致死量のピーナッツを食べた。俺はアーニャ。

  致死量のピーナツを食つた。

  「食べるますか?」

  「食べないますか?」

  なんでちよつとファプタみたいなんだよ・・・。

  「良いか、アーニャ。」

  「飽きるまで同じものを大量に食べるって経験ができるのは大人になつてからだ。それまでは親がちやんと管理してくれてゐるからさういふ経験をしないだけさ。分かつたら今日からは俺がアーニャだ。」

  後日、ピーナツ色の糞が出た。

  俺はアーニャ。

  [chapter:令和の米騒動、『サクナ』]

  サンキュー全農

  サンキュー農家

  サンキュー米農家

  サンキュー百姓

  農家をバカにする奴を農家は食はせ、

  医療をバカにする奴を医者は守り、

  警察をバカにするバカを警察は守り、

  自警団が治安を悪化させ、

  消防をバカにするバカが住む街の防火を消防がやり、

  インフラをバカにする奴のインフラを守り、

  自衛隊をバカにするバカを自衛官は救ひ、

  学者と学問をバカにするバカに学者は学問を教へる。

  トラックの運転手をバカにするやつの街のスーパーに品物を届け、

  土木建築をバカにする奴のために道路を直したりトンネルや橋を守り、

  教師をバカにしてる親の子もバカだけど、そいつもいつか親になれよと預かり、

  保育所も幼稚園も預かり、

  介護士になつた若者は老人のせいで疲弊し、

  政治家と役人と小説家と芸術家と楽士と歌ひ手はほんまにバカにされ、苦にもされない。なのに偉さうに振る舞う。そうしないとプライドが保てないから。

  スポーツ選手もバカにされろ。

  将棋の棋士と落語家はバカにされない。

  講談と囲碁の棋士、歌舞伎、芸能、狂言師なんぞはそもそも存在を認知されてゐない。興行といふのは相撲もさう。武道家も誰一人分からんので、世間的にも認知されてゐないかも知れない。

  アニメーターは監督になつて巨匠にならないと認知されない。

  漫画家も売れてゐないと分からない。それはお笑ひ芸人もや。

  プロゲーマーと配信者、YouTuber、トレーダー、プログラマ、SIer、システムエンジニア、設計士、工場労働者、製造業、食品加工、薬学や化学、

  よくわからん。

  [chapter:歴史弱者と『逃げ若』]

  北条時政・・・つて誰? 多分政子しか分からん。

  家紋は civ でゼルダと言はれてゐたが、私はミツウロコしか出てこない。

  

  愛新覚羅も藤原も源氏も平家も織田(信成)も豊臣も徳川も(ケイキ)もムハンマドの子孫もチンギスハンの子孫も残りがち。

  やつぱり登り詰めると残るもんなんですかね。ファラオの血筋やハイレ・セラシエの子孫は寡聞にして知らないけど。

  李家と尚氏と張天師とダライ・パンチェン両ラマは残つていつて欲しい。

  楠氏は正虎公が名誉を回復させた。(正親町天皇朝)

  北畠、度会、荒木田は知らん。

  出雲国造は二つに分かれとる。

  吉田と平野の現在は知らん。

  尾張国造も分からん。

  小笠原宗貞の子孫はをる。

  千少庵の長男はどこかへ行き、次男と三男と四男が三千家になつたが、二代少庵は利休の養子。実父は能楽師か松永久秀など、諸説ある?

  越前藩主の松平春嶽(安政の大獄で隠居)の子は、松平慶民と徳川義親。1884年に五爵制度が導入されたが、既に華族になつてゐた慶永公は爵位を受けず、その六年後に亡くなつた。(從一位勲一等)

  明治21年(1888年)9月7日、従一位に昇叙

  明治22年(1889年)5月29日、勲一等旭日大綬章

  猿若座は知らん。中村? 勘三郎? 中村屋? 中村仲蔵?

  市川団十郎? 成田屋?

  大和屋?

  初音屋、麦わら屋、玉屋、鍵屋?

