ガリガリな僕が太るんですか!? ~目指せ百キロ、ちびユキヒョウのちょっとした進歩~

  20XX年。日本を中心にある「新しい健康指標」が発布された。

  それは「ヘルファ法」 ヘルシー・ファット法と呼ばれ、いままで完全悪とされてきた肥満体を「良性肥満」「悪性肥満」に分別する、というものであった。

  米国に次ぎ第二の肥満大国に日本が並んだという事実に際して作られた健康指標だとされているが、なにはともあれ、日本にとってヘルファ法は受け入れられたのである。

  そして生まれたのが一種の「肥満産業」だ。これも海外では通常規定になりつつあるプラスサイズウェアや、映画館におけるXLシート、はたまた肥満者専用の寝具にプラスサイズの家具など、考え方と資本がうまいことやってきたのだった。

  ヘルファ法はウエスト周囲径とBMI、そして体脂肪率、また総合的な健康状態などが定義としてあげられているが、要するに、「代謝の良い肥満はむしろ健康」であるというのが肝だ。その基準を満たしたものが「良性肥満」というわけで、とくに日本では幸福度が高い、QOLが高いとこの良性肥満がもてはやされるまでになった。

  一方で「悪性肥満」はというと、これは残念なことに今まで通り完全な健康悪で、生活習慣病のリスクやその他のリスクも高い。 ──そんな中だった、そのジムが建てられたのは。

  今日もそのジムの扉を新たな人間が通ってゆく、しかしそれは新しい選択を許容する世界の思惑なのかもしれない・・・。

  [newpage]

  家から数分のショッピングモール施設、その一番隅にそのジムは建っていた。

  駐輪場に原付バイクを停めると、ヘルメットの下から白い毛皮があらわれる。その青年は一見するとかわいらしく華奢な体型、いうなれば、まさに雪の妖精たる所以にふさわしい見た目。

  長く太いしっぽがふよんと跳ねた。しっぽからつらなる白い毛皮のところどころには黒ぶちがあり、それが彼を彼の種族、ユキヒョウ然としていた。

  そして、そんな彼はこともあろうにそのジムへしゃなり、しゃなりと近づいてゆき、架けたサコッシュからスマホを出しては、目の前のジムが目当てのものかどうかを吟味する。

  ─SoftMass HealthyFat Gym。 横文字の並んだジムの看板はスマホの表示するそれと一致している。彼は胸に手を当て、一呼吸すると、行くぞ。とどうやら意気込んでそのジムのドアをくぐる。

  ちりんちりん♪ と軽妙な音と共に「そのジム」は青年を迎えた。件のジム、トレーニングスペースとは一枚壁隔てて受付があり、なにやらタブレットに何か打ち込んでいた受付のビーバーもまたやわな笑顔で彼を出迎えた。

  「いらっしゃいませ、会員証はおもちでしょうか?」

  そういい椅子から立ち上がる彼の身体はふとましい。ネイビー色のシャツには胸肉と膨らんだ腹が浮かび上がっており、その流線形に思わず目が行く。

  「あの・・・エト、初めてなんです」

  まるで鈴を転がしたような、たおやかで柔らかな中性的な声だった。受付はニコニコ笑いながら「そおなんですか!ご入会ですかあ?」と返してきた。

  入会票を足元にあるであろうプリンターから取り出すと、一本のペンと共に差し出して来る。

  「こちら、入会票になってまあす。概要とか契約事項はうつしを渡しますけど、ちょっと読んどいてくれるとたすかりますぅ」

  ふにゃりふにゃりとした特徴的な喋り方をするビーバーだった。そして、ユキヒョウの青年は受け取ると、律儀にそれらを読み込みはじめ、そして、空欄を埋めてゆく。

  

  [i:名 前:新島 聡 / ニイジマ サトル

  年 齢:22

  種 族:ユキヒョウ

  職業/学生:給油所スタッフ

  既往歴:特になし

  連絡先電話番号:xxx-xxxx-xxxx

  メールアドレス:[email protected]]

  そして目標とする体重が書いてあったので、大きく「100キロ」と書く。何度かそれを見返して、ミスがないか確認していると受付のビーバーは世間話でも振ってくるかのように「今日は、見学とか体験とか、そういうのは申し込まれてますかあ?」と声を掛けてきた。

  「いえ、見学は一度来てて・・・今日は体験からで」

  「あぁ~なるほど、いらしてたんですねえ、ありがとうございますぅ」

  そういう彼に入会票を渡すと、横に置いてあった入会票を横目にタブレットに何か打ち込み始める。おそらく本登録かなにかをしているのだろう。

  「それじゃあ、うちのシステムとかは把握されてますかねえ?」

  「ええ、たしか週一のパーソナルセッションと、あとトレーニングルームで筋トレ、でしたっけ。食事指導は遠隔でもいいんですよね」

  「はいそうですよぉ。よくご存知ですね。・・・はあい!じゃあ今からトレーナー呼んできますんでちょっとお待ちくださいねぇ」

  ビーバーはにこりと笑って、近くの椅子に座るよう促すと、奥の方にへ引っ込んだ。そして少しして、バタバタと重低音が響くような音をさせながら何かがやってくる。

  「やあやあやあ!きみがサトルくんだねえ!ぼくはキミを担当するトレーナーのサクモだあ!」

  「おっ…」

  サトルが振り向くとそこにいたのは、黒赤い毛皮とキリン柄の身体、大きな二本の角に蹄の生えた指、陽気な笑顔を見せる巨漢のオカピが立っていた。ワンポイントのロゴが入ったラグランTシャツは胸板や腹に沿っており、ふとましい彼の身体を飾るに相応しい。Tシャツからは縞柄の出ベソが飛び出ていた。彼が嬉しそうにぴょんぴょんと飛ぶと、プッルルンプルンと大きくその出ベソも揺れる。それにほくそ笑むのだった。

