第10話 牢ですすり泣くイチ 虜囚イチ救出作戦 5
イチが遂にやってもいない罪を認めた後、イチは経緯を精査する為の取り調べを受けた。
それは痛みを伴わない尋問であったが、酷く一方的なものであった。
尋問官はイチが列車を奪い軍事基地に突っ込ませるまでの経緯と動機をあらかじめ用意し、イチはただそれに首を縦に振らされた。
こうして捏造だらけの調書が作られ、イチの処遇は軍の裁判によって決められる事となった。
軍が超法規的に他者の目が入らないところで罪人を作り上げると言う恐ろしい行為が行為が行われたのだが、軍がこのような非道行為に走った理由は察するにいくつかある。
冒険者への怨恨というのもあるだろうが、いくら軍と言えど怨嗟だけでここまではしない。
ひとつ、冒険者ギルドからイチの身柄を人質に施設が損壊した賠償金を請求する事を算段していたと思われる。
真実を下敷きに、謎の組織のテロにより軍事基地が損壊しました、では軍は泣き寝入りするしかない。
ふたつ、もし事実が明るみに出れば冒険者のイチは多くの乗客を救った英雄である。連邦内での権力獲得を目指していた軍にとっては基地を損壊させられたうえ冒険者ギルドの株が上がってしまってはそれこそ軍の立場がない。
そしてもうひとつがシベース基地司令の面子である。当時、無線や電話などあるわけもなく電報が発明され普及し始めるのにはもう少しの年月を要する。今のようにメール一通で上官に指示を仰ぐ事はできない。どうしても現場指揮官の実権が強い。この時の基地司令は彼は迂闊に冒険者に温情を与え立場が弱くなる事を恐れていた。
だからと言ってこのような仕打ちを与えて良いと筆者は決して思わないが。
ともかく軍にも事情はあった。
問題はイチの処遇である。
この時代、軍に対して直接危害を加えた者に対する処置は軍が裁量を任されている。
これは現代の感覚で言えば法律の欠陥であるが、バルティゴ国防軍は戦後自分たちの立場を守る為に自治権を死守するために尽力した。冒険者側も軍を必要以上に封じ込め暴走に繋がる事を恐れていたので譲歩したのであろう。
となればこれからイチは軍の裁量により刑が決められることになる。基地の設備を損壊させる被害を出したのだから、相応の処分が下されるのだろう。
しかしこの時、このイチに対する非道を良く思わない人物がいた。
ジハック准将である。
◆
さて、作劇の都合上でイチの囚われているシーベースの軍事基地について詳細を書かないでおいていた。
これからの展開の為に簡単にだがこの基地がどのような性質の基地であるか記しておいたほうがよいだろう。
いままで基地としか表記していなかったが、正式にはシベース・クロヌマーブ駐屯地である。
この時点でのクロヌマーブ駐屯地は現代の野球場ほどの規模しかない。19世紀初頭のバルティゴ国防軍は「拡張性のある軍計画」を一つの方針とし、来る有事に備え例えその時点で戦略的価値が薄くても将来の拡張を視野にこのような小規模基地を都市境界線付近に作り、物資や将兵を取りあえずの感覚で置いておくことが多かった。
特にこのクロヌマーブ駐屯地は東の旧魔王国に派兵する際の後方支援基地としての機能を期待されており、常時一個中隊規模の兵が駐屯しており、特筆すべきは列車の整備基地を備え有事の際に連邦全土に兵と物資を輸送する役割を担っていたことであろう。
周囲は荒野であり西側に小高い丘があり、そこには監視塔が立っている。
敷地は鉄条網で囲まれており、偽装はされておらず防壁もない。これは単に建材を節約しているためだろう。
主に工兵の練兵場としてもよく使われるが、基地の戦闘能力は目立たない。
煉瓦造りの兵舎、倉庫や火薬庫、練兵場、そして中央に指令棟がある。
その中の基地司令執務室で、ジハック准将はイチを尋問していた尋問官が基地司令のザイエン少佐に尋問の詳細を報告している場面に立ち会った。
尋問官はザイエン少佐の耳障りの良いように矛盾なくイチが行ったとされる犯行の詳細を伝えると敬礼をしてその場を後にした。
「少々、やりすぎではないかね?」
尋問官が立ち去った後、窓から外を見ていたジハック准将が口を開く。両袖机に肘を載せ、手を組んでいるザイエン少佐に目線を向けず外に目を向けているのは自分たちの非道を知っているからだろうか。
「はっ。しかし、尋問官は規定に従った取り調べを行っているのは偽りなく」
「規定であろうと過酷な責めを加えたのに違いはなかろう」
ジハック准将はザイエン少佐の言葉を遮って向きなおった。
「貴官の立場もわかる。冒険者相手だ、多少手荒くやっても良いとは思うが、話を聞いたところまだ18かそこらの少女というではないか」
ジハックは総髪が白髪になる年齢で、孫もいる。
彼も冒険者を憎んでいる軍人のひとりだが流石に孫と変わらぬ年齢の少女が恐ろしい責め苦を受けた事を考えると嫌でも情が湧くのだろう。
ザイエン少佐は答えに窮した。
そう言われてもどうすればよいと言うのか?
