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第2重力

  見返した日記には、一ページだけ意味のわからない箇所がある。そういって見せられた極厚な本の一ページには、たしかに理解できない内容が書かれていた。白いページにたった一言。

  “二つ目の重力が強すぎる”

  「って、本当にあなた方宇宙人でもわからないんですか」

  「そう!第2重力。意味わからん?」

  「宇宙人すらわからないものを、わかると思ったんですか」

  「あなた地球人だから」

  「どんな理屈ですか」

  分厚い本がどさどさ置かれたテーブルの向こう、浴衣着てにっこり笑うプラチナブロンド美人に向かって、私は盛大なため息を吐いた。

  彼女に生やされた銀色の狼尻尾を揺らしながら。

  *

  夏休みのさなか、祖父が亡くなった。工藤タクロウ、享年85。特に持病もなく、おばあちゃんに先立たれてから15年、この山間の町でひとり暮らしていたが駅で倒れ、搬送先の病院で息を引き取った。

  几帳面な人間だった。自宅の中は既に祖父自身の手で綺麗さっぱり片付けられており、我々別居家族が苦労することはあまりなさそうだった。居間に置かれたキャリーケースに祖父の私物は収められていた。まるでこれから出張に、そんな感じだった。機械メーカー勤務。名うての技術者だった。定年延長して、延長が切れたら嘱託や顧問。ギリギリまで会社に残って、相談に乗っていた。出張も多かった。そんな祖父の最後の出張先が、天国だったのだ。みんな涙ぐみながら、らしいねと言って笑っていた。

  葬儀を終え、大学のある街に帰ろうと赴いた駅で声を掛けられた。

  「工藤さんのお孫さん!」

  振り返った先で銀色がなびいた。

  目の覚めるような美人がそこにいた。同性の私から見てもドキドキするような、銀髪長身な青い目の美人さんだった。

  「初めまして。少しお話よろしい?」

  それが彼女、シリウス星系人ミラとの出会いだった。

  *

  「地球の温泉はいいです‥‥攻撃的じゃない」

  「攻撃的な温泉?」

  「シリウスのは入っていると溶かされて同化されるよ!」

  にひひ、と笑う彼女。見た目北欧美人。でも中身は宇宙人。名前はミラ。たまに語尾がおかしい。

  町はずれの老舗観光温泉ホテル。そこのリニューアルフロアに7部屋しかない露天風呂つきの部屋で、私たちは雲海を見ながらベランダで優雅にくつろいでいた。朝風呂で火照った体を撫でていく、しっとりした朝風が気持ちいい。

  まず喫茶店でお話でも、と駅前で祖父の思い出話を聞かされたと思ったら、時間が遅くなったし食事でもどうですと誘われ、どうせなら泊まっているホテルでご一緒にいかがですかとタクシーに乗せられ、気がつけば畳の部屋で目の前にはA5和牛陶板焼が。

  いくらなんでもと恐縮したら、彼女はしゅっと姿勢を正して、こうのたまった。「わたし、実は宇宙人なんです」って。いきなり何をとしかめ面をする私の前で、ミラは変身して見せた。つるつる全身タイツ的な宇宙人の姿、銀色のキツネ、青いスライム、そこから上半身だけ人間の姿になって、最後はもとの北欧美人に。酔って悪い夢でも見たかと思った。けど朝起きてもう一度同じことをされたら信じるしかなかった。パニックになりかけた私に、北欧美人はちょっとだけ悪い顔になって「安全保障ね」といって私の鼻をつんと押してきた。その瞬間、私のお尻には立派な銀色の狼の尻尾が生えた。

  ミラは慌てる私を見てニコニコ笑いながら「改造完了です!そんな姿では外に出られん!まちなかコスプレ美少女と噂されたくなかったらこのホテルで私に秘密裏に協力してくだサイ!」とか、大変絶妙微妙な脅しで拘束軟禁してきた。そして、膝をついて頭を下げてきたのだ。

  「どうしても、解かなきゃいけない謎があるんです。お願いします。地球人」

  こんなことしなくてもちゃんとお願いされたらしますよ、と怒ったら、「カワイイ!!から良いんです!」と開き直ってきた。宇宙人の感覚がわからない。ため息つく私に、アリガトと宇宙人は頭を下げてきて、さらにこう一言告げた。「あなたのおじいサンも宇宙人だったと言ったら、信じてくれますか」と。

