獣人パロ
ある昼下がり。
混み合う市場の中を、1人の男が歩いていた。
人の波に押され揉まれる周囲と違い、その男は、周囲が思わず避けてしまうような雰囲気をまとっていた。
「さぁさぁそこの若いのも、男も女もよってこい!
新鮮な奴隷市だよ!」
しわがれた声で客寄せをする大男。
奴隷。
その言葉に、男はそちらに視線を向けた。
「貧困層から富裕層まで、勢揃い!
特にこの子ども!
富裕層の親から捨てられた、滅多にいない希少種だよ〜さぁさぁ見ておいで!」
乱雑に大男に押し出された少年を見て、男は思わず足を止めた。
人の波が男を避けて進んでいく。
そんな中、男は、少年の眼に、釘付けになっていた。
美しい、まるで宝石のような琥珀色。
反対の目は髪に隠れて見えなかったが、恐らく同じ色だろう。
変に動き始めた心臓にそっと手を置き、ほぅと小さく息を吐くと、男は奴隷市に近づいていった。
「お兄さん、その子をちょうだい」
「俺もだ」
「あらやだ、私が先よ?」
前の2人が言い争っているのを聞きながら、男は真っ直ぐに大男を見つめた。
「さぁさぁ争わなくてもいくらでもいるよ
こっちのはどうだいねぇちゃん
にいちゃんにはこっちのチビを
どうかな?」
大男は2人に子どもを差し出すと、ふと目を上げた。
「お、、若旦那、すごい格好してるなぁ」
そう言って舌なめずりをした大男に、前の2人が振り向く。
そして、その背の高さにびくりと身をすくめると、そそくさと奴隷市を後にした。
「……先程の、富裕層出という少年はまだいるか」
「へ、へへ、もちろんいやすとも
おい、7番!
お呼びだぞ」
そう言うと大男は“7番”と呼ばれた少年の髪を掴み、引きずった。
男は眉をひそめる。
そんな男の表情に気づかず、大男は少年を押し出した。
近くで見れば見るほど、まだ、小さな子供だった。
「おら、挨拶はどうした」
大男に尻を蹴り上げられ、飛び上がって、その少年、いや、獣人は、涙目で男を見上げた。
「こ……こんにちはぁ…」
そう言って、へにゃりと笑ったその子どもは、静かに目尻から涙を零した。
「…それで、若旦那、いくらでお買上げで?」
男が獣人の身体を静かに観察していると、耐えられなくなった大男が急かすようにそう聞いた。
「……」
「そいつぁ、上流階級の子供ですからねぇ
そう安くは売れませんぜ?」
にやにやと、下卑た笑みを浮かべる大男に、ほんの少しムカついた男は、鞄の中から札束を取り出した。
その分厚さに大男があんぐりと口を開いていると、男はそれを大男に差し出し、こう言った。
「この子を買おう。
50万フランで。」
50万フラン。
それは日本円で1億ほどになる。
その大金をぽんと差し出した男に、大男は驚愕したあと、抑えられるはずもない(最も、抑える気がないのだが)にやけを全面に出した。
「ありがとうございやす旦那様
もちろん差し上げます、へへへ」
「そうか、それではまず、首と手足についた重そうな鎖を取れ」
男の言葉に、大男はせっせと獣人を縛り付けていた拘束を解いた。
「……全員分だ」
馬鹿なのかこいつは。
そう言いたいのを我慢して眉間を押さえながら言った男に、大男は困惑した面持ちになる。
「しかし旦那…様…
獣人はすばしっこいんでさぁ
鎖をとっちまったら、あっという間に消えちまう」
「それのなにが困るんだ?」
「お、おれの商売が消えちまうんでい!」
思わず声を荒らげた男に、獣人たちは震え上がる。
「…お前に渡したのは50万フランではない。」
は?と言いたげな顔の大男に、男は静かに言った。
「100万フランだ。」
「ひ、ひゃく…」
つまり2億。
「その金があれば当分は遊んで暮らせるだろう。
ならばこんな仕事などもう手放せばいい
そうは思わないか?」
男の形ばかりの提案に、大男はこくこくと頷いた。
「なら、もう自由にしてやれ。」
男の静かな声に操られるように、大男は全員の拘束を解いた。
戸惑う獣人たちに、男は優しく言った。
「もう、自由だ。
何処へでも行きなさい。」
獣人たちは、怖々、その場から少しだけ動いた。
ほんとに、数ミリだ。
男は少し瞬きを繰り返したあと、ふぅと1つ息を吐いた。
そうだ。
この子達は、親から引き離され、あるいは売られて、長い間言うことを聞かされてきた。
今更自由にされたところで、帰る場所もないのだろう。
そして、どこへ行ったらいいのかも、分からないのだ。
「……仕方ない。
着いてきなさい。」
男はそういうと獣人たちの歩幅に合わせ、ゆっくりと歩き始めた。
