猫と人とのカーニバル

  その町もまた古い歴史を持っていた。

  時代の流れを受け入れつつも、その伝統や伝承は町並みのそこかしこに残っている。

  奈緒がその町を訪れたのはちょうどその町でカーニバルが開催される頃だった。

  普段は静かな町がこの日ばかりは町中がお祭り騒ぎで、町のいたるところに色とりどりの飾りや仮装した人々が歩いていた。

  町は祭りの喧騒に包まれ、人々は浮かれ騒ぎ、出店からは威勢の良い声が飛び交っている。

  そんな様子を奈緒も興味深く眺めていた。

  幼いころテレビで見て心を惹かれたカーニバルの光景の中に今実際に自分が立っている。

  奈緒は期待と好奇心に胸を膨らませていた。

  「うわー、すごい!ここがカーニバルなんだ!」

  カーニバルの賑わいを見てはしゃぐ奈緒を尻目に友人が呆れた様子でため息をついた。

  「はぁ……あんたって本当に子供ねぇ」

  そう言われても気にせず辺りをキョロキョロと見回して目を輝かせる彼女に友人はさらに続ける。

  「まったく落ち着きがないわね……見てよ、この人混みを……」

  「だってこんな機会滅多にないし……せっかく来たんだから楽しまないと!」

  「まぁそうだけどさ、それにしてもはしゃぎ過ぎじゃない?」

  「えへへ~そうかな?」

  そんな会話を交わしつつ二人は祭りの雰囲気を楽しみつつ出店や催事を楽しんでいた。

  カーニバルの期間中は町中のいたるところで様々な催し物や出店があり、人々は思いおもいに楽しんでいる。

  奈緒と友人もそんな祭りを楽しみつつ町のあちこちを見て回っていた。

  そんな中、奈緒はある話を友人に振る。

  「ねえ知ってる?このカーニバルの不思議伝説って話」

  「不思議伝説?なにそれ」

  友人はあっさりと答えた。

  「知らないの?この町には古くから語り継がれている伝説があるんだよ」

  奈緒は得意そうに話す。

  だが友人はあまり興味なさそうに答えた。

  「ふーん、そうなんだ……私は別に興味ないけど……」

  そんな素っ気ない返事にもめげずに奈緒はさらに話を続けた。

  「このカーニバルは本当は二つあるんだって。今わたし達が楽しんでる「人間のカーニバル」、そして……」

  「そして?」

  友人は続きを促した。

  奈緒は少しもったいぶったように間を空けてから話を続けた。

  「……もう一つは「猫のカーニバル」なんだって」

  「猫?」

  友人は怪訝そうに聞き返した。

  奈緒はそんな様子の彼女に笑いかけると言った。

  「うん、なんか人間たちとは別に猫たちが秘密の場所でお祭りをしてるって話を聞いた事があるんだ」

  奈緒は友人にそう話すと、友人は興味深そうに奈緒の話を聞いていた。

  「ふーん、そうなんだ……それって本当なのかしら?」

  半信半疑の友人に奈緒は少し自慢げに言った。

  「さあね?でもそういう話もあるんだよ」

  「ふーん」

  友人は半信半疑のまま奈緒の話を聞いていた。

  そんな時、二人に割って入る声があった。

  「今はもうそんなに表立ってはいないけど、もともとこのカーニバルはこの町に暮らす猫達を祀るものだったの」

  奈緒と友人は声がした方に顔を向ける。

  そこには一人の若い女性が立っていた。

  見たところ二人と同じ日本人の旅行者らしいが二人よりは少し歳上だろうか。

  [newpage]

  ショートカットの髪型で一見するとボーイッシュな印象を受けるが、どこか艶っぽい雰囲気も持ち合わせている。

  奈緒たちは彼女に声をかけられたことに一瞬驚いたもののすぐに笑顔で応じた。

  「こんにちは!あなたもこのお祭りを見に来たんですか?」

  そんな奈緒の言葉に女性は微笑んだまま答える。

  「ええ、そうよ」

  彼女はそう答えながら続けた。

  「この町には昔から猫神様と呼ばれる存在がいてね、それがカーニバルの由来になったの」

  そう言って優し気に微笑む彼女の顔を見て奈緒は思わず彼女に質問する。

  「そうなんですか?どうして猫神様がいるんですか?」

  そんな奈緒の質問に女性は微笑みながら答えた。

  「この町には古くから伝わる言い伝えがあってね、それが理由よ」

  そう言いながら彼女は続ける。

  「昔々この地方では大きな干ばつが起きて多くの人達が飢えで亡くなったそうよ。そんな時どこからともなく現れた一匹の白猫がいたの」

  そこで言葉を区切ると彼女はさらに続けた。

  「その猫はとても美しく気高い毛並みをしていて、その姿を見た人々は神の御使いだと信じて崇めた。そのせいかはわからないけど、干ばつも収まり人々も頑張って復興に尽くしたらしいわ」

  奈緒は興味津々といった様子で彼女の話を聞いていた。

  そんな彼女に女性は話を続ける。

  「そして人々はその猫を希望を与えてくれた『白猫の神様』として奉り、この町では毎年この時季になると人々が集まってこの神様に感謝の意を込めて祭りを行うようになったのよ」

  そこまで話すと女性は奈緒たちに向かって微笑んだ。

  「そうだったんですね!知らなかったです!」

  奈緒はそう言って目を輝かせ興奮気味に話す。

  「あ、あの、もしよかったら少しだけでも一緒にお祭りを見回りませんか?」

  その声に友人はおいおい、という顔をするが、女性は微笑みながら答えた。

  「あら、嬉しいわ」

  そんな女性の言葉に奈緒が嬉しそうに笑う様を友人は少し呆れて見ていた。

  (まったく……この子ったら本当に子供なんだから)

