[chapter:プロローグ]
見渡す限りに広がる海の上空に、大陸がいくつも空中を漂っている。大陸の大きさはどれも途方もなく巨大で、その上には豊かな水を蓄えた湖がいくつも存在し、時折活動を活発化させる山々が存在し、うだるような日差しや打ち付けるような雨雪から身を守るための木々が生い茂り、所によっては荒野が広がっている。また、所々に美しく青く輝く巨大な水晶が大地から突き出していた。そこは豊かな生態系を作り上げる程度には巨大であった。
幾重も存在する大陸のうちの一つを、そこに住む生き物たちは畏怖と尊敬、再生と滅びを繰り返すという祈りを込めて「メビウス」と呼んだ。
そのメビウスに存在する生き物たちは、皆独特の姿形に進化している。
この物語は、そんなメビウスの大地で繰り広げられる物語。
[newpage]
[chapter:1]
「うわぁぁぁぁぁ!!!! だ、誰かぁ……ッ!! 助けてくれぇ……ッ!!!」
「グオォォォォォォォォッ!!!」
恐怖のあまり流す涙と涎とで顔をぐちゃぐちゃにさせながら一匹のルナロップスが疾走する。
金と白銀の混じったの毛並みに全身を包み、四肢は太く筋肉のうねりを見る程に発達している。鼻先はすっと伸び、その出で立ちは狼を彷彿とさせる獣だ。
狼と違いのはその大きさで、体高は2メートル、体長は4メートルにも及ぶ。尻尾は狼よりも長く、太く、発達していた。尻尾を力強く振ることで、そのルナロップスは重心を上手く傾けて生い茂る木々の中でも巨体をスピードを落とさずに疾走することができる。
しかし、その背後に迫るのは巨大なクマのような生き物――彼らはグリジオンと呼ばれ、畏怖されている。
巨体にものを言わせる直線的な走りは木々を凄まじい破壊力でへし折り、それでもまるで何事もなかったかのように疾走するルナロップスを追従する。
今まさに躍りかからんとしたその瞬間。
「やめなさい!」
凛とした声と共に木々の隙間から躍り出てきたのは白と青の光――否、ルナロップスであった。
彼女は美しい純白とサファイアのような艶やかなブルーの毛並みに包まれている。瞳の色は夏の湖を彷彿とさせる薄いブルー。四肢はしなやかに伸び、洗練されたスレンダーな身体は声と相まって雌を連想させる。
金の毛並みを持つルナロップスとグリジオンの間に颯爽と立ちはだかり、グリジオンに向き直る。
「あ、アウロラッ!」
「ヨリックは下がっていなさい」
金色のルナロップス、ヨリックは心底安心したかのような安堵の表情を浮かべて距離を取り様子を伺う。
「……どけ、小娘のルナロップスが……」
「何をしたのかはわかりかねますが、私の仲間を執拗に追いかけ回すのはやめなさい」
「グルルゥ……! そいつは、俺たちの餌を横取りしたんだ……!」
証言を聞くに悪そうなのはヨリックであるが、全面的にそれを信じるつもりは最初からアウロラにはなかった。
「では、こうしましょう。私がヨリックの変わりに戦います。いいですね?」
「くくく……力で真っ向から白黒決めようってのか。いいぜぇッ!!」
アウロラの真っ直ぐな瞳と共に繰り出される提案を、巨体のグリジオンは受けて立つと真っ向から立ちふさがる。
獰猛な雄叫びが森の中に響き、猛然とグリジオンが駆け出す。
「ハァァァァッ!!」
「……あ、アウロラっ!!危ないッ!!」
グリジオンに真っ直ぐに突っ込んでいくアウロラ――二匹の距離が急速に縮まった。
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「あーっはっはっは! やだもーその話面白すぎるんだけどぉ!」
アリアナ・ルナロップスは優美さを思わせる白と紅とピンクの毛並みを有したルナロップスだ。
彼女は笑いすぎてもはや涙さえ目尻に浮かべている。
「なにもそこまで笑わなくても……」
「だって、だって相手グリジオンなんでしょ?明らかに格上の相手なのに、その相手をぶん殴ったって!一撃で昏倒させたってあーもう面白すぎッ!!」
そう、あの戦いにおいてアウロラはあっさりと決着をつけてしまったのだ。
魔力を込め、尾の先をクリスタル状にして渾身の力を込めて尾をグリジオンへと激しく振るう。すると、グリジオンもまた巨大な爪で引っ掻こうと大きく体重を前に踏み込んだ瞬間だった。アウロラの跳躍でグリジオンの爪の一撃が外れ、代わりにアウロラの尾の一撃が顔面にぶち込まれた。
みしっ、という鈍い音がした。あ、これまずいかも。
次の瞬間、グリジオンは目を回して昏倒し後ろへとズズンっ!と倒れ込んだ。それでおしまいである。
「グリジオンも可哀想よねぇ、脳筋怪力娘にまさかカウンターで一撃食らっちゃうなんて」
「脳筋怪力娘言うな!」
「でも、あながち間違ってなくなぁい?」
そう言われると、アウロラは閉口してしまう。
全くをもって事実そのままである。アウロラは正義感が強く、かつ、それを有意義に使えるだけの恵まれた身体能力を持っていた。その片鱗は仔の頃から発現していたのだ。
「それは間違いないけれど……」
「だったら、もっと堂々としてなさいよ。それは、アンタのいい所でもあるんだからさ」
例えば、目の前に居るアリアナと出会った頃だってそうだった。
[newpage]
彼女と出会ったのはまだ成熟に向けて成長する頃合だった。
アリアナはルナロップスの群れの中でも比較的地位が高く、文化的な両親を持っていた。月に一度は様々な種族と共に交流をする趣旨の交友場を作り、交友の広さを武器に群れの長に認められていた。だから、地位が高い。
もちろんアリアナも子供の頃から品格を大事にするように大切に育てられた。話し方から、振る舞いまで全てを優雅に、優美に。雄には逆らわず、計算をして共に過ごす相手を考える。最終的にどれくらい地位の高い相手と番になれるかが勝負だと、そう教わっていた。