  ◆

  その日からニイジマはトレーナー─サクモの指示を受け、ダイエットならぬ「リバースダイエット」に精を出す事になった。彼が申し込んだのは肥満体を健康に保つヘルファコースではなく、「太る」ためのコース、ウェイトゲインコースだった。サクモいわく、このコースは体重が必要な力士や演劇のために肉を必要とする役者さんが申し込むことが多いらしい。

  ─受付の先、閉じていたドアの先にはニイジマの理想とする光景が広がっていた。

  ウェイト(自重)トレーニングに励む太ったサイ、ウォーキングマシーンで大量の汗を流す体格のいいヒョウ。思い思いのトレーニングに励む巨漢の男性客らが見えたのだ。

  このジムは他よりも少々特殊で、各個人に合わせた個別カリキュラムを組めるコースもあるが、逆に単純なトレーニングルームとして利用できる。ただしそれは「悪性肥満」の排除を意味しており、重度の太りすぎやそれこそ「肉塊」と言われる体を元に戻す(そしてまた太る)ために使われる。

  さて、ウェイトゲインコースの目的は「太ること」だったが、それはそのまま太るためのコース。それをジムの中の椅子に座るサクモとニイジマは話していた。

  「ウェイトはまだそんなに上げなくていい、とにかく身体に馴染ませるようにしよう」

  そういい、机の上の資料を指でさす─ウェイトゲインコースの説明資料だ。

  「いまのキミの体重は48キロ。今は太るための「下地」を作る事を提案する」

  「下地、ですか」

  「そうだ。太り方にもいろいろあってね…アメフト型、柔道型、相撲型…んまァスポーツ選手の体格がモチーフになってるネ。でも重要なのはどういう体格になりたいかだ。」

  「どういう体格……」

  「そう、どんな体になりたい?例えば「ボディビルダーみたいな体」「太ってるけどスリムな体」とか、ざっくりで良いんだ」

  サトルはじっとサクモを見る。筋肉質かつ脂多め、しかし張り詰めんばかりの脂肪がミッチリしている。まるで咬みついたらはじかれそうな肉質をしているのがわかる─まさしく脂肪と筋肉を両得した姿だ。これにサトルは惹かれていた。

  「……サクモさんみたいな、丸っこくて肉付きの良い体」

  「なるほど、そういうのもあるねえ」

  そういうとニコニコとするサクモは机の上のペンを取り、ニイジマが書きこんだ体調表(体調表とはいっても、BMIや体脂肪率などが主だが)とにらめっこしながら話し始める。

  「ふぅーん、とすると、まずはやっぱり下地作りだネ。キン肉をつけつつ太るってスタンス」

  空紙にしゅーっと丸を書き、筋肉。と書く。そしてその上に脂肪。と書かれた〇を書いた。

  「筋肉はセメント、脂肪がレンガ…ってカンジかな♡ つまり脂肪は筋肉の上に乗る、ってワケだけど、そうなるとねえ……ちょっとキミの身体、触っても大丈夫かい?」

  そういいながらズイッと顔を寄せ、丸っこい指を動かすサクモに、頷いて答える。すると、そのままむにむにと肩や腰、腹などを触ってきた。しかし、その一つ一つは触診のように的確だ。

  「結構薄いねぇ……それで100kgを目指すとなると……まず55キロあたりを目指した方がいいと思うよぉ……あとはそこから増やす。そこからが本番だネ!」

  ◆

  それからサクモトレーナーに勧められ、スマホに新しいアプリを入れてもらった。マスファットが拵えたトレーニーのためのアプリらしく、今日のトレーニング内容や摂取すべきカロリーなどが送られてくる大変便利なアプリらしい。会員登録を済ますと、さっそくトレーニングが始まった。

  まずは全身に筋肉をつける必要があった。そのためやるのは通常のトレーニング─肩胸を鍛えるようなもの─ではなく、腰、足、下半身、上半身をまんべんなく鍛える必要がある。

  最初はスクワット。初心中の初心だが、まずはこれが一番効くという。

  頭の上に腕を、足を開いて、半分まで腰を下げる。これを6回。

  「少なくないですか?」と聞いたが、「続けれる量が最初は一番」とのことであった。

  ─たしかに6回は少ないと思ったが、それを4セットもするらしい。2セットまでは余裕だったが、4セットにまでなるとだんだん辛くなってきて、休憩を挟んでベンチプレス。

  「最初は20キロから行こう」と言われ、初めてバーベルを触る…

  ぐい、とあげるとそれは余裕があるが、確かに重い。そのままトレーナーの指示に合わせ、ゆっくりと持ち上げ、下げる。じっくりと持ち上げ、下げる。確かにこれはつらく、持ち上げるごとに微弱な筋肉がヒイヒイ言っているのが解る。これも4セット。汗が身体ににじんでゆく。

