お茶会

  水の大陸、テンケイ山の麓には雄大な自然が広がり、その中には集落が存在する。豊かな木々に覆われた集落には広大な畑があり、近くの川から水を引き、稲作や小麦を育てている。川には見張り小屋を兼ねた水車小屋があり、その脇には牡のゲッコウガ、タリスの姿がある。村に吹き込むおだやかな風を全身で浴びつつ、タリスは心地良さそうに目を細める。

  タバコを吸いつつ、ナイフを手に持つタリスは採れたてのジャガイモの皮を剥いている。今晩の料理に使うためにも、タリスは手早くジャガイモの皮を剥き、器に注いだ水の中に浸していく。

  時刻は昼前、水車小屋は暖かい日光に照らされており、タリスは全身で日光を浴びつつ、仕事に励む。だが、彼の手の動きは突然止まり、タバコを咥えたタリスは視線を森の方に向ける。

  「姿を見せたらどうだ?」

  タバコの煙を吐き出したタリスは声を上げた。直後、木々が揺れ、その合間から牡のバンギラスが姿を現した。鋭い眼光と全身に刻まれた生傷が目立つバンギラスは、タリスに向かって苦笑いを浮かべ、水車小屋へと歩いてきた。

  「なんだ…気づいていたのなら、もっと早く言ってくれよ」

  牡のバンギラスは太い手脚を動かし、タリスの下へと近づく。バンギラスの体重により振動が広がるが、タリスは慣れた表情でジャガイモの皮を剥き続ける。

  「それで、何の用だ?ウォルシュ」

  牡のバンギラス、ウォルシュは水車小屋の側まで歩み寄り、苦笑いを浮かべた。ウォルシュはタリスの向かいにある椅子に座り、タリスに声をかける。

  「バニラビーンズの事だ」

  ウォルシュはナイフを手に取り、ジャガイモの皮を剥きながら口を動かした。

  「先日、おだやか村から保安官と騎士達がここに来たと小耳に挟んだが、事実か?」

  タリスの作業を手伝いつつ、ウォルシュは尋ねた。問われたタリスは頷き、視線を手元に向けつつ、口を動かす。

  「口では友好的な態度だったが…こちらの状況や出身地、資金力を探ろうとしていたよ。おだやか村の保安官だが…かなりのやり手だな」

  「…バニラビーンズの保管方法について話したのか?」

  ウォルシュに問われたタリスは彼の顔を一瞥し、頷いた。タリスの反応を見たウォルシュはジャガイモの皮を剥きつつ、微かに苦い表情を浮かべる。

  「…バニラビーンズの保管には冷暗所が必要だ…海路は時間がかかり、陸路は振動が生じるから氷で冷やしながら運搬するのは不向きだ」

  「…あの保安官、バニラビーンズの保管期間から輸送距離を計算していたのか」

  ウォルシュの言葉からタリスは自身の失態に気がつき、溜息を漏らした。彼の反応を見たウォルシュは新たなジャガイモを手に取り、タリスに声をかける。

  「まぁ…俺達の集落の位置が特定されたからと言って、今すぐに軍事行動を取るとは思えない…おだやか村の保安官は要注意人物だと判明できただけでも、良しとしよう」

  「…すまない」

  タリスは謝罪するが、ウォルシュは笑顔で手を振る。強面だが、優しい性格のウォルシュは苦笑いを浮かべ、落ち着いた声でタリスに話しかける。

  「相手の方が一枚上手だっただけだ…問題なのは、誰が命令を発令したか、だな」

  ウォルシュの発言を聞き、タリスは頷いた。

  「…保安官と騎士団は命令系統が違う…保安官はあくまでも街や村の治安維持のために、町長や村長が命令を発令する…だが、あの保安官と共に来ていた騎士達は小隊規模だった…」