そんなアリアナとその両親であったが、目の上の瘤だったのが他ならぬアウロラだった。
アウロラの親こそが群れの時期リーダーに相応しいとされていた。
勇敢で戦いにおいて高い実力を発揮し、リーダーシップで群れを引っ張っていく存在。分け隔てなく全ての群れの声に耳を傾け、必要であれば力を貸す。そんなアウロラの両親をアリアナの親は忌み嫌っていた。
――アウロラちゃんと話しちゃダメよ。
そんなことを言われ、何故それがダメなのかはアリアナは知らされないまま。
――うん、わかった。
アウロラと距離を置いた。親の言うことを深く考えもせずに肯定して行動に起こしたのだ。
ある日突然距離を置かれ、アウロラは悲しんだだろう。
でも、それで仕方ない。だってお父さんとお母さんがそういうんだもの。
そんな言い訳をしていたあのころの私は、この尾でぶん殴ってやりたいと思う。
何も思わないまま、季節がふたつほど巡った後のこと。
大雨が降った翌日、山を歩いていた。切り立った崖は見下ろせば目眩がするような高さで、何故そこを歩いていたのかと言われればよく覚えていない。それくらい些細な理由だったのだ。
大雨が降ったら崖のそばを歩いてはいけないよ。
そんなどんなルナロップスだって子供の頃に教わるような至極当然の事を私は破っていたのだ。
だから、足元が崩れた。
バランスを一瞬で崩し、ふわっとした感覚と共に私は思わず軽い悲鳴が上がった。体が空中に傾ぐ、反射的に脚で蹴る動作をするがそこはもう空中だ。
重力にしたがって落下する。しかし、崖の途中に生えていた草に噛み付いて何とかしがみつく。
落ちたら死ぬ――。
冷ややかな汗が体を滴る。
「うぐぐぅ……!」
崖は垂直で、足をかけるところも無かった。全体重を支えるのが私の細い顎一つだけだった。牙の隙間から呻く声が響く。そう長くはもたない。でも、牙を離したら死ぬ。絶望が私を襲う。
こんな時、誰が助けてくれるの?
「アリアナ、 私の尻尾に噛み付いて!」
その声は、半年聞いていなかったアウロラの声だった。
アウロラは黒いお尻が見えるのも構わずに尻を崖に向けてその長い尻尾を私に伸ばす。
一瞬で私は牙を草から離し、アウロラの尻尾に噛み付いた。
アウロラもビクッ!と痛みに反応するがそのまま私の全体重が彼女の尻尾に掛かる。アウロラの尻尾はミチミチィ……ッ!と引き伸び、それでもアウロラは四肢を踏ん張って頑張っていた。
「うぐぐぅ……ッ! ぐぅぅ〜〜ッ!!!」
引き伸びる尻尾と、渾身の力を込め、顔を真っ赤にしながらそれを引き留めようとするアウロラ。
数分の踏ん張りの末に「あぁぁぁぁっ!!!!」と気合いを込めて私の全体重をアウロラは尻尾だけで支え、引き上げた。
助けてくれた時の私の気持ちはもう言葉には言い表せられない。
「ごめんね、ごめんねぇ。ありがとぉ……っ」
アリアナはそれ以来、親友を超えた仲である。いつもそばに居て、いつもふたりで過ごしてきた。
互いの両親もアリアナとアウロラがあまりにも仲がいいので無下にすることもできずに仲が良くなった。アウロラの両親は群れや他種族との中での立ち振舞いを、アリアナの両親は戦闘の基礎をそれぞれ教えあった。
それ以来、互いの両親も非常に仲がいい。
[newpage]
「別に脳筋だって良いことはたくさんあんのよ。筋肉は裏切らないし、強いことは良いことじゃない。アンタはただでさえ真っ直ぐに育ってるんだから、そこは素直に長所って思っとくべきよぉ?」
「そうかなぁ……」
「グリジオンに一匹で立ち向かうのは流石に蛮勇がすぎるというか、危険すぎることでもあるけれどねぇ」
「もう……アリアナは私を褒めたいのか貶したいのかどっちなのよ」
「どっちもよ。アンタが強いのはわかったけれど、危険すぎることはしないでって親心みたいなもんよ」
「アリアナは親でもなんでもないじゃん!」
舐めるようにアウロラの体を見つめながら言うアリアナは僅かに笑みを浮かべ、アウロラの大きな体に体を擦り寄せたのだった。
[newpage]
[chapter:2]
「アウロラ、お前というやつは……!」
アウロラが家に帰ると、両親による雷が落ちた。烈火の如く怒り狂って塒から群れ一帯に響き渡る怒りの言葉の羅列はアウロラの父、レオナルド・ルナロップスである。威風堂々とした青と赤、黒の入り混じった毛並みをしており、その体格は他のルナロップスを凌駕する。筋肉質でいかにも戦士という出で立ちと雰囲気を醸し出していた。
そして実際、凄まじい実力の持ち主である。
「あぁ、ごめんなさいごめんなさい! 私が悪かったです……!」
「いいや、悪かったなどと思っていないだろう!お前はことの重大さが――」
「まぁまぁ、父さん。このあたりで良いんじゃない? アウロラももう十分反省しているよ」
地面に鼻を擦り付けそうなほどに身を丸くするアウロラに助け船を出すのは、レオナルドの傍らに現れた二匹のルナロップスの片割れである。
彼はルーミス・ルナロップス。白銀と赤が入り混じる毛並みを持ち、筋肉質で大きなガタイをしている。紛れもないレオナルドの息子であり、アウロラの年の離れた長男である。
「むっ……ルーミス。確かにそうだが、私はアウロラにちゃんと叱るべきところを叱らねば……!」
「それより、父さん。色々と相談したいことがあるんだ。群れの東にレベロックスが出現して、その対応について話をしたいんだけれど……」
「なんだと、レベロックスだって? それは早急に対応が必要だな! 詳細を教えろ」