隣には、あの琥珀色の瞳の獣人がいる。
ぴんと立った耳と、顔を見る限り、犬族だろうか。
見た目的には3歳くらいでもおかしくないくらい、幼かった。
ろくな食事を取らせてもらっていなかったのだろう。
獣人たちに何を食べさせようか。
そう考えながら歩いていたら、後ろからキィと悲痛な声が聞こえ、男は足を止めて振り向いた。
大男が最後尾の、うさぎ族の子を蹴ったようだった。
もう、我慢ならない。
男は足早に最後尾へ向かい、うさぎ族の少女の前に立つと、じっと大男を見つめた。
周囲の空気がふわりと、動いた。
次の瞬間─男の瞳の色が、燃えるような赤色に変わる。
すると…
「ぁ、あ、あち、あちちっ
あちゃぁっ!」
大男が突然の熱さに身を捩り、地面に転がった。
「ぁっあつい、あついぃ!」
男はすっと目を細め、圧をかけ続ける。
やがて大男の身体から細く煙が上がり始めたその時。
男は突然手を握られ、ハッとして視線を移した。
犬族の少年が、不安そうに男を見上げた。
きゅぅーん…
不安げに鼻を鳴らしたその子は、もうやめよう、そう言っているようだった。
「……すまない
我を忘れた」
男はそういうと、犬族の少年の頭を撫でた。
男は最後に大男を一瞥すると、吐き捨てて、獣人たちを連れて歩き去った。
「さっさと、その金を拾って消えろ。」
残された大男は、通行人の視線に耐えながら金を拾った。
大男にとって金は全てだった。
ポタリと、地面に水滴が落ちた。
悔しい。くやしいくやしいくやしい、!
あいつのせいで、大事な道具たちを失った。
あいつが奪ったんだ。
絶対に許さない。
「また会うかもなぁ、若旦那。」
大男は、男の消えた方を睨みつけた。
その頃、男の家に着いた獣人たちは、その広さと綺麗さに圧倒された。
何人かの子達は、昔見た自分たちの家のようだと懐かしさを覚え、貧困層の子ども達は、初めて見る屋敷に、興味を隠せなかった。
美しい花々が咲いた庭園。
遠くには噴水も見える。
3階建ての大きな屋敷。
暗くなり始めた空の中に暖かな光が浮かんでいた。
ずっと外を裸足で歩かされていた獣人たちが屋敷に足を踏み入れると、磨き上げられた床が泥で汚れた。
しきりに申し訳なさそうにする獣人たちに、男はかまわないと首を振る。
やがて奥から1人、人が出てきた。
男以外の人に怯える獣人たちを見て、その人は呆れたようにこの屋敷の主を見つめた。
「…千秋様。
一体どういうことですか?
ご説明ください」
「市場で奴隷を売っている男がいた。
彼から、買い取った。」
「そんな端的な…
彼らは命なのですよ?
そう簡単に…第一この人数を貴方ひとりで見切れるわけがないでしょう。
どうするおつもりですか」
「お前や父もいる。
大丈夫だろう」
そう言って柔らかく笑った男に、もう1人の男性は額を押さえた。
「っ、…ぁ…」
後ろから聞こえた声に男が振り向くと、琥珀色の瞳の少年が、しょろしょろと漏らしていた。
「あぁ、すまない。
私が気付くのが遅かった」
そう言って近づいた男に、少年は身を守るようにしゃがみ込んだ。
「…私は、君を殴ったりはしないよ」
がたがたと全身を震わせ、目に涙を溜める少年に、優しくそう言った男は、その小さな頭をそっと撫でてやった。
「桜井、着替えさせてやってくれ」
そう言った男に、桜井と呼ばれた男性は顔を顰めた。
「うちには子ども服などございません。
発注しない限りは…」
「では今すぐ頼んでくれ。
10人分だ。」
「……はぁ」
無茶苦茶、に見える主に、桜井はため息をついて、足早に立ち去った。
と思うと戻ってきて、獣人たちに声をかける。
「あなたたち、一先ずお風呂です。
そのまま歩き回られては敵いませんからね
着いていらっしゃい」
そう言った桜井に、獣人たちは男を見上げる。
「彼について行くといい。
気持ちいい所へ連れていってくれるよ」
そう言ってウインクした男に、獣人たちは、混乱しつつも桜井について行った。
漏らしてしまった琥珀の少年は、桜井が抱っこして連れて行った。
「こちらが大浴場です。
まずは服を脱いでください。」
そう言った桜井に、獣人たちは素直に服を脱ぐ。
その服を別の者を呼んで回収させたあと、桜井は一人一人お風呂に入れることにした。
が、10人。
なかなかな数に、もう1人助っ人を呼ぶことにする。
「斎藤さん、すぐ来れますか?」
『はい、すぐ向かいます!』
ガシャンと何かにぶつかる音と、すみません!という斎藤の謝罪を聞いて、桜井はまたひとつ、溜息をつく。
