[chapter:プロローグ]
王冠のような形状をした山々がある島、クローネ島。
その島には、エアスト、ツヴァイト、ドリット、フィアートの四つの王国が存在していた。
それぞれの王国には八千メートルを越える山が[[rb:聳 > そび]]えていたので、[[rb:王冠 > クローネ]]島と名付けられた。
各所の王国を移動するには関所があったが、長年続いた覇権争い、神獣フローズヴィトニルを巡る戦争、自然災害、山の噴火で各地の山も王国も破壊され、四つあった王国の内、三つの王国と三つの山が消滅し、エアスト王国のみが残る。
度重なる戦争と自然災害により、土地も山も削られ、いつしか人も、動物も、エアスト王国から徐々に淘汰されていく。
だがそれでも、エアスト王国とエアスト王国に位置する海域やクローネ島を侵略し、そこから新航路や資源確保を理由に、覇権争いを繰り広げる者達が後を絶えない。
そこでエアスト王は、時空の歪みを生じさせるシステムを独自に開発する。
『これでもう、侵略はなくなるだろう』
季節が一貫しない、侵略者を寄せ付けない島を誕生させ、科学と魔力の力で侵略は減少する。だが残された住民からは王ではなく、”異端の王”と糾弾される。
エアスト王は異端や偽りの王として追放され、やむなく王は捕らえられるが、その後、忽然と姿を消す──
エアスト王とクローネ島の歴史は後に自伝として後述されるが、限られた者のみが知り風化されていく。
エアスト王最後の魔力は赤いカードに残され、エアスト王と王国の謎もボードゲームに封印される──
༓࿇༓
極寒の風が吹き荒れる山奥の列島。着なれない軍服を着込み、同年代の青年と共に受け渡された荷をサイドカーで運んでいた。
[[rb:永良 > ながら]]あきらこと、ワシは、サイドカーのバイクに跨がり、連れの青年はサイドカーの車台に乗って──
「今日は大荒れの天候になるそうです。急ぎましょう」
連れの青年に急かされ、速度を上げていく。
道は舗装されていない上に、雪が残る山道だ。段差がある度に、厳重に梱包されている小包から、カチャカチャという音が微かに聞こえた。
エアスト王国と海を挟んで向かいにある島、ヌル列島。ここでは様々な分野の仕事を定期的に請け負っていた。今回はエアスト王国を侵略する物──と、風の噂で聞いていた。小包を港まで運んで渡すだけの簡単な仕事だが、良い噂ではないのが気がかりだ。
だが、仕事は仕事だ。請け負った以上、何があっても最後までやるのが務め。
「一体これは、何ですかねぇ」
サイドカーの車台に乗る青年が、興味深けに口を開く。
「さぁ。でも俺達には、無関係な物でしょう。他の島は何を考えているやら、さっぱり分かりませんよ」
「そうですねぇ」
刹那、段違いの斜面でバランスを崩し、小包が放り出され、梱包がほどけて中の物がバラバラと地表に散らばってしまった。
地表に散らばったのはガラス瓶だ。幸い、雪の上だったので割れはしなかったが、瓶の中では不思議なオレンジ色の液体が揺れていた。気にはなったが、拾って元に戻し、先を急いだ。
この出来事は、ワシが二十歳の頃に起きた出来事だ。
二十歳の頃に起きた出来事が、五十五年を過ぎた頃に、数奇な出会いと体験をワシにさせてくれるとは、この時、思いもしなかった。
༓࿇༓
夜の山越えは過酷だ。標高三千の未開の地。視界は暗く、酸素濃度が薄い。
あれから五十五年が経った。御年七十五を迎えたワシにはちときつい気候ながらも、長年、ヌル列島の過酷な山の奥地で暮らしている。だが今日は、寒さがとことん厳しい。
──永良あきら、お前はそんなもんか?