  そんな事を考えながら友人は二人の後について行った。

  それから三人は町を回りながら様々な出店を見て回ったり、催し物に参加したりして祭りを楽しんでいた。

  そんな中、三人はカーニバルの演目の一つに目を向けた。

  それは若い女性たちが連れ立って猫たちと舞い踊るという軽演劇のような出し物だった。

  「へぇ……面白そう!」

  そんな奈緒の呟きに友人も興味を惹かれたのか、その出し物を見る事にした。

  そして三人は演目が行われる会場へと足を運んだのだった。

  そこは町の中心部にある広場だった。

  普段は町の人々が憩いの場として利用している場所であるらしいのだが、今日は大勢の観客が詰めかけていて賑やかになっていた。

  そんな中で始まった猫たちの舞いは圧巻であった。

  白猫の神様に扮した演者とそれに仕える巫女たちに扮した演者たちが様々な衣装に身を包みながら踊る中、若い女性たちに扮した演者たちがそれに入り混じるように踊る光景。

  それはまるで幻想の世界に放り込まれたかのような錯覚を覚えるものであり、そんな光景を奈緒たちは夢中になって眺めていた。

  奈緒は文字通り目を輝かせて、友人もなるほど、という顔で。

  そして女性は何か食い入るような、目を離さないといわんばかりの目を向けていた。

  やがて演目が終わると共に観客からは大きな拍手が沸き起こり、演者達は一礼して舞台を去ったのだった。

  「すごかったね!」

  興奮気味に話す奈緒に友人も同意するように頷くと言った。

  「そうね……まさかあんな事までやるとは思わなかったわ」

  そんな友人の呟きを聞いたのかはたまた偶然か、隣を歩いていた女性が話しかけてきた。

  「あなた達は知らなかったみたいね。実は言い伝えには続きがあって、毎年この時期、猫神様が訪れた時は町中の猫達が歌い踊る中、選ばれた若い女性達がこのお祭りに招かれて共に祭りを楽しむといわれているの」

  「へぇ……」

  奈緒と友人は感心しながら話を聞いていた。

  そんな二人に女性は続ける。

  「猫神様を迎える時はその選ばれた女性たちが猫の舞を舞うという習わしがあるのよ」

  その言葉に二人はさらに驚いた様子を見せた。

  (そうなんだ……知らなかった)

  そんな二人の様子を見た女性はクスリと笑うと再び口を開いた。

  「あなた達がこの町に訪れるのも何かの縁かもしれないわね」

  そう言うと彼女は少し悪戯っぽい笑みを浮かべたまま続けた。

  「そうかもしれませんね。わたし達、猫神様に御呼ばれしたのかも」

  「こらこら、それはロマンチストが過ぎないんじゃないの?」

  友人が呆れ顔で言うと、奈緒も笑いながら答えた。

  「それにしてもこのお祭りって本当に不思議ですね」

  再び祭りの喧騒に身を委ねて歩きながら奈緒は呟く。

  「確かにそうね……」

  そんな呟きを聞いたのか女性は相槌を打つと続けた。

  「この町ではね、昔から不思議な事が起きると言われているのよ」

  その視線の先には猫たちが戯れている姿があった。

  それが意味する所を奈緒も友人も気が付かなかった……。

  「ねえ、夜の部に備えてホテルで食事でもとらない?」

  女性が声をかける。

  「あ!そうですね!」

  奈緒はそう答えると、女性と共にその場を後にしてホテルへと向かった。

  そんな二人の後ろ姿を見ながら友人も後について行ったのだった……。

  [newpage]

  その後、三人はホテルのレストランで食事を取りながら会話に花を咲かせていた。

  偶然にも奈緒と友人、そして女性は同じホテルをとっていたらしく、三人は偶然に感謝しながら話を進めていた。

  特に奈緒にとって美弥が何度もこのカーニバルを訪れていると言うことに強い関心を抱いていた。

  「美弥さん、それにしてもこの町の猫たちって本当に可愛いですね」

  そう言って微笑む奈緒を見て女性―美弥は微笑みながら言った。

  「そうね、でもそれだけじゃないのよ?」

  その言葉に首を傾げる奈緒に美弥は続けた。

  「実はね……ここの猫は意外と恋愛好きって話もあるの」

  「恋愛好き?」

  奈緒が不思議そうに聞き返す。

  そんな奈緒に美弥は微笑みながら答えた。

  「ええ、そうよ」

  そして少し間を置いてから再び口を開くと続けた。

  「このカーニバル、「猫のカーニバル」は実は猫達の恋のお祭りという話もあるの。猫達が集まって意中の相手を求める……」

  「はあ、猫達の婚活パーティーというか合コンってやつですね?」

  「ちょっと、それって露骨すぎるよ」

  友人のツッコミに奈緒が珍しくツッコミ返す。

  そんな二人のやりとりに美弥がクスクスと笑う。

  「ふふ、そうね。そして、さっき話した猫のカーニバルに招かれた女性たちの中には……」

  「そのまま猫たちのお嫁さんになった人もいるってことですか?」

  奈緒の言葉に美弥が頷く。

  「ええ、そう伝えられているわ」

  「猫のお嫁さん……何か不思議な話だね」

  「ま、昔話だし色んなたとえがあるってことじゃない?」

  「うーん、でも……」

  奈緒が何かを言いかける。

  だが美弥はそれを遮るように続けた。

  「……まあとにかくこのカーニバルは不思議な事が起こるって言われているの」

  そんな話をしているうちに食事も終わったようだ。

  「ごちそうさまでした!とても美味しかったです!」

  奈緒と友人はそう言って席を立つ奈緒と友人に美弥は声をかける。

  「さ、支度をしたら夜の部に行きましょう」

  「はい!」

  そんなやり取りをしながら三人は部屋へ戻っていく。

  部屋の中で奈緒と友人は簡単に荷物の整理を済ませていた。

  「奈緒、早くしないと先に行くよ?美弥さんも待たせちゃいけないし」

  「あ、待ってよ!」

  友人にせかされてカバンの整理をしていた奈緒だったが……。

  (あれ?こんなの買ってたっけ?)

  ふとカバンの中に猫の仮面が入っていたことに気づく。

  (買った覚えはないし、もちろん盗んだなんて……とんでもない!)

