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その水族館には、シャチを擬人化したキャラクターの着ぐるみがいる。名前をリンと言う。水族館のシャチに因んだ名前だ。
全身艶々のゴムのようなスーツで出来ていて、乳袋があり、顔は流線型に出来ていて、シャチの面影がありながら可愛い。小柄で線が細く、きっと中で女性が蒸れ蒸れになっているに違いない。
僕は、それを見て、大いに拗らせてしまったのだ。
毎週のように通い、写真を撮りまくった。まぁ、そう言う大人は他にも沢山いたので、その有象無象の中に埋もれていたのだ。
すっかりのぼせ上がってしまっていた僕は、写真や握手会では満足出来ず、うっかりスタッフ募集に応募してしまう。
勿論、この着ぐるみと接近出来るチャンスはそんなに多くないだろう。でも、ひょっとしたら、ちょっとした楽屋裏を覗けるかも知れない。運がよければ、中の女性のご本尊を拝見出来るかも知れない。
そんな下心たっぷりで応募したのに、何故か是非来て欲しいと言う答えを貰った。
面接では、水族館は力仕事も多いから、スタミナは大丈夫か? などと言われていたが、こんなチビでヒョロガリな僕でも受かるのだから、ただの脅しなのだろう。
僕は、どうしても受かりたかったから、水泳も得意ですしと答えてしまった訳だけど……嘘は言ってない筈だ。
雇用契約書や守秘義務誓約書の類に次々にサインしていく。
まぁ、あの着ぐるみの中身のことをうっかり外に漏らされても困るのだろう。よく読みもせずにこれらの行程を済ませてしまう。
給与面では、少なくなるが、施設に隣接したアパート代が手当てとして全額支給されるので、差し引けば悪くない金額である。時間的拘束も厳しいが、好きな事出来るのだから、まぁ悪くないだろう。
仕事前に、ウェットスーツなんかを作るからと色々と身体を測られた。
その後、前職の契約期間の問題で、半年ばかり転居が遅れてしまった。こんな僕でも辛抱強く待ってくれたのだから、悪いところではないだろう。
少なくとも、契約内容的には悪くないし、とりわけ変な噂も聞かない。
転居する前に、何度も遊びに行ったが、悪い様には扱われなかった。
むしろ、特別にリンちゃんに引き合わせてくれて、ハグまでさせて貰ったりした。
もう、これだけで、充分すぎる待遇だ……だが、これを自慢するのだけはなんとか我慢した。当たり前だ。むしろ、こんな場面で試されているかも知れない。本当に信用できる人間なのかと。
そうこうしながら、六ヶ月はあっという間だった。
初出勤の時、他のスタッフとの接触は避けられ、ステージ近くの個室に直接連れて行かれた。
個室は、椅子や机と、大きな姿見があって、控え室らしい控え室であったが、床はコンクリートに塗料を塗ったもので、排水溝やホース、シャワーなども設けられていた。水族館は何かと汚れるから、こういうのも必要なのだろうか? と一人で合点した。
僕の上司に当たる若い女性が、「今日から毎日、このキャラクターになりきって貰います」と一枚のイラストを見せてくれた。
それは、人魚のキャラクターであった。
その場には、役所さんと言う上司と、もう一人若い女性スタッフの築地さんしかいなかった。
「名前はランちゃんね。リンちゃんと一緒にステージに立って貰います」
衝撃の告知であった。
嬉しくもあり、不安でもあったからである。
「このことは、絶対に内密に……知っているスタッフも限定されるので、他のスタッフとあんまり関わらないように」
色々と釘を刺される。
そして、「何はともあれ、一度着ましょう。デビューまで時間があるから、演技とかそういうのは少しずつ憶えていけばいいから」と、衣装を取り出し始めた。
先ずは、裸にさせられ、体型補正用のドライスーツを着る。中はベルベット状になっていて、履きやすい。足は独立して入るようになっているが、くっついた状態になっている。お尻や胸はシリコンが入っていて、着るだけでもう、女性の体型になってしまう。
あと、尿を排出するためにカテーテルを仕込まれた。この時点で、色々異常であるのだけど、もはや様々な契約を結んでしまった以上、これを拒否するのは悪い事のように思われたのだ。
このスーツには、後述する人工エラに加え、潜水用のウェイト、更に導尿バッグや保水用のバッグも仕込まれている。思った以上にハイテクな作りになっているのだ。そして、この人工エラと繋がる呼吸用のマウスピースを取り付ける。
このマスクは、地上では普通に呼吸が出来、水中では45分間息が続くと言う。
続いて、ドライスーツにローションを塗りたくられ、その上に、人魚スーツを着ることになる。これが実にゴム臭い代物で、程よく身体を締め上げてくれる。
