fill_ ~次回作試し読み版~

  影の深まるナイトタウン。街はネオンが輝き、喧騒は未だ鎮まる事を知らない。

  そんな街の一角。レストランの横にある階段を降り、狭い通路を抜けたところ。そこに、ひっそりと佇むバーがあった。

  名を、リトルクラウン。白い羊にティアラを被せた看板が目印の店だ。

  古めかしい木製の扉を押し込み、ひとたび店内に足を踏み入れれば、出迎えるのは穏やかなジャズの音色。ほんのり薄暗さを感じさせる照明の中、訪れた客たちはみなグラスを片手に、思い思いの時間を過ごしている。

  まるで外界から切り離された楽園、別天地にでも降り立ったかのよう──なんて表現してしまうと、流石に過言だろうか。

  けれど、客たちはここにしかない空気を求め、静かに寄り添うようにここへ集う。

  騒がしい夜に、優しい孤独を。

  眠れぬ夜に、心地よい安らぎを。

  「ぁあ〜……はぁ」

  そんな憩いの場に、うめき声がひとつ。

  漏らしたのはカウンター席に座る、一人のブチハイエナだった。

  水色のカッターシャツに紺のパンツという出で立ちの彼は、どこか[[rb:憂鬱 > ゆううつ]]そうに突っ伏しては、チビリチビリとウィスキーを呑んでいる。

  仕事で上手くいかないことでもあったのだろうか。その目元は赤く潤み、まるで世の中の全てを嘆いているようにも見える。

  「辛気臭いツラ晒[[rb:晒 > さら]]すな。客にうつる」

  そう[[rb:辛辣 > しんらつ]]に彼に語りかけるのは、羊のバーテンダー。

  特徴的なふわふわの白毛を一つに束ね、グラスを拭くその姿は、まるで絵に描いたような美少年。

  だが、実際はしっかり成人済み。なんならこの店を切り盛りする女性店主である。

  「別にいいだろうが。うつって困るほど客いねーんだし」

  「なら客寄せでもしてこい。ここでタダ酒引っかけてないで」

  どうせヒマだろう? そう無言の圧をかける羊に、ブチハイエナは面倒くさそうに顔を腕にうずめた。

  実際問題、彼は死ぬほど暇だった。

  それこそ、明日の食い扶持に困るほどに。

  彼の仕事を端的にいうならば……解決屋、が妥当だろう。

  小さな争いごとから失せ物の捜索、果てはボディガードetc。

  困りごとを引き受け、それをスマートに解消する。汚れ仕事も何のその。綺麗サッパリ洗い流してご覧見せましょう。

  ……なんて。格好つけたところで、仕事が舞い込んで来なければ彼はただのならず者。

  今日も今日とて、依頼がくるまでバーに居座り、羊のマスターをもれなく困らせる。

  彼に解決できない問題があるとしたら、今まさしくこの瞬間。客もいない、金もない、ないない尽くしのこの状況。解決するには今ひとたび、酒が足りない。

  「ま、来ないなら来ないで、この街は平和だってこった。客がやって来る、ってことは──」

  カラン。バーのドアが訪問者を告げる。

  噂をすればなんとやら。今宵も現実から逃れたい客人が訪れたようだ。

  ブチハイエナは傍らに置いていた仲割れ帽を被ると、来訪者へ向け歓迎の言葉を紡ぐ。

  「いらっしゃい。今日はどんな注文で」

  「いや〜勝った勝った。そんでハラ減った〜」

  「…………お前かよ」

  ふっと、羊のマスターが笑みをこぼす。

  現れたのは、ブチハイエナの同僚であるライオンだったのだから。

  彼はズカズカと店内に押し入り、カウンター席までやって来ると、さも当然のようにブチハイエナの左隣へ腰掛ける。そしてこれまたいつもそうしているように、羊のマスターへと注文した。

