【skeb】第25話IF『それぞれの死闘』/第26話IF『勇気と絶望』
銀河の彼方、ビースト星。
様々な種類の動物たちから独自の進化を遂げたビーストたちが暮らすこの星に、最大の危機が迫っている。
天空に浮かぶ調和と安らぎの国・ソアラ聖国。その歴史の闇に封じられた暗黒神・デスコンドルの復活は、空のみならず陸や海にも多大な被害をもたらし、今まさに星全体を蝕みつつあった。
抗う術はただ一つ――デスコンドルに絶大な力をもたらしている、風のゴッドロットの排除。
陸の大国・グロリア王国から訪れた鉄拳獰猛王ライオーガをはじめとする王国軍の面々は、ソアラ聖国を守護するキャプテンイーグル率いる風の戦士団と共闘してこの困難に挑み、見事達成。凶鳥を模した巨大な雲となって天を覆っていた暗黒神の邪悪な力を霧散させることに成功した。
風のゴッドロットを失い、デスコンドルは本来の姿に戻った。しかし、他のビーストと同じ肉体を持った姿に貶められてなお、神と謳われたその力は衰えを知らない。
果たして、大いなるものに弓引く勇者たちに勝ち目はあるのか。
獣たちの叙事詩、その最後の一頁を飾る血闘が、今始まろうとしていた。
第25話IF『それぞれの死闘』
空を埋め尽くす暗雲が散ってなお消えぬ、不穏な気配。
押し潰すような瘴気が漂う神殿を目掛けて、翼を広げた鋼鉄の飛翔機――ジップスカイダーが舞い降りる。操縦席を勢いよく飛び出したのは、グロリア王国を率いる王にして最強の戦士・ライオーガと、参謀長として背を支える盟友・ビッグセロウ。さらに降り立つ三つの影は、ソアラ聖国・風の戦士団の団長キャプテンイーグルとその部下・バメットとファルカン。彼らを押し退けるように荒々しく駆け込んできたライオーガの旧友にして好敵手、純白の身体で蘇ったゴールダーも合流し、鋭い眼差しを揃って一点に向ける。
一行の表情に険しい皺を浮かばせるものの正体は、階の先に悠然と佇む一体のビーストであった。
「あれがデスコンドルの本体か……!!」
ライオーガの滾る戦意を真っ向から受けても微動だにしない、堂々たる立ち姿。
毒々しい紫と赤の羽根を大きく広げ、黒灰色の鎧に覆われた巨躯は、頭だけで他のビーストに匹敵する。首元から横に生え揃うのは、空の住人には似つかわしくない一対の角。天を衝くように湾曲した輪郭が周囲を威圧し、全身から放たれる暗黒の闘気をさらに増幅させる。
「弱き者たちよ。何故我に抗う」
周囲を取り巻く大気のすべてを震わせて、雷鳴のような声が轟いた。血に濡れたかの如く真っ赤な頭部に備わった鋭い眼が、一行を見下ろす。切れ長の白目に浮かぶのは、見る者全てを飲み込むような深い闇を湛えた真円の瞳。果てしない虚無の向こう側に、歯向かう者どものちっぽけな影が映り込んでいる。
世界を手中に収めんとする暗黒神にとってみれば、塵芥と何ら変わらぬ存在。だが、デスコンドルはすでに悟っていた。彼らの矮小な身体に宿る強い意志こそが、己を天空の玉座から引きずり下ろした力の正体だと。
「讃えよう、お前たちの勇気を。我が体内から力づくでゴッドロットを取り出すとは、かつての十三神官にはできなかったこと」
地響きのように低く、雷鳴のように猛り狂う邪神の声が、吹き荒れる風に乗せて周囲に高らかに響き渡る。歴戦の猛者たちですら背筋の震えを抑えられない、絶対的な威圧感。毛皮の奥の肌を粟立たせる怯懦に抗いながら、ビッグセロウは傍らの獅子に耳打ちをする。
「――見ろ、奴の胸を」
「ああ。……サイコロットを二発同時に撃てるということか」
ビーストの戦士ならば誰もが胸に掲げる、精神の力――サイコエナジーが凝縮したエンブレム。エナジーを集めて放つ立方体の弾丸・サイコロットの射出を司るその紋章が、デスコンドルの胸部には横並びに二つ浮かび上がっている。並大抵のビーストであれば一つ制御するのにさえ苦心するサイコロットを、二つ同時に扱える。その事実がすでに、暗黒神が宿す規格外の力を言外に物語る。
倒すべき巨悪の姿を凝視すればするほどに浮かび上がる、絶対的な実力差。それでも、一行のうちに足を引く者は誰もいなかった。どれだけ力量がかけ離れていようとも、相手はたった一体。対するこちらは六体――力を合わせれば、決して届かない高みではない。この瞬間までは、誰もがそう信じていた。
「……だが、解らぬ。それほどまでの力を持ちながら、なぜ無駄な抵抗だと気付かぬ」
「無駄だと……ッ!?」
激しく反駁するライオーガの眼前で、デスコンドルは両腕を高らかに掲げた。直後、二つ並びのエンブレムが緑色の光を放ち始める。凄まじい勢いで凝縮されてゆくサイコエナジーに煽られ、吹き荒ぶ強風の唸り声が、けたたましく鼓膜を叩く。
「哀れな……ゴッドロットがなければ太刀打ちできるとでも思ったか……!?」
飛び掛かってなお詰められぬ距離でさえ悠に伝わる、畏怖すら覚えるほどの絶対的な力。一行の額を伝った脂汗が垂れ落ちるよりも先に、高密度に凝集された精神力の塊が弾丸のような勢いで撃ち放たれた。
「ライオーガ! 危ないッ!!」
「まずい……! バメットッ!!」
「応ッ!!」
瞬きする間もなく襲い来る緑光の一閃を前に、従者たちはそれぞれの主の前に歩み出た。ビッグセロウはかけがえのない友でもある国王を、ファルカンとバメットは尊敬する団長を守るために胸を張り出し、咄嗟に練り上げた必殺のサイコロットを撃ち放つ。
「ブランチ・ホーン!!」
ビッグセロウが放った一撃は、二つに枝分かれした大角による挟撃となって。
「ハイスピード・ガン!!」
ファルカンが撃ち出した超音速の弾丸は、千々に砕けた散弾となって。
「ヒーテッド・エアッ!!」
バメットが投射した角塊は、大気に融けた後、極温の熱風となって。
いずれ劣らぬ兵たる三者が同時に放った各々の得意技は、空中で一つに交わり、岩壁のようにそびえる巨大な光の塊に敢然と立ちはだかった。極限まで高められたサイコエナジー同士が激しく拮抗し、空中に赤緑の火花を散らす。
しかし、ただでさえ強大な暗黒神のサイコロットが二つ並び、交わって渾然一体となった別格の一撃を前にして――たかが三つの力を束ねた程度では、余りに無力だった。
「な……ッ」
迸る衝撃が、驚愕の一声さえ跡形もなく消し去る。
大嵐の前に佇む蝋燭の灯火のように、呆気なく搔き消えた渾身の一矢。その向こう側から降り注ぐ、不気味に輝く破滅の光が、ビッグセロウたちの全身を包むように覆い被さった。逃れようのない邪神の洗礼に身を焼かれ、一瞬のうちに許容量を超える痛みを送り込まれた三体の意識が、いとも容易く消滅する。
「……ビッグセロウッ!!」
「バメット、ファルカン……! しっかりしろ、二人ともッ!」
周囲を包み込んだ緑色の光が果てると、そこには力尽きた三つの身体の成れの果てだけが虚しく揺らめいていた。肌という肌を黒く焦がした無残な姿となって地に堕ちた部下たちに、それぞれの主が悲痛な表情で駆け寄る。呼びかける声は届かず、あらぬ方向へ向いた眼に光が宿ることはない。最早息があるのが奇跡といっても過言ではないほどの惨状を目の当たりにして、獅子王の鬣が激しく逆立つ。
「己が身を犠牲に仲間を守るか。なんと愚かな」
倒れ伏す三つの影を見下ろしながら、暗黒神は悠々と嘴を鳴らして嘲笑する。あれだけのサイコエナジーを放出したにもかかわらず、何事もなかったかのように翼をはためかせるその姿が、ライオーガの怒りに油を注いだ。握り拳がぎりぎりと音を立て、咆哮に近しい大音量の問いかけが大気を震わせる。
「デスコンドルッ! それだけの力を、なぜ破壊だけに使う! 貴様も元は大神官だろう!?」
「愚問。我はただ、神であるが故に全てを滅ぼす。神の行いに凡百のビーストが口を挟むことは許されぬ」
あまりに傲岸な物言いと共に、木枯らしのように冷たい瞳が獅子王を真正面から貫いた。直後、どこからともなく吹き始めた轟風が瞬く間に竜巻となり、デスコンドルの姿を覆い隠す。
未知の攻め手を警戒して身構える三体の前で、旋風は徐々に収まり消えてゆく。粉塵の天幕が晴れ、遮られていた視界に映り込むもの。それは、変わらず威容を保ったままの邪神と、その左右に侍る見慣れない姿。
「お前たちの相手は此奴らに任せるとしよう。先程見せた勇気、蛮勇であったと思い知るがよい」
左に控えるは、くすんだ銀の鎧に身を包み、口を縫い留めた奇怪なるビースト。
右に仕えるは、色褪せた金の鎧を身に纏い、その眼を塞いだ異様なるビースト。
先程までは影も形もなかったはずの怪鳥たちに、一行が気を取られたその隙に、デスコンドルは翼を大きく広げてその場に浮かび上がった。風のゴッドロットが跳ね飛ばされた方角へと飛び去る背を目掛けて、憤りに二の腕を大きく膨らませたライオーガが追い縋る。
「待て! デスコンドルッ!!」
しかし、その行く手を二つの影が塞いだ。強弓を離れた矢のような勢いで滑空する肉体から振り下ろされる槍を、すかさず割り込んだゴールダーとキャプテンイーグルがそれぞれの得物で受け止める。
<我が名はバンダ>
「ぬぅッ……!? こいつ、直接頭の中に……!」
銀の凶鳥の槍を受けたゴールダーの脳裏に、突如として紡がれる音なき声。空気の震えを介することなく、思考に直接割り込むその声は、まるで頭蓋を内側から舐め回されるかのような不快感をもたらす。額の奥にへばりつく不気味な感覚を振り払わんと、ゴールダーは手にした曲剣にありったけの力を込めた。受け止めた槍の柄を弾き返し、銀の神官――バンダと対峙する。
「我が名はライズ。暗黒神デスコンドル様に全てを捧げる者也」
「暗黒神に仕える、悪の神官……! 伝説上の存在ではなかったのか!」
