「ウロコの腕」
リュバンを出てから一週間、マリとブラムは、お互い無言で森を歩き続けた。
会話がないのは、ある種の苦痛を伴ったが、今までの経験からマリが必要以上の会話を望んでいないことを知り始めていたのでブラムの方も敢えて口を開こうとはしなった。
日中は歩く事に専念し、日が落ちると手頃な場所で食事を取り浅い眠りに入る。
そんな毎日がさらに三日続いた頃、二人は森の中にあるモノを見つけた。
道だ。
自然の営みによってできた獣道ではない、人間の手によって意図的に作られた道だ。
「近いな」
マリは独り言のようにつぶやいた。
「うん。人の匂いも濃くなってきた」
ブラムは鼻をフンフン鳴らしながら言った。
人の匂いは、その日の朝から感じてていた。恐らくマリは、それよりもずっと前に感じていたのかもしれないが。
「それで、僕は何をすればいい?」
彼はマリの方に目を向けながら尋ねた。
「交渉は私がやる。お前は後ろで黙って見ていればいい」
彼女のこの答えに、ブラムは不満そうな顔をしながら腕を首の後ろに回した。
「つまり何もするなってことだね。まあ、マリにはマリのやり方があるんだろうから良いけどさ」
マリは道の方を見たままうなづいた。
「物分りが良いな。取り敢えず、お前にも相応の分け前が来るようにするから安心しておけ」
目的の村は、一見平和そうに見えた。
人の生活の匂いは健在で、女子どもは、あたりまえのように外を出歩き、家畜も呑気に飼葉桶の草を食んでいる。
彼は、ストレイだった頃に魔物の進行から数週間が経った村というモノを何度となく見てきた。
血の匂いと死臭があたりに立ち込め、人々は家に閉じこもり、家畜は常に怯えた様子で、ちょっとした物音でもパニックになる始末だった。
ここは、まだ魔物が現れてから日が浅いようだ。
ブラムは、周りの光景を見ながら胸の内でつぶやいた。
村人は、彼らに気づくと顔を上げ物珍しそうに見つめたが、その異様な雰囲気を感じてか誰一人として話しかけようとはしなかった。
マリは、そんな村人たちの中の一人の男に声をかけた。
身なりからして村の中では比較的裕福な方なのだろう。
男は、最初マリのことを胡散臭そうな目で見たが、彼女が魔物を退治しに来たとの旨を告げると、その目は気味の悪いモノでも見るような色に変わった。
男は、「村長が詳しい話を教えてくれる。そこを数十分行って右にある家に表札があるはずだ」と言い、東の方を指さした。
マリは、男に礼を言うと示された方へ歩いていった。
ブラムも、その後に続く。
村長の家に着く頃には、すでにストレイがやってきたとの話が村中に広まっていた。
村長は歓迎しないまでも、先ほどの男よりは礼節を持って接してくれた。
「言い値で動く。魔物の特徴を教えろ」
マリは家に入るなり近くのイスにドスンと腰を下ろすと、単刀直入に言った。
村長は面食らった様子で口をモゴモゴさせた。
驚いたのは、彼だけでなかった。
「ちょっと、マリ。交渉ってそれだけ?」
ブラムは思わず声を上げた。
普通、ストレイに対する報酬の交渉は短くても数十分はかかる。
人間よりも力があるとは言っても彼らも命をかけているため、半端な額では動く気になれない。
一方の人間の方は、身近な脅威であっても、それを取り除くのに大枚を叩く気にはなかなかなれない。
できることなら安価で済ませたいし、何よりこれから金を払う相手は自分たちに危害を加えている者と同じ魔物なのだ。
大抵が報酬を渋るるのも、ある意味では当然のことなのだろう。
できるだけ高収入を望む者と可能な限り報酬を減らしたいと思う者。その両者の間での微妙な駆け引きが交渉を長引かせるのだった。
こう言ったことは、当事者になった者でなくても人づてに聞いてある程度は理解していた。
当然、村長もこれから長い戦いになると思っていたのだが、マリが一方的に譲歩してしまったため結局彼の意気込みは無駄なモノに変わってしまったというわけだ。
「待ってよ、マリ」
ブラムは、もう一度マリに向かって言った。
「交渉って、たったそれだけ?何かもっとこう…」
とブラムが言いかけた瞬間、マリは、さっと彼を睨みつけた。
黙ってろ。
彼女は口を使わず目でそう言った。
ブラムは、仕方なく口を閉じると、そのまま先程までいた壁際に戻った。
マリは彼が折れたのを確認すると村長の方に目を移し、再び目で語りかけた。
早くしろ。
「は、はい…」
村長は、おずおずと語り出した。
「なんで、あんな契約をしたのさ」
ブラムは前を行くマリに向かって尋ねた。
二人は村の外に広がる森の中にいた。村長の話によると、村人に危害を加えている魔物はこの森に棲んでいるらしいが、それらしい影や気配はまだ感じられない。
「そんなに騒ぐな。報酬は全部お前にくれてやるから静かにしていろ」
マリは、前を向いたままそう答えた。
この言葉にブラムはほんの少しだけ気分を害されたような気分になりながら再び口を開いた。
