9話 お手を拝借いたします バルティゴ鉄道強奪事件4

  それから2時間ほどの時が過ぎた。

  イチ達が乗車しているセダッセン号は最新型の大型機関車である。

  水の補給なしに150km弱は走り、その平均営業時速は70㎞ほどであった。

  この時代のバルティゴ連邦の鉄道は他国の技術レベルと比べても80年(!)ほど先を行っていたと言われている。

  複雑な社会システムによって作られたレールの上を、人が作った最も生物に近い機械が走る。それが鉄道である。

  そう考えればバルティゴ連邦の鉄道技術は異様であった。

  バルティゴ都市国家連邦の鉄道システムが異常な速度で発達したのは、冒険者主体の国家という既存の権力構造に縛られない国家運営が新型機関車の開発やレールの改修などをを後押し

  したというのが教科書通りの記述ではあるが、それに加えるなら旧魔王国から搾取した資源と賠償金に頼るところが大きいだろう。

  “オーパーツ”などと呼ばれる技術の裏側はこんなものである。

  それは別として、石炭と東国の資源を喰らって走る黒鉄の巨塊はモルカルの荒涼とした平野をひた走る。

  イチたちはと言えば、テオドールの暴走はあったもののそれから特に変化もなくただ列車が目的地に着くのを待っているだけだった。

  _____杞憂、だったのか?

  時刻は3時、少し前に水の補給を済ませたセダッセン号は次の駅があるジギンを目指している。

  イチはテオドールに掴まれた右腕が気がかりであったが、あれから特別に右手に異常は生じていない。

  テオドールのほうに目を向けるとまるで死んだように気を失っている。

  胸板が上下に動いているので呼吸をしていることはわかるが、生理的な反射すら見せないので不気味であった。

  シーナはこのやかましい少女にしては珍しく、喋らない状況に慣れたのかイチの知らない歌を小声で口ずさんでいる。

  恐らく彼女の生まれたノアールカの歌だろうが、牧歌的なメロディが可愛い歌だった。

  流石のイチもその歌まで禁じる気にはなれず、テオドールの動向を気にしながら聞いていた。

  そうしているうちに、イチは普段あまり顧みない過去に思いを馳せていた。

  イチには6年前、一糸纏わぬ姿で荒野を瀕死の状態で這っていた時より以前の記憶がない。

  その時、奇跡的に髑髏階級の冒険者であるリャン・ハックマンに生命を拾われ、その後気が付いたら冒険者として生きてゆく道を選んでいた。

  そこから気が付けばもう6年も冒険者をしている。

  最初はなんとなく、冒険者になって世界を旅していればそのうち自分の記憶を取り戻す手がかりが見つかるかもしれない、くらいの気持ちであった。

  しかし気が付けばいつしか記憶を取り戻すよりも単に冒険の熱と興奮を追い求めるようになり、ただ単に毎日を衝動に任せて過ごしている。

  それはそれで良いのだろうが、時折将来というものを考えたりもする。

  冒険者として現役で活動できるのはよほどの才能に恵まれなければ30代までだろう。

  それ以前に、30を迎える前に冒険の中で命を落とす者だって珍しくないのだ。

  _____もし、あと10年くらい冒険者をやって十分な資金を稼いだら定食屋でも開くか。なにしろ各都市の美味いものを食べてるんだ。なかなか繁盛させる自信があるぞ。

  なんと、この時のイチは定食屋を開く道を考えていたらしい。

  後の歴史を考えれば皮肉ではあるが微笑ましい。

  _____美味イッチ亭なんてどうかな。

  ネーミングセンスのない少女であった。

  _____冒険者割り引きなんか作って冒険者が入りやすい店にしよう。それだけじゃなくて、美味イッチ亭のオリジナルグッズなんかも作ってしまえばこれはなかなかのビジネスになるんじゃないか。

  気を抜いていたのか、そんな事を夢想していたイチだがどうやらうつつを抜かしすぎた。

  「あ、あの。イチさん、どうされました? 突然シーナの胸を揉みだすなんて、その、みなさんの目もある場所ですし、いえ、みなさんの目がないところでもそういう事はもっと親しくなってからというかですね。そもそもイチさんにそっちの趣味があったなんて驚きなのですが、とにかくあまり気安く触るのはいかがなものかと」

  「へ?」

  イチは最初、自分の空想に入り込んでいてシーナの言葉の意味を理解していなかった。

  が、すぐに奇妙な現象が自分の身に起きている事を目の当たりにする。

  「わあっ!」

  イチは自分の右手が自分の意志と関係なくシーナのそのたおやかな乳房を揉んでいるのに気が付いた。

  こう書くと実に奇妙ではあるが、イチの右腕はまるで右手そのものが意志を宿しているかのようにシーナの乳房をわしわしと揉み、その感触を確かめているような表情さえ感じる。

  「イチさんエッチです! 痴漢です! いえ、痴漢は男性に使う言葉だと聞いたので、痴女です! 自分が痴漢にあったからって痴女になってシーナの胸を揉むなんていけないです!」

  「違う! 私じゃない! 私はやってない! いや、私の手だが!」

  「エッチです! エッチです! 痴女エッチです!!!」

  イチはビービーと喚くシーナからなんとか自分の右手を引きはがそうとしたが、まるで右手の感覚がなくなっており、まるで右肩から先が最初から欠損しているような錯覚さえある。

  「違うんだって! 手が勝手に…………」

  イチは混乱しながらもどうにか右手を制御しようと左手を伸ばし右手首を掴えて動きを封じようとした。

  しかし、

  「かっ_____!?」

  イチは自分の右手に突如鼻っ柱を殴られた。

  「イチさん!?」

  流石にイチに何かのっぴきならぬ状況が発生した事を理解したシーナ。

  イチの右手は本体であるイチを殴り飛ばすとイチの目の前でゆっくりと指を開いて掌を向けた。

  そしてイチは悪夢のような光景を目にする事になる。

  「な、なんだと_____!?」

  イチの開いた右掌の真ん中がまるで粘土細工のように歪み、その肉が盛り上がるとギョロリとふたつの眼球が現れて、そして横に一文字の裂け目ができるとそこが口になりイチの右手から男の顔が湧き出て言葉を発したのである。

  「へへへ、ちょっと手を借してもらうぜ」