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放課後の一幕

  「はああああ……、しんどい」

  大量の教科書で形がひずんで見える、背中にのしかかったカバン。ぎっしりガラクタが詰まったふうの、両手にぶら下がったエコバックと紙袋。その状態でやじろべえみたくバランスを保って、フラフラ重たそうに牛歩でどこかへ向かおうとしてる。そんな猫背の黒猫をある中高の連絡通路で見かけたとしよう。おそらく、それは僕だ。実際死ぬほど重い。推定で十数キロはあるんじゃないだろうか。中一の四月に楽器体験でたまたまチューバが回ってきた際、抱えきれず落っことしそうになったことをなんとなく思い出す。素の体力にはそこそこ自信があるつもりだったのだけれど、この時間は苦行としかいいようがなかった。移動するのが辛いのはもちろん、それに加えて廊下でたむろしてる高校生だろう集団とすれ違うたび物珍しそうにジロジロと見られるのがひどく苦痛で仕方がない。やめて下さい図書室に行きたいだけなんです、と心中でひたすら弁解をくり返したりもした。

  高校棟一階のつき当たりにある昇降口にどうにかたどり着いて、重たい荷物を下ろして小休止をとる。とうに疲れているが図書室は三階、階段を上がらなければならない。一呼吸整えてあたりを見渡すとバスケ部らしきユニホームを着たガタイのいい面々が体育館入口で練習前のミーティングをしているようだった。まだ昼休みも終わってないのに大変だな、とこれといって部活に所属していない僕は一人そう思う。体育館と武道場と体操場が各所に設けられた体育棟から暑い季節ということもあってか、青春のニオイとでもいうべき汗臭さ脂臭さ制汗剤などが入りまぜになった刺激臭が一層強く漂っていた。体育会系のノリが苦手ということもあって、練習が始まる合図の雄叫びが響くたび身をすくめ隠れたくなる。ここは長居する場所じゃない、先を急ごう。早々に歩を進める判断をした僕は再びバッグ諸々を担ぎ、未だやかましい後ろを尻目に階段へと足を伸ばした。

  机の上にかっ開かれた二枚のふたつ折りの紙は今学期の結果をまじまじと見せつけてくる。僕の合計は37、三八のは38。……勝敗は言わずもがな。ヤツはといえばガッツポーズでシャーなんて喜びわめいている。負けたのか、コイツに。また負けてしまったのか。

  「おっしゃー勝ったぜ勝ったぜ! すべからく新作のレギュラーダブルを神妙におごりやがれ!!!」

  勝ち誇った笑みを浮かべて小躍りしながら、三八は椅子に腰かけうつむく僕へ思う存分たかってくる。

  「くそっ……阿呆のくせにナマイキぬかしやがって」

  「ふーん、“阿呆”とはなんだアホウとは。成績ごとき勝てない相手をアホ呼ばわりかー?」

  ここぞとばかりにあおり文句をぶちかましてくれるが、今回ばっかりはぐうの音も出ない。神経を逆撫でする口調はウザいなんてものじゃなく、尻尾が今にも暴れたそうにしているのが無意識にわかる。なにかして裏をかいてやりたかったものの、僕の通知表に切り札はないに等しかった。

  「まーそんなしょぼくれるなって。評定5はイッサのほうが多いんだし」

  「なら、この勝負の判定は引き分けになってもいいんじゃ」

  「ホント都合のいいお目々してんのな。オレには評定2がないからその主張は無効だぜ?」

  苦し紛れのハッタリを容赦なく切り捨てられて顔から火が出そうになる。ヒゲがピンと張って耳が真上に伸び、脳内をハズカシイという感情が埋め尽くしてゆく。やられた、まんまと自ら墓穴を掘ってしまった。なんの気なしに言ってしまった後悔に頭を殴られ、机に突っ伏し白旗を掲げる。

  「負けました……、もう勘弁して下さい」

  「ふふん、素直でよろしい。二学期は頑張りたまえってな」

  思えば三八に口論で勝った試しがない。頭の回転が早いのか巧妙な話術を操るのか、たとえ不利な手札でも相手を丸め込み自分の言い分を呑ませるのが得意なようで僕は常に大敗を[[rb:喫 > きっ]]していた。

