パッチールのカフェにて

  (疲れた...)

  廃墟と化した集落から続く獣道、荒れ果てたそれを2人のポケモンが歩いている。先導する牡のキモリ、カフカの身体状態は先日に比べて改善しており、四肢の浮腫や腹水は軽減し顔色も良くなっている。

  カフカの後ろに続く牡のリオル、グレーゴルと名乗る私は、彼の案内に従い脚を動かすと、辺りを見渡した。

  「もう少し歩けば、俺の友達がいる海岸に着くぞ」

  カフカの説明に私は頷く。

  喉が渇いてきた。

  私は肩から下げた鞄に手を入れ、取り出した革製の筒に口を付けると、中に入っている水を喉に流し込んだ。それは廃墟の近くにある泉から汲み上げた清水であり、貴重な物であるのは明白だ。

  (ありったけの革袋に水を入れて正解だったな...)

  前もって革袋を水で満たし、カフカと分担して携帯した私の判断は正しかった。

  廃墟を出発してから数時間、疲労が少しずつ蓄積していることに私は気がついていた。何とか渇いた喉を潤すと、私は先を歩くカフカを見た。

  浮腫はなくなり、腹水は軽減している。

  何より四肢の筋力も少しずつ回復しており、張りが出てきている。

  栄養失調に陥ってはいたが、カフカの基礎的な身体能力は私を上回っており、体調が回復している今の彼と私のスペックにどれだけの差があるのかは明白だ。

  (余裕の表情、か...)

  私は平然としているカフカに怨めしげな感情を抱くが、それが無意味な物であることは私が一番知っている。

  故にそれを水と共に喉の奥に流し込むと、私は辺りを見渡した。

  辺りの光景は少しずつ変わってきており、草木に覆われた獣道から岩や岩盤が露出する荒れた道になってきた。

  おそらくは海が近いのか、私の頬に潮風が当たり、鼻先に海の匂いが届く。

  ふと、カフカの脚が止まり、私の方を振り向いた。何故か彼の表情は暗く、戸惑うように視線を泳がせる。その姿を見た私は、反射的に脚を止めると彼の顔を見た。

  「その...グレーゴルはトレジャータウンに何の用事があるんだ?」

  カフカの問い、それを聞いた私の脳裏に、廃墟で見つけた取引記録の内容が過ぎる。それを眼前のカフカに素直に話して良いものか、私には正解か否かわからない。

  それ故に、私は嘘をつくことにした。

  「...少し調べ物のためにね」

  嘘ではない。

  物と情報が集う港町トレジャータウンならば、私の望む物やセレビィに関する情報、セレビィを説得するために必要な情報が見つかるかもしれない。それらを得るためにも、様々な物が集う港町は、絶好の地と言える。