「そう言うことを言っているんじゃないよ。ただ、あんな契約でマリは良いのかって聞きたいだけ」
その時、突然マリが後ろを向きブラムを真っ直ぐ見つめた。
「私は金に興味はない」
彼女はそう言いながら、腕を組み話し始めた。
「人間の作った金など持っていても私にとっては無用の長物だ。腹が減れば近くの獣を狩って喰えば良いし、リュバンの連中と買い物する時は物々交換でも事足りる」
「じゃあ。マリは、どうしてストレイなんかやっているのさ。正直報酬なんてつり上げたところで対したことないし、それこそリュバンで商人みたいな仕事と兼業していた方がすっと良い暮らしができるんじゃないの?」
「理由なんてないさ。私は、ただ殺したいから殺す。リュバンを抜けたのも、あそこでは私自身の欲望が満たされないから離れただけのことさ」
マリはそこまで言うと、突然背中の剣を抜き後ろを振り返った。
ブラムも、反射的に腰の剣を取り出した。
気配がする。それに音や匂いも。
獣それもかなり大きな肉食獣のモノだ。
獣は、こちらに向かってきている。
足音はない。代わりに静かな風切り音が聞こえた。
普通の人間や獣なら聞き漏らしてしまいそうなほど小さな音だが、狩人として経験を積んだ二人には普通の足跡のように鮮明に聴き取れた。
「来るぞ」
マリが静かな声で叫んだその時、目の前の草むらからソレが飛び出してきた。
鷲のような頭とかぎ爪、背には翼、下半身は獅子のように見える。
獣は猛禽のような甲高い鳴き声を上げながら二人に向かって滑空した。
マリとブラムは、それぞれ左右に飛んで獣をかぎ爪を避けると、眼でその後を追った。
「グリフォン…」
ブラムが小さくつぶやく。
「村長の話の通りだな」
マリは、そう言うと再び向かって来た獣に向かって剣を向けた。
両者の距離が腕一本分の長さになった瞬間、グリフォンは前肢をマリに向かって振り下ろし、彼女は剣でそれを受け止めた。
魔物が持つ本来の力に滑空による加速が加わった攻撃は、想像以上の衝撃だった。
マリの身体は、後ろに吹っ飛び近くの大木に叩きつけられた。
「マリ!」
とブラムが声を上げるのと同時にグリフォンが今度はブラムの方に向かって突っ込んできた。
とっさに避け直撃は免れたが、一瞬反応が遅れてしまい左腕を爪で深く切り裂かれた。
鮮血が風になびく帯のようにブラムの腕から噴き出した。
激痛が腕を走ったが、ブラムは傷を庇うそぶりを見せずにグリフォンの方を睨んだ。
魔物はとどめをさそうと再び彼の方へ向かって滑空してきている。
「調子に乗るなよ、この鳥野郎!」
ブラムはそうつぶやくと、右手の長剣を鞘にしまい左手の短剣に持ち替えた。
グリフォンが再び甲高い声を上げながら攻撃を繰り出す。
ブラムは、それをギリギリの距離で避けると、次の攻撃のために再び安全な空へと戻ろうとする魔物の跡を追った。
グリフォンは、すでにかなり高い位置にいる。
だが、ブラムは追うのを止めなかった。
と、その時。突然ブラムは足をグッと曲げたかと思うと、そのまま地面を両足で蹴った。
彼の身体は地面から離れると、次の瞬間にはグリフォンのいる高さにあった。
ブラムは、自身の身体が落下するよりも早く魔物に掴みかかった。
まるで空を飛ぶ鳥を捕まえる猫だ。
グリフォンは自身の安全が崩れ去ったことに混乱し、飛びついて来た生き物を振り落とそうと宙で闇雲にもがいたが、ブラムは魔物の翼を左手で掴みながら必死でしがみついた。
しばらくすると、グリフォンが力を失い動きが緩慢になり始めた。
ブラムは、その隙を逃さなかった。
彼は右手に持った短剣を振り上げると、獣の翼を何度も突き刺した。
グリフォンが痛みに呻き再び暴れ出す。
だが、ブラムは攻撃の手を緩めなかった。
魔物の血と羽毛があたりに飛び散りブラムの身体は朱に染まった。
攻撃を受ける度にグリフォンの翼は身体とのつながりを失い、やがてグロテスクな音を立てて千切れた。
グリフォンは飛ぶための要を失い千切れた羽を持ったブラムとともに地に落下した。
二つの身体は地面に叩きつけられると二回ほどはずみ、それぞれ別の場所に落ちた。
ブラムは全身を打った衝撃でなかなか立ち上がれなかった。
その間、グリフォンは四本足で立ちがると荒い息を上げながら起き上がれないでいるブラムを睨んだ。
その眼には憎悪の色しかなかった。
ブラムは、何とか立ち上がろうしたが痛みで身体が言うことを聞かない。
そうしている間にもグリフォンは、金切り声を上げながら、彼に向かって駆けてくる。
ここまでか…。
ブラムは死を覚悟して歯を食いしばった。
だが、次の瞬間。彼の前に何者かが立ちふさがった。
彼は、眼をその者の顔に向けた。
マリだ。
フードを外していたため狼化しているのが、はっきりと分かった。
彼女は、迫りくる魔物に剣の切っ先を向けながら目をつむり、何かをブツブツとつぶやいている。
聞いたことのない言葉。外国語だろうか?