  「はい1! …にィ!すごいよすごいよ、鍛えられてるよ!」

  …すごい圧のポジティブにやられつつ、必死に重いバーベルを上げ、「ふんんっ」と下げる。

  「3!いいじゃな~い、フォーム整えてみようか!…そうそう!もうちょっと下げてみよう!いいよ~!!」

  筋肉が十分にこなれてきた後、次はルーマニアン・デッドリフトという聞きなれないトレーニングを行う事に。続いてもバーベルのような棒を持つものだったので「またか」と思いつつ、やり方を聞くとなかなかにきつそうだ。今度は立ったまま重いバーベルを持ち、お辞儀のようにバーベルを上げ下げするようだ。これがなかなかに鍛えられる。

  本当は重りを付加して行うらしいが、初めてという事もあり槍のようなバーベルだけで行う。

  足を広げ、それをゆっくりと腰を足を使って持ち上げる…そのまま、下げて、そしてまた持ち上げる……。

  「そうそう、これが一番最初にはきついんだよね……ここで腰をイジめないように」

  腰には手を当てられており、そのまま動きをサポートしてくれる。手はサクモの張り詰めた手であり、それが安心感を与えてくれた。

  ラットプルダウン─パイプの先に伸びたバーを腰かけて下げるトレーニングだ。これが肩甲骨を引き付けるらしく、痛めつけられた体にはなかなかに応える。

  ダンベルショルダープレス─ レッグカール─ そして、とどめのプランクにはさすがにやっつけられた。ただでさえきつい腕立て伏せ、この場合は手ではなく腕と足で体重を支えるのだが、ただただ「待つ」のが本当にキツイ。ガンバった筋肉が悲鳴を上げ、勝手に手足が震え出す。きついきついと声に出すも、圧迫する程のポジティブにやられ、「そういうことじゃない…」と笑いつつも、やはりきつく、1分が経過したときには床に倒れ込んだ。

  「がんばった!!がんばったよニイジマ君!!かっこいいよ!!」

  今日のトレーニングを終えると、時刻は既に2時間が経過していた。残業─さらに筋肉を痛めつける事、すごい快感を伴う─はほぼほぼなく、今日は本当に楽だったのだろう。汗を吹き出すサトルは既に暑くなったのか上着を脱ぎ、汗で濡れたタンクトップ姿で汗をぬぐう。

  「はあ……はあ……きつかった……」

  「すんんごい良かったヨ!プランクの姿勢もすごくよかった!これで今日のトレーニングはおしまいだから、入会特典のプロテインを貰って気をつけて帰ってネ♡」

  むきっ、とご褒美?のマスキュラーポーズをサクモがとるとプッルルン、とサクモのデベソが揺れる。それに「触ってもいいですか?」というのを堪え、ぺこりと頭を下げると、ダブルサムズアップで歓迎してくれる。…週三回とはいえ、この立派なお腹…体型が見れるのは実に嬉しく、おもわずほほ笑んでしまうニイジマであった。ふと、脳裏をよぎるのは、ここに通い始めたきっかけだった。

  ◆

  幼い頃も、今までもニイジマは痩せていた。そして「お前は細すぎる」と、ことあるごとに言われていた。特に、親族が集まる場では格好の的だった。

  「もっと食べなさい」「そんな細っこい体じゃ嫁のひとりももらえないぞ」と。

  だが、食べても食べても彼の体は変わらなかった。食べることがキラいなわけじゃない…焼肉…牛丼…それなりに重いものも好きだ。だがどれだけ食べても、ムダな脂肪がつくだけで、それも数日の内には消えてしまう。それはある種「望まれる身体」なのであったが、聡自身はそんな自分が嫌で嫌でたまらなかった。鏡の前に立てば、貧相な肩幅、毛皮を押せば感じる骨の感触、棒のような尻尾。

  力もなければ、守るべきものもない。ただの透明な存在。誰の目にも留まらない、ただ「カワイイ」だけの男。

  社会に出てからも、それは続いた。適当な彼女を作ったり、何人かの女の身体をくぐり抜けたものの、煙草の量が増えるだけでどれもこれもあちらから別れられ─適当にありついたガソリンスタンドでの仕事においても、重いオイル缶を持ち上げることもできず、肉付きのいい先輩にいつも代わってもらっていた。先輩たちは優しかったが、その優しさが逆にサトルを惨めにした。

  彼はその第一歩を踏み出したのだ。トレーニング後の、この筋肉の奥がじんわりと熱を持つような感覚。快い痛み。初めて得てした「力」を実感している証拠だった。

  「……ねっ、ニイジマくん!」

  サクモが優しく語りかける。彼は床に膝をつき、同じ目線になるようにして、そっとサトルの肩に手を置いた。

  「今日のトレーニング、本当にきつかったと思う。でもね、筋肉が震えるってことは、それだけ筋肉が『変わりたい』って叫んでる証拠なんだ。その声に、ちゃんと応えてあげよう!」

  ぐっ、と力強い笑みとサムズアップ。ああ、眩しいなあ。心の奥の惨めな自分がその光明に灼かれ、またその快い痛みにうなづく。

  ◆

  「トレーニング直後は『ゴールデンタイム』って言ってね、傷ついた筋肉が栄養を一番欲しがってる時間なんだ。まずは、プロテインを一杯飲んでほしい」

  そのあとにはじめてのプロテイン、パッケージに力士のイラストが張り付けられたそれをサクモのアドバイスをうけながら作り…そして、ぐいと飲み干した。

  「…え、甘酒……ですか?」

  ノドに当たるねっとりとした感触、この素朴な甘さ、土気を感じる味に思わず言うと、サクモが返す。

  「そう。ウェイトゲインコースのトレーニーにはこのプロテインを勧めてるんだ。米麹の甘酒はね、「飲む点滴」って言われるくらい栄養価が高いんだヨ。ブドウ糖や必須アミノ酸、ビタミンB群が豊富で、疲労回復にすごくいい。プロテインが筋肉の材料なら、甘酒はその工場をフル稼働させるための燃料ってわけ。筋トレの後には、これが一番効くんだよ」

