老人と狼、ヒロ達と共に潜水艦で脱出し、共に暮らす

  扉を開けた先には、本棚がずらりと並び、整理整頓されて書物が陳列されている。どの本棚にも書物がぎっしりだ。

  かつてここで、桐生悠がサボって寝ていたのが懐かしい。ヴォルフの背に乗って室内を移動しながら声を掛けていく。

  「ヒロ、ポルコ、ヒメカ……いるか? ワシじゃ」

  だが返事は返らず、室内はしんとしている。物音一つしない。

  「ヴォルフ、本当にこの部屋で間違いないのか?」

  「ああ、間違いない」

  ヴォルフと共に、慎重に周囲を見渡していく。

  書庫の本棚には、端から端までぎっしりと書物が仕舞われている。

  ──人がいるような気配はないが……

  とはいえ、ヴォルフの嗅覚が間違えることはない。

  「ヒロ、ポルコ、ヒメカ」

  呼びながら、室内を進んでいく。だが返事が返ることはない。

  「あきら、あっちだ」

  ヴォルフは書庫の奥まで走っていく。しかしそこには矢張り、本棚しかない。

  「ここも、本棚しかないの……」

  「いや、ここの隙間から匂いがする」

  ヴォルフが言う隙間というのは、本棚と本棚の間だ。ヴォルフは本棚と本棚の間に鼻先を押し付けて告げる。

  「本当にここから匂うのかね……?」

  「ああ、間違いない」

  「ふむ……」

  一旦ヴォルフから降り、本棚と本棚の間を眺め、次いで、陳列されている書物を眺めていく。

  「もしかして、カラクリ扉になっているのかの?」

  書物の並びを確認してみる。すると書物は同じ書物ながらも、番号通りに並んでいない。ちぐはぐの並びになっている。

  「この書物の順番を整えれば、開くかもしれんな……」

  順番通りに並んでない書物を数冊取り出して、組み替えて入れていく。

  すると、『ガコン』という何かがお外れた音と共に本棚が左右に開き、目の前に赤い扉が出現する。

  「隠し扉か」

  鍵穴はなく、押して開くタイプの扉だ。赤い扉を慎重に開けば、薄暗い部屋に、下に続く階段が見える。年期のいった鉄製の階段は錆が出ているが、下りていくには何の問題もない。

  ヴォルフと共に慎重に下りていけば、再び扉が見える。そして扉の横には暗証番号を入力するデジタルドアロックも見える。

  「やれやれ、簡単には会えないようだの」

  デジタルドアロックの暗証キーは普通の暗証キーと違い、三角形の図形を四角形の図形が囲うようにして表示され、その下にアルファベットが打てるようになっている。

  まるでカジノでやった、【lost kingdom】のボードゲームのような図形だ。

  ──もしかしてこれは、そのまま打てばいいのかの……?

  【lost kingdom】と打ち込み、エンターキーを押してみる。するとカチリと音が鳴り、施錠が解除される。扉の取っ手を掴み回して開ければ、剥き出しの鉄骨の空間内部に、機械やコードが幾重に混在し、根を這うようにして部屋全体を覆っている。