  私の返事にカフカは視線を泳がせると、再び口を開いた。

  「その...トレジャータウンの近くまでは案内できるけど...街中までは勘弁してくれよ」

  カフカの視線と言葉、それの意味することを理解できない私は、思わず怪しむ目を彼に向けてしまう。私の視線が向けられたことにより、カフカは目を逸らすと口を閉じた。

  「...」

  理由を話さないまま、沈黙を許す訳がない。私は閉口したままカフカの目を見つめる。そして、沈黙に耐えられなくなったカフカはゆっくりと口を開くと、言葉を紡ぎ出した。

  「...トレジャータウンは時の守護者達が支配している。あそこは...地獄だ」

  「時の...守護者?」

  カフカの説明に納得できない私は、そのまま彼の言葉を返してしまった。私の返事に対してカフカは頷くと、微かに身体を震わせ、話を続けた。

  「闇のディアルガを信仰する連中だ。奴らは...レシラム教やゼクロム教、星の調査団だけじゃなく...生き残りのポケモン達も狩っている連中だ」

  「どういう事だ?」

  私の質問に対して、カフカは何かを思い出すと、震えたまま口を動かした。

  「星の停止が発生した直後から...世界中にダンジョンの影響が強く出始めた...それと同じ頃、狂ったポケモン達が世界中に現れ、他のポケモン達に牙を剥いた...」

  「それが時の守護者、か?」

  カフカは頷く。

  彼の顔色は悪く、脅えた表情のまま目を逸らした。

  「守護者と名乗っているけど...実態は闇のディアルガに狂信的な暴徒だよ...俺の両親も連中に殺された...」

  カフカの言葉、それを聞いた私の表情は凍りつき、彼の顔をまじまじと見つめた。カフカはその光景を思い出し、目尻に涙を浮かべ嗚咽を漏らした。

  「...闇のディアルガと星の調査団とは?」

  カフカの姿に私は罪悪感を抱くが、情報を集めるために質問を続けた。残酷ではあるが、今必要な事である。

  カフカは身体を震わせているが、私の質問に応えようと懸命に言葉を絞り出した。

  「闇のディアルガについては詳しい事は知らない...でもエミル...セレビィが言うには星の停止は闇のディアルガが引き起こしたようらしい...」

  セレビィ、その単語を聞いた私は反射的に目を見開くと、カフカを見た。そんな私の視線の意味を理解できないカフカは、焦ったように目を逸らすと、口を閉ざした。

  (何たる偶然か...)

  目の前のキモリは、私が探しているセレビィの情報を握っているポケモンである。偶然とはいえ、そのようなポケモンに出会えるとは、二度目の私の人生は思いの外、幸運に恵まれているのかもしれない。

  己の幸運に私は破顔一笑しそうになるが、それを堪えると冷静な声色でカフカに問うた。

  「それで...星の調査団とは?」

  冷静を意識すぎるあまり、私の声色は怒りに震える人のそれと似ている事に、私は気がついた。そのためか、カフカは身を小さくさせると、私の顔を見て恐る恐るといった雰囲気のまま、口を開いた。

  「彼らは世界を救うために活動している集まりだ。でも、ほとんどのメンバーが捕まり処刑されている...俺の両親もメンバーだったけど...守護者達に殺された...」

  先ほどのカフカの言葉、それを思い出した私は、この世界が思ったより複雑な構造になっていることを理解した。

  カフカの言葉から推測したところ、彼や彼の両親も星の調査団のメンバーであった。しかし、調査団は守護者達に弾圧され、カフカの両親は処刑、カフカ自身も1人逃げ出した。そんな彼がセレビィと知己の仲ということは、セレビィも調査団の一員であると伺える。

  加えてカフカは「セレビィが言うには」と発言した。その言葉からも、セレビィはまだ生きており、且つ捕まっていない事が伺える。

  滅びかけている調査団のメンバーに接触する、予想外に困難な状況を理解した私は、あの白いポケモンに対する呪詛の言葉を心の中で呟くと、カフカの顔を見た。

  カフカは時の守護者達に両親を殺された場面を思い出したらしく、涙目になったまま俯いた。その姿に私は罪悪感を再度抱くが、質問を続いるために口を動かした。

  「セレビィは...何処にいる?」

  投げかけられる私の質問に対して、カフカは黙り込む。出会ったばかりの私、グレーゴルをカフカがまだ信頼しきれていないことは明白だ。身分が怪しいポケモンに対して、仲間の居場所をおいそれと話すほどカフカは愚かではない。

  沈黙から彼の意志を汲み取った私は、僅かに溜め息を漏らした。

  眼前のカフカは貴重な情報を握っている。

  今、無理に情報を聞き出し彼の信頼を失う事は好ましくない。

  (とりあえずトレジャータウンに向かうか...)

  セレビィの情報を後に回し、新たな情報を得るべく、私はトレジャータウンに向かうことにした。

  顔を上げたカフカが再度歩き出だし、その背中を私は追う。

  やがて、岩だらけの道を通り抜けた私とカフカは、荒れた海に出た。火山帯にあった停止した小川とは違い、眼前の海原は荒れており、高い波が幾つもの生み出されている。水平線から吹き込む激しい潮風が私の頬を打ち、私は目を細めてしまう。

  視界の端に大きな影が映る。

  影は荒れた海岸に向いており、荒波を一身に受けている。青い身体は古代の水棲竜のようであり、背中には巨体に似合う甲羅がある。巨体のポケモン、ラプラスは虚ろな眼差しで海岸に接すると、時折溜め息をつき、水平線の彼方を見ている。

  カフカはラプラスを見つけると、小走りで駆け寄り声を張り上げた。

  「ノア!」

  ラプラス、ノアはカフカの呼び声に顔をあげると、遠くから駆けてくるカフカと私を見て、驚きの表情を浮かべた。

  「キモリさん...無事だったのですね」

  ノアはカフカが無事な事に安心したように息を吐くと、視線を私に向けた。姿形から、ノアがカフカの話した海を渡れるポケモンであることは明らかだ。私はノアに向かって友好的な笑みを見せると、カフカの後に続いて近寄った。

