臆病な大人の恋の始め方【ケモホモ】

  外は、雨が降っていた。

  仕事帰りのバス停。誰もいない静けさの中で、雨音だけが響き渡る。周りの世界を隔離したような、そんな孤独ささえ感じられた。そんな雨の夜に、俺は一人目を閉じる。

  仕事を復職してから、3ヶ月。

  もう、これが自分の限界なのかと感じた。

  やれることはやった。可能な限り手を尽くした。それでも一度壊れてしまった心と身体は、もう二度と元には戻ってくれなかった。職場側も配置転換をしてくれ、残業も前より少なくなった。それでもまだ、毎日が命をすり切らせていくような日々の連続だった。何の楽しみもない。何の生きがいもない。何の為に生きているのかも分からない。そんな状態で迎えた今日の雨の夜は、なぜか、今の俺にはつらかった。

  きっと、俺には恋人と呼べる人が必要なのだろう。

  愛し愛される、そんな存在が必要なのだろう。

  でも、どうやって恋人を作ればいいのかなんて、今更分からない。それに俺は、他の人とは違う。普通の人と違って、女性を愛することができなかった。こんな状態で、どうやって出会いを求めて良いのかも分からない。結局の所、誰も待っていない一人きりのアパートに帰って寝るだけの生活を繰り返すだけだった。

  こんな毎日を続けたって、生きている意味はない。

  そう自分の中で答えが出るまでに、そう時間はかからなかった。

  バス停のベンチに、傘を置く。

  車のヘッドライトが、夜道を照らしている。

  そのキラキラと光り輝く光りの中に身を乗り出せば、きっと何もかもが終わってくれる。そんな気がした。

  ふと、一歩前へと足を踏み出す。

  その時だった。

  「危ない!!」

  グッと、腕を引っ張られた。

  その反動で、俺は雨のアスファルトの中に尻餅をついてしまう。でもその感触は、なぜか柔らかかかった。

  一瞬の事で、何が起きたのか分からない。

  ただ雨だけが、降り続けていた。

  「君!! 大丈夫か!?」

  真っ正面に、顔が映し出される。

  渋い鬣をしっかりと蓄えた、スーツ姿の獅子だった。

  その琥珀色の瞳が、気迫に迫るように震えている。

  俺は、何も言葉が出なかった。

  「お、俺・・・おれ・・・」

  涙が、ボロボロと溢れた。

  崩れてしまったダムのように、一気にそれが崩壊する。

  ただ降り注ぐ雨のしずくだけが、肌を濡らし始めていた。

  「君・・・泣いているのか?」

  驚くほど静けさをはらんだその声が、鼓膜を響かせる。

  これが、俺と彼との出会いだった。

  「臆病な大人の恋の始め方」

  店の中は、あまり人がいないようだった。

  もう夜中も遅い時間だったからなのだろう。閉店前のカフェテリアで、俺達はコーヒーを飲んでいた。

  吸い込んだ息が、少し痛い。

  なぜ自分がここに付いてきたのか、自分でもまだ分からないままだった。

  「獅童だ」

  目の前に、大きな手が差し出される。

  見上げれば、目の前の獅子は優しく微笑んでいた。

  「僕の名前だ。・・・獅童善嗣」

  「あ・・・熊谷俊介です」

  ぎこちない自己紹介だと、自分でも思った。

  差し出された手の平を、そっと握り返す。

  その柔らかな大きな手の平は、確かに大人の温かさをはらんでいた。

  「この先の大学で、教授をしている。年は今年で49歳。もう50寸前となってしまった。一応こう見えて、心理学を教えている。見えないだろう?」

  「教授、ですか」

  「・・・あぁ。いつもは歩きなんだが、今日はあいにくこの雨だったからさ。今日はズルをして、バスを使おうと思ったんだ。・・・そしたら、君に出会った」

  小さなマグカップを、彼はマズルへと口づける。

  きっと、彼は知っている。俺が、何をしようとしたのか。そして、なぜここに連れてきたのか。

  でも俺は、その答えをまだ知りたくはなかった。

  「熊谷君は?」

  「え?」

  「・・・仕事とか、歳とか・・・差し支えがなければ、聞いてもいいか?」

  柔らかな目線だったと思う。

  その琥珀色の瞳に、吸われそうになっている自分が怖かった。

  ほんの数分まで他人だったはずの境界線が、もう曖昧にぼやけ始めている。それは、果たして自分だけなのだろうか?

  今となっては、それを確かめる術さえ自分には残されていなかった。

  「歳は今年で37です。仕事は、一応・・・公務員というか、役所に勤めています。といっても・・・最近まで休職していたので、まだ復職して3ヶ月しか経っていないのですが・・・」

  「・・・そうか。37歳なら、干支も僕と一緒か。これも巡り合わせだな」

  「そうですね。なかなか無い奇遇ですよね」

  ぼやかした笑い声は、空へと散った。そんな自分の姿が、窓ガラスに映り込んでいる。

  スーツ姿の熊の形をした自分は、やけに小さく見えた。

  なぜ自分が休職していたことを話したのか、自分でも分からない。

  自分は、話を聞いて欲しいのだろうか?

  でも相手はさっき出会ったばかりの人間だ。そんなこと、願っていいはずがない。

  そう思っていた。その時だった。

  「・・・休職の話。詳しく聞いてもいいかな?」

  その声に、俺は目線をあげる。

  目の前の瞳は、ただ真っ直ぐに俺を捉えていた。

  「・・・よくある話です。長時間労働と、上司からのパワハラ・・・早めに受診して服薬は開始していたんですが、それでも職場の環境も業務量も変わらないままでした。そうこうしている内に、1年半もそのままズルズルと引きずってしまって・・・ある日突然、仕事に行けなくなってしまったんです。壊れた人形のように・・・トイレさえも、行けなくなって」

  そして俺は、休職した。

  何もかもから、逃げ出した。

  「・・・一応、半年の休職で復職するつもりでした。でも、なかなか上手く行かなくて・・・結局、半年休職して半年復職する生活を、約6年も続けてしまいました。・・・人事からも、もうこれ以上は雇えないと勧告されて・・・それで、3ヶ月前に約1年ぶりに復職したんです。部署替えも残業も見直されて、グッと職場環境は良くなりました。それでも・・・」

  「・・・まだ、心と身体はついて行けてない、と?」

  「・・・はい。まだ、思うようには上手く行かなくて・・・」

  どうして、こんなことをこの人に話しているのだろう。

  そんなことを、頭の隅では考えていた。

  他人だから話しやすいのか。他人とは思えないから話しやすいのか。その判断さえ、今の俺には出来ない。

  ただ俺は、この人に命を救ってもらえたんだという事実だけが、冷たく目の前に突きつけられていた。

  「・・・そうか。それは・・・辛かったな」

  ふと零れ落ちたそのかしゃがれた声が、鼓膜を震わせる。

  俺は瞳を閉じると、熱くなりそうになる目頭をグッと堪えた。

  「家族はいるのか? 友達や友人は?」

  「・・・家族は、一応同じ街には住んでいます。両親も健在です。でも・・・心配をかけたくなくて・・・友人は、親友が二人います。定期的に連絡は取っているんですが、遠方に住んでいるのでもうずっと会えていません」

  「・・・そうか。・・・その、恋人は?」

  「・・・いません。そうですね。恋人がいたら、もしかしたら楽だったかもしれないんですけど」

  自虐のように笑った自分の声が、頭の中で反芻する。

  思えば、恋人らしい恋人なんて今までいたこともない。誰とも付き合ったこともない。

  果たしてこんな自分は、世界から必要とされている存在だと呼べるのだろうか?

