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帰り道

  「…………」

  「…………」

  気まずい沈黙が続いている。かれこれ二十数分ぐらいか、互いに目も合わせられぬまま、なにか切り出そうにも言い出せぬまま。僕と三八はとっくに沈んだ太陽を背にして、空の色が橙から藍に移り変わってゆく中をずっと歩いていた。

  夜が近づいている。駅に着く頃にはあたりも暗くなっているだろうか。遠回りすることをあえて選んだ分、家路への道のりはだいぶ遅くなっていた。

  窓から外へ飛び出した後、僕らは廃病院を取り囲むようにして生えていた木々にしがみつくことで命からがら難を逃れた。正直生きている心地がしなかったものの地面に降り立ち見上げてみれば建物が黒煙を立てながら炎上していることがわかり、身を投げ出す判断が正しかったのを確信したと同時にロボットの爆発に巻き込まれず済んだと心底安心したものだ。

  けどここまで逃げれば安全という保障はどこにもなかった。この様子だと、崩落するのも時間の問題だ。この敷地から早く脱出しようと三八に言わんとして隣を見ると、ヤツはスマホをいじっていた。こんな時になにやっているんだと尋ねたところ、どうやら裏道を探しているらしい。聞けばおそらく廃病院の近隣の住民は何かが爆発したことに気づいて通報しているだろうから、表の道に出ると消防とすれ違って怪しまれる恐れがあるという。だからここは抜け道を使って[[rb:迂回 > うかい]]できれば少なくとも関係者として認識されることはない、と考えたとのことだ。その発想には一理あった。確かにロボットを壊したのが僕であることは紛れもない事実なのだけれど、向こうから直々に危害を加えてきた上わざと爆発させたわけでもないためこの件で警察の取り調べを受けるなんてご遠慮願いたい。三八の提案に乗っかった形で廃病院を後にすることを決断した。去り際にふと、後ろを振り向く。炎はすでに廃墟の全体まで回っていて、ここからでもその熱を感じとることができた。あのロボットは本当になんだったんだろう? ここに立っていても当然答えなど出るわけもなく、ヤツに促されるまま僕は先を急いだ。

  そうして、現在に至る。色々あって動き回ってドッと疲れたというか元気を使い果たして、喋ることすらままならないというのが実状なのかもしれない。率直にいえばとっとと家に帰って布団で眠ってしまいたい気分だったのだ。やっと林を抜けて公道に出たあたりで、おもむろに三八は手をかかげた。なんだろうと注目するのを待っていたとばかりに、目も合わせずヤツは語り始める。

  「なあ。こう、空気が重いとオレは我慢ならないんだ。せーので今思ってんことをぶちまけるぞ」

  「ああ……うん、わかった」

  どうにもこの長い沈黙に堪えかねたみたいだ。話したいことが山ほどあるのは僕も同じだった。今日あった出来事をあれこれ想起する。その中で一番気になっていた、あることを聞いてみようと心に決めた。三八は腕をふり下ろして、合図を出す仕草を見せる。

  「いいか? いくぞ、せーの——」

  「謎のロボットの正体!」「……キスすんのも悪くなかっただろ」

  「「え」」

  予想していたものと全く違う返しに僕たちは思わず足を止め同じタイミングで顔を見合わせた。互いのどことなく真剣な表情がおかしくて仕方なくって、誰ともなしにぷふっと吹き出す。

  「なんだ、ザッパがなにをいうのかと思えばそんなことって……ひひっ」

  「イッサこそ倒しちまった相手に今更なにを……へへへ」

  いつの間にやら変な緊張はどっかへ飛んで行ってしまった。なにか一語発するたびゲラゲラ笑いがこみ上げてきて、腹をよじらせつつそぞろ歩く。駅まであとちょっとなのが惜しいくらいだ。

