その日、私は透明人間に出会った。
小学生になった四月から、私はずっと友達ができないまま学生生活を送っていた。皆に嫌われて、怖がられて。今年で16歳になる。高校生になってから、この学園で人間系の種族は部屋一つ一人で使える。他の肉食系や草食系の種族と同様、小学生の時はルームメイトが4人ほどいたけれど、誰とも仲良くはなれなかった。
中等部の時は人間系の種族は二人で一つの部屋を使うが、その時も嫌われていて、ルームメイトが帰ってこないこともあった。その時のルームメイトが学園の廊下で教師と話していた言葉を今でも覚えている。
「だって私、あの子に食べられたくないもの。」
彼女がそう言った理由は簡単だ。私が食人鬼と吸血鬼のMIXだからだ。
母は吸血鬼、父は食人鬼。吸血鬼は血から栄養を得て、食人鬼は人や獣人の血肉から栄養を得る。私は誰かを食べなくては栄養を得られない種族なのだ。
「お友達を食べるわけないでしょ。犯罪になるもの。」
「わからないでしょ。先生はあの子が食事をしないって、絶対私たちを食べないって証明できるの?」
ルームメイトと教師の会話はどちらも間違っていなかった。どちらの言い分も私たち誰かを食べる種族の言葉と言える。
理性は語りかける。
『友達を食べるわけないでしょ。』
本能はこう返す。
『目の前に食事があるのに、食事をしないってなぜ?お腹が空いてるけど食べてはいけないものを"絶対に"食べないって証明できる?』
しかし、私たちが誰かを殺して食べることは現代ではあり得ない。犯罪だからという理由もあるが、殺すことには誰でも抵抗感というものが出てくる。誰かを殺して得た血肉を食べることに苦痛を感じることがほとんどの食人鬼たちの本音だ。
怖いのだ。本能のままに殺害して食べたあと、訪れるであろう血肉を欲する欲望が。耐えれば耐えるほどに求める本能は"限界だ"と、焼き切れるような苦しさがあると言われている。私たち食人鬼や吸血鬼が本能のままに生きていた時代から、先人たちが経験してきた本能の恐ろしさを聞いているから、いつどんな時もとてつもなく怖いのだ。
ルームメイトの問いかけに口をつぐんで言葉を濁した教師の顔を、私はとても深く同情して見ていた。
私たち食人鬼が実際のところは食事を恐れて、鉄分を多く含む栄養剤を飲んで生きていることは、実はあまり知られていない。
先人たちが好き勝手に暴食暴飲をしていた時代に、見つけられ次第に「処刑」だと殺されていた名残なのか、私たちを知ろうとする者がいないが故に理解されていない。
ルームメイトも教師も私の扱いを悩んでいる。しかし本当のところは悩むまでもない。無視し続ければいい話で、噂のような美しく恐ろしい強者などいないのだから。
恐れるだけ馬鹿なのだと気がついていない者たちに、深く同情した。今も、私を見て逃げる者たちは可哀想にも思えて、自分の惨めさも嫌になる。
そんなことを思いながら、8年も過ぎた今頃になって、空気がガラリと変わることが起きたのだ。
あー!起きたくない。と心の中で叫ぶ。今日から私は高校生。今日は高等部での授業の初日だ。入学式は昨日終わっていて、高等部から入学する子たちはきっと、キラキラした眼で教室に入ってくるのだろう。私は相変わらず、自己紹介の時に恐れられて、それからは嫌われ、孤立するのだ。そう考えると思う。
あー!起きたくない。
これから顔を洗って歯を磨いて、髪を直してから制服を着て朝食を食べに食堂に行く。それすら憂鬱だ。
朝食は草食用、肉食用、雑食用と揃っている。人間系の種族は雑食が基本。けれど私は吸血鬼と食人鬼のMIXだ。血肉以外は上手く消化できないことがほとんどで、たまに下痢になるから人間系用のご飯は好きではない。
「はぁ…。」
思わずため息を漏らしてしまう。まったく、何が楽しくて生きているのかわからない。私にとっては、食事も学校生活も楽しくないものだ。毎朝、つまらない人生に落ち込んで起きる。私はムクリと起き上がって、またため息をついてからクローゼットの中のハンガーにかけた制服を取り出した。
洗濯は寮の中にあるコインランドリーでしているから、ワイシャツも綺麗だ。コインランドリーと言っても、専用のコインが毎朝2枚ポストに入れられて、コイン1枚1回分、1日に2回までと決められている。お金はかからない。
