第一章 断罪の演習場 ―灰色の空と冷たい雨― 2

  「カイル……愛してるわ。永遠に一緒よ」

  かつて花のような美しい微笑みを自分に向けてくれた、この世で最も敬愛し、愛していた女性はそこにはもう居ない。

  「愛しているわ、カイル」「大好きよ。カイル」「あなたのためなら何でもしてあげるわ」

  クラリスとの思い出が、愛の言葉の数々が、まるで走馬灯の様に泥水に顔を浸したカイルの脳裏を駆け巡る。

  「その不愉快な顔を二度と見せないで」

  あぁ、クラリス……どうして……どうしてなんだ……あんなにも俺を愛していると言ってくれたのに。どうして……どうしてっ!

  カイルの目から涙があふれ出す。

  その様子を蔑んだ表情で見つめたまま、

  「はんっ! 最後まで情けない男だ。最後くらい、男らしく処置を受け入れればよいものを。ま、種のない家畜には無理な話だな……ほら、さっさと行くぞ!」

  リンドは跪くカイルの髪をむんずと掴み、もはや立ち上がる気力すら失ったカイルを、ずりずりと無理やり引きずりながら歩き始めた。

  その様子を見て、大勢の女騎士たちが嘲笑している声が聞こえる。

  (なぜだ、なぜだ……どうしてなんだ!)

  カイルの中で、屈辱、憎悪、愛していた者たちに対する深い絶望がドロドロと渦巻いていく。

  (……許さない……俺は絶対に許さない。俺を侮辱し、さげすんだ奴らを、絶対に俺の足元に這いつくばらせてやる……! 服従させてやる!)

  その強烈な情念がカイルの脊髄に眠る何かに触れた瞬間、 バキリ、とカイルの頭蓋の裏で音が鳴った。

  「ぎっ!」

  その瞬間、カイルの右目の奥に溶岩を流し込まれたかのような熱い痛みが走る。

  「……っ、あ、ああああああっ!!」

  その猛烈な痛みに、演習場全体に響く声でカイルが叫んだ。

  「うるさいぞ、この無能が! 叫び声さえ下品だな!」

  己の境遇を悲観し、無意味に叫んでいると思ったリンドがカイルを嘲笑する。だが、そんなリンドの考えとは裏腹にカイルの中では劇的な変化が起き始めていた。

  (なん、だ、これ……魔術回路の、暴走、か?)

  カイルの右目に映る視界が、突如モノクロームに染まったかと思うと、物理的な壁やリンドの身にまとっている白銀の鎧が徐々に透けていった。

  (み、える? なにもかもが、見える……いや『視える』のか?)

  演習場の外で警備に当たっている女騎士たちの、白く柔らかな肌が、街中をひた走る馬車が、自分を引きづって歩くリンドの身に付けている純白の下着、その下にあるピンク色の乳首、申し訳程度に生えている赤い陰毛、それら全てが『視える』。

  (なんだ……これは? どうなっているんだ)

  突然のことに戸惑うカイルだったが、

  (あれは……紋章、か?)

  一糸まとわぬ姿になったリンドの、右内股付近で脈動する『黄金色の幾何学模様』。

  それが淡い光を放っているのに気が付いた瞬間、

  (っ! み、右目が……右目の奥が熱い!)

  右目の奥に再び熱痛が走ったかと思うと、

  (これは、文字? 文字か?)

  カイルの右目の視界の中に、ぼんやりとした文字が浮かび上がってきた。

  [i:【対象:女騎士:リンド・ブラッドレイ】

  【紋章:処女の盾(ヴァージン・シールド)/黄金色】]

  (これは……)

  リンドの内股付近で明滅を繰り返すその紋章。

  そして右目に浮かび上がってきた文字を見たカイルは、

  「……あは、あははは!」

  突如として笑い声をあげた。

  「……何がおかしい。気でも狂ったか?」

  突然笑い出したカイルにリンドがそう尋ねる。

  「くく……いや、狂ってはいないさ。ちょっと面白いものが『視えて』ね」

  「ふんっ……そうやって笑っていられるのも今だけだ。殿下から命じられた貴様に対する道中での『教育』。それを受けたら、もう笑ってなぞいられなくなるからな」

  「……ふふ、そうだねリンド。君が望む『教育』とやらを、たっぷり味わわせてもらうことにするよ」

  「ふんっ!……死に際まで減らず口を」

  リンドは忌々しげに引きずっていたカイルを手放すと、そのまま蹴り飛ばした。

  「ぐっ!」

  腹部を蹴り飛ばされ、ぬかるんだ泥道にぐちゃりと背中から倒れこむカイル。

  「これから国外へ向かう。そのまま近隣の村々の巡視にも行くことにしよう。あぁ、貴様はもちろん徒歩だからな。私は馬に乗るが、せいぜい引きずられないよう必死こいて走れ……しばらくそこで待ってろ、馬を持ってくる」

  そう言い残し馬小屋へと向かうリンドの背中を見つめながら、カイルは右目の熱を静かに、だが深く、自らの血に馴染ませていった。