老人と狼、喪に服す。あきら、認知症を発症──エアスト王国を去る

  激怒したヒロに、悠は心底困った様子でヒロを見詰めている。

  エアスト王国内部の不穏な噂はヒロの耳にも当然、届いているだろう。王宮の内政事情は厳しい。そんな中、親しい悠が退職とくれば、ヒロも寂しいのかもしれない。

  「また遊びにくるからさ」

  「……」

  騒動を覗けば、ヒロは黙りとしている。心底、不服そうな顔で、目には涙を溜めている。

  「何でここからいなくなっちゃうのさ……。ここにも仕事があるじゃん! ここにずっといればいいだろ?」

  ヒロが問いかける言葉に、悠は「そうだな、いたいんだけどだなぁ」と言って、それから切り出した。

  「俺さ、王宮内の仕事も好きだけど、王宮内で仕事している内に、もっとやってみたいことが増えてさ、色々経験したくなったんだよ。そうだな……、今のヒロと一緒さ」

  「悠が、俺と一緒?」

  ヒロは袖で涙を拭き、悠を見上げる。

  「ああ。ヒロもこのエアスト国やクローネ島をより良くしようと思って、研究を頑張っているだろう? その気持ちと一緒さ」

  悠はそう言って、ヒロの頭を片手でわしゃわしゃと撫でる。

  「そっか……。うん、分かった」

  「また近い内に会いに行くからさ。だからヒロ、お互いに頑張ろうぜ」

  「うん!」

  ヒロはやっと笑顔になった。

  ──やれやれ。これで、一件落着かの……。

  ヒロが落ち着いたのを機に、人集りを避けて声を掛ける。

  「悠、体に気を付けてな」

  「ああ、じいさんも気を付けろよぉ」

  それから王宮の門の前で、ヒロ、ポルコ、ヒメカと共に悠を見送っていく。

  悠はニカッと笑い、「また会いに行くからなぁ」と明るく手を振り、旅立った。そしてそれが、悠の最期の姿となる。

  ༓࿇༓

  それから一年後、悠は亡くなった。

  故人、桐生悠。享年、二十二歳──。

  喪に服する者達の葬列は後を立たない。

  ──何故、こんな老いぼれよりも、先に逝ったんだ……なぁ、悠よ。

  あれから悠は、様々な場所で仕事をしていた。繋がりが多かった悠は、慕われていたようだ。

  『宇宙一の料理人を目指す!』と宣言し、念願かなって料理人の仕事に就いたが、原因不明の病に見舞われ、息を引き取ったという。

  すすり鳴く声と共に、悠との別れを惜しむ声がそこかしこで聞こえる。

  「とても勤勉な人でしたねぇ」

  「ええ、それに明るくて、真面目で、それなのに、どうしてこんなことに……」

  死は突然に訪れる。何の前触れもなく──。

  人は産まれるから死ぬ、その繰り返しだ。

  葬列にヒロと共に並び、目を閉じる悠の傍らに花を手向ける。悠の顔を見れば、目を閉じて、眠っているだけのようにも見える。

  「悠、眠ってるみたいだね──」

  「ああ、そうじゃの」

  ヒロの呟きは静かだ。何時ものはつらつさは消失している。

  「ヒロ、少し散歩するかね? まだ埋葬まで時間がある」

  「うん」

  棺に入れられた悠から離れ、エアスト王国の葬儀場の庭を歩いていく。庭には多種多様な花が咲く丘があり、とても綺麗な場所だ。

  「あきら」

  歩いていると、ヒロから呼ばれるが、ヒロの声は沈んだままだ。

  「なんだ」

  極力丁寧に返してやれば、ヒロは口を開く。

  「悠はさ、幸せだったのかな?」

  幸せの定義は人それぞれだ。だが、あれだけ多くの者達が参列し、別れを惜しみ、悠の為に涙を流し、悠との思い出を語っていたのだ。

