旅立ち

  草の大陸、トレジャータウン。

  街の入り口でもある交差点の付近には大きな広場があり、そこはカイリューの高速便が離発着にも利用している。素早く大陸間を移動する者にとっては飛行場のような役割を果たしており、広場のあちこちで別れを惜しむ者や再会を喜ぶ者の姿がある。

  広場の一角、カイリューのゴンドラ便の傍にはオズワルドとニコルの姿がある。2人はゴンドラ内に向かって声をかけており、その中にはゼインとエレナの姿がある。

  「それじゃあ、ヘレンによろしく伝えてね」

  母親であるニコルはゴンドラの窓越しにゼインとエレナと抱擁を交わし、友人の名前を口に出す。2人はニコルの言葉に首肯して応え、座席に座る。

  「勉強や鍛錬ばかりではなく、しっかりと遊びなさい…ただ、危険な事に首を突っ込んではいけませんよ」

  ニコルの隣に立つオズワルドが忠告し、ゼインとエレナは頷く。娘達の反応を見たオズワルドとニコルは、やや心配そうな表情を浮かべるが、出発の時刻を迎えたため、ゴンドラの傍から離れる。

  「離陸しますよ」

  ゴンドラを牽引する2人のカイリューが口を開く。それを合図にゴンドラはゆっくりと持ち上がり、カイリュー達と共に空へと上がっていく。

  「いってきます‼︎」

  ゴンドラの窓からゼインとエレナの声がオズワルドとニコルの下へと届く。2人は手を振り、それに応える。ゴンドラを吊り下げたカイリュー達はそのまま上昇し、やがて水の大陸のある方角へと飛んで行った。

  その影を見送ったオズワルドとニコルは、黒い影が見えなくなるまで広場に立っている。やがて、黒い影は点となり、水平線の先へと消えていった。それを見届けたオズワルドは不安そうな表情を微かに浮かべ、彼の肩をニコルが優しく叩く。

  「あの子達は賢いわ、あまり心配する必要もないわよ」

  ニコルに励まされたオズワルドは苦笑し、視線をニコルに向ける。オズワルドの眼前には15年前と変わらぬニコルの笑顔があり、彼はニコルの身体を抱きしめる。

  オズワルドの抱擁を受け入れたニコルは、彼の背中をリズミカルに叩き、娘達を心配する父親を慰める。

  「…ゼインの魂が暴走する様子は見られませんが…それでも心配ですよ」

  少しだけ声色が明るくなったが、それでもオズワルドは不安そうな口調で話す。ニコルは彼を抱きしめたまま微笑み、穏やかな声で話す。

  「あの白いヤツとギラちゃんは約束を守るわ…たとえ15年が過ぎても、彼らは約束を守る…今はゼイン…エレナを信じましょう」

  ニコルの声を聞いたオズワルドは頷き、彼女の身体を抱きしめる。ニコルの体温と息遣いを肌で感じたオズワルドは、ふと視線を彼女に合わせた。

  「…腰回りの肉が増えましたね…太りました?」

  オズワルドに尋ねられたニコルは笑顔のまま凍りつき、直後に彼のつま先を踵で踏みつけた。

  広場にオズワルドの悲鳴が響いた。

  *

  ワイワイタウンの中心地に近い区画には、いくつもの屋敷が建てられている。そこは貴族の住む区画であり、周囲は護衛の兵士や貴族に雇われた私兵が警備している。

  区間の中でも一際大きな屋敷、その中庭には円卓の一員であり事務方を束ねる牝のヒスイバクフーン、オリビア・ヘルマンの姿がある。穏やかな風が吹き込む中庭は花で満たされており、風に乗り運ばれてくる花の香りはオリビアに心地よさを与える。

  オリビアは侍女の淹れた紅茶を口に含み、その風味を堪能する。オリビアの眼前にあるテーブルには複数の生菓子が置かれており、オリビアの細い指先がそれらを摘み、口へと運ぶ。

  口内に広がる芳醇な生菓子の香りと味を堪能し、オリビアは微かに目元を緩める。

  穏やかな昼下がりの余暇を楽しむオリビアは、ヘルマン家に仕える執事に目を向ける。執事は中庭の端から歩いてきており、彼の後方には見覚えのある騎士が歩いている。

  オリビアの甥である牡のバクフーン、グレイである。

  円卓の一員である牝のマフォクシー、ヘレンと結婚しヘルマン家からサリバン家へと婿入りしたグレイは子供をもうけており、今では騎士団本部にて参謀を務める手腕の持ち主である。鋭い目つきのグレイは中庭を歩き、執事と共にオリビアの下へと移動する。