  サクモは自分の大きな腹をポンと叩いて、いたずらっぽく笑った。プルルンッと震える出ベソにほほ笑む。

  「ボクも毎回これで仕上げてるんだ。お口に合うかな?」

  「おいしいです。なんか、ところどころ感じたことのない味があって…おもしろいというか、楽しいっていうか」

  そのレビューにサクモがマスキュラーポーズをして返す。

  「長続きする兆候だネ♡さ、今日はゆっくり休んで。風呂上がりにもしっかりストレッチするんだぞ」

  サクモはそう言って、サトルにウインクを飛ばした。その腹が、プルン、と揺れる。

  その後は更衣室で温水シャワーを浴び、着替えを済ませると、サトルはジムの外に出た。夕暮れの空気はひんやりとしていて、火照った体に心地よかった。

  原付に跨がり、エンジンをかける。ヘルメットのシールド越しに見る景色が、来た時よりも少しだけ、鮮やかに見える気がした。

  [newpage]

  それからは植物のような人生をおくっていたニイジマだったが、トレーニングというひとつの指標を手に入れたことで「なにか」が着実に変わっていった。

  「ふっ…っ」

  朝は早く起き、柔軟体操と、腕立て伏せをこなす。アプリ通り9回を3セット。着実に筋肉が目覚めてきているとはいえ、いつも腕立て後のプランクは厳しく、倒れそうになる。

  シャワーを浴び、気圧シャツを着こむと朝食だ。─目玉焼きふたつに焼いたブロッコリー、ササミ入りの味噌汁に五穀米。

  かならず朝食はとるようになってきた。 他のトレーニー、といっても彼の趣味嗜好から力士の朝稽古動画や四股をただただ踏む動画を見て、以前の彼からは考えられない量を朝から入れる。

  四股踏みか、下半身のトレーニングにはもってこいだナ、と思いながら四股踏みをする自身の姿を─今よりうんと太って、筋肉の着いた姿を想起すると、やる気とゲン気がムラムラ湧いてくる。

  仕事においても彼の勤務態度は変わりつつあった。ガソスタでの仕事はほぼ接客メインになるのだが、いままではどちらかというと陰鬱な態度だったのが嘘のように、ハキハキと接客するようになった。先輩──太ったイノシシ獣人の男性も、「お前変わったな~」と目をぱちくりさせている。彼の身体中も脂肪に覆われており、柔道部あがりだというその筋肉が見え隠れするたびにいつも笑みが隠せない。お客サンに対しても、このヒトは脚の筋肉がいいな、とかこのヒトの肉の着き具合はいいな、とか思うようになっていた。

  灰ガラをゴミ箱に捨て、サービスで窓を拭く。以前からもちょっとしたこまやかさが光っていたのだが、いまでは朝露をあびた稲穂のようにキラキラとかがやいている。

  さて、仕事もそこそこながら、「ジム」においてはやる気旺盛、元気みなぎる良きビギナーとしてある。

  「ニイジマさん、おはようございますぅ」

  受付のビーバー、サガラに言われるといつも彼は挨拶を返し、ジムの中でも知り合いが増えた。

  「What'up? 今日もゴキゲンかい?」

  いつもランニングマシンに乗っている水牛のメタンさん。これは彼のラッパーネームで実際の名前は教えてくれない。恥ずかしがり屋なのである。

  「よぉ兄ちゃん!今日もやってるか~?」

  汗をダラダラ流しながらベンチに座るブタ獣人のノボセさん。いつも加圧シャツからピンク色のデベソが突き出ている、風呂好きだ。

  「ニイジマくーん、今日もよろしくなのだ」

  ぼてっと太った「元肉塊」のナベブトさん。もともとの体重は240キロもあったそうだが、なんとか120キロにまで戻したサル獣人。いまではムッチリと肉付きのいい好青年だ。

  「おはようございます」

  サトルは一人一人に礼儀正しく挨拶を返しながら、ロッカールームへと向かう。鏡に映る自分の姿は、以前よりわずかに肩幅が広がり、胸にもぽってりと肉がついた。体重計(200キロまで)に乗ると体重は52キロにまで増えており、にんっ、と歯をむき出して笑ってみた。

  今日も仕上げる時間だ。─まずはあいさつ代わりのスクワット。いつものフォームから、ピッチリ締め付ける加圧シャツが脂肪と筋肉でパッツパツになることを想像しながらこなす。

  「ふッ・・・」

  いつものように、気息正しく、膝の半分まで。7キロというものは大きいもので実際彼の負荷はより大きくなってきていた。だがそれは脂肪だけではない、彼を支えるサポーターたる筋肉の増加も表している。

  10回を3セット。 柔軟をこなすと、気息整えプレスマシンをこなす。今日の重量は少し増やして胸の増強を図る。

  彼はトレーニング中に音楽を聴かない主義。このジムにあふれている息づかいとか、そういうのを聞いていたいのだ。ジムに通い始めてから若干自分が男好きだと気づきつつあった。