  奈緒はそう心の中で呟きながら、その仮面をそっと懐に忍ばせると友人と共に美弥が待つラウンジに向かう。

  その途中でホテルのフロントに「落とし物」として仮面をこっそり預けつつ……。

  [newpage]

  「お待たせしてすみません」

  ラウンジに駆け込む奈緒。

  そんな奈緒を見て美弥は微笑みながら言った。

  「ふふ、大丈夫よ。さ、行きましょうか?」

  その言葉に頷きながら三人は夜の部へと繰り出していく。

  (あれ……?)

  ふと何かを感じたのか辺りを見渡すと、そこには猫が一匹いたような気がしたが気のせいだろうか?

  いやそんなはずは無いのだが……そう思いながらも特に気にする事もなく再び歩き出したのであった……。

  夜の部は昼にもまして盛大であり、文字通り幻想的な世界が織りなされていた。

  「うわぁ……すごい……」

  奈緒は思わずそう呟いた。

  「本当ね……」

  そんな奈緒に友人も同意する。

  二人は夜のカーニバルの幻想的な光景に見とれていた。

  そんな二人に美弥は微笑みながら声をかける。

  「どう?このカーニバルの魅力がわかってきたかしら?」

  その言葉に奈緒と友人は顔を見合わせて答える。

  「はい!とても!」

  その声に満足そうに微笑むと、美弥は言った。

  「じゃあもっと奥の方に行ってみましょうか」

  そんな会話を交わしながら三人は町の中心部へと進んでいく。

  それからのひと時は奈緒にとってはまさに夢のようだった。

  夜の闇とカーニバルの灯りが交差し、様々な姿に扮した人々が交錯する光景はあまりにも現実離れしており、何か別の世界にいるようなそんな心地に奈緒の心を満たしていた。

  奈緒が余韻に浸りながら美弥と別れ、友人と共に部屋に戻ったのは夜も遅くなった辺りだった。

  「はぁ……楽しかったぁ……」

  そんな奈緒の様子を見て友人は苦笑しつつ言った。

  「まったく、はしゃぎ過ぎだってば」

  だがそんな言葉とは裏腹に友人の口調にはどこか優しさが混じっているように感じられた。

  「でも、確かに楽しかったわね。さすが伝統のカーニバルっていうか……おいこら」

  いつの間にかベッドで寝息を立てている奈緒を見てあきれ笑いを浮かべつつも友人は先にシャワーを浴びに行った。

  奈緒が目を覚ました時、部屋の明かりは消えており友人も寝息を立てていた。

  奈緒はそっとベッドから起き上がると、窓際に置かれた椅子に腰かけて外の景色を眺めていた。

  窓から見える風景はとても幻想的でいつまでも眺めていたかったが……。

  「ちょっとシャワー浴びよう」

  そうつぶやくと友人を起こさないようにシャワーを浴びに行く。

  シャワーから上がってふと脱衣かごを見た時、奈緒は首をかしげた。

  「あれ?」

  着ていた服はなく、そこには何か大きな布のようなものが入っている。

  そして、その上には……。

  「あれ?」

  猫の仮面、さっきカバンの中に見つけてフロントに届けたはずの猫の仮面がなぜかそこにあった。

  「なんでこれが……?」

  さすがに奈緒も不思議に思ったのか、手に取ってみた。

  その時、奈緒の耳にどこからともなく猫の鳴き声が響いてきた。

  「え……?」

  奈緒が辺りを見渡す。

  だが、シャワー室の中には自分以外誰もいないし何もいない……。

  気のせいかと思い直した時、再び猫の鳴き声が聞こえてくる。

  それも今度は先程よりはっきりと……。

  (誰かいるの……?)

  そんな不安に駆られた奈緒だったが、猫の鳴き声は間違いなくこのシャワー室の中から聞こえてくる。

  「なんで……?」

  バスタオル一枚の姿で奈緒は怯えながらたたずむ。

  しかし、そんな中奈緒は気づいてしまった。

  猫の声が聞こえているのは……自分が手にしている猫の仮面からだということに。

  「まさか……ね」

  そんな馬鹿な話は無い。そう自分に言い聞かせようとした時、ふと美弥の言葉が脳裏に思い出された。

  「わたし……お呼ばれされちゃったって事……?」

  思わず息をのむ。

  しかし、猫の仮面からは変わることなく鳴き声が聞こえてくる。

  奈緒を呼ぶように、奈緒を求めるように。

  「わたしを……呼んでるの……?」

  改めて仮面を両手にとり、恐る恐る見つめる。

  仮面から聞こえてくる猫の声はさらに増してゆく。

  それに息をのんだ時、自然と奈緒が身体に巻いていたバスタオルが床に落ちた……。

  [newpage]

  カーニバルの夜も大きな賑わいはひとまず落ち着き、今はあちこちで余韻に浸る者達が静かに音楽と踊りを楽しむ空気に満ちている。

  町を彩っていた灯りもいくつかは静まり、光と影の境目もほどよい夜の調和を保ちつつあった。

  そんな中を一つの人影が歩いている。

  全身をすっぽりとローブで覆い、顔は猫を模した仮面をかぶった人影。

  その人影は夜の町の喧騒には目もくれず、ただ一点を目指しているように進む。

  不思議とその姿は夜の町を行く人たちの目には止まらず、それでいてささやかな夜の宴の音楽を伴奏にしながら進んでいる。

  「急がないと……行かないと……」

  仮面の下から言葉を漏らし、人影は進んでいく。

  その声はまぎれもなく奈緒のものだった。

  猫の仮面をかぶり、ローブに全身を包んだ異様な姿で奈緒は進んでいく。

  導かれるように、招かれるように。

  まるで本物の猫のようなしなやかな動きで奈緒は夜の賑わいや灯りをすり抜け、影を縫うように歩んでいく。

  昼間、友人や美弥と歩いた道とはまた違う道をまるで慣れ親しんだ道を行くように奈緒は歩く。

  路地を抜け、大通りから裏道に入り、時には屋根の上を音もたてずに進んでいく。

  それは本来の奈緒には絶対できないような行為だったが、それもまた彼女が「導かれている」という事なのだろうか。

  今言えるのは今の奈緒はカーニバルを訪れた観光客の一人ではなく、まさに「招かれた参加者」の一人だということである。

  そして、この町の住人でさえほとんど知らないような路地をいくつも抜け、奈緒はたどり着いた。

  そこはちょっとした石造りの広間であり、そこには多くの猫たちが集まっていた。

  そして、広間の中央には猫の石像があり、その周囲にも何匹かの猫が鎮座していた。

  そんな光景を見た時……奈緒は思わず息をのんだ。

  「すごい……」

  そこに集まっている猫たちはただいるだけで神秘的な雰囲気を醸し出していたのである。

  (ここが……白猫の神様がいる場所……?)