  悠の人生は短いながらも、良い日々を送っていたに違いない。

  「幸せだったじゃろ。あれだけ多くの人に慕われているんだ」

  「そう、だよね……」

  ヒロは歩きながら話し、直に口を閉ざす。幼いヒロにとって、身近な者の死は受け入れがたいのだろう。まして、慕っていた者の死だ。

  ──なんと言えばいいかいの……

  ヒロに話し掛けようとするも、掛ける言葉が見つからない。

  ──そういえばワシも、妻の多栄子を亡くした時、こんな感じだったかの……

  暫く呆然自失で、何も手につかなかった。乗り越えなければと頭で考えながらも、体はついていかない、そんな日々を過ごしていた。

  「あきら、俺さ……このクローネ島やエアスト王国をよくする為に、もっともっと、勉強するよ」

  ヒロは急に志を口にする。悠の死を受け入れ、乗り越えようとしているのか。

  ──ワシはヒロの側で、見守っていこう

  ここから抜け出したいと少し考えていたが、切り捨てた。

  「そうか。ワシは応援してるぞ」

  「うん」

  庭を歩いていると、ヴォルフが姿を現す。最近は常にいる時間が少なくなったが、ヴォルフのほうからやってきてくれる。

  「ヴォルフ、お前さんも喪に服しに来たのかね?」

  「ああ。けど俺はこの姿だから近場にはいけない。ここから埋葬される瞬間まで見届けるよ」

  「そうか」

  ヴォルフはそう言って、その場で座る。

  「ヴォルフ」

  「何だ?」

  不意にヒロがヴォルフを呼ぶ。近付いたヴォルフに、ヒロは囁いていく。

  ──何を話してるのかの?

  ヒロとヴォルフは密談をしている。それからヴォルフはヒロの話を暫く聞いたのち、「承知した」と返していた。それからヒロは笑顔を取り戻し、ワシに振り向いた。

  「あきら、悠と最期のお別れをしに行こう」

  吹っ切れたような、晴れやかな顔をしていた。

  ──ヒロも、大人になったのかの。

  だがその裏に、不穏な感情があるとは知らずに。

  悠の埋葬はあっという間に終わった。祈りを捧げる中、参列する者達から噂話があがる。

  「悠さんが亡くなったのも、このクローネ島とエアスト王国のせいだって話があるよ」

  「そういえばエアスト王国の第二王子は奔放らしいね。妙な機械を作ってるとか……」

  「戦争になるって話も出ているわ……」

  根も葉もない、根拠のない噂がひそひそと飛び交う。

  ──人の死を労っていたかと思えば、すぐにこれだ……。

  人の噂も七十五日。とはいえ、エアスト王国の内政が整わない今は、まだまだ続きそうである。

  ──ヒロは、大丈夫かの……?

  隣に立つヒロを見遣れば、少しも動揺せずに喪に服している。むしろ聞かない姿勢を貫いている。

  ──まぁ、一々取り合っていれば、埒が明かないからの……

  暫くして、鐘の音が鳴る。その鐘の音色は、根も葉もない噂をかき消すには十分な程に美しい音色だった。

  「安らかにな、悠……。ワシも残り少ない人生を、お前さんの分まで、しっかり生きるとするよ。ヒロ達と共にな……」

  悠の死から、また一年が過ぎていく。

  ༓࿇༓

  悠の死から一年が経ち、エアスト王国の情勢も変わっていく。

  ヒロが開発した天候制御装置が試験運用を経て本格的に使用されるようになり、天候が徐々に改善されていく。

  天候制御装置のお陰で今まで育たなかった農作物が育つようになり、需要が以前よりも増える。今まで輸入に殆ど頼りっきりだったが減り、クローネ島とエアスト王国でも開業できるようになってきた。

