ゼラオラの巫女

  水の大陸にあるワイワイタウンのレシラム教教会。街の中で一番大きな建物の敷地内には、一等高い塔がある。塔の一番高いフロアにある部屋、その窓からは大海の端まで見えており、心地よい日光と風が吹き込んでいる。

  部屋の中にある安楽椅子、そこに腰掛けている牝のバシャーモ、異端審問官のリラは大きくなった自身の腹を見下ろしながら、優しい手つきで撫でていた。腹の中、彼女の子宮ではレシラム教の教皇オズボーンの血を継いだ胎児がすくすくと育っており、妊娠8ヶ月目を迎えた。異端審問官の白い服で、リラがオズボーンの子を孕んだという事実を隠す事は難しいため、塔の一番上に軟禁されていた。食事や清拭など必要な物は用意されるが、自由のない生活を2ヶ月ほど強いられているリラは、少し疲れた表情で腹を撫でていた。

  塔の上部にアクセスするには、エレベーターのリフトを起動させる必要がある。そのためには電気タイプのポケモンの力が必要であり、炎格闘タイプのリラは塔から逃げ出す事ができずにいた。仮にエレベーターの乗り場に居る電気タイプのポケモンを脅そうにも、身籠ったリラの身体では無理な動きは取れず、また隣室には侍女と兵士が待機しており、何かあれば彼らが駆けつけてくる。

  脱走する事も叶わないリラは、出産するその日までオズボーンの胎児を腹の中で育てる事しかできなかった。

  今日も酸素と栄養を胎児に送り続けてるリラは、溜息を吐くと腹を撫でながら窓の下を見た。教会の近くには調査団の拠点があり、その全貌を見渡せる位置に居るリラは、悲しそうな表情のまま、見下ろしていた。

  「…ライラ」

  リラは無意識に相棒である牡のライチュウの名前を呼んだ。調査団の団員時代は気づきもしなかったが、別の牡の子種で孕み、世界から隔離された事で、リラは初めてライラに異性として好意を抱いていた事を自覚した。共におだやか村で育ち、共に調査団に入団し、共に世界を旅して回った相棒、腹の中にいる胎児の父親がライラならどれほど良かったのか。

  だが、リラはライラが暴徒に襲われた際に逃げてしまった。あの時、自身を顧みずにライラを助けに戻れば、今頃はレシラム教の異端審問官兼オズボーンの妾としてではなく、調査団の団員としてライラと恋仲になっていたかもしれない。そして、彼の子供を身籠り、団長やウルスラに祝福されながら出産し育児に励んでいたかもしれない。

  現実は違った。

  リラは異端審問官として数えきれない民や異教徒を火炙りや魔女裁判の拷問にかけてきた。オズボーンの望むままに抱かれ、時には張子や粘性の玩具を受け入れたり、巫女と慰め合ったりなどの羞恥的な遊びにも応じた。

  「…」

  リラは自分自身が身も心も汚れ切っている事を自覚していた。昼は異端審問官として暴力や火炙りで手を汚し、夜はオズボーンの望むままに口や肛門、子宮を汚された。純潔をとうの昔にオズボーンに奪われたリラは、今になり自分自身の選択が誤りであったことに気がついた。

  「…帰りたい」

  おだやか村に、調査団に対する郷愁の念を抱いたリラは、自身の腹を撫でながら呟いた。おだやか村に帰ればおじいや学友達、優しい村民達がいる。ライラに謝罪し、全てを放棄して、おだやか村で出産し、子育てすればいい。おじいも赤子や子供が好きなので、リラの子育てを助けてくれる。自然が多く、優しい村民に囲まれて赤子を育てればいい。

  リラは目を細めながら腹を撫でていた。

  「…」

  

  だが、リラは自問自答していた。

  ライラは許してくれるのか?

  おじいや学友達、村民達は異端審問官として多くの人々を処刑してきたリラを受け入れてくれるのか?

  リラがおだやか村の出身で、帰郷していると知った人々がリラに復讐するのではないか?

  オズボーンやレシラム教のバックアップが無くなり、人々はリラを磔にするのではないか?

  怒りに狂った人々がおだやか村を襲うのではないのか?

  オズボーンとリラの血を引いた赤子を人々は赦すのか?

  赤子が無事に産まれたとして、異端審問官リラの子としての人生を送らせるのか?

