人は氷竜の仔へと還る

  目が覚めると、そこは薄暗い洞窟だった。

  ここはどこだろうか。どうしてこんなところに居るのだろうか。

  出かけ先から家に帰る途中の道で、なにか巨大な獣に襲われたような、その獣の前足につかまれて全身を砕かれたような、そんな気がする。

  服には乾いた血がついてはいるものの、ケガは無いようで痛みはまったく感じていない。胸を中心に胴回りの手触りがやけに硬いのと、尾てい骨と背の肩甲骨あたりが張った感じがするのが少しだけ気になるくらい。

  気分はやけに爽快で、全身に力がみなぎり、頭は冴えわたっている。その割には微妙に頭に霞がかかっているかのようで、深く物を考えることができなかった。

  辺りを見てみると、土壁の通路があって、少し先には出口と外の明かりが見える。ここはどこかのほら穴だろうか。

  すぐそばには、軽く見上げるほどの大きさがある真っ白い小山がある。とたんに小山が動き出すと、長い首を持つ頭が持ち上がった。

  氷柱のような二本の角と、ワニやオオトカゲのような長い口吻をもつ、凶暴そうな顔つきをした爬虫類である。その顔が、縦に細く割れた獣の瞳で見つめてきた。

  これは、この雪のように白い鱗を持つ巨大な爬虫類は、竜だ。人を好んで喰らう、巨大で強大で凶暴な獣だ。

  呆然としてソレを見ていると、竜はおもむろに大きな顔を近づけてくる。人間など軽くひと呑みにできそうな巨大な口を開けると、先が二股に割れた青い舌でべろべろと舐めてきた。

  ヤスリのようにザラザラした舌は巨体のために大きく分厚くて、体中がねっとりとした冷たい唾液まみれになってしまう。

  でもなぜだろう、そんな動物の愛撫で行為をされても不快感はまったくない。

  びっしりと並ぶ鋭利な牙の間から濃厚な血の匂いを漂わせている、巨大な肉食獣を前にしているのに、恐怖さえも感じることがなかった。

  竜は首を引っ込めると、懐から何かをくわえ持って、目の前に落としてきた。なにかの動物の生肉だ。あちこちに霜が張り付いているそれは、見るからに冷え切っている。

  「グルル、グルルルッ」

  竜は獣の口吻を、人の言葉を発するかのように動かしつつ野太い声で喉を鳴らしながら、短い角のある鼻先で肉を手元へと転がしてくる。食べろということらしい。

  それを見た途端、猛烈に腹が減ってきた。生の肉であるのに気にはまったくならず、むしろそのまま食べたいという欲求が強まると、体が勝手に肉へと飛びついて喰らいついていた。

  じっと様子を見てくる竜は、真紅の竜眼を少し細めるだけで、なにもしてこない。硬い鱗に覆われたその顔面には表情などなく、何を考えているのかはわからないのだけど、なぜだが敵意も悪意もまったくないのだと直感できる。だから安心して食事をしていて良い。

  味もなにもないはずなのに不思議と旨く感じる生肉は、半分凍っている上に筋張っていて堅いけれど、あごの力がやけに強いので、なんとか食べていける。

  よく噛んで味をみてみると、凍りかけのわりには冷たさは全く感じず、焼いた肉のような旨味を感じるので、いくらでもいただけそうだ。

  肉を食い尽くして、服の下からでも腹が膨れているのがわかるほどの満腹になったとたん、強烈な眠気が襲ってくる。

  睡魔に抗うことは到底できず、竜の目の前でそのまま寝入った。

  [newpage]

  土の洞窟の中で目が覚める。

  洞窟の様子は変わっておらず、白い竜も相変わらず長い尻尾を丸めて座っていて、外も目覚める前と同じく明るい。

  経った時間は一日か、それとも数日か。どれくらいの時間が経ったのか、いまいち時間感覚をつかめなかった。

  ただ、相変わらず頭はすっきりしていて、五感も冴えわたっているので気分爽快である。ただ、一点だけ少し不快なところがある。服が少しキツくて、全身が圧迫される感じがあるのだ。