  とはいえ、まだ予定の半分にも到達してないので、これから先が長いが、気候変動が激しくなくなったせいか、クローネ島に定着する者も徐々に増えた。

  「あきらぁ! 今度はどんな環境でも強い農作物の種を開発しようと思っててさ、けれど、うまく育たないんだよ」

  「それはそうだろ。うまくいったら、こぞってこの国に交渉をするか、あるいは……」

  そこで嫌な想像をしてしまい、言うのを止めるが、「戦争?」とヒロが訊く。

  ヒロは前よりも洞察力が鋭くなっている。クローネ島とエアスト王国を良くしようと奮闘しているからだろう。

  「まぁ、そんなところだな」

  楽観的に返せば、

  「それなら大丈夫。問題なーし」

  ヒロは明るく返す。ヒロの返答はあまりにもさっぱりとしている。

  ──何か策があるのだろうな。

  まぁ、深くは訊かないようにしよう。

  「そうか、問題ないならいい」

  「うん。何も問題ないし、心配もいらないよ」

  ヒロは穏やかに笑って、空を見上げる。

  今日は晴天が広がっている。風もなく、過ごしやすい天候だ。ヒロは暫くしたのち、口を開く。

  「だってさ、悠が見ててくれるから」

  「なるほどな」

  ヒロはたまに悠のことを思い出して話す。風化防止かは分からないが、悠の話が出れば、自ずと思い出す。

  シージャックで出会ったこと、黄金郷で盤上の駒にされたこと、そして仕事の休憩がてら、悠と過ごした時間──。

  ──思い出せるように、脳が動いててくれて、ありがたいことだの。

  まだまだ元気な思考回路に、ありがたいと感謝してしまう。

  「そういえばあきらはさ、何かこれがやりたーい! って、思うことはないの?」

  「そうだの……今のところは、ないかの」

  「そうなんだ」

  だが嘘だ。本当はこの島を出て、また旅をしてみたかった。一人でも暮らしてみたかった。しかし、ヒロの傍にいなければならない──そんな気持ちが自ずと訪れ、ここにいる。

  ──ワシまでいなくなったら、きっと悲しむだろうし、ヴォルフにも頼まれたしな……。

  「あきら……無理してない?」

  「無理? 何故、そう思うんだね?」

  「だってここは、あきらといる山とじゃ全然環境が違うからさ」

  「違っても楽しめる」

  「そう、それならいいけど」

  刹那、ドン! という音が王宮の屋上で聞こえ、衝撃で何かが崩れる音も聞こえる。

  「何だろう、今の音?」

  「分からん。行って確認じゃ」

  ༓࿇༓

  屋上に向かえば、気球が墜落していた。気球は横倒しになっていて、そこから一人の女性と得体の知れない一匹が這い出てくる。

  「いったっ……。もう! やっぱ気球なんて無茶だったのよ! 今度飛ぶなら、飛行機がいいわね!」

  「そうだな。飛行機にしよう──って、飛行機の免許、持ってんのか?」

  「飛行機どころか、車の免許すら全く持ってませんが、何か?」

  「なに俺様にマウントしてんだ、全然ダメだろ」

  見覚えのある女性と一匹──。

  「もしや……花谷紗央莉さんと、タコの狂四郎かね?」

  声を掛ければ、紗央莉が飛び上がり叫ぶ。

  「あきらさんじゃない!? やだっ! こんなところで会うなんて! 手間が省けたわね! それにしても、何年振りかしら? 全然年数覚えてないけど、久しぶりね!」

  紗央莉が顔を綻ばせながら近寄ってくる。

  「ははっ。紗央莉さん、相変わらず元気そうだの。それに、タコの狂四郎も。しかしお前さん、しゃべれるようになったんだの」

  「ああ。紗央莉が筆談が面倒だと言い出してな、それからは毎日話す特訓の日々だ。ほんと、話せるようになるまで、大変だったぜ……」