  [chapter:アニソンアーティスト四天王]

  米津玄師のピースサイン(『僕のヒーローアカデミア』)、キックバック

  キングヌーのPrayer X(『バナナフィッシュ』)と逆夢(映画『呪術廻戦0』)

  クリーピー・ナッツのプリンバンバン(『マッシュル』第二クール)

  ディギーモーの爆走夢歌(『ソウルイーター』)

  マッシュルは第一クールの途中で、夜も深まり疲れ果てて寝てたよ。起きたら何か敵倒してて爆笑。また見なきや・・・。でも、最高のOPだつた。映像が相まつて最高のアニソンだつた。ノンクレジットで見たいと思つたの、これが初めてだ。

  CN(Creepy Nuts)で最高ぢやないやつ、よふかしとイェイイェイイェイイェイ落ちていく摩天楼ウォウウォウウォウウォウやろ。どちらもともに『よふかしのうた』。多分、R指定さんはラップ上手いけど歌は下手い。よふかしのうたはイントロだけやろ。あと、どついたれもダメ。歌ひ手もラップーになつてなくてダメ。声がもうラップぢやない。

  「かつて天才だつた俺たちへ」は最高。大学のCMで、車が校庭を切り付けながら走つてるビデオが良い。

  

  King Gnu の『呪術』の、逆夢ぢやないジャカジャカジャンジャカのやつも良い。あと常田さんはキックバックの「編曲」に携はつてをり、米津さんのシャウトを引き出した的な事を言つてゐた。

  [chapter:可愛い理系用語]

  最初に出てくるのはこまごめピペットで、次がメスシリンダー。

  お花畑といふリプを見て膝を打つ。

  リス氷期

  これは動物のリス(栗鼠)ではなく、氷山を登るための登山道具か何かだつたはず。

  ミッキー

  パソコンのマウスの移動距離の単位。完全に奴から命名されたネタ。

  グアニンのグアーっ感

  チミンのちみっちゃい感

  シトシンのしっとりしとしと感

  ウラシルのウラル山脈/クラシル感は異常

  プリン(purine)は狙いすぎて可愛くないけど、「プリン環」は割と可愛いのではないか。

  「プリン」が可愛くないつて思ふの、アニポケのプリンがうざいと感じてゐたからだ・・・。

  「プリン体」はおつさん、ビール、痛風と結びついてをり、可愛くない。

  因みに、アデニン(A)とグアニン(G)がプリン環で、チミン、ウラシル、シトシンがピリミジン環。

  エネルギーを運搬するATP(↔︎ADP)や、核酸の材料 dAMP、AMP など。つまりその性質から細胞が多い物を食ふと痛風になりやすく、白子など。卵黄は何故かあれで一つの細胞らしく、痛風になりにくいらしい。

  ブタン

  ぴんくのぶたたん、ブタメン、ブータン感が可愛いといふ、語感萌えの境地に至る。

  天然ガスに含まれてゐる。

  これもう、プロパンやトリプトファンも可愛いだろ。

  オクタン

  お前タコのポケモンやんけ!

  語感は完全に「奥さん」といふか、『ブラックジャック』のピノ子の言ふ「おくたん」である。可愛い。

  因みにガソリンのハイオクは、オクタンが語源で、正確にはオクタン値が高い事を言ふらしい。

  もうアルカンとシクロアルキンは可愛いだろ。

  アルカンは意地張つてないで早く歩け、といふ気持ちになる。

  [chapter:石川縣]

  ストーンリバー

  ああストーンリバー

  ストーンリバー

  観光客を石川県民にする、逃げやうとした者は金箔で包んで像にする。

  ↓

  (私: これがホトケの語源。)

  ↓

  観光客を金箔にしてソフトクリームに乗せる(○亀MAD風)

  ↓

  二ヶ月に一人を金に変へて、全国の金箔をまかなふ

  だいぶ違うな、おい。

  最初は、2000万人の体に含まれる微量元素で金をまかなふ話かと思つた。

  ちなみに人体に含まれる金(Au)の量は、0.010グラム未満らしい。

  あの『ハガレン』では人体のレシピとして、フッ素、鉄、ケイ素ほか、少量の15の元素を挙げてゐる。

  元素と化合物は異なるが、[[jumpuri:こちらのサイト > https://www.aluminum.or.jp/aluminum-hc/p_6/chiba/chiba_main01.html]]で確かめたところ、金はギリギリ15位に入つてゐる。

  [[jumpuri:空想科学研究所の記事 > https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/95e814048d51d81ab09ffbbe07b6600ab6762c80]]は、少数元素を20種類としてゐる。

  さて、多めに見積もつて、一人0.009グラム(9ミリグラム)を含むとする。

  もし観光客全員から金を入手する事ができたら、2 241キログラムにもなる。

  [chapter:青丹ヨシ奈良]

  ミストを浴びると鹿になる。

  鹿になつても、点字ブロックは塞がない。

  [chapter:ハイアラーキー]

  [[rb:位階 > ヒエラルキー]]を気にしすぎる私。

  武道は例に始まり例に終る。

  麻雀はピンフに始まりピンフに終る。

  不思議の勝ちあり、不思議の負けなし。

  正勝、吾勝、勝速日。

  風林火陰山雷。

  柔よく剛を制し、

  麻雀負けたら将棋に勝て。

  将棋も負けたらもう囲碁と言はずに、バックギャモン(盤双六)かシャンチー、チャイニーズチェッカーにしない?

