第一章 断罪の演習場 ―灰色の空と冷たい雨― 1

  降りしきる雨、王立騎士団演習場を包む空気は重く、湿っていた。

  苔むした演習場の石畳の上に跪かされたカイルの膝からは、感覚が消えかけている。

  冷たい雨の混じる風が、薄汚れた修練服を濡らし、カイルの体温を容赦なく奪っていく。

  「……以上が王立魔導院によるあなたの魔力鑑定の最終結果です。カイル・フォン・ウォーカー。あなたの魔力保有量は、平民の子どもですら持ち合わせている最低値を大きく下回る……いいえ、はっきりと言いましょう。カイル、あなたの魔力は『ゼロ』です」

  高座から響くのは裁判官の事務的な声ではない。

  かつてカイルがその美しさに心酔し、生涯を捧げると誓った女性、この国の第一王女、クラリス・フォン・ローゼスの冷徹な声だった。

  その声を聞いたカイルは、泥にまみれた拳を固く握りしめた。

  (嘘だ……俺の魔力量がゼロ? ウォーカー家の嫡子たる俺が? そんなはずがあるものか!)

  ウォーカー家は代々、王国の守護者として武勲を立ててきた名門だ。

  カイルの祖父も父も、その身に溢れる魔力を剣に乗せ、一国の軍勢に匹敵する武功を挙げてきた猛者であり、この国の誰もがその名を知る英雄だ。

  その血を引く自分に魔力が一切ないなんて、絶対にありえない。

  「そんなの何かの間違いだ! 間違いに決まっている! 数か月前までは普通に魔法も使えていたんだぞ! それはクラリス、君も知っているだろう?」

  カイルは高座にいるクラリスにそう叫んだが、クラリスは冷たい眼差しをカイルに向けるだけで、何の反応もしなかった。

  「……カイル、あなた最近、魔力数値に異常があるみたいね。念のため検査を受けてみたらどうかしら」

  父が戦死し、ウォーカー家の家督を継いで間もなく、魔力数値の著しい低下と戦地での魔術回路の不発が続いていたカイルに、クラリスがそう言葉をかけてきた。

  「そうかな? 特に不調はないんだけど」

  「この前の任務でも魔物に殺されかけたって聞いているわよ。魔術回路がうまく反応しなくて、かなり危ういところだったって」

  「まぁ……それは確かにそうだったけど……」

  「念のために検査を受けておいた方がいいわよ。私の未来の旦那様に、もしもの事があったら困るもの」

  そう言ってカイルの頬に口づけをしてくれたクラリスの優しい笑顔は、もうカイルに向けられることはない。

  「……面を上げなさい、無能なクズ男」

  クラリスの冷たい声が演習場に響く。

  「あなたとの婚約を破棄します。魔力のないあなたは即時国外追放。二度とその不愉快な顔を私に見せないで」

  「ま、待ってくれクラリス……っ! 貴族籍のある俺を、即時国外追放なんてできるわけがない! これは絶対に何かの間違いなんだ! もう一度検査を」

  カイルがクラリスに手を伸ばそうとした瞬間、

  ひゅんっ!

  横から飛んできた鋭い鞭が、彼の背を打った。

  「がっ!」

  「黙れ、この無能! 追放された分際で殿下の名を気安く呼ぶな!」

  鞭を振るったのは、王女直属の近衛騎士団の団長、リンド・ブラッドレイだった。

  燃えるような紅蓮の髪をポニーテールにまとめ、白銀の甲冑に身を包んだ彼女は、男勝りの剛力と、激しい「男嫌い」で知られていた。

  「リ、リンド……君まで俺を」

  「私の名を気安く呼ぶな! 無能が!」

  ひゅんっ!

  「ぐあっ!」

  リンド放った鋭い鞭が、再びカイルの背を打つ。

  薄汚れた修練着の背中部分がぱっくりと裂け、カイルの背に真っ赤な傷跡をつける。

  「リ、リンド……どうして」

  幼いころからこの演習場で共に汗を流し、幾度となく戦地をかけた仲のリンド。

  ときには激しく対立することもあったが、そこには確かな友情があった。

  だが、容赦なくカイルに鞭をふるう今のリンドには友情も慈悲も何もない。冷酷なまなざしの奥には、カイルに対する失望と嫌悪が見て取れた。

  「どうして、君まで……」

  顔を苦痛に歪ませるカイルに、リンドはゴミを見るような目を向けたまま、

  「ウォーカー家という名門の血を引きながら、魔力を失った欠陥品め。そんな男と共に修練を積んでいたなんて、反吐が出る」

  そう述べた。

  「これは……間違いだ……何かの間違いなんだ」

  「はっ! 歴史ある王立魔導院の調査にケチをつける気か? これまでの実績があろうが、今ここで何を言おうが、貴様には魔力がない。それは確定したんだ」

  そう言いながら、リンドはゆっくりとカイルに近づくと、演習場に膝をつく彼の頬を手袋をはめた手でわざとらしくパチンと叩く。

  「この国で魔力を持たぬ男など、種をなさない家畜と同じ……いや、家畜の方がまだ食肉としての価値があるかもな」

  リンドのその言葉に、周囲で二人の様子を見守っていたリンドの部下である女騎士たちから、さざ波のような嘲笑が漏れる。

  「リンド……俺たち、友達だろ、仲間だったろ?」

  「友達? 仲間? はんっ! 所詮、膨大な魔力と家柄に支えられた友情と信頼よ。魔力ゼロと判定された貴様には、もはや何の魅力もない」

  そう言って、再びぱちんと頬を叩くリンド。

  「そ、んな……」

  野営地で、王国の未来について語り合ったあの夜も、互いに背を預けて戦った日々も、すべては偽りだったというのか……。

  カイルの中で、何かがガラガラと音を立てて崩れていく。

  「……はぁ」

  カイルとリンダのやり取りを見ていたクラリスは、大きなため息をつきながらゆっくりと立ち上がり、

  「時間の無駄です。さっさとその無能をこの国から追い出しなさい、リンド」

  リンドにそう命じた。

  「はっ! 承知しました、殿下」

  「ク、クラリス! 俺は!」

  その場を去ろうとするクラリスに、カイルが再び声をかけようとしたその瞬間、

  「控えろと言っているだろう!」

  ひゅんっ!

  三度、リンドの鞭がカイルの背中に叩きつけられた。

  「ぎぁっ!」

  背中の傷をえぐるような鞭。そのあまりの激痛に演習場の石畳にうつぶせに倒れこむカイル。

  そんなカイルの背中から、じんわりと鮮血が浮かび上がっていた。クラリスはカイルに視線さえ送ることなく、

  「……リンド。この者の処理はあなたに任せます。追放の道中、この無能にしっかり『教育』してあげて」

  「わかりました、殿下」

  嬉々とした表情で深々と頭を下げるリンドの返事に、クラリスは振り返ることなく演習場を去って行った。

  「……クラリス……どうし、て」