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野上さんは本を心の底から愛している!
これは信じていいことなんだよ。何故って、休憩時間の度に違う本を読んでいるなんて信じられないことじゃないか。僕はあの読書量を信じられないのでこの二、三日不安だった。
しかしいま、やっとわかるときが来た。野上さんは本を心の底から愛している、これは信じていいことだ。
本を読むのは知識を得るため。そう、物語を楽しむために本を読むなんて僕には縁遠かったんだ。書店でアルバイトしようと思ったのも参考書が社員割引きで買えるから。なのにそんな今までの前提を覆してくれたのはそう、野上さんだから。
休憩時間のたびに新しく読んだ本の感想を語ってしまったり、ついうっかりで読んだことが無いと言うと家から私物の本を渡して返却期限はと尋ねると「本を読む速さはそれぞれだから、好きなだけ楽しんで返したいときに返せばいいよ」と決まって言う。
この前なんてちくわ文庫担当になって不安になっている僕に対して「ちくわ文庫の特徴を知ってくれれば」と言って文芸書を贈ってくれた。
面倒見の良くて本を読む楽しさを知っている憧れの先輩。
カウンターに並んで立ち、各資材の整理を進める野上さん。お互いに大学生で時間帯が被ることが多いのもあってほぼ専属でお仕事を教えてくれる先輩。
「福間君もウチの戦力になってくれて嬉しいよ」
フレームの奥で目を細めしみじみと言う。
「そうですかね、僕なんてまだまだ未熟で学ぶことが多いです。お問い合わせの時も結局先輩方に頼りがちですし」
「完璧になる必要は無いんだよ、出版社の方々だって誤植することもあるし間違った情報を世に出すことなんて珍しくないからね」
野上さんはいつも優しく穏やかに教えてくれる、背が高く大人びた雰囲気を纏いながら。
今日は入荷と品出しが終わってお問い合わせも少ないしゆったりと時間が流れている気がする__と思いきやバンバンとロッカーを叩いたときの様な音にピンと立った耳が動いているなぁ。
「僕、行ってきます」
「あぁ、行ってらっしゃい」
本棚が乱れていたら探しにくいし確認しなければ。
さっきの音がどこからしたのか、きっと小さい子がストッカーに体をぶつけた音だろうと見当をつけて居たけれど。ここは幼児向けの棚をもう通り過ぎて実用書の棚だよね。
方向性が多岐に渡る実用書という曖昧なジャンル分けにお問い合わせを受けて道に迷うこともしばしばあったなぁ。カウンターに持って行かれたのか空いた隙間にストッカーから本を取り出して手に取って本棚に差し補充する。
「すみませ~ん!試し読みいいですか」
振り返るとフェレットの……背が低いけど制服からして高校生か。
「はい、少々お待ちください」
腕に抱えていた本を取り落しそうになりつつ応え、早くお伺いしなければと焦る。どうにかストッカーに収めて歩み寄ると同じ制服を着た常連さんが混じっていて。
「お待たせしました!ホホ、いつもお世話になってます~」
マニュアル通りじゃないけれど知らない振りするわけにはいかないし。この棚でよく見かけるから少し嬉しくなる。
「いつもお世話になっている?」
首を傾げるフェレットの彼に「ああ、こちらこそよくお店に来させてもらって」とぎこちなく続ける兎の彼。何か悪いこと言ったかな、すぐには思いつかないし用件を聞かなければ。
「それで試し読みされる本はどれですか」
「うーん、よくわかんないけど『ツンデレ』?この犬と猫の表紙お願いします」
指差されたのは平積みされた半裸の犬と猫が見つめあっている『ツンデレ彼氏はご褒美をくれないVol.6』人気シリーズ通称『ツンくれ』のサイン本。対応にルールがあったはずだけどなんだっけ、ただお断りするわけにはいかないし。
「ホーかしこまりました、シュリンクを剥がすので少々お待ちを」
羽毛に覆われた手だとこの薄いシュリンクがなかなか剥がれない。厚手のシュリンクだと硬くて剥がしやすいのだけれど、コストの観点と機械の問題から薄手の物を採用しているって言われていたっけ。
「あーそれ俺が探している本だったわ。すまんな笛田」