  「ロボットが止まったあと開いた穴に落ちそうになってさ、ホント自分ってドジだなーって」

  「そりゃあ災難だったな……、結局ロボットはどこから来たんだ?」

  「ええとね。建物が地下までミルフィーユの断面みたいにくり抜かれていて、まさにデザート気分だったよ」

  「おーこわこわ、そりゃ甘いもんでも食べれねぇや。やっぱオレの直感もバカにならねぇぜ」

  夜の虫たちが大合唱を奏ではじめようとしている。若干おかしなテンションのまま、次なる話題を振ってみることにした。

  「で、なんで自分にキスなんかしてきたの?」

  「なっ?! それを聞きにくるかよ……」

  「聞かれるもなにも、言い出しっぺはそっちでしょ」

  「あー。まあ……そうだな」

  三八は少し考える素振りを見せながら尻尾を大きくぶんぶん振ってモジモジとしている。さっきあった一連のキスシーンが呼び起こされて、心なしか再びヤツがかわいく思えてきた。

  「もちろんイッサならわかると思うんだけど、オレってオオカミじゃん?」

  「そんなの当たり前だよ。昔からの付き合いだし絶対にイヌ獣人でないことはわかっているって」

  オオカミ獣人を“イヌ”と呼ぶことがタブーにあたることくらい、ネコである僕も知っている。

  「へへ、あんがとな。オオカミって生き物はかなり鼻が利くんだ。“ニオイ”がオレら種族の社会性を作るといっても過言じゃない」

  「ふーん。なんだかザッパらしくない真面目な話だこと」

  「オレがたまには真面目なこといっちゃ悪いか? おらしょっと」

  そういうと僕を抱き寄せて、うなじの部分をクンクン嗅ぎはじめた。慣れたのでもう驚かない。

  「もう……暑いってば」

  「そう。このイッサの匂いが、オレは大好きなんだ」

  「それがオオカミのシャカイセーとやらとなにか関係があるの?」

  三八は僕を解放してちょっぴり恥ずかしそうな、けれど朗らかな笑みを浮かべた。

  「オレたちの間では仲のいい者同士で匂いを分かち合うのが親愛の証なんだ。親友じゃ物足りないって言ったろ?」

  「あ、確かにそんなこと呟いてたかも。最後のほうはよく聞き取れなかったけど」

  「あっ——あれは別にいいんだ!! オレの本当にいいたいことはさ、イッサと匂いを共有することでより特別な関係だということをアピールしたいってわけだ」

  「親友以上の特別な関係ね……男同士なのに、なんか変なの」

  率直な感想にヤツはがっくしきたみたいで、尻尾が明らかに気力を失くして垂れ下がっている。シュンとしてしまった様子に思わず補おうと言葉をつないだ。

  「あ……、その。変ってのはここでは悪い意味じゃなくて不思議だなーくらいの気持ちだからさ、そんな見るからに落ち込まないでよ。まるで一方的に悪口をザッパにいったみたいじゃんか」

  「いいや。強引にキスをお願いしたオレが悪いんだ……ホント、嫌な思いさせちゃってゴメンな」

  「キスが嫌だったなんて、自分は一度も言ってないよ?」

  「えっ」

  言葉一つ一つに合わせてコロコロ表情を変える三八。子供かと内心ツッコミを入れたくもなる。

  「改めていわせてもらうけど、ザッパとのキスはすごく楽しかった。舌を交わらせることが本当に親友を越えるために必要なことなのかよくわからないけど……またやってもいい——ってうわ!?」

  僕が話している最中なのにもかかわらず、頬にポフッとマズルが重なってきた。ふわっとヤツの匂いが漂って、カンテラに火が灯されたように心の中で優しい暖かさが広がっていく。

  「イッサ、お前ってやっぱ最高だ。大好きだ!」

  「くすぐったい上に暑いってさっきから言っているじゃんか……まったく」

  やや強引に払いのけてから、遠くでサイレンがウーウーこだましていることに気がついた。はたと我に返った僕と三八はできる限りそれを耳にするまいとしてか、足を動かすことに集中する。

  「なんか鳴ってるね」

  「おおよそ消防だろうな。いつにも増して行動が遅いっての」

  「自分たち、捕まっちゃうのかな?」

  「さあ。あんなこと誰も信じないし、誰にもバレりゃしないって」

  テクテク歩みを進めていると、頭で腕を組んだ姿勢のままヤツはポツリと一言漏らした。

  「イッサ。オレはこの件で一つ、学んだことがある」

  「どうしたのザッパ、突然改まっちゃってさ」

  「いや……もう廃墟探検するのに[[rb:懲 > こ]]りたってことさ」

  らしくない発言に三八のほうへ目をやると、斜め上の空を見ていた。何を考えているのだろう。

  「今回はたまたまイッサがいてくれてオレも壁に投げ飛ばされるだけで済んだけど、本当だったら殺されていてもおかしくはなかったと思う。廃病院の地下にあんなデカブツが居座っているなんて前もって知れるわけもねーし、想定できてなかったオレがバカだったって話だ」

