狐は獅子に恋をするのか

  

  ライオンに噛まれた後遺症は、大和の想像よりずっと重いものだった。

  

  この世界の人々は皆、人間という属性以外に、それぞれの第二の種と呼ばれる動物の属性を持つ。

  それは、犬などの哺乳類に限らず爬虫類まで広く確認されていて、人間であるとはいえ、耳や尻尾などの見た目の個性の他、感情や行動、性格に至るまで、第二の種の特徴が色濃く現れていた。

  特に繁殖や発情のメカニズムは第二の種の傾向に影響を受けることが多いため、必然的に同じ科、例えばイヌ科はイヌ科の人間と、ネコ科はネコ科の人間と交配することが一般的とされていた。しかし、人としての恋愛感情や憧れが、種の壁を越えることもあり、その手の異種恋愛は運命的でロマンチックだと、ドラマや映画などのフィクション作品では人気を博している。

  当然、アイドルとして昨今人気急上昇中のIDOLiSH7、TRIGGERのメンバーにも、そういう作品への出演オファーがくることは珍しくなかった。

  

  

  「大和さんに、新しくドラマ出演のオファーが来ました!」

  「おーありがたい。内容は? どんな作品?」

  マネージャーの小鳥遊紡からの連絡で事務所の会議室に呼ばれた大和は、深く座っていた椅子から少し身体を起こして、スッと眼鏡のブリッジを上げる。

  「今回の作品は、TRIGGERの八乙女さんが主演です」

  「八乙女かー」

  「はい。八乙女さんの第二種はネコ科のライオンということで有名だと思うんですが、イヌ科のキツネの女性との異種間ラブストーリーものとのことです」

  「おぉーそ…うなると、俺は、その女の子の……家族とか……?」

  「幼馴染です!」

  「そっちか!」

  まるでクイズを楽しむように笑う大和に、紡は安堵しきれない複雑な表情をしていた。

  「じゃああれだ、俺は当て馬的なこと?」

  「……はい、今聞いている話ではそのような感じかと」

  「ははっ、いいじゃん。おもしろそう」

  「そう言っていただけて良かったです! お受けする方向で進めて良いでしょうか?」

  「うん。大事にしてた幼馴染の女の子をさ、突然横から出てきた完璧イケメンライオンくんに掻っ攫われるなんて、俺に似合いの役でしょ」

  「あの、この役の複雑な感情を、大和さんなら演じきれることが出来ると、製作の皆さんにはそう思っていただけたのかと!」

  「え? あぁごめん、俺の言い方が悪かったな……。ほんとに、おもしろそうな役って思ってるし、喜んで受けさせてもらうよ。八乙女の座長してる現場って居心地いいし、楽しみにしてる」

  「そうなんですね! 私も、お二人が演じられるこのお話を拝見したかったので、大和さんに受けていただけるのなら嬉しいです。そして、主題歌はTRIGGERに決まっているそうなので、挿入歌にはIDOLiSH7の曲を使っていただけるよう、営業頑張ります!」

  「いいじゃん! マネージャーの営業力、信じてるよ」

  「はい! ありがとうございます!」

  クランクインの時期は、キツネ属が繁殖期を終える時期を考慮して三月末頃になるらしく、大和は自分のスケジュール管理表を見つめながら「……一応、薬もらっとくか」と溜息まじりに呟いた。

  

  ドラマの撮影が始まると、大和の予想通り、現場での楽はスタッフや演者誰にでも平等に気を遣い、差し入れをし、主演として現場の雰囲気を良くしようとしていた。張り切っている楽の様子を、大和は頼もしくも感じつつ、その変化にもすぐに気づくことになる。

  主演としてみんなの中心に立っていた楽が、次第に人と関わることを避けるようになり、話しかけづらい雰囲気をまといはじめた。

  体調不良か何かが続いただけかもと、大和が「どうかした?」と話しかけても、「何もない」とはぐらかされ、理由は明かされない。そんな楽の様子に戸惑うスタッフや演者たちに、大和は楽の役柄が寡黙な役だから役作りかもなどと伝えて、現場では楽の代わりに明るく振る舞っていた。

  

  それからしばらく楽との撮影はなく、久しぶりに大和がドラマの撮影スタジオに行くと主演のはずの楽の姿が見当たらない。何人かのスタッフに楽の居場所を聞いて、「最近はよくあちらに……」と教えられた先は、スタジオの隅の薄暗い場所だった。

