酷いヒートが治らない爽は何週間も寝込んでしまった。
その間、国立図書館の仕事は行けなくなってしまった。
レオは何日も通ったが、爽が仕事に来ないことに気づいて、寂しさが募った。
「爽ー?まだヒートなの?」
部屋の外から孤児院の院長が声をかける。
爽は布団の中でうずくまりながら返事をする。
「うん…ごめん…なさい。」
熱にうなされながら、レオの不満げな顔を思い出した。
運命の番によって起こったヒートを見られてしまった。
本能で啓之助を求めてしまう姿を見られてしまった。
嫌なのに、啓之助の香りは魅力的でしょうがない。
「うー…」
泣きながら自分の香りを嫌に思う瞬間が毎日続いていた。
レオは「心と体は別なのか」と言っていた。
別だと答えてしまいたかった。
それでも、それは何か違うと思ったし、きっとさらに勘違いされてしまう。
爽は今日も泣いて過ごすことになった。
そんな様子に孤児院のみんなが心配していた。
そんな時、啓之助は爽を訪ねてやって来た。
「爽くん!大丈夫?!」
「ひっ!」
レオが止めたあの日から、訪ねてくるのは初めてだった。
爽はまたドアの向こうから香ってきた香りに、体の熱が上昇するのを感じて怯えた。
骨の芯から体が震える。
「こ、来ないで!」
「は、話がしたいんだ!運命の番だって信じてる!きっとそうなんだ!」
「いや!」
「番になろう!」
「嫌だ!来ないで!帰って!」
爽の怯える声に、孤児院のみんなも気づき始める。
爽は嫌がっているし、「運命だ」と体が反応することがどれだけ怖いか。
啓之助は狂ったように爽を求め、ついにドアノブをガチャガチャと壊し始めた。
「やめてください!」
孤児院の院長はパートナーと子供達と共に啓之助を止めるが、啓之助は暴れてドアを壊した。
そして息を乱したまま、爽に抱きついた。
「いや!やだ!」
「爽を離して!」
Ωの匂いに狂った啓之助を、全員で必死に止めた。
しかし、啓之助は暴れて手に負えず、みんなが突き飛ばされた。
啓之助は布団にくるまる爽に馬乗りになって、布団を剥がすように奪い取った。
爽は啓之助に抱きつかれて襲われ、うなじを噛まれそうになり怯えて息を乱した。
「いや!やだぁー!!!」
爽が叫んだ時、部屋に走って入ってきた獣人がいた。
胸騒ぎがしてやって来たレオだった。
レオは狼のように険しい顔をして啓之助の胸ぐらを掴んだ。
「何をしているんだ!」
大声でそう言った後、唸り声を出して牙を見せた。
その姿に、レオについて来ていた友人の黒い毛をした犬の獣人、ネロが止めに入った。
「レオ!落ち着くんだ!」
レオはネロの声に何も返さず、啓之助を睨み続ける。
ネロは仕方なく、爽のところへやって来た。
「大丈夫?噛まれてないかい?」
「あ…は、はい…。」
「私のパートナーが、あの男の挙動不審なところに気づいて、それを話したらレオがすごい剣幕でここまで来てね。」
ネロは爽の背中を優しくさすってそう言った。
その優しい顔にやっと心が落ち着く。
しかし、今にも噛みつきそうなレオが心配だ。
ホルモンバランスが崩れてしまっている爽は泣いてしまった。
「え!だ、大丈夫かい?!」
「ネロ?なにをした!」
「い、いや!何もしていないよ!」
今のレオは誰にでも怒りを見せる。
しかし、爽はそんなことはどうでも良くて、初恋の人であるレオに信じて欲しかった。
心のままにレオに抱きついた。
「レオさん…。怖かったよ…。」
爽の呟きに、レオは自分の言葉を反省した。
「ごめん…ごめんね、爽。」
そう言って抱きしめ返したレオは、爽の強い香りと熱い体に驚いた。
「爽、大丈夫?!」
「く…苦しい…。」
「ネロ!抑制剤はあるか?」
孤児院育ちの爽は、抑制剤を使えるような余裕のある暮らしはしていない。
過呼吸に陥っている爽に、ネロは駆け寄って持っていたカバンから薬を出した。
「これを一錠飲むんだ…!何週間もヒートが続けば体力がもたない。」
「ありがとう。」
レオは爽を抱き抱えて薬を飲ませようとした。
けれど爽は体の熱に体力を奪われていて、飲むことができなかった。
喉を動かすことは難しく、グッタリとした体を持ち上げられない。
「爽…?おい、爽!」
「どうした?!」
「呼吸が…浅い…。」
「なに…?!」
Ωにとって発情期は命懸けのようなもので、αに近づかれれば、体は異常な熱を発する。
それが何日も続いていた爽に体力は残っていなかった。
啓之助に襲われて、抵抗した時が最後だった。
「爽!目を閉じたらいけない!爽!」
「れ…レオさん…し、信じて…」
「喋らなくていい、呼吸に専念して!けど、目を閉じたらいけない…。」
「レオさんのことが…好き…。」
「わかったから、喋って息をあげたら…」
レオの説得も虚しく、爽は完全に意識を失った。
「爽!眠るな!今眠ったら…!爽!」
爽が動かなくなり、呼吸の音が浅くなっている。
レオはネロに視線を向けた。
ネロは獣人専門の医者だ。
困った顔をしたが、爽を助けようとしてカバンの物を床に広げはじめた。
「全力は尽くす。けれど、人の医者に連絡を!」
院長はその言葉を聞いて、すぐにうなづいた。
「は、はい!」
ネロは走って出て行ったのを確認してから、カバンの中にあった薬と注射器を取り出した。
「解熱剤と…呼吸を楽にする薬を投与しよう。獣人にも人にも効くものだ。」
「頼む、ネロ。爽は…俺の愛する子なんだ。」
レオは初めて、爽への気持ちを理解した。
思い出の中の少年が、爽だと今さら気づいた。
思い出の中で好きだと言ってくれた少年には、手の甲にほくろがあった。
三つの小さなほくろだ。
それが、レオの頬に伸ばされていた爽の左手の甲にあった。
(あぁ…あの時の子はやはり…君だったんだろうな。気づかなくて…ごめん…。)
レオは爽への気持ちを理解して、たとえ運命の番でなくても、愛していくことを決意した。
爽の目が覚めたのは一週間後だった。
熱が冷めて、啓之助からは「もう近づかない」という謝罪の手紙が届いていた。
どうやら婚約者がいたけれど爽に一目惚れして、その結婚が嫌でたまらなくて、孤児院に押しかけて来たらしい。
辛い思いをしたし許せないけれど、もう会うことはないだろう。
「爽…大丈夫?」
「うん。もう平気。」
「辛かったのに気が付かないで…ごめんなさいね。」
「いいよ。大丈夫。」
孤児院のみんなからは、そんな謝罪が毎日のようにやって来た。
爽は苦笑いを浮かべてうなづいていた。
そして、レオとはどうなったのかというと…
「爽、おはよう。」
「あ!レオさん!」
国立図書館のいつものカウンターである日、レオがバラの花束を持ってやって来た。
「ど、どうしたんですか…?!」
「君に。」
「え?!」
「どうか、受け取ってくれる?」
花束の中にはメッセージカードが入っていて、中には「愛するひとへ。」と書いてあった。