とある森林キャンプ場。休日は賑わい、家族連れの憩いの場となっている。
そのキャンプ場に、最近になって妙な噂が流れ始めた。
『夜な夜な、山から唸り声が聞こえる』と……
「ねぇ、聞いた? 例の話」
「あぁ、あれでしょ? ほら、このキャンプ場の近くに住んでる人に聞いたんだけどさ……」
「え!? それほんと?」
「うん、間違いないよ。なんでも、夜中に遠吠えみたいな声が聞こえてくるんだって」
「えー、怖いなぁ」
夜、満月が美しくその姿を見せる頃、キャンプサイトの外れにテントを設置し、中で談笑するのは、2人の男女。テキーラのロックを煽りながら、話題は自然とあの怪談の話になっていた。
「そういえばさ、ここら辺って、昔から狼が出るって言われてたよね」
「あー、あったね。でも、もう何十年も前に絶滅したんでしょ?」
「そうそう。だから、そんなのただの迷信だって!」
ナオとショウは、絶滅したはずの狼について語り合う。
「まぁ、そうだよね! あはは!」
「あはははは!!」
2人は笑いながら、グラスに入った酒を飲み干す。
そして、グラスを置き、酔いが回ってきたのか、顔を紅潮させ、ふらふらとしながら立ち上がる。
「ちょっとお手洗い行ってくるー」
「はーい!」
フラフラとしながらキャンプ場のトイレへ向かうショウ。そんな彼を見送りつつ、ナオはスマホを弄り始める。
(あ、そろそろSNS更新しなきゃ)
彼女はツイッターを開き、いつものように呟く。
『今日は友達とキャンプ!』
写真と共に投稿すると、すぐに反応がつく。
いいねの数も増えていき、コメントもどんどん増えていく。と、
ピコン!
『楽しそうだねー』
ラインでキョウコからメッセージが届く。
「えへへ、楽しいよー」
彼女は嬉しそうに返信する。
それから少しやり取りをして、ふと空を見上げる。綺麗な満月が、夜空にぽっかりと浮かんでいる。
「わぁ……!」
思わず感嘆の声を漏らす。
「綺麗……」
しばらく見とれていると、不意に後ろから声がかかる。
「お!早速ツイートかい?抜け目ないね、ナオは。」
そこには、ニヤニヤと笑うショウの姿があった。
「んふふ、そうかな?ありがとー」
彼女もまた、笑顔で返す。
「じゃあ、僕も何か呟こうかな〜」
そう言って、彼はポケットからスマホを取り出し、慣れた手つきで操作し始める。
しばらくすると、彼の呟きが表示される。
『月が綺麗だね』
そのツイートを見て、ナオは少し驚く。
「えっ!?」
驚きのあまり、声を上げる。
「どうしたの?」
ショウは不思議そうに首を傾げる。
「あっ、いや、なんでもないよ!」
慌てて誤魔化す。
しかし、内心穏やかではない。
(どうしよう……!まさかショウ君が私のこと……!?)
そんな考えが頭をよぎる。心臓が高鳴り、顔が赤くなる。
(落ち着け私!そんなはず無いじゃない!!)
そう自分に言い聞かせて、深呼吸をする。そして、もう一度彼の方を見る。
すると、今度は彼が驚いたような顔をしている。
「どしたの?大丈夫?」
心配そうな顔でこちらを見ている。
「なな!なんでもない!!少し冷えてきたから、テントの中で話そっか!」
「そうだね。風邪引くといけないし」
そうして、2人はテントの中へ入っていく。そして入り口を閉めるショウ。
(はぁ……びっくりしたぁ……)
まだ鼓動が収まらないまま、ナオは布団に潜り込む。
(それにしても、さっきの何だったんだろ……?)
そんなことを考えているうちに、睡魔に襲われ、いつの間にか眠りについていた。
すると。
『あおーーーーーーーーん………』
テントの外から狼の鳴き声が。
あれ?空耳かな?
すると、また、
『あおーーーーーーーーん………』
ガバッ!!
ショウが飛び起きる。
「今のって……」
「狼の鳴き声…よね?」
ショウとナオは顔を見合わせる。
「もしかして、近くに狼がいるんじゃ……?」
「そ、そうね。とりあえず、テントから出てみましょうか」
2人は恐る恐るテントの外へ出てみる。
「「????」」
辺りを見回すが、特に変わった様子はない。
「やっぱり気のせいだったのかな……」
「そうみたいね」
ほっと胸をなでおろす2人。
ナオがテントの奥に行き、ショウが入り口のチャックを閉めようとすると…
ばり!ばりばり!!
何かが、テントの入り口を引き裂いた。
「……え?」
突然のことに呆然と立ち尽くす二人。
すると、裂けた隙間から、巨大な黒い塊が入り込んでくる。
それは、月明かりに照らされて姿を現す。
そこにいたのは、黒く大きな獣。鋭い牙を剥き出しにして唸り、こちらを睨みつけている。その姿はまさに狼そのもので、その体躯はゆうに2メートルを超えている。その威圧感に気圧され、二人は腰を抜かしてしまう。
「ひっ……!」
恐怖のあまり声も出ない二人をよそに、その巨体はゆっくりと近づいてくる。
そして、大きく口を開けると、ショウに襲いかかる。
「うわああああああああ!!!」
ガブゥ!!!
「ショウ!いやああああ!!」
噛みつかれたショウはそのまま押し倒される。必死に抵抗するも、力が強すぎてビクともしない。そのまま首元まで一気に食いちぎられそうになるも、そこで止まる。
「うぐ……がっ……!」
痛みに悶絶しながらも、なんとか抵抗しようとする。だが、徐々に意識が遠のいていく。
「やめて!ショウから離れて!!」
ぶん!ぶん!
手当たり次第にテントの中の物を黒い獣に投げつける。
ガチャ!
バリン!
酒瓶やグラスが次々と割れていき、辺りに破片が飛び散っていく。それでもなお、ナオは投げ続ける。
「グオオ!!」
「キャッ!!」
がぶっ!
