第11話 イチと精神病院(7) よせあつめ外伝18
3階はイチの想像を絶していた。
床や壁に石灰がぶちまけられている。
そして階層全体にへばりついている汚物と薬液の臭い。
イチに科学的な知識はないが、汚物や腐敗の悪臭を一時しのぎに撒くという事は聞いたことがある。
石灰は、行害者がそこかしこに垂れ流したり塗ったりした排泄物を消臭するために撒かれているのだとイチは嫌でも理解した。
____自然に任せるとは、こういうことなのか、ガーク。
3階は2階と違い、相部屋の病室が並んでいる。
ガークの言葉通り、そこでは野放しの獣同然に行害者たちが無秩序に蠢いていた。
行害者たちはみな手錠で腕の自由を封じられ、自傷行為を防ぐためかヘッドギアをつけている者もいる。
一様に不潔極まる状態で、染みだらけの服を着ているか、そもそもなにも着ていない者もいた。
男もいれば女もいるが、全員が丸坊主に髪を刈られている。
角にうずくまり何か意味不明の言葉を呟いている者、見えない何かと遊んでいる者、唸り声をあげながら自分の肌を拳で殴打する者。
誰ひとりとして通常の精神と知能を発達させてはいないようであった。
____う、ぅ……。
イチは吐き気を催した。
悍ましい、というのが偽りない感情であろう。
イチとて聖人君子ではない。
あまりにも不潔な状態に置かれた人間を見て、生理的嫌悪感を抱かない人間は果たしてどのくらいいるのだろうか?
もしかするとガークはそのひとりなのかもしれないが。
ともあれ、行害者の殆どは自分の世界に閉じこもりイチに気が付かなかったのは幸運だったと言えよう。
そのまま行害者たちに気配を悟られぬよう出口を探すために歩いた。
しかし、
____なんの、音だ?
何かをクチャクチャと咀嚼する音が聞こえた。
イチからみて右前方にある食堂からだった。
どうやら、行害者の何者かが何かを食しているらしい。
他の悪臭とは違う出来立ての悪臭がそこから漂っている。
その何かを食す行害者は背を向けしゃがみ込み何かを口に運んでおり、イチの気配に気が付いていない。
なのでイチはそのまま通り過ぎてしまえばよかったのだ。
しかし、冒険者としての性であろうか。
イチは目を向けずにはいられなかったのだろう。
「________うっ!」
行害者の男が口に運んでいるものを見て、イチは胃の奥から込み上げる反吐を抑え込もうとして思わず声を漏らしてしまう。
その音に気が付いたのか行害者の男がしゃがみ込んだまま背後を振り返る。
口の周りを食事のカスでドロドロに汚したその男の目は魚類のような虚ろな目でイチを見つめた。
ヤルマンであった。
「あううう………、ふう………!!」
ヤルマンはイチを見つけると興奮の唸り声をあげ、女の身体を求めにじり寄る。
「ッ____!」
イチは逃げた。
イチが逃げれば、必然ヤルマンも追いかける。
考える余裕などなく、イチの足は4階へと駆け出す。
拘束衣で上体をがんじがらめにされているままでは腕でバランスがとれず階段を駆け上がるのも命懸けである。
そして背後から追うヤルマンの目には裾がめくれ露出したイチの白いショーツが映る。
そのショーツの食い込みと股に伸びたベルトの締め付けで尻の肉がはみ出し、それは獣の欲を刺激する餌としては最上級であっただろう。
「うお、ふお、ふおおおおおああああああああああああああああああああああ!」
ヤルマンの興奮は何も着ていない下半身を見れば明らかである。
甲高く奇怪な雄叫びをあげるとイチを捕まえようと更に走りに勢いをつける。
____くそ! 靴が悪い! バランスが狂う! 腕が使えないとこうなるのか!
状況はイチにとって最悪である。
上半身を包む拘束衣のために動けないだけでも最悪なのだが、靴もいつもと違い走るのに向いていないドレスシューズを履いているせいで思うように床を蹴れない。
それでもなんとか階段をかけあがり4階に達した。
____逃げられるか? いや、掴まってたまるか!
しかしヤルマンは追われるイチの尻を見て極限まで興奮している。
拘束衣のため重心を安定させられないせいだろう。
上下に、左右に、無軌道に、ショーツの食い込みからはみ出たイチの尻が揺れている。
だがヤルマンも手錠で腕の自由を奪われている上に、そもそも走りが上手くない。
条件が悪くとも走りに自信のあるイチは逃げ切れるはずであったのだが。
____ッ!?
突然イチは脚を滑らせ床に倒れた。
角を曲がろうとした瞬間に石灰で覆われた排泄物を踏んで滑ってしまたのだ。
「________くそ!! やめろ!!」
「ううううぅぅぅぅうう!! うふうううううううう!!」
ヤルマンは唸り声あげながらイチに覆いかぶさった。
べちゃべちゃに汚れた手が顔に伸ばされ、間近から悪臭がイチを襲う。
「____おッ____ぇ」
思わずイチはえずくがそれどころではない。
雄の欲望が体温としてイチを背後から襲おうとしている。
イチの顔や髪がヤルマンの手に付着した汚れで穢されていく。
ヤルマンに馬乗りにされたままイチは身をよじるが拘束衣につつまれた乳房が揺れるくらいの変化しか起こせない。
「ぐッ____________こんなッ!!」
ヤルマンを蹴り飛ばせないかと上下にバタバタと脚を動かすが、捕えられた蝶の羽根くらいの抵抗しかできない。
「あっ____!!」
イチは突然激しい衝撃を頭に受け喘いだ。
脳が揺さぶられ全身の力が抜ける。
ヤルマンに頭を床にぶつけられたのだ。
「うふうううううううう!!」
揺れる意識の中、唸るヤルマンの穢れた手が自分の太腿に触れ、どうやらショーツを脱がそうとしているのをイチは感じたが抵抗する力が出ない。
え、イチの下半身に向け手を伸ばしはじめた。
だがしかし皮肉にもイチの自由を奪う拘束衣から股間に伸びるベルトがイチの貞操を守った。
それは患者が己で拘束衣を脱げないようにするためのベルトだが、それのおかげでヤルマンはイチのショーツをはぎ取れない。
「ふううううう!! うふああああああああああ!!」
ヤルマンは苛立ちを感じているらしく奇妙な声で咆えた。
どうやってもイチのショーツを脱がせられず、ショーツの縁をグイグイと手前に引っ張ったり上下に引っ張ったりしている。
そのたび尻の間にショーツが乱暴に食い込む。
「…………………………あ、あ」
だがイチはやはり力が戻らず、自分の貞操に致命的な事態が差し迫っているのにもかかわらずヤルマンに馬乗りにされたまま瞳孔を揺らしていた。
「あふあああああ!! あわああああああああああ!!」
ついにヤルマンは強硬手段に出始める。
イチのショーツを腕力で破り裂こうというのだろう。
このままではこの石灰にまみれた精神病院の床が、イチの破瓜の血で染まってしまうだろう。
そして、イチにとって更に予想だにしていない事態が起きる。
「ヤル、ヤル…………………………おん、ヤル、ぷああああああ。しーーーーーーーッ」
恐らく屋上に上がるための階段あたりで待ち構えていたのだろう。
廊下の角から意味不明の言葉を呟きながらガークの息子、ザルツキーがあらわれたのであった。