AdAd
  
生熟(なまな)れ (二) ー創世歴 302年 新越国 秋分ー

  [uploadedimage:19670749]

  「アザミー、まだかー」

  外からタカハヤの声が聞こえる。

  「もちぃーとじゃ!!」

  怒鳴るように返事をし、アザミは手元に目を落とした。手の中には管玉と丸玉が連なった首飾り。横には染めた糸を組んだ紐の首飾りがあった。

  石の連なった首飾りは、[[rb:長 > おさ]]やそれに準ずる者に許された装飾だ。一方、染糸を組んだ物は、皆が己を飾るため、日常的につけているものである。アザミは朝から、どちらの首飾りを付けていくか決めかねていた。

  「顔見せなら、石のほうがええか? [[rb:ミヤマ > ヤツら]]はニコシを下に見る[[rb:者 > もん]]が多いらしいし、馬鹿にされんのも癪じゃけ……」

  目の前にぶら下げた石が鈍い光を放つ。

  しかし今回の挨拶は、どちらかと言えば、公的なものより私的な挨拶に近い。そう思うと、少し行き過ぎな気もするのだ。

  「見栄張っとると言われるか……?」

  アザミは管玉の首飾りを下ろす。手元に残した紐は彩り豊かだが、格に欠ける気もする。誰もいない穴屋で、一人うーんと唸った。

  「これだけじゃ、さみしいか?」

  頭の中では名代という勤めの他に、まだ見ぬムコの姿がチラついていた。

  男はやはり綺麗に着飾った女が好きじゃろか……。

  急に湧いてでたオトコの話が、アザミに悩みを与えている。

  何か一つ、他の女とは違うもの。アザミは組み紐に石をひとつ結ぶ。首にかかった少しの重さが、いつもと違う何かを感じさせた。

  「よし、これでえぇじゃろ!!」

  アザミは表に飛び出た。

  「なんじゃぁ、めかしこんで」

  アザミを見るなり、タカハヤは声を上げて笑った。

  理由は首飾りだけでは無い。文様の入った羽織を重ね、頭に飾り羽を差し、珍しく、うっすらと紅までひいていた。

  「父さの名代じゃっちゅうたろ? ほしたら立派にせんとあかん思うてよ」

  狼狽えるようにアザミは声を上げる。日頃から飾り気がないアザミだ。それを知っている者なら「おや」と疑問に思うだろう。

  タカハヤは意地悪く笑む。

  「ムコどのの、目ぇにかなえばええの?」

  「か、関係なかろうが!!」

  タカハヤの囁きに顔を染め、思わず声を上げる。慌てふためくアザミを見て、タカハヤは小さく肩を揺らした。

  「今からえぇカッコしとると、汚れるぞ? まだ先でえぇわ」

  「ほ…ほうか?」

  込み上げる笑いを堪えたタカハヤを横目で見つつ、アザミは羽織をしまい込んだ。

  「こん時期は熊も出るかもしれん。手槍は持っとけよ」

  「あぁ……ほうじゃの」

  結局アザミはいつもの狩り支度に、首飾りだけを下げて出掛けることにした。

  共の者は既に郷の入口で輪になって待っており、横で父がウロウロとしている。父はアザミを見とめると、顔を触れんばかりに近づけ、指さした。

  「ええか、余計な事は言うな。短気は起こすな。何かあれば、タカハヤに相談しろ」

  押し込めるように、低く囁く父を鬱陶しそうに払う。

  「そうそう何事かなぞあるかよ」

  アザミは小心の父を嗤う。

  案ずるなと手を振り郷を発った。

  今回同道するのはタカハヤと、タカハヤと同じ郷に生まれたヤマケの若者達だった。みなそれぞれに腕や足に飾りなど巻いて、どこか揚々とした雰囲気がある。