  少し体を動かすと、二の腕の部分から派手に布が裂ける音がして少し驚く。見ればやはり、パンパンになった服の二の腕部分が、大きく張り裂けてしまっていた。

  服の裂け目の下にある肌の色はやけに白くて、氷のようにきらめいている。いや、肌が白い何かに覆われている。

  細かいひし形の板が連なっているそれは鱗だった。二の腕の半分から上を覆っている鱗はとても冷たくて堅いのだけど、柔軟性があるので不自由なく肩を動かすことができる。

  自分の肌には鱗があっただろうか。

  もっと柔らかい肌ではなかったか。

  元からこうだったような気もするし、そうではない気もする。

  自分の手も目に入る。なにかが違う気がする。

  小指が他の指の三分の一程度大きさしかなく、そのぶん他の指が長く太くなっている気がする。

  自分の手は、こんな形だっただろうか。

  指は五本もあっただろうか、元からそうだったような気もするし、そうではない気もする。

  いや、元からこうだったと思いのほうがずっと強かった。自分は生まれた頃から鱗があって、小指なんてなかったではないか。

  だったらこの余計な指は何なのだろうかと首を傾げたが、まあいいやと思った。

  立ち上がろうとして、なにかを踏みつぶす。足元を見るといつの間にか素足になっていて、踏んでいたのは脱げた靴だった。違和感がまったくないので、すぐに気づけなかった。

  足の甲やかかとには白い鱗がちらほらと張り付いている。

  足の小指が豆粒のように小さいような、足の指が太くて倍以上に長いような、親指の位置がかかと側にズレているような。そんな疑問が一瞬だけよぎったが、これもまた気のせいなのだろう。

  立ち上がると、体の感覚が少しだけおかしい。体の重心が若干前の方に傾いているのだ。だが、立って歩くには問題ないから、これもまた気のせいなのだろう。

  ところで、尾てい骨の先を動かそうとしてみるけど、なにかに縛られているようで、どうにもうまくいかない。この感覚は何なのだろう。

  「グルルル、グルルゥゥ」

  上から獣の低い唸り声がすると足元に肉が転がってくる。見上げてみると、竜は無表情な爬虫類の面を向けてきながら、前足で肉を指し示す。黙って様子を見ていた竜が渡してきたのだ。

  凍りかけの生肉を見た途端に空腹を思い出したので、すぐさま手に取ってがっつく。

  今日はたっぷり寝て力で満ちているためだろうか、前は噛み切るのに苦労した肉を軽々と千切ることができて、苦も無く全部胃に収めることに成功する。

  腹が丸々とふくれあがるまでに満腹になると、あれほど頭がスッキリしていたはずなのに強烈な睡魔に襲われて、抗いようもなく夢の世界へと突入してしまった。

  [newpage]

  ぱっちりと目が覚める。

  土の壁、明るい外、白い竜。この洞窟の様子は相変わらず変わりない。

  いや、竜が少しだけ小さくなったような気がする、いや、この洞窟が少しだけ狭くなったような気がする。いや、実際に見直してみると変化は感じなかったので、気のせいだろう。

  服がキツい。上体を持ち上げるだけで、あちこちから布が破ける音がする。

  服の裂け目から覗く腕の肌は、肘から上が白い鱗で満ちている。パンパンになった太腿も、胸あたりも腕と同様に、真っ白く輝いていた。

  指の数を確認してみる。太くて力強そうな指はきちんと四本だ。五本目の指がくっついていた気がするけど、やはりあれは気のせいだったのだ。

  しかしその指先には、なぜか爪がない。爪がきれいにはがれ落ちて、肉が丸出しになっている。

  どうしたのだろうか、寝ている間に爪をはがしでもしたのだろうかと思ったが、指先から先が尖った爪がちゃんと頭を出してきているのがわかって安心する。

  軽く運動をするべく立ち上がると、バランスがやけに悪くてふらついてしまうが、その理由はすぐに分かった。

  尾てい骨の先に力を入れて精一杯立てると、ばりばりと服を裂いて、白い鱗で覆われた短い尻尾が飛び出した。

  尻尾を押さえつけてたら体のバランスをうまく取れないのは当たり前だった。これでまともに歩けるようになるだろう。

  長い前の足指と、かかとから横に伸びる親指で、しっかり地面をわしづかみにしながら洞窟の出口に歩いて行って、外をのぞいてみる。

  そこは雪が降り注ぐ銀世界が視界いっぱいに広がっている。峻険な山々がどこまでも連なる大自然だった。ここは雪山だったのだ。

  不意に突風が吹いて、顔に雪が叩きつけられる。

  心地よい冷たさだ。真昼に日光浴をしているかのような快適さである。もっと体を冷やそうと思って深呼吸して、力いっぱい息を吐きだしてみると、吹雪よりも冷たい息がきらきらと輝きながら寒空へと拡散していった。