  MJモバイル初段(1dan)

  ウォーズ初級(1kyu)

  英検 thank you(read çava )

  十段はアマ相撲と囲碁、麻雀にあり、多分台湾棋院のタイトル戦もさう。

  https://www.youtube.com/watch?v=W_M5gDEkWUA

  将棋は「1943年、讀賣報知紙上で、全八段・七段が参加する「九段設置戦」が開始[2]。1945年5月に新聞発行不能で休止に[3]。戦後、1945年11月から、讀賣報知紙上で「九段設置戦」が再開[4]。

  1947年[5]、新棋戦として読売新聞社主催の全日本選手権戦が創設される。第1回全日本選手権戦は名人を含むトップ棋士10名(名人・A級7名・B級選抜2名)によるトーナメントで争われ、1948年に前名人の木村義雄が初代選手権者となった。

  1949年、第2回全日本選手権では、出場者12名(名人・A級10名・B級選抜1名)を3つのブロックに振り分け、各ブロックのトーナメントを勝ち上がった3名による決勝リーグを行う方式に変更された。ところが、この年の決勝リーグでは全員が1勝1敗で並んでしまったため[注 1]、決勝リーグが再度行われ、結果、萩原淳が2勝0敗で選手権者となった(前選手権者の木村は1勝1敗の2位)。

  1949年[6]、名人戦の盛況を受けて読売新聞社と日本将棋連盟は全日本選手権戦をタイトル戦の九段戦(初年度は決勝三番勝負、翌年以降は九段と挑戦者との五番勝負)と名人九段戦(名人と九段戦勝者との五番勝負)に再編成。当時の最高段位が八段だったことに由来し、名人に次ぐ2つめのタイトルとして九段を制定した。ただし、全棋士参加の最高位棋戦である現在のタイトル戦とは異なり、九段のタイトルは名人以外の者によって争われ、九段のタイトルを獲得した者が名人との間で名人九段戦を行うという、2つの棋戦を合わせた二段階方式で全日本選手権者を決する仕組みであった。なお、九段戦は将棋愛好家であった秩父宮雍仁親王から優勝杯が下賜されることになり、秩父宮杯との別名でも呼ばれた。1950年[7]、大山康晴が初代九段となり、名人九段戦でも名人の木村を下して第3回全日本選手権者となった。

  1952年、九段のタイトルを保持していた大山が木村から名人のタイトルを奪取。これにより、九段戦に本来は出場しないはずの名人が出場するという珍しい事態となった。九段戦に名人が出場してしまっては、その後に名人九段戦を行う意義が失われてしまうため、特例的な措置として、名人九段戦は新名人の大山ではなく引退した前名人の木村が出場し、第3期九段戦の優勝者の塚田正夫との三番勝負に縮小して開催された。

  1954年、引退棋士の金易二郎に名誉九段が与えられる。また、塚田正夫が九段戦3連覇により永世九段の資格を得る。これらはタイトルとしての九段なのか段位としての九段なのかを曖昧にしたままの称号であったが、段位であるとみなされることが多い[注 2]。

  1956年、全日本選手権が再編され、九段戦と名人九段戦が新たな九段戦に統合(同時に全八段戦も統合された)。第7期九段戦(第9回全日本選手権戦)からは名人も本戦トーナメントに参加することとなり、番勝負は七番勝負に変更された。制度変更に伴い、第6期九段の塚田のタイトルは返上となり、塚田も本戦トーナメントに参加した。塚田は決勝で升田幸三に敗れてタイトルを失ったものの、1954年に得ていた永世九段の資格を用いてその後も九段を名乗った。

  1958年、昇段規定が改められ、大山と升田が段位としての九段に昇段。引退棋士の名誉九段だった金や永世九段であった塚田といった例とは異なり、段位としての九段の昇段規定が一般的に整備されたことにより、九段戦というタイトル名はややこしい状況を生むことになる。実際にこの年の九段戦では、挑戦者の大山の段位も九段であるという事態になった。

