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秘密はすべて、融けて無に帰す

  とある会社の社長室の内部、人目につかないように巧妙に隠された扉の向こう側では、今日も人間たちが「昇進」のため、あるいは「ワーストスリー」にならない為に、必死に書類やデータと格闘していた。

  深夜、その部屋で一人の男が手を止めた。彼の名前はユウ。他の人間達からは次期「昇進」候補と言われる、頭の切れる人間だった。

  彼は働くうちに、いくつかの疑問点を見つけていた。

  今まで見てきたデータでは、自分たちの部署は存在しないことになっている。バレたら確実に中央の奴らに処罰されるだろうから、それはさほど大きな問題ではない。

  しかし、昇進した筈の人間たちの存在が会社のどの部署のデータを漁っても存在しないのだ。

  そして、ある日彼が人間たちのいる部屋にほんの少しだけある隙間から見えた、あの巨大な黒猫の獣人が、何か小さな布切れを捨てているかのような様子。

  彼は、ある一つの恐ろしい可能性に行き着く。「俺たちは、あいつらに食われるためにここにいるんじゃないのか…?」

  黒猫が捨てていたのは、犠牲になった者たちの衣服だとすれば辻褄が合う。

  この仮定だと、他の疑問にも説明がつく。この会社は証券会社であり、毎月下位3名の人間たちが送られている場所が肉体労働の場所とは考えづらい。だが、彼らもまた、獣人たちの餌として消えていったとしたら…?

  「レンも、先月のワースト3も、誰もこのビルから出ていない。……みんな、あいつらに食われてるんだ!」

  その言葉は、深夜のオフィスに瞬く間に伝播した。最初は否定していた人間たちも、積み重なる不審な点に気づき、顔を真っ白にしていく。自分たちが目指していた天国も、怯えていた地獄も、すべては獣人たちの「胃袋」へと繋がっていた。絶望と激しい怒りが部屋を支配し、人間たちはペンを捨て、団結して暴動を起こそうと動き始めた。

  しかし、そのすべての様子は、デスクの隠しカメラを通じて社長室にいる黒猫の獣人には筒抜けだった。

  「ふふ、流石だ……完璧なタイミングで気づいてくれたね」

  黒猫の獣人である社長は、端末の画面を見つめながら、嬉しそうに長い尻尾を揺らした。

  人間たちがどれほど怒り狂おうと、比べ物にならない程の巨躯を持つ彼女にとっては、ケージの中のハムスターが騒いでいる程度の羽虫の羽音に過ぎない。

  「そろそろ今回の「飼育」も終わり。ちょうど今夜は、素晴らしい『使い道』があるのだから……」

  社長は妖しく三日月の瞳を細めると、社長室の引き出しに隠されているボタンを取り出し、それを押した。

  数時間後。夜が更けたビルの最上階にある、絢爛豪華な大晩餐会会場。

  そこでは、この都市を牛耳る他社の上層部や有力な獣人たちが一堂に会し、贅を尽くした会食が行われていた。もちろん、この会社が人間に事務作業をさせていたという秘密は、完全に隠匿されたままである。

  「いやはや黒猫社長、本日のメインディッシュは何ですかな? 素晴らしい香りが漂っていますが」

  巨躯を誇る取引先の獣人が、期待に喉を鳴らす。

  「ええ、本日は我が社の特別農場で、最高級の『英才教育』を施した特上の人間たちをご用意いたしました。独自のカリキュラムで極限まで旨味と甘みを引き出した、我が社自慢のブランド肉……総勢数十名分のフルコースです」

  社長は人間の「出元」である地下の事務職という秘密は一切伏せたまま、妖艶に微笑んだ。

  会場の巨大な扉が開かれ、銀色の大皿が次々と運び込まれる。

  その上には、社長の押した赤いボタンにより部屋中に催眠ガスが散布された後に回収され、身動きが取れないように美しく盛り付けられた(あるいは、すでに軽く調理された)地下の人間たちが、恐怖に顔を歪めて並べられていた。彼らは気づいてしまったのだ。暴動を起こす間もなく、自分たち全員が「一斉処分」の対象となり、獣人たちの宴のメインディッシュにされたことに。

  「ひっ、助けてくれ! 触るな!」

  「私たちはただの家畜じゃない! 知性があるんだ!」

  人間たちが涙を流し、必死に最後の尊厳をかけて叫ぶ。しかし、その知性こそが、集まった獣人たちの食欲を最高潮に刺激した。

  「ほう! これは素晴らしい! 恐怖と知性が混ざり合った、実にいい匂いだ!」

  「では、遠慮なく頂こう!」

  合図とともに、宴会は狂乱の捕食場へと化した。

  他社の巨大な獣人たちが、大皿の人間たちを無造作に掴み上げ、次々とその巨大な口内へと放り込んでいく。ある者は飴玉のように口の中で弄ばれ、ある者は強靭な牙で一思いに噛み砕かれ、その悲鳴は心地よい嚥下音へと変わっていった。

