ザーーーー____
途切れない雨が降っていた
光が射し込む事もない、一面の黒
大きな水の粒が、風に運ばれるのを拒み
地面にぶつかり、弾け、やがて
行き場を失い、流されていく
それでも堕ちた粒達は、
孤独を嫌い、水溜まりになる
バラバラだった者達が、お互いを必要として寄り添う
時に、
誰かを蹴落とし
そして
誰かに蹴落とされ
それでも、その場所に在りたいと___
暗い部屋の中で、一人の男がいた
それは、時間が止まったかの様に、
ただそこに存在していた
玄関をくぐった格好のまま
全身は雨に濡れ、
座っている床は
男を周りから閉ざすように
色を変え、囲んでいた
時計の針と雨音だけが
その音を響かせていた__
ガタン!!
カシャン!!
店内に食器がぶつかり合った音とイスの倒れた音が響く
驚いて立ち上がった巌によって出されたその音は
静かだった店内を一瞬騒がせた
静かだった呼吸が荒くなる
心臓の音が、速く、強く、聴こえた
再び静寂を取り戻した店内は
聴くものを失ったボサノバの音楽だけが、ただ流れている
店の窓から見える外は、昼間だというのに暗くなっていた
額に浮かんだ汗を拭うことなく、巌は口を開いた
「・・・なにを・・・」
問われた若者は、さっきまでのヘラヘラした表情ではなく
真面目な、そして巌の目から離すことなく口を開いた
「言ったでしょ?惚れたって」
巌の顔がみるみる紅潮していく
「俺は、アンタに惚れたんだ、アンタの事が好きだ」
「だからキスをした」
黙っている巌に、さらにケンは続けた
「アンタのその耳も声も体も、尻尾も足も」
「その___何かに怯えた眼も」
巌を見るケンの目が優しく、細くなった
そっと席を立ち、巌に近づいた
そして、
いつの間にか流れていた巌の涙を拭おうと、ゆっくりと手をのばした
その瞬間、我に返った巌は、ギリっと奥歯を噛み締め
勢いよくその手を払いのけ、店を飛び出した__
乱暴に開かれたドアは激しくベルを鳴らし
店の窓はいつの間にか、水の粒が滴り落ちていた
再び静寂を取り戻した店内には
1人の若者と、持ち主を無くしたタオルだけが残った
走った、ただ走った
どこを走っているかもわからない
どこに向かっているのかわからない
逃げるように、_走った
息が切れる、_走った
びしょ濡れだ、__走った
全身の毛が纏わりついて気持ちが悪い
服が水分を吸い、重い
視界も悪い
それでもなお、巌は走り続けた
何かを慈しむように、哀れむように
流れていた涙は、雨が隠してくれた
やがて1つのアパートが見えた
お世辞にもキレイとは言えない
8部屋ほどの、古い2階建てのボロアパート
表札の隣に、アパートの名前と大家と書かれたプレート
その部屋だけに明かりの灯っていた
その光を頼りに、猪獣人の中年の女性が
雨に濡れない位置まで動かそうと、大きなゴミ箱を持っていた
走って帰ってきた巌の姿に気がついた
「ちょっとアンタ!今までどこ行ってたんだい!?今日給料日だったろ!さっさと家賃を___」
言葉に耳を傾けることなく、階段を駆け上がり、
大家以外に
唯一、表札のかかった部屋へ逃げ込んだ
女は、その、いつもと違う様子に、言葉を遮った
玄関を勢いよく閉めると
荒れた息を整えるように
ドアに寄りかかった
呼吸が落ち着く頃、ようやく部屋の中へと入った
_______
ガチャ…
ノックの音も無く、呼び鈴も鳴らさず
玄関の戸が静かに開かれた
光を拒んだ部屋に、薄い影をつけた
「…入るよ」
男からの反応はなかった
狭い、アパートの玄関に
扉を開けたまま、男を見ていた
「ふぅ…アンタ、鍵くらいかけな」
呆れたようにため息をついた
先ほどの女性だった
「…アンタ、何があったか知らないけどね、」
男の反応はなかった
「服くらい着替えな、風邪でもひいたらどうすんだい?」