  「マスタービール! あとメシ!」

  「ウチはレストランじゃない。腹が減ったなら上の方に行け。……ったく、いつになったら学習するんだ、このボンクラ」

  「金はあるぞ? なんならついでにコイツの酒代も払うからさ」

  「そういう問題じゃない」

  白のタンクトップに赤いレザーパンツ、黒のジャケットを指に引っ掛けてやって来た彼。

  彼がひとたび口を開けば、周囲に明るい雰囲気をもたらす。本人がもつ、ライオンとしてのカリスマか、はたまた元来の性格か。

  こんなバーには不釣り合いの存在だろう。それこそ、ダイナーやパブにいった方が、彼の要望としても相応しいだろう。

  だが。ここにやって来る以上、彼はれっきとした客人だ。羊のマスターは勧めはすれど、無理に彼を追い出すことは決してない。

  どれだけ雰囲気をぶち壊しにされようと、悩みを抱く客を無下にしない。それがこの店のルールだから。

  「やけに上機嫌な、お前」隣のブチハイエナが面倒くさそうに机へ伏せ、ライオンへ尋ねる。

  「まあな。へへ」恥ずかしそうに鼻の下を手の甲で拭うライオン。彼の体からは、微かに汗のニオイが漂う。

  「いつものファイトクラブか」

  「そ。今日はいい試合だったぜ? なんせ、俺相手に善戦してくるんだから」

  「そりゃ相当な上澄みだこって。荒らしか?」

  「さあ? 純粋にぶち合いたかっただけじゃねーかな」

  それでも勝つのは俺だけどな。そう得意げに言うと、ライオンは自身の胸をトンと叩く。

  別にお前の腕を見下してはないけどな。グラスに残った琥珀色の液体を一気にブチハイエナは飲み干すと、羊のマスターにおかわりを頼む。

  数分後、注文の品が彼らの前へ通される。

  ブチハイエナにはウィスキーのロック。ライオンには変わりのハイボールが。

  渡されたライオンは即座に文句を返すが、羊のマスターは素知らぬ顔。

  不満そうに眉を顰めるライオンに、ブチハイエナはグラスを向ける。

  「ほら、乾杯」

  「あ? ああ。何に乾杯する?」

  「俺達の変わらぬ友情に」

  「……恥ずかしくないのか、お前」

  けれど好きだろ? そう言い、ブチハイエナが目配りをすれば、ライオンは虚を付かれたかのように呆けたあと、照れくさそうにはにかみながらグラスをかち合わせる。

  「俺達の友情に」

  「変わらぬ契りを」

  かち合うグラスの音が心地よく店内に響く。

  不敵に微笑む二つの顔。性格に容姿、種族から何までも違う彼ら。

  けれど彼らの願いはただ一つ。

  辛い夜が堪えるならば、そっと戸口を叩くといい。

  寂しい夜に耐えられないなら、その名前を呼ぶといい。

  悩める仔羊が今日もまた、彼らの元へやってくる。

  「ああ、いらっしゃい」

  「俺達に用か? いいぜ、まずは一杯やろうじゃねーか」

  その名は解決屋、ヘヴンリーシープ。

  さあ、明けない夜を暴きに行こう。

  ※

  「……ああ。大丈夫、今のところ、上手くやってる」

  昼間のビル街。往来する人々の雑踏に紛れながら、青年が一人連絡を取っている。

  スラリと伸びた背筋。カッターシャツにジーンズを穿いた、黒豹の獣人だ。時折通り過ぎる女性が振り返っては話に花を咲かせるあたり、容姿も中々のもの。

  そんな女性相手に軽く手を振り、黒豹は電話相手と会話を続ける。

  「そっちは……そうか。まあ遅いのは……仕方ない」

  黒豹が、その整った顔を[[rb:物憂 > ものう]]げに曇らせる。

  その仕草に射止められてしまったのだろう、手を振られた女性が黄色い悲鳴を上げた。

  「じゃあまた今度。ああ……分かってる」

  そうして黒豹は電話を切ろうとし、一瞬だけ周囲を見渡す。付近に知り合いの姿はない。

  呼吸を整え、スマホを口元へと近づける。そして、躊躇いがちにボソリと「愛してる」と囁くと、そっと受話器のマークをスワイプした。

  通話を終えてしばらく経ち、黒豹は軽く息をもらす。

  また、会えそうにない。

  相手が多忙な日々を送っているのは理解している。それに口出しはしないし、止める気はそうない。

  ……けど、やはり。もの寂しさは募り続けるもので。

  また機会はやってくる。そう黒豹は己を納得させ、ジーンズにスマホを滑り込ませた。

  「誰とのでんわ?」

  「──っ!」

  ふいに、背後からかけられる声。突然の出来事に、黒豹はビクリと肩を強張らせる。

  恨めしそうに振り向けば、そこにはピューマの少年がクスクスと笑っていた。

  「何驚いてるのさ、ノエル。聞かれちゃマズイことでも話してたの?」

  「……ウエダ」

  