  タコの狂四郎は触手の吸盤をすぼませていく。

  「ねぇあきら、この人達は誰……?」

  会話内容にすっかり置いてけぼりになっているヒロ。そこでヒロを探す道中に出会した者達だと説明すれば、ヒロは納得する。

  「ワシは紗央莉さんと、タコの狂四郎がいなければ、このエアスト王国には辿り着けなかったんだ」

  「そうなんだ。紗央莉さん、タコの狂四郎、あきらを連れてきてくれるように手配してくれて、ありがとう」

  ヒロが改めて言うと、紗央莉とタコの狂四郎は互いに見合わせたのち口を開く。

  「いやいや、お礼を言うのはこっちだよ。お陰でめちゃくちゃ稼げて、ウィンウィンどころの騒ぎじゃなかったしね!」

  と、紗央莉が。

  「そうだな。俺もたらふく食料が食えて、大満足だったしな」

  と、タコの狂四郎が。

  「ん? どういうこと?」

  ヒロは首を傾げる。

  そう、この二人は豪邸から王国に仮を作って更なる利益を得る為に、共闘して悪事を働いてきたのだ。

  ──事情は言わんで、伏せて話すのがいいだろうな。

  「まぁ、ヒロにもエアスト王国にも、仕事絡みで、色々お世話になってるってことさ」

  「そうなんだ」

  ヒロは気にせずに流していく。

  「そうだ、じいさんはあれから腰の調子はどうなんだよ? 骨は抜かずに済みそうか?」

  「ああ。何とかボチボチやってるよ」

  「そうか。骨を抜きたくなったら、いつでも言ってくれよ」

  「そんなことはせん!」

  タコの狂四郎に返したのち、二人に訊く。

  「それより、お前さん達はどうして、エアスト王国にやってきたんだ?」

  「お金も十分稼げたから旅行しながら、あきらに会いに行こうってなってさ。けど車の免許は持ってないし、飛行機の免許も持ってないじゃない? だから気球でって話になって。ね?」

  紗央莉がタコの狂四郎に話を振ると、「おう」と元気に答える。

  ──突飛な考えじゃの。

  ともあれ、久々の再会に、色々と話がしたくなる。

  「そうだ。ワシは今、ここの王宮で暮らしてるんだ。お前さん達、暫くここで羽を伸ばしたらどうだ?」

  「え、いいの!? そんなことを言われたら、遠慮なく羽を伸ばしちゃうし、今からでも羽を伸ばせるけど、いいの!?」

  紗央莉が目を輝かせて言うと、タコの狂四郎も同調し、「俺も触手を伸ばす!」と宣言する。

  「ヒロ、どうだね?」

  「そうだね。仕事でずっとお世話になっている人なら、滞在よりも、ここに住んだらいいんじゃない?」

  ヒロの一声で、紗央莉とタコの狂四郎が王宮で暮らすようになる。

  ༓࿇༓

  給油所にいた紗央莉とタコの狂四郎が暮らすようになり、ピリピリとした空気が払拭され、賑やかになる。

  最初の頃はタコの狂四郎の見た目で何かと問題が起きたが、今では落ち着き、王宮内のマスコットキャラとして確立している。マスコットキャラでもあるが、料理もできるので、調理場はいつも賑やかだ。

  「濃いめのメインがくるなら、野菜に掛けるソースはフレンチ系のさっぱりなのがいいぜ。それに俺様も、フレンチ系が好みだ」

  等と、的確な指示まで飛ばしている。完全に王宮のシェフとして機能している。

  「狂四郎さんがいるお陰で助かるし、狂四郎さんがいないと、この厨房は成り立たない」と、評判も上々だ。

  一方で紗央莉は、ヒメカの元で働いている。ワシに嘘を吹き込んで金の延べ棒を渡した従者も、その側近もエアスト王国を狙った者達ばかりだったので一新された。一新され、前より人手が少なくなっていたので、紗央莉がいてくれて丁度よかった。