  「まあ、探検帰りにいうのもあれだけども廃墟ってそもそもが危ない場所だしね」

  「それに……」

  今度はすこしうな垂れた様子を見せて、ヤツは続けざまに言葉を紡ぐ。

  「オレはもうこれ以上、イッサを危険な目に遭わせたくないんだ」

  その一言にはやけに感情がこめられていて、すこしドキッと揺らいでしまいそうな自分がいた。慌ててなにか返そうと必死に頭を働かせ適当な表現を取捨選択する。

  ええと、ええと……。

  「ね、ネコの手にかかればあんなのどうってことないにゃん! 大丈夫!」

  なぜこんな言い回しがいきなり出てきたのか僕自身にもさっぱりわからない。口にした張本人の自分からしてもなにいってんだコイツと容赦ない非難が浴びせられる。

  「イッサも案外、面白いこというようになったな」

  「えっ、あぁ……ありがとう?」

  「どういたしまして。人の目が気にならないぐらいが丁度いいんじゃねぇの」

  駅はとうに目前で、車通りや人の往来もそこそこに見かけるようになっていた。自らの軽はずみな行いを素直に悔い、大変いたたまれなくなって赤面を両の手で覆い隠す。

  「……お見苦しいところをお見せ致しました」

  「別に気にしちゃいない、むしろ日常に戻った感じがして安心したさ」

  ヤツからしたらこれが日常なのかと疑問に思ったものの、若干気がまぎれたことは確かだった。

  「はぁー、いつもザッパには敵わないや」

  「——いつか、オレをその爪でバラバラに引き裂いてくれよな」

  へ? 今しがたなにかとんでもないことが聞こえた気がする。

  「なんか言った?」

  「いいや、なんも。ほれ、駅に着いたぞ」

  「あ、うん。案内ご苦労さまでした……」

  僕らは駅に入って、何事もなかったように違う電車に乗ってそのまま別れた。車内は相変わらず人もまばらでシートに深く腰をかける余裕もある。家に着く頃には八時を回っているだろう、特に門限で怒られる心配はなさそうだ。どうせ終点駅の[[rb:米才 > よねざえ]]で降りるのだから眠ってしまっても問題はないのだけれど、やけに神経がヒリついてここでは落ち着くことなどできないふうに思えて仕方がなかった。

  それと同時に、三八と縁を切るという考えが抜け落ちてゆくのを、頭のどこかで感じていた。

  「ぷはー」

  夏の風呂上がりほど気持ちのよいものはない。日中にかいた汗をさっぱり流してぬるめのお湯が張られた浴槽にザブンと浸かれば、一日の疲れもほどよく落ちるというものだ。大きめのタオルで水気を拭きとりある程度毛並みを整えて、あとは乾燥を夜風に任せゆったりと時間を過ごすことが最近の日課となりつつある。

  「おや一朔、お風呂上がりかい?」

  リビングに行くと、三毛猫の祖母が安楽椅子に座り扇風機の風を受けていた。僕も風を浴びようと首を振る扇風機の前にしゃがんで恒例行事の如くあー、と声を出す。

  「あ゛ー、へ゛ん゛な゛こ゛え゛〜」

  「あまり行儀のよくないことはよしなさい、一朔」

  「いいじゃんか、おばあちゃんこそ冷えすぎないよう気をつけなよ」

  テレビに放映されたくだらないバラエティー番組がエンディングへと差しかかろうとしていた。スタッフロールが流れる頃合いを見計らって、祖母はリモコンのボタンを押してチャンネルを変更してしまう。