  だむん、だむんとバトルロープをやる音、どッどッどッと重たい音で走る音。そういったBGMがぜんぶネバーギブアップ精神を燃えさせる。

  まだまだだ、まだまだだ、という自負心が好転して強烈なバネになり、瞳孔を開かせる。 ガシガシと筋肉を錬磨する。たまらない。

  メタンさんの隣でフットワーク。走りは全身をくまなくギシギシにさせてくれる最高のトレーニングだ。ちらと見ると、彼の黒のタンクトップから覗くワキ毛や、したたる汗が眼福になる。

  ぴぴぴ♪とゴキゲンな電子音と同時に走りが始まる。音漏れするラップの音を片耳に、自分がみっちり追い詰められてゆく感覚に溺れる。

  苦しい。苦しいのだが、それを乗り越えた先の「やってやったぞ」に至るのが、最高に自負心を打ち負かす。キラキラした汗に光る毛皮がポジティブな感情を引き起こす。

  ふくらはぎがあっという間にパンパンになり、「はッはッ」と呼吸はツラくなり、サラサラした「いい」汗が身体を満たす。ネガティブさが引き起こされて、自分とのたたかいになる。走りは孤独だ。トレーニングはまだ、「自分」があるからいい。だが走りは違う。その「自分」すらもどんどん追い込まれて、自らまな板の上のコイになるのだから、スゴく苦しい。

  苦しいのに、ああ、楽しい。俺は太るんだ、筋肉が悦んでいる、いろんなバイアスがとッ払われて、クリアでピュアで澄み切ったカラダになる。

  一分が経過し、走りから歩行へと変わった。心臓がはやく打って、緊張でかたくなっている。呼吸が浅くなりつつあるから、深く。深く呼吸を。ゆっくりとするのを意識する。

  「いいなァ、良い感じじゃねえか」

  同じく歩行ペースに入ったメタンさんがガイドバーにつかまりながら言ってくる。いい感じなのはあなたもだ、ブヨンブヨンと揺れていた黒肉、見え隠れするヘソ、そしてその角にまで飛び散った汗、美しい。

  「メタンさんも、はぁ、いい感じ……」

  息も切れ切れなのに、賞賛だけは欠かさない。

  「カワイイ」だけの自分はいまでは違う。いまは太って、ムチムチで、真にカワイくなっているのだ。

  「ハッハッハ!そいつぁどうも」

  そういうメタンさんと5分を数セット、同じく息切れ切れになりつつニイジマは汗を拭いた。やっぱり走ったあとは気持ちが良い。

  ベンチに座ると全身がイイ感じにこなれている。 もう乳酸がたまりにたまって、つらい。つらいのだが、快い。本能がムキダシになったようで、筋肉のディフニションが毛皮の下から浮かび上がっている。加圧シャツのおかげもあってか、最近では無駄にくたびれた感がないのが救いだ。

  汗をぬぐいながら、ふう、と息をついていると、「や♡」と、後ろにサクモがいた。「うおっ」とびっくりして、あいさつをすると彼はノボセさんのトレーニングを終えたようで、見かけたから驚かせようと、といったところだった。

  「今日もえっらい励んでるネ!こないだの筋電図の結果が出たんだけど、さっきと比べて筋繊維の密度が全体的に3%も上がってる」

  「ホントですか!」

  サクモの指摘に、ニイジマのテンションは高揚した。いつものサムズアップを見るにそれは本当らしい。「やッた」と声に出すと、彼もマスキュラーポーズを取る。…トレーニングにつきあったのだろう、サクモの全身も濡れていて、筋肉と脂肪とが浮かび上がっていて、ほんとうに、ステキだ。その腹はまるで将棋盤のように堅固で、適切な代謝で管理されている。ニイジマが触れると、ぷるん、と跳ねる。

  「もっとだ!もっと見せてくれ、キミの成長を!必ず理想の体型に仕上げてみせるからネ!」

  ダブルバイ・セップスをしながら歯を輝かせてはげますサクモ、それに「わかりました!」と答え、休憩もさておき次のトレーニングにうつる。

  ◆

  ニイジマがとどめのプランクをやるころには、すっかり夜に差し掛かっていた。その頃にはおそらく相撲部か柔道部らしき、太ましい学生やちょっとでも健康にいたのか、建築業の獣人たちが集まってきてこれもまた眼福だ。親父さんたちはよく器具の使い方を聞いてくる、その時に香る煙草の香りと汗のすえた匂いがなんとも雄くさくてイイカンジなのである。

  さておき、ぐいっ。とプロテインを飲み干す。もう慣れ親しんだ味だ。腕につけたトラッカーから「今日のノルマ達成です!」のメッセージが通知され、通知を消す。

  今日も今日とて整った。達成感と、筋肉痛に包まれながら背伸びをするニイジマ。その肩には厚い筋肉があり、背中にも盛り上がる三角筋が乗っている。毛皮の下は既に筋肉によって押し出されつつあった。サガラに会釈をしてジムから去ると、夜風が心地いい。

  一本だけケントを取り出して火をつけると、「けほっけほっ」とせき込んだ。今日は走ったからだろうか。とはいえその細いフィルターをつまみ、今夜の三日月を見ながら一服をしていると、電話が来た。

  スマホをサコッシュから取り出すと、そこには「お母さん」の文字。 スワイプし、スマホを着信状態にする。

  『もしもし、どしたン。…あぁ仕送り?とっくに届いてっからダイジョブだよ。 …あぁ。いや、辞めてねぇっで!ぼぐも今まではアレだったけんどよ、…うん、うん、カノジョ?できてねーっで!ジムさ通いはじめただけだべよ!ラインしたっぺ!』