と、奮い立たしてみる。とはいえ、氷点下マイナス五○度を越える寒さは身に染みる。きっと若造だったら、ここで諦め、引き返すかもしれん。いやそれ以前に、死を予期するだろう。しかしワシは生憎、若造ではない。無論、定まった目的もある。
「今日こそ、達成してやる……」
意気込みを口にして歩くが、歩けど歩けど、凍てつく風と吹雪が全身を容赦なく叩きつけてくれる。勢いは増す一方だ。しかし、それでも登らなければならない。この状態では、歩き続けなければ、凍死する。凍り付く急斜面を歩いて登りきらねばお陀仏で、あの世だろう──と、いつの間にか死を予期しているではないか、全く。
──情けないのぅ。これでは若造と変わらんな。
まだまだワシも、ヒヨッ子かと、自嘲めく。
༓࿇༓
「はぁ……まだか」
長年培ってきた経験で手足が判断を下し、歩いている。軍に所属していた若かりし日の、冬の行軍での経験が今になって生かされている。足はまだ弱くはないが、思うように進まない。
かれこれ、一時間以上は歩いているだろうか。容赦なく吹きつける雪の礫に耳がキンとし、じんじんと痛みだす。感覚はまだ残っているが、その内、無くなるかもしれない。
「うっ……!」
刹那、目深に被るフードが飛びそうになる。視界や動きを鈍らせる、雪の存在は[[rb:侮 > あなど]]れない。何とか手で押さえ、急斜面を登りきる。
なだらかな地表に到着するが、相変わらず、そこかしこで吹雪いている。
周囲は暗く、今夜は月も見えない。分厚い灰色の雲と吹雪で、すっかりと周囲の景色は覆われてしまっている。
──避難小屋まであと少しだな……
手を擦り合わせて息を吐こうとするが──
『オーン』
狼の威嚇するような鳴き声が方々で聴こえ反響する。雪を駆ける獣達の足音に混じり、低い唸り、段々と近づく気配がする。
「……」
息を潜め、その場にゆっくり、慎重に腰を下ろす。後ろ手で背負っているバックパックから鉄製の円状の筒を取り出し、蓋を回して開ける。ガソリンの臭気は、吹雪にのって流れていくだろう。暫くすれば、狼の威嚇する声が分散し、遠ざかるはずだ。これで狼の嗅覚は幾らか誤魔化せる。だが、念には念を。地表にガソリンを撒いている──はずだった。
何かがおかしい。液体からは何故か甘い匂いがする。地面に鼻を近づけて匂いを嗅いでみる。
──この匂いは、蜂蜜……?
「おじぃ~ちゃん、ここで何をしてるの?」
──!?
背後から幼い声が聞こえる。恐らくゼロ距離、真後ろにいるかもしれない。気配もなく近づいてきた、幼い者。
そっと振り向けば、フードを目深に被り、防寒具を着込んだ背の小場な少年がワシの真後ろにしゃがんで笑っている。
「何をしてる……か。狼に、襲われないようにするためだよ……」
「ふーん、そっ」
少年はあどけなく笑って口にする。
「俺も狼なんだよね。人の姿だけど、半分だけ狼の血が流れているんだ」
「ほう、そうかね」
「俺の名前は、ウルハラ・ヒロ。[[rb:よ > ・]][[rb:く > ・]][[rb:知 > ・]][[rb:っ > ・]][[rb:て > ・]][[rb:る > ・]][[rb:よ > ・]][[rb:ね > ・]]?」
刹那、少し浅黒い肌の中にある、少年の金色の瞳がギラリと光る。暗がりでも分かる程に金色の瞳が細まっていく。
そして少年ヒロは唇に人差し指と親指を[[rb:咥 > くわ]]え、思いきり吹く。
『ピィ──ッ!』
獣の唸り声と共に狼の群れが出現する。
「グルルルル」
ぐるりと四方を包囲され、完全に八方塞がりだ。手懐けた狼達の陣営は、早々に崩せはしない。
──やれやれ、今日はここまでか……
ワシが諦めて早々、明るく[[rb:喧 > やかま]]しい声が、声高に響く。
「観念するんだ! 永良あきら!」
ヒロが無邪気に、ワシに飛び付いた。
༓࿇༓
トン……トン……トン
一定のリズムは、木製のまな板から聞こえる。ヒロが調理している音は、いつの間にか目覚まし代わりになっている。
「結局今日も、何時もの山小屋か……」
昔ながらのトタン、今はガルバリウム[[rb:鋼鈑 > こうはん]]というが、ところどころ剥がれながらも、屋根も外壁も雪や吹雪には耐えられる、小屋造りの家に戻ってきていた。小屋はワシがまだ若い頃に建てた小屋だ。部屋の間取りは大してない。暖炉がある場所にキッチンとリビングがあり、あとは寝室、亡き妻の部屋にワシの部屋、それから洗面所、浴室、トイレという、シンプルな構造になっている。