  そんな事を考えながら辺りを見渡しているとその中に何人か異様な人影がいるのが目に入る。

  今の奈緒と同じように猫の仮面をかぶり、それ以外はすっぽりとしたローブに身を包んだ人影たち。

  まるで何かを待ちわびるように人影たちは猫たちと距離を置くようにたたずんでいる。

  その姿はまるで夜の町を照らす灯りに照らされながら、静かに時を待つ猫たちのようにも感じられた。

  そんな奇妙な人影たちに奈緒は恐る恐る近づいていく。

  (この人たちも招かれた人たちなのかな……?)

  そんな事を考えながら人影が見えた辺りに近づくとそこに一人の女性がいた。

  その女性はローブで全身を覆い隠していて顔は分からないが、それでもなお美しいという事だけはわかるような雰囲気を漂わせていた。

  そんな女性を見て奈緒は思わず息をのんだ……その時だった。

  「あら?あなたも招かれていたのね……」

  その仮面の下から聞こえた声に奈緒は思わず息をのむ。

  「美弥さん、ですか?」

  恐る恐る聞く奈緒にその女性は静かに頷きながら続けた。

  「ええ、そうよ」

  そんな美弥の声に安堵の息を漏らしつつ奈緒は聞いた。

  「美弥さん、これって……」

  それに対して美弥は自信のこもった声で返す。

  「これが昼間話した「猫のカーニバル」、選ばれた女性達が特別客としてこうして集まっているの」

  「特別客……?」

  そんな美弥の言葉に奈緒は首をかしげる。

  その様子を見て美弥は少し考えるようにした後、言った。

  「そうね……わたしも最初は言い伝えの一つだと思ってた。でも、色々調べていくうちにそれはどうやら本当のことかもしれないと思えるようになった。わたしがこのカーニバルを訪れるようになったのはそう、ここに来るためだったとはっきり言える」

  「それって……?」

  奈緒が問いかけると、美弥は微笑みながら言った。

  「いつか猫たちのカーニバルの参加者に選ばれて、猫たちと一緒にカーニバルを楽しみたい……でも、まさかこれが言い伝えの真相だったなんて……」

  ややうっとりした声をした美弥の話を聞いて奈緒は目を輝かせながら言った。

  「じゃあ、わたしも……わたしもそのカーニバルに参加できるってことですか?」

  その問いに美弥は静かに頷いた。

  「ええ、そうよ。そもそもあなたがかぶっているその仮面、それを目にした時点であなたも、わたしも資格を得たのよ」

  その言葉に奈緒は改めて自分の顔を覆う仮面にそっと触れる。

  (わたし、ほんとうにすごい体験をしてるんだ……)

  仮面の中で奈緒は改めて自分の置かれている状況の凄さに顔を震わせている。

  だが、それと同時に別の感情も湧き上がってきた。

  (でも……)

  「怖い?不安?」

  ふと声をかけた美弥の言葉に奈緒は思わず身体を震わせた。

  そんな様子を感じ取ったのか美弥は小さくため息をついた後続けた。

  「大丈夫、きっとうまくいくわ。わたし達はカーニバルを楽しめばいいのよ」

  (そうだ……せっかくここまで来たんだし今更帰る事なんてできないよね)

  美弥の言葉に奈緒は自分を奮い立たせる。

  「そうですよね……せっかくここまで来たんですし、それに……」

  (せっかくのこの機会を逃すなんてできない!)

  そんな決心が仮面越しにも出ていたのだろうか。

  その様子を見た美弥は微笑みながら言った。

  「ふふ……その調子よ。じゃあ、そろそろ始めましょうか」

  そう言って美弥は奈緒にそっと手を差し出した。

  そんな美弥の手を取りながら奈緒も言うのだった。

  「はい!」

  (大丈夫……きっとうまくいく!)と自分に言い聞かせるように心の中で呟きながら……。

  [newpage]

  広間の中央にある猫の像、その周りを囲むように猫達、そして全身を包むローブをまとった猫仮面の女性達が立つ。

  奈緒と美弥もその列に加わり、静かにその時を待っていた。

  「いよいよね……」

  そんな言葉をつぶやいたのは一体誰だったのだろうか……。

  いやそれはきっとこの場の女性達全員の気持ちだったのかもしれない。

  しばらく静寂が辺りを包んだ後、猫の石像に光が宿る。

  その光はやがて人間より一回り大きな形をとり、そして白い猫の姿となる。

  神々しい穏やかさと孤高さを持ち合わせるようなその姿。

  それはまさに「白猫の神様」と呼ぶにふさわしい姿であった。

  「あれが猫神様……」

  奈緒が息をのむ。

  その姿をよく見るとその体は白く、まるで雪のようだ。

  (綺麗……)

  そんな感想を抱く奈緒だったが、そんな気持ちもすぐに吹き飛ぶことになる。

  ”ニャーン!”

  猫神様が一声鳴くと、周りにいた猫達も鳴き声を上げる。

  ”ニャー!”

  ”ニャオーン!”