  「お久しぶりです、叔母様」

  帯剣したグレイは、それを机上に置きつつ椅子に座る。オリビアも手を振り、彼に応えた。オリビアはグレイに紅茶と生菓子を勧め、自身はのんぴりとそれらを口に含む。

  「ゼクロム教から頂いた茶葉と菓子です。美味しいですよ」

  オリビアに勧められたグレイはそれらに口をつけ、風味を楽しんでいる。騎士としての礼節を守りつつ、グレイはそれらの味を口内で感じ、「ふむ…」と小さな声を漏らす。

  「素晴らしい味ですね、レシラム教圏ではあまり見た事がない代物ですかね」

  グレイの感想を聞き、オリビアは「えぇ」と呟く。

  「砂の大陸より更に南方の島で採れる茶葉との事です。この菓子は砂の大陸の少数部族からゼクロム教へと伝えられたノウハウで作られた物です」

  「…なるほど」

  オリビアの言葉を聞き、グレイは小さな声で応える。

  (茶葉や菓子でもてなされる程度に、ゼクロム教は周辺の部族と友好を保っている…それらがレシラム教に伝わるという事は、ゼクロム教とレシラム教の窓口である円卓も機能している、か…)

  貴族であるオリビアの言葉の裏から円卓やゼクロム教に関する情報を読み取るグレイは、それらを喉の奥に流し込み、後味を楽しんでいる。グレイの反応を見たオリビアは目を細め、静かな声で話しかける。

  「気に入ったのなら土産に持って行っても良いですよ、騎士団の皆も喜ぶでしょうね」

  グレイはオリビアの言葉を聞き、頷いた。

  「そうですね…部下や同期に振る舞っても良いですし、司令官会議のお茶請けにも良いかもしれませんね」

  オリビアはグレイの返事を聞き、目を細める。

  (騎士団の中でも部下や同期と交流は取れている…風味が劣化しやすい生菓子をお茶請けに出すという事は…数日以内に司令官会議が開かれるという事…)

  オリビアもまた、グレイの言葉から騎士団の内情を探り、それらを紅茶と共に喉の奥に流し込む。オリビアは僅かに笑みを浮かべ、別の生菓子をグレイに勧める。

  「疲れているでしょう…甘い物は疲労を癒しますよ」

  生菓子が載る小皿を受け取ったグレイは礼を述べ、それを口に運ぶ。口内に広がる甘い香りと味を感じ、グレイの頬は緩む。

  「これは最高の味ですね…ヘレンとテスにも食べさせたいですね」

  「それなら…別に土産を用意させますね」

  グレイの言葉を聞き、彼の妻であるヘレンと娘である牝のテールナー、テスのために土産を用意させるべく、オリビアは執事に声をかける。それを聞いたグレイは「ありがとうございます」と応え、お辞儀をした。

  「最近は忙しく、妻と娘の顔を見れていませんので…機嫌取りにもなりますよ」

  グレイの言葉を聞いたオリビアはにこりと笑みを浮かべ、執事が運んできた土産の箱を彼に手渡した。オリビアは笑みを浮かべたまま、微かに目を細める。

  (グレイは本部の参謀…参謀が家族に会えないほど忙しい…数日内に開かれる各大陸の騎士団を束ねる司令官達の会議…何か起きましたかね)

  グレイの言動からそれらを読み取ったオリビアは、優雅な振る舞いで紅茶を口に運び、それの風味を楽しむ。グレイもまた、紅茶の味と香りを楽しみつつ、生菓子に手をつける。

  オリビアが口を開いた。

  「そういえば…副団長のガロン殿が殿下を鍛えていると聞きましたが、上達していますか?」

  オリビアに尋ねられたグレイは頷き、口を開く。

  「ガロン殿曰く、『まだ未熟な面はあり荒削りではあるが、飲み込みが早く将来が期待できる』との事です。剣技の天才とも言えるガロン殿の評価なら、信用できるかと…」

  グレイの返事を聞いたオリビアは「なるほど」と呟き、目を細める。

  (副団長のガロン殿が、現状でも訓練教官を続けられている…各地の司令官クラスで対応可能な事案という事ですね…強盗や盗賊か…)