  赤子に人々の憎悪が向くのではないか?

  様々な疑問が脳裏を過り、腹を撫でるリラの手が止まった。身籠り、胎内に命を宿した事で、リラは初めて自身が奪ってきた人々の命の重さを理解した。

  磔、火炙り、拷問、魔女裁判、異教徒狩り。

  犠牲者の中には女性や小さな子供、そして赤子もいた。その事を思い出したリラの動きは止まり、彼女は目を見開いていた。

  「…あぁ」

  リラが異端審問官になった理由はライラを襲った住民を炙り出すためであった。しかし、ライラは風の大陸の住民に襲われたのであり、他の大陸の住民はリラの復讐とは無関係であった。

  リラはようやく理解した。

  「…私は怒りをぶつけたかったんだ…」

  ライラを守れず、彼の目と脚が奪われる瞬間を見ながら、何もできなかった自分自身を否定するために。ぶつけようのない怒りを消すために。レシラム教のためという大義名分を使い、リラは無垢の人々を異端審問にかけていた。

  その事を理解したリラは乾いた笑いを溢すと、外を見下ろした。

  塔はワイワイタウンの中で一番高く、窓から飛び降りれば即死する高さである。窓枠を乗り越えて、身を放るだけで全てが解決できる。

  リラは乾いた笑いを浮かべたまま、窓枠に手をかけゆために、安楽椅子から立ちあがろうとした。

  その時、リラは自身の腹の重さを感じた。

  「…」

  リラが自身の腹を見下ろすと、大きな膨らみと胎内にいる赤子の命を感じた。身籠ったリラが飛び降りれば、胎内の赤子は間違いなく死亡する。

  まだ産まれていない我が子の命を、終わらせる事はできない。

  愛していない牡の子種により孕んだ赤子とはいえ、リラの中にも母性が生まれつつあった。リラは声を押し殺して泣くと、窓枠から手を離した。

  「…この子は守る」

  死ぬなら赤子を産んでから死のう。異端審問官リラと教皇オズボーンの子ではなく、ただの赤子として産もう。赤子に罪はない、全ての罪はリラ自身が受けるべきだ。自身は子供を育てる幸せを味わってはいけない、たくさんの罪を犯してきたのだから。

  乾いた笑みのリラは自身の腹を撫でると、眼下の街並みを見た。リラの視線はかつて自身とライラが所属し生活していた調査団の拠点に向けられた。

  扉が開く音がした。

  リラが唯一の出入り口に視線を向けると、そこには苛立ち混じりのオズボーンが立っており、彼はリラの傍に歩いてくると自身の性器を突き出した。

  「咥えろ」

  正妻であり対外的な式典にも同行させる巫女が妊娠した以上、オズボーンの性的な不満や欲求は全てリラに向けられる事になる。その事を既に知っているリラは大人しく口を開くと、汗と尿の臭いがするオズボーンの性器を咥えた。リラは舌を使うと、淡々と作業をこなしていった。

  *

  レシラム教の教会の高層階、オズボーン教皇の私室ではゼラオラの巫女が椅子に座っていた。リラと同じくオズボーンの子を孕んでいる巫女は、妊娠5ヶ月目を迎えた。妾のリラとは異なり、レシラム教とゼクロム教の橋渡し役でもある巫女が孕んだ事により、彼女は正式にオズボーンの妻となった。

  教皇の妻である以上、オズボーンも巫女に羞恥的な遊びを行わず、代わりに妾のリラの口と手、肛門を使い、憂さ晴らしをしている。

  待遇が変わった事に巫女は戸惑いを隠さずにいたが、時間経過と共に慣れてきた。今日もオズボーンの私室の椅子に座り、大きくなった腹を撫でながら窓から街を見ていた。

  巫女の脳裏にアローラライチュウの少女の姿が映る。

  砂の大陸に居た頃、巫女はゼクロム教のシンボルとされていた。しかし実態は、神に捧げる舞と容姿が一番長けていただけで選ばれた孤児であった。その頃は巫女と呼ばれず、薄汚い子供扱いされていた。

  巫女は子供の頃に両親を紛争で失い、それからは路上で生活を送っていた。裏道でゴミを漁り、薬草取りなど子供でも可能な仕事で端金を稼ぎ、ボロ板で作った雨避けの下で寝ていた。時には物乞いをしたり、時には食べ物を恵んでもらったりなどして、巫女は懸命に生きてきた。