  「コッチ、コイ、ニク、クエ」

  凍てつく雪の冷たさを愉しんでいる所で、竜が声を上げて呼んできたので、慌てて寝床まで戻る。

  そして、いつもの凍りかけの生肉を転がしてくるのだけど、今度は大物を狩ってきたのか、今までの倍の量はあった。正直、今までは食べても食べても足りなかったのだ。喜びとともに肉を受け取って、さっそく食いつく。

  自分の頭くらいはある大きい肉だけど、今日はあごの調子が良いのか、いつもより大きく口を開くことができるので、問題なくかぶりつくことができる。

  ひと噛みするごとに、口からなにかがこぼれては地面に落ちる。なにか白いものが次々と地面に散らばっていく。それが三十個と少々転がったところで、なんだか肉を噛み切りづらくなったが、痛みも違和感もないので、なにも問題ないだろう。

  そうして体中に肉をしきつめんばかりに喉の奥へと肉を押し込み切ると、あっという間に押し寄せてくる睡魔に負けて、その場でころっと寝てしまった。

  [newpage]

  空腹感とともに目を覚ます。今回はなんだか、いつもよりも長く寝た気がする。

  竜のほうを見てみると、すでにいつもの肉が転がされていた。

  もう餌の準備が終わっている。やっぱり今回は寝すぎてしまったのだ。

  「起きた。腹減ったな、喰え」

  ニコニコと笑う竜の言葉に促されるままに肉をつかみ取ろうとして、見慣れた自分の手が目に入ったとたんに動きが止まる。

  手首までが鱗で覆われていて、手の甲にも白い鱗が張り付いている自分の手。節くれだった太い指先からは、猛禽類のそれのような黒光りする長いかぎ爪が伸びている。自分の手ってこんなに立派だっただろうか。

  なんとなく自分の顔を触ってみる。顔中を覆う鱗と爪が当たって、かちりと硬質な音をたてる。

  なんとなく口を開け閉めしてみる。歯のかみ合わせはものすごく良くて、ぎちりと硬質な音をたてる。

  なにも変わっていないはずなのに、何かが変わり果てているような、そんな不思議な感覚にしばし囚われる。だけど目の前の肉を見ていると、喉の奥から獣のような声が漏れてくるとともに食欲でいっぱいになったので、どうでもよくなった。

  凍り付いた肉に手に取って、思いっきり食いつく。

  今日もあごの調子が良い。歯を軽く食い込ませるだけで、鋭利な刃物で切り裂いたかのように、きれいに皮や骨が切れていく。

  だが、なぜだかうまく咀しゃくできない。口に肉をたくさん詰め込もうとすると全く頬張れず、口の端からはみ出てはこぼれてしまうのだ。

  もう一度顔に触ってみると、かぎ爪の先が歯に触れる。頬肉が無く、歯の列がむき出しになっていた。これでは頬張れそうにない。仕方ないので噛まずに呑み込むようにした。

  肉が全部胃に収まると、上着が破れに破れて、布切れ寸前の状態になった。

  ここは雪山だから、このままでは凍えてしまうのではないかと一瞬思ったけど、自分にとっては寒ければ寒いほどいいのだから、問題なんてあるばずはないだろう。

  新雪のように真っ白な鱗で覆われ尽くしている胴体には腹板が連なっているが、胃の部分だけがぼっこりと膨らんでしまっている。ぶくぶくと太っているみたいで、ちょっとみっともない。

  まあ一日もしないうちに消化を終えるだろうから、なにも問題はないだろう。

  それにしても満腹になると、すぐに眠くなってしまう。

  早く消化を終えるために、さっさと寝てしまうことにした。

  [newpage]