  1960年、大山が永世九段の要件である3連覇を達成。しかし、段位としての九段と永世九段とはほぼ同一視されており、大山はすでに段位として九段に昇段していたことから、1960年に永世九段の資格を獲得したとはされないことが多い。

  1962年、段位としての九段ができたのにタイトル戦の名称が九段戦のままであるという分かりにくさを解消するため、新タイトル戦の十段戦に改称する(なお、囲碁の十段戦が1961年から開始されていた)。九段のタイトルを保持していた大山はタイトル返上となり、リーグ戦に参加。大山が初代十段となった。

  1965年、大山が九段戦と合わせて通算10期となる(なお、当時の規定では九段戦の獲得数は合算されていなかったため、永世十段の資格は与えられていなかったが、1988年に資格が与えられた)。

  1978年、前年に死去した永世九段の塚田に対して名誉十段が追贈される。

  1982年、中原誠が通算10期となり、永世十段の資格を得る。

  1988年、賞金が増額され、序列1位のタイトル戦となったのに伴い、新タイトル戦の竜王戦となって十段戦は発展的に解消。十段であった高橋道雄はタイトル返上となった。第1期竜王戦では永世十段有資格者の大山・中原と前十段の高橋の3人がシードとして争われ、島朗が初代竜王になった。なお、十段戦終了に伴い、新たな永世十段の資格獲得が不可能になったことから、制度の見直しが行われ、九段戦を含めて通算10期ならば永世十段とすることが決まった(該当者は大山のみ)。

  1992年、永世十段有資格者の大山が永世十段を就位することなく死去。

  1994年、中原が現役のまま特例として永世十段を就位。

  2012年、大橋宗桂 (初代)が徳川家康から将棋所(名人)に任ぜられたとされる1612年[注 3]から節目の400年であることを記念し、徳川家康に対して(段位としての)十段が贈られた。」

  上述の通り、囲碁将棋はそのまま序列であり、囲碁は貴族の教養であり、将棋は大衆の遊戯であつた。つまり、囲碁の下に将棋が置かれ、最高段位もプロ制度の初めは八段止まりであつた。そのため、九段戦は最強の称号であり、一人しか名乗る事が許されなかつた。囲碁の十段と同じであるが、麻雀の十段位は同じなのだらうか? よく分からない。しかし、将棋も九段位が作られ、十段戦を勝ち抜いたただ一人のチャンピオンが十段を名乗れる事と相成つた。名誉十段とネタ枠の源家康公を除き、十段は最早存在しない。最強の称号は竜王戦に名前を変へたからだ。これは名人よりも序列が上であり、両方取ると竜王・名人といふ称号になる。この序列は賞金の額で決まつてゐるので、江戸時代からある名人より歴史が浅いのに序列は上。伝説では織田信長が日海(初代本因坊)を「名人」と例えたのが初であるが、双六の「名人」の例がそれより早い。猫好きの「ひふみん」の愛称で知られる加藤一二三九段は、史上初の中学生プロで、名人位を獲得し(1982)、十段位を3期、タイトル計8期獲得し、1分将棋の達人であり、棋士にして騎士、神武以来の天才と呼ばれた、

  竜王戦はアマ竜王や女流が六組であり、一組が一番強くて本戦出場の枠が多い。六組優勝が冷遇される形のトーナメントで行はれ、これは『龍と苺』の主人公も驚いてゐた。六組からタイトル挑戦の目もあるので、アマの夢、若手の登竜門が「竜王戦」。終盤のファンタジスタこと藤井猛九段は、藤井システムといふ穴熊殺しの四間飛車の新戦法を引つ下げて竜王位を獲得した。

  ウィキペディアは書き過ぎ。アフォか。

  剣道は三倍段でサンバルカンではない。サンバルカンつて何だ?

  [[jumpuri:十三段 - ウィキペディア > https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%89%E6%AE%B5]] もあり、碁聖道策がそれ。

  

  [chapter:音樂談義]

  能動的三分間のコーラスが良い。

  水流のロック、骸骨楽団とリリア、大破壊交響楽、トイパトリオット、スパイエアの My friend は、PrayerX、パスピエのまだら、水星、白日、感電、米津の街

  ブギバ、丸サ、スメルズ、恋するハエ女