  無言で考えるオリビアはグレイに悟られる前に笑みを浮かべ、口を開く。

  「近々、私の塾も授業を再開します。その際には殿下とお付きのカルム君…他に新たな学生も受け入れますので、実技面での授業を依頼すると思います」

  「お任せください、ガロン殿か団長か…難しい場合は私が対応しますので」

  グレイの言葉を聞いたオリビアは微笑む。

  (団長と副団長が『学生の授業』に対処できる程度の忙しさ…だが参謀は家族に会う時間がなく、司令官クラスを集める会議を開く…強盗団以上のレベルですかね)

  オリビアは騎士団の近況について理解し、笑みを浮かべる。グレイもまた、紅茶と生菓子の味を堪能しつつ、時計に目をやり、席から立ち上がる。

  「そろそろ会議の時間ですので、失礼します。後日、妻と娘を連れて、改めてお邪魔させていただきます」

  グレイの話を聞き、オリビアは笑顔で手を振る。グレイはお辞儀をし、執事に連れられて中庭を後にする。彼はそのまま屋敷の外へと歩み出て、通りを歩く。

  街の通りには老若男女問わず、様々な住民や旅人の姿がある。それらを見渡しグレイはオリビアの顔を脳裏に思い出しつつ、独り言を漏らした。

  「…さて、叔母様には伝わったかな」

  レシラム教騎士団の参謀であるグレイにとって、円卓の一員である叔母のオリビアは、身内であり身内ではない存在である。血族としては身内であるが、騎士団参謀であるグレイは騎士団の立場があり、円卓の一員で外交面を仕切るオリビアには彼女の立場がある。互いに立場が違う以上、安易な情報交換は第三者に要らぬ誤解を与えるため、グレイとオリビアは一見すると穏やかな言葉の裏に意図を隠しつつ、お茶会などで互いの近況を伝え合っていた。

  レシラム教騎士団が喫緊の課題を有している事を伝えられたグレイは、同時に円卓が外交の窓としていまだに機能している事を把握できた。これはレシラム教の外交能力はまだ機能しており、国家間や部族間の争いになる前に円卓が仲介できる可能性がある事を意味している。

  「…円卓に仲介する力があるならば…これ以上、新たな国や部族が敵になる可能性は低いという事…」

  対外的な不安が抑制された以上、参謀であるグレイは騎士団の抱える喫緊の課題に集中できる。その事を把握できたグレイは、通りを歩き抜け、騎士団の本部へと移動した。

  本部内には訓練中の騎士や見習い兵士達、事務員などの姿があり、中にはゼクロム教徒の姿もある。互いの技術を高めるために共に訓練し、交流試合が行われている訓練場を尻目に、グレイは本部内の通路を歩く。

  先ほど、ノアから得た情報について思案するグレイの背中に、子供の声が届いた。

  「パパ‼︎」

  グレイの脚が止まり、振り向いた先には妻のヘレンと牝のテールナー、娘のテスの姿がある。通路を駆けてきたテスはグレイの腹に抱きつき、嬉しそうに目を細める。

  「やっと会えた‼︎ルドルフさんから、ここに来れば会えると聞いたよ‼︎」

  仕事が多忙でなかなか会えない父親の顔を見れた事により、テスは満面の笑みを浮かべる。彼女の後方から歩いてきたヘレンもまた、グレイに向かって微笑みかけ、落ち着いた声で話しかける。

  「お疲れ様です。お仕事はまだ終わりそうにないですか?」

  ヘレンに尋ねられたグレイは「あぁ」と応え、頷いた。グレイはテスの頭を撫でつつ、ヘレンに目を向け、口を開いた。

  「この後も会議があるから…その後にオリビア叔母様から頂いた生菓子を一緒に食べようか」

  グレイの提案を聞き、テスは「やったぁ‼︎」と嬉しそうな声をあげる。ヘレンもくすくすと笑い、グレイの手を握り、話しかける。

  「それじゃあ…アキ様がテラスで殿下とナツちゃんに体操を教えているから、会議の間はテスと一緒にテラスにいますね」

  牝のゼラオラ、アキと彼女の子供であるロアと妹のナツの名前を口に出し、ヘレンはテラスを指差す。テラスにはアキと白いゼラオラ、ロアの姿があり、その横には通常色よりやや赤みがかった体毛を持つ牝のゼラオラ、ナツの姿もある。父親であるルドルフ譲りの赤毛が特徴のナツは、アキやロアと共に柔軟体操をしている。