  「なんじゃ、みなえぇ格好しとるの」

  「まぁ、嫁探しも兼ねてな」

  タカハヤは歯を見せた。郷同士の嫁の行き来はよく聞く話だ。「みな同じか」期待のにじむ若者達を見て、アザミはふと気を緩めた。

  しかし。

  アザミはタカハヤを見た。タカハヤだけは、格好も表情も平素と特に変わりない。

  「タカハヤは……嫁取りせんのか?」

  そろそろ良い年である。二十を過ぎたか、少し前くらいだろが、誰ぞと良い仲だというのは聞かない。

  「ワシは……まだ、ええかの」

  気の無い返事だった。表情に憂いは無いが、期待もない。淡々とした様子だ。だが、アザミにはそれが触れてはいけない壁のようにも思えた。

  ほうか。

  小さく呟いて、それまでにした。

  しばらくすると目の前に辻が現れた。一つは西へ、一つは北へ続いている。西には、かつてアザミが住んでいたニコシの郷がある。今はニコシ府と改められ、このクニを治めるミヤマの家と、共に移ってきたハヤセビトが住んでいた。北がコモタチである。

  「懐かしかろうが、今日はこっちじゃ」

  タカハヤが北を指した。アザミは西の道を一瞥する。幼き日に見た光景が重なった。

  「なんぞ、離れればならんのじゃ。ワシらの郷じゃぞ」

  父の手を引く。

  「のぉ、父さ……」

  父は何も言わなかった。父だけでは無い。誰も、何も言わず、項垂れながら東に歩を進めた。

  四年前の敗戦。郷を離れる時、何度も振り返った道。突然奪われた日常を思えば、記憶は郷愁と言うにはあまりに凄惨で重苦しい。アザミは込み上げかけた感情を払うように頭を振り、北へと進んだ。

  つと視界に赤紫の小花が飛びこむ。

  「お、こりゃ何の草じゃぁ……」

  南向きの丘一面に、小さな花をつけた草が群生している。その草だけが丘を覆っている様子は、自然のものとは思えない。そもそもアザミがこれまでに見たことない草でもある。突如発生したかのような草に、アザミは首を傾げた。

  「あぁ、こりゃミヤマさまが撒いたソバっちゅう花らしい。種を乾かして粉にすると団子になるらしいぞ」

  「こんな草がか……」

  「育ちがええて、秋までに二回取れんじゃと。ハタヅメっちゅうトコで生えとる草らしい。ミヤマさまは色んなもんをよう知られとるわ」

  ミヤマの家と往来のあるタカハヤが口にした。

  「今ヤマケじゃ、ムギっちゅうやつも育てとるて。移り住む者を探しとる聞いたな…」

  「ヤマケへ帰れんのか?」

  若者達は噂話に花を咲かせる。

  ヤマケの郷は川の支流と本流の合流点で、なだらかな扇状地である。その為、ニコシの中では珍しく古くから耕作を主として行っていた。そのヤマケにあった者たちには、この畠や、ムギという作物が魅力的に映るのだろう。しかしアザミにとっては、そうはならなかった。

  木を伐り、地を焼き、土を耕す。そうして均された土地に、光を浴びた小花が揺れている。開けた土地は、何人も侵す事を許さない絶対的な力を感じさせた。

  「まやかしじゃ。こんな地じゃ獣は住めん……」

  「獣が入らん言うのは、畠が荒らされんでエエっちゅうことじゃろ?」

  ヤマケの者は首を傾げる。アザミは黙って首を振った。

  狩猟を主とする者が獲物を取れないという事は、死を意味する。山間に身を置いてきたアザミは、ヤマケの者と違ってどこか寒々しい感覚を覚えた。

  不意に足元の草が音を立てて揺れた。

  なんかおるっ……!?