肩に噛みつかれる。すごい力だ。肩を持っていかれそうだ!痛みに耐えナオはたまたま掴んだテキーラの瓶で殴りつける。
ガシャアアン!!
テキーラの中身が黒い獣にかかった。よろけた獣はアロマキャンドルの炎に触れてしまう。
ボッ!!キャンドルホルダーが燃え上がり、あたりに火の粉を撒き散らす。さらに、アルコール度数の高いテキーラがかかったことで、激しく燃え盛っている。
「グオオオオッ!!」
激しく燃え上がる自分の体にパニックを起こした獣は、ナオから離れると、慌ててテントから脱出する。
「痛…」
噛まれたところを抑えながら、ショウに近づく。見ると、彼の首は大量の血にまみれていた。もう手遅れだろう。出血量が多すぎるのだ。
「ショウ……」
涙を流しながらショウに話しかける。返事はない。彼女はただ泣き叫ぶことしか出来なかった。
パチ…パチ…
燃え盛る炎は消えることなく、獣の命が失われるまで燃え続けた―――
翌朝。
テントの中では、助けを呼ぼうとしたナオがいた。だが―――
「スマホが燃えちゃってる…」
ナオのスマホは焼け焦げ、とても通信できる状態ではなかった。なら、ショウのスマホは―――
「だめ!ロックがかかってる…」
このときナオは、ロックがかかっていても『緊急通報』は出来ることに気づいていなかった。ショウの思いつきそうな暗証番号をひたすら試したが――――
『暗証番号が複数回間違われました。しばらく経ってから、暗証番号をもう一度入力してください。』
さらにロックがかかってしまい、にっちもさっちも行かない状態に。なら
「キャンプ場の管理人さんのところへ―――」
『しばらく、出かけております。』
(そんなぁ……)
絶望に打ちひしがれるナオ。
許可されたところとは少し外側でテントを張っていたため、管理人に気づかれていないようだった。なお、昨日は日曜日。家族連れは昨日の午後には帰ったため、2人きりだったのだ。そのとき、ふと気づく。
「そうだ!ショウと一緒にクルマで…って、私、免許持ってない…」
愕然とする彼女だった。ここは山奥のキャンプ場。麓までは数時間、いや、数日かかるかもしれない。どうしよう?途方に暮れていると、ひとつ思いついた。
「そうだ!管理人さんが戻ってくるまで待つか、ほかの人がキャンプ場に来てくれれば…!」
いつになるか分からないが、麓まで全く知らない道をあるき続けるより、効率がいいだろう。そう思い、ナオはキャンプサイトの受付所へ向かうことにした。
「うぅ、寒いよぉ〜」
季節は秋。しかも山の頂上付近にあるこのキャンプ場は、気温が低い。おまけに、昨夜は雨が降ったらしく、地面もぬかるんでいる。そのうえ、今は9月。じきに冷え込んでくるだろう。そんな中、薄着のまま山を降りようとするのだから当然である。だが、そんなことを気にする余裕もないほど、彼女の心は焦っていた。早くしなければ、ショウだけでなくわたしもあの獣に喰い殺されてしまうかもしれない。
よく見ていれば、獣がすでに消し炭になっていたことに気がつけただろうが―――
「うう、寒い…はーっ…」
両手に息を吹きかける。指先がかじかんで動かない。すると、木々の隙間から何かが見えたような気がした。急いで駆け寄ると、そこには――
ブーン……
こちらに向かって、峠道を走ってくる乗用車。キャンプ場を利用する人だろうか。助かった…と安堵したナオは。
ぐぅぅぅぅぅ〜〜
「そういえば、お腹、空いたなぁ………」
キャンプ場に向かっていたのは管理人だった。麓で急遽用事ができたので、一旦クルマで降りていたのだ。
「はあ…」
今朝は雨だった。サイトにはパッと見、人はいなかった。ただ、たまにマナーの悪い利用者が
『こちらの方が景色がいい』
などと、サイトの外にテントを設置する人もいるので、一応確認しておこうと思ったのだ。もしいたら、注意しなければならないからだ。また、昼前には帰るつもりだったのだが、トラブルがあり、結局夕方まで仕事になってしまったのだった。なので、朝一番にチェックアウトしたはずの客がまだ残っていたら困るな、とも思っていた。
キキッ!
サイトの空き地に、車を停める。
ガチャ!
バン!
バタン!
車から降りるなり、すぐさま鍵を閉めてダッシュで駆け出す管理人。
チェックアウトリストには…
「やっぱり!」
そこには『ナオ』『ショウ』の2人だけ、チェックアウトされていないのが分かった。行く前にパッと見渡して、サイト内にテントが見えなかったということは…
まさか、と思い、管理人はサイトの少し外れたところにある、森林へ入った。するとそこには…
「あった…」
サイト内にテントを張れというのに、少し外れたところにテントがあった。だが―――
「壊れて…うわっ!!」
テントの中には人の死体。まるで大きな獣に噛みつかれたようだった。おかしい。ここには猛獣などいないはず。だが、管理人は奇妙な噂を思い出す――――
―――ここ、狼の遠吠えが聞こえるらしいよ―――
そう。ここは狼が出るという噂がある場所なのだ。もしや、狼が……? いや、そんなことはありえないはずだ。もう何年も前に絶滅している。
(じゃあ一体、これはなんだ?)
とりあえず警察に連絡しようと思う管理人だったが、そこへ――――
バキッ!!
「ぐはっ!」
なにかに殴られ、テントの横にふっ飛ばされる。
どちゃっ。
雨でぬかるんだ地面に落ちる。顔を上げると、そこには――
「グルルルル……」
巨大な黒い犬がいた。いや、それは犬ではない。オオカミだ。それも、ただのオオカミじゃない。2本足で立っている――
「ウワオオオォォン!!!」
そいつは雄叫びをあげると、こちらに飛びかかってきた!
ガブッ!
「ぎゃああ!!」
右腕に噛みつかれる。その歯は鋭く尖っており、噛まれた箇所からは血が噴き出る。そして、そいつの口からは涎が大量に流れ出ていた。喰われる!
ぶちっ!!
「ぐあああっ!!」
噛みちぎられた二の腕から先。獣は大きな音を立てて咀嚼していた。
ぐちゃっ!