  *

  「地球の観光旅館ホテルは好きです。上げ膳据え膳」

  「お金持ちですね」

  「地球でも稼いでますから!」

  小鉢がこれでもかとならべられたテーブルを前に、浴衣姿の銀髪美人はびしっと親指を立ててきた。この立派な朝食膳も部屋もミラのおごりである。まだまだ経済的に自立していない貧乏学生としては、うさん臭さと経済力の差を感じつつも、コンロで炙られる干物のニオイに涎を垂らすしかできない。生やされた尻尾も、悔しいことに犬っぽくぱたぱた揺れてる。

  「イタダキマス!」

  「いただきます」

  曰く、ミラ達は地球で言う魂のような存在なのだそうだ。落第寸前ではあるが一応工学部学生な私は、わかったふりして一生懸命話を聞いた。彼らは常に新しい情報を求めていて、宇宙のあちこちに出かけては惑星や生物の探査をして楽しんでいるらしい。知的好奇心そのものの種族と言ってほしいナ~、とはミラの言だ。

  惑星探査の方法も変わっていて、目標となる生物に憑りついてその生物として一生を過ごし、死ぬとまた魂の姿で肉体を離れて情報を持ち帰るのだという。祖父、工藤タクロウは、シリウス星系人の魂が入り込んだ存在だったそうだ。物静かで穏やかで頭がよく、けどどこか浮世離れしていた祖父。息子である父も、昔から不思議な人なんだよなとよく言っていたが、まさか本当に魂が宇宙人だったとは。

  「じゃあ、あなたも人間に憑りついているんですか」

  昆布の佃煮をつまみながら、ミラが笑って答えた。

  「この体は一時滞在用の多目的船ですので、人間ではありません。でも、美味しいもわかるし、べんり」

  「ふ、船?」

  「ええ。変幻ジザイな乗り物です。昨日見せたよね」

  下半身がスライムなミラを思い出す。確かに人間だったらあんな芸当は無理だ。

  ぼんやり納得してたらなんと勧誘された。

  「カナタもこの体になります?あなたに生やした尻尾も同じ材料よ。生き物にも岩にもなれるし、生物の体にもよくなじむ。パワーもあるし、光の速さでもそれ以上でも飛べる」

  「‥‥」

  元に戻れるのか気になるが、生身で光速移動はちょっと楽しそうだと思ってしまう。そしてそんな私の表情をミラは見逃さなかった。

  「さすが、タクロウの孫娘デス」

  「いやあの、返事はまだ」

  「分かってます。うれしかっただけ」

  好奇心そのものの存在というだけあって、ほかの生物が好奇心を浮かべている様子を見るのが楽しいらしい。ミラは納豆に温泉卵を混ぜこみながら、ふんわり笑っていた。

  「タクロウも、そんな顔をよくしていまシタ。シリウスを出発する時も、見たい、知りたいと静かに、しかしうきうきとはしゃいでいた。特に地球の探査は楽しみにしてた」

  「祖父は人間の前にも何かの生物だったんですか」

  「です。細菌のような微生物や、星を渡る鳥みたいな生き物だったりしたこともあるよ」

  炙ったフグの干物を齧りながら、ミラは左手をパタパタさせた。なんか輪廻転生みたいな話だ。違うのは、どうも前世の記憶を持ったまま新しい生物になれるところらしいけど。

  祖父は神童までではないが成績が良かったという父の話を思い出しつつ味噌汁を啜ったら、お椀の向こうでミラが悲しそうな顔をしていた。

  「でも、タクロウは行方不明なんです。地球人工藤タクロウとしての生を終えましたが、我々のもとに帰還しませんでした」

  「それで、探しに来たと」

  「そう。彼の残したログも確認しましたが、特におかしいところはなかた」

  ミラの言うログというのが、テーブルにある本のことだ。祖父の魂の記憶を、紙で出力したもの。ミラが作ったのだ。私が読めるように。ミラはこの日記の謎を解きたいから、泊まり込みで協力してくれと言ってきたのだ。

  祖父が人間として生きてきた全てが記録されたログ。生まれてからなんてではなく、なんと受精卵着床からである。魂の入れ物としての準備がそこで整うらしい。膨大な記録だ。

  「その中でも第2重力だけが理解できないんですね」

  「あいにく」

  祖父が残した二つ目の重力という謎の記述。私たちはそれを第2重力と仮称していた。

  「我々も多くの星々をめぐり知識を蓄えてきた。でも重力に種類があるという情報はもってない。ですから、これは何らかの比喩だと考えてる。消えたタクロウ、そして残された情報のうち、不可解なのはその第2重力だけ」