  状況が変わったのは、ゼクロム教の教会に保護されてからだ。路上生活を送っていた巫女は、飢えと病に耐えきれず、ゼクロム教の教会のシンボルに縋った。そこにゼクロム教の前大司祭が通りかかり、巫女を保護し教会で養ってくれた。教会は巫女に食事と薬を与え、教育も施してくれた。

  巫女は死にかけていた自身を救ってくれたゼクロム教に感謝していた。

  ゼクロム教のためになろうと、巫女は懸命に勉強した。マナーや言葉遣い、歴史を学び、ゼクロム様のために働こうとした。だが、巫女の口調は孤児の頃となんら変わらず、マナーや教養も他のゼクロム教徒に劣っていた。

  見た目をいくら整えようとも、人の本質は変わらないものである。

  巫女はたくさんの本を読み、何度もマナーの練習をしてきたが、しょせんは付け焼き刃であった。ふとした瞬間に元の口調が出てしまい、その都度前大司祭に怒られていた。

  そんな巫女にも得意な事があった。

  主神ゼクロムに捧げる神の舞であった。

  巫女は容姿に優れており、また身体も柔軟であり、激しい動きと柔らかい動きの、緩急のある神の舞を踊れた。他の信者には真似できない事が見つかり、巫女はとても嬉しかった。

  その頃から巫女はゼクロムに捧げる神の舞を踊る役割を引き受け、巫女と呼ばれるようになった。巫女の美しい顔、大きな瞳、長い手脚、細い腰と張りのある臀部、きめ細かい肌と汗で濡れた体毛、そして神の舞、それらは見る者に感激を与え、一種の芸術のようであった。

  巫女は、自身にもできる事が見つかり、非常に嬉しかった。

  そんなおり、複数の大陸にてレシラム教徒とゼクロム教徒が衝突する騒動が起きた。騒動は不安と暴力を招き、更なる暴動へと繋がる。やがて、レシラム教徒とゼクロム教徒が互いに殺し合いをしたり、一方的に虐殺していく事件へとなった。

  この頃には、巫女はゼクロム教の象徴する存在となり、教徒達の心の支えのような存在になった。奇しくも、同時期に前大司祭が病に倒れ、娘のアローラライチュウ、ハルが大司祭を継いだ。

  巫女とハルは、巫女が教会に保護された頃からの仲であり、姉妹のような関係である。巫女は年下のハルを可愛がり、ハルは巫女を姉のように慕い、共に神の舞の練習に励んでいた。

  新任かつ巫女よりも年若いハルが大司祭に就任したところで、レシラム教徒とゼクロム教徒の衝突になんの影響も無かった。衝突は続き、やがて虐殺へと広がっていき、そのまま放置すると二大宗教同士による戦争へと繋がりかねない。かと言って、ハル大司祭にレシラム教幹部の円卓やオズボーン教皇との話し合いの場を設ける交渉力も無かった。

  年若いハルは涙目になりながらも、大司祭としての自身の勤めを果たそうとしていた。

  そんな妹分の姿を見た巫女は、自身を贄としてレシラム教に差し出す事を決意した。

  巫女は凄腕の商人でレシラム教ゼクロム教のどちらにも顔が効く牡のエンペルト、フルトを通してレシラム教に接触し、自分自身をオズボーン教皇へ売り込んだ。

  後は流れに身を任せていた。

  巫女の美しさはレシラム教でも知れ渡っており、オズボーンはフルトを通してゼクロム教からの献上品を喜んで受け取った。そして、表向きは巫女がオズボーンに嫁いだ事になった。

  その後、暴動は落ち着き、レシラム教徒とゼクロム教徒は落ち着きを取り戻した。

  巫女の処女を犠牲にして。

  その結果、異教徒であるオズボーンの子種で孕んだ巫女は、ハルの顔を思い出しながら腹を撫でていた。

  「…元気にしているのかな」

  オズボーンに献上された当初は反抗的な口調がみられた巫女だが、今では大人しくなっていた。何度もオズボーンに抱かれ、羞恥的な遊びを強要されながらも自身の役目を果たし、オズボーンの子を孕んだ巫女の顔は、淡々としたものであった。

  オズボーン教皇の正妻となった以上、オズボーンが巫女に対して羞恥的な遊びを強要したり殴ったりする事は無くなった。その代わりにオズボーンは性的な欲求や不満を妾のリラにぶつけるようになり、巫女に危害を加えられる事は減った。