身体の部分もゴムで出来ていて、ファスナーを閉めると、ギッチギチになっているのに気付く。それは苦しくもあるが、地味な快感があり、ついついおちんちんが立っていくのを感じる。
尤も、それは表に出ないように出来ているようで、自分の股間をまじまじと見つめていると、「大丈夫、そんな事じゃバレないように出来ているから」と笑われた。
ここにいるスタッフが女性だけであるので恥ずかしい。
尤も、こんな貧相な身体だから、内心笑われているのかも知れない。二人の女性は、存外平気な顔をしていた。
そうして、最後にお面を被る事になる。
内側のマスクだけで水中に潜れるようになっているので、外側のマスクは外観の問題である。
プラスチックで出来ているそれは、顔の前後のパーツに別れていて、二つをパッチン錠で閉じる事によって頭部を包み込むように出来ていた。そこにプラスチックの髪パーツを取り付けて完成である。
鏡を見せられると、そこには先ほどのキャラクターが三次元になって目の前に現れているのだ。
「これが自分?」
口に出しそうになるも、マウスピースのお陰で何も言えない。ただただ見とれるばかりだ。
「気に入った?」
自分がどれほどの間静止していたか分からないけれど、その言葉で我に返った所を思うに、かなりの時間であったような気がする。
「今日一日は、耐久テスト。取り敢えず、自分が可愛いと思うように動けばいいよ」
そう言われて、自分なりに色々と考えて動いてみた。お手本は全て、リンちゃんだった――特に女性タレントやアイドルにハマった訳でもない僕が、ふと思いつく女性らしい女性はそれぐらいしかなかったからである。
手を振ったり、写真に写る時のポーズを指示されたりして、暫くの時間を過ごした。
「まぁ、大体いいんじゃないの?」
役所さんと築地さんは、相談しながら、にやにやとこちらを眺めていた。
それから、細かな演技指導。というよりも、こうした方が女性らしいとか、キャラクターに合っているとか言うアドバイスを貰った。
グリーティングは、概ね台車のようなストレッチャーで行われるらしく、それへの乗り降りの訓練なども挟んだ。
こういう基礎訓練を何度も連続で続けると、流石に喉も渇き、腹も減ると思うが、保水用のチューブに入っていたのは、ただの水ではなかったようだ。甘塩っぱさがある上に、どこかしら可食感があるどろっとした液体だった。
お陰で、ゴムに包まれていても喉の渇きは感じなかった。
尿は勝手に流れていっているので、特に何を感じることもなかった。カテーテルは最新のもので、違和感をなるべく少なくしたものらしい。
これらのバッグは、裏太腿付近に設置されていて、横向きに寝かされてから取り替えられた。
そんなこんなを繰り返して、閉館時間になった。
蛍の光を聞いた自分は、これで脱げるかと思ったが、訓練は続くらしい。
「何のための人工エラだと思ってるの?」
言われればそうである。
誰もいなくなった大型のプールに飛び込むこととなった。
特に記録を残したわけでもないが、これでも元水泳部。これもそつなくこなすことが出来た。
イルカ用の大型プールは、地上から見下ろす観客席と、地下にあるガラス張りの観客席の二つがあり、上司はステージと観客席を行き来しながら、動きをチェックしていた。
築地さんは、僕に何かあるといけないので、ウェットスーツを着て、待機している。
身体を拘束されたまま、最後に二時間以上も泳がされると、流石に疲れる。僕は、控え室に戻るストレッチャーの上で居眠りを始めてしまった。
控え室の時計は午前三時を過ぎていた。だが、僕の姿は相変わらずランちゃんのままであった。
部屋の空調は適温だったから、特に寒いも暑いもないし、例の保水バッグのお陰で腹も減らない。全く不快感はないのだ。
問題は、明朝上司が出勤するまで、部屋を出るわけにはいかなそうだと言う事だ。否、ドアまで這っていったら、外側から鍵が閉めてあるのだ。
食欲も睡眠欲も充足され、誰の目もないとなると、最後にやりたくなるのがオナニーである。
この衣装、勃起が外から見えないように出来ているが、手で押さえると、形が分かる程度には柔軟に出来ていた。
姿見を見ながら股間を押さえると、何とも言えぬ切ない快感が身体を走る。幾ら触ってもイケない程度には気持ちいいのだ。
可愛い人魚がそんなことをしているのを、鏡の向こうで見えるものだから、なおも切ない。
余りにも熱中していたため、その姿を見られていたことにも気付かなかった。
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