グレーの制服は獣人も人間系も同じものだ。秋の中頃から冬、春の間は長袖のワイシャツとグレーのベスト、女の子はグレーのスカートを着用する。寒ければベストの上にジャケットを着る。ベストとジャケットのボタンには学校のマークが描かれていて、金色だからけっこう目立つ。
初等部、中等部、高等部の見分けはワイシャツの袖の縁の色が何色かでわかる。初等部は桃色、中等部は深緑、高等部は藍色。
「今日から藍色…。」
思わずつぶやく。今の私が藍色の縁のワイシャツを着ていることはつまり、私がこの学園で約10年近く頑張ってきたことを表しているんだ。
私はよく頑張った。そう声にして自分を認めてやりたい。
けれど、見えない未来がたまらなく怖い。
卒業したらどうしよう。
この草食、肉食、雑食といった皆が敵の社会で私は生きていけるのだろうか。自分すら誰かを殺しかねない安全の保証できない世界で。皆が偽りの笑顔しか見せてくれない場所で。
薄い桃色のリボンを結び終わって鏡を見れば、そこには青白い顔色の悪い女がいる。固く閉じられた唇の隙間から見える吸血鬼の牙。この毒牙で誰かを襲ってしまったら、その時が私の死。
ジッと見つめていると、その口に血液すら見えてくるようで…
ピンポーン
高い呼び鈴のあとに続いて、明るい女の子の弾んだ声が聞こえた。
「おはようございまーす!私、今年からこの学校の生徒になった者でーす!挨拶したくて来ました!」
私は驚いてからよく考えた。人間系の生徒はこのコケモモ学園の中でも少ない種族たちで、もちろん寮の生徒も少ない。
さらに言えば、フロアごとに学年で分かれているから限られた仲間だ。故に挨拶に来るのは珍しいけど、珍しくない。交友関係を結びたいと思うのは当たり前だろう。
けれど、私は憂鬱になった。嫌なため息をついてからドアを開けた。
「あ!おはようございます!」
元気な声でまた挨拶してくれたけれど、一瞬だけ私はどこにいるのかと探してしまった。
その日、私は初めて透明人間に出会った。
そこには服が浮いていた。私も着ている制服だ。ワイシャツの縁の色は藍色。私と同じ高等部の1年生だ。
けれど、そこに服を着ている人の顔は見えない。足下のローファーと校章の刺繍がされている靴下すら、踊るように勝手に動いているようだ。
「あ、驚いた?見ての通り私、透明人間なの!」
声がするところはたしかに、顔があるだろう場所だ。私は目を丸くして小さく「あ、うん。」と答えることしかできなかった。
「たぶん、フロアが同じだから同級生だよね?」
「う、うん…。」
「驚かせてごめんねぇ!私、同じ人間系の子には挨拶しないとって思ったの!」
彼女はおそらくニコニコと笑っている。そう思えるほど、明るくて可愛らしい声をしていた。コロコロとした笑顔が見えなくてもそこにあるのだと信じられるほど、透明な体から彼女の優しさが見えていた。
「私、光坂透子!光る坂に、透明な子って書くの!よろしくねぇ!」
「あ、う、うん…。」
「えっとねぇ、ひいじいちゃんが、カメレオンなの!」
「へ、へぇ…」
「あ、見えないからって…寝癖直してないの!あんま直視せんといてー!」
いや、見えないからいいでしょ。なんて、ツッコミを入れたくなったけどグッと我慢した。
だって私が大きく口を開いたら、大きな尖った吸血鬼の牙が見えるでしょ。そうしたら、瞳の赤色もバレたら、怖がられるでしょう。
いくら透明な人だからって、そこには血が流れている。長らく栄養剤で生きてきた私だって、血肉がそこにあること、匂いがしていること、気がついている。芳しい香り。
「よかったら仲良くしよ!あなたは…」
「フェミニィ。赤井…フェミニィ。」
「へぇ!赤井は和風な名前だねぇ。フェミニィは…洋風?」
「そうね。赤井は父方の名前。大昔は日本狼とか…そういうのが先祖にいたって…。」
「おお…かみ?種族は…」
彼女がたぶん、視線を部屋の表札に向けた時。
「ハーフ!MIXよ!食人鬼と吸血鬼の!」
私は早口で大きめな声で言った。
そう、この瞬間にいつも嫌われるんだ。わかってる。人の形をしているのに、主食は血液の吸血鬼。人の形をしているのに、主食が血肉の食人鬼。どちらも『鬼』。どんな種族よりも化け物。
「フェミニィは母方の家に寄せた名前!海外の吸血コウモリをルーツに持つ家なの!自己紹介終わり!じゃ!」
私はそれだけ言ってドアを乱暴に閉めた。だって、これ以上は何もいらないでしょう。