  そんな疑問が、いつまでも拭えずにいるままだった。

  「・・・そっか。恋人がいないのは僕も同じだな」

  「・・・そうなんですか?」

  意外だった。

  こんなに見た目もいい、ガタイもいい獅子、世の女性を虜にしないはずがなかった。

  「・・・あぁ。・・・昔、好きだった子を亡くしてね。それから恋に臆病でいたら・・・もうこの歳だった。・・・笑えるだろ? もう50になろうとしているのに、未だに恋人は右手だけだ。・・・ったく。性欲ばかりはどうにもできないからな」

  そう言って、彼は右手を上下に動かすジェスチャーをして笑ってみせた。

  その仕草に、思わず俺も笑みをこぼしてしまう。

  今思えば、こうして誰かと話すのも、誰かと笑い合うのも、久々だった。

  「・・・結婚はしないんですか?」

  「・・・結婚?」

  「ええ。獅童さん、婚活とかしたら一発で相手決まるんじゃないんですか?」

  冗談のような、防波堤だった。

  相手は異性愛者だ。これ以上深くのめり込んではいけない。そう自分に言い聞かせた言葉が、胸を締め付ける。

  なのに、その予想はいとも簡単に打ち砕かれた。

  「・・・結婚か。・・・無理だな、僕には」

  「え、なんでですか?」

  「だって、僕女性に興味ないからさ。・・・男が好きなんだ」

  脳髄に、衝撃が走ったかのような感覚だった。

  今まで、出会ったこと無かった。

  話したこともなかった。

  そんな相手が、今確実に、目の前にいる。

  喉の奥が、急に、乾き始めた。

  「・・・俺もです」

  「・・・え?」

  声が、震えていた。

  飲み込んだつばが、上手く飲み込めない。

  こんなこと、誰かに打ち明けるなんて生まれて初めてだった。

  「・・・俺も、男が・・・好きなんです」

  目の前には、ほんの数秒の沈黙があっただろう。

  ただ窓の外を打ち付ける雨の音だけが、その沈黙を埋め合わせてくれていた。

  2 熊谷俊介

  店の外を出たときには、もう雨は降り止んでいた。

  濡れたアスファルトに、革靴がその靴底を濡らす。スーツ姿のまま並んで歩く俺達は、今思えば巨漢と呼べる部類に入る人間なのだろうと改めて思った。

  あれから、小一時間は話し込んだだろうか。でもどんな内容を話したのか、正直よく憶えていない。

  ただ自分と同じ同性愛者が、こうして目の前にいて、普通に生活をして、自分と言葉を交わしている。その事実だけで、俺はもう頭がパンクしそうになっていた。

  「雨、止んでくれたな」

  ふと、目の前の獅子がそう言葉を続ける。

  見上げたその獅子の横顔は、ただ、綺麗だった。

  手入れをされた鬣。渋くも雄々しさを蓄えたその眼差し。40代後半とは思えない引き締まった身体に、年上だと思わせてくれる余裕と恰幅のある雰囲気。そのスーツ姿が、ただよく似合っていた。自分も働き始めた頃、こんな風にスーツを着こなせたらと憧れていたその姿が、そのまま体現されたかのように。

  こんなの、偶然の出会いとして片付けるにはあまりにも毒々し過ぎた。

  「・・・すみません。遅くまで付き合わせてしまって」

  「・・・いいんだ。君こそ、こんなオジサンの与太話に付き合わせてしまってすまない。・・・これも何の縁かもしれないと、そう思ってしまうとだな」

  そう言って、彼は困ったように笑った。

  その笑い方が素敵すぎて、俺は、思わず見とれてしまう。

  きっと、この時には俺は気づいていたんだろう。でも、あえて気づかないようにしていた。いや、気づいてはいけないと自分で自分に言い聞かせていた。

  “これ以上、この人を好きになってはいけない”と。

  でもそう願う俺の願望は、簡単に打ち砕かれてしまった。

  「・・・その、よかったらなんだが・・・」

  そう言って、彼は胸元から何かを取り出す。

  差し出したのは、「獅童善嗣」と書かれた名刺だった。

  みれば、携帯番号と、LINEのIDも乗っている。

  俺は、目を見開いた。

  「これって・・・」

  「・・・もし君が良かったら、連絡をくれ。こうして出会えたのも、何かの縁だ。君が必要じゃないと判断したのなら、そのまま捨てて貰ってもいい。でも・・・助けが必要な時は、いつでも頼ってくれ。僕にできることがあれば、何でもしよう」

  涙が、零れ落ちた。

  それを、スーツの裾で拭い去る。

  それでもあふれ出る涙で、上手く目の前の名刺が見えなかった。

  「・・・こらこら。泣くんじゃない。・・・良い男が台無しだぞ?」

  「で、でも・・・!!」

  「・・・そうだな。それじゃあ、こうしよう。・・・また、二人で会わないか? 飯でもいい。お茶でもいい。また二人で、どこかで会えないか?」

  もし奇跡があるとしたら。

  今夜は、そう言ってもいい日だったのだろう。

  俺は、何度も首を縦に大きく振った。「お願いします」と、「よろしくお願いします」と、何度も首を縦に大きく振った。

  目の前の獅子が、どこか困ったように俺を見つめている。

  その眼差しが、ただ、優しかった。

  きっと、もう後戻りができない所まできてしまっていたのだろう。

  俺は、こうして出会った一人の獅子に、恋に落ちてしまっていた。

  3 熊谷俊介

  それから俺達は、定期的に会うようになった。

  場所はレストランだったり、カフェテリアだったり、様々だった。仕事帰りに待ち合わせることもあれば、休日に映画を見に行くこともあった。

  互いに、互いの親睦を深める。

  そんな静かでゆったりとした時間だった。

  会うにつれ、段々と彼のことがわかり始めてきた。

  獅童善嗣。49歳。大学で心理学を教えていると言っていたが、一時期は精神科病棟で勤めようか迷っていた時期もあったらしい。趣味は読書と映画。意外にも、アニメが好きだと言っていた。今期のアニメは豊作だとか、今度の配信が楽しみだとか、彼は目を爛々と光らせて俺に語ってくれた。その話を聞いて、同じ作品を俺も追いかけるように観ては会話を弾ませる。その流れが、俺は好きだった。

  一人称は「僕」と柔らかい印象を受けるが、話す内容は冗談交じりに軽口を叩くものが多かった。特に下ネタの話に食いつきが良く、よく「性処理に困っている」「この歳になっても萎える気配がない」と冗談交じりに愚痴をこぼしていた。きっと、彼なりの気遣いだったのだろう。そうやって同じ同性愛者である俺への抵抗を低くしてくれている彼の優しさが、俺は嬉しかった。