この山小屋で幾世──とは言いすぎか。ともかく長く、暮らしている。
「やれやれ……。ふぅ……」
最近、痛んできた腰に衝撃を与えないようにして体を起こす。
──結局昨晩も、逃げおおせなかったな……
昨晩、ガソリンを詰めていた筈の円上の筒の中身を、ヒロの手により、蜂蜜にすり替えられてしまったのだ。
「父さん! ご飯ができたぜ!」
ヒロの明るい声がキンと耳に響く。全くもって不愉快だ。朝は静かに起床したい、だがそんな願いは霧散する。
──それにしても、父さんとはなんだ。ワシは子供を作った覚えはない。
テーブルに座り、ヒロが用意した朝食を口にしながらぼやく。
「まったく、誰が父さんだ」
「じゃあ……、あきらじいちゃん?」
辿々しく聞く少年ヒロ。澄んだ真ん丸の瞳を、真っ直ぐこちらに寄越す。
「ワシは、孫をもった覚えはない。特にやかましいガキなんぞ、もった覚えはない」
「偏屈ジジイ!」
「誰が偏屈ジジイだ!」
ヒロとの朝の会話は、何時も喧嘩から始まる。毎回、こんな調子だ。喧嘩をしているせいか、ボケている暇はなく、与えてもくれない。毎朝、十歳のヒロにどう冷静に返し、憎まれ口を叩かないようにするか模索しているところだ。しかし今のところ、ヒロが優勢だ。ワシはヒロの言う言葉に、逐一反応してしまっている。
ヒロと暮らすようになり、一年が経過していた。そう、気付けば一年もだ。赤の他人のヒロと、一年も暮らしてしまっている。毎晩、ヒロが就寝したあとに、長年、住まいにしている山小屋を抜け出し、山越えし、悠々自適な老後生活を一人で過ごそうと目論み、一年──。
それなのに、ヒロは毎度のごとく、邪魔をしてくれる。しかも、狼達と一緒に。全くもって、迷惑な話だ。
「ヒロや、老いぼれのワシなんぞに構ってないで、狼達と共に暮らせばいいだろ」
「ヤダ! あきらがいないのはつまんない!」
「つまんなくないだろ。偏屈なじじいがいれば、鬱陶しいだけだろ。ワシは今日にもここを立つ。今なら吹雪も、収まっているからな」
『ピィ──ッ!』
瞬間、ヒロは指笛を鳴らす。するとたちまち、部屋の隅っこで大人しく餌を食べていた狼達が、ワシが座る傍にぐるりと陣を組むようにして囲んで座る。昨晩のデジャブ再びだ。
「ヒロ、なんの真似だね?」
「あきらが面白くないことを言うからだ! 今日はずっとそこで待機! オレの命令はぜったいだかんな!」
「トイレはどうするんだ? ここでしろというのか?」
「トイレはオレが面倒みてやる!」
ヒロは言うなり、踵を返して外にすっ飛んで行く。
──まったく、騒々しいの……
少し腰を浮かせば、狼達が低く唸る。
「どこも逃げやせんよ。おまえさん達も、分かってるだろ」
言葉が通じたか分からないが、狼達は鼻を鳴らす。
暫くして、ヒロがグレーのバケツを手にぶら下げて持ってきた。
嫌な予感がする。何を言うかも直ぐに想像がついてしまう。
「あきら、トイレはここでする! いい?」
良い訳がない。だがヒロはバケツを床にドンと置く。この中にしろというように。
これではまるで、刑務所に入れられた囚人だ。
「ワシはバケツにはせん。トイレはあるべき場所でさせてもらう」
再び腰を上げたその時、外でドンと煮崩れするような音が聞こえる。
「やれやれ、今度は外が騒がしいな……。狼達、どいてくれよ。雪なら今すぐに片付けせにゃならんでな」
狼達は理解したのか、のそのそと立ち上がり、退いてくれる。
「あー! あきらはそこで待機って言ったじゃん! 狼達もなにやってんだよ!」
ヒロは一人で騒がしい。ヒロを無視して外に出れば、雪の塊が山のようになって崩れ落ちている。
昨晩は激しく吹雪いていた。木と屋根にたまった雪が今になって崩れ、いきなり落ちたのだろう。このまま放置すればまた崩れて、扉が壊れるかもしれない。
「ヒロや、仕事だぞ。[[rb:猫車 > ねこ]]をもってきな」
ヒロとの喧嘩は一時休戦だ。ヒロは直ぐに猫車を取りに行く。家の戸の近くに立て掛けてあるスコップを手にし、掘り進めようとして手を止める。雪がわずかにモゾモゾと動いたのだ。
──何だいの……?