  「ヒメカさん、午後からの会談の時間になりますので、それまでにこちらの書類に目を通してください」

  といった具合で、ヒメカの秘書になっている。あとは──

  「ヒメカさん、白いうさぎのぴょんちゃん……私に対して、物凄く、塩対応なんですが……。何故ですかね……?」

  と、最近は白いうさぎに対しての相談が増えたようだ。ちなみに白いうさぎは、ヒメカ以外の人間に対し、全員、塩対応だ。

  とまれ、紗央莉とタコの狂四郎はエアスト王国にすっかり馴染んでいる。

  そしてワシはといえば、新たな問題に直面していた。

  来るべき時が来たといえばいいのか、あまり認めたくない事象に、悩みを抱えていた。

  ༓࿇༓

  「あきら! そっちは屋上じゃないって!」

  「おや、そうだったかいの。ああ、こっちか……。やれやれ、王宮は広すぎて迷うの」

  ヒロに突っ込まれて漸く気付く。

  そう、ワシは王宮の城の中で道に迷うことが増えた。何度も行ってる場所なのに、間違えたり、忘れたり。自慢じゃないが、何をしにきたかさえも忘れたことがある。

  だが、ヒロやポルコが根気よく教えてくれているので、なんとか迷わずに済んでいる。二人がやいやい言わなければ、きっとワシはダメだ。

  「あきら、そっちは食堂じゃないぜ」

  一匹の獣が城の城壁から登ってきて告げる。

  「そうか、こっちだったか……はぁ、近頃は誰かしらに教えてもらうことが増えたの」

  「そうか」

  「誰かは知らんが、助かった……ありがとよ」

  「……。ああ」

  獣は頷くが、去らずにじっとワシを見詰めてくる。

  ──何だ……?

  数秒見詰め、漸くワシの頭に、名前と顔と共に記憶が鮮明に甦る。

  「ああ、そうだった。お前さんは、ヴォルフだったな……」

  「そうだよあきら、俺はヴォルフだ」

  「そうだ、お前さんの名前は、ヴォルフだ。お前さんの名前も顔も、一瞬、忘れるなんての……」

  いつぞやは、半ボケになりたいだのと言っていたが、今は、冗談でも思わない。

  そう、ワシは忘れたくはない。いまあるこの時間も、人も、記憶も、絶対に忘れたくはない。

  だが──

  ──みんな、忘れてしまうのかの……?