  性格は優しく、物静かで、そして思慮深い。心理学を専攻しているだけあって、物事を俯瞰して多角的に分析することが得意のようだった。専門用語では「メタ認知」とも呼ばれているようだが、まさしく彼と話している時はそれを感じる。それに大人の余裕も相まって合わさるのだから、いつだって俺は彼に温かく抱擁されているような感覚だった。

  住んでいる家は、大学からそう離れていない場所だった。

  一人暮らしには大きすぎる、5LDKの高級マンション。初めて彼の家に招かれた時は、驚きの連続だった。

  確か、一緒に今度は家で映画を観よう。そう誘われて、招かれた自宅だった。意識しないはずはない。でも俺達は、正式に付き合っている訳でもない。その微妙な距離感が、俺の切なさと寂しさを狂わせた。

  「なんだか、付き合っている恋人同士みたいだな」

  そう言って、目の前の獅子は笑った。

  4人掛けの大きなソファーで、隣に座っている。その距離感の近さが、心の距離感を狂わせる。

  そんな彼の冗談が、今は辛かった。

  「欲しいですか? 恋人」

  「んんー・・・そりゃあ、なぁ」

  困ったように、彼は耳の後ろを掻きむしる。

  図星だったのだろうか。

  「そういう君は、どうなんだ?」

  「俺ですか?」

  「あぁ。誰かと付き合いたいとか、そんなこと考えたりしないのか?」

  その質問は、今の俺には少し酷だったようにも思える。

  これじゃ、獅童さんと脈がないと言っているようなものじゃないか。

  「そりゃ、欲しいですよ恋人。でも・・・その・・・」

  「その?」

  「・・・今まで、誰とも付き合ったことなくて。どうやったら恋人になれるのか、未だに分からないんです。ほら・・・男同士ってだけで出会いもなかったですし」

  出会いがなかった、か。

  本当に、体の良い言い訳だと思った。

  「熊谷君モテそうだけどな。顔も良い。ガタイもいい。性格もいい。オジサンだったら、絶対手放さないけどな」

  「・・・それ、自分の自宅に招いといて言います?」

  「・・・そうだな。違いない」

  そう言って、彼は面白そうに笑った。

  大きなテレビ画面に反射する光が、彼の琥珀色をした瞳に映り込んでいる。

  本当に、綺麗な瞳だと思った。

  「獅童さんはどうなんですか?」

  「僕か?」

  「ええ。今までどんな人と付き合ってきたんですか?」

  これは、一か八かのギリギリを攻めた質問だった。

  自分が、その範囲内に入るかどうか。それを見極める為の質問だったのかもしれない。

  気取られないように飲み込んだ固い唾が、喉の奥に張り付くようだった。

  「・・・まぁ、僕も歳だしね。それなりに、色んな人と付き合ったよ。年上の人、年下の子・・・それこそ、生徒と付き合った時もあった」

  「本当にですか?」

  「・・・あぁ。これじゃあ、教授失格だろうな。でも結局・・・身体だけの関係で終わることが多かった。どうしても心の奥底で、ブレーキをかけてしまっている自分がいる。これ以上のめり込んではいけないと、そう冷静に分析してしまっている自分がいる。その時点で、その恋は冷めていたようなものだった。・・・だから悩んだよ。この感情は、僕の強すぎる性欲がもたらすものなのか、それとも自分の孤独を満たす為だけの独占欲に駆られたものなのか、それとも・・・目の前の優しさに流された、どうしようもない感情の塊なのか。結局、その判断は僕にはできなかった。そうこうしている内に、歳だけを取ってしまっていた。隣にはもちろん、誰もいない。後ろを振り返っても、誰もいない。結局は、一人きりだった。・・・本当は、燃え上がるような恋に憧れていたんだけどな。現実は、そう思うようにいかない」

  そう言って、彼は目線をふと逸らした。

  その寂しげな美しい横顔に、見とれそうになる。そんな自分が、怖かった。

  「その・・・聞いてもいいですか?」

  「なんだ?」

  「その・・・俺と初めて会った日、“好きな人を亡くした”って・・・」

  きっとこれは、踏み込んではいけない話題だったかもしれない。

  だけど俺は、それを避けていては前には進めないような気がしてならなかった。

  軽い鼻息が、ふと、漏れ出す音が隣から聞こえる。

  彼の横顔から見える眼差しが、不意に、重なり合った。

  「・・・最初に言っておくが、あまり楽しい話ではないぞ?」

  「・・・ええ。分かっています」

  彼の目線が、ふと、天井を見上げる。

  大きく息を吸い込むと、彼はそれを一気に吐き出した。

  「・・・高校時代の話だ。僕が通っていた高校は、それなりに厳格な進学校でね。・・・結構、勉学には厳しい学校だった。その時、ある女の子のことが好きになったんだ。・・・高校1年の時の、クラスメイトだった」

  その言葉に、俺は驚いた。

  きっと、彼もその違和感に気づいたのだろう。

  重なり合った目線には、その答えがすでにあったような気がした。

  「女の子って・・・」

  「・・・その時まだ僕は、自分が異性愛者なのか同性愛者なのか、よく分かっていなかったんだ。性的な欲求や興味は確実に同性へと向けていたのに、同時に同性愛に嫌悪する価値観を拭えずにいた。そして同時に、自分は女の子を好きになって当然なんだという価値観が抜けきれずにいたんだ。・・・おそらく、幼少期からのテレビや教育を通じての刷り込み・・・自分は女の子を好きになって、恋人を作って、結婚をして、子供を作る・・・それが当たり前の価値観なんだという通念が深く刻まれていたのだろう。・・・だからその時は、自分と同じ男の裸体をオカズにマスを掻きながら、好きな人は女の子です、っていう矛盾した生活をしていた。だから過去に何人か彼女を作ったこともあったが、どうしても・・・セックスだけはできなかったよ。どうしても・・・女の子を目の前にして身体は反応しなかった」

  可笑しいだろ?

  そう言って、彼は笑った。

  その寂しげな笑みの奥で、俺の姿がその瞳に映り込んでいる。

  なんて、みすぼらしい姿なのだと思った。

  「そんな時だった。好きだった女の子が、亡くなったんだ。・・・高校2年の、クラス替えがあった直後だった」

  彼は、もう一度息を深く吸い込む。

  俺はただ、そんな彼の横顔をただ眺めていることしかできていなかった。

  「その・・・どうして・・・」

  「・・・自殺だよ」

  俺は、目を見開いた。

  「聞いた話では、心を病んでいたらしい。あれだけ厳格な進学校だ。クラスでも、うつ病や適応障害で学校を辞めていくクラスメイトも多かった。・・・だから心理学を目指したんだ。もうあんな悲劇は、もう二度と繰り替えさないように」

  彼の目線が、どこか遠くを見始める。

  そこに見える景色は、きっと、俺には分からない。

  そんな苦悩が、あるように思えて仕方が無かった。

  「・・・あんなに泣いたのは、生まれて初めてだったよ。ただ一方的に想いを寄せていた相手だったから、何かを相談されるようなこともなかったし、一緒に遊びにいくとか、そんな間柄の関係でもなかった。それでも・・・当時の僕にとっては、大きな心のトラウマになってしまったんだろう。それからずっと、どうしても喪失感が拭えない。心にポッカリと空いた大きな穴に自分自身が吸い込まれそうになって、目の前が真っ暗になりそうになる。・・・そうこうしていたら、自分が一体何が好きで、一体何に興奮して、一体何を愛していると感じているのか、分からなくなってしまっていた。・・・もちろん、性欲もある。寂しさもある。恋人だって欲しい。君と出会えて、毎日が光り輝くように彩られた。その言葉に、嘘はない。それでもまだ、拭い去れずにいるんだ。君と出会って、そう改めて思うようになった」