バキッ!
ぐちゃっ!
ごりっ!
肉や骨を噛み砕く音が周囲に響く。
(まずい、このままだと自分も食われてしまう……!)
そう思った管理人は痛む腕を押さえながら、ヨロヨロと立ち上がる。だが、痛みのあまり足元がおぼつかない。
あっという間に管理人の右腕を食べてしまった獣。
ズゥン!
ズゥン!
と、まるで地面が揺れるような音を立てて、管理人の元に近づいてくる―――
「うわああああっ!!」
管理人が最期に見たのは、獣の大きな口の中だった――――――
「さっさと帰りてぇなあ…」
「ほんとだよ、ほーんと。なんでこんな日に仕事なんだ。」
ブロロロ…
とある林業の業者。月明かりしか無い、暗い森林の中を、文句を言いながらトラックを飛ばす。彼らは、最近伐採された木を運んでいる最中だったのだ。ちなみに今日は満月。本来なら月光で明るいはずなのだが……あいにく森の中のため、地面は見えない。そのため、いつもより暗く感じたのだ。早く帰りたいと思いながらも、運転する男はふと、前を見ると
ザッ!
何かが車の前に飛び出してきた!急ブレーキを踏む!
キキーー!!
止まった車の目の前にいたのは――
「……おい、あれって……」
そこにいたのは、人間のような形をした生き物だった。だが、明らかに人ではない。なぜなら、全身が毛で覆われており、手足には鋭い爪が生えていたからだ。おまけに、口は大きく裂け、そこから牙が見え隠れしているではないか!目は血走り、こちらを睨んでいた。そして、その男は直感的に思った。こいつは危険だ。
「……逃げんぞ!」
そう言い、ギアをバックに入れ、アクセルを踏み込む。
グオオオオン!
勢いよくバックするトラック。しかし眼の前の獣のほうが速い!そして
ダッ!!
眼の前の獣の姿が消えたかと思うと
ガッシャアアアアン!!
「うわっ!」
「くっ!」
叩き割られるフロントガラス。運転手の男は慌ててハンドルを切るが間に合わない!そのまま車は横転してしまった!
ガガガガガ…
地面を激しく削りながら、停止したトラック。カラカラと地面についてないタイヤが空回りしている。
「うう…」
「くそっ…」
2人は気を失っており、幸いにも無事だったようだ。なんとか立ち上がろうとするが――
がっ!
ぐいっ!
「うわああああああ………!」
「おい!おーい!…」
何者かに体を掴まれ、破損したフロントガラスから引きずり出される。そして―――
「うわあああ………―――――」
急に途切れる悲鳴。その後。
ぐちゃっ!
ぐちゃっ!
ばきっ!
ぐちゃっ!
なにかの咀嚼音。まずい。これは本当にまずい!
なんとかトラックの中から見を出すと、仲間に目もくれず走り出す――
「はっ!はっ…はっ…」
40代の自分の体にムチを打って、とにかく走る。少しでも遠くへ―――
そのとき、目の前を大きな影が覆った。恐る恐る上を見上げると――
そこには、先程と同じ獣が立っていた。
(もうだめだ……!)
絶望感に打ちひしがれながらも、必死で逃げる男。だが、そんな男を嘲笑うかのように、
ズゥン!
ズゥン!
地面を揺らしながら、獣はゆっくりと歩いてくるのだった――
(ちくしょう……)
やがて体力が尽き、男は地面にしゃがみ込む。
ズゥン!
ズゥン!
ゆっくりと近づいてくる、人型の獣。口の周りは血で真っ赤に染まっている。その目は獲物を捕らえて離さないと言わんばかりに爛々と輝いていた。
「く、来るな……!」
もう逃げられないことを悟りつつも、必死に後ずさる男。とうとう追い詰められてしまった。逃げ場はない。
ズゥン!
ズゥン!
男の眼の前で立ち止まった獣。口からダラダラと涎を垂らしている。次の瞬間、大口を開けて飛びかかってきた!
ガブッ!!
腕を噛まれた。激痛が走る。血が噴き出した。痛い。とても痛い。あまりの痛みに意識が飛びそうになる。だが、ここで気を失うわけにはいかない。自分はまだ死にたくないのだから――
ゴキッ!!
骨が折れる音が鳴り響く。と同時に、腕に感じていた痛みが無くなった。見ると、腕がおかしな方向に曲がっているではないか。おそらく折れたのだろう。だが、そんなことはどうでもいい。それよりも、腕の感覚が全く無いのだ。まさかと思い、左腕を見ると、肘から先がなくなっていた――
「あ、あ……」
自分の腕を見て放心状態になっている男に、とどめを刺そうと再び襲いかかる獣。男は死を覚悟して目を瞑った――――
ガブリッ!
容赦なく男の首に噛みつく獣。そして
ぶちっ!
首を噛み切られた男は、まもなく絶命した―――――
後日。日中――――
「ここか、捜索願が出ている場所は」
「そのようだな。」
数人の警察官があのキャンプ場に来ていた。
「お願いします…」
頭を深々と下げる少女。名はキョウコと言った。
彼女はナオのクラスメートである。親友であった彼女が失踪したと聞いて、いてもたってもいられずに探しに来たのである。彼女の父親も一緒だ。父親は管理人の知人でもあったため、真っ先にここに駆けつけたのだ。
「こ、これは…!?」
「どうした…!?うっ…」
キャンプサイトから少し外れたところ。テントの中には一人、外には一人と、無惨に喰い散らかされた遺体があった。そして、辺り一面には血が大量に飛び散っていた。
「……酷いな。恐らく猛獣の仕業だろう。それも複数だ。」
「……ああ、そうとしか考えられないだろうな。」
「……早く見つけてやらねばな。この娘さんのためにも――」
「そうだな……」
そう言って、警官たちは現場検証を行う。そんな中、キョウコはとあるものを拾った――
それは、何かの破片のようだった
「スマホ?」
焼け焦げているが、誰かのスマホのようだった。電源は、入らない…
「それは?」
警察官が尋ねると
「わかりません、スマホのようなんですが…」
キョウコは答えた。
すると警察官の一人が――
「ちょっと貸してもらっていいかな?もしかしたら持ち主がわかるかもしれないよ。」
「わかりました、どうぞ。」
そうして、それを渡すキョウコ。数分後、警察が何やら話しているようだったが、あまりよく聞こえなかった。
後日。
警察の捜査により、あることがわかったらしい。どうやら被害者の身元がわかったようだ。
「え……?そんな…!」
テントの中から見つかった遺体はショウのもの。テントの外にあった遺体は管理人のものだった。
テントの中には血痕が残っており、その中にナオの血液反応も残っていたそうだ。つまり、ナオは何らかの理由で外に出て、そこで襲われたということだ。だが、肝心のナオの姿が見当たらないことから、生存は絶望的だろうとのことだった。
「……」
言葉が出なかった。ただただ呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。親友が死んだなんて信じたくなかったからだ……
(なんで……?)
