新たな命

  集落から少し離れた森の中を、穏やかな風が吹き抜ける。風は森の木々の合間を通過し、草木を揺らす。森の中心の丘には一軒家が建てられており、風は家の側にある大きな木に吹きつけ、葉が舞い落ちる。

  風に吹かれた葉が空を舞い、家に続く細道の上へと落ちる。

  細道には目に見えない細さの紐が張られており、葉は紐に当たり、真っ二つに切断された。紐は家に続く細道や家の周りにも張られており、日光が当たる事で微かに輝いている。キラキラと輝く光の線が家の周りに広がり、初見では気づく事ができない代物である。

  家の中の一室、寝室にあるベッドの上で目を覚ました牝のバシャーモ、リラは重たげな瞼を開き、大きく伸びをした。彼女は身体を起こし、室内を見渡す。

  ベットサイドに置かれているベビーベッドの中にエリスの姿はなく、隣室のリビングから赤子の声が微かに聞こえる。寝室内にはライラの姿もないため、リラは起き上がり、ライラとエリスが居るであろうリビングへと移動する。

  「ライラ?エリス?」

  リラが2人の名前を呼びつつ、扉を開けた。リビングの中にあるソファにはエリスを腕に抱いたライラが座っており、彼は肩越しに振り向いた。ライラを見たリラは満面の笑みを浮かべ、彼の下へと歩み寄る。

  ライラが「おはよう」と話す前に、リラはライラに近づき、彼の唇と自身の唇を重ねる。突然のリラの行動にライラは目を丸くさせるが、リラはお構いなしにライラの口内に舌を捻じ入れ、ライラの舌と自身の舌を絡める。

  ライラの腕の中で眠るエリスの呻き声が聞こえるが、リラはライラの舌を舐めながら、彼の口内に唾液を流し込む。

  リビングに湿った音が広がり、やがてリラはライラから口を離した。呆然とした表情のライラはリラを見上げているが、リラは薄く笑い、ライラの耳元で囁く。

  「ねぇ…昂っているのよ…昨日の続きをお願い」

  「えぇ、それは構いませんが…まずは朝食にしましょう」

  甘い声でリラは囁き、代わりに団長の声が聞こえた。リラが視線を向けた先には、寝室から死角になる部分に座っている団長の姿があり、コーヒーの入ったカップに口をつけている。

  団長の姿を見たリラは悲鳴をあげそうになるが、ライラがリラの口を手で塞いだ。

  「静かに…エリスが起きるよ」

  ライラに指摘されたリラは悲鳴を抑え、呼吸し心を落ち着かせた。ライラはゆっくりと手を離し、リラは驚愕の視線を団長に向ける。

  「…何でこの場所がわかったんですか」

  リラに尋ねられた団長は愉快そうに笑い声を漏らし、視線を窓の外に向ける。そこには森の木々が広がり、合間にはリラとライラが仕掛けたトラップが存在している。

  「簡単な話です。あなた達の性格を考えれば、集落から離れた目立たない場所で、エリスちゃんの成長のためにも自然が多い場所…しかし逃走経路を確保するために港に繋がる街道がほどよく近い場所を選ぶでしょう。あとは私が教えたトラップや偵察、脱出のコツを取り入れるでしょうから…周囲を見渡せる且つ侵入者を阻む場所…森の中の丘を選びますよね。丘ならば地下トンネルを掘り、別の場所に避難経路も事前に確保できますからね」

  「…お得意のスタイリッシュな調査、ですか」

  ライラに指摘された団長は頷き、リラは呆れ顔でため息をこぼす。リラが寝ている間に遊びに来た団長は、「お土産です」と言い、ライラに差し出した。

  「ワイワイタウンのデスカーンの店のお菓子です」

  お土産を受け取ったライラは礼を述べ、それをテーブルの上に置く。ライラの腕の中で眠るエリスは穏やかな表情を浮かべ、寝息を立てている。その姿を見下ろした団長は優しい眼差しをエリスに向け、続けて恥ずかしそうに顔を赤めるリラを見た。