  タリスの言葉を聞き、ウォルシュはジャガイモの皮を剥きつつ、口を開く。

  「実は…他の集落から得た情報だと、小隊規模の騎士達が同時期に訪れているそうだ…おそらく、駐屯地の判断ではなく、騎士団本部の命令だろうな」

  「…騎士団本部に目をつけられたか…同志達の移動が目立ったか、或いは日用品や医薬品の横流しに気がついたか…」

  タリスは呟き、ナイフを動かし続ける。カゴに残ったジャガイモの数は減り、タリスとウォルシュは次々と皮を剥いていく。

  水車小屋の歯車が回り、粉を引く音が聞こえる。

  その音を聞きながら作業を続けるタリスは、溜息を漏らした。彼の動きを見たウォルシュは手を止め、タリスに目を向ける。

  ウォルシュの視線を感じたタリスは、静かに口を開いた。

  「…15年前のことを覚えているか?」

  タリスに問われたウォルシュは頷き、空を見上げた。ウォルシュの目は遠くを見ており、彼は疲れた表情で呟いた。

  「カウフマンとヴィレムが先導し、ティトレリや過激派がレシラム教とゼクロム教に戦争を仕掛けた…おかげで、穏健派の俺達までも迫害の対象になったよ」

  ウォルシュの話を聞き、タリスは手に力を込める。彼の持つナイフがカタカタと震え出し、それを見たウォルシュはタリスの手からナイフを奪った。

  直後、タリスの喉の奥から声の塊が飛び出した。

  「俺達は戦争をしたい訳ではない‼︎ただ、平和に生きたいだけだ‼︎貿易をして、互いに繁栄し、ニノや子供達のために平和な未来を築きたいだけだ‼︎」

  タリスは力の限り叫び、ウォルシュは閉口したまま聞いている。

  「今の俺達に必要な事はレシラム教やゼクロム教との対話だ…話し合い、戦争を回避する必要がある…」

  「…」

  「…そのためにも、外交部と接触する必要がある…だが、きっかけが…」

  タリスの嘆きを聞いたウォルシュは、力の込められた彼の握り拳がタリス自身の太腿を殴る光景を見て、冷や汗を流した。ウォルシュが事前にナイフを奪っていなかったら、激昂したタリスが誤って自身を刺したかもしれない。

  ウォルシュは背筋に冷たい汗が伝う感覚を抱いたが、務めて冷静な声で彼に話しかける。

  「…きっかけは追々考えよう…今は我々を攻撃できないように一線を引き、取引のカードを整えよう」

  「あぁ…」

  冷静になったタリスは小声で返事し、ウォルシュは安堵の溜息を漏らした。ウォルシュは視線を手元のナイフに向け、口を開いた。

  「…聞いた話だが、ワイワイタウンの港で一斉検挙があったらしいな…何でも、反社会的な組織が逮捕されたとか…」

  「…そうなのか?」

  タリスに問われたウォルシュは頷き、視線を彼に向ける。

  「これも噂だが、大量の銃や医薬品が取引された痕跡があると…そして、銃の製造元は我々の里だ」

  「…」

  「…先に言っておくが、銃の製造や金属加工は俺達の得意技だが…大量生産はまだ不可能だ…」

  そこまで話したウォルシュは溜息を吐き、空を見上げた。ウォルシュの話から要点を理解したタリスは、驚きの表情を浮かべ、彼に問うた。

  「…誰かが、数字を誤魔化している?」

  タリスの呟きを聞き、ウォルシュは頷く。彼の表情は硬く、眉間に皺を寄せたウォルシュは軽い頭痛を覚えていた。

  ウォルシュは口を開き、重たげな口調で話す。

  「…ディアルガ教の同志達は安息の地を求めて移動している…そのためにも我々は日用品や医薬品を横流ししていた…ここまでは事実だ。だが、『大量の銃を製造し、反社会的な組織に納品していた』という誤った情報が追加されたら…客観的に見たら、どう思う?」