更にもう一匹の若々しいルナロップスがレオナルドの前に立ちふさがる。彼は銀と黒、青の入り混じった立派な毛並みを有していた。彼もまた筋肉質で豊かな体を持っており、名をゼノン・ルナロップスという。ルーミスの弟であり、アウロラのもう一匹の兄だった。
ゼノンに促されるがままに塒の奥の方に誘導されていくレオナルド。その後ろを追うように奥へと向かうルーミスは振り返り、軽くアウロラにウインクしてみせた。
今のうちに逃げろ、ということだろう。
これ幸いとアウロラはその頃合いを見計らって塒の外に飛び出すと、外にはアリアナが待ち構えていた。
「また怒られちゃったわねぇ……?」
「うっ……ぜ、全部聞いてたの?」
「そりゃぁもちろん。レオナルドさんの声は大きいから別に聞き耳立ててなくても全然聞こえるわよ。ここに居ようが、私の塒に居ようが……ね」
もちろんルナロップスは種族的には人間とは比べ物にならない程に耳が良い。それはアリアナとて例外ではなかった。
「め、面目ない……」
アウロラは恥ずかしそうに赤面したが、いいえ、とアリアナは首を降る。
「群れの皆にも筒抜けでしょうねぇ。ま、この叱責の声が飛び交うのを聞くと私は『今日も平和ねぇ……』って思うようになってきたけれど」
「ひとが目玉食らってるのを平和の象徴みたいにするな!」
「吠えてないで外に散歩にでも行きましょ。イケメンのお兄さんたちがお父さんを抑えているうちに、ね」
アリアナの提案にアウロラは深くうなずき、走り出すアリアナの後ろを追った。群れが集合する場所を抜け。森の木々の間を縫うように走る。方角的に、向かっているのはルネンの滝だろう。
ルネンの滝は群れのルナロップスのみならず、様々な生き物たちが水を求めてやってくる小さな滝である。小さい滝のわりに滝壺は小さな湖ほどもあり、その透明度の高い水は貴重な生き物を根底から支える場所でもあった。
「あ、エリクト」
「やぁ、アウロラとアリアナじゃないか」
そんな水辺で独りを謳歌していたのはエリクト・ルナロップスである。深い灰色と白の毛並みを持ち、緑の瞳がじっくりと2匹を見定める。やや細身であることが、彼の長所は戦いの渦中でないことをしめしている。
「聞いたよ、グリジオンをぶん殴ったんだって?」
「なっ……だ、誰からそれをっ!?」
エリクトは開口一番サラリとアウロラの傷口に塩を塗る発言を繰り出した。
「キミのお兄さん達だよ。ボクにグリジオンの生態についてアドバイスを求めに来たんだ。彼らは一度敵と見なした相手を執拗につけ回す習性があるからね」
「あらヤダ、あのイケメン2匹は情報を得るのも早いわねぇ」
んふふ、とアリアナは笑う。
「なんでそんなに嬉しそうなのよッ!」
「情報収集ってのは大事なのよ。相手を知り己を知れば百戦危うからずって言うじゃない」
「兄達の情報収集するのはいいけれどそこを今は求めてない!」
シンプルに傷口に塩案件に対して楽しそうに情報収集をしているのがちょっとひどい。
もちろん、ルーミスとゼノンならいち早くその情報をキャッチして行動に移すだろうが……。
「お兄さんたち、ちゃんと素早く動いているみたいね」
「あぁ。グリジオンの生態について詳しく聞いていったからな。今頃対策を練ってるところだろう」
「そうね、間違いなく立てているでしょうね……きっと、私たちにはわからないところで穏便じゃない方法で片をつけるかもしれないわね」
アリアナとエリクトが話をしている内容は全く理解できない。
「対策って……さっきの執拗につけ回すってところ?」
アウロラはいつまでもギャンギャン吠えずに素直に尋ねる。
「そうだよ。グリジオンは文字通り執拗につけ狙うんだ。しかも彼らは群れで生活しているから、次に狙うときは確実に群れで来るだろうから……」
「アウロラだって群れでグリジオンを相手にするのは難しい。だとすればお兄さんたちも動いてアンタを守るのは必然じゃない?」
ルーミスとゼノンの考えや行動に関してはわかる。でも、全然わからないこともある。
「え……そうかな、群れで来られてもどうにかなりそうではあるけれど」
「えっ」
「えっ」
「だって……グリジオンも一発で撃退できたし。群れで来てもどうにかなるかなって」
きょとん、と小首を傾げ、アウロラはさも当然のように言う。
その様子に唖然としているのがアリアナとエリクトだ。
「いい、アウロラ。よく聞きなさい」
アリアナはアウロラにそっと顔を近づけ、鼻先をこつん、と当てる。
「グリジオンは普通のルナロップスなら群れで立ち向かうほどの強敵なのよ」
「う……それは、そう、だけど……」
「そういうこと、お兄さんたちの前で絶対に言っちゃだめだからね? 私がいくら脳筋だからって本気で怒られるわよ」
まるで幼い仔に言い聞かせるような言い草に、アウロラはかぁっと赤面する。
「アウロラのお兄さんが可哀想だ。いつか心労で倒れるぞ」
しれっとした表情で容赦ない追撃を入れるのはエリクトである。
「あぁもうみんなで寄って集って私のことをいじめないでよ!」
「皆心配なのよ、アンタがね」
アリアナが真っ直ぐにアウロラを見つめて言う。
「アンタ、強いんだけれど皆を頼らないからね。みんなの盾になり剣になるって気持ちが強いのは凄いことだけれど、盾になられた方の気持ちも考えてね」
アリアナの言葉がぐさりと胸に突き刺さる。
何も言い返すことが出来なかった――。
「まぁアンタは昔から無鉄砲だったからねぇ。仕方ないと言えば仕方がないんだけれど……」
アリアナの言葉に、幼い頃の思い出が蘇る。
[newpage]
アウロラは幼い頃から戦いを仕込まれてきた。その師はもちろん父親のレオナルドである。
父親のレオナルドはリーダーシップに溢れ、アウロラは自然とその背中を追ってきた。
自らが率先して物事を行い、強きをくじき弱気を助けるべき。いざその時に後悔しないよう、日々の努力が肝要だ。
