溢れんばかりに愛してる

  「…起きてー」

  「…んー…」

  「たーか、貴和ー…もう…」

  「……スヤァ…」

  「まぁ、もうちょっといいか。」

  何だか美味しい匂いがして、目が覚めた。

  「あ、やっと起きた〜。おはよう貴和」

  ちゅってキスをされて、僅かに意識が浮上するけど…まだまだ眠い…

  「朝ごはん食べたらどこ行こうか。」

  少し浮かれ気分の千秋さんに、俺はハッとした。

  …今日デートだった…。

  「…家じゃダメですか…」

  俺の言葉に、千秋さんは固まった。

  「……ぁ、いや、なんでもないです」

  慌てて断ると、千秋さんは苦笑しながら、「まぁ、それもいいかもしれないね(笑)」と頷いてくれた。

  家で二人で映画を観て過ごしていたけど、やっぱり千秋さんは外出したいみたいで…二本目の映画が終わった時、千秋さんが言った。

  「…貴和、出掛けるの面倒かな」

  「っぇ……ぁ、いや……」

  着替えさせてあげるよ?なんて首を傾げる千秋さんに、なんて言えばいいんだろう。

  本音を言えばだらだらしてたいけど、そんな事言ったら呆れられそう…。

  「…貴和?」

  「…すみません…」

  何だか苦しくなってそう言えば、千秋さんはじっと俺を見つめた。

  「…何で謝るの?」

  その声が怒ったように響いて、余計顔を上げづらくなる。

  「……やっぱり、デート別の日にしよう。」

  「っぇ……」

  そんなつもりじゃなかったのに…。

  俺が合わせればよかった…。

  やっぱり俺は、自分優先じゃダメなんだ。

  千秋さんが仕事をすると言って部屋に入った後、俺は自室で膝を抱えた。

  「…こうやって、また……」

  千秋さんにはいつも迷惑を掛けてしまう。

  負担が軽くなるようにと思ってやった事でも同じだ。

  それならいっそ……

  「……居なくなれば…」

  俺の掠れた小さな声は、誰の耳にも届かなかった。

  千秋side

  仕事をすると言って部屋に戻り、ベッドに腰掛ける。

  お互い気まずくなってしまった。

  今日は動くのが面倒そうだとも思ったが、せっかく約束もしていたから、二人で外出したかった…。

  けど、貴和の気持ちを無視してしまったのも事実だ。

  謝るべきだよな。

  そうすれば、気まずさもなくなるはずだ。

  何より私は大人なんだから、私が先に謝る事で貴和も謝りやすくなるかもしれない。

  「…よし」

  自分の中で納得して、貴和の部屋をノックする。

  「…貴和、いる?」

  部屋がノックされ、千秋さんの声が聞こえた。

  「…貴和、いる?」

  俺は頭を抱えていた。

  俺が居なくなれば千秋さんは楽になると思った俺は、本気ではないものの手首を切っていたのだ。

  久しぶりにしたから止血のやり方を忘れ、ただ流れる血を感じていた。

  お願い。

  今は開けないで…。

  「っ…あっち行ってください…」

  「怒ってるの…?ごめんね、貴和の気持ちを考えてなくて…私の気持ちばかり押し付けてしまって…顔を見て話したいんだけど…開けていい?」

  「っダメ!」

  部屋に俺の声が響く。

  「……」

  その後の沈黙が怖かった。

  「…貴和。何してるの」

  「っ〜…」

  千秋さんの確信したような強い声。

  恐らく俺の強い拒絶が、ただならぬ事をしているという事に気付いたのだろう。

  「開けるよ。」

  「まっ…!」

  ガチャ。

  「…?そこで何して……!?」

  暗闇の中しゃがみ込んでいる俺を、千秋さんが電気をつけて見た瞬間、今までに見た事もないほど深いしわが眉間に刻まれた。

  信じられないと言うように数秒固まった後、千秋さんは直ぐに俺の手の止血をした。

  「っちあ…「うるさい。」

  静かに、冷たくそう言われ、Commandじゃないのに身体が震えた。

  じわりと涙が滲む。

  その瞳に浮かんだ苦しげな光を見て、あぁ俺は、千秋さんを傷付けてしまったんだと後悔した。

  …何をやっても傷付けてしまう…。

  なら、どうしたらいいんだ…。

  途方に暮れつつ千秋さんに身を任せていると、千秋さんは俺の手に包帯を巻いて、俺を目の前に立たせた。

  雰囲気的にお仕置きされるのはもう分かっていて、何故膝の上でのお説教じゃないのか不思議と同時に不安だった。

  「…はぁぁ…。……貴和、」

  長い溜め息の後、千秋さんの呆れたような声が耳に届き、身体が強ばる。

  「っ…ごめ、なさ…」

  「何に謝ってるの…」

  怒ると言うより、叱ると言うより、ほとほと呆れた。

  そんな態度に、堪え切れない涙が頬を伝う。

  さっきまでは離れようとしていたと言うのに、今頭に浮かぶのはただ一つ。

  “捨てないで”