  目が覚めると、まず体に変なものがまとわりついているかのような不快感を覚えた

  どうしたのだろうかと思って、身を起こしてから自分の体を見てみると、布切れがあちこちに引っ付いていることがわかった。

  自由自在に動かせる首を伸ばして、自分の背中や胸まわりを見てみる。

  全身を覆い尽くしている真っ白な鱗の表面に、少しだけ引っ掻いた跡がついていた。布がわずらわしかったので、寝ている間にはがそうとしたのだろうか。

  白い鱗で覆われている自分の手を見てみると、かぎ爪に布片が引っかかっていた。案の定である。

  というかそもそも、どうして鱗ある自分がこんな布を身にまとっていたのだろうか。はっきり言って意味がないしうっとうしいので、さっさとはがしておかなければ。

  かぎ爪を体中に当てて、がりがり硬質な音を立てて引っかくと、余計な布が全部なくなってスッキリした。

  自分の体は鱗で守られているのだ。こんな布を身に着ける必要は無い。

  とりあえず立ち上がろうとすると、やけに大きくふらついてバランスがとり辛い。頭がふらふら動いて収まりが悪いのだ。首を真っすぐ伸ばすと、なぜか視点が天井の方に行ってしまう。

  なんとなく首筋をさすってみる。頭一つぶんほどある、すらりと伸びた長い首だ。鎌首をもたげるように首をすぼめれば今まで通りに正面を見ることができるのだけど、どうにもしっくりこなかった。これではまともに立って歩くことができないでないか。

  「ようやく起きたか。腹が減っただろう、さあ喰え」

  もやもやした気分で居るところで竜が動きだすと、いつもの肉を差し入れてくれた。

  地面に転がる凍った肉を見ていると、猛烈な食欲が湧いてくる。こういう気分が優れないときは、ぱーっと肉をたくさん喰ってうっせきを晴らすべきである。

  床に転がる肉に首を伸ばしてかぶりつき、一分もしないうちに喰い尽くすことができた。

  やはりたらふく食べると気分がいい。白い鱗に覆われた自分のお腹にはたくさん肉が詰まって、風船のようにぷっくりとふくれているが、もっと食べることができそうな気もした。

  そんなこんなで食後の眠気がやってきたので、その場ですぐ眠りについた。

  [newpage]

  目が覚める。

  さっそく目覚めの運動をしようと思って立ち上がってみると、なぜか激しくふらついて、手を突いてしまう。

  一秒間すら立っていられない。かかと部分が長く伸びてつま先立ちをしている自分の足に問題はない。手のそれよりも長く伸びた鋭いかぎ爪は、しっかりと地面に食い込んでいる。腕ほどの長さの尻尾も布に拘束されるようなことはなく、ちゃんと自由に動かせている。それなのに、うまく立てない。

  自分の手を見てみる。太い四本指を持ち、厚い鱗で覆われ尽くしているこの手を見ると、この手も足と同じくらい頑丈であるはずだと気づく。

  試しに地面に手をついてハイハイをしてみると一発でしっくりきた。

  四肢で地面を踏みしめれば体がふらつくことはまったくないし、不安定な地面だろうとかぎ爪でしっかり体を固定できるのだ。尻尾を振ればバランスは盤石のものになるだろう。

  おまけに、やけに座りが悪かった首も、四つ足で立てば完全に違和感が消えた。そうだ、自分は四つ足で立つべきだったのだ。

  自分はどうして変に二本足で立つことにこだわっていたのだろうか。自分のことながら不思議で仕方なかった。

  そこで、今まで座りっぱなしで動かなかった竜が、初めて立ち上がった。

  その体は洞窟の天井に届くほどだけど、なぜだか、そこまで大きく感じない。そして軽く身を低くして座ると、翼をもつ広い背中をさらしてきた。そして優しく微笑みながら呼びかけてきた。