  「王宮内にこんな物が眠っていたのか。まるでここは、巨大な鳥の巣のようだの……」

  「ねぇあきら、あの卵みたいな形の中には、何があるんだろうね」

  ヴォルフが口にした先には、直径三十センチぐらいの大きさをした銀色の卵のような物が一つ、台に固定されて置いてある。そこにもコードが幾重にも巡らされ、伸びている。

  ヴォルフが口にした銀色の卵の傍に近づこうとした刹那、カツカツという音が響く。

  「あら、あきらさん……」

  部屋の奥から現れたのは、ヒメカだった。ヒメカはワシとヴォルフを見遣り、酷く驚いている。

  「ヒメカさん、無事だったんだの」

  「ええ……、まぁ……」

  しかし返す言葉はぎこちなく、視線を外す。

  久々の再会だが、この場に沈黙が訪れる。会わなかった期間は一ヶ月。その期間の間に、すっかりと溝ができてしまった。

  何も言わずに、王宮からも、島からも去ったのだ。当然だ。

  「ヒメカさん、ヒロとポルコは元気かね……?」

  安否を投げ掛けてみる。しかしヒメカは口を開くも、黙りする。答えようとしない。そればかりか依然として目を合わせようとしない。

  ──ふむ、少し様子がおかしいの……

  「ヒロとポルコは、どこにいますか?」

  質問を変えて訊けば、

  「あきらさんには、関係ないでしょう」

  ヒメカはぞんざいに言い捨てて、続きを紡ぐ。

  「お帰りになってください」

  いつか王宮の外で追い返された時分を思い出す。その時に追い返したのはヒメカではないが、その時とまるで同じ状況だ。

  「無事を確かめるまでは、帰れんよ。それに、無事な場所に避難させようと、ワシはここまで来た」

  「今更戻ってきて、随分と勝手な言い分ですね」

  「いや、ワシはただ……」

  「ここにはおりません!」

  ヒメカにピシャリと言い返されてしまう。ヒメカは話を聞くどころか、それ以上先にも行かせない雰囲気を漂わせている。

  だがここで、分かったと納得し、この場を去るわけにはいかない。危険な区域から、ヒロもポルコも連れ出したい。勿論、ヒメカもだ。

  「ヒメカさん、クローネ島も、エアスト王国の情勢も、随分と悪くなっているという話を聞いてワシはここに、戻ってきた。あんた達を助ける為だ」

  「そうですか」

  ヒメカは会話を終わらせてしまうが、諦めずに続ける。

  「ワシはほんとに、どうしようもないジジイだ。一ヶ月前、ヒロ達がボケてきたワシの為に、王宮内で色々と工夫してくれていたのは知っとった。だがワシにとって、その親切心が、あの時、煩わしかったんだ……。けど今は、違う」

  「もう遅いですよ、どんなに悔やんでも……。それにここは、戦場になってしまった」

  ヒメカは不意に、銀の卵に視線を向ける。

  「これは元いた王、エアスト王が隠し持っていたシステムです」

  ──エアスト王……じゃと?

  エアスト王といえばヴォルフだ。早速、ヴォルフに訊いていく。

  「おいヴォルフ、あれはお前さんが作ったそうじゃないか。なんで知らないフリをしてたんだ?」

  「いや、知らないフリというか、全く覚えてねぇ……。赤いカードのことは覚えていたが、銀の卵のシステムは全然だな。ボードゲームのことも覚えてないし。恐らく、獣の期間が長すぎて、忘れちまったのかもな……」

  ヴォルフはそう説明し、「これじゃ、あきらと変わらないな」と笑うと──

  「そう、あなたは覚えてないのね……」

  と、ヒメカが言い、説明していく。

  「この銀の卵に組み込まれているシステムのプログラムを、ヒロが開発した天候をコントロールする機械と連結させれば、巨大なエネルギーが発生して、このエアスト王国も、クローネ島も、深い海の底に沈む。そうすれば誰も、手出しできなくなるわ」

  ──深い海に、沈むじゃと……!?

  「そんなことをして、無事でいられるはずがない!」

  「けれど、そうするしか方法がないのよ。もうこの島も、王国も、沈めるしかないわ」

  「極端だの……」

  「それなら、他にどんな方法があるというんですか?」

  「それは……」

  ヒメカに問われるが、具体的な方法が浮かばない。

  やがてヒメカは、口を開く。

  「最初から盤上に組み込まれた私達のような駒は、一定にしか動けない。【lost kingdom】のゲームと一緒よ。エアスト王国はずっと侵略され続けていた。結局、何をやっても無駄なんです。ここで生まれた者は、最初から生きる希望も、価値もなかったのよ……」

  ヒメカは毒つく。だがそれは、言い訳にも聞こえる。言い訳ほど、煩わしいものはない。そして思い込みこそ、最大の敵だ。

  ヒメカは前のワシと、一緒の状態だ。

  「ヒメカさん、あんたは前のワシより頑固だ。ウダウダ言ってないで、今は……そうだの、逃げるが勝ちじゃ! 過去のエアスト王が残したシステムにとらわれて、自分を見失ってはならん。あんたは今を、生きてるじゃろ? 今が駄目でも、また時期をまたいで、もう一度やり直せばいい。それに、別の生き方だってできるじゃろ! ヒメカさん、ヒロとポルコはどこにいるんだね!?」