  ふと、彼が俺の手の平を握る。

  柔らかな、大人の温かさだった。それが、どこか怯えたように震えている。

  俺は、思わず顔を見上げた。

  「・・・獅童さん?」

  返事が、ない。

  ただ沈黙だけが、二人の間を埋め合わせていた。

  彼の指先が、俺の指先に絡まる。

  その震えた指先が、ただ、生々しかった。

  「・・・側に、いて欲しい」

  か弱い、小さな声だった。

  「自分がこの言葉を言うのは、あまりにも卑怯だとは自分でも分かっている。こんなタイミングで切り出されたら、断れないことも分かっている。・・・それでも、君にこれだけは伝えたい。・・・君に、救われたんだ。何もない毎日に、ただ生きるだけの毎日に、希望が・・・差し込んでくれた。それを、どうしても君には伝えたかった。だから――」

  声が、段々と荒れていく。

  それに、彼も気がついたのだろう。一瞬だけ目を閉じると、彼は息を少し深く吸い込んだ。

  握りしめた指先が、微かに震えている。

  俺はその指先を、そっと握り返した。

  「だから・・・もし、僕が“自分の想い”を君に伝えられる準備が出来たその時は・・・また、君を呼んでもいいだろうか?」

  臆病な、子供のような瞳だった。

  そしてその言葉に、俺はこの人の想いを知った。きっと、この想いは片想いではないということも。

  ただ胸の中に残る切なさだけが、ジワリとにじみ出て来ているようだった。

  「・・・待ってます。・・・俺は、いつでも・・・待ってます」

  彼の指先が、そっと、俺の手の平を握り返す。

  彼はただ「ありがとう」とそう口にすると、そっと、俺の身体を抱き寄せた。

  4 獅童善嗣

  「・・・で、その日は何もしなかったと?」

  「・・・あぁ。悪いか?」

  その言葉に、目の前の虎が顔を両手で覆い隠す。

  何かに身もだえするように、その背を逸らした。

  「あああああああ何やってんだこの馬鹿獅子!! そのムードでエッチしねぇ男が一体どこにいやがるってんだ!!」

  罵声のようなその声が、僕の部屋に木霊する。

  それも、もう見慣れた景色だった。

  「仕方ないだろう!? 彼だってまだ誰とも付き合ったことないと言ってたんだぞ!? もし断られでもしたら――」

  「だとしてもだ!! もうお前ら結構良い雰囲気だったんだろぉ!? その場の勢いでチューしてエッチして、その後告ってもいいじゃねぇか!!」

  目の前の虎は、そう持論を展開する。

  虎岩康造。49歳妻子持ち。

  僕の数少ない親友だった。

  「・・・お前、この調子だと本気で化石になっちまうぞ。・・・マジで」

  「冗談は顔だけにしてくれ。誰も望んで化石になろうとは思っていない」

  「じゃあ今すぐ告れ!! そしてエッチしろ!! 12歳も年下なんだろ? 今が一番脂が乗っている時じゃねぇか」

  その言葉につられるように、僕は熊谷君のことを思い返す。

  確かに、魅力的ではないと言うには無理がある体つきと顔だった。

  熊特有の、ふくよかで筋肉質な体つき。まだ若さを感じさせる雰囲気と、大人の雰囲気を併せ持った顔立ち。何もかもが好みだった。

  でもそれを、堂々と宣言できる程の勇気も持ち合わせてはいない。

  「・・・で、実際の所はどうなんだよ」

  「どう、と言うと?」

  「ヤリたいだけなのか? それとも、本気で好きなのか?」

  その質問をするには、あまりにも核心を突きすぎているような気がした。

  虎岩も長年僕の恋愛遍歴を見てきたからなのだろう。何もかもを見透かされている気がした。

  吸い込んだ息が、少しだけ痛い。

  今はまだ自分の本音に、気づきたくはなかった。

  「・・・多分本気だ。・・・嘘じゃない」

  「だったら――」

  「だから困っているんだ。身体だけの関係なら、いくらでも作れるさ。でも心までとなったら・・・話は違ってくる。この歳になれば尚更だ。・・・もう、後悔はしたくない」

  後悔はしたくない、か。

  一体、誰に向けて放っている言葉なのだろうと思った。

  「しかしよぉ。最初は身体だけの関係が、付き合っていく内に愛情が芽生えるってケースもある。それはお前だって分かってんだろ?」

  「それは――」

  「それに、ここまでお前を困らせちまう程困惑させる相手なら、もう本気の丸本気の黒だろ。何を迷う必要がある?」

  それは、自分でも未だに分からなかった。

  彼を、傷つけたくないのか。それとも、自分が傷つきたくないのか。

  ただ臆病に縮こまってしまった心だけが、「寂しい」と言って泣いている。

  どうしようもなく、情けない姿だと思った。

  「よし決めた」

  「何を?」

  「今すぐそいつを呼べ。今すぐにだ。そして告白しろ」

  目の前の虎は、そう言って僕のスマホを取り上げた。

  そして器用に画面ロックを外すと、彼のLINEの画面を立ち上げる。

  一気に、自分の顔から血の気が引いていくような気がした。

  「お、おい虎岩!! 何を――」

  「お前は!! 退路を断たないと!! 前に進めないんだ!! だったら!! 俺がその退路を!! 絶ってやるまでだ!!」

  制する僕の手を振りほどきながら、虎岩は僕のスマホで何かを送信する。

  そしてそのまま、その画面を僕の方へと突きつけた。

  「・・・ほら。今日決着つけてこい」

  LINEの画面に、短く送信した文面が映し出される。

  「“君に伝えたいことがある。今すぐ会いたい”」

  そしてその文面に、今目の前で既読の文字が付いたのが見えた。

  「虎岩!! お前――」

  「いいから!! ちゃんと向き合って、告って、そしてエッチしろ!! お前に必要なのは俺みたいな親友ではなく、ちゃんとした恋人だ!!」

  そう言って、目の前の虎は僕の両肩に手の平を乗せる。

  その現実を受け入れるまでに、数秒時間がかかった。

  「・・・本気で言っているのか?」

  「・・・あぁ。大マジだ」

  やけに真剣じみたその声が、現実へと引き戻す。

  もう、後戻りができないのは分かっていた。

  「・・・で、獅童。とても大切なことを聞いておく」

  「・・・なんだ?」

  「・・・お前、ゴムとローションはちゃんと持っているか?」

  5 熊谷俊介

  外は、雨が降り続いていた。

  あの人と出会った夜と同じ、静かにただ淡々と降り続く雨だ。その断続的に聞こえる雨音に、心が、その緊張を迫らせる。

  あの人から送られてきたLINEの文章は、とてもじゃないが余裕があるような文面ではなかった。

  何か、あったのだろうか。そう思うと、不安になってしまう自分がいる。俺は駆け出しそうになる脚を必死に抑えながら、濡れたアスファルトを歩いていった。

  あの日の夜から、数週間が経っていた。

  自分の中で、何か期待している自分と、何かを極端に怖がっている自分とがいる。その両方がグチャグチャになって混ざり合い、頭の中がパンクしてしまいそうだった。上手く、自分の感情を整理できていない。