  「それにしても…仲良しさんですねぇ」

  団長はコーヒーを飲みながらリラの腹部に目を向ける。リラの腹は大きく膨らんでおり、ライラの子を孕んでいる。団長に指摘されたリラは恥ずかしそうに俯くが、やがて顔をあげ、団長に向かって口を開いた。

  「えぇ、ライラと私はラブラブですよ。お腹の子の父親はライラですよ」

  堂々と宣告するリラの姿を見た団長はくすくすと笑い、嬉しそうに目を細める。団長はライラの腕の中で眠るエリスの頭を撫で、穏やかな声で話す。

  「なら…エリスちゃんはお姉ちゃんになりますね。赤ちゃんをしっかりと守ってくださいね」

  団長は微笑みながらエリスの頭を撫でる。ライラは穏やかな目でエリスを見つめるが、リラは不服そうな顔で団長に話す。

  「先に言っておきますけど、子供は最低5人は産むつもりですから…団長もお小遣いをあげてくださいよ」

  リラの要求を受け、団長は「もちろんですよ」と返し

  微笑んだ。対するライラはリラの言葉を聞き、顔を微かに引き攣らさる。

  「…5人?」

  ライラが静かな声で尋ねるが、リラは笑顔で頷く。

  「エリスとお腹の子がいるから…最低、あと3人だな…頼んだよ、パパ」

  リラはエリスと自身の腹を撫でながら笑みをみせる。ライラは引き攣った笑みのまま、コーヒーの入ったカップに口をつける。団長もカップを手に取り、それに口をつける。

  「あぁ…でも昨晩のライラの調子なら…あと2人は産めそうだな…腹の子が産まれたら、またよろしくね」

  リラの言葉を聞いたライラの口からコーヒーが吹き出し、ライラは激しく咽せ込む。団長はライラの吹き出したコーヒーを避けつつ、タオルを彼に手渡し、視線をリラに向ける。

  「おやおや、ほんとうに仲良しさんですね…」

  団長は朗らかな口調で話すが、リラは「当たり前です」と強めな口調で応える。

  「せっかく若く健康な身体で生まれ変わったんですよ、産める内にライラの子供を身籠り、産むつもりです」

  リラの宣告を聞いたライラは顔を青くさせ、団長は「あらら」と呟く。団長はライラの腕からエリスを受け取り、彼女をあやしながらソファから立ち上がる。

  「…そういえば、朝食がまだでしたね」

  団長は小声で呟く。団長の言葉を聞いたリラはライラの顔に視線を向け、舌舐めずりする。

  肉食のリラに凝視されたライラは身体を縮こまらせて、ネズミのようにちいさくなった。一方のリラは獲物を見つけた猛禽類のように目を細め、団長に声をかける。

  「団長、エリスの子守を1時間ほどお願いできますか?」

  だが、団長は首を左右に振り、静かに応える。

  「次の予定もありますので、1時間は厳しいですね…30分なら可能です」

  「50分」

  「40分では?」

  「…45分‼︎」

  団長の返答を聞いたリラが更なる提案をし、それに団長は更なる提案で応える。そして、リラの提案を受けた団長は少し考え、首を縦に振った。

  「良いでしょう、45分だけですよ。私はその後に出発しますので」

  団長はエリスを腕に抱えたまま、玄関に続く扉に手をかけ、ゆっくりと歩いていく。団長は肩越しにリビングを振りかえるが、ソファに座ったライラの懇願する眼差しが見えた。

  だが、団長は唇を動かし、「がんばれ」とライラに伝え、廊下に出た。直後、飢えた肉食のリラがライラを押し倒し、大きな腹を抱えたまま、ライラに跨る。

  ライラを見下ろすリラの目は、飢えた猛禽類のようである。

  団長は静かに扉を閉め、エリスに声をかける。

  「さてと、パパとママが朝食の準備をしている間、エリスちゃんは私とお散歩しましょうか。スタイリッシュなお話をたくさん聞かせてあげますよ」

  団長の声を聞いたエリスは目を開け、嬉しそうな笑い声をあげる。リビングに続く扉越しにライラとリラの声、そして湿った音が聞こえたが、団長は涼しい表情のまま、外へと歩いて行った。

