VRライドレディー

  とあるスタジオ。

  その日もあるバイクメーカーの最新モデルの撮影が行われている。

  もちろんメインは最新モデルのバイクだが、それに花を添えるサーキットレディーの存在も欠かせない。

  トキナもまたその一人として最新バイクのアピールモデルの仕事をしていた。

  グラマラスとは行かないがスタイルの良い身体を引き締めるように彩るレーシングスタイルのワンピース水着ともレオタードとも取れる衣装に包み、しなやかな手足の仕草も加えてバイクに彩りを添える。

  その整えられた長い髪をたたえたクールな中にも癒やしを感じさせる顔立ちもまた彼女の魅力となっている。

  髪をゆったりとかきあげてみたり、バイクと寄り添うようにたたずんでみたり。

  今回の撮影はバイクがメインと言う事、そしてバイクにこだわるスタッフによる撮影と言う事もありトキナも過剰なポーズ、例えばそのサーキットレディの衣装でバイクにまたがるとかのポーズ等は指示されていない。

  この辺りは彼女の事務所がモデル派遣においてかなり厳しい条件を課しており、それに守られている事も大きい。

  だからこそトキナも最低限のラインにおいて思う存分モデルとして活躍できていると言える。

  そのせいかポーズを取りカメラのレンズにその身をさらすトキナの中には心地よい高揚と適度な緊張感が満ちている。

  ただ、彼女の中にも多少は不満はあった。

  今回タイアップをしている様なバイクはもちろん彼女はまだ運転免許を所持してはいない。

  せめてこういう時くらい気分は味わいたいとは思うがこの辺りは仕事の難しい所。

  その辺りを割り切りつつ顔に出さずに彼女はカメラの前に立っていた。

  そんな彼女を見るある目に気づく事なく。

  「撮影終了です、お疲れ様でしたー!」

  「お疲れ様でした!」

  撮影スタッフの声がスタジオに響く。

  撮影は無事に終了しあとはそのデータを編集した上で良い記事写真としてまとめるだけである。

  トキナもあいさつを済ませ、持参していたボトル入りのお茶を飲みつつ一息入れていた。

  「お疲れ様、トキナ。今回も良い具合だったわよ」

  そんなトキナに声をかける人物がいた。

  年の頃は少なくともトキナよりは上、ややガッチリしたものを感じさせながらも艶を感じさせる「大人の女性」の空気を漂わせている。

  「社長、おはようございます」

  トキナは少し姿勢を正してその人物―社長に頭を下げる。

  「仕事のついでに来てみたけど、やはりいいわね。磨けばもっといいものを出せると思うわ」

  「ありがとうございます、社長!」

  トキナは心からの礼を言う。

  実際彼女がこの道に入り、歩めているのはこの社長との出会いによるところが大きい。

  社長からすれば必ずしもお気に入りと言う訳でもないようだが、トキナはこの社長を慕っているのは確かである。

  「ところでトキナ。このあと空いてる……わね」

  軽く間をおいて社長は軽い苦笑いを覚える。

  この社長からすれば社員であるモデルたちの仕事における真っ当なスケジュール把握も社長職の一環らしい。

  「ちょっとモニターを頼まれて欲しいものがあるの。あとでオフィスまで来てくれない?」

  トキナがうなずくのを見ると社長はスタッフ達とやり取りをしながらそのままスタジオをあとにした。

  [newpage]

