鹿の森

  「ヘルト様。ローンの支払いが遅れています」

  街に着いて、とりあえず冒険者ギルドに入ったのは立ち寄ったヘルトだったが、受付嬢から開口一番、ローンの支払いを催促されてしまった。

  「あー、そうだっけ? そうは言っても、貯金もないしなあ……」

  ヘルトは冒険者になる際に、装備を揃えるため、ギルドから借金をしたのだ。剣や鎧というものは高価で、冒険者になるときにギルドでローンを組んで、ギルドから装備を買う者が多い。

  だが、ギルドのローンは金利が高く、冒険者は返済に困窮することも多々あった。ヘルトもその一例だ。

  「そんなヘルト様に高額報酬の依頼がありますよ。ただ、少々危険かもしれませんが……」

  多少危険でもローンの返済のこともあり、ヘルトは受付嬢の話を聞いてみることにした。

  「この街から少し離れたところに魔の森と呼ばれるところがあるんですが、最近その森では人が行方不明になってしまうんですよ。ギルドから調査員を送っても、その者も行方不明になってしまって。ヘルトさんにも調査に行ってほしいんです」

  「うーん」

  ヘルトは依頼を受けるか悩む。調査員が行方不明になるような森に行くのは危険だ。

  「やめとこうよ。危なそうだし」

  ヘルトの隣にいた回復役であるの女僧侶のルサが口を挟む。ルサはヘルトの幼なじみで共に旅をしている。

  ヘルトはちらりとルサを横目で見た。輝くような金色の髪が白い僧侶服にかかって、映えている。

  「そうだよなあ。高額報酬ってことはそれだけ危険ってことだもんな」

  「では、滞っているローンの返済を早急にお願いします。これ以上滞納するようでは、奴隷堕ちもありますよ」

  受付嬢はヘルトは睨む。

  ローンが返済できない場合は奴隷に堕とされてしまう。そういう契約になっている。

  「うっ、わかりました……その依頼、受けましょう」

  「ヘルト!」

  ルサがヘルトの脇腹を叩いて続けた。

  「絶対その依頼、危ないよ。他のにしようよ」

  「かといって、これ以上ローンを滞納すると奴隷堕ちしそうだし。ここで大きく稼いどかないと」

  「それはそうだけど……」

  「大丈夫だって。危なそうなら、戻ってくればいいし」

  結局、ヘルトはルサの反対を押し切って、依頼を受注した。

  魔の森は街から一つ山を超えたところにある何の変哲もない森だった。

  ヘルトたちの他にもう一組の調査員が追加で派遣され、先に魔の森を調べているという。

  鬱蒼と生い茂る木々で暗くなった地面を、ヘルトとルサは進んでいく。

  魔物が出てきてもいいように、ヘルトは全身に金属でできた鎧を着て、腰には剣を下げている。ルサは回復魔法の効果を向上させる術式が編み込まれている僧侶服を着ていて、いずれもギルドから借りたローンで購入したものだ。

  「何というか、平和な森だな」

  ヘルトがぽつりと呟いた。

  森に入ってから、ヘルトとたちを襲ってくるような魔物には一匹も出会っていないのだ。

  「そうだね……。調査員が行方不明になるような森とは思えないね」

  ルサは辺りを見回した。

  ヘルトもつられて付近に目を配るが、木々が立ち並んでいるだけだ。

  「これで何もないまま調査が終われば、高額報酬も貰えるし、美味しい依頼なんだけどな」

  「あっ、あれ!」

  ルサが木々の向こうを指差した。

  ヘルトは警戒して、鞘から剣を引き抜く。

  「なんだ、ルサ!? 魔物か!?」

  「そうじゃないけど、あれ、鎧じゃない? 剣もあるよ」

  ルサが指差した先の地面には、金属製の鎧や剣が落ちていた。

  近づいてみると、鎧や剣の他には破れた服や杖が散乱している。行方不明になった冒険者の物だろう。魔物にやられたのだろうか。

  ヘルトは周囲を警戒するが、今のところ魔物の気配はない。

  遺留物を調べていたルサが首を傾げる。

  「おかしい……」

  ヘルトも遺留物を観察してみるが、鎧も剣も汎用品でヘルトと同型のものだ。ギルドで販売している定番の商品で、目立った破損もないし、特におかしなところは見当たらない。

  「何が気になるんだ?」

  「綺麗すぎるんだよ。魔物に襲われたのなら、血がついてたり、壊れてたりするはずでしょ? そういった様子も無いのに、装備だけがこんなところに放置されてるなんて」

  「そう言われれば妙だな。一応、記録しておくか」

  ヘルトは持っていた魔導具のスイッチを押すと、カシャという音と共に付近の状況が画像として記録された。この魔導具に記録されたデータをギルドに提出すると、調査をした証拠になるのだ。