  *

  目が開いた。

  見慣れた狭い寝室の中には、所狭しと研究資料やパソコンが置かれており、床には脱ぎ捨てられた衣服が落ちている。昨晩も寝ずに研究に没頭していた⚪︎⚪︎⚪︎は重たい身体を起こし、室内を見渡す。

  「…」

  長い夢を見ていた気がする。

  多くの者が死に、苦しみと暴力に晒される夢を。

  痛む頭に手を当てつつ、⚪︎⚪︎⚪︎は身体を起こす。つけっぱなしのテレビの画面が薄暗い室内を微かに照らし、画面上には原稿を読むキャスターの姿が映る。

  見覚えのある光景、見覚えのあるテレビの映像、見覚えのあるニュースのトピック。

  それらを見た⚪︎⚪︎⚪︎は重たい身体を動かし、寝室の扉に手をかける。

  鍵が外され、扉がゆっくりと開く。

  天井に設けられた蛍光灯の光が狭い廊下を照らしており、廊下には誰かの革靴で歩く音が響いている。鼻につく薬品の臭いが鼻に届き、⚪︎⚪︎⚪︎は辺りを見渡す。

  見慣れた光景と嗅ぎ慣れた臭いが、⚪︎⚪︎⚪︎の記憶を思い出させる。

  (そうだ…ここは研究室…)

  ⚪︎⚪︎⚪︎の目が左手首に巻かれた腕時計の文字盤に向く。文字盤に刻まれた日付と時刻は、⚪︎⚪︎⚪︎が開発した新薬を被験者に投与する前日を指している。廊下を歩く研究員達の顔も見慣れた者ばかりであり、誰もが翌日に控えた臨床試験に向けて、忙しなく準備に励んでいる。

  その中で⚪︎⚪︎⚪︎は呆然とした表情で寝室の入り口に立ち、辺りを見ている。

  (…あれは、夢?)

  脳裏を過ぎる数々の生々しい記憶、現実とは信じられない出来事の連続に⚪︎⚪︎⚪︎は戸惑いを隠せない。だが、横から向けられる視線を感じ、⚪︎⚪︎⚪︎は動かす。

  廊下の奥には見慣れたルカリオの姿がある。

  彼の隣には白衣を着た女性の姿があり、⚪︎⚪︎⚪︎を見て微笑んでいる。

  (あぁ…)

  彼らの姿を見た⚪︎⚪︎⚪︎は口から息を吐き出した。重たい空気の塊は空に溶け込み、⚪︎⚪︎⚪︎は記憶の奥底から最後に見た光景を思い出す。

  自身が白いポケモンに願った事を。

  (そうだ…私の願いは…)

  ⚪︎⚪︎⚪︎の視界は白く染まる。

  やがて、視界から白い靄が消え去り、ニコルは意識を取り戻した。

  大きく開いた壁の穴からは外気が吹き込み、空間内を換気している。穴には窓枠が設置されているが、一部は先日の嵐により破壊されており、修理する必要がある。

  修理に必要な木材と工具はオズワルドが確保しに行っているため、ニコルはサメハダ岩の中にある住居で待っていた。

  オズボーン殺害による暴動の余波はトレジャータウンにも広がり、ニコルやオズワルド達の診療所は焼かれ、破壊された。住む所を失ったニコルだったが、この世界へ飛ばされた際にガルーラから紹介されたサメハダ岩の住居が無事に残されていたため、現在はそちらに住処を移している。

  ヘレンが円卓へ復帰したため、サメハダ岩の住居にはニコルとオズワルド、ニコルが産んだ牝の色違いのゾロアが住んでいる。

  ニコルの子、ゼインはニコルの腕の中で穏やかな寝息をたてており、その頭を優しく撫でたニコルは慈愛に満ちた笑みで見つめる。

  数ヶ月前、キールリンクにて保護されたニコルは産まれたばかりのゼインと共にレシラム教の騎士団に保護され、高速便を使い医療施設へと搬送された。ゼインを取り上げたオズワルドとカフカも同行し、キールリンクの後始末はフランツとエミル、騎士団に委託した。