  咄嗟に提げていた手槍を向けた。突こうとした瞬間、小花の合間から真っ赤なものが現れた。

  「っ!?」

  「騒がしい思たら、アザミ姉やん」

  きょとんとした大きな目が、草の合間からアザミを見上げている。

  「なんじゃ、ハリか……」

  燃えるような赤髪に、三つの刺青。つい昨日も沢で見た顔だ。

  「まっこと潜むのが上手ぇの。こんな近くにおってもわからん」

  言うと、ハリは得意気に、ニッと歯を見せる。

  「人に気づかれるような奴はマヌケやで?半人前もえぇトコや」

  ハリはアザミより歳下であるが、まるで一人前のように口をきく。ヒマ族としての、また、狩人としての自信があったのだ。

  「なんや知らんけど、ココ草多いやん?土もフカフカや。せやからな、罠かけとってんよ」

  差し出した手には一羽の大きなウサギがぶら下がっている。

  「ウサギか」

  「えぇ、読みやろ? それより姉。コレ……どしたん?なんやえぇコトでもあるん?」

  ハリはトントンと、アザミの胸元を叩く。出掛けにぶら下げてきた石が、キラリと光った。

  「あぁ……そりゃ」

  「アザミさまは大事なムコとりじゃ。ヌシにかもうとるヒマねぇんじゃ」

  男が後ろで声を上げると、ハリははっと息を吐いた。

  「ムコ〜? 姉がか?」

  眉を顰め、ハリはずいと顔を寄せた。

  「姉に男は早いんとちゃうか? 今まで男なん、影も形もあらへんやったやん。姉やって、いきなし女になれへんやろ」

  嘲弄めいた笑みを浮かべる。

  このところ背の伸び始めたハリは、幼さを残しつつもどこか男くさい。アザミは、鼻先に突き出されたハリの顔を押しやり、くっとたじろいだ。

  「ぬ...ヌシみてぇな子どもにゃわからんじゃろが、ワシぁ立派に女じゃけ」

  「りっぱ。りっぱなぁ...」

  ねっとりとアザミを見ていたハリが、急に後ろへ退く。同時にアザミは腕を引かれよろけた。

  「けだもんのくせに……人の言葉、よう喋りよるの」

  低い声が響く。耳元で風を斬る音が聞こえた。穂先が目に映る。まっすぐハリへ伸びた。

  「な……んすんねや……」

  ハリは瞬時に仰け反り、穂先をすんでに躱す。[[rb:鉄 > かね]]の鞘走る音。ハリが山刀を抜いた。

  「アザミはニコシの大事な[[rb:女 > むすめ]]や。ヌシの汚ねぇ手ぇで[[rb:触 > いら]]うな」

  「あ、なんやと...」

  「けだもんは言葉がわからんか。[[rb:去 > い]]ねっちゅうとんじゃ。ヌシのツラ見とると反吐が出る」

  タカハヤは槍を引き、喉元を狙って構え直す。

  「誰がけだもんや……あ?」

  ハリはだらりと山刀を下げ、じりじりとにじりよった。二人の間合いが交錯する。

  「やめぇや、ボケ!! ハリもタカハヤも[[rb:従兄弟 > きょうだい]]じゃろよ!!」

  アザミは声を上げた。

  「ワシに[[rb:ヒマ者 > けだもん]]の弟なんぞおらんわ!!」

  槍をハリに向けたまま、タカハヤは[[rb:がなる > ・・・]]。

  「ワシの姉弟もアザミ姉だけや...」

  ハリも目を据えて答えた。互いにまだ一足飛びの距離にいる。アザミはタカハヤの前に飛び出た。

  「二人ともやめぇちゅうとるじゃろ」

  アザミはタカハヤの懐から槍を弾く。跳ね上がった穂先が空を向いた。

  「ハリはワシと喋っちょっただけじゃろが」

  続けて、ハリの前に仁王立ちになる。

  「ハリもそれ納めろ。怪我どころじゃすまんぞ」

  「そいつが手ぇ出したやん。黙って刺されろ言うか!?」

  ハリはタカハヤを睨め上げる。

  「...それは、タカハヤが悪い。じゃが、これで終いじゃ。ワシが手ぇ出させん、の?」

  諭すように近づくと、ハリは一歩引いた。

  「ワシ、けだもんやない……」

  呟くような声が漏れる。ハリの怒りに満ちた目が、じわりと哀しみに変わった。

  「わかっとる。わかっとうよ、ハリ。じゃけぇ……」

  もう一歩近づく。

  ハリは山刀を鞘に収めた。

  「もぅええ。行こうや」

  タカハヤに引っ張られ、アザミは引きずられるように離れた。遠くにハリが見える。俯いた顔がじっとこちらを見ていた。