  「…再び戦争を仕掛ける準備をしている、と誤解される」

  ウォルシュの話を聞き、タリスは小さな声で呟いた。ウォルシュは頷き、表情を強張らせ、小声で呟いた。

  「外交部と接触する事も重要だが、騎士団と接触し、我々に敵意が無い事を示す必要があるぞ」

  ウォルシュに指摘されたタリスは考え込み、小さな声で呟いた。

  「…過激派の残党か、レシラム教かゼクロム教の過激派が戦争を仕掛けようとしている?」

  タリスの予想を聞いたウォルシュは首を左右に振り、静かな声で応える。

  「それは不明だ…戦争目的のブラフか、或いは人気商品という販促目的なのか…」

  ウォルシュは苦笑いをこぼしつつ、冗談混じりに答えた。だが、彼の目は笑っておらず、鋭い眼差しで手元のナイフを見ている。

  「…どちらにせよ、我々が戦争を仕掛けたがっていると誤解されるのはまずい…」

  ウォルシュの呟きを聞き、タリスも頷く。タリスやウォルシュはディアルガ教の穏健派の村々を束ねる立場であり、軍事のプロではない。村の自警団レベルの武力しか有していない。だが、レシラム教は世界最大の宗教であり国家である。その軍事力が自分達に向けられる恐ろしさを理解できるタリスとウォルシュは、背筋を震わせ、互いの顔を見た。

  タリスは震える口を動かし、ウォルシュに尋ねる。

  「…とりあえず、我々が大量の武器を売ったという誤解を解く事から始めよう…例の倉庫で取引していた連中に関する情報も欲しい」

  タリスに依頼されたウォルシュは、視線を逸らし、戸惑いの顔を浮かべる。彼の反応を見たタリスは不思議そうな顔を浮かべ、ウォルシュに尋ねた。

  「どうした?なにか不都合な点でもあるのか?」

  タリスに問われたウォルシュは逸らしていた視線を戻し、静かな声で話し出した。

  「…裏の世界の情報によると、連中を捕縛したのは騎士団だが、実際に戦ったのは別人らしい」

  ウォルシュの話を聞いたタリスは「別人?」と尋ね、ウォルシュは頷いた。ウォルシュは視線を手元に向け、静かに話し出した。

  「何でも…ペストマスクをつけ、外套を身に纏った者らしいぞ」

  ウォルシュの話を聞いたタリスは口を開き、小さな声で呟いた。

  「ペストマスク…」

  *

  草の大陸、トレジャータウン。

  15年前は暴徒に襲われた街だが、現町長であるプクリンのヘンデルの指揮の下、復興が進み、今では平和な街となっている。街の大通りには役場や孤児院、商店、保安官事務所があり、人通りが一段と多い区画である。

  レシラム教の支援の下、ヨノワールのフランツとヤミラミ達が運営する孤児院と面するカフェには、幾人かの影がある。

  テラスの椅子に座っている牡のルカリオ、保安官のオズワルドと牝のゾロアーク、町医者のニコルの夫婦は午後のお茶を楽しみつつ、共に座る影と談笑している。

  「それで、最近の調子はどうだ?」

  影、牡のジュカインのカフカはオズワルドとニコルに問い、ニコルはオズワルドの腕に抱き付き、笑顔で応える。

  「ご覧の通り、ラブラブよ。夜の方も忙しいわね」

  かつての相棒であるニコルの言葉を聞き、カフカは呆れ顔でオズワルドを見た。カフカに見つめられたオズワルドは照れくさそうに後頭部を掻き、彼らの仲睦まじい姿を見たカフカは溜息をこぼした。

  「俺とエミルはギルドの運営で忙しいのに…羨ましい身分だな」

  町長となったヘンデルの後を継ぎ、プクリンのギルドのまとめ役となったカフカと補佐の牝のセレビィ、エミルは多忙な日々を過ごしていた。今日のお茶会にもエミルは参加の予定だったが、急な仕事が舞い込み、カフカのみの出席となった。