  今一度訊けば、ヒメカは北の方角を指差し、「あの扉の部屋の中に、いるわ……」と、弱々しく返す。

  ヴォルフと共に北の方角に向かえば扉が見える。そして扉を開けて、呼称する。

  「ヒロ! ポルコ! いるか!? ワシだ、あきらだ! 助けにきたぞ!」

  部屋に踏み込めば、床で踞るようにして座っている少年達がいる。ヒロとポルコだ。

  呼び声にヒロとポルコはパッと顔を上げ、ワシの元に駆け寄ってくる。

  「あきら!」

  ポルコが最初に飛びつき、次にヒロが飛びつき口にする。

  「あきら、どこ徘徊してたんだよ。一ヶ月も……」

  と、ポルコが。

  「ほんとあきらは、しょうがない糞ジジイだ!」

  と、ヒロが言う。

  文句を口にされるのも当然だ。二人の頭を撫でてから、告げる。

  「ボケた年寄りの徘徊はもう終わりじゃ、これからはずっと一緒だ。さぁ、ここから逃げるぞ」

  「でも、逃げ場がないよ? 周囲は海だし、空も海も、規制されてるんだ……。それに最後の定期便も城下町の住人のみで、あとはないし……」

  ヒロは辿々しく説明する。

  空も海も規制されている。となると、逃げ道は確保できない。

  ──どん詰まりか……

  と、巡らした時だ。

  天井のダストがガコンと開き、一人と一匹が降ってきた。降ってくるなり、喧しい会話の応酬が始まる。

  「いやぁ~。戦争になったから王宮内部は物色し放題だと思ったけれど、大したのが無かったわよね……」

  「そうだな。お宝が眠っていると思えば、骨董品しかなかったし……」

  ピリピリとしていた空気が一瞬で和やかになったのは──

  「紗央莉さんに、タコの狂四郎……お前さん達もいたのか」

  「えっ……? あれっ! あきらさんじゃない! 一ヶ月いないと思ってたけど、帰ってきてたんだ!」

  「じいさん、どこ行ってたんだよ?」

  紗央莉も、タコの狂四郎も、相変わらずだ。相変わらずで、喧しい。だが今その喧しさが丁度良い。

  「そうだの……ちいとばかし、旅行がしたくなったんだよ。そうだお前さん達、今、物色って言っておったな。この島から無事に抜け出せそうな方法や物は何かなかったかね?」

  紗央莉とタコの狂四郎に訊けば、二人は揃って首を傾げていく。

  「うーん……この王宮にあったのは、大きな潜水艦ぐらいよ? それこそ、あきらさんが乗ってるサイドカー並のビンテージ物よ」

  「そうか、ならそれで十分じゃ。その潜水艦の場所まで案内してくれ」

  「案内してくれって……。あきらさん、潜水艦を動かせるの……?」

  「ああ。随分昔、小僧の頃と大戦時代にいじったことがある」

  「え……。それ、大丈夫なの?」

  紗央莉は不安げだが、「動かし方は頭じゃなく、体が覚えてるから問題ない」と返す。

  それから再び扉を出て、ヒメカを呼びに行く。

  「ヒメカさん。ここからの脱出方法が見つかった。あんたも早く、こっちに来なさい」

  「いえ、私は行けません。エアスト王国の責任を取らなければなりません。なので私はここに残ります、ぴょんちゃんと共に」

  「全く、頑固だの」

  渋るヒメカの手首を掴んで歩く。

  「あきらさん、離してください」

  「ヒメカさんも、ぴょんちゃんも、生きてここから脱出するんだ! ここで心中なぞ、ワシは許さん!」

  そして全員揃ったところで、紗央莉とタコの狂四郎が見つけたという、潜水艦があったという場所へ向かう。

  ༓࿇༓

  潜水艦は王宮の地下で眠っていた。整備システムを軽く点検していけば、問題なく使える物で、ビンテージながらも探知されないステルス機能も備わっている。

  燃料も十分にあり、問題なく潜水できる代物だ。

  「さぁ、出発だ」

  エンジンを始動させ舵を取る。潜水艦は地上から地下深くの海へと潜っていき、潜水を開始する。