  初対面の私に対して、ノアは不審の目を向ける。カフカはそんなノアの視線に気づき、「あぁ」と小さな声を漏らした。

  「コイツはグレーゴル、行き倒れた俺を助けてくれて、カフカの名前を与えてくれた友達だ」

  「...どうも、リオルさん...いえグレーゴルさん」

  ノアに向かって私は笑みを見せるが、彼は疑念の色を瞳に浮かべたままである。

  (当然だな...)

  ノアから見れば、初対面の私は時の守護者の一員ではないかと疑問を抱くはずだ。もっともな反応を示す彼に向かって、私は再度笑みを見せる。だが、ノアは疑念の目を私に向けたまま口を動かした。

  「それで...カフカさんとグレーゴルさんの用件は何ですか?」

  「実はグレーゴル...いや、俺達をまたトレジャータウンの近くまで運んでほしい」

  カフカの言葉を聞いたノアは目を丸くし、思わず「えっと...」と戸惑いの声を漏らした。彼らの会話から推測したところ、両親を殺されたカフカは、時の守護者達の支配するトレジャータウンから命からがら逃げ出し、ノアの助けを借りて海を渡った。そのカフカが再びトレジャータウンに戻ろうとする言葉を聞いたノアが、驚いてしまうのは無理もない。

  無理をしてまで私をトレジャータウンまで連れて行こうとするカフカ、その言動に私は彼の優しさを実感し、思わず目許が熱くなりそうになる。

  「友達、か...」

  以前の人生において、友達の居なかった私にとって、それは異常に重たく感じる言葉である。

  人間だった頃は、仕事も家もあった。

  だが、友達や恋人といった親しい人間関係を構築できなかった私は、子孫を残すことなく齢三十前で人生を終えた。

  子孫を残さず罪人として生を終える、亡くなった両親に顔向けできない人生を私は送っていた。

  そんな私に向かってカフカは戸惑うことなく「友達」と言い放った。彼の言葉を耳にした私は、恥ずかしさと照れくささを覚え、視線をカフカとノアから逸らしてしまう。

  (今度の人生は、胸を張れる物にしたいな...)

  間接的とはいえ、数多くの命を奪った私の罪。人間だった頃はその罪に耐えきれず、常に俯いた人生を送っていた。

  そんな私を友達と呼んでくれる存在と出会いた。

  私は二度目の人生に対して喜びを見いだすと、心の内で白いポケモンに向かって感謝の言葉を発した。

  カフカの言葉を聞いて反応に困っていたノアは、やがて口を開くと、彼と私の顔を見た。

  「...わかりました。ただ、私も今のトレジャータウンに近づきたくないので、近場までならお連れします」

  ノアの言葉にカフカは「ありがとう」と応え、私は深々とお辞儀した。異世界に独りきりで放り出された私だが、幸いにも頼れる者を見つける事ができた。

  彼らは私のために尽力してくれている。

  ならば、私も何らかの形で彼らに報いたい。

  声に出さず、私は静かにそう考えていた。

  *

  窓から吹き込む風がルカリオのオズワルドとゾロアークのニコルの身体に吹き付ける。心地良い風の感覚にニコルは目を細め、机上に置かれている白磁のカップに口を付ける。カップを満たすアップルティーの香りが鼻腔を満たし、オズワルドとニコルは共に満足そうな笑みを浮かべる。

  時刻は昼下がり。

  オズワルド手作りのサンドイッチを食べ終え、優雅なティータイムに洒落込むオズワルドとニコルは、アップルティーと焼き立ての菓子の味を楽しんでいる。

  オズワルドの視界に机上のファイルが映り込む。

  ファイル、先日オズワルドが始末した指名手配のポケモン達の報酬の明細と、次の仕事の依頼書を見たオズワルドは、ニコルの顔を見た。彼女は昨晩運び込まれた、負傷したマリルの処置に当たっており、疲労の滲み出る様子のまま焼き菓子とアップルティーを味わっている。

