第8話 「誰か僕の父と妹を助けてください!」 触手なんて怖くない! 3
「うぷ……、もうこれ以上、食えん……」
スリを見事に足止めしたイチに街の住人たちは喜び興奮し、彼女の素晴らしい射撃に対し思い思いのやり方で賞賛した。
財布を取り戻した蛙人族の男は飲食代を代わりに払ってやり、屋台の女はイチの皿にミートボールを新しく三つも乗せてやった。
焼き菓子を焼いていたミノタウロス族の女はクリームの乗ったパウンドケーキを食わせてやり、フルーツ売りの男は一番熟れているマンゴーフルーツを切ってやった。
おまけに気を利かせた人族の紳士が近くのカフェでこれまたクリームのたっぷり乗ったミルクティーをイチの為に買ってやった。
おかげでイチの腹はタップリと膨れてしまったのである。
しかし、イチは何も食事をするためだけに出てきたのではない。
冒険者ギルドが彼女の目指す場所だった。
重くなった腹をさすり、急激に増した血糖値で頭をクラクラさせながら冒険者ギルドを目指す。
……しばらく歩けば赤いレンガの壁と鉄の門に囲まれた冒険者ギルドの施設が見えてきた。
近代的な平坦な屋根に冒険者を象徴する山猫と狼、そして大烏のシンボルが描かれた旗が見える。
このような冒険者ギルドは各都市の大きな街にはたいていひとつはあり、冒険者達はここで依頼を探す。
この冒険者ギルドはスウィートバウムにあるので本来であれば冒険者ギルドスウィートバウム支部となるのだが、この冒険者ギルドはある事情でその筋から『某支部』などと不名誉な呼び名で呼ばれていた。
某支部の門には槍を構えた冒険者が二人、門番として配置されていたがイチの姿を見ると己の胸を二度拳で叩く冒険者式の敬礼で出迎えた。
イチも軽く己の胸を叩き敬礼を返し建物の中に足を踏み入れた。
冒険者ギルドの中は、現代で言えば区役所のような建物を想像してもらうのが良いだろう。
まず目立つのが依頼書を確認するための円柱を横にした大きな回転式掲示板。
冒険者達が装備を整えたり、休憩がてら情報交換する為に設置された大きなテーブル、そして依頼の受付や新規の冒険者登録、冒険者達が報酬を受け取る為のカウンター。
カウンターの向こうでは十数人の職員が書類作成などの事務仕事で休みなく机に向き合っている。
「誰だこの依頼書を作った奴は!? 絶対一度もチェックしてないだろ!?」
「爺さん! あんたにはワイバーン退治は無理だって! あんたもう70歳だろ!?」
「これじゃ報酬なんて払えるわけないでしょう!? 依頼条件が全然達成できてないじゃないですか!!」
「こんな報酬で依頼を出せるわけないでしょ? 慈善事業じゃないんですよ!? だいいち犬の躾くらい自分でやんなさいよ!」
イチは某支部のそこかしこから聞こえる職員の悲鳴に若干戸惑った。実はイチはこの某支部の噂は前から聞いていたのだが、どうやら噂以上に某支部の内情はよろしくないようだ。
しかしそれ以外はどこの都市でも見る冒険者ギルドと特に変わらない。
恐らく駆け出しであろう冒険者の少年少女が依頼書を眺めて目を輝かせている。大テーブルではこの支部ではそこそこのパーティと思われる集まりが紅茶のカップを片手に今後の冒険について相談していた。
銀髪の女性や散弾銃を整備するハーフエルフの小柄な少女、三つ編みの魔法使いなど。
報酬の支払いについてカウンターごしに職員と揉めている鳥人族の若い冒険者や、何か厄介ごとに悩まされている非冒険者の市民が依頼書を職員に提出して内容を査定されている。
よくある歴史認識の誤りで酒場で昼間から飲んでいる冒険者たちというイメージがある。しかしそれは18世紀初期までの話である。
世界の近代化に伴い、冒険者達の世界も近代化していった。
そしてイチはこの冒険者ギルドの雑多とした雰囲気が好きだった。
しかし雰囲気に浸ってばかりもいられない。
職員に要件のある者を捌く案内役に声をかけ要件を伝えると、少し待たされた後に奥の方のカウンターに行くように伝えられる。
「拠点登録ですね。冒険者手帳を見せてください」
「わかった」