  ༓࿇༓

  「ここで何かあったら、海の藻屑になりそうよね」

  潜水して進む中、紗央莉が不吉なことを口にする。集中してる時はやめてほしいものだ。

  「そういうことは言うでない」

  「ねぇあきら、俺にも何か手伝えることある?」

  ヒロが隣にきて口にする。ちなみにヒメカはポルコと共に、潜水艦に配備されている一室で休んでいて今はいない。

  「そうだな。じゃあヒロは、海底の様子をレーダーでタコの狂四郎と共に見てなさい」

  「分かった」

  ヒロはタコの狂四郎の元に行く。タコの狂四郎は航海士の知識があり、自ずとサポート役になる。

  「俺様は潜水艦の知識ならあるぜ? あまりに暇すぎて、潜水艦の中を覗いてたからな」

  とのことで、心強い。それに海で何かあっても、タコの狂四郎がいれば、そのまま海にも潜ってもらえる。

  だがワシとしては、何もないことを祈りたい。

  海底と海上の様子をモニター画面で見ながら航海をして進んでいく。ここまで航海する際、艦長にどのルートを通るかを見せてもらっていた。その通りに航海している。

  航路は順調で、王宮からも、クローネ島からも離れていく。恐らく明日の朝にも、元いたヌル列島に辿り着けるはずだ。

  「ヒロ、あと紗央莉さんも、眠くなったら寝なさい」

  「はーい、そうします。では後は、任せた」

  紗央莉はそう言って、潜水艦の一室に向かう。その内ヒロも眠そうに欠伸をするが、「あきら、俺はここで寝る」と言う。

  「ヒロ、ちゃんとベッドで寝たほうが疲れが取れるぞ?」

  「そうなんだけどさ……ここで寝たいんだ」

  ヒロは一旦部屋を出ていく。それから枕とシーツと毛布を持ってきて、床に敷いていく。その姿は、いつぞやの百音を思い出す。

  「本当にここで寝る気なのかね?」

  「うん。それじゃあきら、お休み」

  それから数分も経たぬ内に、ヒロの寝息が聞こえる。余程疲れていたのだろう。

  「ヒロはあきらの傍にいたいんだよ」

  ヴォルフが横にやってきて告げる。

  「そうか。悪いことをしたの……」

  一ヶ月間、いなかったのだ。クローネ島やエアスト王国の噂を耳にしなければ、一ヶ月どころか、一生なんてこともありえただろう。

  「ワシはほんとに、酷いじいさんだ……」

  「前は……の話だろ。今は、違うだろ?」

  「そうだな。前のようにはなりたくないが、そこらは分からん。またボケたら、どうなるか……」

  今は違うが、自分の意思とは無関係に、自制できなくなる程に、ボケて八つ当たりする時がくるかもしれない。その時にまた、酷いじいさんになっていたら、また迷惑をかけてしまうだろう。

  「ヒロはあきらが酷くボケたとしても、あきらのことを嫌いになったり、見捨てたりしないと思うぜ。偏屈なじじいだと思って、一緒にいると思うぞ? 勿論、ポルコも、ヒメカも。それに俺もだ」

  「そうかね。しかしもし、本当に鬱陶しくなったら、お前さんがワシを食らっていいからな」

  「じいさんなんぞ、食べる気はしないな」

  「そうかね。お前さん、前にワシを食べると、言ってなかったか?」

  「言ったが、あれは冗談なのは、あきらも知ってるだろ?」

  ヴォルフとの何気ない話は、気が紛れていく。

  「そうだ、ヌル列島に戻ったら、先ずは祝賀会でもやろうかの。あんまり好きじゃないが」

  「祝賀会?」

  「パーティみたいなもんだ。みんなで集まって、飲んだり、食べたりするんだ」

  「それは楽しそうだな」

  「ああ。きっと楽しいぞ」

  ༓࿇༓

  海岸近くに潜水艦が着いた。潜水艦から出て、街を歩いてカフェに行く。そこで軽めの朝食を皆でして、再び歩き、麗美、健也、百音親子に挨拶をして、紹介をして──……

  ハッと目を覚ます。

  ──夢か……。いかん、完全に寝てしまってたか……!