男の反応はなかった
雨が、また少し音を強くした
女が何かを悟ったように、ゆっくりと口を開いた
「…………もういいんじゃないのかい?忘れても…」
男の耳がピクッと動いた
女は独り言のように続けた
「アンタには…、アンタの幸せがあるだろ?…これから先もずっとそうしている気かい?」
男が口をゆっくり開いたが、
雨音にかき消され、声にはならなかった
「…今日、アンタに何があったかアタシゃ知らないけどさ、…誰かに頼ってもいいんじゃないのかい?」
「…………ぇだろ…」
雷の音が聴こえた
そう遠くではないだろう
「アンタはもう十分苦しんだんだろ?だったら、もういいんじゃないか、自分の___」
「忘れられるわけがねぇだろ!!!!!!」
女の言葉を遮る様に
急に男は立ち上がり、叫んだ、
女に背を向けたまま
「忘れられるわけがねぇんだ!!アイツらの事を忘れて!!幸せになる権利なんて!…俺にはねぇんだ!!!!」
感情に任せ、涙を流しながら
「…だってそうだろう!!?」
呼吸が荒い
カラダが熱い
雨が、激しくなった
「…アイツらは……アイツらは!__俺が殺したんだから!!!!!!!!」
雷が鳴り響いた
それは、一瞬の光と共に、暗い部屋を灯した
空はまだ、黒い雲が広がり
雨はまだ、__止みそうにない
___3年前
「もぉ~パパ遅い~!!」
「すまんすまん、ちょっと手間取っちまって遅れちまった!!」
お気に入りの赤いリボンをつけた女の子と、白いワンピースを着た女性に駆け寄る
よく晴れた日だった
その日は娘、千晴(チハル)の5歳の誕生日
家ではなく、家族で外食したいという娘のリクエストで
仕事帰り、駅前で待ち合わせていた
「今日もお仕事お疲れさま」
「おう!!」
そう言って微笑む妻、春実(ハルミ)
「じゃあ行くか!!」
俺と千晴と春実
3人手を繋いで歩きだした
夕日が街を祝福し
行きかう人々で賑わっている
仕事帰りのサラリーマン、部活動具を抱えた学生、コンビニで立ち読みしている人
居酒屋に入っていく若者達、買い物袋を持ったまま長い立ち話をしている主婦
それぞれが、それぞれの思いを秘めながら、
日常を造りあげていた
「んで?チハルは何が食べたいんだ?」
目線を、両手の塞がった娘に向ける
「ん~と・・ハンバーグ!!」
キラキラと目を輝かせ、尻尾をぶんぶん振り回している
「うぇ・・この前食ったばっかじゃねーか・・」
思わず嫌そうに舌を出した
「あれはママの!今日はお店の!」
「同じじゃねーか・・・ラーメンとかよぉ~・・」
軽い溜息のように言うと、春実が横からクスッと笑う
「今日はチハルの誕生日なんだから」
子供を諭すように言われ、俺は残念そうに溜息をつきながら
仕方ねぇなと言わんばかりに、頭を掻いた
立ち止まり
「まぁいいか、今日は千晴が主役だもんな」
繋いでいた手を離し
「それに外で食う方が、春実の作るハンバーグより美味いしな」
笑いながらチハルの頭を撫でた
「そうね、パパこれからお小遣いもお酒もいらないらしいから、うんと豪華な食事にしましょうね」
「うん!」
「おいおい・・勘弁してくれよ~」
冗談を言いながら、また手を繋いだ
夕闇に照らされた3人は
笑いながら歩き出した
人通りもまばらで、電信柱が立ち並ぶ
大通りから1本外れた
車2台がギリギリ通れるくらいの狭い道
そこにあった一軒の店
黄色い看板に「キッチン」と書かれている
年代を感じさせるが、綺麗に手入れされたショーウィンドウには
数々の洋食食品サンプル達が並んでいた
「いいにおいがするー」
チハルは深呼吸するように、大きく息を吸った
「ここはね」
春実が言った
「パパと初めてデートした時に来たお店なの」
言われて照れくさそうに鼻をかいた
「チハルもはじめてー」
クスっと笑いながら