  「んで、見るからにうなだれているところ申し訳ないんだけどさ」

  「……なに、死体蹴りでもすんの」

  腕組みから顔だけ表に出して、涙目になりかけのまなこでやっこさんを見つめる。

  「流石にそこまでしねーよ。廃墟の件で正確な集合時間を決めときたいんだ」

  「ああ、稲根川で落ち合うやつね」

  一連のやり取りで卑屈になりきっていたところに別の話題を持ち上げられたので、姿勢を戻して向き直った。三八は学内での使用が校則で禁じられているスマホを平然と取り出して、地図アプリを開き時刻表をいじっているようだ。先生がやってくるかもとか全く気にしないのだろうか。

  「イッサってさ、確か真昼間に出歩くのがキツいんだよな」

  「うん。毛皮のせいでいつも死にそうになるから無理」

  黒毛の獣人にとって夏の日照りが脅威に他ならないのは今や常識となっていた。昔はともあれ、近年の酷暑は白毛の獣人さえ耐えかねる。その上、太陽光を効率良く吸収してしまう黒色は重度の日射病を引き起こしかねない。かといって中学生が日傘を差すというのもおかしいので、基本的に僕は昼間に外へ出歩かない生活を送っていた。名実とも日陰者であるという事実は[[rb:伊達 > だて]]ではない。

  「じゃあ四時頃集合ってことにしようか。オレは一旦家帰って準備してから向かうかな」

  「午後四時なら陽も傾いているだろうしたぶん大丈夫。そういや、今回行くのってどんな廃墟?」

  「それは着いてからのお楽しみってことで」

  「嫌な予感しかしないんだけど……」

  不敵な表情を浮かべ尻尾をフリフリしていることから察するに、曰くのない廃墟ってことはまずなさそうだ。どんな情報筋からいつも拾ってきているのか甚だ疑問ではあるものの、いつの日かの廃団地みたいな事件が起こらないことをただただ願って止まないでいる。

  「そんじゃオレ帰るわ。イッサは家戻んないの?」

  「このクソ暑い中自転車漕ぐのは難儀だから図書室で暇を潰すつもり、本も借りたいし」

  「相変わらず本の虫だなー、頭でっかちも大概にしとけって」

  「うるせぇ。とっとと帰れアホンダラ」

  見るからにスカスカのカバンをしょってケラケラと景気のいい笑い声をあげ、こちらに手を振りながら出入り口からスタスタ離れていった。後に残されたのは教室に一人きりの僕と、大量の荷物だけ。どのようにまとめようか一思案しつつ相変わらず調子のいいヤツだなと三八のことを考えていると、またしても狐ならぬ狼につままれたことにあっと気がついた。そもそも僕は誘いを断る腹づもりでいたのだけれども、再び口車に乗せられ約束してしまったのだ。自然な流れで廃墟探検の話題を持ちかけられたこともあるが、いずれにしろはめられたことに変わりはない。ここまでくるとアホに対する怒りよりも、幼なじみだからといって気をゆるめてしまう自分の愚かさにウンザリしてきた。結局は手のひらの上で踊らされていた事実に、すでに瓦解寸前の自信がことごとく粉砕された音がする。完膚なきまでにおちょくられ魂の抜け殻と化した僕は、椅子にもたれかかり精神が回復するまで長い時間を要したのだった。

  三階まで上りきった頃には僕はすっかりできあがっていた。ただでさえオーバーワークなところに一刻前の醜態がフラッシュバックしてきて、冷房はガンガンなのにのぼせたふにゃふにゃの猫が登場したという次第だ。図書室はもう目と鼻の先、体力も気力も限界が近づいていた。のそのそ身をよじりながら数メートルの幅を縮め、行き場のない怒りをほんのりと込めて強引に扉を開く。

  カララララララ

  図書室の引き戸は見た目よりもずっと軽い。なにかイヤな出来事があった日に力任せで開けようものならピシャーンとけたたましい音を立てて、黙々と読書へ集中する時間に水を差すことは必至であろう。ただ実際は、そんなよくある堅苦しいイメージとは全く異にする空間なのだけれど。

  「ごめんくださーい」

  「はーい」

  奥からもぐもぐに混じった声が返ってくる。流行りのライトノベルが整然と並べられたラックの列を抜け受付カウンターへ向かおうとするも、荷物が一々ぶつかりそうになるのがわずらわしくて身をよじりながら[[rb:十文字 > ともじ]]に踏む。ちょうど図書準備室から出てきた先生はお昼休憩中だったのか、箸と空になった弁当箱を左右に持ってカウンター前に僕が来るのを待っていた。