もう嫌なの。怖いとか、悪そうな奴だとか、人が嫌いそうな目つきだとか、勝手な想像をされて勝手に離れていく人を見るのは。
第一印象なんて、プロフィールを見たら向こうが勝手に決める。そこからの対応も、勝手に設定される。だから、新学期なんて嫌いなの。
「え、ええー!えっと…じゃあ、また…あとで…」
ドアの向こうで、そんなことを言っているような声が聞こえる。その声の意味を、考えようとしてすぐにやめる。考えるだけ無駄だ。人の評価は気にしない。頑張ってそれに努める。
人の評価は聞かなくていいの。ろくなことにならないから。
愛想をよくしたって、無駄なの。
「こわ…なに笑ってんだろう。」
「食料だから、美味しそって?」
「こ、こわーい…。」
笑顔が、怖いって言われたの。その日からやめたの。
皆が望むから、私は笑うのをやめたの。
「あの牙、怖いよね。」
「ヤバっ!噛みつかれそう…」
「こわーい…」
大きく口を開けるのはやめたの。歯は見せないようにしてきたの。冬はマフラーで隠すの。
「あの眼!ほら!」
「赤い眼!」
「こっわっ!」
そう言われるから、視線は下に向けるようにしたの。可愛くしたいけど、髪型はいつも目が目立たないようにしてきた。
私は、道行く人を美味しそうなんて思ったことない。けれど皆からしたら、そんなのわからないから。だから、皆の印象どおりの私をなるべく消していこうと、そう思っていたの。
真っ黒な髪をハーフアップに結んで、顔の横に少しだけ垂れるような髪を残して、目線を下に向ける。いつものスタイルを完成させたら、部屋を出る。口は固く結んで、表情を崩さないように。
高校生も変わらない。私はこの先の未来も、きっと。
[newpage]
ホームルーム教室はあまり使わないけれど、いちおうクラスというものがある。授業は基本的に移動。それぞれ決まった先生のいる教室に生徒が向かう。じゃあ、クラスって意味なくない?って思うけれど、文化祭や行事でクラス単位で出し物をしたりする。
授業の教室は大学の大きな教室みたいな感じ。どんな種族の子がどこに座っても見えるような席になっている。けれどホームルーム教室は人間だけの学校のようになっている。
そうなると種族の問題が起きる。草食系にとっては、後ろが肉食系だと本能的に怖いらしい。だから配慮して肉食系は窓側に全員寄せる。間には雑食。廊下側は必ず草食系。何かあったら足の早い草食系はすぐに逃げられるという利点も考えられているとか。
けれど、そんな配慮をしても例えばゾウが前に座ってしまったら、後ろの子は誰も見えないなんてことになる。難しい問題だと、私はいつも思う。
「あ、あの子でしょ?私は中等部で同じクラスになったことないけど。」
「そうそう、あの子。赤井さん。鬼MIX。」
教室に入るなり私の噂話が聞こえた。『鬼MIX』は私のこと。私のあだ名。食人"鬼"と吸血"鬼"のMIXだからだ。
先生の配慮だろうか。私は人間系だから『雑食』だけど、人間系の中でも『鬼MIX』だから前の席。他の人間系からも、草食系の獣人たちからも、肉食系の獣人たちからも『食べられてしまうかも』と思われるから。
誰でも皆、嫌でしょう。『捕食者』が後ろにいるなんて。
「まぁ、授業では席は自由だし、隣になるのは今だけだけど。」
噂話をしているのはヒョウの女の子。
「そうだなー。俺でも怖いわー、食人鬼って。」
そう言ってケラケラ笑ってるのはハイエナの男の子。
「昔なら吸血鬼と食人鬼は見つかり次第処刑だけどなー。今は一緒に生きていく社会だし、怖くても仕方ねぇよ。」
そう言うのはファンシーラットの男の子。
「でもさー、やっぱり美人だなー。赤い眼は怖いけど…顔のパーツ整い過ぎじゃね?」
そう言ったのはウサギの男の子。すると答えるのはタカの女の子。
「そりゃああんた、食料を捕獲する時に誘惑するために綺麗なのよ。私たちの爪と同じよ。」
「マジ?」
「そうよ。吸血鬼と食人鬼はそういう生き物なの。」
ヒョウの女の子もうなづいた。諸説あるけど間違いじゃない。たしかに、鬼は美しいのだ。
私は、どんな種族からも拒絶され否定される存在。そんな私を愛してくれる人なんてこの先も現れないのでしょう。
「あー!やった!隣だ!」
「え…」
明るい声は今朝聞いた声。左隣、窓のある方に彼女がいた。
やっぱり顔はわからないけれど、なんだか眩しい女の子。