その言葉は今でもアウロラの座右の銘となり、アウロラの行動を支える芯の部分である。
何度倒れてもその度に起き上がり、父に向かっていったっけ。
挫けそうになる度に父からその言葉を向けられた。
年の離れた兄達も戦いの訓練を行っていたんだから、私だってそうあるべき。そう思い、日々を過ごしてきた。
私も成長し少しづつ力が増してきた頃、父が新たな群れのリーダーとなった。兄たちはその右腕となり父を支え、その姿に憧れた。
いつか私も父さんの右腕になりたい。そう考えていた。
しかし、母親であるセリーナはそう思ってはいなかったようだ。
――いい、アウロラ。もう少し身なりや言葉遣いに注意して生活するのよ。
セリーナの柔らかな体が、毛並みが、私の頬を撫でる。なんで、どうしてよ。
私も、お父さんみたいになりたいの。
そう言うとセリーナは困ったように笑った。
貴方は雌なのよ、わかるわよね。ゆくゆくは立派なルナロップスと一つになって仔を産むの。もしもその時よりも前に何かあったら私は――。
――何かあったらその時までだよ。私は、私を守れなかった自分自身を許すことができない。そんな私、生きていても意味がない。
流石に随分と苛烈で真っ直ぐな仔だったと思う。けれど、本当にその通りなのだ。
皆の盾となり剣となる。そうでなければ、私が生きている意味など。息を続ける意味など――ないのだから。
その気持ちとは裏腹に父は変わっていった。
「アウロラは今日の訓練はもう良い、戻りなさい」
「えっ、でも私まだ……!」
「いいから戻りなさい。休息をとり、いつでも動けるようにしておくのも我々のひとつの使命だ」
どう考えても訓練としては足りないタイミングで終わりを切り上げられる。
そういうことが何度も続き、どうしてなのか兄にも問うたことがある。
「あぁ……まぁ、それはアウロラが大切だからだろうな」
それは婉曲に自身が雌だからという理由に聞こえた。けれど、それは訓練から弾いていい明確な理由とはなかった。
大切だから、雌だから。
なんで私の意思と逆らって誰も私の大切な気持ちを汲み取ってくれないの。
その度に悲しいやら悔しいやらでアリアナを捌け口にしていたっけ。
「あーもうなんなのよ!私の何が悪いってのよ!」
アリアナは私の捌け口にされていると思いながらも付き合ってくれたっけ。
[newpage]
だからこそ、アリアナのその一言は強烈に効いた。
「……私って、まだ無鉄砲なのかなぁ……」
囁くようなアウロラの声。その声は明らかに気落ちした様子を見せる。
そんなアウロラに一瞬エリクトとアリアナが目配せをする。
「アウロラが無鉄砲なのは今更よ、今更」
「今更ってひどい!」
茶化すような言い草のアリアナに思わず食い気味にアウロラは顔を上げる。
「何年経っても変わらないじゃない。もう生まれつきの性分なのよアンタ」
「……でも、その無鉄砲さは間違いなく誰かを救うことに繋がってるのは間違いないんだよな」
その時、タタッ、タタッと軽い足取りで地を駆けてくる獣が一匹。
間違うことない黄色と白の毛並みをもつその躯体は、ヨリック・ルナロップスであった。
「アウロラ、この前はごめんね! ごめんね! 僕のために戦いに巻き込んじゃってぇ……!」
「ヨリック! ううん、私は全然平気ですよ。だから気にしないでください」
「ほんとに本当にごめんね~!」
駆けてくるや否や、ヨリックは平謝りだ。
そんな様子を見て、エリクトとアリアナは口角を僅かに上げる。
「ヨリックが助かったのは間違いなくアウロラが居たからだろ」
「そうそう、その部分は誇っても良いところよ。私達が口うるさいのは、アンタのストッパーになってあげないとアンタどこまでも突っ走っちゃうからじゃない」
「?? 何なに? 僕の居ないところで何かあったの?」
ヨリックの抜けた言葉とエリクトとアリアナの言葉に、アウロラは思わず笑みを浮かべた。一同は笑いが浮かぶ。
あぁ、そうか。私は突っ走っても良いんだ。突っ走ってもいいけれど、大切な友を置き去りにしてはいけないんだ。
もっと頼って力を分けてもらっても、甘えても良いんだ。
そう考えると心がすっと軽くなったような気がした。
[newpage]
[chapter:3]
仲の良い四匹が揃ったところでルネンの滝壺周辺を会話しがてら散歩である。
「それでね、ライズ・ビーの巣を取ろうとしたら脚を滑らせて巣ごと落ちちゃったわけ。怒ったライズ・ビーが追いかけてきたから全力で逃げようとしたら、そこにグリジオンが現れてね」
ライズ・ビーはルナロップの鼻の頭ほどもある大きな昆虫である。黄色と黒の警告色であり、鋭い顎と大きな羽根で飛ぶ。最も警戒すべきはその尾に存在する鋭い針で、その針で刺されると非常に痛く毒がある。
ライズ・ビーは巣を作り、その巣の中で子育てをする。子育てに伴い作り出すのが甘い蜜だ。蜜はルナロップもグリジオンも好きなので、危険を伴いながらも巣狩りを行う。
今回のヨリックの騒動はどうやらそれが原因だったらしい。
「現れてどうしたの? 驚いて逃げたの?」
「ううん、ライズ・ビーの方が怖かったからすっ飛んで逃げてきたよ!何匹かグリジオンの方に行っちゃって、それで怒ったみたい」
「怒ったって……なんてことだ」
長いしっぽで顔を覆い、エリクトは空を見上げる。
「それで死ぬほど逃げまくってたらアウロラに助けてもらったの。ホント心臓破裂するかと思った〜」
にぱにぱした笑みを浮かべ、舌をだらしなく垂らしながら話をするヨリックは普通の群れの風習や感覚を考えると叱りつけるところだが、もう少しのことでは動じない。
ヨリックがやらかすのはいつもの事だ。