  そんなところでただ一人椅子に座り、組んだ足の上にのせた台本を読むわけでもなく、俯いたままの楽のその姿は、親しい仲の大和でさえ声をかけることをはばかられた。

  「主演がそんなとこで一人でいちゃダメでしょうが」

  大和の声にゆっくりと上げられた楽の顔は、何かに耐えているように眉間に皺を寄せていた。

  「……なんだ、二階堂か」

  「なんだってお前なぁ……ってか、その顔どうした? 体調悪い? 折角のイケメンが台無し」

  「あぁ、いや……まぁ、問題ない」

  「問題ないって顔じゃないだろ……。とりあえず、機材不良かなんかで次の撮影始まるまで一時間はかかるみたいだし、控室で待ってようぜ」

  「……そうだな」

  重い身体を起こすように、楽はゆったりと立ち上がった。楽のこの雰囲気が、本当に役作りによるものだったとしても、楽はこんなに役にのまれるタイプだったかと、大和は小首を傾げながら楽の横に並んで控室へと向かった。

  

  二人で楽の控室に入ると、楽は真っ直ぐに自分のバッグの中でごそごそと何かを探し始めて、取り出されたのは薬のシート。パチパチと何錠か取り出し口内に放り込むと、控室に用意されていたミネラルウォーターでごくごくと飲み下した。

  「薬? 大丈夫なのか?」

  「あぁ」

  ライオンの楽のふさふさの銀髪からのぞく耳は、ピンと上向いていて、苛立っているように揺れる尻尾の様子からしても、単純に体調が悪いというより、気持ちの問題なのかもしれない。

  「……そう。俺ちょっと腹減ったしなんか買ってくるわ」

  そう言って大和が控室の扉のノブに手をかけた瞬間、突然強い力で腕を引っ張られた。

  「……ぇっ」

  そのまま勢いよく投げ飛ばされ、大和は控室のソファに倒れ込むように突っ伏した。とっさに起き上がろうとする大和の身体を、背後から抱きつくように楽が押さえ込む。

  「ぇ……なに? ちょ…っ離れろって!」

  大和が楽を退かそうと必死になってもがいても、覆い被さる重みはびくともしない。楽にこんなことをされる理由も分からず、「八乙女!」と大和が声を荒げた時、背後から低く唸るような声が耳に入る。その音の意味を、大和の身体は瞬時に理解し、全身が一気に強張る感覚を覚えた。

  「……ぁ……や……」

  背中にのる息苦しいほどの重み。

  生暖かく、荒い息が頸にかかる。

  「待っ…ゃだ……っ」

  革張りのソファの上を、大和の震える手が助けを求めるように這う。

  「逃げるな」

  「……あっ!」

  逃げ場を求める手の上から、色白い手がぐっと強く握りしめる。

  大和の中のキツネの本能が、危険、逃げろと脳内に激しいアラートを鳴らしていた。自分より絶対的に強い存在のライオンが、キツネの動きを封じてすることは……

  「ぃやっ、やめ……ぁっぁあああっっ!」

  ぎっと、表皮を裂き、鈍く激しい痛みが大和の肩に走って、視界が一瞬ぐらりと揺らぐ。

  噛みつかれた、と気づいて逃げだそうにも、身体は完全に抑え込まれている。身体の震えは止まらず血の気が引いていく感覚に、大和はふいに手放しそうになる意識をギリギリの状態で保っていた。

  「……ぃ…たい……ゃだ、食べないで……おねが…ぃ……っ」

  ハッと突然何かに気づいたように、肩に刺さっていた歯は離れていった。

  少し間を置いて、「……悪い、こんなつもりじゃ……」と楽の焦る声と同時に、柔らかな感触が噛まれた場所に何度も触れる。そうして楽の息を肌で感じる度、大和の頭には死がちらつく。強い第二の種を持つ人間が、自分より弱い種の人間を食うなんて、そんな恐ろしい話はフィクションの中だけだと思っていた。