  「比喩‥‥」

  考え込んでたらミラがほうじ茶のお代わりを注いでくれた。

  「正直、地球人の考え方について、タクロウの情報がないため我々も断片的にしかわからない。あなたと会話して、ここに泊まれるお金を稼げるくらいにはわかりますケド」

  「そんだけわかれば十分な気が」

  「だめです不十分。だからカナタに尻尾生やしました」

  ミラもほうじ茶を啜りながら、ニヤッと笑った。

  「ウフフ。ポニテ娘に狼尻尾は似合います。さ、解けないとどんどんシリウス狼になっちゃいますよ」

  なんだかんだで生やされてもう3日たつ。

  「いや、そんな脅さなくても考えますって」

  「言ってみたかっただけね。ワルモノのせりふ」

  わからない。この宇宙人のノリがわからない。

  仲居さんが食器を下げにきたので会話はひとまず終わりになった。尻尾隠さなきゃなんないし。

  *

  食後、私はあのページを開いて、しかめ面をしていた。第2重力の意味が分からないからだけではない。ミラの言う通り、銀色の体毛はだんだんと尻尾から広がり、背骨をたどるように範囲を広げていたからだ。いらぬプレッシャーだよこれ。

  分厚い日記本は1ページに大体1日から2日分が記されている。85年分だから、概算で30000日あるのだ。とてつもない量である。それが辞書みたいな薄紙の塊になって6冊。数千ページある分厚い日記を、ぼんやりめくる。

  でも、こういう調べものは私好きだったりする。

  「産業規格のハンドブックでも読んでるみたい」

  「おおむね、地球の文化、タクロウが見聞きしたこと感じたことが記録されてマス。技術的なところも、我々が理解できる内容です。第2重力以外は」

  「‥‥あのページはおばあちゃんが亡くなった日に近いね」

  「ん?タクロウの地球人配偶者ですか」

  「うん」

  第2重力のページは、おばあちゃんが亡くなった日の翌日だった。

  「ふうー」

  深呼吸して、改めて日記本を睨む。最初の日は資料にただ圧倒された。二日目の昨日は、とにかく最後までざっと目を通した。

  そして今日。本番は今日からだ。

  「図書館妖怪カナタちゃんをなめんなよ」

  「わお。カナタは妖怪でしたか」

  「比喩です」

  工学部でも司書資格は取れるし取ってる。そのくらいには図書館も本も昔から好きだ。

  おおざっぱな日記‥‥祖父の人生の流れは昨日掴んだ。おおよその資料レイアウトは頭に入った。そして第2重力の近くにある祖母の死。魂がシリウス星人へと輪廻しない祖父タクロウ。

  きっと鍵は死に関する記述。

  「なんでそう思います」

  「勘」

  全部のページに目を通すなんて無理。30000日だ。1日分5分で読んでも何か月かかるかわからん。祖父の人生だからゆっくり読みふけりたいけど、そこはぐっとこらえて、あたりをつける。なんせこちとら制限時間付きだ。シリウス狼がどんな生き物かわからないけど、たぶん本のページをめくるなんて器用な真似できないんだろう。レポート前に急ぎで資料をあさる時のアレをこれからするのだ。

  「うひひ」

  未知の本や資料の海に潜る瞬間。この瞬間が好き。祖父譲りの好奇心のなせる業だろうか。尻尾が揺れてるのがわかる。時間はたっぷりある。誰にも邪魔されないこの客室で思う存分調べものできる。それに――

  「タクロウの人生で死が身近にあった瞬間はわかります?とりあえず親族で」

  「えと、2歳の母方祖母の死、10歳での父方祖母の死。それから――」

  ここには優秀な司書さんがいるのだ。ログを一度取り込んだミラはインデックスを作成済み。レファレンスはすぐ終わり、ミラは楽々と祖父の身近にあった死についてリストアップしてくれた。家族のほかに、会社の同僚やテレビの芸能人なども入れてリストアップして、一冊の資料本として出力してもらった。これをさらに分析する。