  「我の背中に乗れ。水を飲みに行くぞ」

  今日は初めて洞窟の外に連れていってくれるらしい。喜び勇んで四つ足で駆け出し、竜の背中に飛びつく。

  自分のものよりも堅い鱗をもつ背中は氷よりも冷たく、しがみついていると身体がより冷やされて心地よく感じる。

  竜は音を立てない優雅な足取りで洞窟の出口に立つと、翼を広げて雪山の空に飛びたった。

  冷たい風が全身を穏やかに打つ。はるかな高空から山々を見下ろすと、今は雪が降っていないようなので、雄大な銀世界をどこまでも見渡すことができた。

  竜は凍り付いた湖のたもとへと舞い降りる。

  湖の表面は凍っているが、竜はその前足で氷をたたき割ると、氷の下から透明度の高い水が姿を現す。竜はそこへと口先をつけて、水を飲み始めた。

  そういえばここしばらく水を飲んでなかったから喉が渇いていたかもしれない。手を伸ばして水を汲み取ろうと思ったけど、手首が回らないのでうまくできない。

  仕方なく首だけを水面に伸ばして顔を突っ込もうとすると、鼻の先だけが水に触れた。おかげで顔中を濡らさずに済む。

  凍りかけの水が体を芯から冷やしていく感覚が気持ち良くて、いくらでも水を飲むことができた。

  [newpage]

  目を覚ますと、目の前に白いものがあった。

  顔を動かすと、目の前に突き出ている白いものも追ってくる。前を見てみても、真後ろを見てみても、変わることは無い。

  この鱗のある白いものはなんなのだろうか。それに手を当ててみると、鱗が触れ合う堅い音とともに、自分の顔が触られる感触がした。これは自分の鼻だったのだ。まさぐってみると、拳二つ分は前に突き出ている。

  自分の鼻は、少し前はもう少し短かった気がする。いや、そもそも突き出ていなかった気もするが、すぐにもともとこんなものだろうという結論に落ち着いた。

  いや、自分の鼻先以外の白いものが無い。よく見るとあの竜の姿が無い。初めてこの洞窟から、自分の目の前から姿を消していた。

  とたんに血の気が引いた感触がして、ぞわぞわとした不安感が襲ってくる。

  あの竜はどこだ、あの竜はどこだ、四つ足でしっかり土地を踏みしめ、足と同じくらいの長さの尻尾を振り回し、背にある小さな翼を羽ばたかせながら、洞窟じゅうを駆け回って探してみる。

  それなのに竜の姿は影も形もない。

  あの竜は自分を捨ててしまったのだろうか。そんな想像が頭中を支配すると急に悲しくなってきて、遠吠えをあげてしまう。

  その声を聞き取ったのか、どこからともなく羽ばたきの音が近づいてきたと思ったら、あの竜が帰ってきた。それがわかったとたん、居ても立っても居られなくなって、体当たり気味に竜へと飛びついてしまう。

  「おや、我が戻る前に目を覚ましてしまったか。怖がらせてしまったようだな、我が子よ」

  思いもよらぬ言葉に首を傾げる。

  竜は穏やかに笑うと、愛おしそうに鼻先をぐりぐりとすりつけてくる。

  「ああ、我はおまえの魂の母だ。おまえは下等な人間であったという過ちを正し、真に我が子となったのだ。偉大なる竜族の一員となれたことに誇りを抱くが良いぞ」

  竜は満面の笑みで語りかけてくるけど、言っていることが難しくてよく分からない。でも、この竜が自分のお母さんだったということだけはよくわかった。

  自分がお母さんの子どもであることと、お母さんが帰ってきた嬉しさが相まって、お母さんの鼻先を先の割れた青い舌でぺろぺろと舐めつつ、尻尾をたくさん振ってしまう。お母さんも愛おしそうに鼻先を寄せると、大きな舌で舐め返して体を冷やしてくれた。

  [newpage]

  目が覚めて早々、お母さんは『狩りに行ってくるから、しばし待っておれ』と言って翼を広げて、出かけていった。

  前とは違って、お母さんはすぐに帰ってくることはわかっている。それでもやっぱり、お母さんがいないのは寂しいし怖い。心細さを紛らわせるために、お母さんと同じ色をしている自分の鱗を観察することにした。

  頭三つ分ほどある長い首をもたげて頭を真後ろに回す。

  前足も、後足も、胴体も、全身がきらきらときらめく真っ白な鱗で完全に覆われている。どんな獣に襲われても傷つけられることはなく、熱さからも完璧に身を守ることができる、なによりも堅くて美しい氷の鱗だ。

  太い四本指の足先には、獲物の肉をたやすく引き裂けるであろう、長くて鋭いかぎ爪が伸びる。でもよく見ると少し伸び過ぎてきているので、地面をがりがりと引っ掻いて手入れをしておく。