腰を痛めないようにしてゆっくりとしゃがみ、両手で雪を退かしていく。すると真っ白いうさぎが一匹、雪の中からひょっこりと姿を現した。だが逃げずに雪の塊の傍にいて、しきりに雪の塊に鼻を押し付けてから、ワシを見上げる。
「なんだね。まだ、うさ[[rb:公 > こう]]の仲間がいるのかね……」
再び雪を両手で掻き分けていく。すると今度は手が見える。五本指の、幼い人間の手──これは、うさぎではない。
「こりゃいかん……!」
硬いスコップは使えない。ひたすら手で掻き分けて退かしていれば、直にヒロがやってくる。
「あきらー、猫車を持ってきたぜぇ」
「ヒロ! 猫車はいいからこっちにきとくれ! 人が埋まってる!」
「分かった! ピィ──ッ!」
ヒロは返事をするなり指笛を鳴らす。すると狼達は開け放たれた家の窓から順繰りに外に飛び出し、雪の塊までくると前足を器用に使って退かしていく。
ヒロも混ざり、両手で掻き分けていけば、漸く、頭と上半身が見える。
白髪の長い髪の少女だ。
「あとはワシがやる! ヒロ! 風呂を沸かしてきてくれ!」
「アイサー!」
腰の痛さを我慢し、少女を雪の塊から引き上げる。体は完全に冷えきってしまっているが、息はある。生きている。雪に埋もれていた時間が短かったからだろう。
少女を抱えて家に戻り、つけている暖炉の傍のソファまで持っていく。
少女を見れば、身なりは薄く、山で暮らすどころか、山越えにも相応しい格好をしていない。
「……」
直に少女は薄目を開ける。表情も、視線も、ぼんやりとしたままだ。
「分かるかね?」
「……」
声は発しないが頷く。とりあえずヒロの衣服と毛布を渡し、着替えるように促してみる。少女は理解したのか、毛布を体にまわし、着ていた服を脱ぐ。
「今、温かい風呂を用意するからな……」
「……。ぴょんちゃんは……?」
少女は声を絞り出す。
「ぴょんちゃん?」
「白い、うさちゃん……」
少女を運ぶことでいっぱいで、先程の白いうさぎの存在をすっかりと忘れていた。
──あの白いうさ公は、ぴょんちゃんと言うのか……
「そこで待ってなさい。今、連れてくるから」
再び外に向かおうとしたが、一匹の狼がぬっと目の前に現れやってくる。群れを統率する、白銀色の狼だ。他の狼達と比較して大きいが──、その狼の口には、白いうさぎが咥えられている。
間違いなく先程のうさぎだ。
「ぴょん、ちゃん……!?」
目にした少女は狼狽え、泣きそうになっている。すると狼は少女の前まで歩いていき、白いうさぎを床に置く。
咥えていたのは白いうさぎの緩やかな首のつけねだ。白いうさぎは地面におりると後ろ足でダンとスタンピングし、少女の傍に行く。
「ぴょんちゃん、良かった……。わんちゃん、ありがとう」
狼は踵を返し去って行く。
──食われなくてよかったな……
ヒロの躾がいいのか悪いのか、狼は従順だ。
「あきらぁ! 風呂が沸いたぜぇ!」
直にヒロのばかでかい声があがる。
「あいよ」
それに答えてから少女に聞く。
「風呂が沸いたが、入れるかね?」
「うん……。ぴょんちゃんも、一緒にいい?」
「ああ、勿論だ。風呂の場所は、そこの扉だ」
少女は頷き、うさぎと服を抱えて歩いていく。よくよく見ると、少女の足は素足だ。
──どうやってここまで来たんだ?
少女がどうやってきたかは分からない。歩いてきたとは、到底考えにくいが──
༓࿇༓
「あきら、どうするの?」
「どうするって、何がだ」
「あの子とうさぎ」
「……」
ヒロと狼達との生活から抜け出そうとしているところに、今度は少女とうさぎ一匹がやってきた。ワシにとっては迷惑千万な話だ。
「親御さんがいれば、親御さんの元に送り届ける」
「俺みたいにいなかったら?」
「……」
考えたくもない。こっちは老後の楽しい独り身生活を満喫したいのだ。騒がしくガチャガチャした生活は真っ平ごめんだ。ヒロみたいに喧しい子供が増えると思うとぞっとする。
「さぁ、どうするのかね」
「ところであきら、うさぎ鍋っておいしいのかな?」
「……」
半分本気、半分冗談だろう。
「うさぎなんぞ食っても、大した足しにはならん」
「ふーん」
「ちょっと様子を見てくる」
ヒロから離れ、少女とうさぎがいる風呂の扉を軽く叩く。
「湯加減はどうかね」
「丁度いいわ。どうもありがとう」
──?
先程とは違う、流暢な声が返る。風呂に入り、温まったから声も出しやすくなったのか? いや、それにしては、先程の幼い声とはほど遠い。
ともあれ、命の危機はないようだ。
「そうかね。タオルは棚にあるのを好きに使いなさい」
「あ、ちょっとお待ちになって……」
「……?」
矢張りどう考えても、先程とは違う。少女というよりも、大人びた女性の声に近い。いや、大人びた話し方をしている可能性もある。少しませた少女なのかもしれない。そう考えている内に扉が開く。
「……!?」
目の前に、タオル一枚を体にまいた大人の女性が姿を現す。
「この子供用の服じゃ色々と足りなくて、大人用の服はあるかしら?」
白髪の少女ではなく、白髪の女性が訊いてくる。推定年齢、二十五後半といったところだろうか。
「あるには、あるが……」
よく似ているもんだ。亡き妻の若い頃に、雰囲気がそっくりだ……
「じゃあ、それをお願いします」
女性はそう言って、再び扉を閉める。
──しかし、どうなっとるんだ?