拠点登録というのは、既に活動している冒険者が他の街に移った際に身分を証明し依頼を受ける為の手続きである。
拠点登録をせずに依頼を受ける事が可能なケースもあるが、ひとつの街に長期滞在し冒険者として活動する場合は拠点登録をほとんど強制に近い形で求められる。
これは、各地で行動している冒険者の活動状況を把握するためである。
「確認します」
職員のアルバート・フェンネルは事務的に答えイチに渡された手帳を頭からめくってゆく。
この冒険者手帳は冒険者としての証明書で、名前や年齢、階級や出身地、種族や外見的特徴、そして活動履歴が書かれた手帳であり、パスポートのようなものを想像してもらっても良いだろう。
「おや? 出身地不明とはどういうことです?」
アルバートはイチの情報に不審を見つけてイチの顔を見た。
「記憶がないんだ。4年以上前の」
「記憶が……」
アルバートは訝しんだ。
彼とて小説などで記憶喪失者の存在は知っていたが、その多くは記憶喪失を装っている事が多い。
事実、イチが4年以上前の一切の記憶が存在していない事は間違いなく、彼女が冒険を続ける理由のひとつは自分の記憶を取り戻すためというのもある。
「まぁ、いいでしょう。拠点登録を受け付けます」
そう言ってアルバートはまだ空きのあるページに「スウィートバウム支部拠点仮承認」のハンコを押した。
というのも、イチの活動実績は中々のもので、まだ階級こそ低いが常に冒険者の人材を求めているギルドとしては拠点登録を断る理由がない。
「住居は決まっていますか?」
「これから探すつもりだ」
「決まりましたら改めて手続きをお願いします。手帳は、問題なければ3日後にはお返しします。ではこれで」
アルバートは手帳を預かると自分の事務机に戻って行った。
どことなく常に疲れているような顔で、見かけの歳の割には頭髪が薄い人族の男であった。
_____さてと、どんな依頼があるか眺めてみるか。
イチは依頼の掲示所に向かった。
なにも今から依頼を受けようというわけではない。
ただ、今出されている依頼にどんなものがあるか、大体でも把握しておきたかった。
掲示所には巨大な木の円柱が横向きにみっつ並べられ、車輪の表面にギルドが発行した依頼書が張られている。
掲示方法は支部によって違うが、多種多様な種族が集まる支部では背の低い種族の為にこのような形で掲示されている事が多い。円柱形にすることにより面積が増え、背の高い者も低い者も円柱を回転させれば依頼書を平等に見る事ができる。
_____なんだこりゃ?
しかしイチは回転する掲示板から適当に依頼書を眺めて苦笑した。
_____酒場のウェイトレス、女性限定、衣装指定あり。不倫の調査。特記事項:依頼者秘匿。愛玩用スライムの世話、女性限定。年齢制限アリ。……これが冒険者のすることか?
依頼書は主に要求される冒険者としての階級別に車輪に貼られているのだが、低い階級の依頼はどうも他の都市ではあまり見ない怪しい物が多い。
_____交渉の際の用心棒、狼階級以上。遺跡で行方不明になった者の捜索、狼階級2人以上から推奨。商隊の護衛、山猫階級以上。未踏破地区の地図作成協力、大烏階級以上。……ふむ。
しかし対照的に困難が想定される依頼なども張り出されている。
余談ながら、特別に難易度が高かったり特殊な事情のある場合はギルドから直接指名される形で依頼を渡される事もある。
イチは生粋の冒険者だったのだろう。困難が想定される依頼書を見ると、待ち受ける障害を自分だったらどのように乗り越えるかを頭の中でシュミレーションし、それだけで冒険心が疼いてくるのだ。
_____まぁ、街の事情に慣れるまではあまりレベルの高い依頼は避けるか。酒場の用心棒なんか街の事情を知るのに丁度いいかもしれん。
そう思っていたところである。
支部の入口から血相を変えた人族の少年がやってきて施設内の注目を集めた。
その様子から何かただ事でない事態が発生したのは支部にいたどの冒険者にも想像できたことだろう。
そして少年は酷く悲痛な声でこう叫ぶのである。
「誰か、誰か僕の父と妹を助けてください!」