  白いシャツにサスペンダー、半ズボンのスラックスという、礼装姿に身を包んだその少年。中でも目を引くのは、背を上回るほどの大太刀だ。布袋に包み背負っているその姿は、幼げな反応に対してアンバランスさを醸し出す。

  「何驚いてるのさ、ノエル。聞かれちゃマズイことでも話してたの?」

  「……ウエダ」

  ノエルと呼ばれた黒豹が、ピューマの少年ことウエダを睨みつける。気持ち、耳をヘタレさせながら。

  「聞いてたのか」

  「なんのこと?」

  「その……さっきの、会話」

  「近くに人いないか、ちゃんと確認したでしょ?」

  つまりは見ていたということだ。

  

  一つ咳払いをし、ノエルは平静を装う。

  相手に動揺を悟られれば付け入るスキになる。仕事を務めるようになって、初めてボスに教わったことだ。

  常に平静に、冷静に。表情の変化が乏しいとよく評され、そのことにノエルは快く思っていなかったが、それが役立つのなら最大限に活用すべきだ。

  まだ挽回できる。この焦りを悟られる前に話題を切り替えれば、先程の囁きだって知られずに──

  「それで、彼氏さんどうだって?」

  しっかり相手まで特定されていた。

  「聞いていたな」

  「ちーがーうーよー。ノエルの反応からそれらしい人物当てはめただけだって。後ろからコソコソ聞き耳立てたりしてないよ? ホント」

  圧迫面接さながらの重圧でウエダを問い詰めれば、当の本人は素知らぬ顔。ノエルより歳下の彼だが、彼らが所属するチーム──ストレイシープ内で一番の食わせ物だ。実力もさることながら、その性格に掴み所がない。

  暫く睨みを聞かせるノエル。けれどこれ以上は無駄だと悟ると、肩を落とし深く溜息をつく。

  男と付き合っているということを知られた時も、たしか同じようにはぐらかされた。その後言いふらすまでには至っていなかったから、今回もまあ、仮に聞かれていたとしても大丈夫だろう。

  「残念そうだね?」

  「そうだな。誰かさんが小賢しくて」

  そうノエルが皮肉を込めれば、アハハと乾いた笑いが返ってくる。

  聞かれてしまった以上は仕方ないというのもあるが、彼氏が、今日は忙しくて帰れないと告げてきたから、というのも気持ちとして大きい。

  どう誤魔化そうと、寂しいという気持ちは抗えないのだ。

  「でも、ズルさって必要だよ? 活動の上でもー、恋愛のうえでも」

  「そうだな」

  「あ、つめたい。これでも僕、ノエル達の仲を応援してるんだよ?」

  そう言いつつも、ウエダの表情はとても楽しそうだ。新しい玩具を見つけたような、そんなワクワクした瞳をしている。

  「ねえ……どんな感じなの? 男の人を好きになるキモチって」

  幼心からくる好奇心なのだろう。純粋に興味本位で、ウエダはノエルに質問する。

  その質問が、今まで散々彼を傷つけてきたものだとは知らずに。

  「…………どうでもいいだろ」

  「良くないって。だって男同士だよ? どんなときにドキドキするのかとか、気になるじゃん」

  「そんなの……!」

  顔をわなわなと震わせ、でもなにも言葉を紡ぐことなく、ノエルはその場で硬直する。

  言うべき言葉を模索しているのか、それとも言うべきことではないと、口を閉ざそうとしているのか。

  酷く不安定だ。よくない感情が、胸中を駆け巡っていくのが分かる。

  「本人達の……勝手だろ」

  ようやく答えられたのは、そんな苦し紛れの言い訳だった。

  気まずさを感じるなか、ノエルのポケットが震える。

  ボスからの連絡だ。

  「行くぞ。仕事の時間だ」ノエルはそう言うと、スタスタと歩き出す。

  「え、ま、まってよ~」

  急な態度の変わりように、ウエダは呆気にとられつつ、慌ててノエルの後を追う。

  そして隣まで追いつくと、何事もなかったかのようにへらへらと笑いだす。

  モラトリアムはここでおしまい。

  今日もまた、悩める者たちが彼らを求め声を上げる。