「それと、スマホの外側は焼けていたんですが、中のデータは無事でした。」
(じゃあ、中身は無事なのか……)
そう思い、スマホを受け取るキョウコ。
「中のデータですが、こちらのSDカードに移してあります。」
そう言うと、一枚のSDカードを手渡してくる警官。それを受け取り、中を確認するキョウコ。そこには写真のデータが入っていた。見てみると――
そこには、ナオ、ショウ、キョウコ3人の、仲睦まじい笑顔の写真が入っていた―――
森林の中。日中。
警察官達は遺体を見つけ、キョウコにスマホを渡したあとも、捜索を続けていた。まだ、ナオの遺体を探し出せていないからだ。
「猛獣がいれば、それを捕獲して、胃の中とかを調べたらわかったりもするんだが―――」
「いや、それはそうですけど!もう食べられた前提ですか…」
「まあな。これだけ時間が経っているわけだし、可能性は高いと思うぞ。」
そんなことを話しながら、森を歩いていると――
ガサッ!ガサガサ! 茂みの方から音がした。二人は警戒する。いつでも銃を抜けるように構えながら様子を見ると――
「……!!」
そこにいたのは、1匹のキツネだった。小さくてキュートなお鼻が可愛らしい。
「なんだよ…」
拍子抜けしてしまった二人だったが、気を取り直してまた歩き出したその時――
パキッ!!
枝を踏んでしまったようだ。音が鳴った瞬間、ビクッと反応した狐は、一目散に逃げていった。その拍子に、何かが地面に落ちていることに気づく。
拾い上げてみると――
「なんだこれ……眼鏡か?」
レンズが割れ、フレームだけになった眼鏡。それが落ちていた先は…
「林道…?」
獣道になっていたその道は、草が伸び放題になっており、人が通るような場所ではないように見えた。しかし、車が走った跡のようなものが見える。
「こんなところに一体誰が……?」
疑問に思いながらも、さらに奥に進んでみる二人。そこには――
「!!!!」
横転したトラックと、その近くに…
「これは!」
「これは…かなりやばいんじゃないですかね?」
喰い散らかされた人の死体と、血溜まりがあった――――
ザッ!ザッ!ザッ!
ついに、自治体を通して、自衛隊に要請が入る。
猛獣の被害が確認されたためだ。これにより自衛隊による駆除作戦が行われることとなった。銃火器を持った屈強な男達が次々と森の中に入ってゆく――
猛獣駆除に自衛隊?と思われるかもしれないが、過去に害獣対策で自衛隊が出動し、武器が使われた事例もいくつか存在す る。F-86戦闘機まで投入された北海道日高地方のトド駆除が有名だが、 戦車まで出動し、 小中学校の生徒が自衛隊車両で送迎され、 自衛隊も駆除に駆り出された熊害事件が存在するのだ。
それほどまでに、日本の野生動物被害は深刻な問題なのである。
「この獲物は…手強いぞ。」
老齢のハンターが派遣されてきた自衛隊員に忠告をする。
そして――
「奴には、知性がある……」
そう言ったのだった。
「やっぱりクマ…なんですかね?」
自衛隊員の一人が尋ねた。すると、こう答えた。
「いいや違うな……クマはトラックをひっくり返すような力など持っていない。ましてやわざわざ獲物をクルマの外にひきずりだしたりなんてするか?もっと賢いやり方でやるさ。例えば――」
そう言って、現場を見る老齢のハンター。
そこには、人間のものと思われる白骨死体がいくつか転がっていた。
「……なるほど。」
それを見て納得した様子の兵士。彼らは気を引き締め直し、森の中へと進んでいったのだった。
人海戦術。森の中を虱潰しに探す。おそらく第一回目の事件から、そう遠くない時間に発生してしまった、第二の事件。もしキャンプ場の管理人の通報が間に合っていれば、ここまで被害は大きくならなかったであろう。
行方不明者は他にも出ており
「あそこ…出るらしいぜ?」
「マジで…?面白そうじゃん!」
「ひょっとしたらバズるかも…」
どこからか閉鎖されたキャンプ場の噂を聞きつけた若者たちが、怖いもの見たさに何人かが森の中に入ってしまったのだ。結果、彼らのうちの数名が、新たな行方不明者となってしまった――
「……ん?あれって……?」
一人の隊員が何かを見つけたようだ。見ると――
「あっ!人だ!!」
なんと、人が倒れているではないか!すぐに駆け寄り声をかける隊員達。倒れていた人は、どうやら女性のようだった。
「大丈夫ですか!?」
「う、ううん…はっ!!」
女性は目を覚ますと、自衛隊員の姿を見て飛び起きた。
「なにかに突き飛ばされて…?あれ、いない…?」
キョロキョロと周りを見回す女性。状況がよく分かっていないようだったので、隊員は優しく声をかけた。
「ここは危ないです。我々が来た方向に向かって歩いていけば、街に出ることができますよ。」
そう言われて、女性の顔色が変わった。みるみる青ざめていくのがわかる。まるで恐ろしいことが起こったかのような反応だった。
「……え?なんで自衛隊が…?」
女性は状況が飲み込めていないようだった。隊員は軽く説明することにした。
「ここら辺の森で最近、失踪事件が発生しているんです。なかには喰い荒らされた遺体も…我々はその調査に来たんですよ。あなたはなぜここに?」
そう言うと、女性はうつむき加減になり、ボソッと呟いた。