  第2重力に関する記述。“二つ目の重力が強すぎる” 白いページにたった一言だけ記されたことば。祖母の死からすぐ。

  重力。比喩。引き寄せる。重たい。離れられない。

  輪廻できない。

  「魂が引き寄せられる?」

  「なにかわかりましたカ」

  ミラが私の顔を覗き込んできた。片手には、祖父の身近にあった死をまとめた分冊。

  「死ぬことと、重力って言葉と、輪廻できない魂ってとこからの連想ですけどね。祖父の魂は、どこかに引き寄せられているんじゃないかなと思う」

  お尻で尻尾が勝手に揺れた。ミラが首をかしげる。

  「我らは重力なんかに関係なく飛べますケドネ」

  そう。魂なら物理法則なんか関係ないだろう。だから、物理ではなく魂を縛るもの。

  「ミラさん。祖父に未練のある人物って、その冊子にどれくらい居ますかね」

  「みれん?」

  「えー、祖父のことが気になるっていうか、祖父を残して死ぬことがとてもつらい、そんな感じの人」

  「不明」

  「え」

  「正確にはわたしにはわからないってトコ。それはカナタさんが読んだ方がわかる。地球人の心の機微はカナタの方がよくわかる」

  「難しいこと言えるのに‥‥」

  ミラから本を受け取る。でもまあ、手掛かりっぽいのが見えた。ここから資料を当たっていくのが一番楽しい瞬間。そう思ってる。

  「やっぱいいね、その顔」

  「え」

  「カナタはそのままシリウス狼になりなさい。私と一緒に光速を超えて銀河を見に行きましょ」

  表情が緩んでいたようで、また勧誘された。

  *

  「‥‥あー」

  部屋つき露天風呂があるというのは、長時間の調べ物にはもってこいであるなと思う。いくらそれが好きでも長時間同じ姿勢では肩はこるし、体もこわばる。暖かい露天風呂で体をほぐして、いい景色で目を休めて。

  「きれいな夕日と露天風呂さいっこう!」

  ぱちゃん、とお湯を吹き飛ばして両手を突き上げた私に、ミラがほほ笑みかけてきた。

  「意外とカナタは適応力たかいデスよねー」

  「なにが」

  「狼になってきてるのに」

  「‥‥ねえ、止められないのこれ」

  「うふふ」

  笑ってごまかすなし。

  尻尾から始まった獣化は、背中を駆け上がってうなじまで到達していた。脊椎を中心にしてシリウス狼の浸食が広がっている。うなじは髪色がちょっと変わっていた。正直ちょっと怖い。でも悲しいかな、祖父譲りらしい好奇心の強さが、恐怖心を緩和しているようで、私はそれどころではなかった。

  「手がかりを見つけたって感じ、そのうれしそうな顔。地球人の好奇心スキ」

  「まあ、ヤマが当ったって感じですし」

  祖父に未練を持っていた人物であるが、多かった。でもおばあちゃんが一番だった。まあ、順当だろう。

  もし祖父が、第2重力を、魂を引き留める力、未練の強さと表現していたのだとしたら、おばあちゃんの死ぬ間際にその記述をしていたのもわかる。

  おばあちゃんは長患いの末に、祖父に看取られながら息を引き取った。祖父と同い年で社内結婚。寿退社をして、多忙な旦那をずっと気遣ってきた。亡くなったのは祖父が70の時。まだその時祖父は会社の嘱託職員だった。嘱託とはいえ頼られっぱなしで、出張までしていた旦那を、おばあちゃんは心配しながら先立ってしまった。

  退職したら、ゆっくり旅行に行きたいですねって口に出すこともあったけど、おばあちゃんは仕事しているときの祖父の横顔に惚れて結婚したから、無理に退職を促すこともなかった。祖父が目をキラキラさせて難しい仕事をこなす様子がかっこよかったと、小さい時に何度も聞かされていたからわかる。帰ってきても仕事の話ばっかりと、ため息ついてはいたけれど、諦観していたのか、それも好ましかったかわからないが、おばあちゃんは微笑みながら愚痴っていた。だから、一人祖父を残して先立つのを、最後の時まで悔やんでいたようだ。

