「激情」
シアとオルフェがそれぞれの追跡に向かった頃、マリとブラムは洞窟からだいぶ離れたところにいた。
二人は、ヒト目を避け森の奥深くの獣道を黙々と歩いていた。
「そこ、段差があるから、気をつけろ」
先行していたマリが振り返り後ろを歩くブラムに向かって言った。
「うん。ありがとう」
ブラムは、そう言いながら足元の木の音をまたいだ。
前までなら、まずこんな言葉をかけられることはなかっただろう。
彼はそれを嬉しいと思う反面、少しだけ不安も感じていた。
ここ数日でマリとの心の距離は随分縮まったと思っていたが、お互いの過去を明かしあってからは何やらまた互いの関係がギクシャクし始めたように感じた。
互いの過去を知り互いが似た傷を持っていることを知った二人は、互いの傷に触れないようぎこちない会話を続けていた。
これなら、前までのように冷たくあしらわれた方が、まだ良かったのかもしれない。
ブラムは、心の隅でそんなことを考え始めていた。
「止まれ!」
突然、マリが腕を上げ立ち止まった。
彼女は指を口元にあて、ブラムに静かにするよう命じた。
ブラムはマリの肩越しに前を見た。
木々の向こうから一軒の小屋が見える。
誰か住んでいるのだろうか、煙突からは煙が漏れ出ていた。
「魔物の小屋だな」
マリは小屋を見ながらつぶやいた。
「分かるの?」
「作りを見ればな。何だか中が騒がしいようだが…」
と彼女が言ったその時だった。
「お願い止めて!」
女性の叫び声とともに四人の人影が小屋から飛び出してきた。
三人は人間の男で同じ形の軍服のような服を身に着け皆片手には長剣が握られた。
もう一人は、犬のような顔の女性。チノセパリックかコボルトの類だろう。
さっきの声の主は、この女性らしい。
女性は、男のうちの一人の左手にすがりついていた。
「お願い。子どもだけは見逃して!私は、どうなっても良いから!」
女性は、男に向かって叫んでいる。
「子ども?」
ブラムは、男の方に目を向けた。
良く見ると、男の右手には何かが握られていた。
子どもだ。
女性と同じ犬頭。体は周りの大人たちの半分の大きさしかない。
子どもは男の手の中でジタバタと暴れているが、男が首をしっかりと掴んでいるため逃げ出せないでいた。
「子どもだけは!子どもだけは!」
女性は、狂ったように叫び続けている。
「黙れバケモノ!」
その時、突然別の男が声を上げながら女性の背中に向かって長剣を振り下ろした。
鮮血が飛び散り女性が倒れた。
「お母さん!お母さん!」
子どもが叫び声を上げ、一層激しく暴れた。
噛まれたのか爪で引掻かれたのか、突然子どもを掴んでいた男が短い悲鳴を上げ手に持ったモノを離した。
子どもは不格好な形で地面に落ちると倒れた母親のもとに這い寄った。
「お母さん!お母さん!」
子どもは、母親を揺すりながら叫んだ。
死んでしまったのか、母親は動かない。
「このバケモノどもが!」
もう一人の男が長剣を魔物の親子に向かって振り上げた。
気がつくと、ブラムは前に飛び出していた。
彼は長剣を抜くと剣を振り上げた男の背中を突き刺した。
銀色に光る刀身が身体を突き抜け胸から飛び出す。
ブラムは男の身体を乱暴に蹴り飛ばして剣をその身体から引き抜いた。心臓を貫かれた男は、その場に糸の切れた人形のように倒れた。
「貴様!」
先程女性を切り裂いた男が声を上げながらブラムに迫ってきた。
ブラムは、剣を振るい腕ごと剣を吹き飛ばすと、男の喉元を切り裂いた。
大量の返り血がブラムにかかる。
彼は、残ったもう一人の男を睨みつけた。
「ひぃ!」
男は、悲鳴を上げながら森にブラムに背を向け走り出そうとした。
だが、目の前に現れたマリによって逃亡劇はあっという間に終了した。
マリは、男の首を掴むと腕に力を込めた。
ボキという不気味な音が響き渡り男の身体から力が消えた。
ドサ…。
三人目の男が倒れる音でブラムは、ハッと我に返った。
ブラムは足元の死体を見て、続けて右手の剣に目を向けた。
全体が朱に染まり切っ先からは血がポタポタと垂れている。
気づくとブラムの手はガタガタと震えていた。
殺してしまった…。
人間を。しかも、もっとも非道な方法で。
呼吸が荒くなる。
ブラムは剣を落とし自分の顔を覆った。
血が顔にベッタリとついた。
「ああ…。あっ、ああああ!」
ブラムは声にならない悲鳴を上げた。
次の瞬間、彼は首に衝撃を感じ気を失った。
マリは、ブラムが気絶したのを確認するとすぐさま女性の前に屈みこんだ。
出血は酷いが、今すぐ治療すれば間に合うだろう。
マリは女性にすがりつく子どもを乱暴に引きはがすと、彼女の身体を担いで小屋の中に入った。
小屋の中は破壊の跡があったが、幸いにもベッドと暖炉は無事だった。
女性をベッドの上にうつぶせの状態で寝かせると、マリは荷物入れから救急箱を取り出した。
「おい、聞こえるか?」
マリは女性に向かって言った。
女性は、荒い息の中か細い声で「はい」と答えた。
「悪いが、今麻酔を切らしている。かなり傷むが、我慢しろよ」
女性は頷くそぶりを見せた。
マリは、それを了承ととらえ治療に移った。
縫合針が肉体を貫く度に女性は身体を震わせたが、声を上げまいと歯を食いしばり続けた。
縫合が終わると、マリは女性を立ち上がらせ傷口を包帯で覆った。
「これで良いだろう。後のことは私がやっておくから、しばらく寝ていろ」
「ありがとうございます」
女性は礼を言うと、倒れるように床に着いた。
マリは女性が寝たのを確認すると、小屋の入り口に目を向けた。入り口では女性の息子とブラムが放心状態で立っていた。
「患者は、もう大丈夫だ。お前らは、風呂にでも入っていろ」