  トキナの所属するタレントオフィス。

  小さなビルを所有しており、他にも色々な事業を手がけているとの事だが、その実情は意外とわかりきれていない。

  社長の手腕による所もあるが謎も多い会社である。

  ただ、その経営や所属モデルの待遇の良さでその辺りの印象が補われているのは事実である。

  「社長、モニターしたいものってどこにあるんですか?」

  社長室、落ち着いたデザインの私服に着替えたトキナは社長室を訪れるなりそう訪ねた。

  「あいにくだけど今ここには無いわ。その代わり……」

  そう言って社長がトキナに見せたのは一枚のカードキーだった。

  「これは……」

  「我が社の特別区画の鍵。そう言えばだいたいわかるわね?」

  社長はカードキーを手に微笑んだ。

  どうやらこの件はちょっとした秘密事項らしい。

  オフィスビルの某所にある特別区画。

  本来は社長と一部スタッフのみが入る事のできる区画である。

  各種資料などの置いてある部屋の先、さらにカードキーで開ける扉の先。

  やや薄暗い部屋の中にトキナと社長の姿があった。

  「これ……ですか?」

  目の前に置かれた物体にトキナはおもわず息を飲む。

  そこにあったのはやや大きめの台、その上に備えられたレーシングコースのミニチュアだった。

  一見するとホビー用のミニチュア駆動車用のコース取りをしており、他車の妨げにならない為のライン取りがされている。

  しかしそれ以外は世界の有名なコースの数々を思わせる本格的な直線、カーブ、段差など実際の車を走らせる事を意識した様な作りになっている。

  もしこれが本物のコースなら腕利きのチームが腕を試そうと押しかけずにはいられないだろう。

  あるいはミニチュアカーのコレクターなら自慢の一品をこのコースに置いてしばし思いにふけるかもしれない。

  それほどに作り込まれたコースである。

  「どう?よくできたコースでしょ?」

  その手前で社長は自慢げな顔をして言った。

  「ええ、確かに良くできていると思います。それで、このコースとモニターの件とはどういう関係が……」

  そう言いかけたトキナを遮る様に社長はコースの横にあるものにトキナを案内する。

  それは最近では大きなアミューズメントセンターでしか見ないような大型のゲーム筐体を思わせる機材だった。

  ドームかカプセル状の外装の中にはそれらしい操作装置が据え付けられている。

  二つ並んでいた機材のうち一つの隣で社長はやや得意げな顔でトキナと向かい合っていた。

  「うちのお得意様関係からちょっと試してもらえないかと頼まれた機材よ」

  そう言いながら社長は一台のミニチュア駆動車をかざして見せる。

  オレンジに黒いラインが印象的な高級スポーツカーを思わせるデザインの駆動車だ。

  「これをコースで走らせるの。この機材もいつもならわたしと……まあいいわ。今回はトキナにこれのモニターをお願いしたいの。「あなた向き」の仕事と思って」

  そう言いながらやや意味ありげに機材に手を回す。

  トキナとしてはかなり妙な事を頼まれたと思った。

  しかし、社長がまさかの部外秘区画に呼んでのモニターだけにうかつに断る事もできない。

  それにトキナ自身この手のゲームに関心がない訳ではなかった。

  「わかりました。これも経験ですよね」

  そう殊勝に答え、早速筐体の中に入ろうとするが……。

  「待ってトキナ。それと一緒に試して欲しいものがあるわ」

  そう言ってトキナを止めた社長の指先は「Rocker&Shower」と書かれた扉を指している。

  仕事柄それが専用の衣装に着替える事、そしてそれはすでにあの奥に用意されている事を悟ったトキナは静かにうなずくと扉を開け、その奥に消えていった……。

  [newpage]

  ―これが今回の衣装……水着ともちょっと違う感じ-

  ―なんだかサイズが小さ過ぎる様な……良かった、思ったより着やすそう―

  ―わあ、足にどんどん吸い付いて来るみたい。ちょっと気持ちいいかも―

  ―ここはこうして……ちょっとキツめだけどやっぱり肌に合って来る感じ―

  ―あとは……これね?ホントに着けなきゃいけない……でも、ここまで着たら―

  ―これ、わたし……よね?-

  「お待たせしました……」

  「Rocker&Shower」の扉を開けて現れた人物を一目でトキナと理解する事は容易ではなかった。

  その姿はトキナが仕事でよく身に着けるワンピース系の水着やレオタードとは全く違っていた。

  ライトブラウンの衣装は水着やレオタードよりも広くトキナの全てを覆い包んでいる。

  両手足の指先から、腕、脚、肩、腰、胸、腹部。

  そしてー顔。

  顔を覆う中からわずかに見える目元と口元以外トキナの全てを余す事なくキュッと覆い隠し引き締めるライトブラウン地にライトブルーのラインが彼女の体の輪郭をなぞり彩るように張り巡らされている。