  「...」

  ガブリアスのゼーン、ニコルは正体が露呈した以上、オズワルドに仮の姿を見せることを止めた。元来、ゾロアークのニコルはトレジャータウンのある大陸、草の大陸では珍しいポケモンである。加えて草の大陸はレシラム教が幅を聞かせており、珍しいポケモンであるニコルは異端視される可能性がある。更にニコルは異大陸の技能を持つポケモンであるため、迫害される可能性が非常に高い。

  現状と彼女の仕事内容からオズワルドは理由を察すると、それを彼女に聞かずにいた。

  「...理由は聞かないの?」

  そのようなオズワルドの心情などつゆ知らず、唐突にニコルが尋ねた。その質問には「自身が何故ガブリアスの格好をしていたのか聞かないのか」という言葉が隠れており、察しのいいオズワルドは焼き菓子を頬張ったまま首を傾げると、それを飲み込んだ。

  オズワルドは「うーん」と悩むような声を漏らすと、口元に手を当て、ニコルの顔を見た。彼の鼻はにニコルの匂いを捉えており、脳裏に刻まれていく。一方、彼女は不安そうな表情でオズワルドの顔を見返した。

  やがて、オズワルドは口を開くと、端整な顔を不安そうに歪めるニコルを見た。

  「その...ニコルの立場や仕事を考えると、仕方のない対応だと思いますよ」

  オズワルドは「私は気にしません」と続けると、カップのアップルティーを飲み干した。彼の返事にニコルは微笑むと、嬉しそうな眼差しで彼を見た。

  「ありがとう」

  美しい鈴の音のような声でニコルは礼を述べる。彼女の言葉にオズワルドは満足そうに笑みを見せると、視線を窓に向けた。

  窓の外には森の木々が広がり、合間を吹き抜ける風が心地良い感覚をオズワルドに与える。

  ノックの音が響いた。

  木製のドアを叩く音が洋館内に木霊し、オズワルドは視線をドアに向けた。続いてニコルもドアに目を向けると、不思議そうに首を傾げた。

  そのままニコルは立ち上がり、ドアに向かって歩み寄る。その間にガブリアスのゼーンの幻影を身に纏うと、ドアを開けた。

  そこにはレシラム教徒の証である白い装飾品を身につけたツタージャがいた。ツタージャは自身より遥かに背の高いゼーンを見上げると、満面の笑みを浮かべて口を開いた。

  「こんにちは、ギルドから伝言を承っています」

  ツタージャは自身の名前を名乗らずに言った。

  この世界において、名前のあるポケモンはそれだけでステータスとなる。名前を名乗る、という行為には教会から赦しを得るかギルドに所属し、功績をあげることが必要となる。それに当てはまらないポケモンたちは、専ら種族名を名前として生活している。

  故に、ギルドを束ねる立場にあるヘンデルやノイズ、特殊技能のあるニコルやヘレンなどは名前を名乗る事を認可されたポケモンである。

  しかし、このツタージャはレシラム教徒でありながら、自身の名前を名乗らなかった。つまり、特筆すべきことのない一般的なポケモンであると言える。

  同様に、固有の名前を有するオズワルドもまた、奴隷という立場に似つかわしくない特徴があった。

  ツタージャの言葉からその身分を理解したオズワルドは、ゼーンの背中越しにツタージャを見た。ツタージャは小さな身体を懸命に伸ばすと、頭上にあるゼーンの顔を見上げた。ゼーンはツタージャの言葉に「伝言?」と不思議そうに呟くと、内容を聞くためにツタージャを見た。

  頭上から突き刺さるゼーンの視線にツタージャは頷くと、口を開いた。

  「はい、ギルド連盟からヘンデル氏のギルドを通して、あなた方に人命救助の依頼が届いています」

  ツタージャはゼーンに説明すると、肩掛け鞄の中から紙の束を取り出した。ゼーンはそれを受け取ると、紙面に目を通した。

  「...キザキの森」

  ふと、ゼーンが呟き、それを耳にしたオズワルドは先日読んだ新聞記事を思い出した。

  現在、キザキの森では『時の歯車』に関係した暴動が起きており、死傷者が三桁に達している。憎しみが更なる憎しみを呼び、血を血で洗い流す激しい暴動が広がり、付近のギルドに所属している探検隊メンバーが治安維持のために送り込まれている。