「あ、あの……!私はここで友達とはぐれてしまって……!」
女性が話した内容によると、一緒に来ていた友人とハイキングに来ていた。途中で休憩していたところ、
「あー…ちょっとトイレへ行ってくるわ。」
そう言って、友人がトイレへ入っていったきり戻ってこなかったのだという。心配になって後を追ったものの、見失ってしまったそうだ。その後、いくら探しても見つからず、途方に暮れていたところに、突然なにかに突き飛ばされ、山道を転げ落ちたところに偶然通りかかったこの自衛官達に助けられたのだと説明した。
「それは大変でしたね……我々と一緒に来ますか?お連れの方はこちらで捜索しますんで。」
そう言われたが、彼女は首を横に振った。
「いえ……大丈夫です。自分で探します。もう夜遅いですし、ご迷惑はかけられません。それにきっとあの子も心配で、私のことを探していると思うんです。」
それを聞くと自衛隊員は
「わかりました。ですが、今も危険な猛獣が徘徊していると聞いています。日没までには帰ることをオススメしますよ。」
「はい、ありがとうございます!」
「では、お気をつけて。」
こうして、女性と別れたのだった。
「あんな若い娘さんまで……かわいそうになぁ……」
「でも、無事でよかったですね!」
そんなことを言いながら、森の中を進む隊員たち。
「ああ、あのような惨状にはしたくないものだな……」
そんな会話をしながら歩くこと数分――
「なんだこれ?」
木に何か白いものがぶら下がっているのが見えた。近づいてみると――
「………『モズのはやにえ』じゃ、ねえんだぞ……!!」
思わず叫んだ自衛隊員の一人。無理もないだろう。そこにあったのは、人間の首だったのだから。引きちぎられた首は胴体から垂れ下がり、木の上に引っかかっていたのである。よく見ると、近くにもいくつか同じようなものがあることに気が付いた。
「ひいっ……!」
他の隊員達も次々に恐怖の声を上げる。中には嘔吐するものもいた。それほどまでに凄惨な光景だったのだ。
「こりゃひどいな……いったい何があったんだか……」
「まて、この遺体、他と違うぞ…よく見てみろ。」
「???食い荒らされて、いない…?」
まるで本当に、『モズのはやにえ』のように、皮だけが綺麗に剥かれていたのだ。しかし、一体なぜこのようなことが?疑問ばかりが浮かんでくる中、一人の隊員があるものを発見した。
「おい!あそこにもあるぞ!」
指差した先を見ると、そこには確かに同じものがあったのだ。これはいったいどういうことなのだろうか?
ガチャ!
先を歩く隊員が、89式5.56mm小銃を構え、ゆっくりと進み始めた。すると、あることに気がついた。
「……足跡があるな。それもかなり大きいやつだ。これは…熊か?」
雨でぬかるんだ泥が乾き、その上にはくっきりと足跡が着いていた。
「熊にしては…少し形がおかしい。」
老齢のハンターは足跡を見て答える。
そしてさらに続ける。
「いや、こいつはクマじゃないな……こんな爪痕見たこと無いし、何より大きすぎる。」
そう言って指をさしたのは、大きな獣の足の形をした痕跡だった。ツキノワグマよりは大きいかもしれない。その大きさと形は、まさに虎を思わせるものだった。隊員たちは、その足跡を追っていくと――――
「あれ?」
「どうした?」
「足跡が消えているんです。」
見ると、獣の足跡は、キレイに途切れていた。だが『足跡』は続いていたのだ…
「これは…?」
それは、獣の足跡とも似ても似つかぬ、小さな足跡。まるで―――
「人…だな。それもそんなに大きくない。」
老齢のハンターが答える。
それを聞いて、女性が言っていたことを思い出す。友人が山の中で行方不明になったと言っていたことを。
だが――――
「仮に、猛獣がその子を見つけたとしましょう。では、なぜ2つの足跡は、『歩幅が離れていない』のでしょうか?」
自衛隊員は疑問を口に出す。仮に追われたのであれば、走るはずだ。または、
『熊と出会ったなら』
『荷物を置いて』
『ゆっくり後ずさりする』
足跡になるはず。大きな足跡も、小さな足跡も、『親指が同じ向き』に歩いているのだ。
「おとぎ話じゃ、ねぇよな――?」
ガチャ!
もう一人の隊員も、小銃を構え直す。
どうやら全員覚悟が決まったようだ。
「銀の弾なんて、装備品にありましたかね?」
「冗談をいうな。だが――警戒はしておけ。」
「持ってきた装備で、斃すことができれば、いいがな…」
隊員たちと老齢のハンターは、森の奥へ進んでいったのだった――――
「はぁ…はぁ…」
森の中の道を、何かを探している人がいた。
「はぁ…ナオ…やっぱりあなた…どこかで生きている…のね?」
警察はあのとき、3つのスマホを証拠品として回収した。
・焼け焦げたスマホ。
・ショウのスマホ。
・管理人のスマホ。
このうち、ショウのスマホにはなぜか、『ロック』がかかっていた。それが指し示すところは―――
「ショウ以外の、『誰かが』操作した。」
だが、赤の他人のスマホなど、ロック番号が『はじめからわかっていない』のだから、管理人がショウのスマホを扱うことは無い…と予想できる。緊急通報ならば、管理人は自分のスマホで行うだろう。となると、誰か赤の他人が触ったというより、『親しい』人がどうにかロックを開けようとして、失敗したのではないか?