  そして、それを合図にするかのように女性達がさらり、はらりとローブを脱いでいく。

  そこから現れたのは体形も肌の色も異なるが猫の仮面をかぶった全裸の女性達の姿。

  顔こそ見えないが仮面の力か、それともこの場の空気の持つ力か。

  その姿はいずれも同性である奈緒の目さえ奪うものであった。

  「すごい……」

  そんな奈緒の目の前で美弥もまたローブを脱ぎ、その裸体をさらしていく。

  滑らかな肌は月光に照らされ、その美しさを際立たせている。胸元の豊かさとウエストラインやヒップの引き締まり具合も絶妙である。

  「さあ、あなたも脱いで。この姿が―ドレスコードよ」

  その言葉に促されるように奈緒もまた恥じらいを仮面に封じてローブを脱ぐ。

  胸は形はいいがやや小ぶりで、お尻も小さく全体的にスレンダーな印象を受ける。

  だが、その肌は白くきめ細やかで瑞々しい。

  (ううっ……やっぱりちょっと恥ずかしい……)

  猫の仮面越しとはいえ、周りにいるのは猫と同性ばかりとはいえ、改めて奈緒の心に恥じらいが宿る。

  しかし奈緒もまた猫の仮面に導かれ、全裸にローブだけの姿で夜の町を走り抜け、さらには屋根伝いに走るなどという芸当もやってのけたのだ。

  その感覚は恥じらい以上に奈緒に未知の心地よさをもたらすものであった。

  そしてその心地よさの中で奈緒は不思議な期待感を感じていた。

  “ニャーン!”

  ”ニャーン!ニャーン!”

  猫神様が再び声を上げ、猫たちも鳴き声を上げる。

  それにあわせるように女性たちも口々に、

  「にゃーん!」

  「にゃあーん!」

  と猫のように声を上げる。

  「みゃーん!」

  美弥もまた艶のある声で鳴き声を上げる。

  「え?ええ?」

  思わぬ流れに一瞬戸惑う奈緒だったが、その身体の中に不思議な、そして熱いものが満ちていくのを感じる。

  そして……。

  「にゃおーん!」

  と声を上げた。

  (なんだろう……これって、快感?)

  その声を発している自分自身に戸惑いながらも奈緒は不思議な心地よさを感じていた。

  “ニャオーン!”

  猫神様が再び声を上げると同時に、周りを取り囲む女性達も高らかに鳴き声を上げる。

  「みゃあ!にゃおーん!」

  「うにゃあん!にゃん!」

  その声に誘われるように改めて奈緒も猫のように鳴き声を上げる。

  そんな様子に美弥は仮面の中で微笑みながら言った。

  「ふふ、だいぶなじんできたわね」

  その言葉に奈緒は少し照れながらも言うのだった。

  「はい……なんだか気持ちよくなってきました……」

  そんな奈緒の様子を見て美弥はさらに笑みを深める。

  “ニャオーン!”

  猫神様の言葉と共に猫達と女性達は同じ輪の中に入り、軽やかに踊り始める。

  その輪はどんどん広がっていく。そして奈緒もまたその中に入り、踊り始めた。

  “ニャー!ニャーン!”

  そんな猫達の鳴き声と女性達の歌声に誘われるように奈緒も自然と体が動き始める。

  (あ……これ楽しいかも……)

  そう呟きながら奈緒は踊るのに夢中になっていく。

  裸身をひるがえし、手を広げ、ポーズを取りながら踊る。

  次第に奈緒は周りの女性たちとも息を合わせるようになり、その動きもより大きく大胆になっていく。

  (なんだろう……すごく気持ちいい!)

  奈緒は仮面の下で笑みを浮かべながら踊り続ける。

  それを見やりながら美弥もまた踊り続ける。

  いつしか彼女たちの踊りに猫達も混ざり、猫と猫の顔をした裸女達は艶やかなに、しなやかに、そして優雅に踊り続ける。

  「にゃおー!にゃおーん!」

  奈緒が高らかに鳴き声を上げると、猫たちもそれに応えるように鳴き始める。

  美弥もまた、

  「みゃあーん!みゃおーん!」

  と、奈緒に負けじとばかりに声を上げる。

  そんな様子に猫達もますます鳴き声を上げていく。

  “ニャー!”

  “ニャオーン!”

  「にゃーん!」

  「にゃんにゃ―ん!」

  他の女性達も猫の仮面の中から高らかに鳴き声を上げながら舞い踊る。

  その光景に奈央の心と身体にさらに興奮と活力が満ちていく。

  (ああ、これって一体なんなの……?)

  仮面の下からでも分かるくらい頬を真っ赤にしながら奈緒は必死に踊り続ける。

  (身体が……熱い……!それに……すごく気持ちいい!)

  熱くなる身体の中にさらに不思議な快感が満ちていくのを奈緒は感じていた。

  そしてさらに勢いを増した猫達と裸女達の踊りに飛び込んで行く。

  「にゃーん!」

  奈緒が声を上げると、それにあわせるように猫達や猫顔の裸女達も鳴き声を上げる。

  “ニャアーン!”

  「にゃおーん!」

  そしてさらに踊りは激しさを増していく。

  「みゃあ!にゃおーん!」

  美弥もまた奈緒に負けじとばかりに声を上げながら踊る。

  その妖艶さと優雅さはまさに女王の風格だ。

  “ニャー!”

  “ニャオーン!”

  そんな彼女達の声に応えるように猫達も、そして女性達もさらに大きく力強く鳴き声を上げる。

  今や奈央と美弥はカーニバルの中心にいた。

  様々な「猫』達が入り乱れる中、二人は時に向き合い、時に背中を合わせる様に踊る。

  「にゃー!にゃおー!」

  「みゃあ!にゃん!」

  “ニャオーン!”

  そんな奈央と美弥の息のあった動きに猫達も、女性達もさらに大きな歓声を上げながら踊り続ける。

  奈緒はそんな空間の中で仮面越しに見える猫達、そして女性達の踊りにさらに心が躍るのを感じていた。

  “ニャオーン!”

  “にゃーん!にゃん!”

  そんな声に誘われるように奈央と美弥も再び鳴き声を上げながら舞い続ける。

  「みゃーお!」

  “フニャアン!”

  「うにゃあ!」

  “ニャアー!”

  猫達、女性達もさらに大きな声を上げる。

  (すごい……みんな楽しそう……!)

  そう思いながら奈央も再び踊り続ける。

  そんな様子に美弥もまた仮面の下で妖艶な笑みを浮かべながら踊るのに夢中になっていく。

  (ふふ……奈央ったらあんなに楽しそうに踊ってる。ああ、あの仮面の下でどんな表情をしているのかしら?)

  そう心の中で呟きながら美弥は猫達の踊りの中に溶け込んでいく。

  猫の仮面に人の裸身。

  異様ともいえる姿だがその動き、その空気はまさに神秘そのものである。

  「にゃーん!」

  “ニャー!”