斎藤が来るまでに何人か洗ってしまおうと視線を上げると、また数人が漏らしていた。
恐らく、風呂場がトラウマになっているのだろう。
こんなにも幼い子ども達が、一体どれ程の扱いを受けてきたのか。
そう思うと、少しばかりクールに見える桜井の胸も痛んだ。
「さぁ、あなたから、洗ってしまいますよ
シャワーは怖いですか?」
そう聞いた桜井に、琥珀の少年は首を振った。
だがその表情は明らかに強ばり、目の前のシャワーを凝視している。
怖いらしい。
桜井は桶にお湯を溜めて、少年を洗うことにした。
まずは身体。
足からゆっくりとお湯をかけていくと、震えていた少年の身体がゆっくりと落ち着きを取り戻す。
少し手で擦るだけで、ぽろぽろと角質が剥がれ落ちた。
桜井はふと気になって、少年に尋ねた。
「あなた、ご両親はどうしたのですか?」
聞いてから、野暮だったと後悔する。
奴隷市にいたのに親も何もないだろう。
「……かあさん、、ひとり…」
ぽつりと答えてくれた少年に、桜井は手を止めないまま質問を続けた。
「お父様はいらっしゃらなかったのですか?」
「とおさん……しんだ…」
「なるほど…」
「かあさんが…ころした」
少年の口から出てきた予想外の事実に、一瞬手が止まる。
「…いくつなんですか?」
「……ごさい」
こんなに細い身体で、5歳だというのか。
桜井は思わず少年をまじまじと見つめた。
少年は俯いていて、その表情は見えない。
だけれど、その肩が震えているのはよくわかった。
「……かあさんに、あいたい…」
静かに泣き出した少年を、思わず桜井は抱きしめた。
こんなに小さな身体で、抱え込んできたものはあまりにも大きくて。
「…あなたは幸せになれますよ。」
そう言った桜井に、少年は何も言わなかった。
「桜井が優しい、珍しいね」
その声にパッと桜井は少年を離す。
そして、少年を抱き上げて湯船に入れながら口を開いた。
「盗み見ですか
たちが悪いですね」
「たまたまだよ。
そう怒るな」
「別に怒ってません
そもそも何故ここに?」
「斎藤が急いでたからね
気になって」
そう言うと男は、桜井のしていたように大きな桶にお湯をくみ、近くにいた垂れ耳の、犬族の子を洗い始めた。
その後ろから斎藤がやって来て、同じように狐族の子を洗う。
「出たらこの子達の素性を調べてくれ。
あ、いやいい、海龍に頼もう」
そう言った男は、犬族の子が思わずパタパタと全身を震わせて飛ばした泡まみれになる。
「ぷ、あはは」
笑いだした男に、犬族の子は不思議そうな顔をした。
「しかし…どうするんですか?この子達…」
不安そうに聞いた斎藤に、男は穏やかに微笑んだ。
「新しい飼い主が見つかるまでは、私が面倒を見たいと思う」
桜井は顔を顰めたが、何も言わなかった。
ぱちぱちとまきが弾ける音が部屋に響く。
暖かな暖炉を囲んで、獣人の子たちは、体を乾かしていた。
それをソファーから眺めて、男はこれからの事を考えた。
まずは、名前をつけてやらなきゃいけない。
「みんな、以前の名はあるのかい?」
そう聞いた男に、獣人たちは顔を見合せた。
「……カイト…」
そう呟いたのは猫族の男の子。
洗ってみればとても綺麗な黒い毛並みの子だ。
「ミレイ…」
そう言ったのはうさぎ族の少女。
「ナオ…」
垂れ耳の犬族の少年。
「よんばん!」
元気よくそう言ったのは、おそらく最年少の、うさぎ族の男の子だった。
その言葉にみんな俯いてしまう。
「…みんなは名前はそのままがいいのかな」
そう言った男に、獣人たちはまた顔を見合せる。
「つまり、カイトやミレイやナオは
そのままがいい?
それとも変えたいかい?」
「……わからない…」
それが3人の答えだった。
「まぁ、これからゆっくりでいいのではないですか?」
傍らで紅茶を入れていた海龍が穏やかにそう言う。
「…そうだね。
ゆっくり決めていこう」
暖炉の前で身体を乾かしていた獣人たちは、みんな眠くなって、ひとりふたりと寝ていった。
そんな彼らを桜井や斎藤たちがベッドへ運ぶ。
これから大部屋にベッドを集めるが、今日は別々の部屋で寝てもらうことになる。
朝、泣いてしまう子がいないといいなと思いつつ、男はいつの間にかそばに座っていた、あの琥珀の少年を見つめた。
「君は、名前はなんて言うんだい?」
そう聞いた男を見上げて、少年は言った。
「………タカカズ」
その名前を胸の中で呟いて男は穏やかに笑う。
「……あなた、は…?」
そう聞いた少年に、男は優しく頭を撫でた。
「千秋だよ。
よろしくね、たかかず」
出会い 終わり