少女が、大人の女性に変わる。疑問が浮かぶが、先ずは、今見たサイズに見合う女性の服だ。
となれば、亡き妻の服が自ずと浮かぶ。遺品整理はしていないので、そのままだ。
踵を返し、普段開けない、亡き妻の部屋の扉を開ければ、いつの間にかヒロが傍にいて、物珍しそうに覗き込んでいる。
「あれ、あかずの間を解禁?」
「まぁな」
好奇心旺盛なヒロに返して部屋に入り、棚を開けて適当に服を見繕う。するとヒロも一緒に入り込み、横に張り付いてジロジロと見ている。
「これ、大人の女の服じゃん。なんで?」
「さっきの少女が、いきなり大人の女性になってたんだ」
「え、そうなの……? なんで?」
「さぁ、ワシにも分からん」
なんでと訊かれても、こんな現象は生まれて初めてだ。答えようがない。
「あきら、これは?」
ヒロは女性物のショーツをつかみ、ヒラヒラと揺すっている。
「安易に扱うな、触るな」
軽く注意し、ヒロの手からから下着を奪い、風呂の扉に戻り、声を掛ける。
「適当に見繕ったぞ」
「ありがとう」
それから間もなく扉が開き、手だけが伸びる。ほっそりとした色白の長い腕に、同じく手、やはり、少女ではなく大人だ。そして扉は閉められる。
「まじか」
またもやヒロが立っている。一言発して、ワシを見る。
「まじだ」
「あきら、どうすんの?」
「……知らん」
少女から大人の女性になったのだ。だが、これなら話は早い、親御さん探し問題はなくなる。
とまれ、話は別に移行していく。
༓࿇༓
すっかりと日が落ちた頃には、ワシ達も女性も落ち着いた。落ち着いた頃に、女性が口を開く。
「私はヒメカと申します。この度は埋もれていたところを、ひとからならぬお力添えをいただきまして、どうもありがとうございます」
少女だった女性はヒメカと名乗った。大人としての居ずまいでソファに座り、やんわりと礼を告げ、恭しく頭を下げる。
ちなみに白いうさぎは、ヒメカの膝の上で大人しくしている。
「美人……」
ヒロの声はだだ漏れだ。確かにヒロの言う通り、美人だ。何故こんな美人が、こんな山奥へ? まぁ理由は、訊けば判明するだろう。
「何故、こんな奥地まで来たのかね?」
ヒロの呟きを聞き流し、早速、本題に入る。
「その……動物を、探していたのです。ある動物を探している内に、生き埋もれることになってしまって……。ふふふ、お恥ずかしい限りです」
ヒメカは[[rb:淑 > しと]]やかに笑うが、おっちょこちょいで流せる話ではない。あまりに不自然すぎる。
「ヒメカさんは素足で、探していたのかね?」
「ええ、まぁ……。そうですね……私、夢中になると、忘れっぽくなりましてね? うふふ」
ヒメカは微笑み、言葉を濁す。
「(あきら、美人だけど、なんか怪しくね?)」
隣にいるヒロが小声で訊いていくる。
確かに怪しい。動物を探してわざわざ奥地に入る。しかも素足で、ありえない。
「(尋問する?)」
「(尋問せんでよし)」
ヒロがまた小声で案を告げるが、透かさず却下する。
尋問せずとも、嘘の鎧は恐らく剥がれる。ここでの暮らしは過酷だ、嘘をつくに適した環境ではない、自ずと言うだろう。
いや、それよりも……
──この生活からワシが離脱するのが先だ。
元々、この暮らしはしたいと思っていなかった。妻亡き今となっては、一人で生きたいのだ。何なら暖かい場所で暮らしてみたい、腰の為にも。
謎な女性は現れたが、害はないだろう。ヒロも怪しがってはいるが、じきに懐くに違いない。老いぼれの偏屈なじじいよりも、美人な女性との暮らしを選ぶだろう。
この状況、利用しない手はない。
「ヒメカさん、ヒロはこの山奥のことをよく知ってますし、動物のことも知ってます。分からないことがあれば、ワシなんかよりも、ヒロに訊くといい」
「そうなんですか」
「はぁ? なに言ってんだよ、あきら」
「ほらヒロ、ヒメカさんに、ここのことを色々教えてあげなさい」
「えぇ~……。まぁ、あきらがいいなら、教えてもいいけど」
「それじゃあヒメカさん、ごゆっくり」
「ええ、どうもありがとう」
相手の事情は深くは訊かない。ここから逃げる為に、ヒメカを利用するからだ。
──今日はヒロが好きな、猪鍋でも作ってやるか……
それから台所に向かい、調理の支度をする。ヒメカもいるので、大きな鉄製の鍋を棚の奥から取り出していく。
「そういえばうさぎは、野菜だけでよかったか……?」
今まで肉食の狼とヒロがいたので、草食動物の食べる物が分からない。