一方、金の邪鳥と斬り結ぶキャプテンイーグルも、向こうに回した相手の思わぬ能力に驚愕を禁じ得ずにいた。両瞼を決して開かぬよう縫い合わせ、視力の一切を封じているにもかかわらず、こちらの太刀筋の一切が見切られているのだ。風の戦士団を率いる者として、優雅に、かつ質実に磨き上げた剣技の数々。それらすべてを見ることなくして悠々と回避する金の神官――ライズの赤い鶏冠が、空の勇者を嘲るように見下ろす。
<我々の姿は忠誠の証 我は言葉を――>
「――我は光を、暗黒神に捧げる」
音を発せずとも聞こえる声。
目に頼らずして視る瞳。
まさに神通力としか言いようのない奇跡を操る、古の神僕。
<来世で悔いるがよい>
「神に牙を剥いたことを」
仰々しい処刑宣告と共に降り注ぐサイコロットの雨霰を縫って、ライオーガは一心不乱に地を駆けてゆく。腰鎧から伸びた太腿を躍動させ、邪神を阻まんと大きく跳躍したその両脇に、神官たちの槍が迫る。
しかし、その穂先が獅子王の肉体を貫くことはない。白虎と大鷲が差し出した鋒が槍撃を弾くと、けたたましい金属音が辺り一面に響き渡る。間一髪致命傷を逃れたライオーガが振り返ると、同胞たちはすでに予断を許さぬ攻防の只中にいた。
「ライオーガ! 貴様は奴を追え! ここは俺たちが食い止めるッ!!」
「デスコンドルは、もう一度風のゴッドロットの力を取り込むつもりだ! 何としても食い止めてくれ!」
羽ばたく翼はなくとも、繰り返す跳躍と滾る闘志で喰らいつくゴールダー。流麗な翼をはためかせ、鋭い軌道で幾度も斬りかかるキャプテンイーグル。奮闘する彼らの姿は、己が身一つで邪神に立ち向かう獅子王の胸にさらなる勇気の炎を灯す。
「わかった。ここは任せるぞ、ゴールダー! キャプテンイーグル!」
そう言い残して、ライオーガは疾走する両脚にありったけの力を込めた。彼方に遠ざかるデスコンドルの影だけを真っ直ぐに見据えて、待ち構える神殿の階を一息に跳び越える。
<そうはさせぬ>
「それはこちらの台詞だ!」
頭の裏側で蠢動する念話を遮って、ゴールダーは金色の神官めがけて刃を振り下ろした。直後、全体重を込めた渾身の斬撃を受け止めたバンダの目元が僅かに歪み、猛虎の脳内に垂れ流される精神波が泥濘のように濁る。むずむずと焦れたその色合いに、物言わぬ神官の心に宿る感情の揺れを感じ取れば、虎の口角は自然と吊り上がり、鋭い牙が剥き出しになる。
「奴を倒すのはこの俺だ。貴様如きに渡しはせん!」
いくら神の使いといえど、阻まれて苛立つ程度の感情があるのなら、付け入る隙などいくらでもある。弾かれた剣撃の勢いのままに着地すると、ゴールダーは曲刀を握る手に力を入れ直す。
「嘆かわしい。仮にも風の戦士団の長が、神の威光を解せぬ無明の輩とは」
「貴方がたがかつての神官団の一員だとしても、ソアラの安らぎを乱すのなら――容赦はしないッ!」
純白の猛虎と沈黙の翼が切り結ぶ傍らで、キャプテンイーグルは瞼を塞いだ光なき巨鳥と対峙する。遠い古の時代には十三神官と共にソアラの安寧を守っていたはずの、金銀二対の翼。しかし、暗黒神の軍門に下った今の彼らは、薔薇の香り漂う空の楽園を穢す悪逆の徒でしかない。一抹の逡巡を振り払って、緑の大鷲は尊敬すべき先達へ向け刃をかざす。
こうして、ソアラ聖国の――そして、ビースト星の存亡をかけた三つの戦いは幕を開けた。希望を胸に掲げ、すべての力を漲らせて戦う獣たちの姿を、再び垂れ込め始めた暗雲だけが静かに見つめている。
まるで、定められた終焉へと向かう彼らの姿を見守るかのように。
※
空の彼方で続く死闘など知る由もない、遥かな海底――南海公国。
事なかれ主義とも揶揄される平和路線を掲げるドンホエール大公の元、あらゆる争いから徹底して距離を置いてきたこの国にも、とうとう火の粉が降りかかる日が訪れていた。
突如として巻き起こる海流の変動、次いで襲い掛かる黒鳥の群れ。見かけからしてビーストですらなく、おおよそ海になど潜れるはずのない鳥たちが我が物顔で飛び掛かり、岩壁をも啄むほどの鋭い嘴を突き立ててくる惨状は、海の民を恐怖の坩堝に叩き込んでなお余りあるものだった。
「コールド・ボムッ!!」
黒の艶肌をぎらつかせる大鯱の胸から、氷の塊が放たれる。群れの中央で爆散した氷粒に全身を貫かれ、黒い雨のように降り注ぐ凶鳥の死骸を足で踏み分けながら、南海公国の筆頭戦士・オルリッチは低い唸り声を上げた。倒しても倒しても湧いて出る、実体があるのかどうかも定かでない闇の翼。ただ一つ確かなことは、その羽ばたきに込められた何者かの意思が、南海公国に限らずあらゆる国家、あらゆるビーストの破滅と死を望んでいるということだけ。
「ソアラで一体、何が起こってるってんだ……」
グロリア王国からの通信によれば、天空に浮かぶソアラ聖国を覆う雲が消え、その只中から無数の黒鳥が現れたのだという。遠く海面を隔てた地の底からはとても見通すことのできない、果てしない空の彼方。脅威の元を絶とうにも、伸ばした手すら届かない現状に、もどかしさばかりが募る。
「オルリッチ、私たちもソアラに向かいましょう! 大公の許可は下りています!」
「そうしたいのは山々だが、今は公国の防衛と国民の救助が最優先だ」
呼びかけてくる政務官戦士・ドルファンの焦燥を孕んだ声に頭を振って、オルリッチは周囲を見渡した。黒鳥の群れは未だ尽きることなく、逃げ惑う人々の声がひっきりなしに耳穴を目掛けて押し寄せてくる。この現状を差し置いたまま、国を離れて海面の向こうへ鰭を翻すことなど、できるはずがない。
「ソアラにはグロリア王国軍も向かっている。そう易々とやられる面々じゃあないはずだが……」
かつて地上を襲った禁呪・メガテンペストの脅威を前に共闘した、逞しい陸の勇者たち。海を荒らし、ビースト星全体の覇権さえ企んでいたというあのデスハート団を退けた彼ら――とりわけ、勇猛なる獅子王の拳ならば、如何なる脅威が相手であろうときっと勝利を掴み取るだろう。少なくともこの時点では、オルリッチのみならず、グロリア王国とライオーガを知り得る多くの者たちがそう信じていた。
そうして託した希望が、暗黒神により跡形もなく踏み躙られるまで、さして時間はかからなかった。
※
風が吹いている。
ひどく冷たく、鋭い風が。
「この不吉な風――捨て置くわけにはいかん」
見つめる先に垂れ込めた暗雲と、その下で荒れ狂う巨大な竜巻。遠く離れたこの地にも、肌を突き刺すような暴風が吹き荒れている。身を切る風の只中に晒された顔を腕で庇いながら、孤狼は小さく呟いた。
思えば、この天空の島へと己を導いた不穏な風も、ちょうどこんな気味の悪い冷気を纏っていた。背筋をざわめかせるその風にただならぬ気配を感じ取り、連れ合いを一人残してグロリアを発ったのがほんの数日前。心を搔き乱す冷ややかな大気の流れだけを頼りにあてもなく彷徨う内、突如空を覆うように現れた巨大な禍鳥の姿を目撃し、冷風の出処がその存在にあると直感した。
理由などない。
ただ、この風だけはどうしても放っておくわけにはいかないと、直感がそう叫んでいる。
慣れ親しんだ陸の大地を、流離い歩く自由の日々を、そして何よりも――孤独な旅路に連れ立ってくれる、あの娘を守るためには、凶兆を予感させるこの風を止めるよりほかに道はない。
(あの嵐の中で、お前も戦っているのか……ライオーガ)
この地を訪れているはずの獅子王の名をふと胸に想起して、孤狼は再び彼方を見つめる。その先に待つ果てしない絶望の全貌を、彼はまだ知らない。
※
「ゴウカ・フレイムッ!!」
荒れ狂う叫びと共に、白虎の胸に紅蓮の炎が渦巻く。集約された熱量はやがて雄々しい虎の姿となり、頭上へ向けて一直線に放たれた。空へ駆け上がる灼熱のサイコエナジーが向かう先は、翻る銀の翼の真正面。爪を振り上げ、牙を剥いて喉元に飛びかかる劫火の幻影を、バンダは手にした三叉槍で突き刺す。直後、目にも止まらぬ速度で回転を始めた穂先に巻き取られるかのように、炎は跡形もなく消え去った。
死の淵より舞い戻って得た新たな奥義さえも、涼しい顔で薙ぎ払われる。力の差を見せつけるような銀の神官の態度を前にしてもなお、ゴールダーは不敵に笑みを浮かべる。どれほど力量がかけ離れていようとも、最後に物を言うのは勝利への渇望――胸の底から湧き上がる闘志であると、誰よりも知っているが故に。
「俺様の必殺技を真っ向から打ち破るとは、なかなかやるな。だがッ!」
助走をつけて地面を蹴り、周囲に転がる大岩を踏み台にして跳び上がると、ゴールダーは曲刀を突き出したままバンダへ向けて突進した。先程までの観察から、相手の小回りがさして利かないことは既に掴んでいる。空を飛べるという有利点を相手に渡したままでも、避け切れない角度からの跳躍で攻め立てられれば、必ず勝機はある。そんな算段が、ゴールダーの肉体を弾丸の如く空へと打ち上げる。
「ぬおおぉぉぉぉッ!!」
裂帛の気合と共に差し出した切っ先が、バンダの肩口を掠める。エンブレムを貫き、胴に深々と突き刺さるはずだった刃が空を切った事実に、ゴールダーは思わず目を見開いた。刹那、ふと耳障りな羽音が止んでいることに気付く。両者の肉体が交錯するほんの一瞬前に、バンダが羽ばたきを止め、身体の位置をほんの僅か下に逸らした――そう理解した時には、もう遅かった。
<甘い>
「ぐうあ……ッ!?」