  医療施設へと搬送されたニコルとゼインは適切な処置を受け、一月ほど入院した。

  その間にトレジャータウンの復興は進み、焼け落ちた診療所に代わり、医療班が野外病院を設立した。当初はニコルも手伝おうとしたが、ゼインを産んだばかりという事もあり、しばらくは休業する事になった。

  オズワルドが木材と工具を確保しに外出しているため、ニコルはゼインにお乳を与えつつ、子守唄を歌っていた。窓から吹き込む風がニコルとゼインを包み込み、ニコルは心地良さそうに目を細める。

  ゼインの寝息が微かに聞こえ、ニコルが視線を向ける。

  穏やかな寝顔のゼインはニコルの乳房から口を離しており、ゼインを抱き上げたニコルは背中を軽く叩く。ゼインがげっぷをする音が聞こえ、ニコルはゼインの小さな身体を揺籠へと寝かせる。

  扉が開く音が聞こえる。

  ニコルが視線を向けた先には外出から戻ったオズワルドの姿があり、彼は入手した木材や工具をテーブル上に並べ、穏やかな声で話す。

  「やはり…まだ復興作業で使うので、木材や工具は手に入れにくいですね…カフカ達の方も大変でしょうね」

  オズワルドは手に持つカップを椅子に座るニコルへと差し出す。中はトレジャータウンの喫茶店で扱っている木苺のジュースで満たされており、それを受け取ったニコルは「ありがとう」と言った。

  ニコルの反応を見たオズワルドは微笑み、揺籠で眠るゼインに目を向ける。

  「…窓の修理は、ゼインちゃんが起きてからにしますね」

  オズワルドはそう話し、ニコルの隣にある椅子に腰かける。オズワルドとニコルは木苺のジュースに口をつけ、そのあまみと酸味に顔を緩める。

  窓から穏やかな海風が吹き込む。

  それを全身で浴びるオズワルドは目を細め、小さな溜息をこぼす。

  トレジャータウンの港でカフカとフランツに再会したオズワルドは、失われた記憶を全て思い出した。人間だった頃の⚪︎⚪︎⚪︎や×××と過ごした研究所の記憶、⚪︎⚪︎⚪︎が逮捕された後の記憶、未来の世界へ転生した後の記憶、そして過去の世界へ時渡りした際の記憶、それらを思い出したオズワルドは、死亡したグレーテを記憶に残しつつ、ニコルとゼインを支える事を選んだ。

  ヴィレムにオモチャにされ、陵辱され傷ついたニコルを支え、彼女の子供であるゼインを守り、支える事を。

  傷心のニコルと懸命に彼女を支えるオズワルドは、気がつくと肉体関係を構築しており、2人は名実共に夫婦と言えた。

  (…数奇な人生ね)

  内心、笑みをこぼしたニコルは小さな声を漏らした。それに気がついたオズワルドが視線をニコルに向けるが、ニコルは穏やかな笑みで「なんでもないよ」と返し、寝ているゼインの頭を撫でた。

  ニコルはオズワルドの視線を感じた。

  彼女が顔を向けた先には不審そうな表情のオズワルドが座っており、彼は戸惑うような声色でニコルに尋ねる。

  「…以前から気になっていたんですが…なぜグレーテ、いや×××はカルマンという医者に変幻してまで、ペストの治療法を模索し、抗菌薬や抗生剤を大量生産したんでしょうか?」