  すっかり染みついた方言が丸出しになる。今こそ東京さ出てきたが、この口調だけはふいに出てきてしまう。電話口の母は相も変わらず元気そうだった、最近、変わったねと言われるとどこか照れくさい。母は喜び勇んで、結婚は早い目にしなさいよと言いつけた。それに対して少し苦笑する。

  『わかったっからよ、んじゃ…おン、また、うん、はい、切るからね、それじゃ』

  一通り話を終わらせると、煙草の吸殻を携帯灰皿の中に納め、ヴルルルルゥン、と原付をつけて帰路に着いた。

  「…はぁ~、ケッコンねぇ…」

  [newpage]

  60キロにまで到達すると、増量期に入った─

  「自然はネ、むやみに食べない。一度に適正な量を、一回で済ます。肥育のパーフェクトはそこにあるんだ」

  とのサポートから、ニイジマは量より質。それもしっかと考えて、得てして「脂肪」という応酬を得る食事を摂り始めた。

  朝には─一杯半の穀米。そこにミックスナッツ(くるみやアーモンドといった高糖質高カロリーなもの)に加え、一丁の豆腐と消化を助けるためのミョウガ、ネギを少々、そしてサラミを加えた湯豆腐。そして冷凍庫から様々ミックスされた肉塊のひとつを取り出し、解凍し、高栄養高カロリーな油を残すべく、ホイルに包んで焼いたものを。そしてさらに飲み物は二種類。アーモンドミルクと湯冷まし。アーモンドミルクの高カロリーでさらにプッシュするという選択肢だ。そしてそれらを食べつくしてしまうと、なんと寝転ぶ。

  力士から学んだ消化吸収法だ。しかもこれらの仕込みをするために(筋トレも含めて)朝は早くに6時半に起きる。

  ─カロリーは膜につつまれた油のようなモノと考えるといい、と真逆にダイエット本から得た啓示。とすれば、それから逆算すればいいわけだ。

  その本ではその膜につつまれた油─カロリーを燃焼するためには「体につく前に燃やす」「体についたものはミッチリ時間をかけて搾る」と書いてあったが、つまるところその逆。

  「太るためにはいかにカロリーを体に「つかせる」かがカギ」であり、「体にいかに吸収させるか」が体重増加の結論であった。

  そのため、食事においては「消化吸収」をなにより優先。とはいってもオジヤやバナナのような「体につきやすいが即座に燃える」カロリーはデブエットには向かない。

  向くのは身体により吸収され、脂肪になりやすいカロリー…油や、糖質、タンパク質といったものだ。タンパク質といえば筋肉だが、わずかに上限を超えればたちどころに体重増加要因に加わる。

  水分をとり─消化吸収を良くし─かつ、体重増加に合わせて運動もする。運動量こそ落とす必要がない。むしろ、ここで落とすと身体に悪性脂肪、よくない「ぜい肉」がつく。

  ちなみにニイジマはぜい肉こそ嫌ってはいないし、むしろマシュマロめいたその見た目は「良い」と思っていたが、トレーニー、中でもなかなか特異な「ウェイトゲイン・トレーニー」においてはその脂肪に「何かが足りない」と思いつつありはじめた。

  なので、ジムに足しげく通い、いままでの通常のトレーニングをこなしていた。最初についたのが「筋肉」ゆえんで、6回が8回、8回が10回とトレーニングの量こそ増えていたが、筋肉量を落とさないためにそれも続ける。

  ◆

  キバを噛みしめヒップスラスト。体重、つまり負荷が重くなった事でそのキツいトレーニングもよりキツくなってきたが、本腰を入れて熱意をもってサクモが励ます。

  「足はそのまま!首も上げないよ~!そおうっ!イイ!イイよ!」

  「ふっ…! んッ…!」

  縄のような筋肉がふくらはぎに浮き出て、見ればワンサイズアップした加圧スーツの下には腹筋が浮かぶ。通常であればここで「仕上がってきた」といえるだろうが、体重増加、デブエットにおいても完成にはなりえない。自重トレーニングの結果か手脚はギュッと凝集された筋肉が身につき、尻に至ってはより大きく膨らんでいる。胸筋、腹筋も熟れた蜜柑のように丸いディフニションを描いている。

  「オォッケイ!はい上げて~…いいよいいよ!態勢ももうカンペキ!一人前に仕上がって来たネ!」」

  サクモトレーナーがぱんぱんと手を叩く音に、トレーニングを終えたサトルは体を起こし、かたわらのバスタオルで顔中の汗をぬぐう。それこそ、ソフトマスに彼が入ったときは本当に「妖精」然としていたが、今ではもうすっかり一流のトレーニーにに近づきつつあった。眼光はキリッと切れ味よく、それでいて愛想はいい。

  自重トレーニングの肝用を説明するサクモの出ベソがプルルンッと揺れた。サトルの目線がそれに吸い寄せられる。『あの腹に、俺はなるんだ』とムラムラやる気が込み上がり、薄めたスポーツドリンクを飲む。これも消化吸収のためだ。体というモノはやれば応えてくれるもので、少なからずサトルの努力は結果に反映されている。

  「いやぁ~キツいすね、体重がどんどん上がってきたのがワカります」

  「うんうんうん~、そぉれはそうだよネ。もう体重は結構増えてきてる、それにこれから増量期に入るんだ。自重トレーニングを増やしてもいいかもネ」

  タオルで汗を拭きながら心情を吐露するとそう返す。だが「太りづらい」という体質から懸念はぬぐえない。このままじゃ、筋肉だけが増えてしまうのではないか?