「今、その娘はどんな様子だ?」
「は。その、独房ですすり泣いているとか」
「やれやれ」
ジハック准将はため息をつくと首を振って見せた。
「我々は確かに冒険者と争う立場にある。過去の大戦での遺恨は私にもある。しかし、憎悪で冒険者の、しかも大戦に関わっていない少女に対して、してよい扱いとしてはいけない扱いがあるだろうが」
「偽善だな」、とザイエン少佐は思わざるを得ない。
では少女に尋問を加えるなという命令がジハックにできたのかを考えれば、そんな事をジハックに出来るわけがない。
ジハックは当時王国軍の将軍で魔王大戦時、シベース戦線の維持を担い特に陣地の構築力で高く評価されていた。
戦後、国防軍となり軍の編成が改変され准将という階級を与えられた。
ジハックの主な任務は有事に備え基地の整備を進める事であった。彼が今クロヌマーブ駐屯地にいるのは視察のためであり偶然だった。
「は。受け入れ、自省します」
ザイエン少佐とて脳無しではない。
ジハックにこのことでザイエンを処分するような考えはなく、倫理に反する行いを良しとしないという立場を演出したいがために言っているに過ぎない事をわかっていた。
ザイエンは両袖机の下で見えないように指を揉んだ。
ふと、ジハックが思い立ったように部屋の外に出ようとしているのに気が付いた。
「どちらへ?」
「営倉だ。一度話をしたいと思う」
ザイエンは執務室を後にするジハックの背をただ何も言わず見送った。
「まったく、冒険者とはいつも厄介事を運んでくるものだ」
ザイエンはひとり呟いた。彼も冒険者という存在について苦い感情があるのだろう。
◆
さて、この物語の主人公たるイチは屈辱的な自白を強要された後どうしていたか?