  「…」

  オズワルドに尋ねられたニコルは黙り込む。

  「グレーテは怨みを抱き、憎悪に燃えていた…それなのに多くの命を救う行動を取っていたことが…矛盾していますよね」

  不思議そうな声でオズワルドは呟く。それを聞いたニコルは少し考え込み、寝ているゼインの頭を撫でる。

  窓から穏やかな海風が室内へ吹き込み、彼らを包んだ。

  やがて、考えが纏まったニコルは静かな声で話し出す。

  「…おそらくだけど、あのカルマンという面はグレーテの中にある×××の良心だった思うのよ」

  「…×××の良心?」

  オズワルドは不思議そうな声で呟き、ニコルは頷く。彼女の目はゼインを捉えており、見守るような優しい瞳でゼインを見つめる。

  「×××とオズワルドが事故死した時、車のルーフが潰れたのよね?」

  オズワルドは頷く。

  「…なら、事故の衝撃でオズワルドが記憶を無くしたように…×××もルーフと共に頭を潰された…この時に人格が破壊され、×××はグレーテになった…」

  ニコルは静かな声で話す。オズワルドは黙ったまま、ニコルの話を聞いている。

  「でも、あの子も元は研究者…命を救う事が本分なのよ…嫉妬に苦しみ、データ改竄したとはいえね」

  「…」

  「だからこそ、あの子はグレーテとなった後も、研究者としてペストの治療法を広めようとした…ノウハウは人間だった頃に学んでいたから、尚更ね。そして…それるは薬で大量の命を奪った事に対する良心の呵責だと思うのよ」

  「それが…カルマンという人格ですか」

  オズワルドの反応に対して、ニコルは頷いて応える。ニコルは壊れた窓枠から外を眺め、虚ろな眼差しで水平線を見つめる。

  「…あの子は昔から不器用で泣き虫で…どうしようもないバカな子だったわ…」

  人間だった頃の記憶を思い出し、ニコルは目を細める。そんな彼女を見たオズワルドは、ニコルの頭を撫でる。

  無言で撫でてくるオズワルドを見たニコルは驚きの表情をみせるが、すぐに破顔した。ニコルはオズワルドの手を取り、自身の頬に当てる。

  不安そうなオズワルドを見つめるニコルは、大きな瞳を潤わせ、穏やかな声で話す。

  「大丈夫…あの子の事は忘れない…でも、私は前を見て生きていくよ」

  ニコルは微笑み、オズワルドは安堵の溜息をこぼす。ニコルはオズワルドの手を握ったまま、彼の手を引っ張り、自身の下腹部に触れさせる。

  「オズワルドとゼインと…この子と共に生きていくよ」

  ニコルの言葉と行動からオズワルドは目を見開いた。

  穏やかな海風がニコル達を包み込んだ。

  *

  白い空間に置かれた卓袱台、それに向かって腰かけている白いポケモンとギラちゃん、牡のアバゴーラの翁は香り豊かな緑茶の味を堪能している。白いポケモンの頬は赤く腫れており、それを見たギラちゃんは恐怖で身体を震わせ、視線を翁へ向ける。

  翁は涼しい表情のまま、緑茶と茶菓子の味を楽しみ、穏やかな表情で卓袱台の上に置かれたタブレットの画面に目を向ける。

  「これがたぶれっとという物か…人間は凄い物を作るものだな」

  

