私が18歳の時、地方の大学へ進学するにあたって、遠縁の親戚の家に下宿させてもらうことになった。その家の一人息子の陽太郎とは、親戚の集まりで何度か会ったことがある程度だった。
中学生の男の子なんて、何を話したらいいかわからない。それに、思春期で反抗期真っ盛りなんじゃないのかな。乱暴な言動があったりしたら、ちょっと怖いな。まぁ、向こうも厄介者に進んで関わったりしないだろうし、当たらず触らず、穏便に暮らしていこう。
ーーと、身構えていた私に対し、陽太郎は驚くほど良い子だった。反抗期なんて別世界の話みたいに、ご両親にも私にも、自分から「おはよう」「おやすみ」と挨拶してくれる。部活には入らずに、放課後はおじさんの畑や配達を手伝っていたし、朝と夜にはおばさんの家事も手伝っていた。
私はたまに彼の勉強を見てあげることがあって、その日も勉強の合間に雑談をしていたのだと思う。
「陽太郎って本当にいい子だよね。優しいし、顔も可愛いし。好きな子とかいないの?」
「いますよ。おれ、◯◯さんが好きです」
「ええ、私?嬉しいけど、今のはそういうことじゃないんだよ。家族の『好き』じゃなくて、付き合いたいなー、っていう『好き』。陽太郎にはまだわからないかな。でも、ありがとう」
振り返ってみれば、陽太郎に一番最初に好きだと言われたのは、この時かもしれない。けれどその時の私は、陽太郎を男性としては全く意識していなかったし、彼が私を恋愛対象として見ているなんて、露ほどにも思わなかった。
陽太郎が高校生になってすぐの頃、私は田んぼのあぜ道で、自転車ごと転倒してしまった。捻ったのか、打ちどころが悪かったのか、足首が痛くて立つことすらできず、地面に横たわる自転車を眺めながら途方に暮れていた。そこに陽太郎が現れて、「失礼します」と言うが早いか、私を軽々と抱き上げた。公道に停めたおじさんの車まで運ばれる間、私は間近にある陽太郎の顔をこっそり盗み見ていた。
あれ、剃り残しがある。陽太郎も髭が生えるようになったんだ。そういえば、身体つきも随分としっかりしてきた気がする。背も伸びたみたいだな。可愛い顔はそのままだけど、少し頬や顎が引き締まったかな。
「…◯◯さん」
「ん?」
「そんなに見つめられると、照れちゃいます」
「そう?大人っぽくなったなぁって思ってただけだよ」
「心臓の音、聞こえてませんか。おれ今、すごくドキドキしてます」
そう話す陽太郎の頬はほんのり赤く染まっていた。彼の胸にぴたりと耳をくっ付けると、ドクドクと血の流れる音が聞こえてきて、なるほど私の普段の鼓動よりも少し速いかもしれないと思った。
それから数日後、耳まで真っ赤にした陽太郎が、思い詰めた様子で私に打ち明けてきた。
「あの日以来、気を抜くとすぐに、◯◯さんの身体の柔らかい感触とか、いい匂いとかを思い出してしまうんです。そうならないように頑張りますけど、万が一、おれがあなたに手を出しそうになったら、全力で殴ってください」
まるでこちらが頭を殴られたような衝撃を受けた。
手を出す、ってつまり、キスしたり、身体を触ったり、それ以上のことをしたり…ってことだよね。え、あの可愛くて素直で純粋な陽太郎が?私に手を出しそうになるのを堪えている?