  例えるなら人間の女性の形をした配電盤―それが今のトキナの姿だった。

  その姿は異様でありながら何処か美しい。

  とは言え実際はそう言うデザインの全身スーツを着ているだけあり、ちょっと体を動かせばスーツの素材とトキナの素肌が軽く擦れる音が聞こえる。

  もともとモデルだけありスタイルの良さは折り紙付きのトキナのシルエットがこの異様なデザインの全身スーツにより際立っている。

  「さすがにこの衣装、ちょっと恥ずかしいと言うか、変な気分になるんですけど……」

  トキナはピッチリとしたマスク越しに恥じらいを浮かべる。

  その「変な気分」がインナー越しとはいえ素肌越しにそのピッチリとしたスーツを着ているせいか、顔までピッチリとしたマスクをかぶっているせいかははっきりしない。

  ただ、着替えと言うより「変身」に近いこの衣装がトキナに未知の感覚をもたらしていたのは確かである。

  「素敵よトキナ。あなたのサイズを元にデザインしてもらっただけはあるわ」

  そう賛辞を送る社長の姿にトキナは一瞬自分の恥じらいを忘れてしまった。

  そこにいたのは頭までオレンジ色にピッタリと覆われた女性の姿だった。

  トキナよりも一回り大きく、体格もどちらかと言うとアスリート系に見えるが同時に女性としての艶も感じさせる。

  その姿は間違いなく今のトキナと同じ様なスーツにぴっちりと包まれており、その体のラインもより印象的に引き出されている。

  ただ、トキナのそれと違うのは彼女のスーツはオレンジ一色に黒いラインが入っている。

  また、腰の辺りにはパレオかショートパンツかの様なものが意味ありげに存在していた。

  [pixivimage:72922089-1]

  これは彼女ー社長のセンスなのだろうか。

  これ以上は多分聞いてはいけないと言う気持ちを無意識に押し込めつつもトキナは社長の姿に妙に感心していた。

  「だいたい分かると思うけどそのスーツはこの機材と連動しているの。早い話が流行りのVR式と言う所ね」

  社長はそう言いながらそのオレンジ色の姿でトキナに歩み寄るとあるものを渡す。

  先程社長が持っていたものとはまた違うレースカー風のデザインをしたミニチュア駆動車。

  全身ライトブラウンに要所をライトブルーが彩る。

  まさに今のトキナを車に置き換えたような色合いをしている。

  「これがあなたの分身。この中に内蔵された小型のカメラとセンサーがあの機材、そして今のあなたが着ているスーツに動きを反映させるわ。あとは機材の中でスピードや細かい動きを合わせればいいの」

  「ええと、とにかくこの車をあのコースで走らせてそれをあの中で動かす―という事ですね?」

  駆動車を受け取りながらトキナは顔全てをぴっちりと包むマスクごしに開いたその駆動車をしばらく見つめていた。

  「これがわたし……」

  全身を顔までライトブラウンとライトブルーのスーツとマスクに包んだ自分と全身をライトブラウンとライトブルーに彩ったミニチュア駆動車。

  なぜか不思議な共鳴を覚えたのは気のせいだろうか。

  「ささ、いつまでも浸ってないで。モニターテストを始めるわよ」

  ポンポンと手を叩くと社長はトキナを促しつつミニチュアコースにむかう。

  顔までライトブラウンの女性と顔までオレンジの人物が並んでミニチュアコースに立ち、自分の車をコースに置く。

  顔までライトブラウンの女性と顔までオレンジの人物が並んで歩きながらそれぞれの機材の中に入っていく。

  それはどことなく奇妙に見えつつも美しさを感じさせる。

  トキナはスーツ越しに体と心の奇妙な高ぶりを感じながら機材の中にそのライトブラウンの体を滑り込ませた。

  そして、機材の出入り口が静かにしまっていった。

  [newpage]