  ニコルは相棒の愚痴を聞き、苦笑いを浮かべる。

  「リースちゃんも大きくなったから、ある程度の自由な時間はあるでしょう」

  カフカとエミルの娘、牝のジュプトルの名前を呼んだニコルは、紅茶を飲みながらクッキーに手を伸ばす。オズワルドもニコルの差し出したクッキーに齧り付き、視線をカフカに向ける。

  「忙しさを理由に妻を放置してはいけませんよ。私もニコルを満足させるように、日々努力に励んでいますよ」

  オズワルドの突然の惚気発言を聞き、カフカは目を丸くさせた。話題の渦中であるニコルは顔を赤め、恥ずかしそうに口を開く。

  「そうなのよ…オズワルドは夜も立派でね…もう、昂りが止まらないのよ」

  生々しい話を始めるニコルを見たカフカは溜息をこぼし、「止めてくれ」と応えた。

  カフカは疲れた顔で息を吐き、視線をオズワルドとニコルに向ける。

  「ゼインちゃんとエレナちゃんがワイワイタウンに居るからといって…まさか3人目を仕込むつもりなのか?」

  カフカに問われたニコルは考え込み、オズワルドの腕に抱き付きながら笑みを浮かべる。

  「それも悪くないわね…オズワルドに孕ませてもらわないと、ね…」

  ニコルはオズワルドの耳元で囁き、オズワルドは擽ったそうに目を細める。カフカは彼らの姿を見て溜息をこぼし、コーヒーの入ったカップに口をつける。

  カフカの視界の端に孤児院が映り込む。

  そこにはお茶会に参加予定だったフランツの姿があるが、レシラム教医療班や慈善事業との話し合いがあり、エミルと同じく本日は欠席している。フランツは牝のアローラキュウコンの職員と共に孤児院の庭先を歩いており、子供達に声をかけている。

  その光景を横目で見たカフカは、口内に広がる苦味を飲み干し、声を抑えながらオズワルド達に話しかける。

  「話は変わるが…ディアルガ教徒達の移動と新たな集落の形成が各地で確認されている…オズワルドも保安官として聞いているか?」

  カフカに問われたオズワルドは頷き、声を抑えながら応える。

  「…各地の街の保安官事務所から同様の報告があります。ギルドの方でも把握していますね」

  オズワルドの返事を聞いたカフカは頷き、ニコルは若干の不安げな表情を浮かべる。

  「でも…ディアルガ教の過激派は壊滅状態でしょう?ヴィレムやカウフマンは死亡し、知識を与えたグレーテも死んだ…それなのにディアルガ教徒達は動き出したの?」

  ニコルの脳裏に、ゼインの実の父親であり、自身を誘拐し、陵辱の後に孕ませたヴィレムの顔が過ぎる。それを掻き消すかのように、ニコルは首を左右に振り、オズワルドは優しくニコルの肩を抱き締める。

  オズワルドは優しい声でニコルに語りかける。

  「現状、確認されているディアルガ教徒達は穏健派です。過激派の教徒達は騎士団が常に監視していますが、そちらの方はほぼ無力で動きもないとの事です」

  オズワルドの言葉を聞き、ニコルは安堵の表情を浮かべる。ヴィレムに調教されたニコルは、その快楽を忘れられずにいたが、オズワルドと交わる事でヴィレムの記憶を消していた。

  ニコルの心の奥に残るトラウマを垣間見たカフカは苦い表情を浮かべ、申し訳なさを内心に抱きつつも、話を続ける。

  「…先日、水の大陸から戻ったモローと飲んだが…相変わらず口が硬いヤツだったよ」

  ふと、カフカはオズワルド達と友人であり、親交のある牡のコジョンド、モローの名前を出した。草の大陸における騎士団の司令官を務めるモローは、時の守護者達により滅ぼされた霧の大陸の騎士団の生き残りである牝のアブソル、アリスを保護し、後に結婚した。今では子を儲けている。