  慌てて確認したが、航海は順調だ。問題は起きてない。

  「あきら、起きたのか」

  ヴォルフが声を掛けてきた。

  「ああ。なんだ、起こしてくれればいいのに」

  「何か起きた時はそうしたがな」

  「そうか。まぁ、自動運転にしてたから問題なかったがの……」

  「もうじき夜が明けるって、タコの狂四郎が言ってたぞ」

  「そうか。なら、もうじき着くのか」

  夢ではなく現実で、ヌル列島の港の海岸に着く。

  「目も覚めたし、もうひと踏ん張りだな。そうだヴォルフ、お前さん、夜通し起きてたんだろ。今の内に寝るといい」

  「ああ、そうする」

  それから瞬く間にヴォルフは寝てしまう。

  潜水艦を浮上させれば、目的の港に着く。そこで朝の航路の支度をしていた、貨物船の段取りをしてくれた艦長と鉢合わせし、声を掛けられる。

  「良かった、無事に帰ってきたんですね……しかも、潜水艦とは。いやはや何にせよ、安心しましたっよ」

  「ええ。艦長さんのお陰です。どうもありがとう」

  「さぁ、ここは私にお任せを。クローネ島の事情は前から知ってますし、私がなんとかしましょう」

  艦長は潜水艦どころかクローネ島の件まで引き受けてくれた。艦長に礼をいった後、健也と麗美と百音がいる家に急ぐ。

  ༓࿇༓

  「無事に島から脱出できたんですね!」

  麗美が安堵して言い、

  「おかえり、わんわん、あきらおじいちゃん」

  百音も嬉しそうに労ってくれた。

  それからヒロ達のことを話せば、またここで滞在の話が出る。

  ギャラリーにしている家があるのでそこを使えばいいとのことだ。

  ──しかし、こんなにも良くしてくれる家族は珍しいの……

  道で土嚢が入った袋を拾ったからといい、ここまでしてくれるものなのだろうか?

  「麗美さん、どうしてこんなにも良くしてくれるんですか」

  あまり踏み込んだことは訊かないのがいいが、ここまでよくしてもらうと、逆に気になってしまう。一体、何がそうさせるのか? と、ワシならここまでしないのにと。

  すると麗美は、微笑んで口を開く。

  「私も昔、よくしてもらったからですよ。全然知らない人が、私の面倒を見てくれましてねぇ」

  「そうなんですか」

  「それが今の、夫です。最初はストーカーとしか思ってなかったんですけどね」

  「そうなんですか、健也さんが切っ掛けだったんですか」

  疑問は夫の影響と、呆気なく解決する。

  それから暫くそこで過ごしている内に、紗央莉とタコの狂四郎が情報を仕入れてくる。

  「この家から近い場所にも物件があったよ。気候がいいし、穏やかだし、そこに住むのはどう?」

  紗央莉の提案に一同、賛同する。

  それから数日後、麗美、健也、百音家族と別れの挨拶をするが、三十分歩いた先に、物件が見えてくる。あまりに近い場所だったので、涙ながらに挨拶をしていた紗央莉の様子がふと、甦る。