  その光景を見たグレイは苦笑いを浮かべ、「わかった」と返す。

  「…次期教皇と国母がテラスで柔軟体操をする、か…平和な証拠だな」

  グレイは苦笑いを浮かべつつ呟き、ヘレンは同じように苦笑する。彼らがアキ達を見ている間、テスは彼女達の下に駆け寄り、共に柔軟体操に励んでいる。

  (オズボーン様の時代にはあり得ない光景だな…)

  グレイは15年前に殺害された前教皇の時代を思い出し、遠くを見上げる。権力と金と牝を好むオズボーンは民衆を利用できる駒として考えており、選民思想が強い傾向にあった。故にレシラムの眷属たる円卓の面々やレシラム教信者が優遇される方針を取り、評判は好ましくなかった。

  しかし、次期教皇となるロアは母親であるアキと養父であるルドルフの教育もあり、柔軟な思考かつ他者を平等に扱う人格者として成長しつつある。ロアやアキの纏う雰囲気が柔らかい事もあり、レシラム教内部の張り詰めた空気も解れつつある。

  その事を肌で感じたグレイは壁から下げられた時計の針を一瞥し、隣に立つヘレンに小声で話しかける。

  「そろそろ会議の時間だから、また後で…」

  グレイの声を聞いたヘレンは頷き、彼とキスを交わす。妻の突然の行動にグレイは目を丸くさせるが、彼もまたヘレンとキスを交わし、会議室へと入っていく。仲睦まじげな夫婦の光景を見た部下達が囃し立てるように声をあげるが、グレイは涼しい表情のまま、「仕事に戻りなさい」と命じ、会議室の扉を閉める。

  会議室内にはグレイの呼び出しに応え、駆けつけた騎士団の司令官達の姿があり、彼らの顔を見渡したグレイは室内の椅子に座る。最高指揮官である団長ルドルフと副団長ガロンの下に位置する司令官達は、個々人の優れた剣技や戦術、組織人として纏められる能力を有している。そんな彼らを見渡した参謀グレイは、口を開き、労いの言葉を口に出す。

  「皆、緊急の呼び出しに応えてくれてありがとう…今日は喫緊の課題について話し合いたいと思う」

  グレイの言葉を聞いた3人の司令官達は首を振り、彼に応える。

  「これくらいは大丈夫ですよ。優秀な部下のおかげで、今のところは平和を保てていますので新兵を扱くしか役割が無いのでね」

  冗談を交えながら話すのは、草の大陸の司令官を務める牡のコジョンド、モローである。15年前は遊撃隊副隊長であったモローは、着実に功績を積み、今では草の大陸の治安を守る優秀な司令官となっている。

  「若い者は良いですなぁ…私は移動するだけで疲弊しましたよ」

  笑いながら話す牡のラグラージ、ゼクロム教自警団の元団長にして、砂の大陸の現司令官を務めるロクスは痛む肩や腰に手を当てつつ、苦笑いを浮かべている。

  「団長もそろそろ還暦ですからね…あまり無理はしないでくださいよ」

  

  ロクスの様子を見た風の大陸の司令官、牡のレントラーのランプは笑いながら話す。15年前は円卓の一員として迎え入れられたランプであったが、同じ円卓の一員であるハルと結婚した。彼もまた、子供を儲けたことにより、夫婦が共に円卓の席を占めるのは権力の集中化に繋がるため、騎士団の司令官として風の大陸へ妻子と共に引越し、新たな職務に従事している。

  いずれも15年前の暴動とディアルガ教との戦いを経験した猛者ばかりであり、各地の騎士団を纏めている。もっとも、15年前の戦いにより、霧の大陸の騎士団は壊滅し、未だに復興できずにいる。

  グレイは彼らの顔を見渡し、口を開く。

  「皆も覚えていると思うが…我々は15年前にディアルガ教と戦った…奇しくも私と同種族のカウフマン、そしてヴィレムが敵方に通じている事もあり…凄惨な物となったが…」

  グレイの言葉を聞いたモローとランプ、ロクスは黙り込む。特に霧の大陸やキールリンクの前線で戦ったモロー、ラムルタウン防衛線を戦ったランプとロクスはそれぞれの光景を思い出し、顔を微かに曇らせる。