  友人の名前を聞いたオズワルドとニコルは視線をカフカに向け、不思議そうな表情を浮かべる。彼らの反応を見たカフカは辺りを見回し、静かな声で応える。

  「…出張などがあり、多少忙しいが…酒を飲める時間はあるとの事だ」

  司令官クラスの人物の仕事の状況を垣間見たオズワルドとニコルは、カフカを通じてモローの意図を理解した。

  喫緊の課題はあるが酒は飲める、言い換えれば『多少の問題はあるが急を要するものではない』という事だ。騎士団の司令官として守秘義務のあるモローの口は硬いが、友人達に状況を伝える柔軟な思考は持ち合わせている。

  モローの意図を理解したオズワルドとニコルは安堵の溜息をこぼし、紅茶に手をつけた。

  乾いた口内を潤したニコルは、視線をカフカに向け、口を開く。

  「なら…ある程度の平和な状況を保っている訳ね…」

  ニコルに尋ねられたカフカは頷き、コーヒーの入ったカップに手を伸ばす。カフカは口内に含んだコーヒーを飲み干し、静かな声で話す。

  「ただ、気になる話題もある…これはギルド間での共有程度の代物だが…」

  カフカはそこまで話し、いったん閉口する。彼は視線をオズワルドに向け、カフカの意図を理解したオズワルドは頷いた。

  オズワルドは口を開き、周りに聞こえぬように声を抑えながら話した。

  「…ペストマスク、ですね」

  オズワルドの一言を聞き、ニコルは首を傾げる。保安官事務所の間でも情報共有しているオズワルドの言葉を聞き、カフカは頷いた。

  「…先日の事だ、ワイワイタウンに拠点を置く集団が港で捕縛されたが、そこで大量の銃を購入した可能性が浮上した」

  カフカの話を聞き、ニコルは驚いた顔をみせた。だが、保安官としてある程度の情報を得ているオズワルドは、冷静な表情のまま、カフカの話の続きを待つ。

  カフカはコーヒーを飲み、口を開いた。

  「取引の内容も問題だが、1番気になる事は…連中を討伐したのはペストマスクをつけた者らしい」

  「…ペストが広がっているという情報は…無いわね」

  カフカの話を聞き、町医者のニコルはポツリと呟いた。ニコルの一言を聞き、カフカは苦笑いを浮かべつつ、言葉を返した。

  「まだ詳細は不明だが…取引現場の内外にいた連中を1人で討伐したらしい…凄腕の戦闘員との事だが…」

  「…1人で戦える戦闘員…探検家か騎士団か、或いは傭兵か…」

  オズワルドは呟き、考え込む。カフカは首肯し応えた。

  「それは何とも言えないが…噂だと小型のハンマーを使った素早い近接戦闘や軽やかな体術が特徴らしい…騎士団だと槍や剣を使うから、傭兵の類かもしれないな」

  カフカの意見を聞き、オズワルドは低い声で唸る。ニコルも首を傾げ、彼らの話を聞いていた。夫婦の反応を見たカフカは軽やかに笑い、明るい声で話した。

  「まぁ、この場で考えても答えは出ないからな…追加で情報があれば、伝えるよ」

  カフカはコーヒーを飲み干し、軽く伸びをした。オズワルドとニコルも紅茶を飲み干し、会計をすべく店員に声をかけようとした。

  ふと、オズワルドの視界に見慣れた牝の姿が映り込む。

  保安官事務所から姿を現した保安官補佐のダイケンキ、サイフォンは辺りを見渡し、カフェに居るオズワルドと目が合った。彼女は慌てた様子でオズワルドの下へと移動し、手にした紙を彼に差し出した。