錐揉みのように旋回する三叉槍が、ゴールダーの腹部を下からかち上げる。めり込んだ先端は火花を上げてエンブレムを貫通し、その下の腹筋にまで尖りが迫る。歪んだ鎧が肌に食い込み、ゴールダーは迸る痛みに思わず身体をうねらせた。結果として胴を貫かれることは免れたものの、平衡を崩した白虎の身体は体側から重力に引かれて墜ちてゆく。受け身も取れぬまま岩肌に叩きつけられると、全身の骨が軋む音ともに、夥しい苦痛が脳天目掛けて殺到した。
「ぐ、うう……き、貴様ァ……ッ!」
<地を這いずるばかりの虫けらには 我が羽根を散らすことすら叶うまい>
体中をずたずたに引き裂かれる感覚に拍車をかける、嘲弄の念波。怒りを支えにどうにか立ち上がるゴールダーの前に、小型の竜巻を思わせる円錐状の風の塊が襲いかかった。槍を突き出した身体ごと高速回転した銀の翼が、白虎の傷ついた身体へ逃れ得ぬ速度で迫る。
「ぬぁッ、ぐうッ! う……ぐうぅ……ッ」
咄嗟に構えた両腕で抱え込んで止めようとするも、旋風の化身となったバンダを押さえ込むことはできない。回旋する空気の渦が鋭い刃となって生肌を切り裂き、黒縞に飾られた白い毛皮を千々に散らしてゆく。全力で地に圧し止める両足も次第に後ずさり、気迫に強張った顔貌は徐々に苦悶に歪む。
やがて、耐え切れない一線を越えた時、ゴールダーの身体はあっさりと宙を舞っていた。
「うおぁぁぁぁぁぁッ!!」
打ち上げられた身体は頭から地面に叩きつけられ、兜の隙間に血が滲む。痛みを通り越した感覚は、著しい熱の発露となって全身を火照らせ、体中の傷跡という傷跡を炎のような鮮烈な紅に染め上げてゆく。
<無様な 空に愛されぬ者はかくも醜い>
投げ出した四肢を微かに震わせながら、呻き声を漏らすばかりの白虎を、銀の翼が隅々まで見下ろす。無数のヒビが刻まれた鎧は防具としての体を喪う寸前まで損壊し、千々に乱れた腰鎧から傷だらけの太腿が覗く。旋風の刃に切り刻まれた両腕は溢れ出す血で真っ赤に染まり、同じく傷ついた指先がぴくぴくと寄る辺なく蠢いている。猛虎の顔を模したエンブレムさえも貫通痕に毀損され、覇気など欠片もない悲惨な姿。
「――舐めるなよ。俺は、誇り高きベンガの末裔……!」
それでも、虎は立ち上がる。鮮血に染まったその瞳に、不屈の闘志を宿らせながら。
「祖国再興を果たすまで、そして……」
今にも崩れ落ちそうな両脚を支えるのは、胸の奥で今も色褪せぬ二つの野望。
祖父から託され、同じくベンガの民の血を継ぐ仲間たちと共に育てた夢の篝火は、死と新生を経た今も絶えず燃え続けている。たとえその灯が、かの暗黒神によって邪に増幅されたものであったとしても構いはしない。いつの日か、自分たちだけの真っ新な大地に足をつけるその日まで、諦めず歩み続けると胸に誓った。
そして、もう一つ。
「奴を倒すその日までは! 絶対にッ! 倒れんッ!!」
ゴッドロットの力を以てしても超えられなかった、かの大いなる王を、いつかこの手で必ず打ち倒す。王座を奪い取るのではなく、ただ純粋に拳の強さを競い合うために、もう一度ライオーガと戦う。それこそが、自分が黄泉路から舞い戻った意味。
しな垂れた尾を奮い立たせ、血腥い拳をきつく握り締めて、白虎はあくまで天を睨む。その瞳が射竦める彼方、太陽を背に羽ばたく銀翼の縫い合わされた嘴が、微かに開きかけた。
感嘆の息を吐こうとしたのか。それとも、呆れ返るほどの愚かさを哄笑しようとしたのか。
<認めよう その剛毅なる精神を ならば 現身を動かす力を奪うまで>
脳裏に響き渡る尊大な語り口と共に、バンダのエンブレムにサイコエナジーが迸る。身構えるゴールダーの眼前で、空種族特有の緑の輝きを放つ立方体が中央から真二つに裂けてゆく。果たして、如何なる必殺の一撃が撃ち放たれるのか――絶大な破壊力を思い浮かべた白虎の予想は、いとも容易く外れた。
< 『天国の協奏曲』 >
奏でられるのは、草原にそよぐ風のように清らかな旋律。
血みどろの戦場には似つかわしくない美麗な音の連なりが白虎の意表を突いた次の瞬間、噴き上がった光の奔流が、五線譜のような帯となって地上へと差し伸ばされた。音にも並ぶその速度の前には、わずか一拍の遅れさえも命取り。背に跳び退いて回避しようとしたゴールダーの身体が、瞬く間に光帯に絡め取られる。
「が、ぐぅッ!? う、ぁ……ぬぁぁ……ッ!!」
腕ごと胴を巻き取って持ち上げ、空中できつく締め上げる旋律の帯。肌を伝い、骨を直接揺らして響き渡る協奏の調べに、血みどろの白虎はたまらず背筋を仰け反らせた。爪先から頭の天辺まで隈なく震わせ、頭蓋で反響する大音量は全身の傷にまで共振し、一斉に裂けた傷口から血飛沫が飛び出す。
気を抜けば意識を失いかねないほどの大量出血。
だが、ゴールダーの身体を弱らせるものは、命と共に流れ出てゆく紅の滴りだけではなかった。
「うぅ……く、んぅ……ッ、ぁ……あ…………?」
五線譜が不気味に脈動し、妖しげな燐光に包まれる。その光と入れ替わりになるかのように、血の滾りに負けぬほどの赤い灯に燃えていたエンブレムから輝きが失せ、その色合いも次第に褪せてゆく。真綿で首を締められるように、少しずつ熱を失ってゆく躰。苦痛に藻掻いていたはずの腕も、脚も、徐々にその振幅を衰えさせ、指の一本もまともに曲げられないほどの虚脱が訪れる。
やがて、ゴールダーの身体から一頻り輝きを吸い取り終えると、協奏曲はあっさりと止み、五線譜の触腕も跡形もなく霧散した。唐突に放り出され、塵屑のように投げ捨てられた白虎が、俯せに転げる。
「か、身体、が……動、か……ん……ッ」
現状を追認する言葉さえ、もうまともに紡ぐことはできない。魂を抜かれたかのような感覚に引きずられ、瞼を開けるのがやっとの姿は、さながら産声を上げたばかりの赤子の如く弱々しい。
<我が声なき調べは 汝を安らかなる解脱の境地へ誘う>
身を起こすことも叶わぬまま、芋虫のように這いつくばるゴールダーを頭上から見下ろして、バンダは饒舌な念波を撒き散らした。敵意ある者から戦う力を奪い、苦悶に喘ぐことのないままに天上の楽園へと葬り去る――故に、天国の協奏曲。神の加護なき哀れな敵対者へ贈る、慈悲の音階。
<指一つ動かせぬまま 雑音なき無の境地へと逝くがよい>
静まり返った周囲に響くのは、銀の翼がはためく風の音だけ。脱力の調べが去った時点で、戦いは既に終結している。あとは、静かに佇む生命を無に帰すのみ。
しかし、全てが終焉へと向かう残酷な静寂の中で――それでも、ゴールダーは立ち上がる。
「ふ、ざ……ける、な……お、俺は…………、こんな、ところで…………ッ」
砕けんばかりに歯を食い縛り、覚束ない腕脚をがくがくと震わせながら、白虎はゆっくりと地を踏みしめた。背に重たくのしかかる疲労と苦痛、あらゆる力を奪われた倦怠に耐えながら、辛うじて握り締めた曲剣を支えに立つその姿は、今にも息絶えんとする老翁を思わせる。
だが、その眼には、決して折れぬ不屈の闘志が宿っている。揺らめくこともなく、星のようにぎらぎらと煌めいて天を睨む両の瞳を前にして、バンダは歓喜とも怒りとも取れぬ様子で目を見開いた。
<我が慈悲の旋律を耳にしてなお立つか その折れぬ心に喝采を>
直後、銀翼の胸部に再びサイコエナジーが集まり始める。緑の輝きを宿した立方体が極限まで膨れ上がり、破裂したその中から現れたのは、先程と同じ五線譜の光帯。しかし、その手がゴールダー目掛けて伸びることはない。
<返礼を贈ろう 勇者よ 我が葬送の調べを聴くがよい>
滔々と綴られる念波と共に、戦場を揺るがす繊細なピアノの旋律。どこか物悲しさを宿したその音韻に促されるかのように、五線譜は互いに寄り合い、渦を巻き、次第に禍々しい輝きを宿した光球として凝集する。
いよいよ撃ち放たれんとする巨砲の威力に負けじと、ゴールダーも精一杯に胸を張り上げた。生まれたての仔鹿のように震える身体に鞭を打ち、懸命に突き出したエンブレムに精神力の残滓をありったけ集中させる。
そして、ついに激突の一瞬が訪れる。
< 『天国の葬送曲』 >
「ご、ゴウ……カ、フレイ……ム……ぅぅぅぅぅッ!!」
弔いの旋律と共に発せられた冷たい念波に抗うように、ゴールダーの叫びが轟々と鳴り渡った。絞り出した豪声は地の果てまでも響き、胸部に凝集されたサイコエナジーの輝きが目映く周囲を埋め尽くす。
しかしその赤い光は、炎の猛虎を象る寸前で、風に吹かれてあっさりと消え失せた。
「……ぐああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
虚しく霧散する紅の輝きを掠めて、五線譜を丸め固めた弔いの一閃がエンブレムを直撃する。一瞬の後、天を焼くような爆炎がゴールダーの全身を包み隠すように膨れ上がった。家の一つや二つは容易く消し飛ばすほどの、絶大な破壊力。並大抵のビーストならば到底生きていられるはずのない猛威の只中で、白虎はそれでも両腕を添えた剣を支えに立っていた。砂煙が晴れるまでの、ほんのわずかな間だけは。
「……………………ぁ、あ…………ぅ、あ…………あぁ…………」
喉から滲み出るのは、もう言葉にはなり得ない無惨な声の羅列。ひとりでにがくがくと震え、痙攣する身体は、無数の裂け目に飾られた刀身の崩壊と共に膝から崩れ落ちた。とうに限界を超えた身体を辛うじて動かしていた意志の力はすっかり消え果て、弛緩した膀胱から溢れ出した小水が鎧の内側から腿を伝って滴る。
裏返った瞳からは涙。
全身の傷口からは血液。
そして、縮み切った逸物からは失禁。
ありとあらゆる部位から溢れ出る温い雫が、膝立ちのまま力尽きたゴールダーの足元に敗北の証を描き出してゆく。