  彼らの反応を見たグレイは続けて口を開く。

  「各地の戦いの爪痕は復興しつつあるが、いまだに霧の大陸の教会と駐屯地は復興できずにいる…我々が被った損害の大きさがどれ程だったのか…」

  グレイは悔しそうな表情で話し、握り拳を作る。15年前の戦いではゴウカザルのヴィレムとバクフーンのカウフマンが敵方に通じており、バクフーン種であるグレイや同種族達にも疑いの目が向けられた。時間経過と共にそれは薄れてきたが、当時の雪辱を思い出したグレイは歯軋りし、拳に力を入れる。

  年下の参謀の怒る姿を見たモローは、穏やかな声で話しかける。

  「過去は変えられない…ならば現在とこれから先に目を向けるべきです。話を続けてください」

  モローの言葉を耳にしたグレイは「すみません」と言い、少し慌てた様子で手元の資料に目を向け、口を開いた。

  「…本題に入ります。実は…各地の部隊や住民、旅人達の情報や目撃談を参謀本部では統合解析しています」

  グレイの話を聞いたモローとランプ、ロクスは頷く。各地の司令官を務める彼らの下にも、様々な情報が集まるため、グレイの話は何ら不思議な事はない。

  グレイは説明を続ける。

  「そして…いくつもの情報を分析した結果、騎士団の駐屯地から外れた地域でディアルガ教徒が活動している事を把握しました」

  グレイの話しの続きを聞いたモロー達は目を見開いた。モローは驚きの顔を浮かべ、ランプは目を細め、ロクスは「なに?」と小さな声で呟く。

  「…そのような情報は騎士団も把握できていないぞ」

  ロクスの呟きを聞いたモローとランプは頷き、グレイに目を向ける。グレイも硬い表情で頷き、手元の資料に目を向ける。

  「これらの情報は各地で活動する慈善事業や医療班が現地の住民や旅人から得た物を、参謀本部で収集した物です。同じような情報が全ての大陸の複数地点で確認され、更に慈善事業や医療班のスタッフが直接見た情報も含まれるため、確度の高いものと考えます」

  「…現地の住民が参謀本部を欺くために同時に情報戦を仕掛けてきた…というのはあり得ないな」

  ランプが呟き、グレイの話す情報の確度の高さを再認識する。モローとロクスも頷き、視線をグレイに向ける。

  「ディアルガ教徒達の具体的な目的は判明していますか?」

  モローに尋ねられたグレイは首を左右に振り、静かな声で応える。

  「そこまでは把握できておらず…あくまでも各地で少数のディアルガ教徒が活動している事しか把握できていません。本来ならば団長にも同席していただきたいですが、円卓の仕事の関係もあり、現状は報告のみで済ませています」

  「…つまり、我々で各地のディアルガ教徒の動きを探るという事か」

  ランプの呟きを聞いたグレイは頷き、口を開く。

  「あくまでもディアルガ教徒の穏健派が動き出した段階であり、具体的な実害は出ていません。また予防の段階なので、偵察程度の活動しかできませんが…」

  グレイの話を聞いたモロー達は頷いた。

  「ちなみに、団長殿の命令なのか?」

  ロクスに尋ねられたグレイは首を左右に振る。

  「団長には報告済みですが、『あくまでも同じ宗教の住民同士の集まりなので、騎士団による軍事介入はできない。しかし住民の生活を手助けするためにも、パトロールが必要になる』との事です」

  「正論ですね」

  グレイの返事を聞いたモローは呟く。ランプとロクスもモローの言葉に同意し、グレイは困り顔で話を続ける。

  「団長の意図は理解できます、公式に偵察命令を発令してしまっては…現状で何もしていない穏健派のディアルガ教徒達に疑いの目を向けている事になる…更に言えば軍事的な圧力を掛けることになる」

  「だからこそ、生活を手助けするためのパトロールか」

  ランプは苦い表情で呟く。

  15年前の戦いはディアルガ教が先に仕掛けてきたため、レシラム教とゼクロム教は『反撃』という形で軍事行動を取ることができた。しかし、今回の場合はディアルガ教は何もしておらず、直接的な偵察命令を発令した場合、レシラム教やゼクロム教が無抵抗のディアルガ教に対して行動を仕掛けた事になる。