  年が経過し、年を取っていくのが、今はとてつもなく辛い。

  ──実際妻の多栄子も、こんな気持ちを抱えていたのかもしれんな……死にたくないと、生きたいと。

  表に出すことはなかったが、気丈に、明るく振る舞っていただけなのかもしれない。

  「あきら、そんな顔をするなよ。あきらが忘れたとしても、俺やヒロも、みんなも忘れないで覚えてるから」

  不意にヴォルフが言う。純朴な視線は、まるで人間のようだ。そして穏やかな口調は、亡き妻、多栄子を彷彿とさせてくれる。

  『大丈夫よ、あきらさん』

  不意に亡き妻、多栄子の声がやんわりと聞こえた気がした。

  ༓࿇༓

  ワシの記憶が飛ぶのが増え、王宮内は様変わりする。ワシが行く場所に張り紙が張られ、詳しい場所が表記されるようになる。

  恐らく、ヴォルフがヒロやポルコに話したのだろう。とてもありがたいが、張り出される張り紙が増え、それを目にする度に、ボケが酷くなっているのを悟り……

  ありがたさや感謝が消え、何時しか、苛立ちだけが募っていく──

  「あきら、俺とポルコでまた新しい張り紙を貼ったから……」

  「余計なことはせんでいい。張り紙なんぞ貼らなくても、ワシは迷わず行ける」

  「えっ、だけど……」

  「いいんじゃ! ワシに構わんでくれっ!」

  「なんだよそれ。王宮内が広いから、あきらだけじゃなく、新しく入った使用人にも分かりやすいような案内板があれば……」

  「案内板等、必要ない。それに案内板が万が一、よくない者の目について、利用されたらどうするんだ?」

  「それは、そうだけど……でも……」

  「もう、構わんでくれ。お前さん達はこの島をより良くする為の研究に集中すればいいんだ」

  「あきらっ!」

  ヒロが叫ぶが無視してその場から立ち去る。ヒロ達の善意が煩わしく、焦りと苛立ちしか起きない。

  ──そろそろかの……。

  この王宮にいれば、かえって迷惑になる。もうすでに、なっている。ヒロ達はよくしてくれるのに、素直に受け取れず、癇癪を起こして、八つ当たりをしている。

  「もう、十分じゃろ」

  王宮内での暮らしは楽しかった。

  あとは一人で、悠々自適に暮らせばいい。

  その日の夜、身支度を済ませた。ヒロを探す旅をした時と同じ格好の軍服に身を包み、いつものバックパックに荷物を詰めて、サイドカーの車台に載せてバイクを引いていく。

  王宮内部は静かだ。出発にはこれくらいの静けさが丁度いい。

  見送りなんていらない。どうせ、忘れてしまう。

  ──さよならだ。

  エンジンは王宮外までは立てずに引いていき、それからエンジンをかけて出発する。

  ༓࿇༓

  暫く城下町を走行していると、後方から、タタッ、タタッ、タタッ、タタッと何かが駆けてくる音がする。[[rb:一瞥 > いちべつ]]してみれば、ヴォルフが追ってきていた。