「…性欲?」
そうだよね、背が伸びて髭も生えたんだもの。高校生男子なら、身近に若い女がいたら、性的な目で見てしまうのも当然かもしれない。私としては、弟みたいに可愛がってきたつもりだから、姉じゃなくて他人だと言われているようで少し寂しいけれど、実際血の繋がりも相当に薄いので仕方ない。
「違います!…あ、いや、違わないですけど、◯◯さんだけですから。…その、性欲を感じるの」
「え」
「好きな人だから、手を出したくなるんです。おれ、◯◯さんが好きです」
正直に言って、青天の霹靂だった。けれど、顔を赤くしながらも私を真っ直ぐに見つめて、一生懸命告白してくれた陽太郎の気持ちは伝わってきたから、この時から私も陽太郎を意識せざるを得なくなった。
そして陽太郎の方も、何かが吹っ切れたのか、それを境に私への気持ちを隠さなくなった。さすがにおじさんやおばさんの前では控えていたけれど、折に触れて告白まがいのことを言ってくるようになった。
「おれと付き合ってくれませんか」
「高校生とは付き合えないよ…」
「…それって、おれが高校を卒業したら付き合ってくれるってことですか?」
「それまでにきっと、陽太郎には他に好きな子ができるよ」
「それは質問に答えてません。ね、ちゃんとおれを見て」
「だっ、だめだめ、近い近い近い!」
うっかり縁側で二人きりになってしまったら、早速口説かれた。気まずいから顔を背けたのに、頬から耳元にかけて手を添えられ、顔を覗き込まれる。陽太郎が触れたところからぶわりと熱が広がった。
「今はこうして、意識してもらえただけでいいことにします。でも、その気になったら教えてくださいね?」
陽太郎を、好きか嫌いかで言ったら、それは好きに決まってる。でも年の差とか、お世話になってるおじさんとおばさんの手前とか、いろいろブレーキがかかる要因はあるわけで。
あれから3年近く経ち、陽太郎はもうすぐ高校を卒業するという時期になっても、相変わらず私のことを好いてくれているようだった。ひとつ屋根の下で一緒に暮らし、毎日顔を合わせているからいけないんだ。私だって、何度彼の言葉に理性がぐらついたことか。大学卒業を控えた私は、就職を機に、陽太郎から離れようと思っていた。
けれど私の努力が足りなかったのか、実家から通える範囲の会社はことごとく不採用だった。唯一内定をもらえたのはサカモトの村役場で、ほとんどコネというか、知り合いからのお情けみたいなものだった。
「そんなことないわよ。みんな◯◯ちゃんが役場で働いてくれたら助かるって言ってたわよ」
「そうでしょうか…」
「そうよ!それに役場なら大学よりもうちから近いから、通勤もラクでしょう」
「えっ、さすがに就職したら他に家を借りますよ!社会人になってまでお世話になるわけには」
それにこの家には陽太郎もいるし。近頃めっきり大人っぽくなったし、前よりもさらに逞しくなったし、何より優しいし誠実だし、このままそばにいたら間違いなく私は近いうちに陥落してしまう。
おばさんとそんなやり取りがあった数日後、私は風邪で寝込んだ。卒業論文と就職活動で忙しくしていたところに不採用通知の連発で、心身共に参ってしまったらしい。
「◯◯さん、入りますよ。リンゴ持ってきました。食べられそうですか?」
「陽太郎、ありがとう。…あれ?今日は学校は?」
「3学期は自由登校なので、今日は休みました。だって今日は父さんも母さんも用事があるって言ってたでしょう?」
「え、私なら一人で寝てるから大丈夫だよ。今からでも…」
「こんな状態のあなたを放っておけません。母さんからも、あなたをよろしくって言われてます」
珍しく眉を吊り上げ、強い口調で言う陽太郎からは、私への心配をひしひしと感じる。だけど私だって、子供じゃないんだけどな。陽太郎もおばさんも、ちょっと過保護じゃないかな。
私がリンゴを食べるために起き上がると、陽太郎は当然のように、フォークに刺したリンゴを私の口元へ運んできた。
「はい、あーん」
「…だから過保護だってば。自分で食べるよ」
「…そうですか?」
思ったよりもすんなりと、リンゴ付きのフォークを渡してくれたけれど、陽太郎はどこか不満そうだ。構わずリンゴを一口かじったら、瑞々しい甘さが口の中に広がって、咳き込んで痛めた喉を優しく潤した。
「◯◯さん」
「なぁに」
「この間、母さんと話していたことなんですけど」
「うん?」
「卒業しても、うちにいてください」
「えっ」
「就職したら他に家を借りるって言ってましたけど、出て行かないでください」
「…でも」
「一人暮らしの家で、今回みたいに熱が出たら、あなたはひとりぼっちで休むんでしょう?もしかしたら、一人だからって無理をするかもしれない。そんなのは嫌なんです」
陽太郎は、身体のどこかが痛い時のような顔をして、辛そうに私を見つめた。彼が私を大切に想ってくれていることが、苦しいほどに伝わってきた。だからこそ、心配もするし、過保護にもなるのだと。