  大義名分が存在しない以上、ルドルフは『手助けのためのパトロール』としか命令できない。その事を理解しているグレイやモロー達は、苦い表情を浮かべている。

  やがて、ため息を溢したロクスは口を開く。

  「団長殿の命令の範囲内でパトロールを行うしかない、か…やむを得ないか」

  「えぇ…現場の皆さんにはリスクを負わせる事になりますが、よろしくお願いします」

  ロクスの言葉を聞いたグレイはお辞儀をした。それに彼らは手を振り応え、それぞれの椅子から立ち上がる。

  会議を終えた司令官達は会議室を後にした。

  「…難儀な仕事だ」

  室内に1人残ったグレイは、小さな声で呟き、天井を見上げる。

  *

  カイリューの高速便の座席に座るゼインは、窓から外を眺めている。目に映る島々は凄まじい速さで後方に流れていき、眼下には大海が広がる。荒れた水面には波がたち、その中を大型の船が突き進んでいる。

  「うわぁ…凄い…」

  窓から眼下の船を見たエレナが思わず呟き、驚きの表情を浮かべる。妹の声を聞いたゼインが視線を動かし、大型の船を見る。

  「あれは…噂に聞く新型の蒸気船というヤツね。石炭を燃やし、熱で蒸気を生み出して動力を回すのよ」

  帆船であるヴォセク級やプラハ級とは違い、ここ10年ほどで急成長した化石燃料を使った蒸気機関を採用した新型船は、潮流や海風の影響を受けにくく、大陸間の定期船の実現に一役買っている。蒸気船の船上には航海士や船員、旅客の姿があり、大容量の物資や大人数の移動には蒸気船が採用されている。

  それを見たエレナは驚きの顔を浮かべ、ゼインに声をかける。

  「凄いよね…蒸気を使った発電機も販売されているし、電信機の数も増えたよね…」

  エレナの声を聞き、ゼインは頷く。

  「…そのうち、皆が個人の電信機を持つ時代が来るかもしれないわね」

  ゼインの呟きを聞いたエレナは嬉しそうに尾を振り、眼科の蒸気船を見ている。臆病な性格ではあるが、努力家のエレナはニコルから医療技術や知識を次々と吸収し、オズワルドから格闘技も教わっている。それらを着実に自分の物とするエレナは、知的好奇心がとても強く、新しい技術や知識は宝物のように輝いてみえた。

  妹の姿を見たゼインは目尻を緩め、視線を手元の本に向ける。ゼインの視界の端ではエレナが嬉しそうに窓の外を眺め、驚きの声を漏らしている。

  最愛の妹の姿を見たゼインは穏やかな表情を浮かべ、本に記された文字を読む。

  『ちょっとぉ…エレナちゃんに未来のネタバレはダメだよぉ』

  ゼインの頭蓋内に声が広がる。

  それを意識したゼインは僅かに眉根を寄せ、心の中で返答する。

  (何がネタバレよ、私の中の魂が教えてくるのよ)

  ゼインは指先で本の紙面を捲りつつ、問いかけに応える。声はゼインの頭蓋内に笑い声を響かせ、呑気な口調で話を続ける。

  『ゼインちゃんは知らないと思うけど…ニンゲンの世界ではスマートフォンやタブレット…スマートグラスという便利な品物が開発されているんだよ!新しいゲームも続々とリリースされるから…寝る時間が足りないよ』

  (知っている…オンラインゲームとかいうヤツでしょう)

  ゼインが即答した直後、『あれ?知ってた?』という声が聞こえた。ゼインは微かに頷き、視線を紙面に向けたまま、応える。

  (私の中にある少年の魂が教えてくれたのよ…確かに楽しい物だけど、ゲームばかりで働かないヤツはクズだって言ってたわ)

  『…』

  ゼインの返答を聞いた声は黙り込み、ゼインは微かに笑う。ゼインの笑みを見たエレナは、彼女が読んでいる本の内容が面白いために笑っていると勘違いし、にこにこと笑みを浮かべている。

  ゼインは妹の可愛らしい笑みに視線を送り、続けて本に目を向ける。

  ゼインの物心がついた頃から、彼女の脳内には声が広がっていた。声はゼインの中に存在し、『戯けた口調のゲーム好きなヤツ』『ギラちゃん』『おじいちゃん』の3人の声が交代で話しかけてくる。