  タブレットの画面に表示されるニコルとオズワルドの姿を見た翁は、画面を操作する。大きな画面の表示が変わり、続けて疲れ果てたライラとご機嫌な表情のリラが映る。

  リラの腹の膨らみに気がついた翁は嬉しそうに目を細め、茶菓子を食べる。

  「…ほう、ワシも曾祖父さんになるのか」

  翁は嬉しそうな声で呟き、それを耳にしたギラちゃんは画面を操作する。ギラちゃんもまた、ライラとリラの様子を目の当たりにして、嬉しそうに目を細める。

  「やはり…あの時、彼らの魂を救って正解だったな」

  ギラちゃんの言葉を聞いた翁は頷き、茶菓子と緑茶を口へ入れる。ギラちゃんと白いポケモンも翁がご機嫌になった事に安堵し、彼らも緑茶と茶菓子の味を楽しむ。

  ふと、ギラちゃんは白いポケモンに目を向ける。

  「そういえば…あの娘の願いは叶えてあげるのか?」

  ギラちゃんに尋ねられた白いポケモンは唸り声をあげ、めんどくさそうに溜息を漏らす。だが、横から突き刺さる翁の視線に気がつき、咳払いをした。

  「当たり前だろう、あの娘のおかげで星の停止を阻止できたのだから…」

  白いポケモンの語尾は弱々しく、伺うような目を翁へ向ける。白いポケモンの視線に気がついた翁は頷き、白いポケモンの背中を押す。

  「願いを叶えると約束したのなら、守るのは道理だ…なにより、あの娘は自身のために願わなかった…叶えてあげる価値はあると思うぞ」

  翁の言葉に背中を押された白いポケモンは溜息を漏らし、ニコルが口に出した願いの内容を思い出した。

  「…てっきり人間に戻せ、と願うと思ったけどね」

  ニコルの願い、それはヴィレムからゼインへ受け継がれた被験者達の魂と、ゼイン自身の魂が彼女の中で衝突しないように、白いポケモンとギラちゃんが仲介する事であった。

  実在する者同士の仲介なら、ニコルでも可能である。だが、ゼインの中に宿る被験者達の魂とゼイン自身の魂の仲介をする事は、ニコルには不可能であった。そこで白いポケモンとギラちゃんの力を使い、被験者達の魂とゼインの魂の仲を取り繕い、ゼインに影響が出ない事を願った。

  想定外の事を願うニコルの言葉を思い出し、白いポケモンは目を細める。

  「…全く、僕の予想を超えた事を願うとは…これだから人間は面白いよ」

  白いポケモンは緑茶を飲みつつ、呟いた。ギラちゃんも首肯し、新たな玩具を見つけた子供のように目を輝かせる。

  そんな彼らを見た翁は溜息をこぼし、静かな声で話す。

  「…まぁ、あの赤子に罪はない。お主らが被験者達を説得し、あの赤子と共存できるように仲を取り繕ってやれば良かろう」

  翁の言葉を聞いた白いポケモンとギラちゃんは目を細め、ニヤニヤと笑う。

  「…あの親子を生かしておけば、もっと予想外の事をするかもしれないね」

  「…それは素敵だ、実に素敵だな」

  ゲーム好きの好奇心が刺激され、白いポケモンとギラちゃんは笑い続ける。その姿を見た翁は呆れた顔で溜息をこぼし、タブレットの画面に目を向ける。

  翁の手がタブレットを操作し、画面に映し出される映像が変わる。

  それは、港町の病院の映像である。

  *

  穏やかな海風が吹き込む港町、その一角には白い建物が存在する。この街で唯一の医療機関であり、レシラム教が主体となり運営している病院である。院内には病人や怪我人の姿があり、複数ある寝台の合間を看護師達が忙しなく歩いている。

  病室の一角、看護師のハピナスは眼前のベッドに横になる患者の身体を拭いている。頭に包帯を巻き、虚ろな眼差しで天井を見上げている患者の腕には点滴の針が刺さっており、栄養を送り続けている。

  患者の腕は点滴の影響による浮腫が生じており、内出血による赤黒い染みが肌に浮かんでいる。手脚の筋肉は衰え、関節が硬くなりつつある。専門のスタッフが代わりに手脚を動かしているが、患者自身の意識が戻る事がなく、廃用が進みつつある。

  患者の身体を拭いたハピナスは、額を伝う汗を手で拭い、物品の片付けに入る。病室内には6つのベッドがあり、患者は1番窓際のベッドに寝ている。

  窓から吹き込む海風が心地良く、ハピナスは僅かに目尻を緩める。

  だが、ベッド上の患者は一切の刺激に反応せず、僅かな自発呼吸による胸郭の動きが見られるだけである。

  病室の扉が開いた。

  通路から室内に入ってきた牡のゴリランダーの医師はベッドに横になる患者達に挨拶して回り、状態を確認する。誰もが笑顔で応え、ゴリランダーの医師は話の内容をカルテにメモしていく。

  やがて、医師は窓際のベッドに横になる患者の傍へと歩み寄る。医師の存在に気がついたハピナスの看護師は医師へ話しかける。

  「あら先生…おはようございます」

  ハピナスの看護師に話しかけられたゴリランダーの医師は「おはようございます」と応え、視線を患者へと向ける。ベット上の患者に大きな変化は見られず、医師はハピナスの看護師に話しかける。