ということだ。
しかし、なぜナオが、ショウのスマホのロックを外そうとしたのか?答えは、『焼け焦げたナオのスマホ』だ。
ナオは、何らかの理由により焼け焦げたスマホは使えず、ショウのスマホのロックを『開けて』緊急通報しようとしたのだろう。
※緊急通報はロックがかかっていても可能
そして、ナオの『血痕』は発見されたものの、
「生存は絶望的」
と、警察官は言った。おそらく血の量から
して、予想で言ったのだろう、と。
つまり、ナオの死体が発見されたわけではないのだ。
さらに言えば、あのキャンプ地にあった足跡は、2つだけだったということ。一つはサイトの奥から歩いてきた足跡と、もう一つはサイトの奥に向かった足跡。つまり、管理人と『誰か』の足跡だ。
これらのことから、ナオが生きている可能性が出てきたのだ。もちろん希望論でしかないのだが、それでも一縷の望みにかけるしか無かった。
警察も必死に捜索したが、一度体制を立て直すために撤退したらしい。
そして見つけた、『獣以外の足跡』
「まだ、続いている……。」
足跡は、どんどん森の奥に進んでいくようだった。靴も何も履いてないのか、そのままくっきりと、人の足の形が獣道に伸びていた。
(まさか……この先に……?)
そう思い、彼女は歩みを進めることにしたのだった――
しばらく進むと、少しだけ開けた場所に出た。だが、そこで…
(足跡が、ここで途切れている…)
人の足跡が消え、今度はだんだんと、大きな肉球を押しつけたような足跡に変わっていた。それは森の奥に続き、その先は茂みに隠れて見えなくなっている。
『狼の鳴き声が聞こえる』
そんな噂が、この付近で立っていたことから
「まさか…ね?たまたまだよ…ね?」
キョウコは不安を抱きながら、その奥に入っていくのだった――
茂みの奥は、洞窟になっていた。キョウコは懐中電灯の電源を入れる。昼間でも暗く、その先は見えにくい。
こつ…こつ…こつ…
洞窟の奥に歩みを進めるキョウコ。
「……………来ちゃったんだ……」
突然どこからか声がした。キョウコはその聞き覚えのある声に辺りに懐中電灯の光を照らすが、誰も見当たらない。
「…………こっちだよ。こっち…」
続けて声のする方に、光を当てる。
すると、そこには――
「えっ!?」
『血だらけの少女』がいたのだった…間違いない。ボサボサの髪で顔は隠れて分からないが、この雰囲気は―――――
「ナオ?」
「ふふ、そうか…来ちゃったか…久しぶりだね。『キョウコ』」
やっぱりナオだ!ナオは生きていた!急いでそばに行こうとすると
「来ないで!!」
血まみれで、髪がボサボサの少女は、キョウコを拒絶した。
「え……?」
あまりのことに呆然とするキョウコ。なぜ拒絶されたのか分からない。いや、分かりたくないのかもしれない。なぜなら、彼女の友人は、こんな姿になってまで生きているのだから……。
「ねぇ……どうして?何があったの?生きててよかったよ……一緒に帰ろう?」
そういって手を伸ばすキョウコだったが
「だめ!触らないで!」
と一喝され、再度拒絶される。
「お願いだから…話だけ聞いたら、帰ってくれる…?まだ今日は、『間に合う』から…」
そういうと、少し落ち着いたのか、ポツリポツリと話し始めた。
「……驚かないで聞いてね?わたし…『狼男』に噛まれたの。」
「……………ナオ?」
突拍子もない話に、
聞き返すキョウコ。だがナオは続ける。
「あの日、ショウとキャンプに来てたら突然、なにかにテントを切り裂かれたの。そしたら裂かれたテントの外から、大きなオオカミが現れて、私達を襲ってきた。そのとき私は逃げ遅れたショウを助けるために、色々やったんだけど…」
淡々と話すナオを信じられないような目で見るキョウコ。
「そのあとすぐ、わたしも噛まれたの。ショウはすでに、噛まれた傷が深く、やがて息をしなくなった。たまたま掴んだものが酒瓶だったから、オオカミに向かって振り下ろしたら、酒瓶が割れて狼はそれを浴びたの。そこへ、アロマキャンドルの炎が燃え移ったことで、わたしは、オオカミから離れられた。」
まるで物語のように、ナオは語る。
「それで……どうなったの?」
「オオカミは激しい炎に包まれていたわ。わたしはショウの安否を確認するのに、必死だった。だけど…」
ショウは警察官から亡くなったと聞いている。わたしはテントの中は見ていないが、そういうことなのだろう。
「そう……分かった。」
それ以上は何も聞かなかった。聞く必要もなかったから。だって……もう……
「けど、ナオは生きてた!」
「そう。『生きてしまった』のよ。狼男に、噛まれてね…」
「さっきから何を……?ナオらしくない。あなたおとぎ話とか信じてないでしょう?」
「そうね、信じたくなかった。――――『血まみれの自分』と、『管理人さんの無惨な死体を見るまでは―――』」
ナオは溜め込んだ思いを、吐き出すように語りだす。
「その後は恐ろしくなって、その場から逃げたら―――次は林業のおじさん達だった!クルマは横転し、フロントガラスは叩き割られてた!」
「な、何を言って――――?」
「わかる?記憶が飛んで―――気がついたら目の前に喰い荒らされた死体と、血まみれのわたし!他にも―――」
スッ……
「こ、来ないで!来ないでって言ってるじゃない!キョウ――――」
「………怖かったよね。寂しかったよね。こんな暗い森で―――」
キョウコはナオが血まみれなのも厭わず、ナオの体を優しく抱きしめる…………だが、ナオは。
「違うの!お願い!わたしのあたまは『まとも』だから!お願いだから、しんじて…」
抱きつかれながらも、必死に説明するナオ。だがキョウコは、過酷な環境でどうにかして生き残った親友が、ヒステリックを起こしたようにしか見えなかったのだ。
どん!