  「…火急の電信です」

  サイフォンは小声で言い、紙をオズワルドに手渡した。ニコルとカフカは疑問の顔を浮かべ、オズワルドは紙面に目を通す。そこに記された文章を読んだオズワルドの表情は凍りつき、眼球のみをニコルに向ける。

  オズワルドの反応を見たニコルは怪訝そうな表情を浮かべ、オズワルドが差し出した紙面を受け取り、それに目を通した。続けてニコルの表情も凍りつき、彼らの反応を見ていたカフカは首を傾げた。

  「おい、どうした…?」

  小声で尋ねてくるカフカに対して、ニコルは紙を差し出した。それに目を通したカフカは目を見開き、小さな声で呟いた。

  「…実技授業で誤って押し倒されたゼインちゃんを助けようとしたエレナちゃんが…皇太子を投げ飛ばした?」

  2人の両親であるオズワルドとニコルの顔は青ざめ、カフカも顔を引き攣らせた。彼らの反応を見たサイフォンは戸惑いつつ、弱々しい声で尋ねた。

  「えと…私は仕事に戻りますね」

  サイフォンはそそくさと退室し、残るオズワルド達は顔を強張らせたまま、紙を見ていた。やがて、思考が纏まったニコルが口を開き、重たげな口調で話した。

  「…ヘレンに仲介を頼みましょう」

  ニコルの一言を聞き、オズワルドとカフカは頷いた。心地良いはずのカフェには重たげな空気が広がり、彼らは肩を竦めた。

  *

  水の大陸、ワイワイタウンにあるレシラム教の教会。

  教会内にはレシラム教における最高の意思決定機関である円卓があり、円卓の一員であり摂政を務める牝のエースバーン、エリースと円卓の一員である牡のラウドボーン、ルールと牝のマフォクシー、ヘレンの姿がある。

  白い礼服を身に纏うエリースは疲れた表情をしており、額に手を当てている。エリースの隣に座るヘレンは項垂れており、2人の反応を見たルールは困り顔で口を開く。

  「…極めて稀有な事例ですが、後始末はどうしますかね」

  部下から報告を受けたルールは疲れた顔でエリースとヘレンに目を向ける。エリースは溜息をこぼし、ヘレンは青ざめた顔で頭を抱えている。

  エリース達が受けた報告、それは上級学校の実技授業にて皇太子であるロアが同級生を誤って押し倒してしまい、別の牝の学生に放り投げられてしまったという報告である。これが無名の学生ならば当人達の問題で片付けられたが、ロアは次期教皇となる皇太子という立場であるため、彼の名誉を無碍にする事を看過できずにいる。

  かといって、当人である同級生は押し倒された被害者であるため、ロアの身代わりとして、彼女らを処分し問題解決を図る事もできない。幸いにも目撃者は従者のカルムと教官のガロン、学生のテスのみであり、他の者達には見られていない。

  状況の報告を受けたエリースは疲れた顔でルールに目を向け、口を開く。

  「…対処に困るからと言って、無かった事にはできません…押し倒された被害者が居り、かつ殿下を投げ飛ばした学生もいる…彼女らの非を問う事はできません」

  「しかし…謹慎などの処分を殿下に下すというのですか?」

  ルールに問われたエリースは閉口する。

  騎士団の訓練の一環でロアを厳しく扱う事はあるが、これは訓練でありロアの名誉を傷つけるものではない。むしろ、懸命に訓練に励む姿は、周囲の者に好印象を与える。

  だが、今回は誤って牝の同級生を押し倒してしまったという不名誉な状況にあり、同級生に非は無い。故に処分を与える対象はロアとなるが、彼の名誉を傷つける恐れがあり、摂政エリースや円卓の一員であるヘレンやルールは困惑していた。

  疲れた顔のヘレンは紅茶に手を伸ばし、乾いた口内に流し込む。喉を潤したヘレンはエリースとルールに目を向け、口を開いた。

  「…被害に合ったゼインちゃんと放り投げたエレナちゃんは、幸いな事に私の友人の子供です。両親には私の方から弁解できますし、私とオリビア様が姉妹を世話していますので、フォローや仲介もできます」