  彼らはゼインに話しかけ、時には相談にのり、時には危険な出来事に対する忠告をしたり、時にはアドバイスを与えたりした。

  彼らはゼインに全てを話した。

  自身の中に複数人の魂が宿る事を、ニコルがゼインを妊娠している間に『事故』があり、幾人もの魂がゼインの中に存在する事を、ゼインに話しかける彼らはゼインの敵ではなく、複数人の魂とゼインを仲介するために存在する事を。

  幼いゼインはそれらの話しを聞かされ、育ってきた。故に物心がついた頃には、ゼインは打ち解けた魂達から様々な知識や技術を与えられ、すくすくと成長してきた。また、『事故』の後遺症のためか、ゼインは同世代の子供よりも成長が早く、大人びた性格をしている。

  その反面なのか、ゼインと反対にエレナは子供じみた性格をしており、好奇心が旺盛である。

  ゼインはエレナに聞こえないように溜息をこぼし、脳内の声に話しかける。

  (…アンタらはママを虐めて『おじいちゃん』にお灸を据えられたらしいけど…ママは強いからね、パパもついているから…アンタらの思い通りにはならないわよ)

  ゼインの言葉を聞いた脳内の声は息を呑み、微かな悲鳴を漏らした。脳内の声とニコルの間に何があったか不明であるが、彼らがニコルを怯えている事は明白である。その理由を知らないゼインは、声の反応に嘲笑を浮かべ、視線を手元の本に向ける。

  視線を感じる。

  ゼインが顔を上げ、正面に目を向けた。彼女の向かいの座席に座るエレナは興味深そうな目でゼインの読む本を見ており、彼女の大きな尾と耳が揺れる。エレナの目は疑問の色を帯びており、それに気がついたゼインは紙面をエレナに見せる。

  「読む?」

  エレナは頷き、ゼインの差し出す本を受け取る。だが、それを見たエレナは不思議そうに眉根を寄せ、大きな瞳をゼインに向ける。

  「お姉ちゃん…また古代語の本を読んでいるの?」

  紙面に記されたアルファベットの羅列を見たエレナが尋ねる。その本はニコルやグレーテのようにニンゲンの世界から流れ着いた誰かが残した本であり、内なる魂達から読み書きを教わったゼインはアルファベットで記されたそれを読んでいた。

  同じく、ニコルとオズワルドからアルファベットの読み書きを習っていたエレナもまた、ゼインの持つ本の中身を読む事ができたため、彼女はそれに目を通し、ゼインに声をかける。

  ゼインは苦笑いと共に頷き、口を開く。

  「ニンゲンが使っていた技術の本よ…コイルの側で磁石をくるくると回すと…電気が生まれる仕組みについて書いているわ」

  ゼインの話す電磁誘導に関する書籍は、トレジャータウンの古物商から彼女が格安で入手した。アルファベットを読めない彼らにとって、異世界の文字の本に価値を見出す事はなく、極々一部のアルファベットを読める者がそれを手に入れていた。

  10数年前に開発された蒸気機関による発電機も、このようなニンゲンの世界から流れ着いた本を手に入れた誰かが再現した技術であり、皆がその恩恵を受けていた。

  ゼインはエレナに話しかけるが、彼女は返答せずに本に目を通している。

  「…」

  好奇心の塊とも言えるエレナの目は本に記された文字をなぞり、その内容を続々と脳内へ刻んでいく。電磁誘導と蒸気機関は既に再現されているが、エレナにとっては初めての知識と技術であるため、彼女は黙々と本を読み、知識欲を満たしている。

  妹の姿を見たゼインは口角を微かに緩め、視線を外に向ける。

  ふと、ゼインは指先に違和感を覚えた。

  彼女が視線を向けた先には、本の断面で切れた指先の傷から赤い筋が浮かんでおり、それを見たゼインは指先を口に含む。唾液を貯めた口内に入れた指先の傷から血を舐め取り、ゼインは口から出した。

  ゼインの指先の傷は消えており、完治していた。

  ゼインは指先の傷跡を馴染ませるように撫で、視線を外に向ける。

  ワイワイタウンに到着するのは、まだ時間がかかりそうである。