そんな自らを心配してくれる親友を、突き飛ばすナオ。『親友』だからこそ、せめて彼女だけは守りたかったのだ。
「お願い、『時間が無い』の。お願いだから、このまま帰って!」
このまま、今の彼女に対し、何をしても逆効果だと、ようやく理解したキョウコ。
「……わかった。一旦、帰るね…『待ってる』から…」
「うん…ごめんね…。本当にごめんね…」
「いいの。ゆっくり治していこう?ナオのペースでさ?」
「………………。」
それ以降、『ナオと思われる少女』は何も話さなくなった。
『今は、時間が必要なんだろう』
そう思った彼女は、小さく
「ばいばい…ナオ…。」
と、一筋の涙を流しながら、笑顔でナオに手を振り、洞窟を後にした。
「ありがとう…そして、ごめん。キョウコ…」
なんとか、親友だけは守れた。自分の狂爪にかけずに済んだ。そして、ナオは洞窟の奥にいくと、
「ぐぶっ!ごぼっ!…」
呼吸をするたびに、首から赤い血を吹き上げる女性がそこにいた。先程、『狂爪』にかけてしまった少女。
「ごめんなさい…『お腹が空いていた』から…」
ナオはその女性に対し、申し訳無さそうに謝る。
「こ…ば…もの……。」
ナオは女性が言いたいことはわかっているようだ。目を伏せながら
「でも!どうしようもないの!お腹が空いたら、だんだんそれしか考えられなくなって…だから!」
「……い…………え…か…………り…」
そこまでいうと、女性はそれ以上、何も話さなくなった。
――――少し前――――
「どうしたの?」
ハイキングで友達とはぐれてしまった女性。そのもう一人。
トイレに行ってすぐ戻るつもりが、戻るときに、道を外れたところに少女がいた。泥で薄汚れ、パッと見た感じは何も身にまとっていなかった。
(ただごとではなさそうね…)
世話焼きの女性は、そこで少女に声をかけたのだ。ただならぬ様子に、
何かあったと思い、声をかけたのだが……
「…………げて」
少女はなにかを話す。
「…………え?何?聞こえない!」
女性が聞き返すと
「…………にげて!」
「にげて?何から?」
「もう………『抑えられない』!!」
(抑えられない?何を…?)
聞き返そうと思った矢先、少女が急に
「ウオオオオオオオオオオオ!!」
と叫びだす。
何やら苦しそうに、もがくように少女は、自分のお腹を掴む。それは長く伸び、しまいには皮膚が裂けてしまうと、中から腹筋が割れた、黒い毛を纏ったお腹が顔を出す。
右手をピンと伸ばし、自身の方に手のひらを向けると、手の指を突き破り、鋭い爪が生えると
ばきっ!
ばきっ!
ばきっ!
骨が折れるような音を立てながら、手の指は爪を伴って段階的に伸び、元の2倍くらいになる。手全体も大きくなった。今や爪の長さはナイフくらいだろう。
「アアアアアアアァァァァァァ…」
苦しそうに唸り声を上げると、左腕の皮膚が二の腕から裂け、中から筋肉に守られたけむくじゃらの腕が現れる。皮膚の下からどんどん膨らみ、やがて少女の腕は血管を浮き上がらせた筋肉の塊になる。
右脚はすでに変形し、獣のような脚になっている。左脚のふくらはぎが膨らみ、皮膚が耐えきれずに破れると、皮膚の下から黒い毛を生やした、ラグビーボールのようなふくらはぎを持つ獣の脚が姿を現す。
「グゥアァ!!」
ドシャ!
変化の痛みに耐えかねたのか、少女は前のめりに倒れると、地面に両手の爪を立てる。歯をむき出しにすると、鋭い牙が見え隠れしていた。メキメキと背中の皮膚を破りながら毛の生えた背中が見えてくる。同時に、大きくなった左手が、爪とともにさらに大きく、長くなった。
首周りが太くなり、首の皮膚が裂ける。瞑っていた目をカッと見開くと、そこには白目を黒く染め、瞳を金色に変えた目が爛々と光る。
「ヴォオオオオオオオオ……!!」
ひと吠えすると、自身の口に、鋭い爪が付いた大きな手を突っ込む。口の周りの皮が剥がれ、そして顔全体を剥がすと、中からシワだらけの顔が。鼻先は黒く黒ずんでいた。と
めきっ!
めきっ!
めきっ!
顔が歯を伴って前に伸び、長いマズルを作り出す。
メキメキ…
バキッ!!
全体的に一回り大きくなった体が、筋肉の膨張によってもう一回りほど大きくなると
「ウウウウ………ウオオオオオオオ!!!!」
少女は、『狼人間』に変身した。
力を込めて曲げた表腕には太い血管が浮かび上がり、禍々しく伸びた、長い爪を見せつけるように、女性の方に向ける。
ズゥン!!
一歩一歩歩く度に、地面が揺れるような音。
ズゥン!
少女だった狼人間は徐々に女性に近づいていく。
「ひっ……………!」
もはや泥で薄汚れていた、なにか訳ありそうな少女の姿はそこにはなかった。筋骨隆々の、血管を浮き上がらせた、狼のような怪物。
ズゥン!
2mは超えているだろうか、筋肉の塊が、大きな歩幅で近づいてくるのだ。
恐怖のあまり、女性は腰が抜けてしまったのか、その場から動けない。
ついに目の前まで来ると、女性はガタガタ震えながら、命乞いをする。
だが、言葉が通じないのだろうか?目の前の化け物はただ、唸るだけだ。そして、その巨大な腕を女性に近づけると
ガシッ
「ぐっ!!かっ!!…く…るし…」
首根っこを掴んだまま、女性をどこかへ運ぶ怪物。
(な……んで……こんなことに……)
意識が遠のく中、女性の目に最後に映った光景は、自分の首を絞めたまま、洞窟の中に入っていく怪物の姿だった。
(ここは……どこ……?)
気がつくと、自分は洞窟の中に閉じ込められていたようだ。洞窟の壁にもたれかかるように座っている自分に気づくと、すぐに首に激痛が走った。
「かっ……!?」
ぶしゅっ!!
ぶしゅっ!!…
女性の首は、鋭利な何かで切り裂かれ、呼吸するたびに出血するようになっていた。助けを求めようにも、声が出せない。
「ごめんなさい…『お腹が空いていた』から……」
目の前に先程の、『変身する前』の少女がやってきた。
(この…ばけものが…)
ぶしゅっ!
ぶしゅっ!
そう言いたいが、声が満足に出せない。首を切り裂かれ、もはや話すことは不可能になっていた。
ぶしゅっ!
ぶしゅっ!