  [newpage]

  そう思っていると、「おつかれさまだぞい」とダラダラ大量の汗をかきながらノボセ氏がやってきた。いつ見ても立派な体格だ。脂肪7、筋肉3といった割合の体格、言うなればそれは「肥満体」を絵に著したような体格で、恵まれた資質にほれぼれとする。

  「ノボセさんもお疲れ様ッ!トレーニングの質問かナ?」

  「そうなんですわい。どうも食べ過ぎで2kgも太ってしまい…いやはや、トレーニングの時間を増やすべきか?と思いましてなァ」

  こうも立派な肥満体が二人も並ぶと壮観だ。かたや、パンパンに膨れ上がったボディビルがごとくミッチリ張り詰めんばかりに仕上げられた肥満。かたや、どこも柔らかい印象を持つむっちり自然体の真ん丸お腹の肥満。太り方、つまりは仕上げ方でここまで体系が異なるのかと感心する。

  「ウ~ン、減量目当てならその手段もありえるけど、ヘルファトレーニング(肥満体型のまま健康を維持するコース)ならば現状維持でもいいと思うヨ。」

  「なるへそ。しかしカミさんにまた叱られましてなあ…いやはや、これ以上太ると家の床がぶん抜けちまうと…」

  「あははは、大丈夫じゃないですかネ、体重は落ち着いてるし……」

  苦笑するノボセ氏の肩をぽんぽんと叩くサクモ。サトルはそれをうらやましそうに横目で見ながら、ふと気になって質問をした。

  「すみません、あの…」

  「うン?どうしたよ」

  「あの……ノボセさんは、どうやって太ったんですか?」

  本心からの質問だった。それにノボセは「うん?」と太い首をかしげ、少し考え込む素振りを見せた。そしてにっ。と歯を見せると、がははあ。と笑って肩を組んでくる。

  「わっ」

  「こまけぇ~事は考えねぇ主義でなァ!オイラのアドバイスぁそれだけよ!」

  にんっ。と笑う彼と汗のムスクがいやに心地よく、つられてほほ笑む。だが不安はあまり晴れず、「ありがとうございます」と言うだけだった。それを横目で見たサクモはなにかひらめいたようで、「サトルくんサ」といってくる。

  「ノボセさんチのお風呂に入ってみたらどぉ?」

  …その突飛な提案に実際ふたりともがきょとん。とする。だがサクモトレーナーは続ける。

  「Closedな環境でイキがつまっちゃってるのかもしれないヨ。それにトレーニングとはいえども同じメニューや同じ環境だし、ちょっと外に出て息抜きしてきたらいいじゃん!」

  なるほど、的を得ている。そうすると「お客様」の気配を感じてか、ノボセがそれに同調し、ニイジマはくしゃっと笑う。

  「お風呂かあ、たしかに最近浴槽に入ってなかったかもしれないです」

  「そうだろぉ〜?ワカるよ、一人暮らしだと浴槽出すの勿体ねえもんなぁ!そいじゃアうちに来なィ!なあに、取って食いはしねえよ、ガハハハ」

  ◆

  午後六時、栄養補給を終えたニイジマはバイクで教えられた住所、「のぼせ湯」へとやってきていた。今までは銭湯という場所にフォーカスが当たってなかった分その場所の発見には驚かされた、ニイジマ宅、アパートからちょうど500mほどの場所にあったのだ。

  ヘルメットを外すと、むわっと汗の匂いが立ち込める。「せっかく銭湯に行くのなら」と念入りにトレーニングしてきたのだ。ストレッチに、プランク、器具運動も兼ねて全身の筋肉をみっちりと。その後にささみ牛皿定食を近所の牛丼屋で補給してきて栄養もバッチリだ。ただ心残りはいまだ残る─のれんをはらりとめくる。

  「おう、いらっしゃい!」

  住宅街の中にひっそりたたずむいわゆる「かくれ湯」的な佇まいとは裏腹、中はずいぶん本格的だった。板張りで、ドラマでよく見るような牛乳入りのショー・ケースに「男」「女」ののれんまである…いままで知らなかったのがびっくりだ。番頭にいて、新聞を読んでいたノボセさんがこちらを向く。

  「どうもです、ノボセさん。・・・ずいぶん本格的なんですね」

  履物を脱ぎ、ロッカーに入れる。

  「ブハハハ、親父がこういうの好きだったからなア。ジムん帰りかい?絞ってきたろう」

  搾ってきた、というかニイジマ的には太るためにやっているのだからむしろ「盛ってきた」といってほしかったが、はにかんでごまかす。そうか、ノボセさんは体重を搾るため、っていってたっけ。

  「お蔭様ですよ、銭湯に行くってんで全身コッテリ痛めつけてきました」

  「おうおう、そうでなきゃなあ、風呂上がりの牛乳が美味くならねぇじゃねえか!」

  相変わらず豪快な笑い方をする人だなあ。村祭りにこういう笑い方をするおっちゃんがいたな、と想起しながら、入浴料を出す。

  「いいっていいって!顔なじみなんだしよ」

  「いやそんな・・・悪いですよ」

  千円札を突き返され、それでもワルイとばかりに千円札を渡すとへにゃりとしてノボセさんは受け取ってくれた。そして代わりにロッカーのカギを出してくれて、ついでにタオルもくれた。

  広い浴槽、昔ながらの沸かし湯に入りながら、天井を見上げる雪豹。その顔はシュッと締まり、身長もこころなしか高く見えるが実際のところ彼は低身長だ。だがなぜそう見えるのか?それは彼の精神性、その目つきに現れているのだろう。