  という言葉だけだった。

  「泣いてどうにかなるの。」

  「っ…」

  「なんでこんな事したの」

  「ぁの…」

  「傷が残るかもしれないんだよ?」

  「…ぁ…」

  「下手に動脈切ったら死ぬの。」

  「私の為か自分の為か知らないけどさぁ、」

  そこまで言って、千秋さんは初めて俯いていた顔を上げた。

  その顔は、怒りと呆れと、僅かな哀しみに彩られていて…。

  「…そんな事する子、要らない。」

  顔から一気に血の気が引いて、立ちくらみを起こした俺は床にへたり込む。

  それでも千秋さんは、俺を一瞥すると、言う事言ったって感じで離れていこうとする。

  「…っや、だ…」

  震える手でシャツを掴んで、震える声で言葉を紡ぐ。

  言ったから許されるとか思ってない…。

  だけど、捨てるなんて…そんなのっ……

  「や、だっ……ごめ、なさい…ごめんなさい…ごめんなさいぃっ!」

  もうしないから…もう二度としないから…捨てないで。

  その手を離さないで…離れて行かないで…置いて行かないで…独りにしないで…!

  「わああぁあ"!ごめんなざぃい!ぢぁぎさぁ……うわあぁあ!!」

  声を枯らすように、喉を潰すように泣く俺を、千秋さんは見なかった。

  俺が泣き疲れて、それでも尚シャツを強く掴んでいると、千秋さんは本当に小さく舌打ちをして、俺の前にしゃがんだ。

  「…反省してないごめんなさいは要らない。反省して初めて許されると思いなさい。」

  「っうぅ"……は、はぃ……ひっく……」

  「…貴和、叱って欲しい?」

  変な質問だと思った。

  だけど、その変な質問に、迷わず頷いてお仕置きを頼んだ俺は、もっとおかしいと思った。

  「っひっく……お、」

  「…お?」

  「っうぅう……おじ、おき……してくださっ…」

  どんなに悪い事をしても、Subだから自分から頼むのには勇気がいるし、どうしても恐怖心が勝つ。

  ガタガタ震えながら手を伸ばした俺に、千秋さんはちょっと笑って、一回だけ頭を撫でた。

  それが、見捨てないって言ってるみたいで、ほんの少し救われた。

  バチン!

  「っううぇえっ…!」

  バチン!パァン!バシン!

  「わああぁ"っっ」

  今回の千秋さんは相当ご立腹らしく、最初から仕上げ並みの強さで叩かれた。

  前から泣いていたこともあり、俺は大声で泣き続けるしかなく、頭痛が治まらなかった。

  バチン!パァン!

  「自分のこと傷付けて楽しかった?」

  バチン!パシ!

  「っえうっ…ううっ」

  パシィン!

  「答えなさい」

  「わあぁっ…ひっ、ひっく……」

  もう質問を忘れた俺は馬鹿なんだろうか…。

  お尻が割れそうだ…。

  ……もう割れてた…

  バッチィン!

  「っ!!ああぁあ"っ」

  「なんかつまんないみたいでごめんね!質問に答えて」

  千秋さんはイライラしてるしお尻は痛いしで大パニック…💦

  どうすればいいんだ…。

  「…っえっ…たの、じくなっ……かっだぁ……」

  「そう良かった。楽しいとか言われたらどうしてくれようかと思ったよ。」

  「うえぇっ……」

  何回叩かれたか分からなくなった頃、お尻の方にふと手を伸ばす。

  でもお尻は触らず、腰を押えていた千秋さんの手を触った。

  変に回してるから痛むけど…まだ触ってる方が怖くない…。

  「……っ」

  千秋さんが息を呑む気配がした気がした。

  「……っひっく……ごめ、なざい……ちあ、きさ……ごめん、なさぃっ…!」

  その時、許して欲しいとかは思わなかった。

  そういう謝罪じゃなかった。

  ただ純粋に、千秋さんの心を傷付けて、あんな事を言わせて、あんな顔をさせてしまった事への謝罪。

  心から、ごめんなさい。

  貴方を傷付けたくなかったのに…。

  空回りばかりだ…。

  パン!バシ!バチン!パァン!