マリは言葉を唱え続けながら大剣の峰を左手で撫でた。
と、次の瞬間。その獣の顎を思わせる刀身が撫でたところから炎に包まれていった。
ブラムは、驚きと恐怖の混じった目でマリの姿を見た。
赤黒い炎は今や刀身全体を覆い、元の形が判別できないまでになっている。
マリは、眼を開きグリフォンを睨んだ。
すでに目と鼻の先の距離だ。
魔物は、敵の身体を引き裂こうと前脚を振り上げようとした。
だが、マリの方が圧倒的に早かった。
彼女は剣を水平に構えると、そのまま前に飛び出しグリフォンの胸に剣を叩きこんだ。
魔物は耳を聾(ろう)するほどの叫び声を上げた。
剣が触れた箇所は、斬り裂かれるのと同時に炎に焼かれ不快な臭いの黒煙を上げた。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
マリは、遠吠えにも似た雄叫びを上げながら剣をさらに深く潜り込ませた。
そして、とうとう剣は魔物の身体を抜けきり、その身体を真っ二つにした。
辺りには沸騰してグツグツと煮えた血の海が広がっていた。
マリの剣に宿っていた炎は、いつの間にか消えていた。
どういう訳か、彼女の剣や衣服、毛皮には焦げた跡らしいモノが見られない。
ブラムは、再びマリの顔を見た。
いつの間に戻ったのか、人狼の顔は人間の顔に変化していた。
悲しみ、恐怖、怒り。様々な感情が入り混じった表情だったが、その中に喜びや興奮といったモノは、なかった。
殺したいから殺す。
そう言う者がする表情ではないことは確かだ。
ブラムがそんなことを考えていると、マリは、ふと物思いから覚めたかのように後ろを振り返った。
一瞬目があいブラムは心臓が跳ね上がる思いがしたが、一方のマリは気にする様子もなく彼の前でしゃがみ込んだ。
彼女はブラムの身体を強引に抱き起すと、彼の左腕を荒っぽく掴んだ。
「いたたた!痛いよ、マリ!」
ブラムは抗議したが、マリはいつものように彼の言葉を無視した。
人狼は少年の傷をしばらく見つめると、突然右手でその傷口をゆっくりと撫で始めた。
次の瞬間、ブラムは我が目を疑った。
傷口が消えていく。
マリの撫でられた箇所から、傷口がまるで始めからそこになかったかのように消えていったのだ。
それは、あっという間の出来事だった。
傷が完全に消えると、マリは目を開け、ブラムの青い瞳を見つめた。
「動かしてみろ」
ブラムは、促されるまま左腕を動かした。
一通りの動作をやってみたが、痛みや違和感のようなモノはなかった。
彼は、もう一度自分の腕を見た。
ご丁寧にも衣服の裂かれた部分まで元通りになっている。
ブラムは、マリの黄色い瞳を見た。
「どうだ?」
そう言う彼女の目は、どこか笑っているようにも見えた。
「うん。何ともない」
ブラムは、立ち上がりながら答えると、再びマリの方に目を移した。
「今のって、魔法だよね?」
無視されるのを覚悟で彼は尋ねた。
意外なことにマリは、すぐに頷いた。
そして、彼女はおもむろに左の手袋を外し袖をまくり上げた。
そこにあったのは、赤黒いウロコに覆われた腕だった。