  俺は、今日告白されるのだろうか。

  それとも、この関係が終わってしまうのだろうか。

  そのどちらなのか、俺にはもう分からない。ただ、「今までとは同じ関係ではいられない」ということだけが、痛いくらいに分かっていた。

  マンションのエレベーターが、彼がいる階に止まる。

  開いたドアの先に、白い蛍光灯で照らされた長い廊下が続いている。

  踏み出す一歩が、怖かった。それでももう、俺は前に進むと決めた。

  そうしなければ、きっと、この毎日は変わらない。

  その事実だけが、どうしようも無い位に目の前に突きつけられていた。

  震える指先で、呼び鈴を鳴らす。

  ドアの向こうで聞こえたインターフォンの音が、廊下にまで微かに響き渡っていた。

  「は、はい!!」

  「熊谷です!!」

  「ま、待っててくれ!! 今開けるから!!」

  慌てたようなその声が、スピーカーから聞こえる。

  その途端、玄関の鍵が開く音が聞こえたのと同時に、目の前のドアは開いていった。

  部屋着姿の獅童さんが、その姿を現す。

  その顔には、どう見ても余裕があるようには見えなかった。

  「待たせたな。・・・その、なんだ。入ってくれ」

  ぎこちない声だったと思う。

  その緊張したような声色に、俺までも心がざわつき始める。招かれた玄関をくぐり抜け、俺は濡れた傘を傘立てへと立てた。

  部屋の中は、あの夜と全く変わらない。

  なのになぜか、今は別世界に招かれたような気分だった。

  「・・・すまない、雨の中呼び出してしまって・・・何か、温かいものを出そう。寒かっただろ?」

  「いえ、いいんです。俺は、大丈夫ですから・・・それより――」

  見上げた目の前の獅子の顔は、どこか怯えたような顔をしていた。

  やはり、何かあったのだろうか。

  いつもの、この人らしくない。

  「獅童さん。・・・大丈夫ですか?」

  「ぼ、僕か?」

  「・・・ええ。・・・何か、あったんですか?」

  目の前の瞳が、苦悩に歪む。

  その表情を愛おしいと感じてしまうのは、俺の歪んだ愛情なのだろうか。

  その頬に、触れたかった。そっと抱き寄せ、その背中に手を回したかった。

  だけど俺達は、まだそれが許される仲ではない。

  「・・・すまない。誤魔化しても、無駄だな。こんな時くらい、大人ぶっていたかったんだが・・・」

  そう言って、彼は困ったように笑う。

  彼の手の平が、そっと、俺の腰へと触れた。

  俺の身体を、静かに抱き寄せるように。

  胸が、高鳴った。

  「・・・君に、伝えたい言葉がある」

  真っ直ぐに射貫いた、強い眼差しだった。

  その琥珀色をした瞳に、心が奪われそうになる。

  息が、詰まりそうだった。

  「・・・好きだ」

  そう、彼は言葉を続けた。

  「・・・出会った時から、ずっと・・・君のことが好きだった。君のことを、愛している。だから――」

  そこまで言った所で、彼は大きく息を吸い込んだ。

  俺の両目から、涙がこぼれ落ちる。

  その涙があまりにも熱すぎて、火傷してしまいそうだった。

  「・・・だから、僕と・・・付き合ってくれないか? 一人の、恋人として・・・君を守りたい。ずっと側にいると、そう・・・約束する。やっと、前を向いて進めそうなんだ。君と一緒なら、きっと・・・だから――」

  そこまで言った所で、俺は彼の身体に抱きついた。

  甘い、コロンの香りがする。

  その柔らかな温もりに、どこまでも包み込まれそうだった。

  「・・・俺もです」

  泣きながら、俺は言葉を続けた。

  「俺も、獅童さんのことが好きです。ずっと、あなたにこの命を助けて貰った時から・・・ずっと――」

  涙が、止まらなかった。

  そんな俺をあやすように、彼の両腕が俺の背中を包み込む。

  抱き返したその腕が、優しく、俺の背をさすった。

  上手く、息が出来ない。

  それでも、もう苦しくはなかった。

  「熊谷君・・・」

  そっと、彼が俺の身体を押し離す。

  琥珀色をしたその瞳が、ゆらゆらと濡れていた。その妖しい光に、目が、離せなくなる。

  彼の瞳が、そっとその瞼を閉じる。

  俺もその動きにつられ、そっと、目を閉じる。

  それから、数秒した後あっただろう。

  そっと、壊れ物に触れるかのように、彼は俺に優しく甘い口づけをした。

  6 熊谷俊介

  一人残された寝室には、微かにシャワーの音が聞こえていた。

  心臓が、バクバクと高鳴っている。一体これから自分が何をするのか、それを分かっている。待ちに待ち望んだ期待と、ちょっとした不安だろうか。今にも、俺の心臓は爆発してしまいそうだった。

  獅童さんより先に、俺は一人彼の家でシャワーを浴びた。

  一通り、準備もした。粗相もないはずだ。そう思いながら身体を包み込むバスローブの布を、俺はずっと握りしめたままだった。

  不意に、シャワーの音が止む。

  バスルームの扉が、開く音が聞こえたような気がした。その音に、俺はビクリと身体を震わせる。

  荒れた鼻息を、今だけは誤魔化していたかった。

  「ふぅ・・・すまない、待たせてしまったな」

  寝室に現れた獅童さんは、ただならぬ色気を纏わせていた。

  濡れた鬣。身体から湧き上がる湯気。石けんとシャンプーの香りに、分厚いバスローブの布地。やはり身体を鍛えているのだろう。40代後半とは思えないほど、筋肉質な身体が見て取れた。その雄々しくも渋い身体つきに、目が奪われる。