  その時、茂みがガサガサと揺れ、獣のようなものが飛び出してきた。

  「敵か!?」

  ヘルトは剣を構える。

  茂みから現れたのは二匹の鹿だった。

  「なんだ、鹿か」

  鹿はヘルトたちに気付いても、逃げることなく、むしろヘルトたちに近付いて、匂いを嗅いでくる。

  ルサは鹿に匂いを嗅がれて、笑い声を上げた。

  「やだ、くすぐったい……!」

  「なんだ、こいつら。やけに人懐っこいな」

  ヘルトは鹿の鼻がやたらと湿っているのが嫌で、腕を振って、鹿を追い払う。

  鹿たちはヘルトたちに興味を失ったのか、木々の向こうへと軽やかに走り去っていった。

  ルサはそうだ、と言って手を打つ。

  「追いかけてみない? 人懐っこいということは、この森に人間が住んでるのかも」

  「なるほど。ありえるな。行ってみよう」

  ヘルトたちは鹿が走り去った方へ進んでいく。

  森が開けると、丈の低い草が一面に生えた草原が広がっていた。そこにはたくさんの鹿がのんびりと草を[[rb:食 > は]]んでいる。背の低い草しか生えていないのは、伸びた草は鹿が食べてしまうからだろう。

  ヘルトは魔導具で鹿の群れの様子を撮影した。

  「やっぱり、人が行方不明になるような森とは思えないな」

  「そうだね。絵に描いたように平和な森って感じ」

  山から涼しい風が吹いてきて、ルサの金髪をゆっくりとなびかせた。

  

  

  ヘルトたちはそれからも魔の森を捜索した。所々に鎧やら服やらが打ち捨てられているのを見つけたが、人間と出会うことはなかった。鹿は森の至るところにいて、いずれも人馴れしているようだ。