  「あら、一朔くん……大丈夫? その荷物はどうしたの」

  「こんにちは三浦先生、ちょっと色々持って帰りそびれちゃいまして。どうにも教室に置いておくわけにはいかないようで、こうして無理やり抱えてます」

  この図書室を管理している司書教諭である羊獣人の三浦先生は、いわゆるスクールカウンセラーとしての一面がある。別に正規の教育相談室は設置されているものの、そのお人柄や雰囲気のよさから本好きや勉強好きにとどまらず沢山の生徒がここを利用して先生に悩みや他愛ない会話を持ちかけているようだった。面倒見がすこぶるいいこともあってなのか普通なら絶対ないような軽めのマンガ本やらOGが作ったらしいオリジナルキャラクターのぬいぐるみやら、果ては飲食が可能な畳のスペースまで備えられている。更に付け加えるならばラジカセを使って周りの邪魔にならない程度の音量で音楽を流す猛者だっていたらしい。かくいう僕もこの心地良い寛容さやフリーダムな空気に惹かれて、一年の夏から本格的に入り浸り二年次には即座に図書委員へ立候補したものだ。

  「ご苦労さま、三階まで上ってくるのも中々だったでしょう。確か自転車通学だったわよね?」

  「はい、そうですが」

  「その量だと漕いで帰るのは厳しいと思うわ。バランスを崩して車にはねられでもしたら大変よ」

  「あー……言われてみるとそんな気しかしません」

  思えばそうだ、自転車に積んで家へ帰ることを完全に失念してた。カバンをママチャリのかごにつっ込むか今みたいに背負うかして残りの紙袋とエコバックを両ハンドルにかければ理論上は可能かもしれない。が、その状態で勾配の上下がはげしい長い道のりをうまいよう乗り切ることを到底現実的とは言いがたい。事故らないほうがおかしいってもんだろう。

  にっちもさっちもいかない僕の心境を察したのか、先生はちょこんと生えたツノをすこしかいて苦笑いを浮かべた。

  「一朔くんは夏休みも当番でここに来るのでしょ? だったら、置いていってもいいわよ」

  「えっ、本当ですか?!!」

  予期していなかった助け舟がやってきて、有り体に喜んでしまう。優しい方だ。

  「いつもいい仕事っぷりを見せてくれるお礼みたいなものよ、このくらい気にしないで」

  「しかしいいのですか? 原則荷物のとりおきは禁止なんじゃ」

  そういや図書委員の先輩に、何かと半端な事情にかこつけて荷物を預けている人がいたような。

  「ええ、だから少しずつ持って帰るのが約束。いつまでも放置されるとこっちが困っちゃうから」

  今回の場合先生から提案して下さったのだから、乗らないとあえて意地を張るのも無粋ってもんだろう。いずれにせよ、ありがたいことこの上ない。

  「勿論ですとも、ありがとうございます。ご親切、痛み入ります……」

  「そんな堅くならなくてもいいのよ、まあ安心してゆっくり休んでいきなさい」

  そういって先生は休憩を終えたのか、作業に戻っていった。さっきからずっと背負っていた諸々をドサッとその場に降ろし、やっと肩の荷がなくなったところで大きく伸びをしてコリをほぐしにかかる。首をぐるりと回して一しきりボキボキ鳴らしたあと、近くの四畳半の台にしゃがみ込んで深くため息を吐く。今のところ図書室には僕以外三、四人いるように見える。これなら人目を気にする必要もないかと、カバンから小箱を取り出しお弁当を広げた。本日の品目はおかかのご飯と、アルミホイル包みの肉団子、アスパラのベーコン巻き、冷凍食品のほうれん草のおひたしとコーンのグラタン。デザートは好物の缶詰のパイナップルで、一気にかっ込み水筒の麦茶で流す。丁寧にご馳走さまでしたをし、喰った喰ったとばかりに行儀が悪いのも気にせず四畳半の上で横になる。

  ボーッと天井を眺めていると、外から楽器の練習する音が聞こえてきた。今週の野球応援はもう終わったのだろうか。換気用に開かれた窓から熱風が流れ入り、空調の冷風と汽水域を織りなす。蝉の声と変圧器の稼働音は、この空間の静寂をより際立たせる。とり留めも脈絡もない思考が続くと思っていたら、途中で硬い岩盤にぶち当たった。夏休み、中学校、……そして幼なじみの三八。

  僕はこの夏休みをどう過ごせばいいんだろう。そんな一つの命題が肺が焦げそうな炎天下の外気みたいに、青いくせして内側から鈍く肉迫してきやがった。

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