9話 対決、グレイ・ベアー バルティゴ鉄道乗っ取り事件16

  二等車の車内に突入したイチはすぐさま周囲の状況を確認した。

  車内に敵の姿は見えず、竜駝強盗達の死体が確かに転がっている。

  自分達がはじめに座っていた車両の座席には魂が抜けたようなテオドールの本体が寝ているように動かない。

  グレイ・ベアーとアンバー・フォックスは一等貨物車にでもいるのだろうか? どのみち、ガラスが砕けた音を聞き逃しているとは考えられず、即座に戦闘状態に突入するだろう。

  「緊急なんとか装置はどこだ!」

  可能であれば戦闘に突入する前に装置を作動させて三等車の客を救いたい。イチはテオドールの指示を請うた。

  「一番後ろの床に四角い線が入ってる場所があるはずだ」

  「あれか!」

  イチはグレイ・ベアーらを警戒しつつ緊急切り離し装置の場所まで走った。そこにはテオドールの言う通り、確かに開くことができそうな鍵穴と指でもひっかけるための窪みが見つかった。今は亡きティンカスキャッドが作動させようとしたものとまったく同じ仕組みであろう。しかし、問題はある。

  「鍵がかかってるぞ!」

  乗客が誤って装置を作動させない為に鍵をかけるのは当然であろう。

  「大した鍵じゃないはずだ! 撃てばなんとかなるかもしれん!」

  「ああ、ちくしょう!」

  イチは左手でカーペイトの銃口を床の鍵穴に向けるとほとんど勘で6発の銃弾を叩きこんだ。

  綿密な計画を立てて冒険に挑むイチにはあり得ない行き当たりばったりな行動。イチは殆どやけっぱちであった。

  しかしテオドールの見立て通り、鍵は特別堅牢なものでなく、金属の板を回転させロックする単純なタイプのものだったのでその部分を破壊することができ、床のハッチを開ける事ができた。