物言わぬ残骸を見つめる銀鳥の眼差しに、一切の感傷はない。崩れた鎧の下から傷だらけの毛皮を露出させた白虎の身体を脇から抱え上げて、バンダは主たる暗黒神が待つ空の彼方へと翼をはためかせる。その場に残されたのは、砕け散った曲剣の欠片と、垂れ流した血と尿が混ざり合った泥濘の跡のみであった。
※
味覚、聴覚、嗅覚、触覚、そして視覚――ビーストならば皆例外なく併せ持つ五感。
これらのうちいずれかを失った者は、その欠落を補填するかのように他の感覚が研ぎ澄まされるという。
自ら瞼を塞いだはずの金色の翼が、まるで『視えている』かの如く己の攻撃を躱す姿を目の当たりにして、キャプテンイーグルはそうした事例を思い浮かべていた。おそらくは剣や翼が風を切る音、無自覚に発する己の体臭などを頼りに、こちらの攻撃を察知しているのだろう。ならば、と可能な限り音を潜め、気取られぬ距離を常に保ちながら、一撃離脱を必勝の策と見定めて幾度となく攻撃を仕掛けてきた。
だが、当たらない。
どれだけ翼を翻しても、どれだけ剣を振りかざしても、ライズの身体に掠りすらしない。
(何故だ……どうしてこうも……)
感覚の相互補完作用だけでは説明のつかない事態に、湧き出す疑問が脳内を埋め尽くす。突き出される音叉状の槍を避ける合間にも、あらゆる可能性を模索する大鷲の背筋に、突如として冷ややかな殺気が走った。
「『どうしてこうも避けられる』――と、そう思っているな?」
知らぬ間に背後に回ったライズの嘴が、秘めて隠していたはずの心の声を雄弁に語る。
「何ッ!?」
驚嘆の叫びを上げるが早いか、痛烈な穂先の殴打がキャプテンイーグルの広い背を直撃した。凡そ攻撃には不向きそうな形状から生み出される予想外の衝撃に、思わず体勢が崩れる。
「愚物めが。お前如きの考えなど、我が眼差しの前に隅々までお見通しよ」
敵の秘策は、視覚を塞いだが故の超感覚などではない。他者の心を直接覗くという、およそ方法など及びもつかない神通力――ならばどうすると、心中に問うこの声さえも読まれている。落下する中でそう勘付いた瞬間、大鷲は肩をわずかに竦ませた。常識では考えられない事態に、神に逆らうことの意味を思い知らされ、おぼろげな怯懦が胸に巣食う。
しかし、それで羽ばたきを止める者に、風の戦士団の団長など務められるはずがない。
「私の心を読めるのか……だが!」
墜落も危ぶまれる急降下の中、大鷲はどうにか姿勢を制御して振り返る。頭上にはためく黄金の翼を睨み返すと、身を翻して高らかに舞い上がった。突風もかくやの速度で飛び上がり、嘲り嗤う喉元を狙う。
「む……ッ」
一直線に伸び上がる斬撃の風にたじろいで、ライズは槍の柄を突き出した。迫る切っ先をすんでのところで受け流しても、緑の疾風の連撃は止まない。鋭く風を切り、幾度も円弧を描きながら旋回する大鷲の突進を受け、さしもの神官も防戦一方となる。
「躱せぬ速度で攻め立てれば、勝ち目はあるはずだ!」
心を読まれるのなら、読めても躱せない速さで剣を突き出す。言うは易く行うは難し、を地で行く戦法を、キャプテンイーグルはその研鑽された翼の羽ばたきを以て実現させてみせた。嘴を突き出し、身体を流線型に尖らせ、音をも置き去りにする圧倒的な飛行技術。たとえ一撃一撃は防がれても、致命傷をもぎ取る契機は少しずつ近付いているはず――そう信じて、大鷲は一心不乱に翼を広げ、ひたすらに飛翔し続ける。
「速さだけは大したものだ。ならば、趣向を変えようか」
頷くように鶏冠を上下させると、ライズは低空へと金翼を翻した。追い縋るキャプテンイーグルの連撃をいなしながら向かった先には、黒焦げになった身体が三つ転がっている。デスコンドルのサイコロットを正面から受け、瀕死の重傷を負った彼らの前で静止すると、胸のエンブレムに緑の輝きを集中させる。
やがて、収束するサイコエナジーの中から現れ出でたのは、荘厳な合唱を纏った五線譜の触腕。その指先が、今にも息絶えんとする風の戦士たちの身体を捕らえた。
「――『地獄の讃美歌』」
含みのある声で告げられた題名が、キャプテンイーグルの鼓膜を震わせた。その直後、視界に飛び込んできた二つ並びの姿が、刃を振るう手を止めさせる。腰から五線譜に拘束され、子供の人形遊びのように宙を舞うバメットとファルカンの身体が、対峙する大鷲と金翼の間を遮るように揺らめいている。ただでさえ傷ついた者に、さらなる苦しみを強いる惨たらしい仕打ちに、大鷲は嘴を大きく開く。
「卑怯な! 私の仲間を盾にするとは……」
「盾? 違うな。此奴らは――」
瞬間、力尽きたはずの燕と隼の胸に、全身の羽毛が毛羽立つほどに鮮やかな緑光が宿る。
「……ハイスピード……ガン」
「ヒーテッド……エア……」
聞き取れぬほど小さな声が告げる技名と共に、無数の散弾と灼熱の温波がキャプテンイーグルを直撃した。
「ぐああッ!?」
抵抗すらできないほど弱り果てた身体から放たれているとはとても思えない、不自然なまでに強烈なサイコエナジーの猛打。吹き飛ばされる己が身を整えられないまま、風の戦士は背中から地面に叩きつけられる。羽毛が焼け焦げそうなほどの熱に皮膚が呻き、礫大の弾丸がめり込んだ鎧が身体に食い込んでひりひりと痛む。そこに追い打ちをかけるかのように、ライズの無慈悲な通告が突き付けられた。
「――我の道具だ」
「……お、おのれ……ッ」
美しい祖国を守るため、共に尽力してきた無二の戦友たちを、こともあろうに『道具』と蔑む非道。エンブレムの奥で心臓が疼き、全身の血液が沸騰する。
「返せ……! バメットとファルカンを……返せぇッ!!」
美麗な顔を激しい怒りに歪めながら、キャプテンイーグルは軋む翼を大きく広げた。低空から敵の真下をくぐると、即座に上昇して剣を振りかざす。目標は、エンブレムから伸びる五線譜の光帯。裂帛の雄叫びと共に、遮二無二飛び込んでゆくその眼前に――光帯によって投擲され、質量弾と化した両翼の骸が割り込んだ。
「ぬが……ぁ…………ッ」
高速で衝突した三つの身体に、衝撃が迸る。嘴が掠めた肩肉が裂け、激突に軋み歪んだ肋骨が折れれば、想像を絶する激痛が全身を駆け抜ける。それぞれの抜け落ちた羽根がひらひらと宙を舞う中で、諸共に地に墜ちてゆく三羽の鳥たち。その姿はまるで、風に吹き散らされる花弁のように、どこか美しさを湛えていた。
「く、ぅ……ッ、うぁ……ッ」
苦痛に悶える身体を必死に律して、キャプテンイーグルはどうにかその場に立ち上がる。足元に転がるのは、腕脚がひしゃげた同胞たちの無惨な肢体。生命の匂いがほぼ消えかけた姿なれども、時折しゃくり上げるように痙攣する様相が、彼らの命脈がほんのわずか残っていることを知らせている。
捨て置くわけにはいかない。
たとえ、頭上に殺到するサイコエナジーの奔流が、我が身を焼かんと迫り来るとしても。
「さらばだ、弱き翼。同胞諸共、光なき世界で絶望に溺れるがいい!」
饒舌な文句と共に練り固められる五線譜の光球は、この世の果てから聞こえるような壮絶な歌声と共に大鷲を見下ろしている。死にゆく魂を鎮め、憐れみと共に葬り去る餞の一撃。亡者の呻きを固めた怨嗟の光弾が、飛び立てない三つの翼目掛けて一息に撃ち放たれる。
「聞け! 我が『地獄の鎮魂歌』を!!」
「させるかぁッ!! スラッシュ……ハリケェェェェェェン!!」
振り絞った精神力のすべてを輝く紋章に込めて、キャプテンイーグルは禍々しい旋律の音圧を真っ向から迎え撃った。精錬したその波動は、風の戦士団・団長の勇名に相応しい超音速の疾風を纏った大鷲の姿となって駆け抜ける。押し寄せる滅びの歌をものともせず、羽ばたく光の翼。仲間を守る、ただそれだけのために生み出されたその輝きを――降り注ぐ混沌の影が、跡形もなく握り潰す。
「が、あぁ……うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
決死の覚悟で放った必殺技は、相殺すら叶わず儚く散った。愕然と佇むキャプテンイーグルの全身を、爆風と共に押し寄せる破滅の嵐が斬り刻む。戦士の証たるエンブレムを砕き、鎧を毀損する壮絶な破壊力が、誇り高き大鷲を見る影なく蹂躙してゆく。
「う、うぅ……く、ぁ……あぁ……ッ」
吹き荒れる粉塵の中、爆散したかに思えた肉体は、どうにか五体満足を保っている。しかし、前後に小刻みに震える脚に歩み出すだけの力はなく、背に負う翼は最早羽ばたき一つ為すことはできない。追い打ちをかけるように吹き付ける冷たい風に晒されて、無用の長物と化した羽根たちが虚しく揺れる。
「光宿らぬこの瞳にも、今のお前の醜態は見える。哀れなことだ」
羽毛の隙間に刻まれた無数の傷口から血を垂れ流し、地に足をつくだけで精一杯の大鷲を見下ろしながら、ライズは悠々と舞い降りた。満身創痍の中、それでも睨みつけることを止めない猛禽の眼差し――そこに宿る確かな闘志を能力で読み取りながら、更なる絶望を与えんと歩み寄る。
徐に大鷲の右翼へ伸びてゆくのは、槍を手放した屈強な両腕。片方は背を、もう片方は翼を力強く握り締め、可動部位を外れたあらぬ方向へと無理矢理に捻じ曲げてゆく。
「敗者には無用の長物。この手で圧し折ってくれよう」
「や、やめ……うぐぅッ!! ぐぁ、あ、あぁ……」
抵抗する余力など、もう一握りとて残されてはいない。じわじわと追い詰めるように滲み出る痛みに促されるように、嘴が歪み、舌が突き出す。端麗な空の勇者の面影が、溢れ出る生理的な涙と涎に穢されてゆく。
そして、不快な擦過音が奏でる悲愴な鎮魂歌が、破裂音と共に終幕を迎える。間髪を入れず訪れた絶無の激痛が、大鷲の意識を粉々に砕き散らした。
「い、ぐ、ぎィッ……ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