  「……食べ…なぃで…いゃだ……っ」

  「食べたりしない。悪かった……痛かったよな? ほんとにこんなつもりじゃなかったんだ、だから薬も飲んで……あぁ…でも、すまなかった」

  弱々しい大和の声に、はっきりとした声で返しながら、楽はその通った鼻先で詫びるように大和の肩やうなじにキスを落とし、その度に大和の身体はびくびくと震える。

  「キツネ…は……」

  「……ぇ?」

  「繁殖期のキツネのメスは……あんなにところ構わずフェロモン振り撒くのか? あの子に興味はねぇし薬も飲んでる。だのに、気を抜くと…襲っちまいそうで……こんな……最悪だ」

  「メス…? あぁ……」

  確かに、今回のドラマのヒロイン役の女優は、もう四月も終わりだというのに、キツネ属が繁殖期に出すフェロモンがおさまってない様子で、大和もその対策のためにフェロモンの影響を抑える薬を毎日服用していた。でも、キツネ属でもなく、ヒョウ属に当たるライオンの楽にまで影響するなんて……

  「あぁー……くそっ!」

  楽は、どうしようもない感情にうなされるかのように身体を起こして、指先でぐしゃぐしゃと銀色の髪と耳を乱暴に混ぜはじめる。

  大和が振り返って見たその姿は、大和がこれまで見たことのない楽の姿だった。

  「やおとめ……あっ、ぃった……っ」

  身体を返そうと動くと、楽に噛まれた肩を押さえてうずくまる。

  「大丈夫か⁉︎」

  「あぁ……」

  噛んだ張本人が、心配そうに見つめてくる様がなんだか少しおかしくて、肩に感じる痛みをよそに、大和の顔からは恐怖心が消えようとしていた。

  「あの、さ……この体勢は…マジで食われそうというか……何されるかわかんなくて怖い。そっち向いてもいい?」

  「あ、あぁ……悪い」

  身体を起こそうとする大和を、楽はふわふわの髪からのぞく耳をくたりと倒しながら申し訳なさそうに手伝って、ソファの上に仰向けに寝かせた。

  「それで、なんでこんなことした? これまで俺と二人で飲んだりしてても、こんなことなかっただろ? 俺から彼女と同じキツネの匂いがしたから?」

  「……あぁ。あの子からずっと誘ってくるような甘い匂いがして、それに似た匂いが……二階堂からしてた」

  「彼女を襲えないから、俺で発散しようって?」

  「ちがっ…! でも、なんて言やいいのか……あの子がお前を誘ってそうなのも嫌だった……同じ匂いさせてんのも。俺は、お前が良くて……」

  「んー…よくわかんねぇ」

  ライオンの行動心理は、キツネには理解出来ないのかもしれない。けど、つらそうな様子を見ていることも苦しくて、大和は無意識に両手をひろげていた。

  「……え?」

  「わかんねぇけど、慣れたらどうにかなる……ってのはムリある? 俺のキツネの匂いに慣れたら……彼女の匂いにも影響受けにくくなるかも……とか、思って」

  おずおずと広げられた大和の腕、その指先はわずかに震えていて、まるで自分を捧げるようなその行動に、楽は自身のしてしまったことの恐ろしさと、それでも消えない苦しみの中でぐるぐると思考を巡らせる。

  「……触れても、いいのか?」

  「まぁ……でも噛むのはなし! マジで怖い。そっちはライオン、こっちはキツネだってこと、ちゃんと自覚してくれ。あんたに本気出されたら、最悪こっちは死ぬかもしんないんだよ」

  「あぁ、気をつける」

  「うん。じゃあ……どうぞ」

  腕を広げる大和に、楽は触れる場所を選んでいるのか、ゆっくりと、慎重に、楽自身がつけた噛み跡の方へ寄り添っていくように大和の身体を抱き締め、首筋に顔を埋めた。

  「……ははっ、重いのは一緒だったわ」

  「苦しいか?」

  「んー…でもさっきよりはこっちの方がいい」

  「……俺も、すげえ落ち着く」

  「繁殖期のキツネの匂いが嫌なんじゃなかったの?」

  「よくわかんねぇ……けど、こうしてお前が俺の腕の中にいるなら、安心出来る。あの誘うような匂いにも多少慣れる気がするしな」

  「……そっか」

  大和が楽の背中に手を回すと、楽の長い尻尾とその先のふわふわとした銀色の毛が楽しげに左右に揺れる。さっきまであんなに怖かった相手なのに、今はもうどこかかわいげに見えてしまう。その不思議な感情と楽の匂いとがじんわりと胸に満ちて、大和は身体の中に暖かい何かが拡がっていくのを感じていた。