  レシラム教とゼクロム教の橋渡しのため、オズボーン教皇の正妻となり子を産む。

  巫女は大きくなった腹を撫でながら、これまでの役割とこれからの役割について考え、同時にハルの事を思っていた。

  「あの泣き虫…ちゃんと大司祭の役をこなせているのか?」

  部屋にひとりきりになっている巫女は素の口調で呟くと、砂の大陸のある方向を見た。

  

  *

  オズワルド達が砂の大陸に到着し、ペストの治療拠点とノウハウの伝達を初めてから2ヶ月が経過した。砂混じりの風が吹き荒れるラムルタウンの外れには、ペスト患者を受け入れるテント群が建てられており、そこには治療を受けているポケモン達で溢れている。また、テント群から距離を置いた場所には別のテント群が建てられており、そちらは医療拠点として運用されている。

  それらのテント群から一際離れた箇所には、死者を焼却するための火葬場が設けられていた。

  火葬場から上がる煙を見上げた牡のルカリオ、オズワルドはマスクをつけたまま医療拠点のテント群を歩き、いくつもの荷物を運んでいた。テント内には治療を待つポケモンの姿があり、軽症の者は薬剤師であるヘレン達の煎じる薬を受け取り、帰路についていた。だが、治療が必要な者はテント内のベッドに横になり、投薬や点滴などの処置を受けていた。

  オズワルドの視界に風の大陸にいる医師、牡のブラッキーのカルマンが大量生産に成功した抗生剤のアンプルが映り込んだ。

  アンプルの中の抗生剤を点滴に繋いだ牡のガブリアス、ゼーンに変幻したニコルは、点滴のチャンバー部分の落下速度をチェックして、近くにいる看護師に指示を出している。指示を受けたタブンネやラッキーの首には白い装飾品や黒い装飾品があり、レシラム教ゼクロム教の垣根を無くし、共に治療に従事していた。

  オズワルドは大量のガーゼや包帯、消毒用のアルコールの瓶の入った荷物を抱えたままテントに入ると、それらを保管場所に置いた。専門的な処置が行えないオズワルドだが、格闘タイプの力は物資の運搬や患者の移送、テントの設営などで遺憾無く発揮できた。

  「それじゃあ、抗生剤は終了し、1日2本のペースで補液を続けてください」

  ゼーンは熱発しているプラスルやマイナン達を回診すると、ラッキーの看護師に指示を出した。その指示をラッキーはメモに記録し、指示の通りの点滴を準備していた。ゼーンは手を洗い足早に移動すると、隣のテントに入り、前脚に大きな切り傷を負ったライボルトの処置に入った。

  ゼーンは手早く傷口を観察すると、エーフィの看護師に向かって「生理食塩水と鉗子を」と指示を出した。エーフィの看護師はサイコキネシスでそれらを揃えると、ライボルトの身体をサイコキネシスの力で拘束した。

  「ちょっと傷口を綺麗にしますよ」

  ゼーンはそう言うと、怯えているライボルトの前脚の処置を始めた。

  テント内にライボルトの悲鳴が広がる。

  「はーい、ちょっとだけ痛いですねぇ。もう少しで終わりますよぉ」

  ゼーンは間延びした口調でライボルトに話しかけるが、ライボルト自身は悲鳴をあげていた。その光景をテントの入り口から見ていたオズワルドは、思わず顔を顰めてしまい、視線を外に向けた。

  テント群の端をレシラム教やゼクロム教の司祭達が歩いている。

  司祭達は全員マスクや手袋などをしており、感染症や汚染物から身を守る格好をしている。彼らテントないを回り、ベッドに横なる患者達に声をかけて、精神的なサポートを行っている。

  オズワルドが視線をテント群の外に向けると、そこではゼクロム教徒達が炊き出しを行い、ラムルタウンや近隣の村々から薬や食料を求めて移動してきた者達を助けている。

  誰もが役割をこなし、それぞれの仕事を全うする光景を見たオズワルドは、不思議な感覚を抱いた。

  「レシラム教とゼクロム教が手を取り合うのか…」

  互いに憎悪し殺し合いをした事もある教徒同士が医療拠点を設立し、患者の治療に当たっている光景は、なかなか見ることができない光景である。それを見たオズワルドは小さな声で呟くと、ゼーンのいるテントに戻った。