  「バルブを回せ! 逆時計回りだ!」

  イチはテオドールの指示を受けバルブハンドルを考えられる最大の速度で回した。最初は重かったハンドルが段々と軽くなり、遂にイチは車両の切り離しに成功した。

  イチはテオドールと共に空になった銃のシリンダーに新たな弾丸を込めながら、車両から荷重が抜けるのを感じた。

  「冒険者!!」

  腹の底を震わすような怒号が響く。

  イチが視線を向けた先には怒気を放出させたグレイ・ベアーの姿。

  右手に大金槌をぶら下げ獣の仮面を被った男は、興奮の為か身体を僅かに震わせており、怒りに体毛を逆立てる灰色熊そのものに見える。

  「テオドール! 手導権を寄越せ!!」

  イチはすぐさまグレイ・ベアーを銃撃するために右手の自由を取り戻そうとした。

  利き手さえ戻ればイチならグレイ・ベアーの眼球を即座に撃ち抜ける。

  「だ、ダメだ! 戻れねえ! 集中できないんだ!」

  なんとテオドールは暴力そのもので出来ているようなグレイ・ベアーの威圧感に怯え、魔法を解除するために精神を統一することが出来なくなってしまった。

  「くそ!」

  迷うような暇をグレイ・ベアーは与えてはくれず、怒れる灰色熊の化身は大金槌を振り上げると猛進するため床を蹴る。

  イチは訓練の成果で左手での射撃も不自由なくこなせる。

  単にこちらに向かって突撃してくる男の目を撃ち抜くだけなら利き手が封じられていてもわけなくこなしただろう。

  しかし、

  「ふううううぅぅぅぅぅぅぅぅん!!」

  グレイ・ベアーはイチの想定と違い、大金槌を滅茶苦茶に振り回しながら全速力で突進してくる。

  グレイ・ベアーが大金槌を振り回す度に列車の中の椅子や壁が破壊され木片を飛ばした。

  グレイ・ベアーの目線は頭を振り乱しているため一定の場所に留まらず、いかにイチであっても左手で撃ち抜くのは照準が追い付かない。

  「この野郎!!!」

  それでもイチは確立の問題と割り切り、研ぎ澄まされた照準でグレイ・ベアーの目を狙い一発、二発、四発と引き金を引いた。

  が、銃弾はすべてグレイ・ベアーの頬や額、口元などに当たり弾かれてしまった。

  ___ちくしょう!

  「ふうううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅん!!」

  グレイ・ベアーは尚も車内を滅茶苦茶に破壊しながら突撃を仕掛けてくる。

  既に4発を消費したカーペイト15式のシリンダーには残り2発。

  肉薄を許せばグレイ・ベアーは再装填の好きを与えず、イチの綺麗な顔面を大金槌で容赦なくグチャグチャに潰してしまうだろう。

  「テオドール! ナイフだ! 一緒に応戦しろ!」

  「正気か!?」

  イチはテオドールにナイフを抜いての白兵戦を要求した。

  無茶である。

  テオドールに格闘の経験はまるでなく、今まで何人もの人間をその大金槌で殴り殺してきたであろうグレイ・ベアーと戦わせて勝てるわけがない。

  しかもナイフと大金槌ではリーチに差がありすぎる。

  奇跡が起きてもテオドールが勝利するのは難しいだろう。

  しかし、

  「振り回すだけでいい! 私の右腕なんだ! 好き勝手に使ってみせろ!!」

  「ちくしょう、ちくしょう! うわああああああ!!」

  右手のテオドールはイチに発破をかけられナイフを抜くと滅茶苦茶に振り回しはじめた。

  単なる悪あがきではあるが、イチの本来の右手の瞬発力が上乗せされているので思った以上の速さを生んだ。

  グレイ・ベアーの目からすると、イチの右手はまるで旋風刃の魔法に守られているようにさえ見える。

  ___冒険者が! 悪あがきをするか!? 舐めおって!!

  グレイ・ベアーは怒りの限界を超えた。

  「冒険者!! いつも貴様らは!! いつも貴様らは俺の戦場を荒らす!! 許さんぞ!!」

  ……筆者にはグレイ・ベアーの冒険者に対する怒りが多少理解できる。

  グレイ・ベアーことワース・ハンマフリーマン。

  彼は当時のバルティゴ王、オカピ名誉失国王が王国解体を宣言するまでは周囲の敬意を受け、また王国を守る名誉に自身の存在価値を見出していたのだろう。

  しかし魔王大戦。

  彼の忍耐と努力でなんとか均衡を保っていたとある戦線に、後から冒険者なるその場の勢いでノコノコやってきたような連中が戦場で好き勝手をし始めた。

  少なくともワースと仲間の将兵にはそう見えた。

  冒険者達の即席軍団は群狼団を名乗り、王国軍との連携はおざなりにした。

  ワースをはじめ、多くの将兵が冒険者をよく思っていなかったのは当時の軍人の手記から多く読み取れる。

  ワースがなにより許せなかった事は、その冒険者共が、伝統と歴史によって叩きあげられた王国軍を差し置いて次々と戦果をあげていったことである。

  これはワースらバルティゴ王国軍の無能が原因ではない。

  彼らのドクトリン、用兵の差がそうさせた。

  バルティゴ王国軍は伝統的に軍団統制主義を採用していた。

  軍司令が綿密に作戦行動を指示し、各軍団はその指示を忠実に守って動く。

  一方冒険者達が結成した群狼団は各隊委任主義をとった。

  これは世界大戦時には一般化したドクトリンだが、当時としては冒険的で、大隊から中隊、その下に小隊、最小単位を分隊とし、それぞれの隊に冒険者を組み分けし、司令部は大まかな作戦目標を決め、戦略レベルでは大隊、現場レベルでは分隊と作戦の遂行方法は各隊の隊長に委ねられた。

  これは冒険者の性質が、既存の軍人として機能させるには困難である事を考慮せざるを得なかったから生まれた用兵思想だ。

  わかりやすい例でいうと、例えばオムレツをひとつ作るのに王国軍の軍団統制主義は料理人の数、卵の数、食器、調理手順、盛り付けなどをすべてを指示するのに対し、冒険者達の小隊委任主義はオムレツを作れとだけ命じてあとは料理長に任せる。

  いずれ他の章で詳しく記述したいところであるが、魔術師の戦力を有効に軍と連携させた魔王軍の用兵戦略にバルティゴ王国軍の統制主義は上手く対応できず、冒険者ら群狼団の委任主義は想定外の戦果を挙げた。