  送り込まれているメンバーの中には、ヘンデルのギルドに所属しているポケモンや、レシラム教のポケモンもいる。

  そしてついに、医学の知識を有するニコル達にも声がかかった。

  相手は世界中に影響力を持つギルド連盟やレシラム教である。彼らからの要請を断れるほどの力も無いため、自ずとゼーン達の取る選択肢は決まってくる。

  ゼーンは閉口したまま紙の束を握り締めると、ツタージャを見下ろした。

  「...わかりました、俺達も現地に向かいます」

  オズワルドはゼーンの返事を耳にすると、彼の背中を見た。心なしか、ゼーンの背中には悲しみと覚悟の雰囲気が滲み出ている。キザキの森で何が起きているのか、そのために自分らが何をするのか、オズワルドは何となく理解できている。

  今度の相手は賞金首ではなく、暴力に曝された弱者である。

  賞金首はどのように扱えば良いのか、オズワルドは理解している上、容赦なく実行するだけの力もある。だが、今回オズワルドが接するのは暴力に苦しむ弱者である。先日のブラッキーに対する言動について、後々ゼーンとヘレンから説教されたオズワルドは、改めて自身が適切に接する事ができるのかわからずにいる。

  だが、わからないからといって、逃げ出す訳にはいかない。

  ニコルはゼーンとして仕事を受注し、オズワルドはそのニコルに助けられたら過去がある。それならば、彼女のために全力を尽くす事が恩返しになるだろう。

  オズワルドはそう考えると、ツタージャを見送り、意気消沈するゼーンの背中を見た。ゼーン達が向かうように依頼された場所、キザキの森で起きていることを想像し、悲しみつつ腹をくくった雰囲気を纏っている。

  やがて、ツタージャを見送ったゼーンはドアを閉めると、オズワルドの方を見た。その姿はゾロアークのニコルに既に変わっており、彼女は溜め息をついた。

  「...キザキの森」

  そう呟いたニコルは額に手を当てた。その姿を見たオズワルドは困った表情を浮かべると、歩み寄るニコルに目を向けた。彼女はオズワルドの傍に立つと、困り顔のオズワルドに微笑みかけた。

  「...マリルの世話役が必要になるわね。ヘレンを呼んできてくれる?」

  「...ということは」

  ニコルの言葉の意味、それを理解したオズワルドは腹をくくった彼女の顔を見た。ニコルは笑みを浮かべたままだが、何処か悲しげに見える笑い顔である。

  そのままニコルはオズワルドを見て頷くと、口を開いた。

  「私達もキザキの森に向かうわ...私は色々仕事道具の準備が必要だから、オズワルドはトレジャータウンで必要な物を買ってきてね」

  オズワルドはニコルの頼みに対して頷く。その姿にニコルは目を細めると、上階にいるヘレンを呼ぶため、部屋を後にした。

  数時間後、オズワルドはトレジャータウンの一角にあるパッチールのカフェにいた。彼の座るテーブル上には数多くの食料品、酒の他、仕事道具が置かれている。それらはトレジャータウンにあるカクレオン商店から購入した品々であり、それらと手元の目録を見比べたオズワルドは必要な物資が揃っている事を確かめた。

  パッチールのカフェは地下にあるため、日光は差し込まない。

  代わりに地下独特の冷気がカフェを満たしており、程よい涼しさを客や店員に与えている。昼過ぎの暑いトレジャータウンを歩いたこともあり、オズワルドは額に伝う汗を拭い、机上に置かれているノメルの実を使ったジュースを口に含んだ。強い酸味を微量の砂糖で調整した清涼水が舌の上に広がり、オズワルドの渇いた身体を潤す。

  「ふぅ...」

  大量の物資を運び、些か疲れたオズワルドは溜め息をこぼした。カフェの中には店主であるパッチールと店員であるソーナノ、ソーナンスしか居らず、他のポケモンの姿は無い。少し前まで忙しいランチタイムであったが、今は落ち着いており、パッチール達も唯一の客であるオズワルドに時折目を向けるが、各々で休息を取っている。

  静かな空気が広がり、オズワルドは自然と肩の力が抜けていくのを自覚した。

  パッチールのカフェはトレジャータウンの住人達以外にも、旅のポケモンや探検隊も利用する施設である。それ故に常日頃から喧騒に包まれているカフェであるが、非常に珍しい事に現在はオズワルドしか客がいない。加えて、パッチール達はオズワルドに気を使い、極力気配を殺しており、それが彼の心を緩める。