意識が遠くなってきた。いたい。くるしい。なんでこんなことに。これは現実じゃない。夢なら早く覚めてほしい。そして…
(いえに…かえりたいよぉ…)
そう思って、女性はこれまでの短い生涯を閉じた。
「うぅ…」
またやってしまった。もう何人喰い殺したのか。飢餓や満月で、自分の意志に関係なく獣となり、喰い殺してしまう。
もう嫌だよこんなの……
「……あ」
私の足元では、息絶えた女性が横たわっている。もう息をしていない。
今や私は人間の血肉を喰らう、狼人間だ。
人を食べるなんて最低だと思うかもしれないが、これが生きるために仕方ないことなんだ。許してくれとは言わないけど、どうかわかってほしい。
「ああ、が…!」
キョウコに『早く逃げて』と言ったのは、もう一つ理由があった。
(今夜は――満月―――)
できれば山を降りておいてほしい。親友を喰い殺したくはない。そう思っている間に、モコモコとお腹の皮膚の下が蠢き出す。引っ張れば、いつものように皮膚が剥け、その下には――――
(この地獄は、いつになったら終わるのだろう―――)
そう思い、意識を手放した。
キョウコは山を降りる途中だった。まもなく日没。キレイな満月が顔を出し始めていた。
(ナオ遅いなぁ……)
洞窟を出て2時間以上経つというのにまだ帰ってこないナオのことを心配していた。まさか遭難でもしたのか?そんな不安を抱きながら歩いていると
「女性…?」
「生存者か?」
「いや、違うな…!?どうしたんだ!その血は!!」
血まみれのナオに抱きついたことで、キョウコの服は薄っすらと赤く染まっていた。
「え……?あ、いや!これは!違うんです…!」
慌てて自衛隊員達に弁明するキョウコ。先程あった出来事を話し始める――――
「なるほど。そういうことか…」
すべて話し終えた頃には、満月がしっかりと顔を出していた。あたりはすっかり暗くなっていた。
「では、君はこのさきにある洞窟の中に、生存者を見つけたんだね?」
「はい、でも、何か錯乱していたようで…」
そうか……と隊員の一人が呟くと、他の隊員達に指示をした。
どうやら、この先の洞窟で生き残りがいるかもしれないということで、調査することになったらしい。
急遽無線で他の隊員を呼び出し、10人は洞窟に、残り10人は老齢のハンターと、キョウコとともに下山することになった。
「わたしも一緒に!」
「ダメだ。この暗さでは危険すぎる。それに、我々だけで十分だ。あなた達は残りの隊員とともに、麓まで降りてもらいたい。」
そう言われては、反論できなかった。ナオはどうなったんだろう。でも自衛隊の方たちなら、これほど心強いものはないと思われた。屈強な男たちに囲まれれば、ナオもしぶしぶ従う他ないと思ったのだ。そう信じて、キョウコは隊員たちと共に、山を降りていった。
「――――死ぬなよ。」
老齢のハンターは自衛隊員達に檄を飛ばす。
「任せてください。」
だが彼らは動じることなく、冷静に答えた。それが彼らのプライドであり、使命であるからだ。
洞窟に入った一行は、懐中電灯を照らしながら進むことにした。奥に進むと、なにやら物音がする。
(生存者だろうか?)
一同がそう思ったその時だった。
「グオオオオッ!!」
ドガッ!!
「ぐあっ!!」
自衛隊員の一人が何者かに突き飛ばされた。見ると、腹から血を流している。なにかに切り裂かれた?
すかさず隊員たちがライトを照らす。そこには、全身けむくじゃらの、体長2m近い何かが、暗闇の中にぼうっと現れた。
「射撃用意!!」
ガチャ!
ガチャガチャガチャ!
一斉に目標に向かって、89式の銃口を向ける隊員たち。
銃を構えられた怪物は一瞬怯んだが、すぐさまこちらに突進してきた。
「………………てぇ!!」
ガガガガガ!!
ガガガガガ!!
ガガガガガガガガガガ…
ガガガガガガガガガガ…
ぷつっ!!
ぷつっ!!
ぷつっ!!
隊員たち9人による、正確無比な一斉射撃。弾が当たった箇所から、獣の肉が削り取られ、穴だらけにされていった…
「グワアアアアアアア!!」
ガガガガガガガガガガ…
ガガガガガガガガガガ…
「やめ!」
隊員たちは一斉に射撃をやめる。
89式の銃口からケムリが上がる。
しゅううううう…
撃ち込まれた弾丸は正確無比に獣を捕らえ、文字通り『ハチの巣』にしていた。穴だらけにされ、血にまみれた怪物は、そのまま
ドシャアン!!
と、後ろ向きに倒れた。
「グゥ…ガア!…グゥ…!」
動けない。健や筋、関節を穿たれ、もはや獣は全く動けない状態となっていた。首しか動かすことができずに、こちらを睨み続ける狼人間に対し、全員が銃口を向けたまま警戒する。
「これだけ撃ちこんで、まだ生きてるとはな―――」
「捕獲するんですか?隊長…」
「何を言っている?あまりにも被害が多く出過ぎた。人の味を覚えた『獣』は、また必ず人里に降りてきて、害をなすんだ。」
そう言うと隊長は自身の89式を獣の眉間に向けた。
「悪く思うな。『人の味』を、覚えるんじゃなかったな」
ガァーン!!…
躊躇なくトリガーを引いた隊長。眉間を撃ち抜かれた獣は、それ以上動くことはなかった――――
後日。「大型の獣」による、被害状況が発表された。
「死者8名、うち重傷者1名、行方不明者1名――以上です。」
それはあまりに凄惨な結果だった。ナオは行方不明者扱いとなり、捜索隊が派遣されることになったのだった。だが、ナオが見つかることはなく、時間だけが過ぎていき、そして捜索は打ち切られることとなった―――
それから一週間――――
キョウコは、麓の街にいた。ナオが今でも、帰ってくると信じていた。
「どこに行ったの、ナオ―――」
あのとき、無理矢理にでも連れ帰っていれば――――キョウコは胸に後悔を秘めたまま、いつまでも帰ってこない友を待ち続けていた―――
完