ消えてしまう気がして。
貴方がくれた言葉が薄れていく気がして。
怖いんだ……。
離れたくなんてないけど、今の千秋さんを見ていたらきっとどこかで俺は壊れてしまうから……。
「…黒木くん…少し、お話出来る?」
動かない俺にそう声を掛けてきた愛斗先生に連れられて、俺達は東棟の方へ向かった。
続く