──まぁいい。どのみちここから離脱し、ワシは悠々自適な老後生活を送るんだからな。
その日は早くに就寝する。早く就寝するのは勿論、ここから離脱する為だ──。
༓࿇༓
トン、トン、トン──という早朝に聞こえる何時もの音がしないが、目は何時もの時間より前に覚める。
さて、離脱の準備だと、意気込んで数秒……
「それにしても、今日は一段と寒いな……」
やけに部屋の中が冷えきっていることに気付く。ヒメカがいたのでワシの部屋のベッドを貸し、暖炉の近くの床で寝ていたのだ。見れば暖炉の火が完全に消えている。いや、あきらかに消された形跡がある。
「ヒロめ、夜中に悪戯で消したのか……」
ヒロの悪戯は今に始まったことじゃない。何時ものことだ。
ともあれ、部屋が完全に冷えているせいで、腰の調子はいつも以上に悪い。なんなら悪化している。
「いたた……」
負荷をかけないようにしても、痛いのは変わらない。ゆっくりと起こすが、やはり痛い──
「ん……?」
だがそれよりも、いつもと部屋の様子が違う。先ず、ヒロがいない。狼達もいない。そこからワシの部屋に行き覗いてみるが、ヒメカという女性と白いうさぎもいない。
「ヒロや、隠れているのか?」
呼んでみるが、返事はない。静まり返っている。近場の椅子に掛けてあった上着を手に取り、外へと向かう。
外は吹雪いていないが、雪は降り積もっている。広がる何時もの銀世界──そしてそこには、複数の足跡が残っている。しゃがんで見れば、男物の靴で、この雪道を歩くのに適した靴だ。
「ヒロー! ヒメカさーん!」
呼んでみるが、自分の声が木霊するのみだ。
と、そこへ、一匹の狼が現れる。ヒロが懐柔している内の一匹、白銀の狼だ。
「おい、ヒロはどうした? 他の狼達もどうした?」
狼は答えない。代わりに、体を明後日の方向に向ける。狼が体を向けた方向には、クローネ島がある。海を越えたクローネ島には昔から何かと不思議な[[rb:逸話 > いつわ]]がある。
エアスト王の話や、神獣フローズヴィトニルの話だ。
「ヒロは、あっちにいるのか」
早速、出る準備を始めようとして、体が止まる。
──いや待て。これは、チャンスじゃないか?
今までずっと逃げることができなかったチャンス。悠々自適な老後生活を送れるチャンス……
ヒロは実の息子どころか、孫でもない。妻を亡くした頃に、狼達と共に現れ、勝手に居着くようになった子だ。血縁関係もない。そしてヒメカも昨日に現れた女性だ。こっちとしては無関係だ。部屋を荒らされた形跡もなく、置き手紙もない。
そう──しがらみも、へったくれもない!
これはまたとない、チャンスだ!
༓࿇༓
家に戻り、いつものようにバックパックに詰めていく。必要な物だけ詰め、寒地用の防寒具を何十年も開けてない棚から引っ張り出して着る。
何十年振りだろうか? この防寒具は、特殊部隊にいた頃に着た一点物なのは覚えている。胸ポケットを探れば、ドックタグがある。そこに掘られているのは、偽名のみだ。
それから机の引き出しに閉まってあった鍵束を取り、裏手の小屋に向かう。
小屋の鍵を開けて入れば、いつぞやに敵から奪った戦利品、年期のいった荒れ地専用のバイク、サイドカーが置いてある。ホコリは大分被っているが、動くだろう。
早速、残ったガソリンを給油口から注入したのち、バイクに鍵を差し込んでまわしてみる。ホコリが舞うが、排気音と共にエンジンが始動する。腹の底から響く、良い重低音だ。エンジンオイルは山越え分ぐらいはあるだろう。
ゴーグルを装着してからバイクに股がり、小屋の外に出てみれば、狼が待っている。ワシの行動の意味を知っているかのように、山方面に駆け出していく。
「しょうがない……。じゃあ、行くかね」
しがらみもへったくれもないのに、楽しい悠々自適な老後ライフを先送りにして、ヒロとヒメカを助けに行く。
──ワシに、なんの特があるのだろうか?
自問自答し、答えは、なんの特もないと直ぐに出る。面倒に巻き込まれる予感しかしない。
──なんの為に行くのか?
考えても浮かばない。助けに行く気持ちはない、ないはずなのに──
「これだから、ガキと女は面倒で、厄介なんだ……」
残りの人生は、一人で楽しく過ごしたかった。だが今は、バイクに股がり、走り出した狼の後を、サイドカーで追っている。
「そうだ。年金の上乗せでもしてもらおうか……」
──しかして、やっこさんの目的はなんだろうか?