私は結局、引っ越さなかった。その春、陽太郎は大学生に、私は社会人になって、日々は目まぐるしく過ぎていった。陽太郎の19歳の誕生日に、私達は初めて『デート』と言える外出をした。あらかじめ約束をし、一緒に映画館へ行き、お洒落なお店でランチをする。4年間も一緒にいたのに、そんなごく一般的なデートを今まで一度もしたことがなかった。
「お誕生日おめでとう、陽太郎」
「ありがとうございます」
ちょっと背伸びしたレストランも、ランチなら私のお給料でもなんとか手が出せた。私も陽太郎もナイフとフォークのマナーは怪しかったけれど、半個室のおかげで、それも気にすることなく食事を楽しめた。
「ところで、おれ、高校を卒業しましたよ」
「…うん?そうだね。おめでとう」
「今でも◯◯さんが好きです。これからもきっと変わりません。おれと付き合ってくれませんか」
私はもう、陽太郎の気持ちを疑うことは無かった。私の心も、もうとっくに彼だけを想っていた。
「私も、陽太郎が好きだよ」
「えっ!…本当ですか?」
「うん、本当。弟とか家族としてじゃなく、ちゃんと男の人として、好きだよ」
「じゃあ…!」
陽太郎の気持ちを疑うことは無かったけれど、私の告白を受け、頬を緩め涙ぐむ陽太郎を目の当たりにしたら、それはやっぱりとても嬉しかった。ドキドキもするけれど、胸の奥がポカポカと温かくて、こんなに幸せな気持ちになれるなら、もっと早く自分の気持ちを認めれば良かったと思った。
でも、私には一つ、彼に言っておかなければならないことがあった。
「あのね、その…。前に陽太郎、私に性欲を感じるって言ってたでしょ?」
「えぇっ!?…それは、その…」
「付き合っても、そういうのは無し。それでも大丈夫?」
「えぇと…。あの、どうしてかって聞いてもいいですか?」
「陽太郎はまだ未成年だし、学生のうちは、その、何かあっても責任取れないでしょ?」
何年も私だけを想い続けてくれた彼が、身体の触れ合いだけを禁止されたからと言って、私から離れていくことはない、はず。そう思ってはいても、恋人同士だったら当たり前に望むことを断られたら、陽太郎だって冷めるかもしれない、という恐怖もあった。
だけど、仮に万が一のことがあった時に、彼に負担をかけたくなかった。
「…わかりました」
「えっ、いいの?」
「本音を言えば、そういうことをしたい気持ちはあります。でも、おれのために言ってくれてるんですよね?おれは、あなたがおれを好きだって言ってくれただけで十分です」
本当に、陽太郎は物分かりが良過ぎる。私から提案しておいてなんだけど、もっと不満を言ってもいいのに。
数日後、陽太郎は
「おれ、18歳で成人してるんですけどね」
とこぼした。
「私の中では成人は20歳なの」
「もう結婚もできるのに?」
「…結婚、したいの?私と」
「当然です。付き合うって、そういうことでしょう」
照れるでもふざけるでもなく、ごく自然なことのようにそう言うものだから、私は相当グラリときてしまった。
こういうところ、なんだよなぁ。中学生の時からそうだったけど、しっかりしていると言うか、大人びていると言うか。自分の中にちゃんと一本の芯があるからこそ、私の提案も受け入れられたんだろうな、と思った。
それから更に4年が経ち、陽太郎は晴れて社会人となった。
「就職しました。初任給も出ました。もう、いいですよね?」
陽太郎の誕生日を明日に控え、私の部屋で一緒にカウントダウンをしよう、ということになった。二人でベッドに腰掛けて、さっきまで他愛のない話をしていたはずなのに、今、陽太郎の真剣な顔が間近に迫っている。少しでも動いたら、唇同士が触れてしまいそうだ。
「いい、とは…」
「おれの気持ちはずっと変わっていません。◯◯さんが好きだし、抱きたいです」
「抱っ…!?」
「おれが我慢してたの、知ってますよね」
「いや、あの、ちょっと待って」
「これ以上待てないよ」
急に敬語が外され、心臓をギュッと掴まれたように激しくときめいてしまった。その一瞬の隙を突いて、陽太郎に口付けられた。
急くような言葉とは裏腹に、遠慮がちで優しいキス。どこまでも私を思いやるその態度に、私の力も抜けていき、私はついに陽太郎を受け入れた。
「お誕生日おめでとう、陽太郎」
「ありがとうございます」
初めて一緒に迎えた夜明けは、初夏らしく少し涼しかった。温もりを求めて陽太郎に擦り寄ると、厚く逞しい胸が剥き出しのままそこにあって、昨晩の行為を思い出してしまう。こっそりと頬を赤くした私を抱き寄せて、陽太郎が言った。
「結婚してください」
2024.5.20 陽太郎お誕生日に寄せて
(おまけ)
夜部分のお話→
[[jumpuri:『私と陽太郎の初めての夜』 > https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=22201292]]
⚠︎R18です。