  調査は二日目に突入したが、魔の森で人が行方不明になる理由は全くわからずにいる。

  「うーん、意外と魔の森は広いな」

  ヘルトは重い鎧を着て歩き続けているので、すっかり疲れてしまった。

  地図によると魔の森と呼ばれる地域は大きな都市ほどの広さがあり、探索するのは通り抜けるだけとは違って、かなりの距離を移動する必要がある。

  「これは長丁場になりそうだね。持ってきた食べ物だけじゃ足りなさそう」

  ルサは持っていた鞄を覗き込んで、食料の残量を確認し始めた。

  「森だし、食べられるものくらいあるだろう。お、あれはどうだ?」

  ヘルトは鹿が黄色の果物をかじっているのを見つけた。林檎にも似たその果物は、よく見れば他にも地面に落ちている。

  ヘルトが果実を拾い上げるのを見て、ルサは眉をひそめる。

  「それ、食べても大丈夫? そんな果物見たことないけど」

  「鹿が食べてるぐらいだし、大丈夫だろ」

  ヘルトがはちきれんばかりの果肉にかじりつくと、勢いよく汁がほとばしる。

  芳醇な甘みが口の中に広がり、ヘルトは目を見開いた。

  「美味い! これ、めちゃくちゃ美味いぞ!」

  ヘルトは貪るように果実へかぶりつく。

  その様子を見て、ルサも興味を持ったのか、地面に落ちている果実を拾って、慎重にかじる。

  「本当だ! あま~い!」

  ルサは顔をほころばせる。

  二人して、夢中で果物を食べていると、いつの間にかに二匹の鹿がヘルトたちに近付いていた。鹿はルサの服を咥えて、ぐいぐいと引っ張る。

  「えっ、ちょっと! 何?」

  ルサは抵抗するが、鹿は執拗にルサから離れない。

  その様子を見て、ヘルトは勘付いた。

  「もしかして、俺たちをどこかに誘導しようとしてるのか?」

  鹿はコクコクと首を縦に振る。

  「えっ、人間の言葉がわかるの?」

  ルサは口に手を当てて、驚いている様子だ。確かに随分と賢い鹿だ。

  「とりあえず、行ってみよう。魔の森に関する手がかりが得られるかもしれない」

  ヘルトは鹿の後を追う。

  「ちょっと、置いてかないでよ!」

  とルサも遅れて、ヘルトの背中についてくる。

  鹿は歩みの遅いヘルトたちを待つように、立ち止まっては先に進むことを繰り返す。

  鹿の後を追っているうちに、周りの木々は徐々に密度を増していく。枝は絡まるように伸びて、日光を遮っている。おまけに霧も出てきて、見通しが悪くなってきた。

  薄暗い森の中、ルサは地図を見ながら、首を傾げる。

  「あれ、こんな場所、地図にないよ。歩いてきた地形と全然合わない」

  「ますます怪しいな。ん? あれは?」

  この森では既に見慣れてしまったが、ヘルトが見つけたのはまたしても鎧や裂けた服だった。

  無造作に地面に転がっているそれらに触れると、まだ温もりが残っている。

  「温かい! さっきまでこの鎧と服を誰かが着てたんだ!」

  「でも、その人たちはどこに行っちゃったんだろう。もしかして――」

  ルサは急に口元を押さえた。ゴポッという音がルサの喉から鳴り、うずくまる。

  「どうした!?」

  ヘルトはルサに起こった突然の異変に驚いたが、ヘルトにも急な吐き気がこみ上げてくる。

  「うっ!」

  腹に力が入り、酸っぱい胃液と共に先程食べた果物が口の中に戻ってくる。

  ヘルトは口の中でドロドロに溶けて果物を無意識に何度も[[rb:咀嚼 > そしゃく]]していた。しばらくそうした後、ゴクンと再び胃液と果物の混合物を飲み込む。

  「ううっ……あれ、俺は何をしてるんだ……?」

  どうして、口の中に戻ってきたドロドロの果物をわざわざ咀嚼して飲み込んでしまったんだろう。吐いてしまえば良かったのに。

  自分のした行動に疑問を覚えるヘルトだったが、ふと自分の手を見ると、中指と薬指が大きくなっていて、親指が失くなっていた。人差指と小指は残っているものの、短くなり、中指と薬指の付け根の隣に小さく鎮座している。指先の爪は、大きな黒い[[rb:蹄 > ひづめ]]へと変化していた。さらに手の甲には茶色の毛がぎっしりと生えている。

  「なんだこれ!? まさかルサも!?」

  ヘルトがルサを見ると、ルサにも同様の変化が起こっていた。ルサはさらに口元が伸びてマズルが形成されている。鼻先は湿っているようで、まるで鹿のようだ。

  [uploadedimage:15660755]

  「ヘルト……これ、どうなってるの……!?」

  ルサは鹿のものとなった手でマズルを押さえて、泣きそうな目でヘルトを見上げる。

  「わからない……。鹿になりつつあるみたいだ……」

  「鹿……? そうか、じゃあさっきの吐き気は反芻してたんだ……」

  「とりあえず、森を出よう。ここは危険だ」

  ヘルトはルサの手を取ろうとしたが、手が鹿のものとなっているので、上手く掴めなかった。

  「プゥーー!」「ピィーー!」

  突然に、奇怪な音が辺りに響き渡った。

  その音が鹿たちの鳴き声であることに気づくまで、ヘルトには数瞬かかった。

  「やだ、何!?」

  ルサがヘルトに身体を寄せる。

  ヘルトはルサを落ち着かせようとしたが、霧の向こうから大きな影が近付いてくるのが見えて、息を呑んだ。

  霧の中から現れたのは巨大な鹿だった。他の鹿の倍以上の大きさがある。

  頭からは大きな角が二本生えていて、木の枝のように頭上に広がっている。その角にはヘルトたちが食べた黄色の果物がいくつも[[rb:実 > みの]]っていた。

  ルサは鹿のものとなった手で、巨大な鹿を指差す。

  「あの果物……鹿の角に[[rb:実 > みの]]って……! まさか、あの実を食べたから、私たちは鹿になりつつあるんじゃ!?」

  そういえば、果物が落ちていた付近には実のなる木が無かった。ヘルトたちが食べた果物は鹿の角から落ちたものだったのだ。

  「人の子らよ。我らの仲間になるのだ」

  獣の唸り声のような低い声が辺りに響き渡った。声は鹿の口から発せられている。

  あの巨大な鹿は普通の鹿ではない。モンスター化した特殊な鹿だろう。

  巨大な鹿はさらにヘルトたちを誘う。

  「人の世は世知辛い。我らの仲間になれば、平和に暮らすことができる」

  「別に人間でも困ってないんでね! 結構だ!」

  ヘルトは声を張り上げる。

  鹿はじっとヘルトを見つめた。

  「果たして、そうかな? その鎧や剣はギルドで買ったものだろう? ローンを組んで買ったのではないか?」

  「それはそうだが……。なぜ、そのことを知っている!?」

  「この森に来る冒険者という者はだいたいそうだ。ギルドというものは冒険者にローンを組ませ、高価な装備を売りつける。[[rb:斡旋 > あっせん]]している武器屋からは仲介料を取り、冒険者からは金利を取る。ギルドだけはではない。人間の社会というものは一部の者が大多数の者を搾取することで成り立っている」