  「素晴らしい! 確かにこの肉、普通の人間とは比べ物にならないほど肉質が締まっていて美味い!」

  「社長、どうやってこれほどの極上品を育て上げたのですか?」

  「ふふ、企業秘密ですわ。……さあ皆様、我が社のエネルギーを、どうぞ心ゆくまでお召し上がりください」

  絶賛するゲストたちの声を聞きながら、社長自身もまた、お気に入りの人間の頭を掴み、喧騒の中心から少し離れた場所へと歩いてゆく。彼女の手の中には、自分たちの真実に辿り着いた、ユウの姿があった。

  他の獣人には聞こえないような声量で、彼女はユウに話しかける。

  「今日ここに来た人間たちの中で、君が1番優秀なのは間違いないだろう。折角だしネタバラシをしてあげよう」

  「それは、どういう……?」

  言い終わらないうちに、彼女はユウを長いピンク色の舌で転がすように口内へと滑り込ませた。彼を口に中に含みながら、話を続ける。

  「君は優秀だからね。私が撒いた『ヒント』に気づいて、君たちを取り巻く真実に辿り着くと信じていたよ。」

  そう愉しげに話す社長の言葉で、彼は自分のしたことに気づいた。およそ末端の人間に渡す必要があるとは思えない機密情報、何故か完璧に密室ではなく、ほんの少しある隙間から見えるように配置されているゴミ箱。

  自分がやっていたことは全て、自分たちを取り巻く真実にあえて気づかせ、自分たちを最高のご馳走にするための「仕込み」。

  「自分たちが信じていた希望がすべて偽りであり、ただの餌だったと知った瞬間の、沸騰するようなアドレナリン。それこそが、君たちの肉質を最高のものに引き上げ、食べ物としての価値を何倍にも高める最高のスパイスなんだ。」

  「嫌……そんなの嘘だ──」

  ユウは真実の先にあった社長の策略に、絶望の叫び声を上げた。

  いつもならばもう少し時間を掛けて舌の上の人間を弄ぶ所だが、会食の場での一瞬は、それ以外での時間の何倍もの価値がある。時間が惜しい。彼女がそのまま顎を上に上げると、コクンという音と共に艶やかな漆黒の首が波打ち、ユウが彼女の胃袋へと収まっていく。

  社長は満足げに、人間一人程度では膨らみもしない下腹部をそっとなぞり、グラスを掲げた。

  秘密を知った人間たちを跡形もなく隠滅し、同時に他社との巨額の取引を成立させる。

  社長室の隠し部屋が完全な空っぽになったことなど気にも留めず、黒猫の社長は、自らの血肉となった元社員たちの温もりを感じながら、優雅に祝杯をあげるのだった。

  大晩餐会が終わり、他社の幹部たちが満足げに膨らんだ腹をさすりながら帰路についた後。最上階の会場には、綺麗に片付けられた大皿と、極上の肉を満喫した獣人たちの満足気な吐息だけが残されていた。

  黒猫の社長は、自らの血肉となった人間の温もりを胃の腑に感じながら、社長室にある隠し扉を開け、その奥にある人間達の「飼育場」を露わにする。

  そこは、数時間前まで暴動の熱気に包まれ、今は主を失って完全に静まり返った、あの隔離部屋だった。整然と並ぶ無人のデスク、床に散らばったペン。

  しかし、部屋は空っぽのままでは終わらない。

  「さあ、入りなさい。ここがあなたたちの新しい『職場』よ」

  社長が背後へ声をかけると、怯えた面持ちの人間たちがゾロゾロと部屋へ入ってきた。総勢数十名。彼らは今回の会食を成功させた報酬として、あるいは新たな取引の担保として、他社から安値で「仕入れた」ばかりの、新入りの人間たちだった。

  新入りたちは、冷機とインクの臭いが立ち込める奇妙な部屋を見回し、 5メートルを超える黒猫の巨躯に圧倒されてガタガタと震えている。

  「あなたたちには、これからこの部屋で『特別な事務作業』をこなしてもらいます」

  社長は優雅な足取りで部屋の中央へと進み、長い尻尾を気怠げに揺らしながら、新入りたちを見下ろした。その琥珀色の瞳には、先ほどまで彼らの同類を貪っていた残虐な光など微塵も見せず、極めて理知的な経営者の輝きを宿している。

  「デスクの上にある端末の数字を、指示通りに処理しなさい。……おめでたいことに、この部屋には素晴らしい制度があるの」

  社長はピンク色の舌でペロリと唇を湿らせ、美しい三日月の目で微笑んだ。

  「成績が優秀な者は、この地下を出て、上の世界へと【昇進】させてあげるわ。でも、もし怠けるようなことがあれば、相応のペナルティが待っている。……さあ、会社のために、命を懸けて働きなさい」