  やや狭めの機材の中でトキナはそのライトブラウンの足をステップに置き、ライトブラウンの両手をレバーらしきものに伸ばすとしっかりと握る。

  ちょうどそのレバーを握る事で体を支えつつミニチュア駆動車を操作する仕掛になっている様だ。

  『トキナ、聞こえる?まずは慣らし運転からやってみて。それが済んだら……ひと勝負、どう?』

  ライトブラウンに覆われた顔の耳元から社長の声が聴こえる。

  ちょっとした通信端末がついているのだろう。

  「あ、はい。わかりました……」

  そう答えつつトキナは改めて機材の背もたれに体を預けつつレバーを握る。

  その瞬間、トキナの視界にまっすぐに伸びる道路が広がった。

  どこまでも続きそうな道路。

  その両端には広い観客席が立っている。

  「これが……」

  反射的に周りを見回すトキナの耳に再度社長からの通信が入る。

  『そう、さっきコースにおいたあなたの車のカメラとセンサーがスーツ越しにあなたにコースを感じさせているの。さっきあなたが言った通りあの車はトキナ、あなた自身よ』

  そう言われて改めて自分を見回す。

  広く、長く伸びるコースの上に立つライトグリーンのラインに彩られたライトブラウン色のスーツ姿。

  ほぼ素肌の上にピッタリと着込み、その体のラインをくっきり示すそのスーツ姿のままでレースカーとして走る……。

  何ていう光景だろうか。

  トキナは妙に身体が引き締まるのを感じていた。

  『それじゃあ、まずは一周。走っているうちに感覚はつかめると思うわ』

  社長の声に促され、トキナは改めてステップに乗せた足に力を入れ、握っているレバーを軽く絞る。

  それと同時に車―そしてトキナ自身もゆっくりと動き出す。

  「わぁ……」

  ゆっくりとだが体が動き空気をかき分けていく感覚に思わず声を上げていた。

  そのコースは 直線から始まり右急カーブからを抜けるとスロープ。

  左右のカーブを切り抜けると直線、大きなカーブにさしかかる。

  そのあとの直線から左右のスラローム(細かいカーブ)を抜け一気にスロープを越えると最後の直線。

  トキナは両足を踏みしめつつ車のカメラとセンサーがスーツに送る光景と感覚に振り回されながらもコースに体をなじませていく。

  慣らしと言う事でまだゆっくり走行、操作もレバーを握りゆっくりと絞っているだけだがそれでも車が風を切る風圧がスーツ越しに感じてくる。

  カーブを曲がれば体が左右に揺れる。

  直線を進めばいい具合に体を風が吹き抜ける。

  (これが乗り物を動かす事なのね……)