  そしてワースらの軍団は群狼団に囮として利用され、使い捨てにされ壊滅した。

  生き残ったワースを待ち受けていたのはねぎらいなどの言葉ではなく、紙屑のようになった地位と名誉、そして耐えがたい冒険者達への従属だった。

  ワースは荒野で野盗に身をやつし憎んだ。自分の生きる価値を奪った冒険者と、それに媚び諂う国防軍へ名を変えた旧王国軍を、そしてバルティゴ都市国家連邦を。

  だからと言ってテロリズムに加担し他者の命を顧みないのは彼の倫理に対する傲慢であると筆者は断じておく。

  今、ワース・ハンマフリーマンは怒れる猛獣、ブラックペタルスのグレイ・ベアーとして背負った憎しみと怒りをイチという冒険者に叩きつけようと突進している。

  「ふううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅん!!」

  刹那、イチのカーペイトが火を噴いた。

  それはテオドールの振り回すナイフを捌く為にコンマ数秒だけ突進力を落とした隙を狙った見事な射撃であったが、グレイ・ベアーの眼球を撃ち貫くだけの精密さは発揮できなかった。

  やはり左手の射撃では微妙な肘から先のブレと反動を制御できないのだろう。

  「ふんっっっっっっっっっっっっ!!」

  グレイ・ベアーはイチの体勢を崩す為に大金槌の先端を突き出した。牽制でしかないが、それでも恐ろしい威力の突きだ。

  「ぐっ…………あっ!」

  イチは後ろに飛び退いて大金槌の直撃を辛うじて避けたが、それでも胸の中心に凄まじい衝撃を受け仰向けに倒れてしまった。

  カーペイトの残弾は一発。

  絶望的状況だった。

  このままではグレイ・ベアーの大金槌はイチの顔面に振り下ろされ、鼻も口も目もグチャグチャに潰して彼女の冒険を終わらせるだろう。

  「死ねよ冒険者!! ふぅぅぅぅぅぅうううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅん!!」

  グレイ・ベアーは倒れたイチを滅茶苦茶に叩き潰そうと大金槌を振り上げた!

  「___冒険者を舐めるな!!」

  銃声。

  「く……………………か…………………………??」

  途端、グレイ・ベアーは大金槌を振り上げたまま動きを止めた。

  灰色熊の仮面は右目から血の涙を噴き出し赤い飛沫がイチと列車の床に滴って落ちる。

  イチの銃弾がグレイ・ベアーの脳梁を目から頭蓋骨の中に入り込み破壊したのだ。

  「ぼ、ぼ、冒険者……………………戦場を、軍を…………」

  グレイ・ベアーはそれでも執念か、意味不明の言葉を呟きながら弱々しく何度か大金槌を振り回したが、やがてぐるりと回ると仰向けに倒れた。

  イチの右手に乗り移ったテオドールは、その光景をイチの右腕から見ていた。

  

  ___う、ぅ…………。待った。待ったんだ。この女は、待ったんだ。

  勝利を確信した時こそ隙が生まれる。

  イチは師であるリャン・ハックマンと冒険の経験からその事を学んでいた。

  グレイ・ベアーは体勢を崩し地に伏した相手を叩き潰すのに必ず大金槌を大きく振り上げた。確実に敵を仕留める為である。

  大した隙でもない。なにより彼の肉体は魔法によって鋼同然になるのだ。なんの問題もない動作だ。

  しかし、その僅かな隙はイチにとって十分な隙だった。

  自分の真正面で腕を振り上げ伸ばした男の眼球など、イチの射撃能力からすれば例え利き腕でなくても容易に狙える。

  だから、待った。

  右手の自由が利かない状況で、左手で確実に狙う為に。

  ___ほんの少しでも集中を切らせば失われる微かな勝機、あのハンマー野郎が突っ込んでくる中で、少しも怖気る事無く……。なんて女だ。

  テオドールは生まれて初めて他者を心から認めた。

  テオドールは今まで誰にも認められず、また誰かの力を認める事はなかった。しかし、この時はじめてテオドールはイチという少女の生き方を認めざるを得なかった。

  それは彼にとって世界が逆転するような衝撃だった。

  「テオドール」

  放心するテオドールにイチが声をかけた。

  「な、なんだ」

  テオドールは恐れた。土壇場で怖気づき、イチの足手まといになった事を詰られると思ったからだ。

  しかし、

  「上手く行きそうだ。助かった」

  それは、テオドールが生まれてから今まで本当に欲していた自分への心からの感謝の言葉だった。

  テオドールは言葉を失った。魂が救われるような響きに、涙が浮かびそうであった。しかし、

  「そこまでだ。よくもグレイ・ベアーをやってくれた」

  しかし勝利の余韻に浸るのも束の間、一等車から新たな人影が現れた。

  「イ、イチさん……、すみません」

  そこには半裸のシーナを肉の盾にした狐面の男、アンバー・フォックスが立っていたのである。