ここ数十年、ヒロとの生活をしてておかしなことは一切なかった。山で取れた物だけで生活して、誰とも会うことも、機会もなかったのだ。昨日、ヒメカという少女が来ただけで、なにも……
──いや、それが切っ掛けか。
切っ掛けというのは、突然だ。偶然とは考えにくい。狙いは最初からヒロだったのかもしれない。
ヒロは特殊な少年だ。人のように難なく生活しているが、ヒロには半分、狼の血が流れている。どこから来たかは言わないが、恐らく、関係しているのだろう。
ヒメカは動物をさがしていると言った。その動物が、ヒロと考えるのは妥当だ。
「ボケていれば、楽だったのにのぅ……」
しかし残念ながら頭が回ってしまう。そればかりか、はっきりしている。ボケていれば、ヒロのことも覚えていなかっただろう。
「やれやれ、日頃からボケる為の生活と訓練をしとけば良かったな……」
腰を労りながらも、日頃の運動を欠かすことも、読書を欠かすこともしなかった。長年体に染み付いたルーチンは、早々に変えられない。
「半端な老人は、生きにくいもんだ……」
「ウォーン!」
狼が突然吠える。エンジンを止めれば、狼が振り返りワシを見ている。目を凝らせば、狼の傍に、何かが落ちている。
「……」
バイクから降りて確認してみれば、降り積もった雪の上に、草の葉っぱが落ちている。不思議な形状だ。葉の色はレインボー。油絵の具を混ぜたような色合いだ。
「変わった形だな、新種か?」
葉を少し千切り、両手で搾ってみれば、ピンク色の汁が雪にじわじわと広がっていく。試しに滴る汁の匂いを嗅いでみる。
──甘い。
まるでパンケーキのような甘い匂いだ。
「お前さんも嗅いでみるか?」
狼に嗅がせようとしたが、そっぽを向かれる。どうやら臭いからして受け付けないようだが──
「そんなの嗅がねぇよ。俺の鼻が腐っちまう……。あ、やべっ……」
次には喋っている。人語を、喋っている。
「……。今のはワシの、幻聴かの?」
「……幻聴だよ」
「幻聴ではなさそうだな。どういうことだ、狼?」
一応は驚いている。ただ驚くと言っても、大袈裟に驚くことはない。体力が消費するし、疲れてしまう。それに、痛めている腰にもよくないからだ。大袈裟に驚いて騒げる若者が少し羨ましい。
「ヒロに言われてたんだ。話すなって。だが、緊急だから話す……いいか?」
「いいが、喋れるのは他の狼達も一緒か?」
「いや、俺だけだ。俺以外の狼は喋れない」
「ふむ。それで、昨晩は何があった?」
「みんなが寝静まった後、あの女が誰かと連絡をしていた。やけにノイズがうるさかった」
「ノイズ……」
狼が言うノイズというのは恐らく、周波数の強い端末だろう。動物にとっては耳障りに違いない
──ヒメカは最初から、この地形を理解してここにやってきたのか……
そうでなければ、この山の奥地にはたどり着かない。この山の奥地はまだワシが若かった頃、各地域の敵を欺き、平和に暮らす為に建てた場所だ。
──しかしヒメカは、どう知ったんだ?
知った方法は分からない。
ともあれ、少女の姿で現れたのも、油断させる為だろうか。素足で、防寒具も着ず……そして美人の女性の姿を現せば、男なら年齢関係なく緩む。そこを利用したのか?
「やれやれ、感覚が鈍ってしまったな……」
戦の経験はあっても、あれから大分年数が経っている。鈍るどころか、思考も平和になるはずだ。
「それで、連絡のあとに誰かがきて、暖炉の火が消されたのか?」
「ああ。嫌な臭いが近づいてきたから、俺は外に逃げたんだ」
「なるほど、正解だな。それで、敵さんは何か言ってたか?」
「『王子様、お迎えに上がりました』って言ったぞ。あと女は、ヒロの母親だと言ってた」
「王子で、母親……」
王子というのは、王子だろう。そして母親──。
つまりは、ヒロが王子で、ヒロの母親がヒメカになるのか。
「狼よ、ワシがヒロを助けに行く動機が消えたぞ。ワシは今から、悠々自適な老後生活を送る」
「は──?」
助ける準備をしてきたが、意味がなかった。ヒロの母親は見つかったのだ。しかもヒロは王子で、ヒメカは母親──となれば、妃でもあるのだろう。
大方、ヒロが母親の顔を覚える間も無い頃に、何らかの理由でいなくなり、無事、再会を果たした──といった具合だろう。これで一件落着。一見落着のはずだが……
腑に落ちない。何故ヒロの母親なら、最初から名乗りでないのか。何故わざわざ、火を消す必要があったのか? 一件落着としたが、振り出しに戻ってしまう。
最初の目撃者は狼だ。事件が起きれば、第一目撃者が怪しい場合もある。人間ではない、狼にも当てはまることだ。
「狼、お前……ワシに嘘ついてないだろうな?」
「ついてない。見たまま、聞き取れたまま言った」
「だとしても、変だな……ふむ。何故、暖炉の火なんぞ、わざわざ消していったんだ?」
狼の断片的な話からして、拐われた可能性も浮上する。
迎えにきた者達が本物の使者でなければありえる話だ。
ヒメカという女性が一国の妃で、更にヒロが王子ならば、利用価値はある。それにもしも、クローネ島のエアスト王国出身の者とあれば、尚更だ。
──偽物の使者だと気付いても騒がなかったのは……ワシを巻き込まない為かの?