根元から折られた片翼が、風に揺れる枯葉のように力なく揺れるのと同時に、キャプテンイーグルはぐらりとその場に倒れ込んだ。体側を地につけ、ぐったりと横たえた身体を、鎧の奥の総排泄腔から垂れ落ちる小便の雫と臭気が包む。頭ごと地面についた嘴の先端にまで広がる尿は、まるで死に水のように風の勇者の喉を僅かに潤し、さめざめと流れていった。
「……汚らわしい。今代の戦士団長と聞いて多少は期待したが、その名を負うには足りぬ未熟者だったか」
脳裏に閃いた断末魔を反芻しながら吐き捨てると、ライズは黄味がかった水溜まりから大鷲を拾い上げた。尿の匂いが漂う泥を無造作に指先で払い、白目を剥いてびくびくと痙攣するばかりの肢体を脇に担ぎ上げる。
汚れた英雄の成れの果てを抱え、金色の翼を羽ばたかせて飛び立つ先には、暗雲に覆われた空。これから訪れる破滅の予感に満ちたその光景を、瞼越しに届くかすかな光で感じ取りながら、暗黒の神官は高らかに凱旋する。主たる邪神が待つ、約束の地へと。
<つづく>
[newpage]
銀河の彼方、ビースト星。
独自の進化を遂げたビーストたちが暮らすこの星で、凄惨極まる最後の戦いが繰り広げられていた。
暗黒神デスコンドルの猛攻の前に、歴戦のビーストたちは次々斃れ、残された戦士はあと僅か。そんな中、邪悪なる神官・バンダとライズに立ち向かったホワイトゴールダーとキャプテンイーグルも相次いで敗北し、最後の希望はデスコンドルを追うライオーガのみとなった。
この星に生きるすべての命を懸けた、地上最大のビーストファイト。
決して敗北の許されないこの戦いを、ライオーガは勝ち抜くことができるのか。
絶望に抗う勇気、ただそれだけを拳に握り、鉄拳獰猛王は天空の邪神に敢然と立ち向かう。
第26話IF『勇気と絶望』
彼方に聞こえる戦いの旋律が、獅子王の耳介を震わせる。こうして暗黒神を追っている間にも、純白の毛皮に身を包んで蘇った旧友と、気高き空の勇者が、神の眷属と戦い続けている――踵を返しそうになる己を懸命に戒めて、ライオーガは地を叩く両脚にありったけの気合を込めた。腰鎧から覗く太腿が激しく隆起すると、沸々と漲る脚力が、緑の鬣を疾風に変える。
やがて辿り着いたのは、黄金の立方体が食い込む荒野。暗雲から弾き飛ばした三つの風のゴッドロットの前に悠々と舞い降りた邪神の背中を、闘志に満ち溢れた雄叫びが制止する。
「デスコンドル! 風のゴッドロットは渡さんッ!!」
「ほざくな。元より貴様のものではないだろうに」
冷ややかに告げる暗黒神の低くくぐもった声にも、陸の勇者は決してたじろぐことはない。先手必勝、とばかりに大きく跳び上がると、ライオーガは巨躯を誇るデスコンドルの頭部を狙って高らかに拳を振り上げた。しかし、両者には背丈にしておよそ四人分はくだらない圧倒的な体格差がある。それ故に、各々の拳が届く範囲にも、如何ともしがたい差が生じる――残酷な事実を思い知らせるように、振り返り様に邪神が振るった裏拳が獅子王の腹部を直撃した。
「ぐほぉ……ッ」
歴戦に磨き抜かれた屈強な肉体が、いとも容易く宙を舞う。手近な岩山に叩きつけられ、四肢を広げた無様な姿で岩肌にめり込むと、鎧を貫通した衝撃がライオーガの全身を激しく苛む。尖った岩が晒した素肌を抉り、強かに打ち付けた頭蓋が揺れ、意識すら朦朧とし始める。
「つくづく愚かしいな、陸の王。ちっぽけなその身一つで、神に敵うとでも思っているのか?」
「……勝てるかどうかではない。俺は、お前に勝たなければならない! 民を守る王としてッ!!」
それでも、獅子王は決して屈しない。
暗黒の淵に沈まんとする自我を意志の力で引き上げ、高らかに誇りを語る。王となるために生まれ、王として生きる宿命を受け入れた者に、膝を突くことは決して許されない。体中に煌々と燃え盛る矜持と責務の炎が、ライオーガを何度でも立ち上がらせる。
「うおぉぉぉぉぉぉッ!!」
懐に飛び込み、目にも止まらぬ速度で拳を振るっても、山のようにそびえる巨体は動じない。殴りつける手の方がむしろ傷つくような手詰まりの中で、それでも抗い続けるライオーガの姿は、デスコンドルにとってはまるで滑稽な喜劇のように思える。絶対的な力量差を理解しようとせず、無益に力を消耗してゆくばかりの弱き者。その足掻きを眺めるのも面倒になって、一息に弾き飛ばそうと腕を持ち上げた、まさにその時。
突如、空を裂く弾丸の群れが、暗黒神の脇腹目掛けて放たれた。
「――何奴」
胴鎧が銃弾を通すことはなくとも、鉛弾を疾駆させるほどの衝撃は伝わる。むず痒い刺激に興を削がれて、デスコンドルは銃撃の方向へゆっくりと振り返った。砂埃の向こう側から姿を現したのは、左眼を掠める大きな傷を勲章のように顔面に飾った狼のビースト。遠目にもひしひしと伝わる、ぎらついた野性を纏ったその顔立ちに、ライオーガは見覚えがあった。
「お前は……ウルフェン! なぜこんなところに!?」
「俺はロンリーガンマン。風に呼ばれてやってきた――それだけのことだ」
狼頭を模した拳銃から立ち昇る硝煙を吹き消しながら、ウルフェンは事も無げに言い放った。しなやかな脚を躍動させ、一跳びでライオーガの腕を肩に抱えると、虚を突かれ脱力した身体を持ち上げてすぐさまデスコンドルの間合いから離れる。
「随分手酷くやられたようだが……まさか、これで終わりではないだろうな」
挑発めいた物言いは、好敵手の間にのみ結ばれる絆の証。静かに燃える闘志を宿した鋭い瞳に促されて、獅子王の胸に宿る決意も激しい熱を帯びてゆく。
「当然だ! グロリアの民を……そして、この星に生きるすべての命を守るために――」
逆境にあってもなお、身体に溢れる勇気と決意。祖国のみならず、すべての民を、その笑顔を守りたいと願う想いが、ライオーガの周囲に炎のような闘気を漲らせる。
「俺は……! 絶対にッ! 最後の最後まで、諦めないッ!!」
天に叫んだその言葉を目掛けて、遥か陸の地から迸った三つの光が獅子王目掛けて降り注ぐ。それに呼応するかのように、戦場に突き刺さった三つの立方体からも光芒が溢れ、その隣に立つ孤狼へと流れ込んでゆく。
「うおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」
星全体に響き渡るほどの雄叫びの中で、二つの身体が新たな姿へと生まれ変わる。
紅蓮の炎に覆われた獅子王の鎧は、紅を増し、爪牙を模したより鋭い装いへ。
吹き荒れる風に包まれた孤狼の鎧は、下腕に二つの砲塔を備え、無骨かつ俊敏な機甲兵の拵えへ。
それらの鎧を纏う肉体そのものも、降り注ぐ超エネルギーの奔流の中でさらに大きく膨れ上がり、腕脚の筋肉を取り巻く血管に燃えるように熱い血が滾る。
「炎のゴッドロット……! また力を貸してくれるのか!」
「なんだ、これは……? 力が、漲ってくる……!」
かつてキラーシャークを屠り、グロリア王国を救う希望の証となった超獅子王――スーパーライオーガ。
陸の民でありながら、風の加護を宿す前代未聞の存在として誕生した超孤狼――スーパーウルフェン。
いずれ劣らぬ強者の貫禄を備え、神と戦うに相応しい雄姿となった二人の英雄が、今ここに並び立った。
「炎のみならず、風のゴッドロットまでお前たちの味方をするとはな」
「まだわからないのか、デスコンドル! ゴッドロットの意思が、俺たちを選んだことの意味が!」
胸の奥に宿る炎のゴッドロットの声に促されて、ライオーガは雄々しく叫んだ。かつてはゴールダーを呑み込み、その身を焼き尽くしたこともある炎のゴッドロットだが、その力の本質はあくまでも純粋なものであり、決して他者に害をなすことを望んでいるわけではない。むしろ、皆を守りたいという志に応じて力を貸してくれる――善を為すために在りたいと、そう望んでいるものなのだと、今のライオーガには身に染みて理解できる。
「俺の身体に滾る力は、お前を否定しろと叫んでいる。ゴッドロットに見放されたんだよ、お前は」
ウルフェンもまた、全身を駆け巡る風の声に耳を澄ませて、その意図をはっきりと読み取っていた。力に惹かれる欲望に呑み込まれ、暗黒神と化したデスコンドルによって、ただ破滅の手先として扱われるばかりの風のゴッドロットが抱えていた無言の苦しみ。その根源を断つために、自分が選ばれたのだと。
「それがどうしたというのだ……?」
星を象る神秘の結晶体さえも、とうに自分を見限っている。その事実を突きつけられてもなお、暗黒神を騙る者――デスコンドルは不敵に嗤う。
「ゴッドロットなど、所詮は力の塊。再び我が手中に収め、隷属させればいいだけのこと」
あまりに傲慢な主張に、ライオーガの拳がぎりりと唸る。せめて言葉が通じれば、と投げかけた最後の問いさえこうして無益に散ってゆくのなら、残されるのは戦いの道しかない。
「どうあっても戦いは避けられないようだな……ウルフェン、覚悟はいいな!」
「聞かれるまでもない。この期に及んで、尻尾を巻いて逃げるものかよ」
そのやり取りを合図にして、二人の超戦士は一斉に駆け出した。炎の軌跡を地に残し、デスコンドルへ一直線に向かってゆくライオーガの後背を、両腕の砲塔を構えたウルフェンが守る、即席のフォーメーション。迎え撃つ邪神の反撃を許さんとばかりに、放たれる無数の弾丸が虚空に散らばり、重装攻撃軍も舌を巻くような弾幕の嵐を巻き起こす。
「名も知らぬ陸の民よ、何故抗う。おとなしく地に這いつくばり、ただ滅びの一瞬を待てばいいものを」
「世界なんぞはどうでもいいが、あいつが生きられる場所くらいは守ってやりたいもんでな……!」