  ヘレンは話し、続けて口を開く。

  「問題は殿下に対する処分をどうするか…指導教官であるガロン殿の処分をどうするか、ですね」

  ヘレンの言葉を聞き、ガロンの夫であるルールは口を開いた。

  「…ガロンの性格を考えても、問題を無かった事にしたとして…自分自身の過ちを許す事はないと思います。生真面目な武人ですので…」

  妻の性格を把握しているルールは溜息を溢し、焼き菓子に手を伸ばす。彼の言葉を聞いたエリースとヘレンは頷き、困り顔で溜息を溢した。

  エリースは疲れた顔でヘレンに目を向け、静かに尋ねた。

  「…団長とアキ様の反応はどうですか?」

  友人に尋ねられたヘレンは紅茶を飲み、口を開いた。

  「…かなり立腹しているわ」

  ヘレンの一言を聞き、エリースは「ですよね」と呟き、頭を抱えた。エリースも子供が居り、子が危ない目に遭ったと知った場合、親が不安と恐怖と怒りの感情を抱く事を理解できた。故にエリースはロアの身を案じて怒るルドルフとアキの姿を想像し、身震いした。

  友人の姿を見たヘレンは小さく笑い、首を左右に振った。

  「先に言っておくと、団長とアキ様は殿下に対してお怒りよ」

  ヘレンの言葉を聞いたエリースとルールは目を丸くさせた。2人の反応を見たヘレンは苦笑いを浮かべ、口を開く。

  「団長は『年下の牝に投げ飛ばされるとは、訓練が足りない』とお怒りになり、アキ様は『付き合ってもいない牝の胸を揉むとは何事だ』と怒っているわ…ちなみにナツちゃんも『あたしの友達の胸を揉むとは最低な行為』と殿下に対してお怒りよ」

  ヘレンの報告を聞き、エリースとルールは乾いた笑いを溢した。ロアの保護者であるルドルフとアキがゼインとエレナではなく、我が子に対して怒りを抱いている事は、ヘレンにとっても幸いである。ゼインとエレナを処分する必要がなく、姉妹と友人夫婦の身の安全を確保できる。

  だが、同時に別の問題も浮上している。

  「…殿下に対して団長とアキ様がお怒りになっているのなら、尚更無かった事にはできませんね」

  事態の沈静化のためにはロアとガロンに対する処分が必要になる。だが、ロアは皇太子であり次期教皇となる立場にあり、ガロンは名のある武人でありルールの妻である。

  ルールは妻に対する処分を円卓の一員として決める必要があり、彼は非常に苦い表情を浮かべている。事態の解決のためにはロアとガロンに処分を下す必要があるが、処分を下せば『皇太子が同級生の胸を揉んだ』という非常に不名誉な事態を円卓が公認する事になる。かと言って、無かった事にするにも、ルドルフやアキがロアに対して憤怒しており、またガロンも武人として自身の処分を希求するため、不可能な事である。

  「…姉妹をフォローし、殿下の名誉を守る且つ団長とアキ様、ガロン殿が納得する答えが必要ですね」

  非常に難しい問題解決を求められているエリースは溜息を溢し、天井を見上げた。エリースの脳裏に夫であるレオンと子供達の姿が過り、今すぐに帰宅したい願望に駆られる。しかし、摂政として身分のある者達の問題を解決する必要があり、エリースは軽い頭痛を覚えた。

  エリースは視線をヘレンに向け、尋ねた。

  「オリビア様の反応はどうですか?」

  友人に尋ねられたヘレンは夫の叔母の顔を脳裏に浮かべつつ、苦笑いと共に応えた。

  「…報告したら、大笑いしていたわ」

  ヘレンの言葉を聞いたエリースとルールの目が見開き、僅かに表情が緩んだ。ベテランの外交官であり、高位貴族であるオリビアが大笑いしたという事は、最悪を回避する術があり、オリビアはそれを把握している事を意味する。