  体を包むスーツ越しに感じるその心地よさにトキナはライトブラウンのマスクの中で軽く笑みをこぼす。

  本人は気づいていないようだが、彼女のスーツのライトブルーのラインがほんのり光っている。

  トキナがレバーを動かし、車の動力が回る勢いに合わせる様に。

  文字通り自分を車と一つにさせる様にトキナは車を、彼女自身を走らせていく。

  『トキナ、だいぶつかめてきたようね』

  最終コーナーを過ぎた所で社長から通信が入る。

  「あ、はい。何だか本物の車やバイクに乗ってみたい……なんて思ったりして……ヘン、ですか?」

  マスクの中から見えるトキナの目と口が少し憂いを帯びる。

  『そんな事はないわ。差はあるだろうけど、これだけの事をしたからにはできればそう思ってほしいとは思うし……』

  「そう―ですね。ありがとうございます……」

  フォローを入れてくれた社長に素直に例を言うトキナだが、社長の言葉が少し口ごもった事にはあえて触れない事にした。

  『さあトキナ、いよいよレース開始よ。良い勝負を期待しているわ』

  その声に反応してからふと横を見ると社長の車が隣にある。

  先程見た実際のコースでは車ごとに区切りがされていたがどうやらこれもこの機材の仕様らしい。

  もちろんあの車―機材の中では腰のショートパンツを除けばあの顔までオレンジ色のスーツ姿の社長が意気盛んにスタート態勢を整えているのだろう。

  両車はラインに並び、トキナも改めてレバーを握る。

  外のコースではライトブルーのラインが走るライトブラウンのレースカー型をしたトキナの車。

  オレンジに黒いラインが印象的な高級スポーツカー型の社長の車。

  二台がそれぞれのコースでスタートの時を今か今かと待ちながら動力を回している。

  レバーを絞る度車の勢いが上がっていく。

  その機材の中、そして仮想のコースの中でトキナの体を包むスーツもそれに合わせるように波を打つ。

  「はぁ……はぁ……」

  自然と呼吸が大きくなるのを感じる。

  クルマのフレームの中で動力が、タイヤが、車を支える全てが震えているように今トキナの身体はこの全身スーツの中で震えている。

  自分が車と一つになる。車になる―。

  そんな気持ちが心に満ちる中でトキナの車はさらに動力をふかすと同時にトキナのスーツを彩るライトブルーのラインに光がこもる。

  マスクごしに見つめる先のシグナルが変わり―スタート!

  「あっ……!」

  ストッパーを外され勢いよく車が飛び出すと同時にその衝撃がスーツに伝わる。

  突き出された勢いに全身が押される感覚に声を上げながらもトキナは走り出した。

  [newpage]