  「あきらっ! こんな夜中に、どこに行くつもりなんだよ?」

  やがてヴォルフは追いつき、ワシが乗るサイドカーと並走して道を駆けていく。

  「お前さんには関係ない」

  「関係ある! あきら、王宮から出ていく気だろ!? そんなことしたら、ヒロ達が、悲しむだろ!」

  「悲しくはなりゃせんよ。老いぼれで、半ボケしたじじいがいれば、鬱陶しいだけだろう」

  「ヒロ達はそんな風には思ってない!」

  「今は思ってなくても、直に[[rb:煩 > わずら]]わしくなる。だから、出ていくんだ」

  「頑固だな!」

  「なんとでも言うがいい。ワシはもう、決めたんだ」

  「じゃあ……俺も行く」

  ヴォルフはそう言って、旅をしていた時の小さな姿に戻ると、サイドカーの車台にひらりと飛び乗る。

  「こら、お前さんは来んでいい! こんな老いぼれに構ってないで、お前さんは王宮でヒロ達の傍にいてやれ!」

  「嫌だ」

  「聞かん奴だな」

  横に乗るヴォルフに文句を言い、視線をヴォルフに向けた直後──

  「──! あきら、前!」

  ヴォルフに言われて再び前を向いた瞬間、道を外れ、目前に街灯が迫っていた。ハンドルを切るが間に合わない。

  刹那、体が宙に浮かぶ。ヴォルフが元の巨大な獣の姿になり、口に咥えて飛んだのだ。

  サイドカーは派手に街灯に激突し、街灯も、サイドカーもひしゃげてしまった。

  派手な音に、住人が明かりをつけて家の外に出てきた。

  「危なかったな……」

  ヴォルフが直に降ろしてくれる。

  「……」

  暫く言葉が出なかった。話そうにもつっかえて、言葉が出なかったが──

  「お前さんは、後悔しないのか?」

  「何がだよ?」

  「ワシは今日にも、エアスト王国を、クローネ島を出る。お前さんはワシに付いてきて、後悔はしないのかね」

  ヴォルフは暫く押し黙ったのち、「ああ」と返す。

  「そうか……。じゃあ、行こうか」

  サイドカーは少しひしゃげているが、まだ乗れる、走れる。

  人集りを退けて、ヴォルフと共にサイドカーに乗り、走行していく。

  ༓࿇༓

  クローネ島を離れ、一ヶ月が過ぎた。

  「あきらさん、朝ですよ。体、起こせますか?」

  「ええ、何とか……。いつも、すみませんね。ご迷惑お掛けします」

  といった、少し介護が必要な日常になる。

  山を下り、島を出て、再び山道を差し掛かった頃、再び腰の激痛に悩まされたのだ。

  ちなみに王宮を出てからは不思議と、頻繁に物忘れしていた症状が改善されたが、その代わりに、腰の痛みがぶり返した。

  「はぁ……またか。この腰の痛みこそ、永久に忘れててほしいもんだがの……」

  しかし都合よくいかない。嫌なものほど、体は覚えているものだ。

  そしてクローネ島を出てヌル列島に戻った数日後、腰の痛みに悩まされながら街を歩いていた際、鍼治療と灸治療をしてくれた健也と道で行き合ったのだ。

  ヒロや王宮のことは伏せて、再び旅をしている事情を話せば、健也は快くうちに来て下さいと受け入れてくれた。

  今度こそ、悠々自適な一人暮らしをしようとしていたのに、又もや人に世話や迷惑を掛けてしまっている。

  ──堂々巡りだな。

  世話になりっぱなしで、なにもしてやれない、できないのが悔しい──。

  とまれ、好意に甘え、滞在することにした。

  「わんわん! 大きくなったね!」

  百音はヴォルフとの久々の再会に喜んでいた。百音自身も身長が随分と伸びている。あれから数年の月日が経っているのだ。成長するのは当然だ。

  「百音も成長したな。そうだ、背に乗るか? 百音なら乗せて走ることができるぞ」

  ヴォルフが言うと、百音は目を輝かせ、「うん!」と頷く。

  ──子供は、元気だの。

  そんな様子を窓越しから眺めていれば、直に扉のノック音と共に麗美が入室する。

  「あきらさん、今日はお天気が良いから、外の景色を見に行きましょう」

  麗美は車イスを引いてくる。

  「いや、ワシはここでいいですよ……」

  「まぁまぁ、そう仰らずに。あなたぁ、ちょっと来てぇ」

  そう言って健也も呼び、麗美と健也はワシを車イスに乗せてくれる。

  「ご迷惑おかけします」

  「あきらさん、気にしないでちょうだいね」

  麗美は微笑んで、ワシの車イスを押し外へと向かう。

  長閑な天気だ。ぽかぽかとして、春の陽気と風が心地よく流れていく。

  「良い天気ですねぇ」

  「でしょう? ここは長閑で穏やかだから、とても暮らしやすくて快適な場所よね。だけど……向こうの、どこだったかしら、ほら……季節が一貫しなかったクローネ島があるでしょう? あそこの島にあるエアスト王国は最近、不穏だから、怖いですよね」

  麗美の何気ない話に、思わず聞き返す。

  「え、そのエアスト王国で、何かあったんですか……?」

  「最近、戦争が始まったみたいですよ。内紛が切欠だとか言って……酷く荒れてるみたいで、この地域からも何かと物資を輸出しているそうよ」

  ──戦争……!? ヒロ達は、無事か……!?

  王宮内にいるヒロ達が心配だ。内紛から戦争に発展したのであれば、尚更だ。

  「麗美さん、明日にでもここを立たねばならい。健也さんに言って、また鍼や灸をやってもらえるように言ってほしい!」

  「え、でも……」

  「その島に、大事な者達を残してきているんだ!」

  「そうなんですか……!? ですが今、クローネ島のエアスト王国行きの船は規制線が張られているから、渡航するのが難しいかもしれないわ」

  「それでもワシは、行かなきゃならん」

  「承知しました。主人に聞いてみましょう。じゃあ、あきらさんも一緒に」

  麗美はワシの車イスをひき、再び室内に戻っていく。

  健也に事情を説明すると、健也は顔をしかめている。

  「今、取り締まりが厳しくなってて、[[rb:拿捕 > だほ]]されやすい状況です。唯一許可されている、物資の船に紛れていけば、エアスト王国にいけるかもしれませんが……危険ですよ」

  「それでもいい。なんとかその船に乗って渡りたい」

  「分かりました。知り合いに聞いてみます」

  そして健也は直ぐに家を出た。それから数時間が経った頃、健也が戻ってきた。物資を送るつてがあったとの話だ。

  「明日、乗船すれば間違いありません。では、腰の治療を超特急で始めますね」

  ワシはベッドで横になった。健也は腰に鍼を刺していき、鍼治療をしていく。

  翌朝、ヴォルフと共にサイドカーに乗り出立する。サイドカーは随分前に直したので走りは良好だ。走りは良好だが、心内は不安定だ。まさかこの一ヶ月の間に、エアスト王国の情勢が変動するとは思っていなかった。内紛から戦争に発展。