そう言い返す孤狼の脳裏を過るのは、今も地上で帰りを待っている少女――いや、今や麗しき乙女の輪郭。やむを得ず失わせてしまった片角の詫びにと、何かと便宜を図ってきたつもりだったが、気が付けば寂しい傭兵稼業の供連れとして欠かせない存在になっていた。
恋だとか、愛だとか、そんな青臭いものを抱いているつもりはない。
ただ、とっくに切っても切り離せない腐れ縁となったあの娘のために――こいつを潰す。
「ライオーガ! お膳立てはしてやる、奴の懐に突っ込め!」
「恩に着る、ウルフェン!」
ウルフェンがばら撒く光の弾丸がデスコンドルをその場に縫い留め、厳然たるリーチの差を埋める手助けとなる。屈ませた両脚を思い切り収縮させて、ライオーガはデスコンドルの胸目掛けて大きく跳び上がった。
「小癪な……!」
弾丸の雨霰に晒されながらも、暗黒神は両腕を交差に構えて防御の構えを取る。しかし、漲る闘気を炎と燃やすライオーガの鉄拳の前に、鉄壁たる防御などあり得ない。ゴッドロットがもたらした神秘の光を纏い、火の玉となった獅子王の殴撃が、デスコンドルの守りを抉じ開ける。
「おおおおおッ! でぇいッ!!」
「ぬぅ……ッ」
固く閉ざしたはずの両腕を強引に割り開き、その先の無防備なエンブレムを突き貫くライオーガの拳に、さしものデスコンドルも低い呻き声を上げた。二つ並びの紋章の間に刻まれた僅かなひびが、絶対無敵と思われた神たる存在に生じた微かな綻びを戦士たちに教える。
――暗黒神といえども、決して完全無欠ではない。必ず打ち倒すことができる。
心の奥底から湧き上がる確信が、陸の勇者二人の戦意をますます昂らせる。
「ウルフェン! 合わせろ!」
「指図するな、と言いたいところだが――請け負ってやろう!」
ライオーガの要請に応じ、疾風の如き早足で駆け付けたウルフェンが息を巻く。全身から立ち昇るゴッドロットの超エネルギーを前面に集中させ、デスコンドルへ向けて身体ごとぶつかるように飛び掛かった。
「どぉぉぉぉりゃあぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
かつて袂を分かった獅子と狼。
陸と空に分かたれた炎と風のゴッドロット。
相反する二つの力を一つに束ねた渾身の一撃が、そびえる暗黒神の巨体をにわかに揺るがす。
「ぐおぉぉぉ……!」
「どうだ、デスコンドル! これが、貴様が嘲るちっぽけなビーストの力だ!」
ついに背を地に着けた暗黒神を前に、ライオーガは緑の鬣をなびかせて堂々と叫んでみせた。その傍らで冷静に戦局を見つめるウルフェンの瞳にも、心なしか高揚の炎が点っている。
「立て直す余裕を与えるわけにはいかん。畳みかけるぞ、ライオーガ!」
「応ッ!!」
いつになく饒舌な好敵手の呼びかけに応じて、ライオーガは胸部の紋章へと精神を集中させた。王たる者として磨き上げた強大なサイコエナジーに、ゴッドロットのパワーまでもが加わった、最大最強の一撃。真っ赤に燃える極大の獅子として浮かび上がったその姿が、暗黒神を滅ぼさんと爪を振り上げる。
「バーニング・ダイナマイトォォォッ!!」
「ロンリー……バルカンッ!!」
灼熱の獅子の傍らを飛ぶのは、ウルフェンの胸部から放たれた無数のエネルギー弾。通常の必殺技として用いていたロンリー・マグナム一発分の威力をそのまま凝縮した弾丸が、機関砲のように数多撃ち放たれるその威力は、直撃すれば山をも崩す。
通常のビーストの領域を遥かに超越した二人の勇者が放った、渾身のサイコロット。
まともに喰らえば、さしもの暗黒神と言えども滅びずにはいられないはず。
「やったか……!?」
しかし、大気を震わせた必殺の奥義は、惜しくもデスコンドルの喉元には届かなかった。
「――何ッ!?」
愕然とする二人の前で、悠然と渦巻く疾風の螺旋。少しずつ晴れてゆくその轟風の中から現れたのは、暗黒神の左右に侍る金銀の翼――バンダとライズ。
<デスコンドル様>
「神に刃向かう愚物どもの骸を、こちらに」
それぞれの得物を片腕に携え、もう片方の腕に何やら重たげな荷物を抱え込んだその姿を、見開いた瞳で凝視した次の瞬間、ライオーガは思わず絶句した。
死の淵より舞い戻った旧友の白い毛皮が、鮮血に塗れて真っ赤に染まっている。
何よりも優雅な安らぎを好み、余裕ある美しさに包まれていたはずの大鷲の顔貌が、哀れに歪んでいる。
まるで罪人の触書でも掲げるかのように頭を掴み上げられ、白日の下に無様な姿を晒された同胞たちが、震える獅子王の眼前でぶらぶらと揺れ回る。しとどに濡れた股座から、饐えた臭いを放つ雫を垂れ流しながら。
「ご、ゴールダー……キャプテンイーグル……ッ」
悪の神官たちがこの場に現れた時点で、勘付いてはいた。
彼らが無事ということは、その行く手を阻んでいた仲間たちが敗れてしまったのではないかと。
しかし、いざこうしてその事実を眼前に突き付けられて、慄くしかない自分がいる。
まして――こうも無惨に甚振られ、朽ち果てる寸前の姿を見せつけられてしまっては。
「精々目に焼き付けておくがよい。これからお前たちも、この哀れな者どもと同じ永遠の闇に堕ちるのだ」
哄笑するデスコンドルの身体から放出された闇が、バンダとライズの身体を包み込む。金銀の鎧に覆われた怪鳥たちの輪郭は、深い暗雲の中で少しずつ曖昧になり、混沌のうちに融けて広がり、やがて跡形もなく消えてゆく。暗黒神が大きく開いた嘴から暗雲を呑み込むと、両肩から伸びる手のような突起の中央に座した瞼が開き、禍々しい一対の眼が姿を現した。まるで、先程までそこにいた神官たちの代わりであるかのように。
「なんだ……!?」
「デスコンドルに、吸収されて……!?」
「嗚呼、バンダ、ライズ――我が忠実なる両翼よ。よくぞ戻った」
驚き、後ずさるばかりの獅子と狼を見下ろしながら、暗黒神は満悦に瞼を細める。全身を巡る血流に溶け、細胞の一片一片まで余すところなく染み込んでゆく忠実なる部下たちの血肉を恍惚のうちに堪能すると、両腕を高らかに掲げて叫ぶ。
「我が身が揃った今ならば――風のゴッドロットよ! その力を我に捧げるがよい!!」
直後、戦場の周囲に佇む三つの結晶体から暴風が竜巻となって巻き起こり、デスコンドルの後背に掲げられた翼と副腕へと吸い込まれてゆく。瓶の底にわずかに残った水滴を吸い上げるように、粛々と力を搾り取る旋風の流れ。同じく風のゴッドロットの恩恵を与ったはずの好敵手の横顔を一瞥してから、ライオーガは動揺に声を荒げた。
「馬鹿な! 風のゴッドロットは、ウルフェンに力を貸しているはずだ!」
「奴め……僅かに残った風のゴッドロットの力を、無理矢理引きずり出していやがる……!」
与えられたエネルギーの奔流を通じてゴッドロットと繋がったウルフェンには、その状況の異様さが身に染みて理解できた。すでに主を見定めたはずの超エネルギーが、無理矢理その方向性を捻じ曲げられ、金色の輝きを保つ最低限の力さえも残らぬほどに搾取されてゆく。くすんだ銅色に褪せてゆく三つのゴッドロットを眺めながら、孤狼は悔しがるかのように歯を剥き出しにした。一刻も早く、あの強制的な吸収を止めなければ、風のゴッドロットの存在そのものさえも危ぶまれる。
そんなウルフェンの危惧を気にも留めず、デスコンドルは全身に溢れる力を暗雲漂う空に広く放出した。形ある光によって作り出されたのは、暗黒神と勇者たちが対峙する戦場を映した即席のスクリーン。陸に、海に、空に――それぞれ到来する脅威に苛まれる人々の前に、この星最後の決戦が、強制的に投影される。
「聞け! この星に棲む小さき者ども!」
大地を揺るがし、海原を波打たせ、天空に轟くその声は、まさに破滅の具現。
直接脳髄に捻じ込まれるかの如く鳴り響くその声に抗える者は、誰一人として存在しない。
「一時たりとて目を離すことは許さぬ。地上最後の勇者たちが、我が力の前に屈する姿を仰ぎ見よ!!」
大音量で言い放つのと同時に、デスコンドルの胸部から溢れ出たサイコエナジーがひとりでに空へと浮かび上がる。回転する二つの立方体として現れ出でた光の塊が、互いにぶつかり合った次の瞬間、耳をつんざく爆音と共に炸裂したサイコエナジーの流星群が戦場を隈なく覆い尽くした。
「ぐああぁぁぁぁぁッ!!」
「ぬおぉぉぉぉぉッ!!」
逃れる場所など、どこにもありはしない。回避不能の大火力の乱舞を受け、超戦士たちを容赦なく爆風が包み込む。爪を突き立て、両足を地にめり込ませても、吹き飛ばされぬよう耐え抜くのが精一杯。四方八方から襲い来る爆炎と衝撃に全身を苛まれ、瞬く間に傷に塗れた二つの身体が、呆気なくその場に膝を突く。
「両翼を切り離した我の力を……よもや、真の力と見誤っていたのではあるまいな」
爆炎の彼方から聞こえ来る、おぞましい重低音。
延々と焼け残る焔を背に立つ、禍々しい悪魔の翼――その畏怖すべき輪郭。
「……格が、違いすぎる……」
「こ、これが……奴の、本当の力……ッ」
がくつく両脚をどうにか立ち上がらせながら、ライオーガとウルフェンは背筋を走る戦慄に懸命に耐える。必ず勝てると確信した先程までの意気はあえなく崩れ、鎧に走るひび割れのように、心中に掲げた闘志にも微細な傷が刻まれ始める。
「思い知ったか。何者たりとて神には及ばぬと」
なおも勝ち誇るデスコンドルの胸に、再びサイコエナジーの輝きが宿る。拡散したエネルギーさえあれほどの威力を誇るというのに、凝集したものを撃ち込まれれば――五体無事ではいられない。実感を以て迫り来る敗北の予感に、握り締めた拳の奥に汗がじっとりと滲む。
(ここまで、なのか……?)