彼は天性の天然なので、やらかすことが必然で前提だ。
そこまで理解していて今更嫌いになる要素はない。毎度毎度で呆れるが、話のネタには尽きないムードメーカーなのだ。
「たまたま、そこにアウロラちゃんがいて良かったよ〜」
「そ、そうだね……確かに、私が居なかったらどうなっていたことか……」
そして、究極にツイているラッキーボーイでもある。
アウロラはヨリックの言葉に対してふふっ、とかすかに笑みを浮かべてみせる。
「……ま、いずれにせよ次からはライズ・ビーの巣を見つけたからと言ってさっさと手を出すのはやめることだな。俺たちを呼ぶべきだ」
「はぁい」
小言を言うのは毎度ヨリックの仕事だが、ヨリックの生返事はいつもの事だ。夕飯でも食べれば綺麗に忘れることだろう。
「あ、アウロラ。ここ刺されてる」
ライズ・ビーと聞いて同性のアリアナはアウロラの身体を見て、鼻先で指摘した。
彼女の脇腹の美しい毛並みの下が僅かに赤く腫れている。
「え、どこ?」
「ここ。根性で食い下がってきた個体がいたんだねー」
ライズ・ビーは昆虫だけあってそこまで速く飛ぶことはできないため、きっとヨリックに対して必死に着いてきたのだろう。
アウロラは一生懸命腰を見ようとするが、なかなかうまくいかない。
「ちょっと止まって。いま治癒魔法掛けるから」
アリアナは鼻先にぽぅ……と白い光を宿した。
彼女が得意としている治癒魔法である。そこまで効果が高いわけではないがライズ・ビー程度の毒なら簡単に解毒できるだろう。
アリアナの冷たい鼻先が触れ、気持ちがいい。
「あ、ありがと」
「あと、下の方もちょっと見るね。ライズ・ビーは黒いものに反応するって言うから」
アリアナが言うや否や――ひょい、とアウロラの青い毛並みを鼻先で持ちあげた。
「え、っちょ……ッ……!」
アウロラの表情がかぁっ、と赤くなる。
彼女は腰の部分を覆うように長く伸びた青い毛並みをめくられるのが非常に苦手だ。簡単に言えばコンプレックスである。
自分の尻付近の黒く、艷やかな短毛は見られるだけで背中がゾクゾクとする。
「我慢しなさいよ。ライズ・ビーの傷跡って案外残りやすいのよ。雌なんだから、そのあたりはちゃんと気にしないとね」
思わず長い尻尾でアリアナを叩いてしまいすになるのをぐっと堪える。
「う――~~……っ……!」
「ほーら、唸らない唸らない」
早く見て、というアウロラの気持ちと裏腹にアリアナは「あー……何箇所か刺されてるわ。アウロラのお尻は黒いし、短毛だから狙いやすいよねぇやっぱ」なんて言いながら治癒魔法を発動させては鼻先を押し当てる。
見られるだけでも恥ずかしいのに、そこに当てられる冷たい感覚に背筋がゾクゾクと震える。
「も、もういいよぉ……」
「だーめ。ちゃんとやっとかなきゃ跡になっちゃうんだから。跡になったらなかなか治らないから大変なのよ~?」
ぴたり、ぴたり、ぴたり。冷たい感触は何度か続き、なかなかそれが終わりを迎えるようなことはない。
「あはは、そんなに刺されてたんだアウロラ~!」
毛並みの下で治癒魔法を何度も展開しているアリアナと、それを受けるアウロラの様子を見遣ってケラケラ笑っているのはヨリックである。
「っ……見ないで……!」
アウロラは恥ずかしくて真っ赤になった顔を思わず逸らす。
しかし、その火照りは収まるどころかまずまず増えて耳まで真っ赤である。
「え~でも、心配だし~?」
心配だし……って、お前は何もしてないだろうが!
そうぶん殴ってやりたいと思ったが、アウロラの長い尻尾をもってしても射程圏外である。
しかも、そういうときに限ってエリクトは役に立たない……と彼に視線を向けると、
「……、……」
エリクトはめくられたアウロラの尻をじっと見つめていた。
その表情はいっそ爛々としていて、普段見れないアウロラの尻に興味があることが露骨に示されている。
「こ……このぉ……ッ……!!」
アウロラは悔しそうに歯ぎしりするが、今の状態では対抗できる状態ではない。
そんなアウロラのことを知ってか知らずか、アリアナの治癒魔法はたっぷりと時間が掛かったのだった。
[newpage]
[chapter:4]
それからどっぷりと日が暮れてしまう。
なぜ日が暮れたのかといえば――
「全く、最低! 最低ですよ!」
もちろんヨリックとエリクトをぶちのめしたからである。
ヨリックは辛うじて意識を保てる程度にぶん殴られていた(これも日頃の天然の賜物だろう)が、確信犯のエリクトは謝罪をする暇もないほどにボコボコにされ、意識を失うほどである。
「全く、本当に馬鹿力よねぇ……アンタ」
アウロラは尻尾に魔力を込めて巨大で鋭利なクリスタルを使って戦うのだが、その鋭利なクリスタルを突き刺したら脆弱なヨリックとエリクトは絶命待ったなしである。
なので、硬質のクリスタルの側面でぶん殴ったのである。
「えー。そこまで力入れたつもりはないですよ……?」
「いくら同じくらいの年とはいえ雄二匹をぶん殴って昏倒させておいてよく言うわ」
「それは……、……ふたりが弱いから」
「さらっと自分強いですアピールできるとこ、アタシ好きよ」
にぱーっと笑みを浮かべるアリアナ。
劣勢に立たされたアウロラは話を変える。
「ねぇ、そろそろ治癒魔法で起こしてあげてよ。もういい加減起こさないと……」
「そうねぇ。なんかエリクトはグリジオンのことについて調べてくれてたみたいだし、アタシたちもそれについて知っとかないとねぇ」
いくら一発でぶん殴れば勝てる相手であっても情報はあるに越したことはない――というのはレオナルドから教わったことだ。
だが、本心ではもうだいぶ日も暮れてきたので帰らないといけないというのがある。