  「それがわかったところで、ドウシマスか」

  「ミラさんは魂が見えますか」

  「もちろん」

  「じゃあ、居そうなところへ行きましょう」

  「ほえ」

  間抜けな声と一緒に、タオルでまとめた銀髪がお湯にひろがった。

  *

  「お墓‥‥」

  「祖父と祖母が一緒にいる場所って言ったら、安直だけどここしか」

  夕暮れの墓地に私たちはいた。ミラのテレポーテーションで。誰もいないし尻尾はむき出しでかまわない。

  わたしはポケットからライターと線香を出すと、お墓の線香立てに供えて火をつけた。

  「49日の繰り上げ法要もやっちゃったから、もしかしたらいないかもしれないけど‥‥」

  橙色に染まる墓石を眺めながら、ぽつりとつぶやいた時だった。

  「‥‥います」

  「え」

  ミラが、虚空を見上げて目を見開いていた。同じ方向を見たけど、紫に変わりつつある空が見えるだけだった。

  「います!タクロウかも!」

  「え、そこに?」

  「カナタ!いきますよ!」

  「お」

  ミラが叫んだ瞬間、周囲が光であふれた。

  「ふああああっ!?」

  「タクロウ!」

  「えっ、これっ」

  光の中、ミラが空を飛んでいる。地面がない。光が、天に向かって。

  ってか、私が、私おおかみっ!?手が、前足っ!

  「緊急措置です!ここは私たちがいる本来の次元!あなたの世界からほんの少しずれた場所!そこへ入るためにあなたは今私と同じ!シリウス狼の体です!仕込んでた!」

  ミラが叫んでる。銀色の体毛に覆われた前足。ぐっ、と足に力を込めてみたら、私は虚空を駆けた。自分でもどうやっているのかわからないけど、急いでミラに近寄る。ここではぐれたらまずそうだし。

  「やっぱりあなたは素質がある!さすがタクロウの孫!」

  「いいですそんなこと今は!追いかけるんでしょ!おじいちゃんはどこですか!」

  「ニオイ!タクロウの嗅ぐ!」

  警察犬か私!あ、でもなんか判るな。あれ!

  がう、と空に吠える。その先、光の玉がひとつ、ふらふらと飛んでいた。

  「タクロウ!」

  ミラが近づく。光はしばらく周りの光と同じように流れていたが、やがて何かに気が付いたように上昇速度を緩めた。

  「なんだ。懐かしい声が‥‥お前いつから犬になったんだ」

  「タクロウ!」

  「おじいちゃん!」

  ミラと私が駆け寄る。光が、もやっと崩れると人の形を取った。

  おじいちゃんだ。

  「久しぶりです。地球勤務お疲れさまでした」

  「‥‥固いよ」

  「シリウスではこうだったでしょう」

  ミラがはにかむように話をしている。ていうか、本当に知り合いで、宇宙人だったんだおじいちゃん。

  「探しましたよ。無事でよかった」

  「無事、ね」

  「帰りましょう。乗ってください」

  「‥‥すまんが、断る」

  「なぜ!」

  ミラが初めて怒気を孕んだ声で叫んだ。おじいちゃんは、静かに応える。

  「ログは読んだか」

  「ええ」

  「では、二つ目の重力の意味も理解しているね」

  「‥‥」

  ミラが黙った。私は狼の姿で、おじいちゃんに近づく。どう触れていいかわからなくて、頭をこすりつけてみた。

  「そんなことやってるとほんとに狼になるぞ。カナタ」

  もうなってます。

  「‥‥第2重力。我々をも縛ル、魂の重力井戸」

  え?

  「カナタ。ごめん。私はあなたをだました。私は第2重力の意味を想定できていた。輪廻」

  「いや、輪廻できていなかったのではないの?」

  「地球の魂は、死後にいくところがアリマス。転生だったり、天国や地獄。我々シリウス人は重力に影響されない。けど、地球の魂の世界。その重力はすさまじい。異星系の魂ですら、取り込まれる」

  「地球の魂にしか輪廻できないってこと?」

  「そうだ。ここは白いブラックホールだ。魂が引き寄せあう、重力井戸の底。私はまだここから出られない」

  祖父はそう言って、輝く天蓋を仰ぐ。

  「脱出しますよタクロウ。私の船に乗れば第2重力を遮断できる!」

  ミラは叫びながら手を差し伸べた。しかし。

  「いや、私はいかない」

  「――!」

  祖父は、にっこり笑って、天蓋を指さした。

  「妻が、このどこかにいるんだよ」

  「‥‥」

  ミラが唇を噛んだ。

  「私に掛かる第2重力は強い。逃れられない。それに、この重力井戸に妻を残しては帰れない」

  そうだよね。おばあちゃん待ってるよ、きっと。

  「それにな。こんな面白そうな世界、くまなく見ない訳にはいかんだろう」

  そっちの方がウェイト大きそうだな。

  「あなたの妻は、もう何かに転生しているのでは」

  「探すよ。何千年でも。そのうちどこかで一緒のタイミングで死んで、一緒にこの世界で会えるだろう。そうしたら、重力を振り切れる。一緒に帰還できる。妻と旅行する約束があるからな。シリウス旅行だ」