  テント内ではライボルトの脚の処置を終えたゼーンが包帯を巻いており、ライボルトは目尻に涙を浮かべていた。

  「汚染された部位は除去しました、あとは抗生物質の投与と安静、傷の洗浄となります」

  ゼーンの説明を聞いたライボルトは「ありがとうございます」と言うと、処置台から降りようとした。だが、痛む脚のために思うように動けず、落ちかけたライボルトをゼーンとエーフィが支えた。その様子を見ていたオズワルドは近くに置いているストレッチャーを運んでくると、ライボルトを横にさせた。

  オズワルドの対応を見たゼーンは視線を隣のテントの方に向けた。

  「彼の処置は終わったから、静養テントへと連れていってくれ」

  ゼーンの指示にオズワルドは頷くと、ストレッチャーを押して処置用のテントから外に出た。オズワルドはそのままストレッチャーを押すと、ライボルトを静養用のテントに連れていき、空いているベッドに横にさせた。

  傷の痛みにライボルトは顔を歪めたが、「すまない」とオズワルドに礼を述べた。

  「仕事中に農具が直撃してね…おかげで助かったよ」

  ライボルトの感謝の言葉にオズワルドは目を細めると、小さく首を振った。

  「私達にはこれくらいしかできませんよ…」

  「だが、あんたらが来てから…死者の数は遥かに減ったよ」

  ライボルトは応えると、痛み止めと水を飲んだ。それらを喉の奥に流し込むと、ライボルトはオズワルドの目を見て言った。

  「少し前まで、ペストで集落が壊滅する事も珍しくなかったからな…あんたらが持ってきた新しい薬と治療法は、間違いなくゼクロム教を救っているよ」

  

  ライボルトは続けて「ありがとう」と言うと、オズワルドの目を正面から見た。彼の言葉が心からのものである事は明白であり、オズワルドは僅かに笑みを浮かべると、深く頭を下げて静養テントを後にした。

  テント群の中を歩いたオズワルドは、別の荷物を抱えると資材置き場へと運んだ。

  オズワルドの視界に資材置き場の近くに佇む集団を捉えた。集団、レシラム教とゼクロム教の司祭達は火葬場から登る煙を見上げると、揃って黙祷を捧げていた。

  それを見たオズワルドも煙に向かって黙祷を捧げた。

  やがて、黙祷を終えた司祭達は歩き出し、オズワルドの横を通過した。その中にはレシラム教の司祭であるエリースとルールの姿もあり、彼らは異教徒であるゼクロム教徒に対しても祈りを捧げていた。

  集団の中でも一際小柄な影、牝のアローラライチュウが足下の窪みで躓いた。

  それを見たオズワルドは即座に手を伸ばすと、彼女の身体を支えた。牝のアローラライチュウ、ゼクロム教大司祭であるハルは涙目のまま、「ありがとうございます」と言うと、空に登る煙を見上げた。

  「…また命が失われてしまいましたね」

  ハルは涙声で言うと、火葬場の方を見た。火葬場の脇には死者を安置するテントがあり、感染対策のために迅速な火葬が行われていた。司祭達も感染対策をしているが、それでも死者を安置するテントに近づくことが許させれず、遠くから祈りを捧げていた。

  ハルの言葉を聞いたオズワルドは閉口したまま頷くと、煙と火葬場を見比べた。

  「…全ての命を救う事はできない。限られた物資と時間、人員で多くの命を救うためには、救える命と救えない命の選別も必要です」

  オズワルドの放った言葉は、砂の大陸に到着時の宴席でゼーン、いやニコルが唱えたトリアージである。かつて、キザキの森の虐殺では駆けつけた救助隊が負傷者を全員救おうとした挙句、物資と時間を浪費し、救える命まで失われた事があった。今回の砂の大陸での感染拡大や少数部族同士の暴動に対する医療活動においても、手遅れの患者や治療手段のない患者もいた。そのため、ニコル達は救える命を優先し、治療手段のない者や手遅れの者にはモルヒネを与えた。当初はレシラム教とゼクロム教の両方から反感を買ったが、それでもキザキの森の虐殺での医療活動に従事したゼーンの言葉に彼らは閉口し、エリースやルール、そしてハルの後押しもあり、砂の大陸ではトリアージが実施された。