両翼たるバンダとライズを取り戻したデスコンドルは本来の姿に戻り、風のゴッドロットの残滓までも呑み込んで更なる力を得た。その如何ばかりかを、その身を以て思い知らされ、ライオーガとウルフェンの胸中に一握りの諦観が忍び寄る。それでも、と言い続ける心の芯を萎えさせようと、少しずつ囲いを狭める悲観の檻。内側にびっしりと棘のついたその格子に、今にも貫かれそうになった――まさにその時。
「…………これは……?」
不意に口を開いた孤狼の耳が高く掲げられているのを見て、ライオーガも耳に手を当てた。目を閉じ、聴覚を研ぎ澄ませて、ようやく届くほど小さな声。しかしその響きは、どんな言葉よりも強く、優しく、胸を揺さぶる。
「聞こえるか、ウルフェン……! これは、グロリアの……皆の声だ!」
遠く空を隔てたグロリアの大地から響く、ライオーガの名を呼ぶ民たちの声。一つ一つは小さくとも、何千、何万の声が重なり合って、ついには天高く鳴り渡るほどの応援となって耳朶を震わせている。
王が民を想い、民が王を想う――これこそ、真なる王道。絶対的な逆境に至ってついにその理想の完成を目の当たりにした喜びが、獅子王の胸に怒涛のように込み上げた。高鳴る鼓動に合わせ、萎びかけていた腕脚に更なる膂力が宿り、ライオーガを堂々と立ち上がらせる。
「――俺には聞こえんな。その『皆の声』とやらは」
一方、元より寄る辺なき根無し草であるウルフェンには、多くの繋がりが生む感慨は無縁のものであった。顔も知らない有象無象の声が耳を掠めたところで、心を寄せる気にはならない。己の腕一つを頼りにして生きてきた孤狼にとって、湧き起こる大声援は、ただの雑音にしか過ぎなかった。
その声の中に交じる、たった一つの願い――守るべき者の、切なる祈りを除いては。
「だが、ただ一人……俺を待っている者の声は聞こえる。それだけで俺は、まだ戦える」
すっくと背を伸ばし、胸を張り上げたウルフェンの雄姿に視線を送って、ライオーガは高らかに口角を上げた。胸に巣食い始めていた絶望を真っ向から殴り倒すように、大きく拳を振り上げ、戦闘態勢を構える。
守るべき者がいる。共に肩を並べる仲間がいる。
なればこそ、まだ戦える。
そう、俺は――民の願いを背負って国を治める、唯一無二の王なのだから。
「無意味に蔓延る愚民どもが、好き勝手に囀りおって……耳障りだ」
「お前にとってはそうだろうな。だが――俺には、この世の何より頼もしい援軍だ」
再び燃え上がる闘志に呼応するかのように、真紅の闘気がライオーガの全身を覆う。連れ立つウルフェンの身体にも、鋭い旋風を孕んだ深緑の闘気が渦巻き、暗黒に沈みかけた戦場に希望の色彩を取り戻してゆく。
「行くぞ、デスコンドル! 俺たちを信じてくれる、皆のために……お前を倒すッ!!」
喉も嗄れんばかりの大音量で言い放つと、ライオーガは全力で地を蹴り、高らかに跳び上がる。同時に反対側に跳ねたウルフェンも交え、二つの身体が暗黒神の巨体を挟んで向かい合う。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
デスコンドルの両側に陣取った勇者たちの胸部から放たれる、サイコエナジーの立方体。必殺技ではないただのサイコロットとはいえ、地を抉り空気を焼くほどの威力を持つそれらを、暗黒神は避けるどころか防ぐことさえせずに受け止めた。広がる爆風にびくともしない躯体を目掛けて、粉塵を隠れ蓑にした突進が迫る。
「はぁぁぁぁッ!!」
片側から目にも止まらぬ速さで撃ち込まれるのは、ウルフェンの両腕に備えた砲口から限りなく放たれるエネルギー弾の乱舞。加えて、もう片方からはライオーガの残像を交えた高速の拳撃も大挙して押し寄せる。
だが、デスコンドルは決して動じない。右肩から生えた副腕の先端に開いた瞳を爛々と輝かせ、吹き付ける猛撃の豪雨を瞼一つ動かさぬまますべて捌き切っている。
「くぅ……ッ」
「足掻くな。既に勝敗は決している」
なおも輝く右肩の眼から発せられた光を浴びせられると、忙しなく動き回っていた勇者たちが不意にその動きを停止する――否、『停止させられる』。呼び戻した金翼・ライズが誇っていた読心と肉体操作の権能が、体内に取り込んだその血肉を通じてデスコンドルの手元に戻り、今また行使されているのだ。
「うぐっ……ぬぅおぉぉぉぉぉぉッ!!」
「んぐうう……ッ」
空中に縫い留められ、どれほど力を込めても自由になることのない己の腕脚に動揺するライオーガを、デスコンドルの巨大な掌が叩き落とす。同じく宙吊りで藻掻いていたウルフェンも同じく地に墜とされ、勇者たちはわずか一撃で岩山に囲まれた戦場の端にまで追い詰められた。苦しみに呻きながら、痛む節々を引きずって立ち上がる二人の前に、嘴を高らかに掲げた暗黒神が悠然と舞い降りる。暗雲の隙間から差す微かな陽光を遮り、破滅の音色を奏でるその翼の羽ばたきに、獅子と狼の背筋がじくじくと凍る。
勝利を信じる民たちの声は、まだ届いている。
ゴッドロットの超エネルギーも尽きる気配はなく、疲労も傷も決して甚大なものではない。
それなのに、何故こんなにも足が竦むのか。
何故、全ての力を込めて握ったはずの拳に、じわじわと怯懦が滲むのか。
「――ふん」
蔑みの一息と共に振り下ろされる巨大な拳を、ライオーガは全力を籠めた右拳で迎え撃つ。鉄拳獰猛王と渾名され、ただ己の肉体一つを頼りとして戦い続けてきた英雄たる獅子王。そのすべてが握り込まれた拳が――この世の終わりを思わせるような骨音と共に、粉々に砕け散る。
「うぅ……ッ、ぐああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
ひしゃげた指の内側で、原形を留めないほどの欠片と化した骨が肉に突き刺さり、爪の隙間から滂沱の如く鮮血が噴き出す。可動域を無視した方向にねじ曲がり、力を入れるどころか微かに動かすことさえできなくなった掌を腕ごと振り乱して、ライオーガは悲愴極まりない叫びを上げた。腕の内側を一瞬にして駆けずり回り、脳天に達した激痛の怒涛。その途轍もない圧が、全身に漲っていたはずの勇気を押し流してゆく。
「ライオーガ――――んぐうぅッ!?」
想像を絶する苦痛に呻く獅子王を振り返った一瞬の隙を衝かれ、ウルフェンの身体が宙を舞う。がら空きの胴に捻じ込まれた鋭い爪先は、暗黒神の丸太を三つ束ねたような太腿が生み出す爆発的な威力を乗せ、孤狼のエンブレムを大きく抉り砕いた。蹴り上げられた勢いのまま、背中から地面に叩きつけられると、位置エネルギーが転じた著しい衝撃が全身に響き、耐え難い疼痛を呼ぶ。
必勝を期して握ったはずの拳は砕け、共闘を申し出てくれた友も容易く地に倒れ伏した。急速に悪化する状況を見かねた人々の声に、不安や心配の色が混ざり、割れんばかりに響いていたはずの応援が徐々に小さくなってゆく。握れなくなった右拳から、痛みに交じって這い寄る絶望。徐々に己を侵食する内面の弱さを振り払うように、獅子王は鬣を振り乱す。
一方、どうにか起き上がろうとするウルフェンの中にも、全ての希望を呑み込む黒い穴が開きつつあった。不安と哀しみに押し潰される心情を表すかのように、少しずつ聞こえなくなってゆく馴鹿の娘の声が、皮肉にもその開孔を早めてゆく。焦燥に震える五指が、砂利を虚しく掻き毟る。
「聞こえるぞ。民草どもの恐怖と絶望が。我が無限の力を増幅させる、負の感情が」
空を覆うスクリーンから一つ、また一つと降り注ぐ黒い靄が、暗黒神の纏う禍々しい闘気をますます増幅させてゆく。愉悦を孕んだその声に屈しそうになる己を懸命に律しながら、勇者たちは砕けそうになる脚を震わせてようやく立ち上がる。しかし、その身に宿る炎と風の闘気は、すっかり萎びて弱まりつつあった。
「ま、まだだ……信じてくれる民がいる限り、俺は、何度でも立ち上がる…………!!」
「やられる、わけには…………あいつの、ところへ……帰る、までは…………!」
それでも、諦めない。
この世に一人でも、自分を信じる民が残っている限りは。
この世にたった一人、帰りを待ってくれる者がいる限りは。
この身に宿る命が尽き果てるその時まで、立ち向かう意志だけは絶対に絶やさない。
「うおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」
裂帛の雄叫びに応じ、獅子王と孤狼のエンブレムにサイコエナジーが集中する。傷ついた身体の隅から隅まで、全身全霊を懸けて振り絞った精神力は、彼らの身の丈を遥かに上回る巨大な立方体となって凝集し、やがてそれぞれの必殺技に転じて撃ち放たれた。
「バーニング――――ダイナマイトォォォォォォォッ!!!」
「ロンリー…………バァルカンッ!!!」
割れんばかりの咆哮と共に、獅子を象った灼熱の炎がライオーガの胸から飛び出す。ウルフェンが撃ち出した銃弾の嵐と重なり、まるで弾丸を鬣に飾り付けたような異形の姿となった火焔の獅子は、暗黒神の身体を覆い隠すほどの巨体となって駆け抜け、その身を喰らわんと殺到する。
だが、デスコンドルはまるで動じない。
弱き者の力がどれほど束ねられたところで、己が座す神の頂には届かないと、既に知っているが故に。
「滅びよ。――――イグニッション・サイム」
呟くように発せられたその一言は、世界に果てしない炎と滅びを呼ぶ最後通告。二つのエンブレムから放たれた血のように紅いサイコエナジーの竜巻が、一つになって吹き荒れる。真紅の獅子も、緑の銃撃も、全てを呑み込む地上最大の奥義。迫り来るその威容を前に、ちっぽけな者どもは目を閉じることも許されない。ただ見届け、直後に訪れる終局を受け入れることだけが、神に逆らう愚者に許されたたった一つの道なのだから。
ソアラ聖国そのものを揺るがすほどの破壊力の激突が生む、天を貫くほどの爆発。巻き上げられた土煙が晴れると、血と煤に塗れたライオーガとウルフェンの姿が露わになった。空を裂く邪悪の竜巻にその身を引き裂かれてなお、地に足をつけたまま、ぞくぞくと全身を震わす激痛の電流に苦しみ悶える。