  彼女の反応から解決策がある事を理解し、エリースとルール、ヘレンは考え込む。時計の針が進み、秒針が数回転した頃、ヘレンがぽつりと呟いた。

  「…全ての両立は無理よね、どこかで妥協点を見つけないといけないわ」

  ヘレンの言葉を聞いたルールは頷き、唸り声を漏らした。

  「…妻と息子が当事者の私としても、何とか穏便に済ませたいですよ」

  何気ない言葉を漏らしたルールは天井を見上げ、疲れた表情を浮かべる。

  直後、彼の言葉を聞いたエリースは目を見開き、小声で呟いた。

  「…そうです、穏便に済ませば良いのですよ」

  エリースの言葉を聞いたヘレンとルールは彼女の顔を見返し、不思議そうな表情を浮かべる。彼らの顔を見たエリースは口を開き、静かに話し出す。

  「…殿下にリードしていただき、姉妹と仲良くしてもらいましょう…つまり、デートです」

  突然のエリースの一言を聞き、ヘレンとルールは眉根を寄せた。2人の反応を見たエリースは口を開き、説明を続ける。

  「…報告によると、姉妹は殿下に対してキックと投げ技で即座に報復しています…緊急時でもある程度の意思表明はできるという事です」

  「…」

  「なので…殿下から姉妹をお誘いいただき、リードしデートする事で…殿方から誘うという意味で姉妹の顔を立てます。もちろん、断られる可能性はありますが、そこは殿下の力量に期待しましょう」

  エリースの話を聞き、ヘレンは閉口する。

  「アキ様は『姉妹に無礼を働いた』事に対してお怒りです。ナツちゃんは『友達に酷い事をした』と怒っています…姉妹の顔を立てる事でこれらを回避します」

  「…しかし、ガロンに対する処分はどうします?」

  ルールに尋ねられたエリースは静かな声で話を続ける。

  「…今回、ガロン殿の落ち度があるならば…トラブルを予防できなかったという点にあります。トラブル…ゼインちゃんを恥ずかしい目に遭わせたという点を補填するとしたら、殿下と距離を置くか…殿下がゼインちゃんの顔を立てるか…」

  「…」

  「しかし、報告によると後の授業ではゼインちゃんが殿下から距離を置いているという報告はありません…ですので、ゼインちゃんの顔を立てる事により、ガロン殿の落ち度の埋め合わせができると思います」

  エリースの意見を聞き、ヘレンとルールは溜息を溢す。ヘレンはこめかみに指を当て、ルールは天井を見上げた。

  やがて、ルールが口を開き、小声で話し出した。

  「…殿下には騎士団の訓練を受けてもらい、団長の指摘する点を解消する、か…」

  「ゼインちゃんとエレナちゃんに対するフォローは私とオリビア様ならできるわ…両親に対する説明も私がします。ですが…」

  ルールに続き、ヘレンは話すが語尾を濁らせた。ヘレンの言葉を聞き、エリースとルールは視線をヘレンに向ける。

  ヘレンは困り顔で口を開き、2人に話す。

  「…殿下1人で姉妹の相手をするのですか?」

  ヘレンに指摘されたエリースは苦い表情を浮かべる。姉妹の顔を立てる以上、ロアが1人でリードする訳にもいかず、エリースは困り顔を浮かべた。

  だが、ルールは明るい表情のまま、口を開いた。

  「…そこはカルムにフォローさせます。状況を把握している同年代の牡、かつ殿下のフォローができるのは、カルムのみです」

  ルールの提案を聞き、エリースとヘレンは安堵の溜息を溢す。姉妹の顔を立てつつ、ロアの名誉を守る方針が決まり、彼らは肩の力を抜いた。

  時計の針は何回転もしていた。