  「タカハヤはヒマ[[rb:者 > もん]]が嫌いか」

  タカハヤの手を振り解き、アザミは問いかけた。

  「あぁ、目に入れたくもねぇの」

  「...ハリは。なにもしとらんぞ?」

  暗く影の落ちた横顔に言う。

  幼い頃、郷を歩けば「昔はよくヒマ[[rb:者 > もん]]の首を取った」とか「取られた」とか「近づくと皮を剥がれて血を抜かれる」などと言う大人がいた。

  ヒマ族が獣の血を盃に受け、回し飲んでいるのを初めて見た時は、さすがに恐ろしくなって伯父の族長の元へ駆け込んだ。

  「そりゃぁアイツらの神に捧げる儀式じゃ。気にする事ねぇ。そういうもんだと思っちょればえぇ」

  ニコシの長であった伯父は言っていた。

  ニコシの神と、ヒマの神は違うものなのだ。捧げるものも、祈りの仕方も違う。だが、それぞれに大切なものなのだ。知っていれば何という事もない。

  今は亡き伯父はそう語っていた。

  「そりゃぁ、中には悪いヒマ者もおるもしれんが...」

  ヒマ族の子らがニコシ族の中へ連れてこられたのは、戦の最中だった。父が連れて来た数人のヒマの子らは、己らと変わらない。チハラによって親兄弟、仲間を失い悲しみにくれる、同じ子どもだと、アザミには見えた。

  タカハヤもまた、戦によって生まれた地であるヤマケの郷を追われた。同じ悲しみを味わった者たちだ。それならば、とアザミはタカハヤを見上げた。しかし、タカハヤの目はずっと前を向いたまま微動だにしなかった。

  「タカハ...」

  「ワシも昔はそう思っちょった...」

  サクリ、サクリと足音だけが聞こえる。アザミはタカハヤの背を追った。

  昔は?

  タカハヤは視線を向けずに、口を開いた。

  ヤマケの郷に訪れるのは「流れ」のヒマ族だった。数日から数週間で拠点を移す、小単位の集団だ。彼らの足はニコシの国を越え、東西、そして南の大国チハラにまで及んだ。

  時たまヤマケに立ち寄る彼らは、ニコシでは手に入らない様々なものを郷にもたらした。

  「肌触りのえぇ帛、毛の織物、細工を施した石。見た事のねぇもんばっかじゃった。中でもワシらが重宝したのは[[rb:鉄 > かね]]じゃ」

  「アレがあるとねぇとじゃ、畠打つにも、草刈るにもでっけぇ違いじゃけ」

  「あぁ...」

  アザミも知っている。鉄鏃は石鏃とは比べ物にならない。鉄鏃は獣の硬い皮膚さえ、欠けずに切り裂いた。

  「中に研ぎ師がおってよ。来れば綺麗に研いでくれたもんじゃ」

  「よその郷ではヒマ者はけだもんと同じじゃと言っていた。ワシらは誰一人そう思っとらんかった。豆やら干し肉やら毛皮の代わりに鉄を置いてってくれる。ワシらは喜んでもてなしとった」

  男達は口々に言う。しかし、タカハヤの目はさらに暗く陰った。

  「ヒマ者は...血が淀むのを嫌う」

  「血?」

  ヒマ族が獣の生き血を飲むのは知っている。しかし淀むとはどういう事だろうか。

  タカハヤの足が止まった。

  「奴らは、外の女を欲しがんのじゃ...」

  「女を...欲しがる?」

  振り向いたタカハヤの目に、怒りが滲んだ。

  「ワシの姉さは奴らに攫われた...」

  タカハヤには年の離れた姉がいた。その姉は流れのヒマ族がヤマケを離れた時に忽然と姿を消した。郷のものは隣の郷にまで足を伸ばしたが、行方は杳として知れなかった。

  「大人しくて、優しい姉さじゃった...。誰ともしれん男に女にされたか思うと、[[rb:腹が立つ > はがええ]]どこじゃすまんのじゃ...」

  タカハヤが歩き出す。皆は静かにその後を進んだ。

  「ワシはアザミの父さに恩がある。叔父さにもヌシにも幸せになって欲しい思っちゅうよ。ハリには近づくな。アレがヌシを見る目は男の目ぇじゃ。ガキでも[[rb:ヒマ者 > けだもん]]はけだもんじゃ」

  タカハヤの声は暗く、視線は刺すように冷たかった。

  アザミの瞼に、去り際のハリの目がよぎる。ひどく悲しい目。それはニコシの者の目がそうさせているのだと、アザミは思った。

  ハリはタカハヤの知るヒマ族とは違う。アザミはそう思った。しかし、今のタカハヤには言えなかった。

AdAd