  「っひ……うぅっ……うぁっ……」

  泣き疲れて大人しく受けるしかなくなった頃に、ようやく千秋さんの手が止まる。

  「…追加、何回がいい?」

  「……っぅ……ぇ……?」

  「…自分で決めて。少なくてもいい。定規で仕上げするから。」

  千秋さんはそう言うと、どこに隠し持っていたのか定規を取り出し、手に打ち付けた。

  「っひ……」

  自分で、、決めるのか……。

  妥当な回数って何回だろう…。

  前に、知り合いのSubが言ってたな…。

  相手の立場に立って考えると簡単って…。

  もしも俺のパートナーが自傷してたら…。

  んー、30くらいかな…。

  でも定規だし…。

  ……怯んじゃ意味ないよな…。

  俺の為に、千秋さんはさっきまで手を痛めてくれてたんだ…。

  「さ、さん、じゅ……」

  「…多くない?」

  「っ……決め、た、から……」

  「…本当にいいんだね?」

  「っ……(コクコク)」

  震えながら頷くと、千秋さんは軽い溜め息をついて言った。

  「…分かった。数数えなくていいし、暴れようが泣こうがいい。……ちゃんと反省してくれればいいから。」

  そこにも優しさが見えて、俺はまた涙を滲ませた。

  「…いくよ。」

  バチン!パァン!バシン!

  「っうあぁっ」

  覚悟はしていても、やっぱり痛いものは痛くて…

  足をばたつかせれば、咎めるように足の付け根を叩かれた。

  その痛みにビクンって身体が跳ねる。

  パァン!バシン!バィチン!

  「わあぁあっごめ…なさぁ……!」

  バシン!パァン!

  「いだぁいいっ!」

  ぐちゃぐちゃの頭の中に浮かぶのは、早く終わってくれって事と、俺の自傷を見た時の千秋さんの顔。

  信じられないと。

  有り得ないと。

  ショックを受け、青ざめていた。

  俺を愛していて、信じているからこそ、それだけ傷付いたと思う。

  俺は信用してくれていた千秋さんを裏切ってしまったんだ。

  これはその罰なんだ。

  そう思ったら、耐えられる気がした。

  バチン!パァン!パシィン!!

  「ああぁっ…!」

  「…お終い。」

  そう言われて、直ぐに抱き起こされる。

  けど、抱っこはされず、ふらつく身体を両側から支えるように押さえられ、立たされていた。

  「…貴和、二度と…二度とあんな事しないで。」

  そう言った千秋さんの声が、震えていた…。

  「っう……はぃっ」

  「次やったら、こんなお仕置きじゃ済まさないよ。」

  冷ややかに、でも熱のこもった声で言われ、必死に頷く。

  涙がパラパラと散った。

  「……お終いだよ。よく頑張った。おいで。」

  硬かった空気が緩くなった気がした。

  「っうああぁあっぢぁぎさぁ…!!」

  腕を広げた千秋さんの胸の中に飛び込み、大泣きする俺に、千秋さんは苦笑した。

  「そんなに泣いてたらお目目が溶けちゃうよ〜」

  そう言いながら優しく頭を撫でる手は、心無しか熱かった…。

  「…頼っていいんだよ、いつだって。傍にいるし、パートナーでしょ?話も聞くし、何か後ろめたくてお仕置きして欲しいなら、そう言ってくれたら嫌ってくらいしてあげるしね笑」

  トントンと背中を叩いて俺を落ち着かせながら、千秋さんは呟いた。

  「…見捨てないよ。何があっても…。

  一生そばに居てあげるよ…。

  だって、誰よりも愛してるもん。

  だから傷付いたし、いつもより力もこもっちゃったね…

  でも、本気で、愛してるよ、貴和。」

  やっぱり震えている千秋さんの声と優しい言葉に、また涙が溢れ出す。

  「あー、泣いちゃうの?笑」

  楽しむように、面白がるように笑う千秋さんに、涙を拭いながら俺も笑っていた。

  「…愛してます…」

  口をついて出るその言葉にも、

  「…私も、愛してるよ。貴和」

  頬に手を添えるその動作にも、

  チュッ。

  キスをする今この時にも。

  偽りなど、一つもない。

  …そう、信じさせて。

  千秋さん、溢れんばかりに、愛してます。

  END