  「どうですか?何か変化は見られましたか?」

  ゴリランダーの医師に尋ねられたハピナスの看護師は首を左右に振り、ゴリランダーの医師は困ったように眉根を寄せる。

  「参りましたね…身元不明、家族も不明…意識は戻らない…どうすべきですかね」

  ゴリランダーの医師は腕を組み、困惑の表情を浮かべる。ハピナスの看護師も困った顔を浮かべ、患者に視線を向ける。

  「あの暴動の犠牲者、ですかね…港に流れ着いた事を考えても…近くの街から流されたか、沖合の船から海へ落ちたか…」

  「ですが、商人ギルドや探検隊ギルド…漁業組合と近隣の街や村々にも連絡しましたが、同種同性の行方不明者はいないとの事です」

  「…しかも、この状態ですからね」

  ハピナスの看護師とゴリランダーの医師は困り顔で患者に目を向ける。意識のない患者の目は天井を見ており、患者の目が乾燥しないようにハピナスの看護師が瞼を閉じさせた。

  患者を見たゴリランダーの医師は不思議そうな顔で呟く。

  「若い牝のウェーニバルの行方不明者…しかも妊婦ならば、早々に見つかりそうだが…」

  患者、いや時の守護者の一員でキールリンクに停泊した『ヴォセク』から海へ落下したティトレリは、キールリンクから流され、この港街へ漂着した。もっとも、転落時に頭部を強打したティトレリの脳は内出血を起こしており、港町の病院へ運び込まれた時には大脳の大部分の機能が失われていた。

  しかし、呼吸や心臓の動きを司る脳幹部の機能は残存しているため、意識の戻らないティトレリは病院で治療を受けていた。

  そして、彼女はヴィレムの子を孕んでいる。

  意識のないティトレリであるが、脳幹部の機能は維持されているため、呼吸と循環は保っている。それは胎盤を通じて胎児に栄養と酸素を送り続ける事を意味する。

  時の守護者が壊滅し暴動が終結してから数ヶ月、ティトレリは港町の病院の中で植物状態のまま過ごしており、腹の胎児はすくすくと成長していた。

  既にティトレリの胎は臨月を迎えており、ゴリランダーの医師とハピナスの看護師は困り顔で彼女を見ている。

  「…産科医にも相談しましたが、このまま自然分娩に繋げたとして…今の彼女の身体がお産に耐え切れるとは言えない、という事です」

  「…では、帝王切開を?」

  ハピナスの看護師に尋ねられたゴリランダーの医師は頷く。彼は視線をティトレリへ向け、困り顔のまま話を続ける。

  「えぇ…お産の時にバイタルが大きく変動しますので、大脳の出血箇所が拡大し、更に脳幹部でも出血する可能性が考えられると…」

  ゴリランダーの医師はハピナスの看護師の質問に答えながら、手元のカルテに視線を向ける。CTやMRIがあれば脳内の出血箇所を特定し治療方針の一助とできるが、この世界ではそのような医療機器が存在せず、患者の反射や目の動き、状態から鑑別するしかない。

  ゴリランダーの医師はカルテから顔をあげ、ティトレリに目を向ける。

  「身元がわかれば家族の判断を仰ぐ事ができるが…今の我々にできる事は成り行きに任せ、生命維持する事しかできないですね」

  彼の言葉を聞いたハピナスの看護師はティトレリに目を向け、ポツリと呟く。

  「かわいそうに…産まれてくる赤ちゃんの顔を見れないなんて…」

  意識のないティトレリと彼女の大きな腹を胎を見比べたハピナスの看護師は思わず本音を漏らし、ゴリランダーの医師も頷く。

  「…新たな命を繋ぐべきか、彼女を救うべきか…無事に産まれたとしても、教会に保護を依頼するしかないですね」

  ゴリランダーの医師は呟き、困り顔で頭を掻いた。彼は回診の続きへ向かい、ハピナスの看護師も物品を片付け、部屋を後にする。

  ベッドの上には意識のないティトレリの姿がある。

  彼女の胎ではヴィレムの子、被験者達の魂を継いだ子が育ち、この世へ産まれ変わる日を刻一刻と待ち侘びている。

  穏やかな海風がティトレリと胎の子を包んだ。