終わる世界の中心で

  『エヴァンゲリオン』(1995)の話をします。

  主に25、26話。

  第弐拾伍話で、自己の世界に引きこもり、自己啓発みたいな映像が流れる。

  つづく最終話で、リナレイが出ます。

  シンジくんは、ドラマのセットみたいなところで、「世界を作り替へてもいいんだ」と感ず。

  そして「僕は生きてても良いんだ」てふ気づきで終はる。

  「人類補完計画とは何か」、「ゲンドウの目的は?」など、主要な問ひが明かされずに終はつてしまひました。

  ラストシーンで、ゲンドウの隣にユイが居たので、彼の企みは成功したてふ事でせうか。

  庵野監督によると25話は、舊劇のAIRみたいになる豫定だつたとか。

  AIRのあらすじ

  「NERVによって全ての使徒は倒されたが、一時は無二の友と信じた渚カヲルを第17の使徒・タブリスとして自らの手で殲滅しなければならなかった碇シンジは、精神的に追い詰められ生きようとする意志を失っていた。一方、ゼーレは人類のすべてを単体の生命へ還元し、神のもとへ回帰する人類補完計画=サードインパクトを発動しようとするが、自らが神に近い存在となって妻・碇ユイと再会しようとする碇ゲンドウはこれを拒否し、両者は決裂する。ゼーレはNERVの他支部すべてのMAGIコピーを用いたNERV本部のMAGIオリジナルへのハッキングを仕掛け、実質的なNERV本部の無力化とEVA初号機および弐号機の確保を狙うが、ゲンドウは自らへの嫉妬からの反逆の咎で監禁していた愛人・赤木リツコに対しMAGIの防衛を厳命し、論理的ではないと自嘲しながらもこれを受諾したリツコによってハッキングは阻止された。ゼーレは次いで日本政府に「NERVこそが人類を絶滅させようとする陰謀の中心であった」という虚偽の情報を流し、戦略自衛隊(戦自)を動かすことでNERV本部の武力占拠を開始する。「人類絶滅を企図する重犯罪者」への措置として戦自による非戦闘員への無条件発砲すら許可される虐殺が繰り広げられ、施設が次々と破壊・占拠されていく中、シンジは戦自に発見されて殺されそうになるが、駆け付けた葛城ミサトに救出される。ミサトはシンジを叱咤しつつ、EVA初号機へ彼を送り届けようとするが、銃撃で致命傷を負い、シンジにEVAで戦うよう言い残して力尽きL.C.L化する直前に爆死する。

  一方、戦自から逃れるために病室からEVA弐号機のコクピットに移されていた廃人状態の惣流・アスカ・ラングレーは死の恐怖に震えていたが、弐号機のコアに母の魂が取り込まれていることに気付き、復活を遂げて弐号機で戦自部隊を壊滅させる。続いてゼーレの送り込んだEVA量産機9体にも善戦して全機を倒すが、弐号機は再生・復活を遂げた量産機が投擲した擬似ロンギヌスの槍で頭部を串刺しにされたうえ、活動限界を迎えたところへ群がった量産機により、鳥葬のように貪られていく。弐号機はアスカの憎悪と憤怒を糧に暴走を始めるが、量産機がさらに投擲した8本の槍によって完全に沈黙する。

  一度はミサトの遺言に心を動かしたシンジであったが、戦自によって分厚い硬化ベークライトに固められ動かしようがなくなっていた初号機を見て再度意気消沈し、アスカと弐号機の危機を知らされても何もできずにいた。その時、あたかもシンジを叱咤するかのように無人の初号機がベークライトを割って起動する。初号機に導かれるままに出撃し、意を決して戦場を見据えたシンジの目に映ったものは、弐号機の肉片をついばみながら宙を飛び回る量産機の群れだった。凄惨な光景を目の当たりにしたシンジは、錯乱し絶叫する。」([[jumpuri:Wikipedia > https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3%E5%8A%87%E5%A0%B4%E7%89%88_Air/%E3%81%BE%E3%81%94%E3%81%93%E3%82%8D%E3%82%92%E3%80%81%E5%90%9B%E3%81%AB]]より)

  性病(?)、シンジの自慰、戰略自衛隊による虐殺、弍號機の鳥葬。

  確かにこれは、地上波で放送できまい。

  だが、主人公の二次性徴を描くのは、画期的だと思はれる。

  「大人になる」てふのは、さういふ事であらう。

  ミサトはシンジを救出するも、撃たれて爆死する。

  撃たれてその後死ぬてふのは、新劇と同じですね。(シンエヴァ)

  廃人状態で弍號機に乘せられてゐた、アスカが復活。

  これ、ゼーレの目的はサードインパクトだつたのですが、ゲンドウがそれを拒否した爲、かうなつてゐるのですよね。

  新劇では、ゲンドウ vs 反逆のヴィレでした。(Q)

  ニアサーと、それによるサードインパクトが起こつてしまつた世界。

  『トップをねらへ!』(1988)から續く、「舊字體」のデザイン性。

  そして、アトム、ヤマト、ガンダム迄の、「何となく英語を使つておけばかつこ良い」てふ屬國感情とは一線を画す、「バイリンガル感」がエヴァにはある。

  第八話→Asuka strikes!

  アスカが嵐扱ひされてゐて、名譯かと思はれる。

  第拾話→MAGUMADIVER

  これは、SF小説の『SUNDIVER』から来てゐるらし。また、日本語と英語のタイトルが唯一同一の回だとか。

  さうだ、アスカが日独のハーフだかで、バイリンガルだつたんだ。

  新劇では更に、マリちやんが追加されましたね。

  バベルの塔が、人類補完計画が對となる概念として想定されてゐるのかも知れません。その時に思ひつくのは、押井守の『劇場版パトレイバー』ですね。

  あとEVAとエヴァンゲリオン(ευαγγελιον)が、それぞれ「アダムとエバ」のエバと、福音(Gospel)との、ダブルミーニングになつてゐるところとか。

  TV版でゲンドウが冬月を誘ふ時に、しつこく「エヴァー」と言つてゐるのは前者である。

  だから舊劇と新劇てふ呼称にも、味はひが増すてふものである。

  使徒はイエスの直弟子の筈だが、英語ではAngelである。スペイン語の字幕をつけてゐると、開幕「ロサンゼルス」が出まくつて笑つた。要は、大陸西海岸の「ロサンゼルス(LA)」てふ街は、「天使」の名を冠してゐたのだな、と。

  序破とEOEとか

  人を良くすると書いて「食」である。

  どうやら新劇の破は「食」にスポットライトが当てられてゐるらし。

  其れ迄ずつと樂しさうでなかつたアスカが、目を輝かせてゐますからね。

  そしてレイも味噌汁を飲んで、「美味しい」と呟く。その影響を受けて、自分で料理をする事すら始めます。

  アスカに無理矢理食はされるシーンや、農業ごつこもその延長であらう。(シンエヴァ)

  大地と大氣に食はしてもらつてゐる我々。

  何だか『風と共に去りぬ』の、ラストシーンみたいではないか。

  人は食ふ爲に、汗水を流して働くのである。

  エヴァは百回見ても分かんないと思ふ。

  だから百一回見やう。新劇だけど。[newpage]

  映画『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』は1997年3月15日公開。

  『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』1997年7月19日公開

  『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH (TRUE)² / Air / まごころを、君に』は1998年3月7日に公開。