  「んっ、くっ、あぁっ」

  慣らし走行とは全く違う猛然としたダッシュ。

  全身に叩きつけるような加速の勢いがスーツ越しに、いや、スーツから直接トキナの体にかかる。

  細い腕と脚に、それなりのサイズの形の良い胸に、形良く整った腰に、そしてその顔に。

  走る車のセンサーが伝える空気抵抗がスーツを引き締め、よりトキナの体のラインを引き締まらせる。

  「ああっ」

  急カーブの圧力がトキナを襲った。

  「うっ、あっ、ううっ」

  スロープで息をつく間もなく、左右の細かいカーブを抜けるコースの中でトキナの体も左右に揺れる。

  それに合わせて揺れようとするトキナの胸がぴっちりとしたスーツに押さえられる。

  見える車の動きは早く、かかる負担もかなりきつい。

  マスクから見える表情も険しい。

  もし頭の全てを覆い隠すマスクを被っていなければその長い髪を盛大に振り乱していたであろう事も想像に難くない。

  「う……さっきよりもまるで……」

  再び直線に入る中、加速をスーツ越しに感じながらトキナはレバーを手放しかける。

  そこに、

  『トキナ……さっきと同じよ……そうすれば……もっと……うまく……はぁ―』

  社長のやや途切れぎみの通信が入る。

  社長もこの風圧に耐えながら車を走らせているのだろうか。

  その声にトキナは我に返るとレバーを握り直し、車のペースをコントロールする。

  「んっ、うっ、くうっ……はぁっ……」

  車はカーブラインに接触する寸前でカーブを曲がり切る。

  ライトブラウンのスーツがトキナの体を優しく包み、彼女を彩るライトブルーのラインが淡く光を放っている。

  体にかかる圧力がその瞬間、とても心地よく感じられた。

  「はあぁ……ふあぁ……」

  カーブを抜けた直線コースの中、スーツに包まれた体をしならせながらトキナは大きく息をする。

  そのマスク越しの顔にはようやく笑みが浮かんだように見えた。

  『その調子よ……トキナ……あとは……あなたの感じる……まま……』

  社長のやや荒れ気味の声にも励まされたのかトキナは改めて足を踏ん張り、レバーを握る。

  そしてそのまま一気に走り抜けていく。

  「はっ、ふっ、はっ」

  左右のスラロームを巧みにかわすと目の前には大きなスロープ。

  「えぇーい!」

  レバーを握り、強く絞る。

  ライトブルーのラインに彩られたトキナの体はスロープを抜け、ラップラインへの直線を進む。

  「はぁ……はぁ……なんだか……いい……」

  心地よい感覚と熱気をも包まれた中、トキナは走る歓びに浸っていた。

  『トキナ……今度こそ……勝負ね……』

  「はい……わたし、行きます!」

  やや喘ぎ気味の社長の声に合わせる様にトキナは車を進める。

  そして、二台の車がほぼ同時にラインに並んだ所で……。

  「ああっ!」

  『あーっ!』

  トキナはレバーを思い切り絞り、全力で飛び出した。

  強い叫びと共に直線がかける厚い空圧を貫く様に突き抜け、カーブを曲がりきる。

  「はっ、はっ、はっ」

  『ああっ、あっ、おう……』

  左右のカーブを体を巧みに動かしながら曲がり切る。

  そこから流れる様に大きなカーブを通り抜けると直線コースで少し息を整える。

  耳元から聞こえる社長の声もトキナのペースを合わせる要素になっているようだ。

  社長と合わせる様に、ぶつかり合うようにトキナは走る。

  「うっ、あんっ」

  『あぁ……あうっ』

  車体の震えがスーツに伝わり、レバーを握る度にその震えが腕を、胸を揺らす。

  車輪が走る勢いをスーツごしに踏み込んで押さえようとすれば足先から腰に震えが来る。

  「はぁっ、はぁっ」

  『あぁ……おぅ……』

  動力の回転音とトキナの胸の鼓動が重なる様に音を刻んでいく。

  トキナはその全身で車を動かす。

  車もその全身でトキナを導く。

  その感覚に自分を高めて行く間に気がつけばラスト一周の最終コーナー。

  見つめる視線の先で数車体分先を走っている社長が撫でる様に最後のスロープに

  さしかかろうとしている。

  このまま勝負がつくか、それとも……。

  「はぁぁぁ……」

  トキナは思い切り息を吸う。

  車から感じる風圧が、スーツそのものの密着感がトキナの体を絞る。

  やや苦しいが全身が引き締まる感覚の心地よさも増していく。

  「ん、んん、んんっ……」

  それを少しだけこらえトキナは歯を食いしばり、瞳を閉じる。

  それに合わせるようにライトブルーのラインが淡くも流れる様に光る。

  そして―。

  「―やあぁぁぁぁぁーっ!」

  思い切り吠えながらレバーを絞りステップを踏み込む。

  吐き出した息と膨れ上がる身体とスーツの密着や空気抵抗とのせめぎ合いに合わせる様にスーツのラインが激しく輝き、それを受け取ったかの様に車は出力を上げた。

  実際には動力の回転を一時的に上げるスイッチが入っただけなのだが、今のトキナはそれを意に介さないほど車になっていた。

  猛然と直線を突っ切り、空気の壁を突き抜け、ただまっすぐにスロープを目指す。

  「はあっ、はあっ、はあぁぁぁぁっ!」

  目一杯踏み込み振り絞り、その全力でスロープを駆け上がる。

  その勢いが頂点に達した時……。

  「はあぁぁぁぁ……ああ……」

  一瞬、トキナは自分が飛んでいるのを感じた。

  車のセンサー越しに、スーツ越しに全身で宙を舞い、風を切る。

  (わたし……飛んでる―!)

  ライトブルーのラインに彩られたライトブラウンの体はスロープを飛び越え、大きく宙を飛びながらコースに、そして先行していたオレンジに黒いラインの体と並走する様にチェッカーラインに飛び込む。

  勝敗の結果は見えていなかったが、走り抜いた車がクールダウン走行に入る中でトキナもまた全力で走り抜いた達成感と心地よい余韻に浸りながら自身をクールダウンさせていた。