  ニコルに助け出されて以来、彼女の傍以外で気を緩める事の無かったオズワルドであるが、パッチールのカフェは彼の心に安らぎを与えている。

  オズワルドは横目でパッチールを見た。

  彼は空のグラスや食器を磨き上げている。パッチールはオズワルドの視線に気づかず、熱心に布巾を動かしている。仕事熱心なパッチールの纏う雰囲気に、オズワルドは心中で賛美の言葉を送ると、ノメルのジュースを飲み干した。

  カラン、と溶けつつある氷が上げる声がオズワルドの耳に届く。

  氷の声に混じり、木製の階段を踏む足音が聞こえる。足音は複数であり、それに反応したパッチールはいち早く顔を入り口に繋がる階段に向けた。

  「いらっしゃいませ!」

  静かな空気が一瞬の内に変わる。

  オズワルドはパッチールの声と足音に反応し、階段に目を向けた。そこには白いイタチのようなポケモン、ザングースとハリネズミのようなポケモン、サンドパンがいる。

  「あっちぃ...マスター、ノメルジュースを2つ頼むわ」

  ザングースは白い体毛を汗で微かに濡らしている。屋外の気温は日光により、それなりにあがっており、ザングースは地下の冷気の心地よさに目を細めた。

  「それとサンドイッチも追加で頼むよ」

  ザングースに続いてサンドパンはパッチールに言うと、オズワルドの近くにあるテーブルに荷物を置いた。近くまで歩いてきた事により、オズワルドは彼らの細かい特徴を見ることができた。

  ザングースとサンドパン、どちらも筋肉質な身体であり、日頃から鍛え上げられている事が伺える。何より、彼らの指先に生えた鋭い爪の輝きが、彼らの個体能力の高さを表している。そして、彼らの目つきも爪に負けず劣らず鋭く、その視線はトレジャータウンでも見慣れぬオズワルドに向けられている。

  やがて、オーダーされたメニューをパッチールが運んできた。

  机上に置かれた二組のノメルジュースとサンドイッチ、それらに口を付けたザングースは、近くのテーブルに座るオズワルドに向かって口を開いた。

  「よぉ、アンタも探検隊かい?」

  オズワルドのテーブルに置かれている大量の物資、そしてオズワルドが纏う雰囲気から堅気でないことをザングースは見抜いていた。

  「...いいえ、違いますよ」

  彼の返事を聞いたザングースは、白い体毛を揺らし、身体をオズワルドに向ける。そして「ふぅん...」と意味ありげな声を漏らすと、まじまじとオズワルドを見た。

  「俺の見立てだと...アンタ、かなりのやり手だな」

  ニヤリと口角を歪めるザングースの言葉に、隣に座るサンドパンが頷く。

  「この間、指名手配されていたオコリザルの強盗団が壊滅したそうだけど...そこの兄ちゃんの仕業じゃないのか?」

  ノメルジュースを飲みながらサンドパンは呟き、それを聞いたザングースは「あぁ」と納得したような声を漏らした。

  「あのオコリザルとゴーリキーの強盗団か。俺達も潰してやろうと狙っていたが、何でもヘンデル自身が何処かの手練れに依頼したらしいな」

  「ルカリオの兄ちゃんの事か」

  サンドパンはザングースの言葉に合点がいったらしく、感心するような声を漏らした。その言葉にオズワルドは目を細めると、僅かに首肯した。

  「確かに強盗団は滅びましたが、それが何か?」

  静かなオズワルドの言葉にザングースは口笛を鳴らし、サンドパンはあんぐりとした表情を見せた。

  「...保安官から聞いたが、強盗団は全員惨殺されたそうだけど、兄ちゃんみたいな優男がやったのか」

  サンドパンは小耳に挟んだ情報を口に出し、畏怖の眼差しでオズワルドを見た。躊躇なく敵を滅ぼすオズワルドの所業に、サンドパンは顔を引きつらせ、ザングースはニヤリと不貞不貞しい笑みを浮かべる。

  「俺も強盗団の末路は聞いたが、アレは流石にやりすぎじゃないか?」

  ザングースは笑みのままオズワルドに尋ねる。だが、オズワルドはザングースの質問に心底理解できないといった表情で見返すと、不思議そうな口調で応えた。

  「彼らは敵です。敵に情けをかけろ、と?」

  オズワルドの言葉を聞いたサンドパンは「狂っている...」と小声で呟き、嫌悪の眼差しを彼に向ける。だが、ザングースは愉快そうに笑い声をあげると、鼬のように目を細めた。