  「随分と近い場所だの」

  「うん。近いの知ってたんだけどさ、暫くお世話になってた場所を離れるってなると、涙が出るじゃない?」

  紗央莉が少し恥ずかしそうに打ち明けると、ヒメカが頷く。

  「そうね。その気持ち、とってもよく分かるわ」

  ヒメカが同調する。

  そして新天地での生活がスタートし、また新たな日常がやってくる。

  ༓࿇༓

  新しい家の暮らしに慣れて二週間が経過した頃、黒いカラスが一羽がやってきた。しかも喋るカラスだ。

  「地場のせいで、道に迷ってしまいました。ここは何処ですか?」と、カラスは話す。

  カラスと言えば【lost kingdom】のボードケームや、時空の歪み、黄金郷にいたカラスを思い出し、警戒してしまう。

  「お前さんは、どこに行きたいんだね」

  「さぁ?」

  「さぁって、道に迷ったんじゃないのかね」

  「迷ってます。本当は地場のせいじゃなく、毎日、迷ってます……」

  「ほぅ。珍しいの」

  「記憶が飛んでしまうんです。そういう病気らしくて……」

  「なるほどな。ワシとある意味、似てるな。ワシも物忘れが起きるからな」

  しかし前のように、癇癪は起こさなくなった。そういう物だと受け入れるようにしたのだ。面倒見られるのが悪い、申し訳ない──そう思うのは止めた。

  だからと言って、我が儘になるのではなく、やれる範囲で身の回りのことはやるし、忘れない努力も欠かさない。

  「お前さんは今日、どこに行きたいんだね? 忘れたら、行きそうだと思った場所に飛んで行けばいいんじゃないかね?」

  「なるほど、それもいいかもしれませんね。ポジティブに考えますよ」

  それから間も無く、カラスは飛び去って行く。

  ──無事に、辿り着けるといいのぉ……

  飛び立ったカラスを見送ってから、ワシは家に戻った。

  翌朝、再び同じ黒いカラスがやってきた。また道に迷ったのかと思えば──

  「仕事に就くことができました」

  と、報告をする。

  ──仕事か……

  カラスが口にしたことに、自ずと【lost kingdom】が思い浮かんでしまう。

  「仕事というのは、どんな仕事だね?」

  「レースです」

  「レース……?」

  「色んな鳥達が、人間達の手で作ったコースにそれぞれ入れられて、そこで走ってゴールする仕事です。人間達が賭けた金額で、僕達にもお金が分配されます」

  「なるほど……賭けレースか。それはどこでやってるんだね?」

  「ここより南ですね。そうそう、このメモは、人間が書いてくれました。記憶が飛ぶのを話したら、オーナーが僕にメモ書きをくれたんですよ」

  カラスは首から引っ提げている鞄から、メモ書きを取り出して見せてくれる。

  「ふむ。そっちも解決したのか、良かったの」

  「ええ。これで居場所も目的も見つかりました。どうもありがとう。もし良かったら、僕の活躍を見にきてくださいね」

  黒いカラスはお礼を言い、飛び去っていく。

  ──居場所と、目的か……。

  カラスが話したことを復唱し、笑う。

  ──ワシも、居場所も、目的もできたしたな……。

  「あきらぁ、ご飯できたぜぇ」

  ヒロの呼び声が響く。

  「ああ、今行くよ」

  返事をして家の中に戻る。

  前とは違う、とても暖かい家に──

  ༓࿇༓

  カラスの一件後、紗央莉とタコの狂四郎は稼げる仕事を見つけたと話す。稼げる仕事はいいが、またろくな仕事じゃないのかと疑って見れば、紗央莉は慌てて否定する。

  「ちょっと、あきらさん。そんな目で見ないでよ! まっとうな仕事だからさ……ね、狂四郎?」

  「おう、まっとうだ。まっとうクジラのように、まっとうだ!」

  紗央莉もタコの狂四郎もそう言うが、何となく怪しげな雰囲気だ。