  彼が、不意に俺の隣へと腰掛ける。

  胸元から、雄々しい鬣へと続く胸毛が見えた。そして、そこに続く割れた腹筋も。

  この状況で、興奮するなという方が無理があった。

  「い、いえ・・・大丈夫です。その・・・」

  「・・・緊張しているのか?」

  「は・・・はい・・・どうしても、その・・・」

  上手く、言葉が出てきてくれなかった。

  そんな俺を、優しく気遣ってくれたのだろう。彼は俺の手の平に自分の手を重ね合わせると、ゆっくりと、それを握りしめてくれた。

  柔らかな、温もりが肌を溶かす。

  心が奪われた。

  「し、獅童さん・・・」

  「・・・大丈夫だ。君が思っている程、オジサンも野獣ではないぞ? ちゃんと、優しくするさ。それに・・・」

  そう言って、彼は手を太ももへと這わせる。

  バスローブの中で布地をあげた俺の下着に、そっとその指先が触れた。

  「・・・君だって、もう・・・我慢ができないんだろ?」

  耳元で囁かれたその甘い声に、頭が、とろけそうになる。

  そっとさするように、彼は俺の股間へと指を絡ませた。

  もう限界まで勃起したそれが、俺の下着の布地を湿らせ始める。

  もう、我慢の限界だった。

  「・・・し、獅童さん・・・!!」

  「・・・大丈夫だ。全部、僕に任せて」

  そう言って、彼は俺のバスローブの紐をゆっくりとほどく。

  そしてそのまま、俺の身体をベットの上へと押し倒していった。優しく、いたわるように、そっとその身体を覆い被らせていく。

  「熊谷君・・・」

  琥珀色の瞳が、確かな情欲に濡れている。

  彼の瞳が、そっと閉じられる。そしてそのまま、彼は俺のマズルへと唇を重ね合わせる。

  火傷しそうな、熱い口づけだった。

  「んんっ!! っぁ――」

  上手く、息が出来ない。

  絡みつく舌先が、ただ、甘かった。ざらついたその舌先が、俺の腔内を犯していく。ただその口づけの一つ一つが、どこまでも優しかった。その温もりに、溺れてしまう程に。

  彼の大きな手の平が、俺の胸をまさぐる。

  ピンと立ったその先端に、その爪先が触れた。それもつかの間、彼の大きなマズルが俺の胸をバクンと頬張る。

  ざらついた舌先が、まるで別の生き物のようにその場所を抉った。

  「っぁあああ!! っは!! ぁぁああ!! し、しどうさん・・・っぁああ!!」

  まるで、全身に電撃が走ったような快感だった。

  その快感に、俺は身体を弓なりにさせて喘いでしまう。

  俺の乳首を舐めあげながら、彼の手が、そっと俺の下着の中へと入っていった。

  限界まで勃起したそれを、彼は握りしめる。

  ただじらすように、彼はそれをゆっくりと上下に扱いていった。

  「気持ちいいか?」

  ニヤリと、彼は笑った。

  その白い牙に、俺は目が離せなくなる。

  彼は上体を起こすと、荒々しく自分のバスローブを脱ぎ捨てた。

  露わになった彼の身体に、俺は目を見開く。本当に、よく鍛えられた雄々しい身体だった。顎先から胸元へと続く鬣、固く張った胸筋に、割れた腹筋。そして鬣から続く雄々しい剛毛が、彼の下着の奥へと続いている。

  彼のオレンジ色の下着は、これでもかという程堅いテントを張っていた。

  その先端が、柔らかな粘液で色濃く濡れている。パックリと割れたその鈴口から滴り落ちるそれは、銀色の糸を光らせていた。

  「・・・ほら、触って」

  そう言って、彼は俺の手の平を自分のモノへと触れさせる。

  まるで別の生き物のように脈動する熱い熱が、そこにはあった。

  「す、すごい・・・」

  「・・・君が、こうさせたんだぞ? オジサンを興奮させてしまったから・・・」

  ビクビクと、俺の目の前で彼のモノが脈動する。

  その確かに息づいている熱に、息ができなくなっていた。

  「見てみるかい?」

  甘い、悪魔のような囁きだった。

  俺は無言のまま、コクコクと首を縦に頷く。

  彼は俺の反応を楽しむように、ゆっくりと下着を脱いでいった。

  焦げ茶色をした彼の剛毛の茂みが、露わになる。

  そしてそれは、一気に布地を押し上げるように開放された。

  「すごい・・・」

  生まれて初めて、生で見た勃起したモノだった。

  それが、今目の前で脈動している。パックリと割れた鈴口から、透明な滴がタラリと染み出していた。それが銀色の糸を作って、シーツの下へと滴り墜ちていく。

  重く、ずっしりとした双球。

  垂れ下がった陰嚢に、腹筋から臍の下へと続く焦げ茶色の剛毛。その中で、太い血管が絡みつくように限界まで勃起したそれが、ヒクヒクとその頭をひくつかせている。

  興奮するなという方が、無理だった。

  急に、喉の奥が渇き始める。

  自分の呼吸が荒くなっていることを、俺はまだ自分でも気づいていなかった。

  「ほら・・・君の好きなようにしていいんだぞ・・・?」

  甘くかしゃがれた声で、彼は囁く。

  どこか意味深気な笑みを浮かべながら、その目尻をそっと細めた。彼も興奮しているのだろうか。鈴口からあふれ出る我慢汁が、止めどなく滴り落ちている。

  俺は、そっと彼のモノを握りしめた。

  肉厚な、弾力のある抵抗が俺の肉球を押し返す。

  カリの括れへと指を絡ませれば、滴り墜ちた透明な粘液で滑りを帯びたそれが、指先にねっとりと絡みついていくようだった。

  「ぁぁ・・・気持ちいいぞ・・・そうだ・・・ゆっくりと、そう・・・上手いぞ、熊谷君・・・」

  トロンとした目で、彼は俺を見つめる。

  そして俺の下着へと手をかけると、ゆっくりとそれを脱がせていった。

  勃起した俺のモノが、彼の目に露わになる。

  互いに生まれたままの姿になった瞬間、なぜか、互いを隔てるものが一気になくなったような気がした。

  「じゃあ・・・オジサンもそろそろ本気出そうかな・・・」

  そう言って、彼は俺をベットへと押し倒す。

  そのまま彼は俺の身体に覆い被さると、俺の両膝を押し広げた。

  彼のマズルが、俺のモノへと近づく。

  そして彼はそのまま大きく口を開けると、俺のモノを一気に頬張った。

  「し、獅童さん!! そ、それはっ!! ぁあああああ!! っぁ!!」

  熱く、火傷しそうな熱が、俺のモノを包み込む。

  ザラついた舌先が、俺の敏感な亀頭を抉るように、その雁の括れまでもを舐めあげていく。

  こんな快感、生まれて初めてだった。

  「がぁあああ!! っぁああああ!! っぁ――」

  喘いだ声で、喉が枯れそうだ。

  弓なりになって背を曲げる俺の身体を押さえつけるように、彼の両手が俺の両膝をグッと押し広げる。

  絡みつく舌先が、ただゆっくりと、的確に俺を責めていった。

  「美味いぞ・・・熊谷君・・・」

  手の甲でマズルを拭いながら、彼は笑う。

  そしてベットサイドの棚から何か透明なボトルを取り出すと、その蓋を器用に開けた。

  見て分かる。ローションだ。

  それを彼は指に馴染ませると、固く閉ざした俺の秘部へと塗り広げていった。

  冷たい、滑りを帯びたその感触に、いよいよこの時が来たのかと心が身構える。

  限界まで勃起した俺のモノが、今かとその瞬間を心待ちにしていた。

  「まずは一本・・・」

  そう言って、彼は指先を俺の秘部へとゆっくりと侵入させる。

  意外と抵抗なく侵入を許したそれに、俺は驚きを隠せなかった。

  もう片方の彼の手が、勃起した俺のモノをゆっくりと優しく扱き始める。

  前からも後ろからもジワジワと攻め寄せてくる快感に、俺は息を荒げ始めていた。

  「さぁ・・・もう二本目が入るぞ・・・」

  少しの違和感と圧迫感と共に、それは入ってきた。

  彼の指先が、俺の秘部を押し広げるようにバラバラに動いていく。俺のモノを扱く彼の手のスピードが、段々とその速さを増していった。そして俺の中の、最奥にあるそこに、指先が触れる。