  その結果、暴動終結直後は死体袋の数が多かったが、トリアージを行った事で死者は最小限にとどまり、現在ではほぼ全ての患者に治療が行えるようになった。

  現状にハルは涙目を浮かべていたが、それでも多くの命を救えたという事実に目を向けた。

  「…あなた達のおかげです。我々にはトリアージという概念などなく、ただ救えれば良いと考えていました」

  ハルの言葉を聞いたオズワルドは首を左右に振った。

  「全ての命を救いたいと考えるのが常です。私達の提案したトリアージは…非常時に行うべき事であり、今のように落ち着いた状況では可能な限りの命を救うべきです」

  オズワルドの言葉を聞いたハルは涙目のまま、オズワルドに向かってお辞儀した。そして空に上る煙を見上げると、小さな声でつぶやいた。

  「ゼクロム教とレシラム教が手を取り合えるようになった…これも姉さんのおかげね」

  目尻から大粒の涙を溢しながら、ハルは煙を見上げながら言った。その声はオズワルドにも聞こえず、煙と共にテント群の上空へと消えていった。

  己の身を犠牲にしてでも、異教徒の子を孕む事になっても、妹達を助けるためにレシラム教への供物となった巫女の顔を思い出しながら、ハルは泣きながら笑みを浮かべた。

  彼女の目尻から落ちた大粒の涙は、乾いた大地に落下し吸い込まれていった。

  *

  月が照らす廃墟の中には、人影が動いていた。

  影、グレーテは金属加工の職人に接触し依頼していた品物を受領した。それはマスケット銃に更なる加工を加えた物、銃身の内部に旋条を設け、弾丸も球型から円錐型に変更した新作の銃、ライフル銃であった。グレーテの手元には試験的に作成した弾丸があり、薬莢の内部には火薬で満たされ、底には雷管も付いていた。

  グレーテは複数の職人から取り寄せた部品と銃身を組み立てると、ボルトアクション式のライフル銃を完成させた。銃身が長く、持ち運びに苦労する大きさではあるが、マスケット銃と比較すると旋条と弾丸の形が軌道を安定させ、更に銃口から装填する手間を無くし、近代的なライフル銃と同等の形式を再現した。

  グレーテはそれをテーブルの上に置いたクッションに載せて、廃墟の壁の棚に置いたコップに目を向けた。グレーテはライフル銃を構えると、銃身の上部に作られた照星と照門が重なるように銃口の角度を調整した。

  「…」

  グレーテは深く息を吸い、大きく息を吐いた。更に息を浅く吸うと、途中で息を止めた。

  グレーテの指が引き金に触れ、ライフル銃は正常に作動した。撃鉄が雷管を叩き、薬莢内の火薬に点火した。火薬のエネルギーは薬莢内で膨張し、銃弾を発射した。放たれた銃弾は旋条により回転が加えられ、廃墟の壁の棚に置いてあるコップを撃ち抜いた。

  廃墟の周囲に銃声が反響した。

  しかし、周囲に村々や家がない事は確認済みのため、グレーテは気にせずに次弾を発砲した。

  弾丸は精確に着弾し、それを見たグレーテはにやりと笑った。

  「これは…腕の良い職人が見つかったな」

  グレーテは独り言を漏らすと、残った弾丸の数を計算した。ライフル銃自体も個人制作であり、装填弾数も2発とオリジナルのライフル銃より少なく、またスコープなどの光学照準器の再現は技術的に不可能であった。

  望遠鏡や双眼鏡などの光学機器を使えないかとグレーテは考えたが、光学照準器へのミリ単位の処理などが不可能であった。

  「…まぁ、あの距離なら裸眼でも狙えるか」

  ポケモンとなったグレーテの視力は、人間の頃を遥かに上回っており、裸眼で照準を合わせることも可能であった。しかし、気温や湿度、風向や風速などの狙撃に

  必要な計測のノウハウが無いため、グレーテはある程度ターゲットまで接近する必要があった。

  もっとも、それはグレーテにとっては問題にならないことだった。

  試作品のライフル銃のテストを終えたグレーテは、それを分解し弾丸と共に荷物の中に隠した。脳裏にターゲットの顔を思い浮かべたグレーテは、声を抑えて笑うと廃墟を後にした。

  月の光がグレーテを照らしたが、その姿は暗闇に溶けていった。