ここらはどんな生物に対しても憩いの場所であり、もちろんグリジオンも例外ではない。
夜行性だと言われているグリジオンなら、そろそろ活動を始めてもおかしくない頃だ。
「ほら、エリクト。目を覚ましな!」
アリアナは立ち上がり前足で倒れているエリクトを軽く蹴るが、目を覚ます様子はない。
仕方なく治癒魔法を展開し始めるアリアナを見ていたが――
「……?」
その時、ふと妙な気配に気づいた。
思わず立ち上がり、湖に背中を向けるように森へと体を向ける。
「ルルルゥ……!!」
アウロラは唸った。気配の主はどんどん大きく、強くなっていく。
アリアナがアウロラの妙な行為に気づき、視線を彼女に向けた瞬間――
「ゴゥファァァァァァァァッ!!!」
凄まじい咆哮が夜の闇を斬る。
「きゃぁぁっ!!」
うろたえるアリアナの悲鳴。
森から放たれたそれは、一気に加速して月明かりの降り注ぐ湖の湖畔に姿を表した。
「……ッ……!! でかい……!」
躍り出てきたのは、全身が白銀の毛並みに包まれたクマのような生き物――グリジオンに間違いなかった。
だが、そのサイズは以前追っ払ったグリジオンを遥かに超える。
まるで雪を被った山のようだ。
――タイタノグリジオン。
グリジオンが長い期間を生き、種として成熟しきると体毛が一気に白くなる。そして、腹部や脚に青く浮かび上がる文様が広がる。
ルナロップスで最強の父は言う。
――もしもタイタノグリジオンに出会ったら、躊躇わずに逃げるんだ」
誰もが恐れを抱き、出逢えば逃げることを余儀なくされる存在。それがタイタノグリジオン。
「アリアナ、皆を連れて逃げてッ!」
「ッ……アウロラ、駄目ッ!!」
しかし、アウロラは果敢にも立ち向かう。低く構えた体制から一気にタイタノグリジオンへと飛びかかっていく。
魔力を形成。尻尾に巨大なクリスタルを展開、跳躍。そして体を縦に一回転。一気にそれをタイタノグリジオンへと振り下ろすッ!
ドガァァァッ!!と、周囲に暴風が伴うほどの一撃。手応えはあったが――。
「くっ……!」
「グフゥゥゥッ!!」
タイタノグリジオンは前足でアウロラの攻撃を受け止める。僅かにノックバックするが、踏みとどまった。
「ゴファァッ!!」
即座に反撃の爪の一撃に対し、アウロラは地面を蹴る。クリスタルが発する青い光が線となるほどの速さに加速し紙一重で回避。
「逃げてッ、早く!」
アリアナたちはようやく立ち上がる。
「アウロラ、アンタも逃げるのよッ!」
アリアナはついさっきまで倒れていたエリクトとヨリックを庇いながら走り出す。
「うん、すぐ行くッ! ――おっとぅ!!」
一瞬だけそちらを見たアウロラが視線を戻したその瞬間、ドゴッ!!と凄まじい音と共に巨大な岩がアウロラの居た場所に着弾。
素早く右へと回避。地を蹴り、身体が地面と水平に宙を滑るその刹那。
「……ッ!?」
視界の隅に現れる巨躯。その動作が残像であることから相当な速さで何かが迫る。
ドボォォッ!!
強烈なそれが着弾したのはアウロラの腹だった。
ミシ……と僅かに体内から骨が軋む音がする。
「う゛げぇ゛……!」
なんとかバランスを取り戻し悶絶するアウロラ。その機を逃すまいと猛烈な突進を試みるタイタノグリジオン。
「やられる……ものかァッ!!」
アウロラの肉体は驚異的な回復力を見せる。スタンから素早く立ち直った彼女は――
ドゴォッ!!
四肢を踏ん張り力強い尾の一撃。猛烈な速度とクリスタルの加わった横薙ぎの一撃がタイタノグリジオンの鼻っ先からめり込んだ。
タイタノグリジオンは想定していないところへ凄まじい勢いのカウンターを受けてしまった形だ。
しかもそれはルナロップスのなかでも怪力のアウロラのそれだ。
「ガ……ゴォ……!!」
鼻と口から血が溢れ、思わずよろめく。今頃世界中の景色は周囲を暈していることだろう。
アウロラは走った。
迷いなく、アリアナが逃げた咆哮へ。
「ふぅっ……ふぅっ……!!」
アウロラは汗を滴らせて疾走する。
だが、タイタノグリジオンもそう簡単に諦めることはない。
首を強く振った彼は太い四肢を地面に叩きつけるようにアウロラの後を追う。
[newpage]
先行するアリアナの向かう方角だけで、彼女がどこへと逃げているのかがわかった。
「アウロラ、こっちッ!!」
叫ぶ彼女が入り込んでいるのは狭い岸壁の隙間だった。何千年というメビウスの大陸が刻んできた歴史の中で、風化と浮游力のバランスが崩れてできた大陸の狭間。そこへとアリアナたちは逃げ込んでいた。
狭間はおよそ幅一メートルといったところか。スリムで柔らかい骨格を持つルナロップスだけが逃げ込むことできる。
グリジオンでも侵入は難しいほどの狭さだ。まして、それよりも豊かな体格のタイタノグリジオンが入り込めるはずがない。
「はやく、速く!! 急いでッ!」
「く……!」
大急ぎで向かう裂け目からアリアナが叫ぶ。アウロラも四肢で地面を蹴るがその脇腹の痛みに耐えかねるように息を弾ませていた。
タイタノグリジオンはもう真後ろ、すぐのところに迫っている。
「ゴファァッ!!」
「っくふぅぅっ!!」
タイタノグリジオンによる渾身の一撃を辛うじて躱すアウロラ。しかし、その一撃を躱すのに必死の表情だ。
ゴッ!!ドゴォッ!!
反撃の暇も与えぬほどの速度で連続の連撃へと繋げるタイタノグリジオン。
「はぁ゛っ!!」
このままでは追いつかれる――そう判断したか、アウロラは脚を止めた。驚異的な反応速度で紙一重のところでアウロラは躱す。
ザッ――と微かにアウロラの頬に鮮血が奔る。タイタノグリジオンの振るう爪があまりにも速く、ソニックブームがアウロラの頬を切ったのだ。
そのまま剛腕を振り上げ、足元のアウロラへと力任せに振り下ろすタイタノグリジオン。
ゴシャァッ!!