諦めてはさみを取り出そうとした手を制するように白くふさふさした手が取り上げて棒読み気味に「あっちに笛田の好きそうな漫画あったぞ」と指を差す。
「マジか~ちょっと行ってくる」
残された中性的な甘い香りに包まれて、立ち尽くす。
「えーっと、他にお問い合わせはありますか」
「いや、特には無いので大丈夫です」
「ホホゥ、また御用があればお気軽にお声がけください」
来た道を引き返し、さっき急いで収めたストッカーを開けると背表紙が揃っていないから巻数順に並び替えて。ふと思いついた備品を取りにバックヤードへ向かうとさっきのシャム猫の彼が棚の同じ列、背表紙を繰り返し指で撫でてぶつぶつ呟いてる。
既に籠の中には『汀にて』『木酢』と僕でも知っているようなタイトルが並び読書家と見受けられる、野上さんも休日に本を探しに来ているときは同じことしていたな。
「何かお探しですか」
尻尾を跳ね上げ驚く彼と籠から落ちたゼク〇ィ。
「えぇ!」
間に合っていないけど手で押さえた嘴。みるみる赤くなっていくシャム猫の彼へ掛ける次の言葉を選ぶ。
「申し訳ございません。本をお探しであればお手伝いしましょうか」
「……じゃあ、『紅差し指の標本』をお願いします」
「承りました、お調べしますので少々お待ちください」
おずおずと言う彼に応え『紅差し指の標本』と繰り返し唱えて点在する在庫検索用の端末に書籍情報を打ち込むと表示される所在地、フェア対象で移動していたらしい。
入り口へ遡って僕の担当しているちくわ文庫と野上さん担当のハヤシモ文庫の棚を通り過ぎてすぐにある特設の本棚は作家や出版社の枠を超え集められたアンソロジー。噂に聞くような大型書店でもない当店ではあらかじめフェア用に本部や版元から提供されるPOPは存在しない、一冊一冊取り付けられたPOPは当店スタッフが読書遍歴から紡いだ言葉が施されている。
フェア特設本棚の大半を占めるのは野上さんお手製POP__キャッチコピーの一行に対して説明文の文字が小さすぎて読み辛いと話題のそれ。
「『紅差し指の標本』はこの中にあるはずだけど……あった」
『試験管越しに覗く白衣の彼との惑溺モノ』。内容を端的に説明するキャッチコピー、野上さん濫読家なのは知っていたけどこういうのも読むんだ。憧れの先輩を構成するひとかけらが手の内に、仕事中なのにページを捲ってしまいたくなる。
「あの」
「あ、すみません。こちらお探しの『紅差し指の標本』です」
心配そうに声を掛けてきたシャム猫の彼に差し出す。以前はこんな事なかったのに。
「では失礼します」
何故だろさっき躊躇ってしまったのは。一般流通している本なんていくらでもあるのに僕は一体なぜこんなにも悩みながらカウンターに戻っているのか。
「おかえり、お問い合わせ大丈夫だった?」
涼しい顔で迎え入れているけど、カウンターに入るなり見える注文票の数から僕が居ない間に十件以上は一人で販売していたんだろうな。
「野上さんは仕事中に目の前の本が読みたくなる事ってありますか」
「しょっちゅうかな……」
即座に切り返される答え。
「でも、読みだしたら仕事にならないし退勤や休日まで我慢してる。それに買うなら少しでもキレイな本を買いたくなるでしょ」
野上さんの言葉を聞いて「あ」と声に出してしまう。
「さっきの『ツンくれ』サイン本、シュリンクに皺が寄っていたけどもしかして剥がそうとしちゃった?」
力なく項垂れる僕の肩に手を置き「サイン本は基本買取だし買うのはファンが多いからお断りしてね。僕も新人の時よく失敗しちゃったし今度から気を付けてね」と続ける。
「はい、以後気をつけます。さっきPOP見て気になったんですけど『紅差し指の標本』ってどんなお話ですか」
少し背の高い野上さんは誰よりも本が好きで頼りになる憧れの先輩で、フレームの奥で目を輝かせ尻尾を忙しなく振って語るのだから止めたくても止められなくて……
カウンターでお客さんが待っているのにも関わらず、気づかずに語ってしまった野上さんは後で店長からお小言を頂戴していたけれど、僕にとっての憧れの先輩には変わりない。
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