  電撃のような快感が、背筋を駆け抜けた。

  息を飲むようなその瞬間に、彼のマズルが、ニヤリとほころぶ。

  噂には聞いていた。

  誰もが弱点となる。前立腺だ。

  「・・・ここだな?」

  その瞬間、彼はその指の腹でその場所を抉り始めた。

  何度も、何度も。

  まるで、一点のその場所だけを責めるように。

  声にならないあえぎ声が、俺のマズルを響かせた。

  「だ、駄目!! し、しどうさ・・・ぁあああ!! おかしくなる!! おかしくなっちゃう!!」

  「ま・・・まだ指だけでこんなになるとは、本当に初めてとは思えないな・・・ほら、熊谷君。三本目だぞ?」

  「ぁああ!! っぁ――」

  強い圧迫感と違和感の中に、濁流のような快感が押し寄せる。

  もう、彼も限界なのだろう。俺の秘部をほぐしながら、彼の目は確かな情欲と獣のような衝動性に濡れていた。限界まで勃起した彼のモノからは、止めどなく透明な粘液が滴り落ちている。それがシーツに滴り墜ち、色濃く染みを作り始めていた。

  「っぁ――」

  一気に、俺の秘部から指が抜けた。

  その瞬間、栓を失ったそこが、何かを求めるようにヒクヒクと脈動しているのを自分でも感じる。

  彼の喉仏が、ゴクリと大きく上下するのが見えた。

  彼はもう一度ベットサイドの棚に手を伸ばすと、真四角の小さな袋を取り出す。

  その意味が、分かった瞬間。俺は、ドキリと胸が高鳴った。

  「すまない、熊谷君・・・優しくすると言ったが、オジサン・・・無理かもしれない・・・」

  息を荒げながら、彼はそう言葉を漏らす。

  マズルでその真四角の袋を食い破ると、彼は中から薄ピンク色をしたコンドームを取りだした。

  そしてそれを一気に自分のモノへと被せると、ローションを手に取り先端から根元まで馴染ませていく。

  彼は俺の秘部へと亀頭をあてがうと、俺の両膝を押し広げた。

  「・・・いいか?」

  真っ直ぐな彼の眼差しが、俺を射貫く。

  獣のような情欲と、生々しい優しさに濡れた。ただ、真っ直ぐな眼差しだった。その瞳に、心が奪われる。

  今まで守り続けてきた貞操が、今、打ち抜かれようとしていた。

  「・・・はい。お願い、します・・・」

  そう、俺が答えた瞬間。

  彼の瞳の色が、一瞬だけ変わる。

  クチュリと音を立てて、彼の亀頭が俺の秘部を押し広げ始める。

  熱い火傷しそうな熱が、もうすぐそこまで来ていた。

  「いくぞ・・・」

  その瞬間。

  ズルリと、それは俺の中を押し広げながら入っていく。

  予想以上の熱とその深さに、俺は、声を上げた。

  「ぁあああああ!! っぁ――」

  「くっ!!! なんという締め付け、だ・・・っ!!」

  まるで、熱く熱せられた鉄の杭を打ち付けられたようだった。

  それが、俺の中で息づくように脈動している。

  痛みと圧迫感の中で、確かに感じる快感が、俺のモノをこれでもかという位に固く勃起させていた。

  彼のモノが、俺の最奥までゆっくりと入っていく。

  じわじわと密着していく互いの身体が、ただ、熱かった。

  「はぁ・・・はぁ・・・全部、入った・・・ぞ・・・」

  肩で息をしながら、彼はそう笑った。

  余裕がないのだろうか。何度も俺の中でビクビクと脈打つそれは、今すぐにでも射精してしまいそうだった。

  俺の目尻から、一筋の涙がこぼれ落ちる。

  今この瞬間、俺は初めての貞操を失ったのだと悟った。

  「動くぞ・・・」

  その声と共に、彼のモノがゆっくりと抜かれていく。

  背筋をゾクゾクと駆け抜ける快感が、俺の内壁へと絡みついていくようだった。

  彼の大きな手の平が、勃起した俺のモノを優しく握りしめる。

  そして彼はそれをゆっくりと上下に扱き始めると、円を描くように腰を振り始めた。

  「っぁ!! っぁああ!! し、獅童・・・さ・・・っぁ――」

  「ふぅ・・・ふぅ・・・っぁ・・・っく!! き、気持ちいいぞ・・・熊谷君・・・とろけてしまいそうだ・・・」

  快感にその顔をゆがめながら、彼は優しく笑う。

  まるで褒めてくれるかのように、彼の手の平が優しく俺の頭を撫でてくれた。

  そのじんわりとした温かさと快感に、心が、奪われ始める。

  俺のモノからは、ダラダラと我慢汁があふれ出ていた。

  「・・・先にイってもいいんだぞ? 熊谷君・・・」

  不意に、彼はそう耳元でそう囁いた。

  その甘くかしゃがれた声に、胸が高鳴る。

  彼の指先が、俺のモノを絡みつかせるように握りしめた。

  「し、獅童さ――」

  「ほら・・・気持ちいいんだろ? 我慢せずに・・・ほら――」

  その瞬間、彼はリズミカルに腰を打ち付け始めた。

  何度も、何度も。

  最奥にある、俺の秘部を抉るように。

  激しい快感が、濁流のように押し寄せた。

  「がぁああああ!!! っぁ!! っぁ――」

  彼の手の平が、俺のモノを激しく上下に扱いていく。

  前後から責められるその快感に、俺はもう我慢できなかった。

  激しい射精感が、もうすぐそこまで押し迫っている。

  喘ぎすぎて酸欠しそうな頭の中で、ただ押し寄せる快感だけが頭を真っ白に塗りつぶしていた。

  「い、イク!!」

  息も絶え絶えに、俺はそう叫んだ。

  「――イッてしまう!!! がぁあああ!!っぁ――」

  その瞬間、大量の精液が俺のモノから噴き出した。

  それが、俺の太鼓腹に溜まって白濁とした水たまりを作っていく。快感がすさまじかったからなんだろう。こんなに大量の精液が出たのは、生まれて初めてだった。

  ビクビクと脈打つ俺のモノの動きに合わせて、彼は最奥を抉るように腰を打ち付けていく。

  最後の一滴が、鈴口から零れ落ちた瞬間。

  彼のモノが、力強く俺の内壁を抉るように腰を打ち付けた。

  「・・・はぁ・・・はぁ・・・気持ち良かったか? 熊谷君・・・」

  嬉しそうに、彼は笑う。

  そして未だに萎えない俺のモノを優しく愛撫するように、彼はその指先を絡め合わせていった。

  彼の肉球に、俺の精液が絡みついていく。

  その生々しい感触に、俺は興奮を隠せなかった。

  「し、獅童さん・・・」

  「・・・次は、僕の番だ」

  そう彼は告げると、ゆっくりと腰をくねらせていく。

  彼は俺の身体に覆い被さると、マズルを俺の首筋へと埋めた。

  荒い彼の吐息が、俺の肌を熱く濡らす。

  そして彼はただがむしゃらに快感を求めるように、荒々しく腰を振り始めた。

  「ふぅ・・・ふぅ・・・っぁが!! っぁ・・・っく!!」