  猫達も、女性達もまた、そんな二人の動きに呼応するように鳴き声を上げていく。

  そんな光景はまさしく幻想的であり、この上なく美しいものであった。

  そして……。

  “ニャオーン!”

  猫達の声と女性達の声がさらに高まった瞬間、その輪は一気に広がりを見せ、そして再び収縮していく。

  奈央と美弥の舞もいよいよクライマックスに達そうとしていた。

  「にゃーおーん!」

  “ニャー!” 猫達の声と女性達の声がさらに高まった瞬間、その輪は一気に広がりを見せ、そして再び収縮していく。

  奈央と美弥の舞もいよいよクライマックスに達そうとしていた。

  踊り続ける二人の身体と心に最後の力が満ちる。

  熱い高ぶりが頂点に達すると同時に、二人は声を上げてフィニッシュを決める。

  「みゃあーん!」

  「にゃおーん!」

  そんな声が響き渡った後、辺りは静寂に包まれる。

  [newpage]

  「……はぁ……」

  しばらくしてから奈緒は大きく息を吐くと共にその場にへたり込んだ。

  その隣では同じように美弥も座り込んでいる。

  「ふふ……楽しかったわね」

  美弥は微笑みながら言う。

  そんな彼女に奈緒もまた微笑みつつ答える。

  「はい、とっても……」

  “ニャオーン!”

  「にゃーん」

  「みゃあ!にゃん」

  “フニャーオ!”

  奈央は猫達と女性たちが上げる声に心が満たされるのを感じていた。

  「ふふ、みんな楽しんでくれているみたいね」

  そんな奈央の隣では美弥が猫達の踊りを微笑みながら見ながら呟く。

  その横では猫の仮面をかぶった全裸の女性達がにこやかに笑みを浮かべながら踊っている。

  「にゃにゃん」

  “ニャオーン”

  「にゃ~ン」

  “ニャー!”

  そんな声と女性達の姿に奈央の心も癒されるような気持ちになるのだった。

  (ああ……なんて楽しいんだろう)

  そんな中、猫や女性たちの踊りがピタッと止むとそこから一匹の白猫が近寄ってくる。

  猫神様だ。

  “ニャオーン”

  “ニャー!”

  猫達は鳴き声を上げながら白猫の周りを取り囲むように座る。

  女性たちも見守るように静かにたたずむ。

  「美弥さん、これって……?」

  困惑する奈緒に美弥は微笑みながら言った。

  「どうやら、さらに選ばれたのはわたし達って事ね」

  「え?それってどういう……?」

  戸惑いを隠せない奈緒に美弥は諭すように言った。

  「まだ話してなかったわね。この猫たちのカーニバルにはさらにもう一つ、言い伝えがあるの」

  「言い伝え……?」

  「わたし達がこうして猫たちのカーニバルのゲストして選ばれたのは言うまでもないけど、さらにもう一つ「選ばれる人」がいるってこと」

  「それが、わたし達……?」

  「ええ。このカーニバルにはさらに特別な意味があるの」

  美弥の言葉に奈緒はさらに戸惑うばかりだった。

  そんな様子に構うことなく美弥は続ける。

  「それはね……猫神様のパートナーを選ぶ宴でもあるってこと」

  「パートナー……?」

  「そう、猫神様の伴侶として選ばれる存在。それがわたし達」

  美弥の言葉に奈緒は驚くばかりだった。

  そんな様子の奈緒に構わず美弥は続ける。

  「そして今、猫神様は伴侶になる相手を選んでいる……あなたか、わたしか」

  美弥は二人を見定めるように回り歩く猫神様を仮面越しに見つめていた。

  「そんな……でも、わたし達はさっき会ったばかり……」

  「ふふ、確かにね。でも、だからこそなのかもね」

  美弥の言葉に奈緒はますます混乱した表情になる。

  そんな様子に微笑みながら美弥は続けた。

  「カーニバルを楽しみながらパートナーとなる相手を見定めていくのよ」

  その肌はほんのり上気し、軽く震えているように見える。

  仮面のせいで見えないがその表情は恍惚としたものになっていることは間違いなかった。

  奈央もまた、仮面の奥で緊張した表情を浮かべていた。

  この町で観光客としてカーニバルを楽しみ、さらにはこうして猫たちのカーニバルで不思議・非日常を超えた体験をしているだけでなくまさかいきなり猫神様のパートナー候補に……。

  「そんな……わたし、どうしたらいいの……」

  奈緒は戸惑いの声を上げるが、美弥はその肩に手を置きながら言った。

  「大丈夫……すべて成り行きに任せましょう……それに、もしあなたが選ばれても恨まないわ」

  「美弥さん……」

  「だって、わたしもあなたも選ばれた……それ以上に望んでこのカーニバルに来たんですもの」

  そんな話をしている間にも猫神様は奈緒と美弥の前を歩き回っている。

  その様子に二人の心臓の鼓動が次第に高鳴っていく。

  (どうしよう……どうしたらいいんだろう)

  戸惑いながらも奈緒はその未知の体験への期待感から身体が熱くなるのを感じていた。

  “ニャオーン!”

  “ニャー!”

  “フシャーッ!”

  そんな二人を見つめながら猫達は思い思いの鳴き声を上げる。

  女性たちもまた、静かに猫神様の選択を見守っている。

  「うう……みんな見てる……」

  奈央は仮面越しに猫達や女性たちの視線を感じ、思わず身もだえする。

  そんな様子に美弥は笑みを浮かべながら言った。

  「ふふ、大丈夫よ。みんなが見ているのはわたし達だから」

  (そうだけど……やっぱり恥ずかしいよぉ)

  奈緒のそんな思いをよそに、さらに状況は進行する。

  “ニャー!ニャーン!”