  

  その後も、楽は大和と撮影が被った日には「今日も頼めるか?」と控室に誘うようになった。大和もそれを拒否することなく、最初の日のようにソファの上で抱き合ったり、座る楽の足の間に座って抱き締められたり、時間がない時には人気のないセット裏で軽くハグだけをしたりすることもあった。

  元々は友人関係で、酒の勢いででもこんな恋人同士みたいな触れ合いをしたことはない。けど、触れ合う回数が増えていく度、楽は自然と大和の身体を抱き寄せ、大和もまた抱き締められることに慣れ、居心地の良ささえ感じはじめていた。

  楽の手はあの日とは別人のように穏やかに大和に触れるようになっていた。当然のように抱き寄せるくせに、強引ではなく、大切に扱われていると実感してしまうからこそ、断れない。触れ合う時間が長い日には、楽の身体が熱くなっていることも大和は感じ取っていた。繁殖期の狐のフェロモンにあてられた楽の昂りが脚に触れて、溢れる吐息を感じて、段々と離される身体に、大和は嫌悪感を感じるどころか、妙な虚しさに襲われた。ライオンではない狐の身体では、ましては雄の身体では、この八乙女の熱を正しく受け止めてやることも出来ない。ただの応急処置でしかない行為だと、手放すべき時には後腐れなく手放さなければならないと、そう自分に言い聞かせて、楽の熱にただ気付いていないフリをし続ける。

  

  これは、ドラマの撮影が終わるまでの、期間限定の触れ合い。

  

  大和は楽とのことを誰にも話すつもりはなかったものの、IDOLiSH7のメンバーの、特に嗅覚が鋭い狼を第二の種に持つナギは、すぐに大和の身体に残る楽の匂いに気づいて顔を顰めた。

  「ヤマト……気になっていたのですが、それは、合意ですか? 偶然にしては匂いが強過ぎると思うのですが……」

  「えっ? あぁ……一応」

  「犯人は、八乙女氏ですよね?」

  「犯人とはすごい言われようだな」

  「八乙女氏とはそういう深いお付き合いを?」

  「いやいや違うって! 話すと長くなるんだけど……簡単に言うと、八乙女がキツネの匂いに慣れたいからって頼まれたことで、俺も同意してるから」

  「しかし、それは匂いに慣れるためと言うよりも、八乙女氏がヤマトにマーキングしているようです」

  「だから違うって。それに、ドラマの撮影が終わればそれも終わるから……」

  「ヤマトがそこまで言うなら、今は様子を見ておくことにしますが……もし八乙女氏がヤマトを傷つけるようなことがあれば許しませんよ」

  「あぁ、ありがとな」

  

  数ヶ月で撮影も終盤となり、楽とヒロインが種を超えて結ばれる、このドラマのクライマックスシーンの撮影が行われることとなった。その日、大和は楽より先に撮了していて、適当に理由をつければ先に帰ってしまうことも出来た。でも、大和はこの作品のラストを、あるべき姿を、自分の目で見届けなければならないと現場に残ることに決める。

  楽の腕の中に、幸せな涙を浮かべながら飛びこむヒロイン。大和と同じ大きな尻尾が揺れて、楽の手が彼女の華奢な身体を愛おしそうに抱き締める。

  ——そうそう、八乙女の手はああいう子を抱き締めるためにある。

  そんな言い聞かせるような言葉がふっと浮かんで、大和はその言葉を何度も何度も心の中で繰り返した。見つめ合って、唇を触れ合わせようとする二人の姿。

  ——あぁ、そういやキスはしなかったな。

  その事実が、何故かじりじりと大和をイラつかせた。はじめから、楽はただキツネの匂いが必要だっただけ。触れ合いも、元はと言えば大和の方から言い出した応急処置のようなもの。それなのに、ヒロインと幸せそうに笑う楽の姿に、どれだけ唇を噛み締めても込み上げてくるものが、じわじわ大和の瞳を熱くして、逃がし方のわからない感情と目を逸らした。

  

  「今日も時間もらえないか?」

  いつものように言い放たれた楽の言葉に、大和は「うん……」と首を縦にふる。これで終わりかと考えながら大和が楽の控室に入って間も無く、自然と近づいてきた楽の身体を、大和は思わず突き放した。