「う、う……ぁ、ぐうぅ……ッ」
「ぬぅ……うぅ……ッ」
僅かばかり残った力のすべてを注ぎ込んでも、立った姿勢を保つことしかできない。無傷のまま佇む暗黒神へと脚を振り上げようとしても、破損した鎧からまろび出た脹脛はぴくりとも動かず、怯えた子供のように小刻みに震えるばかり。それでもなお、血の滲む眼で睨みつけることを止めない勇者たちの前に、両翼を羽ばたかせたデスコンドルが威圧感を振り撒きながら降り立つと、左肩の副腕に備えた目から光を振り撒く。
「うあ、あぁぁ…………」
「力が…………抜けていく………ッ」
浴びせかけられる光に、残った力のすべてを吸い上げられて、ライオーガとウルフェンはあえなくその場に崩れ落ちた。左翼に戻ったバンダの能力により吸収された炎と風のゴッドロットの超エネルギーは、一滴残らずデスコンドルに呑み干され、その禍々しい翼に更なる暗黒の闇を纏わせてゆく。
「ゴッドロットの力を我に献上したことだけは褒めて遣わす。愚民の王と路傍の石が、よくぞここまで」
そう嘯きながら、デスコンドルは仰向けに倒れた孤狼の身体に足を乗せた。ビーストの身体を容易く覆い隠す巨大な爪裏が、身動ぎ一つ取れないウルフェンにそっと触れると、低くほくそ笑む声が周囲に木霊する。
「――最後の戯れだ。せいぜい麗らかな声で囀ってみせるがよい」
そう告げるが早いか、ウルフェンを踏む爪裏に少しずつ重心が傾き始めた。一つ、また一つ、秒数を数える度に圧し掛かる巨躯の重みが、とうに力尽きた孤狼の全身の骨をこれでもかと軋ませる。
「おごぉ……ッ、ぶふぅ……ッ、げッ、ぎぃ……ぃぃぃ……ッ」
今にも途切れそうな呼吸を支える肺が紙のようにぐしゃぐしゃに潰れ、濁った汚声が端正なマズルの隙間から零れる。どこか虚無を漂わせていた冷たい顔貌は今や別人のように歪み切って、逃げ場のない痛みに苛まれる絶望だけが全身を満たしてゆく。
「ウルフェン……! や……やめろ、デスコンドル……ッ!」
砕けた掌を必死に差し伸ばすライオーガの制止を、デスコンドルが聞き入れるはずもない。絞り出した叫びは吹き渡る冷たい風に虚しく消えて、好敵手の身体を苛む重圧はますます大きく膨れ上がる。
「か、は、ァ……ぁがッ」
増大する圧力の先に待っているのは、戦士の誇りたる紋章の完全なる破損。
硝子細工が砕け散るように、全体に走ったひびが徐々に広がり、重なり、集まって――粉々になる。
「――ぎぃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
エンブレムが砕けた瞬間、ウルフェンは壮絶な断末魔と共に気絶した。力なく開いた口からは白い泡が際限なく溢れ、爪の隙間から覗く四肢はいずれも著しい痙攣に蠢いている。爪下に埋もれた下半身から、閊えが抜かれたように溢れ出した大量の小水が、デスコンドルの足元を湯気立つ泥濘に変えてゆく。
「ゴッドロットの力が加わったとて、所詮は無駄な足掻き。我を打ち破ることなど……何人たりともできぬ」
好敵手の無残な最期を目の当たりにしたライオーガの身体に、かつてない怯えが襲う。肩も、腰も、膝も、触れた先から砕け散ってしまうのではないかと思えるほどに震えている。生存を望む生命の本能がひっきりなしに頭の中で叫び散らし、敗北の二文字だけが脳裏を埋め尽くしてゆく。
「ま、まだ、だ……」
しかし、逃走を求める身体とは裏腹に、獅子王の心はなおも抗い続ける。
「お、俺は……民の、ため……この星の、平和の、ために……ッ」
まともな言葉を紡ぐことさえままならない虚脱の中で、ライオーガはひたすらに叫ぶ。
敵わないとわかっていても、逃げ出したいと竦んでいても、叫ばずにはいられない。
せめてすべてが終わるその一瞬まで、己が信ずる王道に殉じたい。
勇敢に、獰猛に、民の安らぎを乱す邪悪のすべてをこの拳で殴り倒す、鉄拳獰猛王として――
「戯れ言はいらぬ」
だが、そんなあえかな願いさえも、暗黒神は決して許しはしない。
己の腕ほどはある巨大な指先が、泥に汚れた緑の鬣を摘まみ上げ、空のスクリーンにその無様を晒す。
「愚かなるこの星の民よ、見るがよい。これが、お前たちが王と称えた者の末路だ」
重ねた指を中空で放してやると、受け身すら取れぬ惰弱な肉体が土に転げる。俯せになったその背を目掛け、デスコンドルは孤狼の血と尿に塗れた爪裏を情け容赦なく振り下ろした。
「ぃぎ……ッ! ぐ、が、はぁ……ッ」
再び繰り返されるのは、邪神による残酷な戯れ。先程好敵手を踏み潰した際よりも更に不規則に、緩急をつけて乗せられる足裏の重みが、ライオーガの背骨を隅々まで軋ませる。はみ出した腕脚を不格好にばたつかせ、生き汚く足掻く獅子王の哀れな姿。その有様を見下して嗤う暗黒神の嘴が、怒りとも狂悦とも取れぬ角度に大きく開いた。
「無力なる者が、我に平和を説くなど――千年早いわッ!!」
咆え猛るその一言は、かつて己も夢見た安らかなる世界への決別か。
それとも、愚民の王如きが大それた夢を語る滑稽さに対する嘲りであったのか。
「あ、ぁあッ、うぎ……ぐわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
一瞬のうちに暗黒神の全体重を躯体に叩きつけられ、獅子王は喉奥が焼けるほどの勢いで絶叫した。すでに限界まで歪んでいた背骨をはじめ、鎖骨や肋骨、肩甲骨に至るまであらゆる骨が跡形もなく砕け散り、全身の穴という穴から夥しい量の血液が溢れ出す。
「げぶぅ………………ッ、ぼォお、ご…………ァ………………」
先に散った好敵手がそうしていたように、ライオーガは口から白い泡を吹き、縮み切った股座から敗北の証たる黄色い液汁を垂れ流す。身体を支える骨のことごとくを砕かれ、あらゆる汚濁に身を浸したまま倒れ伏す獅子は、最早彼が望み、民が望んだ王ではない。
「ぉ……………………ぁ……………………」
声にすらならぬ息が掻き消えた時、陸に、海に、空に、民草の絶望の声が溢れ返った。誰もが口々に諦めを呟き、無様な敗北を晒した戦士たちを罵り、確定した破滅の未来に恐怖する。ただそれだけのことで、暗黒神の全身には溢れんばかりの力が漲ってゆく。
「これで邪魔者は消えた。遍く命を滅ぼし、全てを静寂に返した時、我が望む歓喜の時が訪れるのだ」
すべての敵対者を屠った今、デスコンドルの荒ぶる姿を見つめるのは、色褪せた風のゴッドロットだけ。力を吸い尽くされ、朽ち果ててゆくばかりのその姿を憐れむ者はもういない。純粋なる力の塊であるが故に、許し難い邪悪にさえいいように使われなければならないその悲哀を、ただ一人理解できた孤高の狼は――その戦う意志も力も、粉々にへし折られてしまったのだから。
「定められた滅びの刻限を、恐怖と絶望と共に待つがよい! ちっぽけな虫けらどもよ!!」
三つの輝きを取り戻し、再び巨大な凶鳥と化したデスコンドルが、暗い空へと羽ばたく。
それは、これからビースト星を襲う破壊と殺戮の、ほんの始まりにしか過ぎなかった。
※
すべての希望が潰えてから、どれほどの時が経ったのだろうか。
かつてソアラ聖国と呼ばれていた天空の島はとうに地に墜ち、平和な楽園で争いを知らぬまま飛び交っていた空のビーストたちもことごとく死に絶えた。唯一命の残滓が香るのは、荒れ果てた島の残骸、その頂きに突き立てられた四つの十字架。
勇敢に戦ったかつての英雄たちの成れの果てが、そこに晒されていた。
鎧も、下衣も剥ぎ取られ、原初の獣同然の真裸に剥かれた彼らに、生存以外の一切は許可されていない。暗黒神が設えたスクリーン越しに、眼前に映し出される地獄絵図をただ見つめることだけが、彼らに課せられた最後の使命にして、最大の責め苦である。
「俺たちの、夢が……ベンガ再興の夢が……消えてゆく…………ッ」
焦土と化すグロリア大陸に、蘇った祖国の幻を見つめながら、ゴールダーはさめざめと啜り泣く。地上に残った東方軍の同志たちが惨殺される様をまざまざと見せつけられ、心は既に砕かれてしまった。血に濡れて紅白の斑模様になった毛並みに、往時の艶やかな輝きは一片たりとも残ってはいない。
「もう、何もない……青い空も、緑の島も、あの薔薇の香りも……」
静謐な空を離れ、花の一本も芽吹かぬ不毛の大地と化した祖国を嘆き、キャプテンイーグルは目を伏せる。風の戦士団は一匹残らず鏖殺され、ソアラの民も大半は犠牲となった今、大鷲が守るべきものは何一つ残されていない。弔いを手向けようにも、十字に絡められた四肢は動かず、背の翼は双方折られてぐったりとしな垂れている。禿げた羽毛の狭間から垂れ落ちる血と汗、そして尿の滴りが、死すべき時を違えた者の悲哀を無言のうちに語る。
「レイティア……すまない……」
体中の古傷に疼く痛みに苛まれ続けるウルフェンの胸に去来するのは、すでに亡き者とされた乙女の面影。最期まで孤狼の帰還を信じ、帰る場所であり続けるために生き抜こうとした彼女の想いは、胸を貫く黒鳥の嘴の前に呆気なく散った。折れた片角に絶えず差していたあの花が、はらはらと落ちゆく姿を見て以来、口をついて出るのは譫言のような謝罪だけ。枯れることなく流れてゆく涙が、左目にかかった傷を伝う。
「ゆ…………許して、くれ……グロリアの、民よ…………」
そして、祖国を滅ぼされたライオーガもまた、今は亡き民たちへ許しを請うことしかできなくなっていた。砕かれたままの拳は最早原型を留めておらず、押し潰された背骨もあらぬ方向に曲がったまま体内に埋め込まれ、永遠に消えない苦痛をもたらし続ける。
「王たる資格のない、俺を……許して……くれぇ……ッ」
最早仰ぎ見る者は一人もいない丘の上、風雨に晒され立ち尽くす四つの十字架。
嘆きと悔恨に眦を濡らし、足元から立ち昇る小水の饐えた臭いに咽びながら、彼らの苦悶は続く。
いつか暗黒神がこの星のすべてを焦土に還す、末期の一瞬まで――
<おわり>