  「アンタ、面白いな...俺はコールマン、コイツはソルって言うんだ。よろしくな」

  ザングース、コールマンとサンドパン、ソルに対して「オズワルドと言います」と応えると、オズワルドは笑みを浮かべた。

  彼の返事にソルは顔を引きつらせたまま指を振り、コールマンは不貞不貞しい笑みのままオズワルドを見た。

  ふと、オズワルドの視線に黒い装飾品が映り込む。

  黒い装飾品、ゼクロム教徒の証を身につけている事から、コールマンとソルが信者であると伺える。マイノリティのゼクロム教徒である彼らが、街中でも臆することなく威風堂々と振る舞う姿に、オズワルドは物珍しそうな視線を向けた。

  オズワルドの視線が胸元の装飾品に向いていることに気づき、コールマンは口を開いた。

  「珍しいだろ?俺とソル、あとストライクのグリムは同郷の出身でな...みんなゼクロム教徒だよ」

  「レシラム教徒に迫害されることもあるけど、全体主義はどうも俺らには当てはまらないからね」

  コールマンとソルの言葉を聞いたオズワルドは、感心したように頷いた。マイノリティでありながら、身を小さくする事なく、コールマンやソルは自身の生きたいように生きている。その姿を見ていたオズワルドは、ふと脳裏に映像が過ぎるのを覚えた。

  緑色のトカゲのようなポケモンが自身を見つめていることを、そのポケモンがジュプトルという事も、カフカという名前を有する事も知っている。

  「...?」

  ニコルやヘレン以外に知己のポケモンがいないオズワルドは、脳裏を過ぎるカフカというジュプトルの姿に不思議そうな表情を浮かべた。

  (...知っている、私は知っている)

  カフカというジュプトルがマジョリティに属さず、己の信じる道を突き進むポケモンであること。例え自身が傷つこうとも、信念を持ち行動できるポケモンであることを。

  知らない筈のポケモンの性格を知っている。

  おかしな状況にオズワルドは眉根を寄せるが、次の瞬間、激しい頭痛が彼に襲いかかる。

  痛みが頭蓋内で木霊し、オズワルドの視界が揺らぐ。

  暗黒に包まれた世界、トレジャータウンの路肩に転がり晒された死体、見窄らしい姿の怯えるポケモン達、処刑される反抗的なポケモン達、白い装飾品も黒い装飾品も関係ない世界。

  ほくそ笑む人影、苦悶の表情を浮かべるカフカ、近くで見ているオズワルド、遠くから駆け寄ってくる影。

  一連の事態を見て、一つしかない目を背ける大柄のポケモン。

  直後、オズワルドは肩を叩かれ我に返った。

  彼の視界にパッチールのカフェの店内が広がり、心配そうな表情で顔を覗き込んでくるコールマンが見える。

  「おい、大丈夫か?」

  コールマンの質問に頭痛を覚えたオズワルドは、小さく頷くとパッチールの差し出したミネラルウォーターを煽った。

  微かにレモンの香りが漂う冷たいミネラルウォーターが胃の中に流れ込み、オズワルドの身体を冷やす。それは頭痛が木霊する頭も冷やし、少しずつ頭痛が引いてきたオズワルドは「ありがとうございます」とパッチールに言った。

  少し間を置き、オズワルドは口を開いた。

  「...すみません、どうやら日光に当たりすぎたようです」

  地下にあるカフェでオズワルドは言った。

  彼の言葉にコールマンとソル、パッチールは顔を見合わせるが、オズワルドの纏う雰囲気が彼らに反論を赦さない。それ故に、彼らは腰をあげるオズワルドに道を譲った。

  「お代を置いておきます」

  オズワルドはそう呟くと、適当に銅貨を取り出し、テーブルに置いた。それを見たパッチールが慌ててお釣りを持ってこようとするが、それより早くオズワルドは購入した物資を手に持ち、カフェを後にした。

  その背中を見届けたコールマンはソルの顔を見ながら呟いた。

  「俺、何か怒らせたか?」

  コールマンの質問にソルは肩を竦め、視線を階段に向けた。

  そこにオズワルドの姿は無かった。