  「……えっ」

  「あ……」

  なんで? とでも言いたげな楽の顔を視界の端に感じながら、大和は絞り出すような声で呟く。

  「……も…いいでしょ」

  「いいって?」

  「もう撮影も終わったことだし、そもそも……最近はあの子のフェロモンも薄くなってた。八乙女が、俺でキツネの匂いに慣れる必要もないと思うんだけど」

  「あぁ……そういうことか」

  納得したのか楽は大和から少し身体を離して、そのまま黙り込んでしまう。

  成人男性二人が立ったまま向かい合って、延々と続くような長い長い沈黙に、先に耐えきれなくなったのは大和の方だった。

  「じゃあ、次の仕事行くわ。お疲れ」

  そう言って、楽に背を向けて控室の扉に手をかけた瞬間、力強い手に腕を引っ張られて大和は無意識にぎゅっと身体に力を込め身構えた。

  「あっ、悪い……急に。でも、無理矢理に二階堂が嫌がることも、痛いこともしない。だから頼む、怖がらないでくれ……」

  腕に感じる手の力強さに反して、楽の顔はどこか怯えてるようで、大和は掴まれた手を振り解けずにいた。

  「……別に、もう会わないって話じゃなくてさ、抱き合ったりとか……そういうことは八乙女が好きな人とした方がいいでしょ」

  「なら、尚更二階堂がいい」

  「なんでそうなんのよ……」

  「こうやって触れ合うことを許してもらってから、何度も、何度も二階堂を抱きしめてたら……愛着とか、そういうもんだけじゃ言い表せなくなってて……正直、やめたくない」

  「……やめたくないって言われても」

  それはただ、アイドルという職種の男が、他人との触れ合いに飢えてたからじゃないのかと、そんなことを言ってしまいたい気持ちと、そう言葉にできない気持ちで大和は揺れていた。

  「最初があんな感じで、二階堂にとっちゃ……多分情けもあって付き合ってくれてたんだとはわかってる。けど……お前が誰かに触れんのも、触れられてんのも……嫌なんだよ」

  これはどういう感情を向けられているのか、考えても、考えても理解しきれず、大和は口をつぐむ。群れを築く習性があるライオンの本能か何かで、一度近くに置いた人間を手放すことに抵抗があるのかもとか、大和が色々考えたところでキツネのそれとは違っていて、楽のことを理解することは出来ない。

  「……だめか?」

  「それさ……ずるいんだって」

  楽のこの整った顔で、自分にだけ見せられる困った顔に大和はとにかく弱い。百獣の王と呼ばれるライオンの中でも、おそらく最上級のビジュアル。そんな男の意外な姿。思い返せばあの日もこの姿に負けてしまった。