あろうことか彼女は不屈の冒険者という呼び名に似合わず独房の中で膝を抱え啜り泣いていた。
今までこういう形で他人に屈した事のない少女なのだ。
自分の意志が折れ、他人の思い通りに口を割ってしまった悔しさ、そして自分の自白が冒険者の名誉全体を傷つけてしまったのではないかという不安が彼女を蹲らせたのだろう。
____もう、冒険者を続けられないかもしれない。
恐らく今回のイチの自白は冒険者全体の名誉を傷つけかねない。そうなればイチが今後冒険者を続けるうえで重大な足枷になるのは間違いないだろう。
____リャンは何て言うだろう。イルハやメイメイ、エルビアニカは何て言うだろう。
孤独と不安がイチを責め苛み、考えてもしようのないことを考えさせられてしまう。
____私は、いつ帰れるんだ?
そもそも解放される見込みがあるかすら今のイチには判断できない。不安で重くなる頭を支えるように両手で抱えて嗚咽した。
後年のイチからは想像もできない姿ではあるが、無実の罪で軍に捕縛される経験はこれが初めてなのだ。イチが18かそこらの少女だという事を忘れていなければむしろこれは自然な反応でしかないのだが。
しばらく啜り泣きの声が暗い独房に響いていたが、突如廊下からオイルランプが灯され光が生まれた。
それを感じたイチは恐怖に顔を引き攣らせる。なにか再び恐ろしい尋問が行われると考えたのだろう。
しかしイチの想像に反して、独房の前にひとりの穏やかな表情の老人が現れる。ジハック准将であった。
「こんな冷たい牢に……。嘆かわしいことだ。これしかないが、使いなさい」
ジハックは怯える目をしたイチに努めて優しく声をかけ、鉄格子の隙間から新しい毛布を差し入れた。
しかしイチは見慣れぬ老人を警戒し表情を強張らせている。
「私はバルティゴ国防軍准将、ジハックだ。どうも部下が酷い事をしたようだ。すまなく思う」
イチは状況が掴めないでいる。「准将」という言葉の意味は理解できていないが、ジハックの装飾が施された軍服と胸に飾られたメダルの輝きから軍の中でも地位が高い事だけは理解できた。
が、そのような人物がなぜ自分の目の前にやってきたのかは理解できない。
「わ、私はもう降参したんだ。もう、酷い事はやめてくれないか」
イチは寝台の隅にうずくまり、身を守るように毛布を被った。
何と惨めなことだろう! 不屈の冒険者であるイチが目の前の老人を無意味に恐れ、危害を加えないように哀願しているのだ。その姿はなんとも哀れを誘うではないか。
ジハックもそのイチの姿に憐れを感じずにはいられなかった。
「あんな扱いを受けたんだ。無理もないか。そうだ、甘いものは好きかな?」
ジハックは気の毒そうな顔を見せた後、軍服のポケットから用意したチョコレートのバーを出して見せた。
それでもイチは怯えた目を向けるだけだった。本来食いしん坊な少女なのでいつもであればすぐに興味を示すはずなのに。
毒でも入っているものと疑っているのであろう。
「安心して食べられないか。大丈夫。変なものはいれていないさ。もし食べたければ食べなさい。気が乗らなければ食べないでもいいから」
ジハックは包装紙からチョコレートを取り出し半分割って自分で口にし、檻の隙間からチョコレートバーを差し出す。
甘い香りに誘われて、イチは毛布で身をくるんだまま出るとチョコレートバーをおずおずと拾って口にした。
「…………おいしい。…………おいしい」
そう言ってイチは涙をこぼした。
チョコレートバーの甘さも勿論そうだが、ここにきてはじめて人間らしい扱いを受けたことが泣くほど嬉しかったのだろう。
「君は立派な少女だ。こんなになるまで耐えたんだから。冒険者と軍が対立しているのは知っているだろうが、それでも私は敬意を感じてしまうよ」
それからイチとジハックはふたりで話した。
イチは普段自分から見知らぬ相手と話す事を好まなかったが、自分の境遇や仲間たちのこと、今までしてきた冒険、そして今回の列車強奪事件の真相を。
ジハックはまるで孫娘のお喋りを聞くように微笑みながらイチの話を聞き、特に列車強奪事件でのイチの話には大きく驚きを見せた。
ジハックもイチが嘘を言っていない事を認めている。もっともだからと言って彼がイチの側に立って無実を証明することはないのだけれど。
「まったく、驚いた。君のような子は軍にもなかなかいない。許されるならば軍に来て欲しいぐらいだよ」
このジハックの言葉は本心である。
もしイチがそう願えば彼は喜んでイチを軍に迎え入れただろう事は間違いない。無論、そうはならなかったが。
「私は君が気に入った。今回の事、どうしても完全に無実にするのは難しいが私の権限で出来得る限り君の刑が軽くなるように約束しよう」
実際、この時点でジハックは本当にイチに好意を持っていたのであろう。彼も戦いに生きた男である。孫娘ほどの少女が血沸き肉躍るような活躍をしている事を知ってそうならないわけがない。
イチもこのジハックという軍人に心を許していた。
イチには過去の記憶を失っているので父親との思い出がない。
一瞬ではあるだろがジハックに父性のようなものを感じていてもおかしくはない。気が付けばジハックに笑顔を向けていた。
昨日まで恐ろしい尋問を加えていた組織の高官だという事実をこの時のイチは忘れていたのだろう。飴と鞭ではないが、結果としてそういう形で生まれた情とも言えるか。
しかし、その二人の間に生まれていた情は一瞬で失われる事になる。
「いったい君はどこで訓練したんだい? 私も参考にしたいくらいだよ」
「しばらくリャンって女の従者をしていて、その時に鍛えられたんだ」
「…………リャン?」
この時、イチはジハックの顔が微笑みを携えたまま一瞬強張った事に気が付かなかった。
「破天のリャンっていう冒険者で、髑髏のバッチを持ってる数少ないひとりなんだ。本人はただのろくでなしだけどな。結構有名らしい」
そう言ってどこかはにかんで笑うイチだが、今の彼女にジハックの今の心情などわかりようがない。
「そうか。そうか。それは、納得したよ」
ジハックは微笑みを崩さず、「それでは私はもう行かなければ」と言ってその場を後にした。
イチは少しだけ残念そうな顔を見せてジハックに小さく手を振って見送った。
イチの処刑がジハックの中で決定されたのはこの時である。
彼は魔王大戦の際にイチの師であるリャン・ハックマンがために息子を失っていたのである。