  鹿はやけに饒舌だった。

  だが、鹿の話を聞いていると、ヘルトは確かにその通りだという気持ちになってきた。

  「我ら、鹿の群れではそのようなことはない。皆が平等に平和に暮らしている。我の角の果実をさらに食べ、完全な鹿となるのだ」

  ヘルトたちは巨鹿のほうへとゆっくり歩き出した。目は虚ろで、ゾンビのようだ。

  巨鹿はいつの間にか、ヘルトたちに催眠をかけていたのだ。

  人間の世界で搾取されるなら、鹿になったほうが良いという暗示をかけられ、ヘルトたちは巨鹿の角へと手を伸ばす。

  巨鹿は頭を下に向け、果実を手の届く高さへと下げてくれた。

  果実を黙々と食すヘルトたち。だが、いくつか果実を食べたところで、二人は正気に戻った。

  「はっ、俺は何を……!」

  ヘルトは手から果実を取り落とす。

  「あああ……っ!」

  悲鳴を上げながら、ルサの身体の形が変わっていく。

  靴が脱げて、蹄のついた足が現れる。脚は茶色の獣毛で覆われていて、骨格が変わったのか、四足で立ち始めた。

  「ヘ、ヘルトォ……!」

  ルサが助けを求めるように、四つん這いでヘルトににじり寄ってくる。

  だが、ヘルトにはどうすることもできない。

  ルサの耳は大きく、尖っていき、エルフのような耳となる。それが上方へ移動していき、鹿の耳に。

  両目も離れ、黒目がちになり、白目がほとんど失くなってしまう。

  僧侶服が破れ、獣毛に覆われた胴体が姿を現した。

  「ああっ! ルサ!!」

  ヘルトは最早、ルサの名を呼んで、絶望することしかできない。

  雌鹿と化してしまったルサは、

  「ギィー」

  と鹿の鳴き声を上げる。人語も話せなくなってしまったらしい。

  ヘルトも頭が痛みだし、蹄の付いた手で頭頂部に触れると、突起のようなものが生え始めていた。突起はみるみる成長し、ずっしりと重い大きな鹿の角となる。

  骨が音を立てて骨格が変わり、立っていられなくなったヘルトは地面に這いつくばった。

  鎧が身体に合わなくなり、ヘルトは鎧を脱ぎ捨てる。

  みるみるうちにヘルトも鹿となり、地面には鎧とルサの破れた服が転がっていた。森に落ちていた他の鎧や服も、こうやって放棄されたのだろう。

  鹿となったヘルトはやけにムラムラしていた。後ろ足の間からはピンク色の細長いペニスが屹立している。

  ヘルトの目の前にはルサの尻があり、ルサの尻尾の付け根を嗅ぐと、発情の匂いがした。

  これ幸いと、ヘルトはルサの背中に前脚をかけて、腰を振り始めた。

  もはや、ヘルトは自身が人間だったいうことも、ほとんど覚えていなかった。かすかに残っている人間としての自我は、腰を振って性的に興奮していくほどに霞んでいった。

  膣肉はじっとりと濡れている。きっと、ルサもヘルトと交尾をしたいのだろう。

  ヘルトの細長い肉棒はトロトロの[[rb:襞 > ひだ]]に絡め取られ、たまらず膣内にスペルマを放つ。

  ヘルトとルサの交尾を見守っていた巨鹿は、

  「それで良い。世知辛い人の世を捨て、我らと共に生きよう」

  と言い残し、霧の中に消えていった。

  交尾を終えたヘルトは自分が人間であったことを完全に忘れ、鹿となったルサや他の鹿と一緒にその場を去っていった。

  「ギルドが言うには、魔の森に入った冒険者は行方不明になっちゃうんだって。この前も調査に入った冒険者がいなくなったって」

  「こんな平和な森なのに? 本当かよ?」

  ギルドから依頼を受け、魔の森に男女ペアの冒険者が新たにやってきていた。

  「あ、鹿だよ!」

  女は二匹の鹿を見つける。鹿は地面に落ちた黄色の果実を[[rb:齧 > かじ]]っている。

  その鹿が元冒険者であることを彼女は知らない。そして、彼女らの未来の姿であることも、知らないのだ。