「イヤァァッ!!」
離れたここまで届く風圧と空気の振動。
こんな一撃を貰ってしまえばどうあがいても絶望――アリアナは思わず尻尾で目を覆った。
終わったかと思ったが、しかし、いや、血の匂いはしない。
おそるおそる、尻尾を退かして様子を見る。
「アウロラ……!」
振り下ろそうとするタイタノグリジオンの顎へと強烈なテールアッパーが叩き込まれた音だった。
あまりにも強烈な一撃。音は地面を叩き割るタイタノグリジオンの一撃を彷彿とさせるものと遜色ない。
ぐらり、とタイタノグリジオンが傾ぐ。
「いやぁぁっ! アウロラ、走ってッ!!」
「アウロラ! 走れ! もう少しだ!」
「アウロラ~!!」
アリアナの声が悲鳴のようになるのは驚きも混じったものだからだろう。焦りもあっただろう。こんな好機はもう二度とない。
ようやく息を整えたエリクトとヨリックも共に狭間から顔を出してアウロラを鼓舞する。
アウロラはしかし、踏み出す足が鈍い。
――お腹……痛い……ッ。
はぁ、はぁ、と息を切らしているのは一発だけ食らってしまったためだろう。
たった一撃。しかし、タイタノグリジオンの一撃を食らってもまともに動けるのはアウロラだからだ。
私が、皆を護るんだ。そして、置いていくなんてことは、絶対にしない。
はぁーっ……はぁ……っ……!!
息を弾ませながら、アウロラは走る。仲間の待つ安全圏まで。岸壁の間まで。
タイタノグリジオンも脳へのダメージから回復し、獰猛に追い立てる。往来のタフネスはまだ健在だ。どんどんアウロラとの距離を詰めてくる。
その距離は10メートル。5メートル。3メートル。
――あとちょっと……!
「ガファァァァァッ!!」
タイタノグリジオンの巨大な手が伸びる。
――そして。
「っはぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
アウロラは息を切らせながらも大きく岸壁の隙間に身体を飛び込ませる。
[newpage]
「アウロラ、アウロラッ……! 大丈夫!?」
「ガフアァァァッッ!! ガフアァァッッ!!!」
アリアナのアウロラを身を案じる声と、獰猛なタイタノグリジオンの咆哮が重なった。
タイタノグリジオンは巨大な手を岸壁の間に突っ込むも、アウロラの尻尾に僅かに届かない。
「み、みんな……は……無事……?」
「当たり前じゃない……ッ!」
「よ、よかった……」
アウロラは汗だくになり、息を乱しながらも安堵の表情を迎えたその瞬間。
ドガァァッ!!
「えッ」
タイタノグリジオンの太い二の腕の一撃が岸壁を抉り取った。
腕の形に裂けた岸壁の先、伸びる極太の手がアウロラの長い尻尾の先端を掴んでいた。
グギュゥッ!!!
「――――――――ッ!!?」
凄まじい力でタイタノグリジオンはアウロラの尻尾を引っ張る。岸壁の狭間から引きずり出そうと、凶悪的な力を込めて。
疲れ果てたアウロラは、その力に身体が後ろへと大きく持っていかれる。
「アウロラっ!」
「だめだ、行くなアウロラッ!」
反射的にエリクト、ヨリックがアウロラの首を押さえつけて力を込める。
その結果――
グギュゥゥゥゥウッ!!!
「んぐぅぅぅぅッ!!ングゥゥゥゥゥッ!!」
――た、耐えなきゃ……ッ!堪えなきゃァァ……ッ!!
アウロラの可憐な尻尾が張り詰める。まるでそれは綱引きの大縄のようだ。
立ち上がり、なんとか四肢に力を込めて踏ん張るアウロラ。
フーッ、フーッ!と牙の隙間から息が漏れる。懸命に手を振りほどこうと尻尾に力を込めるが、タイタノグリジオンがそう簡単に諦めるはずがない。
「ゴファッ!!ゴファァッ!!」
「うぅぅぅ~~~~~ッ!!!」
――お願い耐えてぇぇぇ……ッ!!
――私の尻尾ォ……ッ!!
ギチギチッ……!
ギュゥゥッゥ……ッ!!
音が響き渡り、どれほどの力で引っ張られているかを考えるとアリアナは恐ろしくなる。
「助けを……助けを呼んでくる!」
「アリアナ……任せたッ……!」
アリアナは素早く踵を返す。
エリクトも渾身の力を込めているが、これは長くは保たない。まして武闘派ではないエリクトとヨリックのコンビでは。
「アウロラ……頑張れ、踏ん張るんだ……!!」
「だ、めぇ……ッ!! もう……ッ!! もう……ッ!!」
アウロラの耳が完全に後ろへと垂れ下がり、彼女の限界が近いことを匂わせる。
――あぁ……ぅ……!
――こ、堪えきれない……ッ!
ビギミヂィィィッ!!
「んあぁぁぁぁぁぁっ!!」
アウロラの尻尾からより一層凄まじい音が響く。
何かの破断音のようなそれが響き、同時にアウロラの尻尾が一層激しく伸びる。
「もうダメぇぇぇっ!!! 尻尾がぁぁぁぁッ!!!」
涙を浮かべ、絶叫するアウロラ。彼女の意識の中にある限界を突破してしまった。
彼女が抗える精一杯を込めても尚、その苦痛が収まることはなかった。
タイタノグリジオンが更に二の腕を膨らませ、両手を添えて巨体の全身で力を込める。
「ゴッファァアッッ!!!」
グギュゥゥゥゥッ!!!
ミヂミヂミヂヂィッ!!