  恐らくだが、綿密に計画されていたのだろう。

  ──ワシはなんて、愚かだ……。

  ヒロ達の傍にいれば気づけた筈だ。たとえボケてたとしても、不穏な気配ぐらいは分かったのに……。そう考えている内に、握るハンドルの手に力が入る。

  節くれだった、シワだらけの手に、血管がうっすらと浮かんでいく。

  「あきら、焦ったらダメだ」

  ヴォルフは諭すように言う。まるで、亡き妻、多栄子が隣にいるような感覚だ。

  「ああ、そうじゃな……」

  息を吐いて、落ち着かせる。前を向いて、港……、港は、どっちだったか。

  又もやストンと記憶が落ちる。

  「すまぬのヴォルフ、港はどっちじゃ? こっちで合ってるか?」

  「ああ、合ってる。案内は俺に任せろ」

  ヴォルフは頷き、指示をくれる。

  ヴォルフの指示は的確だ。狼の嗅覚もあってか、無事に港に辿り着けた。そして約束通り、物資が運ばれる貨物船に乗り込み、物資として運ばれる。海は拿捕される状態になっているが、拿捕されない航路で渡っていくという。クローネ島のエアスト王国の裏手に着くのは明日の朝だというが、海域の状況にもより未定だ。

  ──ヒロ、ポルコ、ヒメカ……無事でいておくれ。

  明日の朝だと言ったが、その日は中々寝付けに次の朝を迎える。

  ༓࿇༓

  「着きましたよ」

  物資を運んだ艦長に起こされる。目を開けば、懐かしいクローネ島のエアスト王国に到着している。たった一ヶ月なのに感慨深くなる。

  「どうもありがとう、助かったよ」

  お礼を言って降り、サイドカーに乗って走行していく。

  天候は天気を操る機械を発明したヒロのお陰で、崩れることなく今のところ保っている。だが島の雰囲気は前とは違い、穏やかではない。ところどころ崩落している。

  城下町の様相は一ヶ月で様変わりしてたようだ。カジノがあった城下町を通ると、街の住人、老齢の男性がバックパックを背負って家から出てきた。

  老齢の男性の顔は酷くやつれていて覇気がないが、声を掛ける。

  「すみません、ちょっと訊きたいことがあるんじゃが、エアスト王国の王宮内がどうなっているか、分かるかの?」

  すると老齢の男性は顔をあげ、口を開く。

  「エアスト王国の、王宮内……? あんなとこ、潰れてしまえばいい! 変な機械を開発してくれたお陰で、俺達は、こんな生活をさせられているんだ。今まで通りの、荒れた天候で良かったんだ……。まぁどのみち、この王国の城下町も、クローネ島からも、全ての住人達は脱出する。俺には関係ないさ……。じゃあな」

  老齢の男性は吐き捨てるように言い、通りすぎていく。

  「あきら、王宮に急ごう。ここで聞いても、今みたいに言われるだけだ」

  「そうだな」

  再びサイドカーで走行する。

  ༓࿇༓

  エアスト王国の王宮内に着くが、かつてのような洗練とした空気はない。

  街並みと同じく、王宮も同じように荒れ果てている。

  「ヴォルフ、ヒロの匂いはするか?」

  「微かだけどする……こっち。あきら、俺の背に乗ってくれ」

  ヴォルフの背に乗り、王宮内を駆けていく。

  広々とした部屋はどこも荒れ放題だ。人もいない。藻抜けの空だ。

  ──ヒロ達は、どこにいるんだ……?

  「あきら、この部屋からヒロ達の匂いがする」

  その一室は、書庫だ。

  「ヒロ達以外の者達はいない感じかの?」

  「ああ、いない。問題ないぜ」

  「そうか。じゃあ、開けるぞ……」

  ヴォルフが言うなら間違いないが、念の為、扉を慎重に開けていく。