  「はぁ…はあ……はあ……」

  レバーに両腕を預けつつ足をやや緩ませながら立っている姿はそのスーツ姿も重なり美しく艶めかしい。

  マスクから覗く瞳は軽く潤み、口元か漏れていた吐息も少しづつ落ち着きを取り戻している。

  「はぁ……よかった……」

  そんな言葉を漏らしながらトキナは姿勢を直し、改めてレバーを握る。

  そんな中、モニターに何らかの表示が浮かぶと周囲が暗転する。

  「え?」

  そして、排気音と共に機材の出入り口が開き、大きく外気が入り込んでくる。

  「ふぁぁぁぁ……」

  全身を包み込む様に通り抜ける外気に思わず声を上げてしまった。

  緩やかな動きで外に出たあと、機材の縁に手をかけて一息つく。

  「ふう……」

  人心地ついたあとようやく身を起こしたトキナの前に社長がマスクを外した姿で立っていた。

  「トキナ、その調子だと満足できた様ね。こちらもいいデータを取れたし」

  自分もかなり楽しむ事ができたのだろうか、良い笑顔を浮かべながらトキナにドリンクの入ったペットボトルを渡す。

  「あ、はい社長。このスーツ……じゃなくてこのゲーム、きっと人気出ます。本当にわたし、燃えました!」

  トキナも普段のややおっとりとした彼女らしからぬ力のこもった言葉を返す。

  その姿はまさに新しいゲームを楽しんだ子供の様であり、この勢いならもう一レースと言ってもおかしくはなかった。

  しかし、社長はそんなトキナを遮る様に、

  「それは良かった。ただわかっていると思うけどこの事はまだ部外秘。あなたの記憶の中に閉まっておきなさい」

  と告げる。

  「あと、このあと仕事の打ち合わせが入っているわ。早く着替えてそっちに行きなさい。スーツとかはこちらで片付けておくから」

  社長にそう促され、トキナは今はマスクの中に隠されている後ろ髪を引かれながらも一礼をして「Rocker&Shower」と書かれた扉へと歩いていった。

  更衣室の中で鏡に向かい全てがライトブラウンに包まれた姿を名残惜しげに見つめていたが、意を決してマスクの止めを外して静かに脱ぐ。

  「ふうっ」

  長い髪があふれる様に現れ、その中からやや上気したトキナの素顔が露になる。

  鏡越しに見るその顔は「楽しめた」顔をしていた。

  シャワーと着替えを済ませ私服姿で扉から出た時、部屋の中に社長の姿はなかった。

  ただ「着替えたなら早く仕事に戻りなさい」と書いたメモがそこにあった。

  トキナは色々な思いにかられながらもコースと機材をやや名残惜しげに見つつその部屋をあとにする。

  区画を去る背中に背後で彼女を送るロック音が聞こえた。

  [newpage]

  「ねえトキナ、免許取ろうってのホント?ならあたしも乗せてよ」

  「うん、でもまだ学科を始めたばかりだからかなりあとになるわよ?」

  とあるイベント会場。

  イベント用のコスチューム姿で立ちながらトキナはモデル仲間とやり取りをしていた。

  免許を取ろうとしている背景にはあの部屋での一時を少しでも追体験したいと言う思いがあるのは事実である。

  さすがにあそこまでの事は普通の運転、そして今イベントでデモンストレーションをしている新型レースゲームでも難しいだろうが。

  折しも今トキナが着ているのはデザインこそシンプルなショートジャケットとホットパンツだがカラーリングは間違いなくあの時と同じライトブラウン地にライトブルーのラインの入ったものである。

  さすがにマスクこそないが頭にかけたサンバイザーを整え直す姿もなかなか美しい。

  「しかし、うちの社長もまた出張だって言うけどホントにヒマなしなのかね」

  モデル仲間が軽くこぼす。

  「でも、おかげでわたし達もお仕事できるんだしいい事だと思うわ」

  トキナはギャラリーに笑顔を向けながら答える。

  「言うねぇトキナ。案外社長ごひいきとか……はないか」

  トキナはそれを聞いて苦笑いする。

  実際あれから特別に社長とそれほど親しくなったとかはない。

  むしろあの件がなかったかの様にごく普通のモデルと社長の関係が保たれていた。

  「まあ、とりあえずお仕事お仕事」

  「そうね。お仕事お仕事」

  賑わいの中でやり取りしながら二人は「仕事」を続けていた。

  了