  体と同じくらいの長さの太い尻尾を持ち上げ、獲物に振り下ろすことをイメージしながら地面にドスッと力強く打ちつける。背中にある皮膜の翼をぱたぱたと羽ばたかせて飛ぶ練習をするなどして寂しさをごまかす。

  そうこうしていうるうちに、お母さんの匂いを嗅ぎ取る。少しして羽ばたき音がしたと思ったら、お母さんが大きな鹿をくわえて帰ってきた。

  身体の一部が凍りついている鹿は、まだ息がある。生きたまま獲物を捕らえてきたようだ。

  生き餌はこれが初めてだ。あまりにもおいしそうで、ついついよだれを垂れ流しにしてしまう。

  お母さんは獲物を床に放り出すと、その首へと噛みつく振りを何度かする。

  「さあ、我と同じようにして、おまえの牙で獲物に止めを刺してみよ」

  今しがたお母さんがやってみせたように、獲物の首筋に噛みついてから軽くひねってみる。びくりと身を揺らした獲物は小さな悲鳴をあげると動かなくなった。

  「うむ、見事だ。さすがは我の子だな。腹が減ったな、共に獲物を喰らおうぞ」

  お母さんは満足顔をしてうなずくと、普通に獲物を食べだした。

  仕留めた獲物は食べたもの勝ちだ。お母さんに褒められたのは嬉しいのだけど、喜んでいる場合ではない。全部食べられてしまう前に、急いで獲物に喰らいついた。

  [newpage]

  空腹感がそれほどない、快適な気分で目を覚ます。

  口を大きく開けてあくびをすると、胸の奥から強烈な冷気のブレスが漏れ出て、洞窟の壁の一部を一瞬で凍りつかせた。

  鏡のようになった壁に自分の姿が映し出される。

  全身が新雪のような白の鱗で覆われていて、大きな皮膜の翼と長い尻尾を持つ氷竜の仔の姿がある。

  胴体と同じくらいの長さの首をもたげて、全体が真紅に染まった眼に浮かぶ縦割れの瞳で見つめ返してくる。

  平たい頭の天辺には、氷柱のような二本の立派な角が伸びている。耳よりも深く裂けている長大な吻口を開けてみると、蛇のように急な角度で開いた真っ青な口の中に、鋭い牙だけが並んでいた。

  なにからなにまでお母さんとそっくりだ。自分はお母さんの子どもだということを改めて実感すると、とても嬉しくなって、鼻の穴から冷気を漏らしてしまう。

  あごの位置直しをしたら、四つの足で立ち上がる。少し前は立つだけでもふらついていた気がするけど、この鋭いかぎ爪をもつ頑丈な四肢と、この太くて長い尻尾があれば、バランスを崩すことなどあるはずがないのだ。

  気がおもむくままに洞窟の中を駆け回って遊んでいると、微笑ましいものを見るようにして様子をうかがっていたお母さんが不意に口を開いた。

  「ふふ、愛くるしい子だ。もう体はじゅうぶんに出来上がったようだな」

  そして立ち上がると、おもむろに洞窟の外に向かいだし、尻尾を軽く振りながら呼びかけてくる。

  「我が子よ、今日は狩りの仕方を教えてやろう。その翼で我について来い」

  それから大きな翼を広げると、さっそうと雪の舞う大空へと飛びたっていった。

  今回は背負ってはくれずに、ひとりで行ってしまった。もたもたしていると見失ってしまう、お母さんに置いていかれてしまう、早く追いかけなければ。

  でも飛ぶのは初めてである、うまくやれるだろうか。

  広げると自分の体長ほどになる大きな翼を、本能に任せて適当に羽ばたかせてみると、あっさりと体が浮かび上がる。

  なにも問題はなかった。まあ、自分はお母さんと同じ竜族なのだし、飛べて当たり前だった。

  空の彼方へと向けて飛んでいくお母さんの姿がどんどん小さくなっていっている。早くお母さんのそばに行きたい。お母さんのそばにいたい。

  慌てて地を蹴って、皮膜の翼を羽ばたかせる。吹き上げる山風を翼全体で受け止めて、空へと舞い上がった。これなら余裕で追いつける、もうだいじょうぶだ。

  今日はどんな獲物を狩ることになるのだろうか。その命を刈り取って喰らうときがたまらなく楽しみで仕方なかった。

  おわり