「あえ?!忘れちゃった?!私!今朝挨拶に行った透明人間だよぉー!」
「あ、うん。」
「やった!覚えてる?私、透子!」
「うん…。」
癖で口を開かないように答える。わかってるって、うなづいて伝える。
「よかったぁ!フェミニィちゃん、よろしくねぇ!」
「うん。」
なんて、可愛い子なんだろうって思うくらい明るくて優しい声。羨ましいくらい、美しい種族。
「これって、名前順?」
「ううん。肉食系とか食性と種族を考慮して決められた席。」
私はそう答えたとき、きっと態度が悪くなっていた。彼女に圧倒されたその瞬間、後ろの皆がざわついたからだ。
「勇気あるなぁ。」
「今晩、あの子喰われるんじゃね?」
「透明人間かぁ…顔わからんけどさ、無理してんじゃないかなー。」
「怖いもの知らずかよー。」
「見た目で騙されて馬鹿な子。」
嫌な声。私だって、好きで血肉を漁ったりしない。そもそも食べたことないもん。いけないことよ。誰かを殺して自分のものにするなんて、傲慢だ。
頭の中ではそう声を荒げているけれど、体の中で反響させるだけで外に出せない。
「じゃあ、偶然?!めっちゃ嬉しいなぁ。」
彼女、透子の言葉に心底驚いた。嬉しいって、なにが?って瞬間わからなかった。
私は、私を嫌いな人を好きにはなれない。けれど、その理由がとても理解できるから嫌いにもなれない。当然だよねって思ってしまう。
けれど、けれどさ…。
あなたと一緒にいれて嬉しいって言われたら…嬉しくない?
「…っ…?…っ?!」
声にならないけど、なんだか顔が熱くなってうつむいた。
これ以上の言葉なんて無い、いらないって思うくらい。その一言だけが嬉しかった。溶けてしまいそうだ。
「どうしたの?フェミニィちゃん。」
なんて声を何度もかけられる。
ねぇ、想像できる?悪口以外でその名前を呼ばれたのは久々だったの。その時の気持ちを、誰がわかってくれる?
「な、なんでも…ない。」
「そう?あ、ねぇ、下の名前で呼んでしまっているけど平気?あ、私は平気よ?透子って呼んでね!」
「別に…私も平気だけど…。」
「ほんと?!じゃあ、フェミニィって呼ぶね!」
恥ずかしいな。相手は透明人間なのに、脳が補正をかけるように相手は笑顔なんだと思ってしまう。私は照れながら話を続けた。
「私と話していると、友達できないよ?皆に嫌われる。」
「なんで?」
「な、なんでって…言わせないでよ、種族が…」
「友達って…もうフェミニィがいるでしょ?」
「へっ?」
思わず変な声が出た。透子が何を考えているのかわからないけど、首を傾げているようだった。
私には透子の言葉が全部優しいものに思えて、棘のように刺さるから痛かった。その棘を抜かないとって、私は自分を戒めるように心の中で叫んだ。
ダメだよ。この子みたいな優しい子から友達を奪っているようなものだ。離れないと。
「い、いや、友達じゃないし。」
嬉しいけど、受け取れない。私は冷たく突き放してしまいたかった。
「えー、冷たいなぁ…。周りの目は気にしないでよ。」
透子は不機嫌な声で言った。その言葉で、ハッとした。
「気づいてたの…か…」
「うん。」
「そう…。」
なぜか、それが酷く悲しかった。しかし、その寂しさは透子が蹴飛ばすように返事をしてくれた。
「けど、くだらない。バッカみたい。どう見たって、フェミニィは嫌がってるのに。」
「え?」
「自分の本能はどうなんだって話!」
透子の声が少しだけ遠慮なかったから、私は慌てて周りを見渡した。幸い、私を嫌って離れていたから皆聞こえていなかった。
「こ、声が…」
「世の中さ、皆が悪い人なわけないじゃんね?」
当たり前だろうって、普通なら返すのかな。私は笑って返事できるほど、自分に自信がなかった。
「大丈夫だよ、フェミニィ。」
どうなんだろう。私はこの言葉を誰かに言って欲しかったのかな。
もし、私がやっぱり、食人鬼であり吸血鬼ならば。この肌も見えない透明人間を食べたくなるのかな。どう見たって透けて血が見えるわけでもない相手を、それでも食べたくなるのかな。
大丈夫かな。肉食系も草食系も雑食系も、獣人も人間もいるこの世界で、合わさることのない動物ばかりのこの社会で…私は本能に抗えるのかな。
その先に、本当に幸せだと思える日は来るのかな。
その日、私は透明人間に出会った。
顔も、肌の色もわからない。
肉も血も見えないその人を、私は中身まで知りたいと思ってしまった。