  鳴き声を上げて猫神様が二人の間に立つ。

  その毛並みの美しさと凛としたたたずまいに思わず見惚れる二人。

  「ああ……猫神様……」

  美弥がうっとりしたように呟くと、それにこたえるように猫神様は鳴く。

  その鳴き声はどこか神秘的な響きを帯びているように感じられた。

  「ああ、猫神様……わたしを選んでくださるのですね……」

  美弥は感極まったように声を震わせる。

  そんな様子に奈央も思わず息を呑む。

  (本当に選ばれてしまうんだ……)

  そう思った瞬間、奈緒の心の中に不安が広がっていくのを感じた。

  冷静に考えると人間である自分が神様としても猫のパートナーになるなんて色々考えがまとまらない。

  だが同時に期待する自分がいる事も実感していた。

  そんな二人と一匹の様子を猫は女性たちは静かに見つめている。

  その仮面の下からどんな視線が向けられているかを想像しながら奈緒はその身を緊張させる。

  猫神様はそんな二人の様子をしばらく観察していたがやがて、ゆっくりと歩き出した。

  「来たわ……!」

  美弥がそう言うと同時に、猫神様は二人の周りで動きを止める。

  猫神様はその瞳でじっくりと二人を見る。

  その瞳はまるで値踏みをしているかのようだった。

  「うう……見られてる……」

  奈央が思わず声を上げると、それに答えるように猫神様は一鳴きする。

  “ニャー!”

  (どうしよう……どうしたら……!)

  そんな思いが頭の中を駆け巡っているうちにも時間はどんどん過ぎていく。そしてついにその時が訪れた。

  “ニャオーン!”

  まるで二人を祝福するように鳴き声を上げながら猫神様は歩き出す。

  それはまさに運命の選択を告げるものだった。美弥もまたその様子をうっとりとしたまなざしで見つめいた。

  そして、猫神様が運命の伴侶のもとに歩みだそうとした時―!

  奈央は見てしまった。見つけてしまった。目に入ってしまった。

  高台に上ってこの光景を見つめていた一匹の子猫が足を滑らせて転落しようとしていた光景が―!

  「あぶないっ!!」

  とっさに身体が動いていた。足は高台を思い切り蹴り、その勢いで身体は宙を舞う。

  そして子猫の落下するであろう地点へと飛び込んでいた。

  その瞬間、奈央は猫神様のことも伴侶云々のことも忘れていた。

  ただ、子猫の無事だけを考えていた。

  「……」

  静かに目を開ける。

  そこには自分の腕の中で少し震えた姿を見せる子猫の姿があった。

  その姿を見て奈央はホッとする。

  (よかった……ちゃんと助けられたんだ)

  そう思いながら優しく子猫に語りかける。

  「もう大丈夫だよ?安心して……?」

  その言葉に応えるように子猫は小さく鳴き、安心した様子を見せた。

  そんな様子を見つめながら奈央は思う。

  ああ、この猫を助けられて本当に良かったと―。

  子猫が走り去っていくのを見届け、ほっと安堵した次の瞬間、奈央は「直接」顔に空気を感じた。

  「え?あれ?」

  思わず顔に手をやるとそれは素顔の感触。

  周りを見渡せばさっきまでかぶっていた猫の仮面が落ちている。

  「!」

  急いで仮面を拾い、即座に顔にかぶる。

  「……」

  子猫を助けるためとはいえ、勢いとはいえ、猫のお面を外してしまった。

  (わたし、どうなるんだろう……)

  仮面の中で奈央は改めて緊張の表情を見せる。

  そこに、猫神様が寄ってくる。

  「猫神様……」

  猫神様は何を言おうとしているのか、それはわからない。

  ただ、茫然と座り込んでいる奈央の素肌にその毛並みを擦り付け、軽く顔を摺り寄せる。

  そして一声、

  “ニャーン”

  と鳴いた。

  その声は優しくも、それでいてどこか寂しさを含んだように感じた。

  (もしかしてわたし……アウト、とか?)

  その思いを示すように猫神様は何度か奈央の方を見やりながらも美弥の元に歩いていく。

  その仮面の下に見える表情はどこか気落ちしたような、そしてがっかりしたように見えた。

  (ああ……やっぱり)

  そんな奈央の思いをよそに猫神様は美弥に声をかける。

  “ニャオーン!”

  その声は美弥の心に深く響いていく。

  「ニャーン!」

  その声に答えるように美弥も鳴く。その声はまるで猫そのものだった。

  そんな二人の様子を奈緒はどこか寂し気に見つめていた。

  しかし、さきほど美弥が自分にそう言ったように奈央もまた美弥が選ばれた事を悔やみも恨みもしなかった。

  いや、したくなかった。

  (美弥さん、おめでとう……)

  そんな思いを込めて猫神様と美弥を見つめる。

  奈央と猫たち、女性たちのまなざしを一身に受けながら猫神様はその身を反らし、高らかに鳴き声を上げる。

  ”ニャオーン!”

  美弥もまた両手をつき、身体を反らして大きく鳴き声を上げる。

  それは美弥が猫神様のパートナーとして選ばれたことを示すものであり、同時に猫神の伴侶となることを受け入れるという意思表示だった。

  「ニャオーン!」

  猫の声で高らかに鳴いた時、美弥の仮面が顔から外れ落ちた。その中から見えた顔は……。

  猫だった。

  瞳も、口元も、そしてもちろん耳も。

  いつの間にか髪が消え、完全に猫のものに変わっていた。

  仮面ではなく本当の猫の顔をした全裸の女性。

  それが今の美弥だった。

  「美、弥さん……?」

  そんな奈央の戸惑いを無視するかのように、猫神様は鳴きながら美弥に近づいていくとそのままその身体を、顔をこすりつけるようにする。

  同じように美弥もまた身体を軽く振りながら猫神様に体を摺り寄せようとする。

  “ニャオーン!”

  「ミャーン!」

  互いに鳴き声を上げながら美弥は猫神様に身体を委ね、甘えている。

  その様子はまるで本物の恋人同士のようだった。

  そして、美弥の姿はみるみる変わっていく。

  素肌が毛並みに覆われ、お尻から尻尾が伸びる。

  手足が縮みながら変形し、猫の足に変わっていく。

  胴体も胸が縮み、くびれが消えていく。

  そして、美弥は完全に猫の姿になった。

  ”ニャーン”

  ”ミャーン”

  声を、身体を、そして心を交わしながら触れ合う猫神様と美弥。

  その光景をいつしか猫達と女性たちは鳴き声で祝福する。

  彼女達もまた、自分達が選ばれなかったとしてもその特別な瞬間に深く感じ入っていた。

  恨みや悔やみを越えた何か―それがあの宴の中に、この姿になって踊りあかしたひと時の中にあったのだ。

  (ああ……これが神様に愛されるということなんだ)

  そんな二人の姿を見つめながら奈緒はどこかうっとりとした気持ちを感じていた。

  “ニャオーン”

  「みゃーん」

  “フニャーオ!”