  「っぁ!! ぁぁあ!! し、獅童さ・・・っぁ――」

  無我夢中になって、俺は彼の背中へとしがみ付いた。

  泡立ったローションが、ネチャネチャと音を立ててシーツを汚していくのが分かる。

  全身包み込まれるようなその優しい温もりに、心が、奪われた。

  ただ快感を求めるだけのようなその雄々しくも乱雑な腰つきに、興奮している自分がいる。

  そんなはしたない自分を、今はまだ彼には悟られたくなった。

  「っぁ!! っく・・・そろそろ、僕も・・・イキそう、だ・・・」

  声も絶え絶えに、彼はそう俺に告げた。

  その言葉に、胸が高鳴る。

  再び押し寄せ始めた射精感に、頭が、真っ白になり始めていた。

  「君も、一緒に・・・っがっっぁ!!」

  そう言葉を続けた瞬間。

  彼の腰つきが、荒々しく小刻みに打ち付けるものへと変わっていく。

  食いしばった歯が、その牙を光らせていた。

  押し寄せる射精感に最後のギリギリまで食い縛って耐えているその姿に、胸が、高鳴る。

  彼が、最奥へと腰を打ち付けた。その瞬間だった。

  「い、イク!! イクイクイクイク!! がぁああああ!! っぁ――」

  ドクンと、それは俺の中で弾けた。

  まるで壊れたホースのように、熱いマグマのような精液が薄いコンドームのゴムの中へと吐き出されていくのが分かる。

  その熱い質量と圧迫感に、俺も限界を迎えた。

  「お、俺も!! い、イク・・・イクぅ!! ぁ――」

  頭の中が、真っ白に塗りつぶされたようだった。

  息が、全く出来ない。

  ただ互いの溶け合うように重なり合った身体の質量と体温だけが、そこにはあった。

  最後の一滴まで、射精したのだろう。

  小刻みに脈動していた腰つきが途切れた瞬間、ドサリと、彼の身体が俺の身体の上へとのしかかった。

  荒れた、呼吸の音と彼の上下する胸の動きだけを感じる。

  もう、何もいらなかった。

  「すまない、熊谷君・・・少し、オジサン・・・頑張りすぎた、な・・・」

  息も絶え絶えに、彼はそう笑う。

  その笑みが優しすぎて、俺も吹き出すように笑ってしまった。

  「・・・優しくするって約束じゃなかったですか?」

  「・・・確かに。間違いない」

  困ったように、彼は笑った。

  そしてそのまま、彼は上体を起こす。ゆっくりと俺の秘部から、彼は自分のモノを抜いていった。

  重く垂れ下がったコンドームの袋と共に、彼のモノが姿を現す。

  未だに堅さを萎えていないそれは、あと数回射精してもビクともしないように感じられた。

  「・・・出ましたね」

  「・・・あぁ。まぁ、随分とご無沙汰だったからな・・・」

  そう笑いながら彼はコンドームの袋を自分のモノから抜き取ると、その口を器用に結ぶ。

  黄色い痰の塊のように重くゴムを押し広げたそれは、端から見ても尋常な量ではなかった。

  「熊谷君・・・」

  彼のマズルが、俺の唇を奪う。

  優しく、解きほぐすような口づけだった。その優しい口づけに、心が、とろけはじめる。

  「・・・もう一回、いいか?」

  おもちゃをねだるような子供ような瞳で、彼は尋ねる。

  俺はただ「はい」とだけ告げると、笑いながらベットのマットレスへと彼の身体を押し倒していった。

  7 熊谷俊介

  「・・・そっか。仕事、続けることにしたんだな」

  「・・・はい。獅童さんとも話し合って、これが一番ベストな道だろうって」

  そう言って俺は隣に腰掛けている獅子へと目を向けた。

  目の前にいる虎は、どこか安心したように大きく息を吐き出す。

  こうして虎岩さんと三人でこの部屋で会うのも、もう結構な頻度になりそうだった。

  「でもよぉ・・・やっぱ身体が資本だぜ? 今のお前さんなら転職だって可能だろうに。責めるべきなのは自分だけじゃない。環境や上司が悪かったってケースも必ずある。・・・そう頑なに今の仕事続けなくてもいいんじゃねぇのか?」

  「それは僕も言ったさ。だが・・・」

  そこで、獅童さんは言葉を遮る。

  きっと、俺を気遣ってのことだろう。

  でも俺は、今は自分の言葉で表現したかった。

  「逃げる時は、逃げます。でもその前に、もう一度だけトライしてみたくなって。・・・それだけです。気張らずに、頑張りすぎずに、今できるだけのことをやるだけ。それで無理だったら、転職します。・・・今なら、獅童さんもいますし」

  見上げた獅子は、少し照れくさそうだった。

  そんな様子を見て、目の前の虎は嬉しそうにはにかみ始める。

  「いいねぇ・・・やっとお前らにも、春が来たか・・・」

  「お前は人の色恋沙汰に頭を突っ込み過ぎだ。その歳になって恥ずかしいぞ」

  「その歳で!! 告白の一つも!! できなかった奴が!! どこにいるってんだ!! あの時俺がLINE送ってなかったお前ら絶対まだ付き合ってなかっただろ!!」

  そう言って、虎岩さんは声を荒げた。

  その反応に、俺も笑ってしまう。思えば、こうして誰かと自然と笑えるようになったのはいつの頃からなんだろう。

  忘れかけていたその感覚に、もう自分の壊れかけていた日常が元に戻りつつあることを一人俺は感じていた。

  「すまない、熊谷君。ちょっとトイレに行ってくる」

  「はい」

  「・・・お前、熊谷君に変なこと吹き込むなよ?」

  「誰が吹き込むか!! この変態教授!!」

  そんなやりとりをしながら、獅童さんが席を立つ。

  見慣れた部屋。過ごし慣れた部屋。

  今となっては三人で過ごすことも当たり前になり始めたこの景色に、俺がいる。

  その幸せを、俺は一人噛みしめていた。

  「・・・なぁ、熊谷」

  「なんです?」

  目の前の虎が、どこか神妙な顔をする。

  目線を泳がせながら、軽く息を吸い込んでいた。

  その様子に、俺は一人疑問を抱く。

  何か言葉をかけようとしたその時、先に切り出したのは虎岩さんの方だった。

  「・・・あいつのこと、その・・・よろしくな」

  その言葉に、俺は目尻が熱くなり始める。

  これ以上にない言葉だった。

  「・・・はい」

  廊下の向こうで、トイレを流す音が聞こえる。

  それもつかの間、見慣れた獅子が部屋へと戻ってきた。

  彼を見ながら、俺と虎岩さんはどこか意味深気な目で目配せをし合う。

  こんな幸せ、俺にもあっただなんて。知らなかった。

  「・・・お前、何か言ったな?」

  「だから何も言ってねぇって!! この変態教授!!」

  止まっていた時間が、今動き出そうとしている。

  こうして少し臆病だった俺達の恋愛は、そのスタートを切り始めようとしていた。