  「‥‥」

  ミラはまだ何か言いたそうな顔をしていたが、おじいちゃんの顔をしばし見て、ふ、とため息をついて頭を振った。

  「シリウス人として、その好奇心は否定できません‥‥ログはちゃんと持ち帰ってくださいね」

  「ああ」

  「おじいちゃん」

  「葬式は面倒かけた」

  「家きれいだったから楽だったよ」

  「いい体をもらったな。カナタ。せっかくだ。遠くを見てこい」

  「‥‥うん」

  ふわ、と頭を撫でられた。ずっしり重いおじいちゃんの手。

  「では、行ってくる。お母さんと父さんによろしくな」

  「なんて言えばいいのさ」

  「夢で会ったって言えばいい」

  そういうと、おじいちゃんの輪郭がぼやけ初め、見る間に光の玉に変わった。

  「じゃあな、カナタ」

  「うん。行ってらっしゃい」

  「タクロウ‥‥」

  ミラが唇をかんでいる。

  「ミラ、また、シリウスで」

  そういうと、おじいちゃんは光の中へ流れ込んでいった。

  *

  現実世界に戻ってきたら、もう日は沈んでいた。

  たしっ、と4つ足で地面に着地する。どうやって戻るんだこれ。

  「ふあああああん!」

  「うえ」

  横を見たら、ミラが地面に膝をついて、天を仰いで慟哭していた。

  「フラれたああああ!あああああ!」

  あー‥‥

  なんとなく気が付いていた。ミラ、おじいちゃんが、シリウス星人時代のおじいちゃん好きだったんだな。で片思いだよな、これ。相手気が付かない系の。

  「カナター!ううう、うう、タクロウいっちゃったよ‥‥」

  もふもふの私に抱き着いて、ミラが泣いてる。

  告白できないうちに相手が誰かのものになっちゃって、しかも一途に想ってて、邪魔もできなくて‥‥

  なんかもう、ご愁傷様としか。

  「1万年マッタノにー!」

  「ばっ馬鹿じゃないの!?なんでもっと早くいわないの!?」

  思わずガウガウ叫んでた。奥手すぎんだろ。

  「帰ってくるって思ってたノ!シリウスに!すぐに!」

  すぐというのがどういうタイムスパンなのかわからないけど、もうかける言葉が見つからない。

  ミラはしばらくグズグズ泣いて私を抱き枕にしていたが、そのうち顔を上げると、ぶっはとため息をついた。

  「今日はやけ酒ヨ。付き合え地球人」

  「わん」

  たぶんおじいちゃんをここに引き留めていたの、ミラだろうな。吹っ切れたから、おじいちゃん輪廻しに行ったんだ。きっと。

  「おいでポチ!」

  「ぐ!」

  気が付けば首輪とリードをつけられていた。な、なんだこいつ急に!

  「憂さばらし!しばらく悪い宇宙人やる!付き合え!」

  「くっ!」

  やっぱりノリがわからん!

  「ホテル帰ったら人間に戻る方法教える!で酒飲む!温泉!」

  「うん」

  「傷心旅行付き合う!リゲルに良い温泉あるから!次はそこ!」

  「は、はあ!?」

  あんぐり口を開いていたら、ぐいっ、とリードを引っ張られた。くっ、犬扱い‥‥!

  「うわあああん!タクロウ!すきだったよー!」

  ミラの哀哭が夜の墓場に響き渡る。空には満天の星。たしたしと狼の足でついてく。

  宇宙人が地球で死んだらどうなるかなんて考えたこともなかったけど、そうか。輪廻の輪は魂のブラックホールか。

  「たくろうううう!」

  まあ、まだ夏休みも残ってるし特に予定もなかったし、付き合おうじゃない。夏休みのリゲル旅行。すげえじゃん。

  「100年ツアーやるから!」

  「その時間感覚のアバウトさどうにかしろよ!」

  おもわず出たツッコミは、友達相手にするような気軽なやつだった。

  終

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