それとも暖炉の火を消すことで、ワシに気付かせようとしたのか、あるいは──と考え、何で血の繋がりないヒロに対し、こうも考えいるのかと腹立たしくなる。しかし考えは止まらない。
ヒロが何らかの理由でいなくなったのではなく、ヒロを幼い頃に母親自らが何らかの事情で手放したのであれば、ヒロが母親の顔を覚えていないのは当然だ。
──ヒロは長いこと、放浪生活をしていたのかの……
ヒロは自分のことは話さなかった。偶然ワシと出会い、そのまま居着いて過ごす……それだけだ。
ともあれ、何かが切っ掛けでヒロの母親は事情を知った──しかし、どうやってだ?
疑問は再びそこに戻る。
──連絡手段はない……いや、あるな。狼だ、狼の鳴き声だ。
つい最近、狼達が遠吠えしていた記憶が甦る。無駄吠えとも言えるが、その鳴き声が合図だったのかもしれない。
「遠吠え……ふむ、遠吠えしか考えられないな。狼よ、最近、遠吠えしていただろう?」
「ああ、してたが……」
「矢張りな。お前さん、なんか隠してるな。ワシに嘘をついてるだろ?」
「ついてない。それに遠吠えしたのは、山の向こうから声が聞こえたからだ」
「声?」
「あきらが言った、狼の遠吠えだよ。けど俺には理解できなかった」
つまりそれが合図だ。遠吠えをしていたのは、偶然ではない。この狼が分からないにせよ、それがヒメカにとって分かる合図、探す手段になったのかもしれない。
「仕方ない……。このままボケて引き返すのも悩むだけだからな。進むとするか。それに、年金上乗せどころか、旅の道中でワシにも新しい、かみさんができるかもしれんしな……いや、ないな」
ふと考えるも振り払う。ワシの妻は生涯一人、多栄子のみだ。
「狼、案内してくれ」
再びバイクを発進させ、狼の嗅覚で捜索を続行する。
༓࿇༓
「あきら、この道から変な臭いがするぞ。あきらのと同じ臭い」
「この臭いはエンジンオイルだ。この道は人の手が入ってるからな。しかし今日はここまでだ。時間も遅いし、ここで野宿だ。ほら、あそこに簡易シェルターもあるしな」
[[rb:掘削 > くっさく]]された場所に、雪と風を防げるシェルターが三つ残されている。誰かが使用した後だろう。ブロック状に切り出された雪の下には丁度、断熱材も敷かれていた。
──しかし、スノートレンチ型シェルターを作るとは、手慣れてるの……。
自慢したかったのか、それとも使わせてやりたかったのか……。作って残した者の真意は不明だ。
それからバイクを止め、松の木と、何か燃やせる物を探していく。暗くなる前に火を起こせる物を確保しておきたい。
「あきら、俺はなにをすればいい?」
「そうだの……なにか食べれそうな、栄養がつきそうな餌を適当に探してくれ」
「分かった」
狼は踵を返し、森の方へと入っていく。
༓࿇༓
あれから一刻が過ぎる。狼が戻ってくる気配がない。
「オイルの臭気で鼻をやられて、帰ってこれなくなったか……?」
野宿をする場所から立ち上がり、狼を探すことにした。
狼は賢いし、馬鹿ではない。喋る狼ならば、尚更、心配いらないだろうが──
「日が落ちてきたか……」
冬は日が落ちるのが早い。山奥ならば尚更だ。薄暗い中、木々に向かって叫ぶ。
「狼ー! いるかぁ!」
すると南の方面で鳴き声が聞こえる。『いる』という返事なのだろう。聞こえた声を頼りに急げば、狼が雪の上に横たわっている。
「おい、どうした!?」
「足を滑らした……」
狼を見遣れば、右の後ろ足が汚れていて、そこにアザがある。人間にとってはどうってことはないが、動物にとっては致命傷だ。
「今、手当てをするから待ってろ」
「それよりもあきら、あそこに獲物がある」
狼が向ける視線の先には、鹿が横たわっている。狼が仕留めたのだろう、立派な牡鹿で、まだ仕留めて間もない感じだ。
だが──
「鹿は後回しだ。先に手当てだ」
狼の手当てをさっと済ませ、シェルターになんとか狼を運びいれる。それからまた戻り、鹿の下処理に入る。早い内に下処理をしておけば臭くはならない。ある程度、サバイバルナイフで分解してから持ってきた麻袋に詰めて持っていく。
戻れば狼が暖を取っている。
──傷が癒えるまでは、動かないのがいいな……。
「狼よ、明日からはサイドカーの車台に乗ればいい。楽しいぞ、サイドカーの車台も」
「悪いな、あきら。ありがとう」
狼はそう言って、目を瞑る。今は食べることよりも、眠いのだろう。体力と傷の回復に集中している感じだ。
「よく休め。必ずヒロ達と……その、なんだ……」
そこまで言っといて切り出せなくなる。ヒロとの関係性が曖昧だからだ。
──助けるになるのか、会わせるになるのか。まぁどのみち、会うのは確実だしの……
ともあれ、ボケる暇は確実になくなった。