  「ああちょっと、ドラマ観たかったのに」

  「最近のドラマは頭が悪くなる。本当ならテレビだって見せたくないのさ」

  「そんなこと言いつつ芸能人が好きなんでしょ、おばあちゃんばっかりズルいってば」

  「わたしゃもう脳が弱っているから何を見ても構わんのよ。一朔は自分の頭をしっかり大切にね」

  気遣われているのかただテレビを独占したいだけなのか、チャンネルはローカルテレビ局のものへと移った。時刻は間もなく9時になろうとしている。

  「そういやお父さんとお母さん、まだ帰ってこないの?」

  「今日は11時に帰ると聞いた。仕事が片づかなくて残業するなんて、まったく情けない」

  両親への嫌味を聞きげんなりするのもほどほどに、画面は夜のニュースへ入ろうとしていた。

  『9時です。ニュースをお伝えします』

  キリン獣人のアナウンサーが滑舌のよい声で話し始める。いつもみたいに取り上げられる最初の話題を待っていると、映し出されたポップと読み上げられた内容に、目と耳を疑った。

  『今日6時半頃、[[rb:広山 > ひろやま]]市付近の元医療施設で起こった火災の消火活動に伴い身元不明の遺体が発見されました。県警によりますと遺体は未成年のオオカミ獣人のものと断定され、死後それほど時間が経っていないとのことです』

  「あらやだ。怖い事件もあったものだね」

  映像は廃病院が煙を上げている姿を報道ヘリが撮影しているものに切り替わる。

  『遺体は損傷が激しく、身元特定のため調査が進められています。現場の田中さ——』

  プツン

  「ちょっと一朔なにするん——、……どうしたんだい、そんな青い顔して」

  耐えきれない。これ以上は見たくも聞きたくもない。僕は反射的にリモコンを手に取り強制的にテレビのスイッチを切った。祖母はただらぬ様子を察してか、心配そうにこちらを見つめている。

  「ゴメンおばあちゃん。気分悪いから、部屋に戻るね」

  「あ、ああ……おやすみなさい」

  極力普段通りふるまったつもりだったものの、はたから見たら僕の顔はかなり引きつっていたに違いない。ふらふらぐわんぐわんする頭を抱え、自室までの廊下で全てを回想する。

  制服姿の三八、話が噛み合わない一連の流れ、入れ違いに現れた私服姿のアイツ、地下に眠っていた謎の巨大ロボット。

  ……わけがわからない。あの廃病院で一体、なにが起こったんだ? 身元のわからないオオカミ獣人の死体は一体何者なんだ? あの場所に三八は二人いたのか? 帰り際に挨拶をしたアイツは果たして本物なのか? 考えても考えても結論は出てくれはしない。

  もはやショートした脳ミソを使う気にもなれず、ドアを開けて敷かれた布団に気絶寸前の意識を横たわらせる。ふと、手にカチャ……と触れるものがあった。ヘッドフォンだ。本人かどうかすらわからない三八に形見といわれ手渡された、あのヘッドフォンだ。耳に当ててみても当然、あの時みたいに変な声なんて聞こえない。そういえば帰ってからも畳に置きっぱなしで、実際にどんな音が鳴るのか試していなかった。持ち運び用として常に携帯していた音楽プレイヤーのスイムマンにイヤホンジャックを繋いでみる。今宵流すアルバムは、DCMレーベルのサックスフォンとピアノのデュエット。 “[[rb:Kyrie > キリエ]]”と名のついたトラックが再生されると、途端に耳に渋い響きが広がり音楽が満ちてゆく。ああ、やっぱりジャズはいい。ささくれていた心が元に戻って、思考の流れが[[rb:収斂 > しゅうれん]]し地に足が着いた。だからといって諸々が片づくわけもないのだけれど。

  今日あったことは、たぶん一生忘れられそうにないと思う。いやむしろ、今日こそが今後起こりうるなにか、大きな物語の幕開けなのかもしれない。未来予想みたいな大層なことじゃない、ただ直観がそうささやいているだけだ。だったら僕は、明日を生きてみよう。今しがた訪れようとしている日々が、爪を許したことでどう変化するのか、この眼に焼きつけたい。夏休みはまだ始まったばかりだ。これから“何”が待っているのだろう? そんなことに想いを馳せつつ、今日のところはゆっくりと瞳を閉じることにした。耳元で鳴る、心地よい序曲と共に……。

  こうして、僕らの夏がはじまった。

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