  「ほんと……ずるい」

  「二階堂……」

  大和は自分の顔を両手で覆い隠して背を曲げる。葛藤するような大和を抱き寄せようとする楽の手は拒まれることはなかった。

  「八乙女に噛まれたとこさ……跡とか、ほとんど残ってないのに……痛む気がすんの」

  「悪かった。あれから動物性衝動の薬も変えたし、二度とあんなことは」

  「違う、多分むしろ……消えなきゃ良いのにって……思ってたんだと思う」

  「どういう意味だ? 嫌だっただろ?」

  「嫌だったよ! 本気で食われるかと思った。思ったのに、俺で良かったとかなんか色々……考えて…おかしいだろ、こんなの」

  「……例えおかしいことだとしても、お前が俺を受け入れてくれてるってことなら、嬉しい」

  大和を抱く楽の手にぎゅっと力が入って、二人の身体はぴたりと密着する。楽の唇が、あの時噛まれた肩に優しくキスを落とすと、はぁー…っと大和からは溜息が漏れる。

  「……俺、男なんだよ」

  「奇遇だな、俺もだ」

  「希少種のライオンさんは、確実に子孫を増やすべきだと思うし、」

  「別に俺が最後のライオンなわけじゃない」

  「八乙女のこと、そういう意味で好きなのか……正直まだわからないし」

  「問題ない。気長にアプローチするさ」

  「浮気とかも許せるほど大人じゃねぇから、呪っちゃうかも」

  「キツネのお前に呪うって言われるとちょっとゾクゾクするな。けど、俺には無縁な話だ」

  「………しで」

  「ん?」

  「とりあえずお試しで……って言うか、それなら……続けてもいい、かも」

  「本当か……っ⁉︎」

  「……ぇっ、ぅんわあっ!」

  楽の声が一気に高揚したと思うと、大和の足は宙に浮いていて、気づけば大和は楽のキラキラした笑顔を見下ろしていた。

  「ちょっ……やめ、この馬鹿力! 下ろせ!」

  「絶対大事にする! ありがとう二階堂。愛してるぜ!」

  さっき見たドラマのワンシーンより、ずっとずっと輝いて見える楽の顔に、大和の胸の奥がぐっと締め付けられる。

  「……っ、ほんと…ばか……」

  「ははっ、誰かに本気で惚れちまったら、馬鹿になるもんだろ」

  「……かもな」

  大和が見下ろした先で嬉しそうに揺れる楽の尻尾の動き一つさえ愛おしいと感じた。こそこそと鼻先で探し当てた楽の耳に唇を触れ合わせると、丸い形のそれがふるると跳ねる。

  「……っんだよ、くすぐったいだろ」

  「ははっ、ごめんごめん」

  大和はくすくすと笑う吐息をこぼしながら、楽の首に腕を回して、溢れそうなものを隠すように、やわらかな銀髪に顔を埋めた。

  

  

  「そうだ、一つ確認したいんだけど……」

  「何だ?」

  大和が下ろしてくれと目配せして、ゆっくりと足が床に着けられる。身長差もそこまであるわけじゃないのに、やっぱりライオンは力も強いよなと、大和はキツネとの種の違いを実感する。

  「俺の記憶が間違ってなければなんだけど、」

  「ん?」

  「ライオンってさ、発情期長いっていうか……年一とかじゃないよな?」

  「あぁ、決まった発情期はない」

  「……と、言いますと?」

  「キツネは一年の決まった時期だけなんだろ? 俺たちライオンは、したい時にしたい相手とする。人間に近いんじゃないか? けどまぁ、流石に毎日したいとかそういうものでもない、安心しろ」

  「え……したい時に、え……? 毎日……は?」

  わかりやすくきょとんとした顔で楽を見つめる大和の身体を、楽は嬉しそうにぎゅっと抱き締める。

  「あぁーかわいい。二階堂が嫌なら無理強いはしねぇけど、本音言うとめちゃくちゃしたい。年に一度もしないことあるとか……よく我慢できるな。キツネは忍耐強いのか?」

  「待って、やっぱお試しとかも無理かも。俺じゃ受け止めきれねぇっつうか、無理かも。ってか無理! ライオンさん怖い! 食われる! 死んじゃう!」

  「落ち着けって。食わねえし、死なせねえ。そういうところも少しずつ試してこうぜ」

  楽の身体を引き離そうと、楽の腕の中で必死でもがく大和を、楽は何でもない様子で抱き締め続ける。

  「無理……馬鹿力過ぎる……俺は無力だ」

  「そこまで言うなら、信用してもらえるまで俺を縛っても良いぜ? 手錠とか……口輪みたいなものもあるらしいし……」

  「それはなんか俺が変なプレイ好きみたいじゃない?」

  「難しいな」

  「難しいよ。そっちはライオン、こっちはキツネなんだから。分かりきってる」

  「それでも俺は、お前がいい」

  「あぁー…もうだからそういうとこがずるいんだって」

  「何もずるくないだろ? 俺はただ、二階堂に愛される男になりたい。俺がいいって思って欲しい」

  「いや……いいって言うか、ねぇ?」

  「ん?」

  本能的な感覚では、今でも離れた方が良いと思うけど、離れれば大きな何かを失いそうで、大和にとって、その恐怖の方が、ライオンへの恐怖を超えてきている実感があった。

  「食われたくないけど……誰か食うなら、俺にして」

  「……それならお前も俺を食え」

  「八乙女美味しくなさそう」

  「なんでだよ!」

  「ははは……っ!」

  吹き出すように大和が笑うと、楽の尻尾がゆらゆらと揺れる。それが、意識してすることじゃないことぐらいは、大和も知っていた。

  正直困難しかない関係ということも、こんなに誰かに想われることはそうないといことも全部わかっていて、その手を取ろうと決めた。きっと最初で最後になる、そんな恋をはじめようか。