「あ゛ぁァァァァァッ!!!」
溢れ出る涙を堪えることもできず、ボロボロ溢れ出させながら頭を振るアウロラ。
「これ以上はぁっ! これ以上はぁぁぁっ!! これ以上引っ張られたらぁぁぁっ!!!」
肉体の限界を超え、錯乱するかのような様子を浮かべる。だが、ここまで保っているのは彼女の精神力があってこそだ。
既に尻尾は20メートル以上伸びてしまっている。元の長さから比べたら3~4倍は伸びている計算だ。
並のルナロップスでは太刀打ちできまい。
「アウロラ、頑張れ! アリアナがもうすぐ助けを連れてきてくれる……!」
「アウロラ、しっかり~!」
「もう無理ぃぃぃっ!! だめぇぇぇぇぇっ!!!」
ミヂミヂミヂィッ!!
唸りを上げる尻尾が更にタイタノグリジオンの力によって引き伸ばされていく。
そこに、幾つかの足音が混ざった……。
「アウロラッ……! 来たぞ、アリアナの助けだ!」
タタッ、タタッ……!という軽快な足音にエリクトは振り返る。しかし、そこには誰も居ない。
――それは狭間の空間の反射音。
本当の足音は。
「ゴフアァッ……ゴルアァァ……!!」
「ガフッ、ガァフゥ……!!」
――グリジオンは文字通り執拗につけ狙うんだ。
――しかも彼らは群れで生活しているから、次に狙うときは確実に群れで来る。
自身の言葉は時間を経て、恐ろしい言霊となって跳ね返ってくる。
森から現れたグリジオンは二匹。タイタノグリジオンに近づき、その極太の腕を彼の腰に回す。
「やめろ……やめてくれ……ッ!! アウロラの尻尾が……!!」
しかし、その願いは聞き入れられることはなかった。
グギュゥゥゥゥゥゥッ!!!
ミヂミヂミヂミヂミヂヂィッ!!!
ギヂヂヂヂヂィッ!!!
「ん゛う゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛!!!!ん゛ん゛ん゛~~~~~~っ゛!!!!」
――千切れちゃう~~~~ッ!!!
――あぁぁぁ~~~っ!!だめ!!!もう本当にぃぃぃぃっっ!!
――げんかいぃぃぃぃっ!!!!
エリクトとヨリックの身体で支えても引きずられていくような激しい力。
それに必死に堪えるエリクトとヨリック。
尻尾は30メートルは優に超えるほどに引き伸ばされ、もう、縄や糸のように細くなってしまったアウロラの尻尾。
ありえない音が響き渡り、それでもかろうじて耐えている。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッ!!!」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッ!!!!」
牙に渾身の力を込めて顎が上がるアウロラ。
痛みと苦痛により全身から汗が噴き出し、もう涙なのか汗なのかわからないくらいにビチャビチャになった表情。
しかし――次の瞬間、ビクッ、ビクッ!と彼女の身体が震える。
「し、しっぽぉ……ッ……切れちゃう……っ……しっぽぉ……っ」
体中の痙攣と共にアウロラの瞳が虚ろになっていく。
生命力溢れ、輝きに満ちたアウロラの瞳が今やもう淀み、その瞳に意識はなかった。
精神の極限を遥かに超えてしまっている。
「アウロラ……耐えるんだ……ッ!」
エリクトの励ましももう、その耳に届いているかどうか怪しい。
「お願い耐えてぇぇぇ……切れないで……しっぽ……私の……しっぽぉ……っ!」
しかし、グリジオンとタイタノグリジオは――
「ゴッファァァッ!!」
3匹が体中の筋肉を膨張させ、身体が一回り巨大化。
そのパワーはもう、ルナロップスの想像には及ばないほどだ。
そして、その力が一気に込められた瞬間。
ミヂミヂミヂギヂヂヂィッ!!
ギリギリギリギリギリギリィッ!!
グヂヂヂッ!!ミヂミヂィッ!!
ビギギギギギギィッ!!!
「ん゛ん゛ん゛ぐう゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛~~~~~ッ゛!!!!千゛切゛れ゛る゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛~~~~~ッ゛!!!!」
アウロラの喉の奥の奥から絞り出されるようなうめき声と悲鳴の入り混じった声。
伸びる尻尾の音。それはあまりにも大きく既に尻尾の長さは50メートルは優に超えてしまっている。
――だめぇぇぇっ!!
――もう……もう……!!!
――尻尾がぁぁぁぁっ!!尻尾がぁぁ~~~~っ!!!
――ちぎれちゃぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!
――げんかいぃぃぃっっ!!
「ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッ゛ッ゛!! 尻尾が千切れるぅぅ――――ッ!!」
ビギィ……ッ!!
アウロラの全ての力を出し尽くした結果――極限に達したアウロラの体中から汗が噴き出し、その口から絶叫が響き渡る。
尻尾も極限を超えた鈍い音が響いた――その瞬間。
「アウロラァァァッッ!!」
崖の上から颯爽と飛び出し、月光に照らされる無数の影。
紛うことなき父、レオナルドとルーミス、ゼノンの兄弟。そして、先鋭とも言えるルナロップスたちの幾多の姿。
ズドドドドドォッ!!!
幾多ものマナによる光弾が雨あられのように降り注ぎ、グリジオンとタイタノグリジオは逃げ惑う。
突然の参戦と攻撃に実を守るために手を離してしまうタイタノグリジオ。
アウロラの尻尾はまるでゴムが伸び切っていたように彼女の尻尾の付け根に吹っ飛んでいき、彼女は前のめりに倒れ込んだ。
「アウロラっ!!」
「アウロラ~!!」
「アウロラちゃん!!」
アウロラを支えたヨリック、エリクトもアウロラと共に倒れる。だが、二匹は即座に立ち上がる。
そこへ、遅れて応援を呼びに行ったアリアナが到着した。
三匹はアウロラの顔を覗き込んだ。
「み、みんな……無事……?」
汗と涙とでぐしゃぐしゃになり、体力と精神力を極限まで使い果たして虚ろな表情を浮かべるアウロラが霞んだ目でそう問いかける。
「あぁ、無事よ……! ピンピンしてる!」
「しっぽは……? わたしの……しっぽは……」
「切れてないぞ……! よく耐えきった……!」
「そう……よか……った……」
アウロラはその返答を聞いて、微かに安堵の表情を浮かべると体力を回復するために瞼を閉じたのだった。
fin.