  「危険な仕事じゃないだろうな……?」

  「全然、ちっとも危険な仕事じゃないよ」

  「おう、危険じゃない。ちょっと呪われるぐらいだ。だから危険じゃない」

  「呪い……?」

  ワシが聞き返した瞬間、紗央莉が叫ぶ。

  「ちょっと狂四郎! それ言っちゃダメだって!」

  だがもう遅い。遠くなりかけているワシの耳に、しっかりと入っている。

  「呪いとはなんだ。詳しく聞かせてくれんかの」

  改めて訊けば、紗央莉は口を開く。

  「心霊スポットの取材だよ。写真を撮るだけの簡単な仕事。だけどやばいのが多いし、私も怖いしで……ヴォルフにも協力してもらいたいなぁ~って……」

  紗央莉はチラリとヴォルフを見る。ワシの傍で寝そべっていたヴォルフは体を起こし、「いいぜ」と、あっさりと返す。

  「おいおいヴォルフよ、安請け合いしていいのか?」

  「別にいいさ。俺も暇してるしな、丁度体を動かしたと思ってたところさ」

  そして紗央莉とタコの狂四郎とヴォルフも交えた、心霊スポットで写真を取る仕事が始まるが、神獣であるヴォルフの気配が強すぎる為、結局撮れず、そればかりか除霊されてしまい、已む無く、やめることに──。

  ༓࿇༓

  一年、二年、三年と、季節が巡っていく。

  「あきら、おはよう」「おはよう」

  ヒロとポルコが顔を覗かせて、挨拶をする。

  「おはよう、ヒロ、ポルコ」

  ふぅ、良かった。今日は覚えている。

  「あきら、今日はどう?」

  「そうだな。今日は……、やめとこうかの」

  「分かった。それじゃ、また後で」

  ヒロとポルコは踵を返して部屋を出ていく。ヒロとポルコが成長する一方で、ワシは老いていく。

  「あきら、具合はどうだ?」

  ヴォルフはベッドの傍に座り、様子を訊いてくる。

  「そうだの……。ボチボチだの」

  ボチボチというのが定番の返しいなってきたが、そろそろ、ボチボチではないのはワシにも分かっている。ボチボチと返すのは、ただの見栄だ。

  「そうか。俺もあきらと一緒で、ボチボチだ」

  ヴォルフもワシに合わせて返してくれる。

  ヴォルフは矢張り、少し変わっている。ワシの傍を離れようとしない。ヒロやポルコの傍よりも、ワシの傍にいるのが多い。

  「お前さんは、ワシの傍にいるのが多いな。何故だ?」

  無粋な気がするが、何となく気になり訊く。この狼の姿をした神獣は、なんて答えるのか。

  「居心地がいいからさ」

  「そうかね」

  ──居心地が、いい……か

  それからヴォルフは「ちょっと寝る」と欠伸をし、再び寝に入る。

  「ワシも寝るかの……」

  ヴォルフと共に眠りにつこうとした時、「あきら、大変だ!」とタコの狂四郎がすっ飛んできた。何事かと訊く前に、今度はヒメカが部屋に入る。ヒメカを見れば、白いうさぎのぴょんちゃんとやらを抱いている。白いうさぎは大分年老い、うさぎの寿命の年数を越えているが、今も元気に生きている。

  とまれ、ヒメカの表情は芳しくない。

  「ヒメカさん、どうかしたのかね?」

  「ぴょんちゃんが、私に対して……すっごく素っ気ないんです……」

  ヒメカは弱々しく口にする。

  ちなみに白いうさぎは、元から素っ気ない。ヒメカ以外は塩対応だ。だがそのヒメカに対しても素っ気なくなったようだ。

  しかし素っ気ないという割には、大人しくヒメカに抱かれている。別段、嫌そうな素振りも見せない。

  ──どの辺が、素っ気ないんだ……?

  分からず、ヒメカと白いうさぎを交互に眺めていれば、ヒメカは口にする。

  「ぴょんちゃんが私に言ったんです。鬱陶しいって……」

  「そうですか」

  ふと考える。

  ──このうさぎは、喋ったかの……?