  その言葉に、新入りたちの目に一筋の「希望」が宿った。

  家畜として肉体労働に明け暮れるしかなかった彼らにとって、座って頭脳労働をこなすだけで「上の世界」へ行けるという甘い言葉は、まさに天啓のように響いたのだ。

  「す、素晴らしい制度だ……!」

  「頑張れば、俺たちだって認められるんだな!」

  彼らは、先住者たちが暴動を起こした理由も、その先住者たちが今まさに社長や幹部たちの胃袋の中で跡形もなく溶かされている最中だということも、微塵も知らない。自分たちがただの「次の仕込み」に過ぎないことなど、知る由もなかった。

  「よ、よし、さっそく始めよう!」

  新入りたちは、先住者たちが残していったペンを拾い上げ、血眼になって端末に向かい始めた。カリカリ、カタカタと、再び部屋に書類をめくる音が戻ってくる。

  必死に知恵を絞り、恐怖と希望で脳を刺激され、肉質を最高に美味に仕上げていく、インクの染みにならない、矮小な人間たち。

  「ふふっ、よく励むことね──」

  社長は、再び回り始めた効率的な「極上の飼育場」に満足げに喉をゴロゴロと鳴らすと、次の「収穫期」を楽しみにしながら、音もなく部屋を後にした。

  数日後、再び新入りの人間たちが血眼になってペンを走らせるようになった地下の隔離部屋。カタカタと響く虚しいタイピング音を、最上階のプレジデント・ルームから監視カメラ越しに見つめながら、黒猫の社長は極上のブランデーを口に含んでいた。

  彼女の傍らには、前回の晩餐会を成功させたことで他社の幹部から贈られた、最高級の調度品が並んでいる。

  「社長、本当に見事な手際でした」

  影から現れた直属の秘書が、深く頭を下げながら感嘆の声を漏らした。彼は今後の人間達の飼育に協力させるため、社長自身以外では初めて人間たちの真実を知る獣人となった。

  「他社との重要な会食のタイミングで、あれほど見事に『最高品質の食材』に仕上げ、かつ証拠を完全に隠滅されるとは。……しかし、ひとつだけ疑問がございます。あの人間たちが、なぜあのタイミングで都合よく『真実』に気づいたのでしょうか?」

  秘書の問いに、社長は喉をゴロゴロと鳴らし、愉しげに目を細めた。

  「あら、まだ分からないの? ──私が気づかせたのよ」

  「……は?」

  驚きに目を見張る秘書をよそに、社長はしなやかな指先でデスクの上の端末を叩いた。画面に表示されたのは、先住の人間たちが暴動のきっかけとした社内の雇用されている獣人の完全なデータと人間たちのいる隠し部屋の監視カメラで撮った動画。そのアクセスログの最上段には、社長自身の最高権限パスワードが刻まれていた。

  「人間というのはね、ただ生かされているだけでは、あの程度の事務処理ですら徐々に脳が萎んで、肉が弛んでしまうの。それに、他社の上層部を満足させる交渉材料にするには、ただの知性だけでは足りないわ」

  社長は立ち上がり、ガラス窓越しに夜の街を見下ろした。その5メートルを超える巨躯の背中で、長い尻尾が気怠げに揺れる。

  「最高のご馳走に必要なのは、非常に強い感情よ。自分たちが騙されて、ただの餌として飼育されていると知った瞬間の興奮。それが、人間を最上級のデザートにする為に必要な、最後のピース。」

  そのためだけに、彼女は会食の数日前という絶妙なタイミングで、意図的に「真実のヒント」を地下のネットワークへ流し込み、人間たち──その中でも最も聡明なユウが──隙間から覗いているのを監視カメラで確認してから、向こうに気付いていないふりをしながら今までに「昇進」してきた人間の衣服を捨てる。

  全ては、会食の席でゲストたちの前に並ぶ瞬間に、最も『美味しく熟す』ように計算された、完璧な出荷コントロールだった。

  「気づいて怒り狂った彼らは、本当に素晴らしい風味だったわ。……他社の社長たちも、あれほど興奮した家畜の味は初めてだと、大層喜んでくれたもの」

  社長はピンク色の舌でペロリと唇を湿らせると、まだ微かに幸福な余韻の残る、自らの平坦な下腹部を愛おしげに撫でた。

  「さて、次の大きな会食は半年後かしら。……新入りたちには、それまでせいぜい『希望』という名の餌を与えて、必死に頭を使ってもらいましょう。また最高のタイミングで、彼らにも『真実』をプレゼントしてあげるために、ね」

  人間達のいる飼育場からは、何も知らない次の獲物たちが、明日の昇進を夢見て必死に働く音が、心地よいBGMのように社長の鋭い耳へと届いていた。

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