「その時ね、パパったら、俺と結婚してくれ!!―って、すっごい大声で言うもんだから、店にいた人みんなビックリしちゃ___」
「あ゛―!もういい!わかった!わかったから!カンベンしてくれ!」
いたたまれなくなった巌は
真っ赤になりながら会話を遮った
「ん~?」
チハルは首を傾げている
春実は、店先を懐かしそうに眺めながら
「今日はチハルの記念日だから、みんなで、ね?」
「うん!」
満面の笑みを浮かべるチハルを見ながら
「さ、入ろうぜ」
背中を押すように店の中へ入った
どこかでパトカーのサイレンが聴こえた気がした
カランカラン・・
ドアにつけられた鐘が鳴る
ログハウスのような、木造で
空調設備が静かに回っている
ジャズの音楽が流れる店内は、観葉植物がいくつも置かれ
8席ほどのカウンター席と4人掛けのテーブル席が2つ
そして、
そのどれもが埋まっていた
奥からこの店の主人が出てきた
失礼だが、決して若くない、中年の山羊獣人の女性
「おや、いらっしゃい、久しぶり」
巌と春実の顔を見ると、女主人は微笑んだ
春実が、お久しぶりですと軽く挨拶をする
チラッと見ると、入り口横に置かれたイスには2人程、座れずに立っている客が3人程居る先客がいた
「すまないねぇ~、今日はちょっと混んでてね、まだかかりそうなんだよ~」
女主人は、せっかく来てくれたのにと申し訳なさそうに言う
このままいくと、あと1時間以上かかりそうだ
巌は、ふう・・と息を吐くと
「仕方ねぇな、今日は別のとこに行くか」
残念そうな春実に話しかけ
「今度、来週にでも、また来ような?」
チハルの、これまた残念そうにしている頭を撫でると
「・・・うん!」
また外で食事と出来るという言葉に、笑顔を戻した
「そう、ね・・!」
春実も、また来ます、女主人に軽く会釈をする
チハルが早く行こ、もうお腹ぺこぺこだよ~!っと
二人より先に、店を飛び出した
春実が、待って!と店の扉をくぐろうとした
___その時だった
ドンッ!!!!!!
__こちらに手招きをしていた娘の姿が、
視界から、消えた___
そこから先はよく覚えていない
覚えているのは
パトカーのサイレンの音
電柱に衝突した原型の無い車
仰向けに倒れているチハル
狂ったように泣き叫ぶ春実の姿
道端に落ちているリボン
赤く、染められた白いワンピース
暗く、色を濃くして逝く、晴れ渡る空だけ
チハルの葬式を終え、家に戻る
明かりを灯された室内には、誰も居ない
その中に独り、巌は入った
思い付く日用品を袋に詰めていく
それを持って、また部屋を出た
灯りを消された室内は、また、元の静寂に戻った
巌は、大きく膨らんだ袋を持って市内の大きな病院に向かった
病室の扉を開けると
看護婦さんが今まさに部屋から出ていこうとしているところだった
入れ違いになる形で、会釈をしながら中に入る
ベッドにいる春美を見た
春美は、巌を見ると、ゆっくりと微笑んだ
弱く、儚い、笑顔だった
チハルの火葬が終え、通夜をおこなっていた時に、春美は倒れた
病院に運ばれ、入院という事になった
医者が言うには、心意的ショックによる過労だろうと
「ごめんね…こんな時に…」
「気にすんなって、ほら、今はしっかり休め」
うん…と言いながら、巌の気遣いに、また、ごめんねと謝った
持ってきた袋の中身を見せながら、
何か足りない物はないか、欲しいものはないか、聞いた
春美は首を横にふった
それからしばらく巌は春実の手を握り、他愛も無い話をした
春美は、巌をじっと見つめながら、静かに聞いていた
チハルの話はしなかった
消灯の時間が近づき、まだ葬式の準備やら何やらとやる事のある巌は、繋いでいた手を離し、
なんかあったら俺に言え、と言い残し家路についた
翌朝、
チハルの葬式の朝、
春実は、病院の屋上から飛び降りた___