  疑問が浮かび、タコの狂四郎に訊いてみる。

  「狂四郎、お前さん、このうさぎと会話をしたことはあるかね?」

  「あるよ。テレパシーでだけど。このうさぎ、直接は喋れないから、テレパシーのみだよ」

  「そうか……。それじゃあテレパシーとやらで喋った内容を、ヒメカさんに伝えたのかね?」

  「いんや、伝えてないよ? それに喋った内容は、俺様をディスる内容だったしな。このうさぎ、中々肝が据わってるぜ」

  と、タコの狂四郎は告げる。となれば、ヒメカは、どう喋ったというのか。

  「ヒメカさん、白いうさぎとどう喋ったんですか?」

  「そんなの、仕草と目を見ればわかることよ!?」

  訊けばヒメカは透かさず返す。テレパシーではなく、仕草と目──。

  よく分からないが、その仕草と目が素っ気ないとのことで、何にせよ、一大事ではないが、ヒメカにとっては一大事のようで──

  「とにかく今日から! ぴょんちゃんが素っ気なくなるようにしなくちゃ……。あきらさんも協力してちょうだいね?」

  という訳で、素っ気なくなる行動が開始するが、元々ワシに対しては素っ気ないので、協力云々の問題だ。

  ──うさぎに話しかけても、うんともすんとも言わないからの……。

  とはいえ、一応は協力する。

  ヒメカお手製の餌やら、オモチャやらを使ってみるが、元々塩対応の白いうさぎに何をしても無意味で、しまいには後ろ足で足ダンをされてしまう。

  「ヒメカさん、うさぎの気分が素っ気ないのも、たまたま今日だけじゃないですか? そういう時もあるでしょ」

  「そうかしら、そうだと良いけれど……」

  そして翌日──。

  「うさぎのぴょんちゃんの機嫌が元通りになりました! ありがとう」

  という一報が入る。どうやら昨日だけだったようだ。

  ──やれやれ……。

  騒がしい日常ながらも、飽きない日常がこうして今日も過ぎていく。

  ༓࿇༓

  最近、ヴォルフと共に散歩をする日が増えた。足腰は弱くなるが、腰が痛くない日は起き上がり、ヴォルフと共に散歩をする。

  「あきら、俺の背に乗るか?」

  「いや、お前さんの背に乗ったら腰に負担が掛かる。それにお前さんも、負担になるだろう」

  「そうでもないけどな」

  山道を歩いていけば、何時もの憩いの場に到着する。そこにはテーブルと椅子が置いてあり、休憩できるようになっている。

  ヴォルフと共にそこに座っていると、様々な野鳥が飛んできて、頭上で自然のBGMを奏でてくれる。

  「きれいだの……」

  「ああ。ここは自然の鳥がいっぱいでいいな」

  不意にヴォルフは不思議なことをいう。

  「自然の鳥? それはどういう意味だね?」

  「そうじゃない動物達もいるってことさ」

  「ふむ……」

  「別にいちゃいけないわけじゃないが、それをよく思わないもんだっているだろ」

  「まぁ、たしかにの……。たしかにそうだが、ヴォルフ、なにかあったのかね?」

  ヴォルフが大抵こういう話をする時は、何かがあった時だ。もしかしたら、何かを見たのかもしれない。

  「別に何もありゃしないさ。けどあきらなら、何でも受け入れてくれるだろ」

  「まぁ、ワシはいちいち、気にしたりしないからの」

  「だろうな」

  ヴォルフは意味深に笑う。

  ──何だ……?

  気になった次の日、ヴォルフが言ったことを改めて認識する。

  ༓࿇༓

  「あきらさん、私の能力についてご存じよね?」

  ヒメカが改まって口する。能力というのは、幼い子供になれたりする特異体質のことだろう。

  「ええ、勿論。それがどうかしたのかね?」

  改めて言われ、聞き返す。今更、何とも思ってない。

  ヒロに狼の血が流れていても、ポルコの耳が狼の耳でも、喋るタコの狂四郎がいても気にしない。

  何なら、亡き桐生悠がベンガルトラに変身できようが、大して気にしなかった。だがヒメカは、重苦しい空気でいる。

  ──何なんだ……?

  気になるが、ヒメカが喋るのを待つ。

  「私の能力は、最初からあった物ではないんです。後天的につけられた能力なんです」

  「後天的ですか……。つまりそれは、どういうことですか?」

  「私は実験でこうなりました」

  「実験、ですか……」

  実験だったとは驚きだ。しかし、なんの実験なのか。

  「そういう機関が、あるんですか?」

  「昔はあったんです。今はないと、思いたいんですが……」

  「そうですか。いやはや、それは大変でしたね……」

  それからヒメカは、過去の話を打ち明けていく。