  「・・・」

  体を洗う獣人、水風呂につかる獣人、どこを見回しても恰幅のいい獣人ばかりだ。たしかに、膨れて引き締まった自分の筋肉にも自信はある。だけれども、やはりジェラシーにも似た気持ちがむんむんしてきて、ふぅー、と息をつく。すると、扉の奥から見慣れたボディが見えた。

  はちきれんばかりの大腿筋、前に横にせり出したバルーンみたいなお腹。

  「・・・あ。」

  頭にタオルを巻き、プルルンッ、とそのデベソが揺れる。見慣れた縞々の毛皮が目の前に入った途端、「わっ・・・」と恥ずかしくなって目を覆ってしまった。

  「んーんっ、さて、どぉっしよぉかな~」

  そう独り言ちるオカピの獣人を…いままで、ちょっとはしたない目で見ていたトレーナーが、その目の前にいた。しかも「前」も隠さず堂々とだ。彼は重ねられた桶をとって椅子に座るも、小さくて窮屈そうだ。ぶくぶくと湯に沈んだままのニイジマは、目をぱちくりさせながらそれを見る・・・見ざるを得ない。憧れていた、いや、その体型の理想としていた、サクモの裸体がそこにあったからだ。

  いけない、とばかりに目をそらすも、ごしごしとその全身に石鹸を─おそらく持参らしきそれをなすりつけ、全身を泡たててゆく彼を─その隆線美を、曲線と丸とで構成されたすばらしい肉体を見る。

  (あ、っ・・・)

  きゅうっ、と内また気味になり、思わずその恥ずかしさにふたたびお湯に沈む。ぶくぶくぶくぶく。

  ─ サクモは口笛をふかしつつ、体を洗いながら、湯船に目をやった。そこには、ぶくぶくと泡を立てながら沈んでいく雪豹の姿。

  くす、と笑いながら今日もガンバった自身の愛しい筋肉ちゃんたちを手で十分にCareする。ブラシやスポンジもいいが、結局は自分の手でCareするのが最もprimitiveで、もっともrelaxできるとサクモは確信のようなものがあった。Flexするような大胸筋から前鋸筋、なめらかにCreamを塗るようにシャボンを塗り立て、手で押しlymphを流動させる。乳酸が押し出されて筋肉がRefreshしてゆくのがわかる。心地いい筋肉痛は超再生のしるし。それを追い立てて上腕三頭筋と僧帽筋を動かす、それがなんとも言えず快感だ。

  上半身を一通り洗いおえ、お腹を手でじっくりとCareするように乳酸を押し出してゆく。自慢のお腹、外腹斜筋の上に満ち充ちた十分な脂肪。ObeseでもChubbyでもないOverWeight。ふわふわと泡立てるように手のひらで叩き込み、お腹をプルプル震わせる。

  プルルンッとOutieが震えるのがCharm pointだ。大体四頭筋から前脛骨筋までをVenusみたいに洗いながらSexyに横目をやると、サトル君はすっかりぽかん。としていた。くすくすと笑みがこぼれる。それじゃあもう少しサービスしてあげようかな。おっと、サービスは和製英語だから─横文字は使わないよ。

  ◆

  ちょいちょい、とサクモが指をこくる。「おいで」とも言っているように、吸い寄せられるように「まずいよなぁ」と思いながらもお湯を出て・・・おずおずと近寄ると、彼はこともなげに「ハァイ」とあいさつした。

  「ちょっとさぁ、背中が洗えないんだよネ。…洗ってくれると助かるんだけど♡」

  にっ、と八重歯を覗かせていうその人に断るすべもなく、おずおずと背中を向ける彼の背中を洗い始める。

  「背筋がきついのよ、最近ちょっと増量期だしね」

  そういう彼の背筋はたくましかった。どれほど鍛えればこうなるのだろう?と思しきまるで小山のようで、触ると岩のようにがっしりして美しい。背中の模様も美しく、色濃く、しっぽも鞭のようにしなやかで立派だ。その感触にゾクゾクする。これは一種のご褒美か?それとも、ただ単にトレーナーとトレーニーというだけの信頼行為なのだろうか。ニイジマは揺らいだ。だが、けして理性は締め付け、その体躯を抱きしめないように苦労した・・・。

  [newpage]

  翌日、いつものようにジムに行き、いつものようにトレーニングをこなし、いつものようにプロテインを飲む。

  胸板が少し厚くなっているような気がした。それに・・・肉がつかめるのだ。

  腹回りのやわらかな重みは、まさに「増えてきた証拠」といってもいい。

  そこでしっかりと気付いた。自分は太っていないつもりでも、体はしっかりと答えてくれているのだと。ただ、焦りすぎていただけだったのだ。

  鏡の前に立ち、前のめりになる。…自分の顔だ。いつも見慣れた、左右非対称な自分の顔だ。だが、前とは少し違う。

  前より大きな胸、筋肉の着いた手足に、重くなった脚、頬を撫でると、わずかに頬肉が生まれてきていた。

  ロッカーを開けると、そこにはもう着れなくなった加圧シャツが─以前の自分のぬけがらが置いてある。そして、新しいシャツを着る。

  百キロはまだまだ先だ。

  だが、足取りは軽やか。サクモという「王道」の師を手に入れた。

  この長い旅路をいつまで行けるのだろう?どこまで行けるのだろう? そう思えたのは初めてだった。

  ふっきれた自分の顔は、いつもと同じ、だけど少しだけカッコヨクみえた。