  「にゃおーん!」

  猫達は鳴き声を上げながら美弥と猫神様を囲み始める。そして、そのまま輪になって踊り始めたのだ。

  それはまさに神秘的で幻想的な光景だった―!

  そして、奈央もまた、

  「にゃおーんっ!」

  と高らかに声を上げて踊りの中に入っていった。

  “ニャオーン!”

  “フニャーオ!”

  猫達の鳴き声が響き渡る中、奈央も夢中で手足を振り踊る。

  いつ終わるともわからない宴はいつまでも続いた。

  いつまでも、いつまでも終わらないかのような宴の空気の中に奈央の心と身体は溶けるように消えていった……。

  [newpage]

  「!」

  目を覚ました時、奈央はベッドの上にいた。

  「……」

  周りを見回すと自分と友人が泊まっているホテルの部屋。

  窓を見れば朝日が昇っている。

  「夢……」

  そんな独り言をつぶやきながら奈央は身体を大きく伸ばす。

  (本当に……)

  そう思いながら改めて自分の姿を確認してみるが、身体にかけてあった毛布を除けば全くの全裸であった。

  昨夜の光景は全て夢だったのだと思った途端、自然と安堵の笑みが浮かんだ。

  しかし同時にどこか寂しい思いもあった。

  (でも……いい夢を見たな)

  そう心の中で思いながらしみじみと浸っていた奈央に強い声がかかる。

  「こら奈央、いつまで裸でいるつもり?」

  振り向けば呆れるような友人の顔がそこにあった。

  「まったく、カーニバルで浮かれ疲れたからかもだけどシャワー浴びたあと真っ裸で寝てたんでしょ?お気楽にもほどがあるわよ」

  そういいながら奈緒はベッドの毛布を奈央から引き剥がす。

  「ほら、早く着替えなさい」

  「はーい……」

  そんな友人に少し不満げな表情を見せながらも奈央はベッドを降りると身支度を始めた。

  「しっかし、カーニバルも終わりか。その分精いっぱい楽しんだからまあいいか、てね」

  「そうだね。本当に……本当に楽しめたし」

  なぜか満ち足りた顔をする奈央を見て友人は、

  「奈央、あんた随分と満足そうな感じだけど何かいいことでもあった?」

  「えっ!?そ、それは……」

  突然の問いに挙動不審になりながらも平静を装うとしている様子の奈央。そんな彼女の素振りに友人はあっさり追及の手を緩めて言った。

  「……ま、あんたがそういうなら別にそれでいいけど」

  (……なんでそんなこと聞いてくるんだろ)

  そんな友人の様子を疑問に思いながらも奈央はそのことは頭から追い出すことにした。

  そうでもしないといつまでも思考を支配してしまうような気がしたからだ。

  そんな思いを振り切るかのように、

  「そ、そういえば美弥さんの部屋にいかない?朝ごはん一緒に食べたいな~ってね?」

  と話しかけるが、友人は首をかしげる。

  「美弥さん?誰それ?」

  「え?」

  友人の言葉に奈央は思わず口をぽかんと開けてしまった。

  反射的に美弥の泊まっていた部屋に向かう。

  しかしそこには鍵がかかっており、ホテルのスタッフに聞いても泊まっていたという記録自体がなかった。

  (どういうこと……?)

  奈緒は混乱しながら外に出た。

  (まさかホントに美弥さん、あのまま猫神様と……?)

  あの一晩の記憶がよみがえる。

  それは間違いなく夢ではなかった。

  なぜなら、彼女の身体と心にはまだ猫の仮面の感覚とカーニバルの情景と衝動が残っていることを思い出したから。

  そう確信している奈緒の耳に遠くで聞こえる人々の喧騒が入り込んでくる。

  それはカーニバルの音楽の名残にも聞こえたが、それはどこか遠い世界の出来事のようにも感じられた。

  「……」

  食事とチェックアウトを済ませたあと奈緒は、ふと思い立って町の中心にある広場へと足を向けた。

  そこにはカーニバルの名残の屋台跡が並び、観光客や地元の人達で賑わっていた。

  その中に夕べあのカーニバルに招かれた人もいるのだろうか。

  そんな事を考えつつ奈央は広場を抜けていく。

  その中で何匹かの猫も目の当たりにしたが、さすがに美弥、そして猫神様の姿はなかった。

  ましてあの猫達の宴の場を探す事は……きっと無理だろう。

  「おーい奈央、早くしないと間に合わないよ?」

  広場の出口で奈緒を友人が手招きしているのが見えた。

  奈央は軽く手を振って答える。

  「ねえ、来年もまたここに来ない?」

  駅への道すがら、奈央は友人に言った。

  「また、このお祭りを楽しみたい……もっと深く、もっと楽しみたい」

  「いいけど……まずはお金貯めないとね」

  そんな友人の言葉を聞きながら奈央は心の中で改めて決心していた。

  来年も、いやいつかここに来たい。

  また選ばれるかはわからないけど、かなうならもう一度あの宴に行きたい。

  そしてあの一時を楽しみたい……。

  そんな思いを抱きながら、奈央は友人とともに駅を目指した。

  そこにはもうお祭りの気配はなく、ただ静かな風景が広がっていた。

  (来年も……か)

  もう行くことはないだろうとどこかで思いながらあの不思議な世界にどこか惹かれている自分に戸惑いつつ、奈央は友人とともに駅へと入っていった。

  それは奈央と「カーニバル」の別れでもあったが、それが永久の別れかはたまたしばしの別れか。

  今はそれを知るすべもなく、奈央は帰路の列車に揺られるのであった……。

  了